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野口先生にご進言 2026年7月30日(木)

まずはこちらをお読みになってからお願いします。

野口先生のお話し途中でしたが、バスの時間が迫っているのでそっと失礼しました。そのこともあってか、先生からつい先ほど(7月30日の朝)お電話をいただいてしまいました。お電話でお話するうち、私にはどうしても先生に申し上げたいことが昨日からあって、それが電話の途中からこみあげてきて、この際だからと申し上げることにしました。

まずその背景から。
野口先生は俳句の会を長くやっていらして、奥様・松井さん(よく苗字にありますが、お名前です)も同様に俳句を作っていらっしゃいます。そして、その俳句の中からお二人1句ずつ選んで「夫婦句碑」を建立されるというお話を昨日の野口素麺塾でお聞きしました。その句の候補として、松井さんのものは
「ここへ嫁いできてよかった」
という内容の句。野口先生の句は
「長く先生をやってきてよかった」
という句。
(その句はお聞きしましたが、ここでは伏せます)

これ、ダメじゃないですか?
松井さん、全国を飛び回る野口先生のバックアップはもちろん、ご自身も保育士さんとして勤務、たくさんのお子さん、義理のご両親との同居、広大な屋敷・土地の管理・・・他にもきっと私の知らない多くのことを陰になり日向になりされていらしたはず。松井さんあっての今日の野口先生です。
また、先生の句碑ではありませんが、先生を顕彰する「師道の碑」が一昨年、お屋敷内の一角に建立されているのです。(除幕式のお写真:一番左が松井さん、隣が野口先生)
















ここは「教師」としての野口芳宏ではなく、夫としての野口芳宏を前面に出すべきでしょう。短歌なら「返歌」という恋人同士の歌のやり取りがあるようですから、俳句にもあっていいんじゃないでしょうか?(あるのかな?)

というようなことを、お電話で直接申し上げたのです。
野口先生、生意気な西野真理の進言に対して、さすが人格者
「あ~そいう言う意見、なかなか言ってもらえないんだよね。昨日小路さんもちらっと言ってたね。まだ間に合うから考えてみます」
さあ、どうなるでしょう。

ABEMA Prime 「夏休みの先生は暇なのか?」をめぐる議論 2026年7月30日(木)

1つ前のブログと少しだけ関係があります。関係を知りたい方はそちらをどうぞ。

「野口素麺塾」に参加された方のお一人、千葉県の小学校教諭・松尾英明さんが2026年7月29日夜10時からの『ABEMA Prime 「夏休みの先生は暇なのか?」をめぐる議論』にご出演。それは見なくてはと思ったのですが、ちょうど「野口素麺塾」帰りの新幹線車内。困ったなあと思っていたら、野口塾ネットワークで
松尾先生の本日の放送は8月5日まで見られます!https://abema.go.link/bkGIi
と佐々木さんが教えてくださったので、今朝、拝見しました。
このブログは西野真理の感想です。
番組内の議論の視点が多すぎてまとまらなかった、というのが正直な感想です。

そこで強引に、まず、聞き手側が本当に聞きたいこと、言いたいこと、内心思っていることを憶測で書きます。(部活動には触れません)

①40日ものお休み何してるの?
②研修だとか会議だとか授業準備だとかあるのは理解できるけど、普段から相手をしている生徒が学校に来ないし、授業はない、HRもお掃除も、給食指導もないわけだから、それだけでも十分暇でしょ?
③40日間もそれでお給料もらえていいな。でも、それを引きずり降ろそうっていうわけではないよ、ちょっとやっかみを言ってみたいだけ

次に、先生側の反論(説明、言い訳)を西野真理視点で書きます。

①西野真理の場合、夏休みに
・合唱コンクールの楽譜印刷
・合唱コンクールの全パート唱録音
・文化祭の準備
・2、3学期のワークシートの印刷
・2、3学期のテストの印刷
・リコーダー授業用の練習曲楽譜と、グループアンサンブル用楽譜の印刷
を必ずしました。でもこれらは1週間集中してやれば終わります。

研修や会議の日も数日はあり、それ以外はなるべくお休みをとりました。
以前、夏休み期間に7日間の声楽セミナーがあり、最初の10年ほどは研修扱いで参加できました。しかし、途中からそれは「勝手にやっていること」扱いになって、後半10年は有給休暇で参加しました。有給はいっぱいあるので別にいいですけど。しかし、このセミナーは私自身の血となり肉となったことはもちろん、音楽教師としてこれほど生徒の皆さんに還元できたことはないと思っています。

②おっしゃる通りです。しかもストレスがないことこの上ありません。
ここで一般の方がご存じないことを一つ付け加えますと、給食後20分ほど(学校によって時間の取り方は違うと思います)、先生は休憩時間になっています。しかし、これほど暇だった私でも、この時間休憩していたことは37年間の教員生活でなかったと思います。むしろこの時間が濃密に忙しかった気がします(給食担当の時は特に)。それがない、ゆっくりお昼ご飯を食べることができる夏休みは最高に感じました。
また、私が勤務していた学校では、書類上16時~16時20分も休憩時間になっていたと思います。この時間に休憩が取れる人は一人もいなかったと思います。

③やっかまれて当然だと思います。でもあえて言えば、40日と言ってもその間に
・土日…10日間
・祝日…1日
・普通の会社のお盆休み…5日間
とすれば、実質24日です。
私は普通の先生よりはるかにたくさん普段有給をとろうとした人間ですが、それでも年間20日取れることはまれでした。それを夏休みである程度使うことはありだと思います。

以上で西野真理の感想を終わります。

横浜市イギリス館コンサート その11  野口素麺塾  2026年7月29日(水)

