昨夜楽しく活動報告会での「町歌」「ふるさと」先導歌唱終わりました。今日はそのご報告です。
<控室>
会場である津幡町シグナスに到着すると、入り口でちょうど翔吾君と合流。
「先生の控室に和室とってあります」
行ってみると、会場は3階なのに和室は2階。これはちょっと困ります。最初に歌って最後に歌うので、進行状況がわからないと出ていけませんから。結局、会場をパーテーションで仕切った隣の場所を…と言ってもとっても広いです…控室として使わせていただくことになりました。これは控えるのに最良の場所。
<今日の進め方~授業みたいに>
翔吾君の希望は
「町歌もふるさとも、皆さんを先導して歌ってほしい」
でした。もちろん私も異議はありません。
ところが、いただいた司会原稿を見ますと、私の紹介には
「~斉唱にあたり、池野町議の津幡南中学校時代の担任であり、吉田町長の同僚でもございました、津幡町の名物音楽教師のこの方が駆けつけてくださっています」
とあります。さらに、翔吾君から
「先生の教えた人も結構来てくれることになって、会うの楽しみだって言ってます」
これは、当時の私を知る皆さん
「授業みたいにやってほしい!」
と思っているに決まっています…と私は思いたい。
授業みたいにやりましょう。
<準備>
会場には支援者の若者が10名ほど来てくれて、一緒にいすを並べ、音声を確認し、一人の見知らぬ女性に
「私、隣にいるんですけど、開会5分前になったら、ドレスのファスナー上げていただきますか?10センチほど上げられないので」
と頼み、その後はお化粧してティアラをのっけて準備完了。

<かつての教え子のみなさん>
「先生と僕、仲良かったよね。36年ぶり」
当時からイケメンのI君。
「僕のバンドでピアノ弾いてもらったし」
そうそう、彼が文化祭でバンドやった時、どうしてもキーボードをできる子がいなくて、カーテンの陰でピアノ弾いたんでした。
「あ!西野先生。俺の担任」
「お家で亀飼ってたよね。お母さん細くて背の高い」
2年間担任したK君。
「お久しぶりです」
「全然変わらな~い!」
ひげを生やしているけれど、当時から変わらぬ、くるんとした丸顔のO君。
そして司会のNさんは、直接教えてはいないのですが、当時学校に居て(別の音楽の先生のクラス)、津幡町の吹奏楽団の団員。そのコンサートに私が出演した際、フルートを担当されていたそうです。
<町歌先導歌唱>
19:00開会。
「皆様恐れ入りますが、ご起立をお願いいたします~(西野真理の紹介)~西野さんに歌のリードをしていただきます。どうぞ拍手でお迎えください」
さあ、西野真理、前の入り口から登場です。
「皆様こんばんは。私、吉田町長とはかつての同僚、吉田さんは職員会議で彼が何か言えば話は全てまとまる、当時から素晴らしい人物でした。翔吾君は津幡南中で担任をさせていただいておりました。それでは皆様、せっかくですから少し練習してから本番と参りましょう」
全校集会の校歌指導のように
「まだまだ声出せますよ」
「今のは30点」
「ちょっと良くなってきました」
「前のこの辺の皆さんお上手ですね」
「70点くらいになりました」
「では、本番で100点にしましょう」
本番100点で無事町歌先導終わりました。
<吉田町長のお話>
吉田町長が、私もすっかり忘れていた過去の西野真理の思い出(暴露話)話。
「西野さんとは津幡南中新設開校の時からご一緒しました。当時から変わらぬエネルギーで、例えば当時忘年会で出し物をしたとき、西野さんはドレスで歌うんです。それだけならいいんですが、その格好で、他の宴会場に行って歌うんです。そのエネルギーで学校でもやるもんですから大変です。しかし、そんな人がいたおかげで、津幡南中はエネルギー溢れた学校になっていきました」
もったいないお言葉、ありがとうございます。
<翔吾君の報告>
控室のパーテーションの隙間から彼のプレゼンテーションを聴かせていただきました。頑張っています。汗だくです。
・町議になってすぐに発災した豪雨時の奔走の様子
・能登半島地震後の河北潟の様子
・津幡町の人口減少対策
・今後の展望
など
↓(パーテーションの隙間から撮影)
<ふるさと>
報告会も無事終了。あとは締めの部分です。翔吾君から
「こういう会はよく『がんばろ~』とか『エイエイオー』で終わったりしますが、僕はこの津幡町を皆さんで作っていくということから『ふるさと』をみんなで最後に歌いたいと思ってたんです」
司会者さん
「歌唱のリードを西野さんにお願いしたいと思います」
これは練習なし。この場面、私は舞台下、舞台上には町長さん、議員さん。
上手にプロンプしながら無事歌い終えました。
<今朝>
いつも朝4時頃目が覚めるのに、今日は7時まで寝ていました。
心地よく疲れた昨夜でした。

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