※このブログは「横浜市イギリス館コンサート その1」からここまでをお読みくださっている前提で進めます。

今日の内容はほぼ「横浜市イギリス館コンサート」とは関係ありませんが、一連の流れということでお楽しみくださいね。


<朝の行動>
昨日東海道線激混みで懲り懲りの私は、何としてもあの激混みを避けたいと、余裕のうえにも余裕を持って朝の行動を決めました。
「8時45分東京駅バスターミナル発君津バスターミナル行」
に乗るために路線検索すると、半蔵門駅を8時5分の電車に乗れば着くことになっています。ホテルを7時50分に出れば楽勝です。しかし、方向感覚があまり良くない上に、迷路のような地下鉄接続と駅構内、もう30分は必要。なにより、早ければ早いほど混雑は少ないはず。
この読みは大正解!
半蔵門線はすでにまあまあ混雑の七尾線。丸ノ内線に乗り換えると、混雑している七尾線。東京駅は「かほく夏祭り」です。
半蔵門線と丸ノ内線の接続で迷い、東京駅からバスターミナルまでの通路で迷い、でも余裕でバスターミナルに到着。ああ〜よかった。
待っている間、朝食代わりにコンビニで干し芋を買って食べました。長時間トイレに行けない時、例えば在職中だと入学式、卒業式など、私は朝ごはんを食べませんでした。今日も高速バスに1時間ですから。少量の干し芋は何の根拠もありませんが、ちょうどいい気がします。

余裕がない割にこんな写真を撮って喜んでいました。(半蔵門のホームで反対に停まっていた電車)


<高速バス>
ちょっと笑っちゃった、バス内の「次のバス停ご案内」ひらがな表記。
「きさらずはとりのばすすとっぷ」
何?知らないとすぐには読めません。
「木更津羽鳥野バスストップ」

↓東京アクアラインに入る前
↓東京アクアライン海底から海上に出たところ

<野口素麺塾>
本日、君津は34度。野口先生のお宅の涼暉荘はエアコンのない、言わば屋外。
エアコンなしで半日過ごしたのは、前回参加の野口素麺塾以来でしょう。
今回は「学級担任の先生のための指揮法指導法」の実践発表に手を上げました。この場をいただけたことに心から感謝いたします。
私のほかに3人の先生が発表。皆さん頑張っていらっしゃいます。(一番左が野口先生、右の黄色が西野真理 ※野口塾ネットワークの小路さんのお写真より)

その後休憩を挟んで俳句の投句会(?)。一人2句詠んで小さな紙に書き、それを全員分貼り付けたものが全員に配られて、良い句3つに投票するのです。今回私の句一つにお一人、もう一つにお二人投票してくださいました。
投票していただけたので、ご披露します。

青竹に 向かいタバコの 昼休み
(休憩中に竹やぶに向かって美味しそうにタバコを吸っている人を見て)

卒寿超え タンクトップの 師の笑顔
(野口先生がタンクトップ姿で、34度をものともせず、笑顔で歓迎してくださる様子)

流し素麺を食べ、
郷土料理のお寿司をいただき、

あっという間に帰る時間です。
先生にお会い出来て本当に来てよかったと思えた時間でした。

<帰宅>
先生のお話し途中でしたが、現在大学院博士課程(通信)で学びながら群馬で小学校の先生をされている山本裕貴さんに、君津バスターミナル(向こうに見える小さな建物がバスターミナル)まで送っていただいて、




















帰りの高速バス(16時30分発)に乗りました。バスのエアコン、天国!
・・・ではあるものの、途中から渋滞。東京アクアラインは通勤時間帯の一般道並のスピード。やっとアクアラインを抜けた時点で本来の到着時刻の17時47分。新幹線は19時04分だから余裕
・・・と思っていましたが、その後もノロノロ運転。

「大井」の道路標識を見た18時10分で心配になってカーナビを入れてみました。ここから東京駅まで30分。本当に30分で着いたとして18時40分。あまり余裕がなくなって来ました。

18時20分、レインボーブリッジ渡ります。カーナビ表示あと18分。レインボーブリッジはスイスイでこれはいいと思ったのも束の間、また渋滞。

18時36分、首都高速出口を出ました。あと少し!でも信号待ち。
18時38分 京橋交差点。
あ!到着ご案内のアナウンス。よかった〜15分余裕があれば、お土産買えます。彼はお菓子が大好きですから。私も。

18時50分 バスターミナル到着
ちょっと焦る!
18時53分 新幹線ホーム到着
東京バナナ、パインアメドーナツ買う
乗る新幹線は清掃待ち。そこにいてくれてなんだかホッとする
19時04分 新幹線は定刻発車。流石!
パインアメドーナツ食べました。パインアメドーナツ味でした。
さあ、金沢まで訳詩です。
と、張り切って訳詩途中のベルリオーズ「夏の夜」2曲目完成後は、いつものランチ仲間とラインしたり、先程君津バスターミナルまで送ってくださった山本裕貴さんにブログに名前を載せる許可をいただいたりしているうちにすっかり訳詩気分ゼロ。ダラダラしていましたっていうか、このブログ書きを楽しんでいました。

新幹線・金沢22時16分、定刻到着。
七尾線に乗りました。22時34分出発です。

23時ちょうど、宇野気駅到着。彼が迎えに来てくれました。
ここまでブログにお付き合いいただきありがとうございました。

スピード違反を中心とした気ぜわしい一日 2026年6月23日(火)

表題の通り、スピード違反で捕まってしまいました。それを中心としてごちゃごちゃと色々あった一日なので、書き留めておくことにしました。それほど面白くはありません。

①9時45分「未来への扉セミナー」打ち合わせの説明
いつものように9時半に家を出て、FMかほくスタジオへ。到着していつものように10時からの生放送の準備をしていると、管理者の新江さんが登場。
「来週6月29日(月)に開催される『未来への扉セミナー』の打ち合わせを中学校へ行ってしてきてほしい」
ということに関する説明を、私にし始めました。

「未来への扉セミナー」とは、河北郡市の中学2年生を対象に「職業人と考える自分のこれから」という趣旨のパネルディスカッション。FMかほく主催です。




















私は新江さんから頼まれ、そのお手伝いをすることになっていました。
河北台中学校講堂にカメラを置いて、他の中学校の生徒はそれを見ながらTV画面で参加する形をとるので、
「事前にちゃんとそれがつながるかどうか、今週中に中学校へ行って確かめてきてほしい」
というお願いです。
中学校にはそういうことが得意な先生がたくさんいることはわかっているので、正直私の出る幕ではありません。しかし、主催者側の立場として、確認が必要であることはわかりますので、もちろんお引き受けしました。
そして、今日の14時、河北台中学校講堂へセッティングを見に行くことになりました。

ただ、ただですよ、新江さん。生放送15分前にやめてほしい!放送前には音声確認とか、YouTubeの設定とか、それなりに色々あって気ぜわしいのです。新江さんご自身もお出かけ前で忙しく、お互い気ぜわしいことこの上ないではありませんか。
それでも何とか生放送前に打ち合わせのための打ち合わせを終え、ギリで生放送に突入しました。

②10時 FM生放送
あわただしく始めましたが、原稿はちゃんとできているので、そういう意味では心配ありません。今日は日曜日のお寺でのコンサートのお話です。原稿のおかげでちゃんと進みましたが、2曲目にかけようとしていた曲のUSB上のありかがよくわからないままスタートしてしまっていたので、案の定、2曲目を出すときモタモタしました。

③10時40分 打ち合わせお願い電話
FMから帰ると早速担当の津幡南中学校に電話。
「打ち合わせのため中学校へお伺いしたいが、いつならいいか?」
という内容です。
電話に出てくださったのは、おそらく教頭のM本先生。私は知らない方でしたが、とても感じよく、こちらの都合も聞いてくださって、後程改めて中学校の都合と合わせて電話を下さるということになりました。
ここで電話を切ろうかと思いましたが、何しろ津幡南中学校は、私が新設開校にもかかわった学校。行けば私を知っている人も何人かはいらっしゃるはず。身分を隠したままはあんまりかと思い、
「実は私、以前そちらで教員をしていた西野真理・・・」
M本先生、お電話した時点で、私を以前から知っていらっしゃったようでした。これで一安心。

④11時半 ささがわ女性クリニック
1か月前に初受診して、これが2回目です。予約してあったので時間的には問題ありません。
基本健康なので先生と楽しくおしゃべり。健康とは言っても、病院に来るのですからそれなりに色々あり、最近かなり痛い右腕の痛みをご相談すると、漢方薬を処方していただけることになりました。また、前回の初診で私が「歌手」と自己紹介したことを看護師さんのお一人が覚えてくださっていて
「あ、歌手の人だ!」
それで話が盛り上がり、診察室でちょっぴり歌ったり、YouTubeを見ていただいたりしました。これも診察の一つでしょう。

⑤12時8分 スピード違反
これは完全に私がバカ!クリニックへの行きで白バイを見ており、クリニックの帰りも白バイを見ているのです。それなのに追い越しでちょっとアクセルを踏みすぎて捕まりました。
その捕まえた白バイ警官さんの優しいことといったら!いちいち丁寧な言葉づかいで、恐縮します。私も素直に謝りました。今時〇ハラとかで世間は厳しいですからね。

⑥12時20分頃 罰金の支払い 15000円




















罰金の支払い用紙を渡されたので「善は急げ」。善なのかな?その帰りに直接銀行へ行きました。
支払いを終えてふと振り返ると、あれ?N川先生。以前勤務校でご一緒していた国語の先生です。もちろん、コンサートのチラシと活動報告チラシを渡しました。ただ、こういう時のお相手の反応は、当然ですが
「いい趣味、頑張ってるね~!」
というムード爆発です。
こういう場面、正直いつもがっかりします。
でも、久しぶりにお会いできてうれしくなりました。
「N川先生にお会いできて、スピード違反で捕まったけど、元気になりました」
N川さんもびっくり。

⑦12時20分 薬局へ
クリニックでいただいた処方箋を持って薬局へ。処方された薬が1つなかったので、夕方もう一度取りに来ることになりました。その説明を受けているときに電話の着信。多分津幡南中学校です。

⑧津幡南中学校へ電話
薬局を出てすぐ折り返し電話をしました。M本先生、大変理解が早く、
「5クラス全部のパソコンでちゃんとズームが入るか確かめればいいんですよね」
「流石です!」
実は一番わかっていないのは私。
今日の15時半に津幡南中学校へお伺いすることになりました。

薬局から帰ってすぐ、ブログを書き始めました。
 ・・・あっという間に時間が経って、河北台講堂へ行かなくちゃ!

⑨14時 河北台中学校講堂セッティングのお手伝い
講堂入り口に3人の人影。講堂の鍵が開いていないようです。ほどなく鍵を持って市役所の担当・Y田さん登場。入って作業開始です。開始と言っても私に頭脳関係はできませんから、机を運んだり、椅子を運んだり。












そうこうしているうちに新江さん
「あ~!マイク持ってくるの忘れた!」
「今日、スタジオの前に置いてあったあれですよね、スタンドごとですか?私が取ってきます」
ここからFMかほくのスタジオまで、3~4分なのです。頭脳の新江さんには頭脳関係をやっていただかなくては。

マイクとマイクスタンドを積んで戻ってくると、かつての同僚・数学科のK澤さんとばったり。
「歌っていただけるんですか?」
「歌手としてじゃなくてFMかほくのスタッフとして来てるのよ」
短時間ですが話も弾みました。
彼はお寺のお子さんでご自身も得度済み。以前彼のお誕生日に
「Happy  Bose Day」
と書いてお渡ししたことを思い出して、二人で懐かしがりました。

⑩15時半 津幡南中学校で打ち合わせ
15時過ぎ、まだまだセッティングは続いていましたが、私は津幡南中学校へ。
先日
「津幡中と津幡南中のどちらかに行ってほしい」
と新江さんに言われた時、私はすぐ、南中を選びました。退職したときの学校・津幡中だと、知っている人もそれなりに居て、私のことちょっと煙たいかな?と思ったからです。
ところが行ってみると会うわ会うわ、最終的に知ってる人だらけ。
M山さん、I井さん、K村さん、Y崎さん、あと名前を忘れてしまったけれど、5~6人は顔見知り。再任用でたくさん帰ってきているのです。

打ち合わせ相手の先生は理科のNさん。私は初対面だと思ったら、彼は私のことをご存じでした。昨年の夏、教職員組合の教育フォーラムで30分ほどのコンサートをさせていただいたとき、聞いてくださっていたそうです。(おそらく、他にも一方的に私を知っていらっしゃる方はたくさんいらしたと思います)

コンピュータに詳しそうなNさん、早速中継がつながるかどうか接続を開始してくださいましたが・・・グルグル回っていていつまで経っても繋がりません。もちろん私はわかりませんので、新江さんにお電話。Nさんと新江さんとでお話しながら進めていただき、17分後、接続成功。
しかし!Nさん、当日出張!!!

⑪16時 忘れ物を取りに
さあ、途中薬局によって帰りましょう・・・と車を走らせていると、電話がかかってきました(もちろんハンズフリー)。M山さんからです。
「赤い紙袋、まりさんの?」
「あ~ありがとう、取りに帰ります」
Uターン。
なんておっちょこちょい。

⑫港中時代の校長・Y田先生とおしゃべり
忘れた袋は玄関に置いてもらうことにしてあったので入って行くと、
「あ~Y田先生!」
港中学校時代の校長先生。音楽科の方です。とてもよくしていただいた大好きな先生。今は津幡南中で相談員をされているそうです。
玄関に立ったまま、10分ほどおしゃべりを楽しみました・・・っていうか、ほとんど私の自己PRですけどね。
・コンサートをやっていること
・明後日は目黒区からやって来る中学生の宿泊ホテルでコンサートをすること
・音楽以外の先生に、合唱コンクールとのかかわり方をレクチャーしたいと思っていること
など。
忘れ物してよかった。おっちょこちょいも時々役に立ちます。

⑬目黒区立第一中学校の先生・百合ちゃんとの打ち合わせ
電話がかかってきました。百合ちゃんからです。先日お問い合わせしたことや、コンサート時の学校側の希望などを伝えていただきました。
・トーク用マイク、机、延長コード、着替えの部屋はホテルが用意してくれる
・簡単な紹介後、ドアから歌いながら入ってきてほしい
・前の打ち合わせでは、椅子に資料(プロフィールなど)を置いておくということになっていたけれど、サプライズ的にしたいので、あとで配らせてほしい

よく思い出してみると、これ、何のことだか書いていませんね、ごめんなさい。(過去のいきさつはこちらやこちらを)
簡単に書きますと、かつての同僚・百合ちゃんは現在目黒区立第一中学校の先生。その学校が2023年石川県に修学旅行で来県し、加賀市のホテル百万石に宿泊。その宿泊先でのコンサートに私をお呼びくださいました。あれから3年経ち、百合ちゃん再び3年生の担任に。そして再び石川県修学旅行。再び西野真理コンサートのオファー(3年生の学年になることを見越して、オファーをいただいたのは1月8日)、というわけです。

⑭16時半 再び河北台中学校講堂へ
とっくに終わっているだろうというつもりで一応新江さんに電話。
「もう、お帰りになりましたか?」
「まだやってる」
乗り掛かった舟ですから、お付き合いしましょう。薬局に行って薬を受け取ってから向かいました。
行ってみると、ほぼ終わりかけだったので、撤収をお手伝い。学校の備品と、FMかほくの持ち込みのものが混ざらないように、あれこれに「FMかほく」の名前を貼り付けました。
さあ、今度こそ帰りましょう。17時です。

⑮終わりに
年に数回しかない、「忙しい」一日でした。
夕飯は、日曜日にできなかった「父の日」ということで、息子が作ってくれることになっているので、こうしてのんきにブログを書いているというわけです。めでたしめでたし。





「祝歌」へのコメント 2025年12月1日(月)

YouTubeのコメント欄は褒めていただければ嬉しいのでちゃんとチェックしています。でも時々、私のチェック漏れや、何かしらの都合でコメントが送信されなかったりがあるようです。そんなコメントが先ほど届きました。

「祝歌」の動画にです。

だいぶ前にコメントしましたけど、反映されてませんので、もう一度。この歌は、母がよく口ずさんでいたので、覚えていました。オペラを聴くようになって、ノルマを聴いたとき、この旋律が登場してびっくりしました。ノルマから拝借した旋律だったとは!一部うろ覚えだった歌詞が、こちらのおかげで全部わかって、うれしいです。ありがとうございます!
ところで、グルックのオルフェオとエウリディーチェの中、精霊の踊りの一部に、「清く優し野辺の花よ、揺れて咲くは、コスモス」という歌詞をつけたものをご存知ですか?ここだけ覚えていて、全曲あれば、知りたいです。歌ってくださるとうれしいです。

せっかくですから、そのYouTube概要欄にその時私が書いたものをご紹介します。

<エッセイ:女学唱歌「祝歌」>
 作詞 三輪義方 
 作曲 ベッリーニ(原曲 オペラ「ノルマ」よりノルマが来る)
     Vincenzo Bellini (1801-1835) Norma  'Norma viene
 歌・ピアノ 西野真理(バリトン系ソプラノ)2021.10.2

このエッセイは「美女エッセイPART15」からの引用です。
内容は別の動画でのエッセイと被る部分がございますが、適当に飛ばしてお読みくださいませ。
また、「何のことだかさっぱりわからない」と思われる部分もたくさんあると思われますが、それは別動画のエッセイも全部お読みいただくと大体理解していただけます。
それでもおわかりいただけない部分をお知りになりたい方は「美女エッセイ」シリーズをお読みになることをおすすめいたします。


以下、過去のエッセイ集のものなので、文体が違います

女学唱歌「祝歌」 
<3回目の参加>
今年も行ってしまった。
初めて参加するまでは
「いい大人がどうして千葉まで行ってお素麺食べなくちゃいけないの」
と思っていたくせに。
そう、千葉県・君津・野口素麺塾。

<野口芳宏先生との出会いのおさらい>
2004年9月・学校の出張として
「道徳の勉強をどこかでして来い」
ということで、
「まあ、京都あたりなら日帰りできるし、八つ橋も買えるしいいんじゃないか」
という限りなく浅い理由でインターネット検索をしたら、たまたま出てきた京都教育大で行われている野口芳宏とかいう先生が講師で開催される会を発見し、行くことにした。
その日は台風が来ていて私の乗った電車も少し遅れたが、駅からそう急ぐでもなくブラブラ会場まで歩いて行ったらすでに会場は一杯で、しかもなんだかよくわからない熱気が漂っていた。
「これ、よくある上から押し付けられた出張とは違うな」
と感じつつ適当に座った席の、たまたまお向かいにお座りになっていたきれいな女性と雑談したら、彼女は
「あなた、何も知らないで来たの?え?公費で来てるの!みんな自費できてるのよ。私は群馬から」
なんだかすごい会らしいことがだんだん判ってきた。
始まってみるとこの講義は本来の目的である道徳というより国語の授業っぽかった。本来の目的でもなければ専門でもないが、直感力だけは優れていると思っている自分の
「これはすごい人だ数値」
が最高値を示した。
その講義の中で「手品師」という物語の感想文を書く場面があり、私の感想文が野口先生の目に止まり、参加者の前でそれを読むように言われた。読み終えた私に野口先生は
「文章は素晴らしい。しかし…題名をもう一度読んでみて」
と言われ
「『手品師』を読んで」
と言ったところ
「ダメだ!そんな題名を付けているようじゃあ。私が感想文の審査員ならその題名を見ただけでその感想文を落とします」
これこれこれ!
私はこういうビシっとした指導を望んでいたのだ。
そう、ダメなものはこんな風にちゃんとダメって言ってほしい。

その会の終了後、そこで販売されていた野口先生の書籍の中で一番値段の安いものを買ってサインしていただきながら
「石川県では山本さんが私を呼んでくださってますよ」
と野口先生からお聞きし、野口塾に参加させていただくようになって以来、先生とのおつきあいが続いている。
毎年夏に開かれている「野口素麺塾」のこともお聞きしてはいたが、1度参加してしまったら、私の夏の行事になってしまった。

<ミニコンサート>
昨年、2回目の参加をさせていただいた時、野口先生のお母様はじめめ、奥様・素麺塾のお手伝いをして下さる皆様の前でちょっぴり歌わせていただいたところ、社交辞令半分としてもとても喜んでいただけたので、次の参加のときも歌わせていただこうと決めていた。
そして今年、あっという間に次がやってきた。

<実践発表>
今年は「実践発表」というコーナーに手を上げてみた。
教員生活もあと4年。ずっと生徒には教えてきた「君が代」の音楽的解説を、少しでも多くの先生に知ってもらいたいと以前から思っていた。しかし、普段の学校生活では他の先生の授業をゆっくり参観するような時間はまずないし、音楽の先生にそれを伝えたくても、学校に音楽の先生は1人。
野口塾でなら聞いていただけると考えたからだ。
(その発表原稿に近いものは美女エッセイ「PART13」にあります)
今回それをするにあたって必要なキーボードの手配を
横山験也さん→瀧澤真さん→辻雄一朗さん
(他にもどなたかいらっしゃるようです)
という、まともに存じ上げているのは最初の横山さんだけだというのに
「キーボード、なんとかお願いします!」
と、野口先生宅まで運んでいただきました。
この場を借りて心から御礼申し上げます。

<ご母堂・友さんの歌唱>
昨年の決意どおり歌わせていただこうと思ったが、今年聞いていただけることになったのはご母堂の友さん99歳のみ。1分の1。これは大きなステージだ。
数曲歌った後
「なにかリクエストないですか?」
とお聞きしたところ
「曲名は覚えてないんですけれどね、『万歳、万歳、万歳~。山辺も野辺も霞わたり 花笑い、鳥うとう、君が代の春の日に…』こんな歌があって、卒業式に歌ったんですよ。何か、外国の曲に歌詞をつけたんじゃないかと思うんですけど。懐かしくてね」
残念ながら私はこの曲を知らなかったけれど、この99歳の友さんの歌唱は素晴らしかった。
学校でも生徒から
「先生、この曲知ってる?」
と言って、生徒が私に歌って聞かせてくれる場面が時々あるのだが、その半分はどんな曲だかよくわからない。音程が定まらないからだ。よく知っている曲であっても歌い方が悪いとさっぱりわからなくて、あとになって
「あ~あの曲だったのか」
ということは結構ある。
今回の友さんの歌はちゃんとわかった。
これは先生のお母様だからお世辞に書いているのではない。
まず声が美しい。声の出し方もきれい。音程がきちんとしていて、それを聞いただけで私も歌える。後でわかったことだが、歌詞も全部合っている。本当に素晴らしくてびっくりした。
私は99歳でこんな声が出るだろうか。

<インターネット様様>
千葉日帰りの野口素麺塾翌日。友さんが聞かせてくださった歌が気になって仕方なくなり、歌詞と女学校時代であろうことを頼りにインターネット検索をすると、すぐに出てきた。

それが以下↓(出典 Moto Saitoh's Home Page)

我国初の女学生用教科書『女学唱歌』
山田源一郎編 編集(共益商社)
第一集(1900年8月19日) 第二集(1901年5月15日)
 山田源一郎(1869-1927. 5)   『女学唱歌』第一集表紙       

山田源一郎が女学生用に作った初めての唱歌教科書.彼自身の作曲のものと外国からの合唱曲,輪唱曲を集めたもの
① 第二十二 祝歌 (三輪義方 作詞 Bellini 作曲)

  萬歳、々々、々々。
   山邊も野邊も、 かすみわたり。
   花わらひ、   鳥うたふ。
   君が代の、   春の日に。
   桂を折りえし、 我友の其(その)光榮。
   おもへばその身の、光榮のみか。
   御代の光、   御國の榮。
   花も鳥も、   祝へやいはへ。
    あゝゝゝゝゝ、萬々歳。 
[注] Vincenzo Bellini 作曲(1831)『ノルマ』("Norma")第一幕第一場
のドルイド族の合唱「ノルマが来る」('Norma viene').
合唱は
Bellini.Norma.Norma viene...Sediziosi voci. 
   • 動画  
 
<録音>
以上からおわかりのように、この曲、もともとベッリーニのOpera「ノルマ」の一部に、それとは全く関係のない歌詞を付けたもの。しかし、当時の人がこの明るく溌剌としたメロディーに惹かれたのは判る気がするし、なかなかのセンスだと思う。
そう思っているうちに
「せっかく友さんからリクエストしていただいたのに歌えなかったから、歌って録音してお送りしよう」
という気になって練習開始。
1時間後、録音終了。

この曲、練習しているうちにとっても楽しくなったので、8月5日の第22回美女コン(2017年)で歌ってみようかなと思案中である。

<後日談>
美女コンで歌いました。

<さらに後日談>
美女コンの映像を母に送ったところ、母が
「おばあちゃんは歌が好きでよく歌を歌ってくれたけど、おばあちゃんもこの曲歌ってたと思うよ。女学校で習ったんだろうね」
もし生きていたら110歳位かな?
亡くなったおばあちゃんが急に懐かしくなりました。





小学校講師依頼 2025年9月29日(月)

義父のお通夜会場へ向かおうと準備をしていたとき、ラインに気づきました。かつての若い同僚からです。
「お久しぶりです!
U小の校長先生が西野先生の電話番号を知りたいそうで、うちの校長先生に問い合わせがありました。伺っても大丈夫でしょうか?」
すぐに電話番号を返信。きっとコンサート依頼です。わーい!

準備を終え、車に乗ろうとしたその時電話着信。U小学校です。
「U小学校の校長のEと申します。西野先生、今何かお仕事してらっしゃいますか?どこかの講師とか」
この言葉で全てわかりました。コンサートの依頼ではなく、小学校音楽専科講師の依頼でしょう。でもここはこちらのアピールタイム
「今は歌手活動をしていて、講師としてでしたら、若手の先生の研修講師とか、単発の出前授業をしています」
「西野先生は素晴らしい授業をされていたとお聞きしています。音楽の講師をしていただけないかと・・・」
「そうなんです。授業は得意ですし大好きなんですけれど、成績をつけるのが本当に嫌で」
「やっていただけませんか」
「はい・・・出前授業とか先生方の研修会とか学校でのコンサートでしたらぜひさせていただきたいところですけれども、成績をつけるのはもう無理かなと・・・」
「わかりました」
校長先生が産休や病休の先生の講師を探してご苦労されているのはよくわかります。
そもそも63歳の西野真理に電話しなくちゃならないなんて、かなり断られていらっしゃるということ。
まず、教員採用試験不合格者。次に退職してからの年数の短い順。それが西野真理まで回ってくるのですから相当なものです。そこまで分かっていてもやっぱりごめんなさい。
次のお電話はぜひコンサートでお願いします。

朝8時の講師オファー 2025年8月26日(火)

朝8時、ライン着信。
「おはようございます。若プロでお話していただけませんか?」
※若プロ:若手教員早期育成プログラム
私としては0.1秒くらいの勢いで返信しました。(多分1分後くらい)
「ありがとうございます。よくぞ私を思い出してくださいました💛」

お相手は、ずっとずっと前(42歳ころかな)、金沢市立北鳴中学校勤務時代に教職員組合関係でお知り合いになったBさん。Bさんとは同じ職場になったことはなく、頻繁にご連絡を取り合っているということもありません。それなのに、私の第25回美女コン(退職・還暦記念)にご夫妻でおいでくださったり、第41回美女コンにもご来場くださいました。しかも私はBさんがどこの学校の何の教科の先生なのかも覚えていないのです。

電話しました。
正直に学校と教科も聞きました。
現在のところ日程は、9月12日(金)午後が有力候補。
では続きはまた。
楽しみ!

加賀市学校教育会小中音楽部会講師 2025年7月23日(水)

加賀市学校教育会小中音楽部会講師としてお呼びいただきました。経緯を細部までお知りになりたい方はこちらやこちらをお読みください。

<出発>
グーグルマップ様が8時12分に出発すればいいと教えてくださったので、起床もゆっくりでいいと思っていました。しかし、63歳は4時半に目覚めます。
ちょうどいいので昨日のFM放送のYouTube画像の編集をしたり庭に水を撒いたり納豆を食べたり洗濯をしたりアイロンをかけたりしていました。なかなか充実していました。
8時4分に出発。

<到着>
9時半到着予定とお伝えしてありましたが、当然のように早く着きました。でもこの程度の余裕は大事。
















<研修前の配りもの>
研修を受けてくださる方、そう、私だってどなたかのお話を聞いたりする時は
「この人何者?」
と思います。しかも多くの講師として招聘される方は何かしらの権威・肩書のある人。私には何もありません。ですから一応事前に私のプロフィールの書かれた美女コンのご案内等を配っていただきました。
そしてもう一つ、ルビーロマンキャンディも。以前から私は
「人にキャンディを配るようになったら間違いなくおばさん」 
と思っていました。ですから、決してキャンディを配ったりしませんでした。でも、ついにその日が来てしまったのです。一応理由はあります。私の研修の前に今回の皆さんは1時間以上、何らかの会議をされているのです。この暑い中、血糖値が下がった状態で歌の指導を受けて倒れてもらうと困りますからね。
 
<研修の内容>
今回の研修は「小中学生への歌唱指導法」というご依頼でした。そこで私が考えたのは、現職中も心がけてきた
「まず個人指導によって一人一人の力をつける」
ということを先生方にもしようということでした。ですから質疑応答よりも参加者全員の個人指導をさせてもらおうと決めて臨みました。

スタートはひたすら歌うこと。時間が来たら自己紹介より先にピアノの前奏を弾き始めます。曲名も言わずにどんどん弾きます。1曲目が終わったらすぐ次。時に前の曲に戻ったりして15分間歌いっぱなし。これは私が37年間の授業でやって来たスタイルそのまま。

「15分経ちました。30秒休憩」
仕上げに1曲歌って、しばらく自己紹介を兼ねた歌についての考え方をおしゃべりして、一気に個人指導の時間に流れ込みました。
10時から11時45分というお約束でしたが12時になってしまいました。これは申し訳ない。時間を守ることを中学校では本当に大事にしていましたから反省しなければいけません。
~いいわけ~
でもねでもね、全員個人レッスンしたかったんです。11時45分の時点で、まだ4人済んでなかったから・・・ほかの人の時間をもっと切り詰めればよかったんですね・・・

それにしても参加者24名の先生たち、お教えしたことがどんどん入っていって、嬉しくなりました。教えるプロであると同時に学ぶプロかもしれません。
それから、他の方のレッスンや私のトークの最中に、それを気持ちの良い笑顔でうなづきながら聞いてくださる方って、ほんとに励まされますね。私もそうやって人の話を聞いてあげなくちゃと教えていただきました。

<猛毒エッセイ配付>
最後に例の猛毒エッセイをお配りしました。このエッセイには本当は人に言いたくてたまらないことを書きました。でも小心者なので紙媒体で250部しか印刷していません。それをそのエッセイ集(美女エッセイPART14)からその部分だけコピーしてお配りしたのです。
「普通エッセイには人の悪口とかは書かない方がいいんですけど、これは毒だらけ。『黒西野真理』です。皆さんとはもう2度とお会いすることもないでしょうからお配りします。でも、苦情は一切お受付できません」

この「猛毒エッセイ」65歳になったらブログに載せるつもりです。でもその前にお読みになりたい方はご連絡ください。

それからもう一つ、堀裕嗣さんの本の抜粋。これはきっと皆さんのお役に立つはず。

<昼食>
尼御前SA、海の見える座席で冷やしおろしそば。
労働の後、おいしくいただきました。















<今日の感想>
現役の音楽(音楽にかかわっている)の先生への指導。これ以上ないやりがいと楽しさがあり、コンサート以外で私が一番したいことだったって改めて思いました。権威も肩書もない西野真理をお呼びくださった北濱先生、本当にありがとうございました。

「あなたの認めたくないことは何ですか?」西野真理、元中学校音楽教諭としての再スタート 2025年6月30日(月)

※先にこちらをお読みになることをお勧めいたします

2025年6月26日(木)川北町立川北小学校で出前授業・研修会講師にお招きいただきました。
出かける前に自分の考えをまとめたチラシを作り、久しぶりの授業と先生方との質疑応答をするうち、自分の方向性が鮮明に見えてきました。そこで、その決意が鈍らないうちに自分の考えをまとめ、YouTubeへフリートークとしてアップしようかなと思い始めました。
最初は本当に原稿なしのフリーで話すつもりでした。しかしそれはあまりに乱暴。おそらく売れっ子のYouTuberの皆さんは、思い付きでおしゃべりされているように見えても、その裏に膨大な時間を費やしていらっしゃるはず。思い返せば私だって、慣れていなかったとはいえ、最初の15分授業動画にトータル6時間かかっていました。最初どころか今もそう変わらないと思います。
さあ、それでは原稿を書きましょう。

<あなたが認めたくないことは何ですか?>
「あなたが認めたくないことは何ですか?それを認めれば道は開けます」
この言葉をどこで見たのか忘れましたが、ずっと心の中で響いていました。
(ブログ公開後にわかったので追記します。心理学者・加藤諦三(たいぞう)さんの言葉でした)
そうなんです。私が認めたくないのは
「私が中学校の音楽の先生だった」
ということです。
この言葉は、どちらを向いて発しても失礼、または意味不明です。でも私には重くのしかかっていました。その証拠に
「元中学校音楽教諭」
を明記したのは、先日6月26日の午前中に作ったチラシが初めて。

中学校の先生をしながら、たまにどこかにお呼びいただく時、もちろん美女コンのプログラムにも、私はプロフィール欄に一切「中学校音楽教諭」とは書きませんでした。私の歌を聞いてうまいとか下手を判断されるのなら仕方ありません。しかし、歌う前に中学校の先生だということがわかると
「なあんだ、(歌手じゃなくて)中学校の先生なんだ」
とがっかりされると判断したから。
実際に面と向かって言われたり、明らかにがっかりされた経験もあります。
もちろん、それは毎回ではありません。もしかすると、逆に
「中学校の先生でこんなに歌えるんだ!」
と思ってくださった方もあるかもしれません。でも、私の心が私にささやくのです。
「『せっかく歌手に来てもらったと思ったら、中学校の先生なんだ』と思われてるんだろうな~」
そうです、私は自分が37年間もやって来た自分の仕事を、歌手・西野真理をアピールする段階ではどうしても認めたくなかったのです。そしてそう思ってしまうことに対してもコンプレックスを抱いていました。
そんな時見たのが
「あなたが認めたくないことは何ですか?それを認めれば道は開けます」
という言葉。
いつか自分が中学校の先生だったことを歌手・西野真理として認めなければ道は開けないことをつきつけられた言葉でした。

<中学校音楽教諭として>
一方、中学校音楽教諭であるときの自分に対しては、高い自己評価をしていました。誤解されないように書いておきますが、あくまでも「音楽教諭」の部分です。それ以外、例えば学級担任、校務分掌、部活動指導などは、私より若い、それこそ新人の先生でも私よりずっと立派な方はいくらでもいらっしゃいました。私はそういう先生たちのおかげで37年間先生を続けられてきたと思います。ここで改めて感謝申し上げます。ありがとう!

高い自己評価の理由としては
・一流の師に学び続けているという自信
・声楽コンクールでの上位入賞実績での自信(現役教諭での入賞者はまずいらっしゃらない)
・声楽だけでなくリコーダー実技、簡易編曲能力、授業のトーク力に対する自信
・手際の良さへの自信
これは自分でそう思っているだけで、他の方からちっとも高い評価をされていなかったかもしれません。聞いたわけでもないですから。でも、自信を持ち続けてきたことは確かで、精神衛生的にはとてもよかったと思います。

<私が中学生だった時の音楽授業の思い出>
ブログ上で人の悪口を書くのはためらわれるところです。しかし、これを書いておかないと私が音楽の授業をする上で大事にしてきたことがわかりにくいので書かせていただきます。
それは私自身が中学校3年間に受けた音楽の授業。
その先生はF先生という私より40歳ほど年上の女性の先生でした。おそらく大正生まれ。
先に少しだけF先生を弁護すれば、大正時代にそれほど高い音楽教育を受けることなく音楽の先生になってしまったF先生。生徒の前で自分を保つためには、こうするよりほかなかったのでしょう。

その先生の授業は
・ただ怖い
・椅子にきちんと座って黙ってただ聞くだけ
・ピアノの技能はかなり低い
・リコーダーの授業でリコーダーを吹いて聞かせてくれたことはない
・鑑賞の授業は、先生の板書を写す、または私のような生徒に感想を言わせて、それを他の生徒に写させる
もっとあるけれどこれくらいにしておきます。
当然生徒が歌を歌うはずがありません。
そんな3年間のうち、今も強烈に覚えているワンシーン。
リコーダーのテストの時のこと。教えられないまま、自主練習という授業。テストは自分で器楽の教科書を見て練習して、好きな曲を選んで一人ずつ先生(クラス全員)の前で演奏するという形式。私はリコーダーがとても得意だったので、器楽の教科書の曲は簡単すぎて飽き飽きです。そこでテストの時は、器楽の教科書の中の一番難しい曲を選び、技術をひけらかすためにテンポをあげて吹きました。
吹き終えると先生は一言
「速すぎる」

先生になった時、そして続けている間も、絶対こんな授業をしてはいけないと肝に銘じていました。
そんな私は
「私よりはるかに高い技術を持った人に教えられたい」
という欲求を持ち続け、それは今も変わっていません。そしてその願いはオペラ歌手・関定子、ピアニスト兼歌手・塚田佳男、教育者・野口芳宏によって叶えられ現在に至っています。

<内灘中学校支援員Kさんのこと>
内灘中学校勤務時代のことです。特別支援学級から音楽といくつかの授業をホーム学級で受ける生徒に、支援員のKさんが授業についてきてくださっていました。
そのKさん、いつもとても楽しげに、それどころか中学生より熱心に授業を受けてくださっている感じが常に感じられました。
そんなある日、Kさんとの雑談のとき
「西野先生の授業受けるの、楽しみなんです!」
と言ってくださいました。お世辞半分にしても私はこれがとても嬉しく感じられました。というのは、私自身も
「多くの日本人が義務教育までしか音楽の授業を受けない。だから、大人も中学校3年生も教育を受けたという意味での知識は同じ。だからこそ中学校で精いっぱい音楽を教えたい。逆に言えば大人にも通用するような授業をしたい」
と思っていたからです。Kさんのこの言葉で、今までの考えを一層はっきり自分の中に刻むことができました。
余談ですが、その後Kさんは養護教諭試験に合格され、現在、中学校の養護教諭として活躍されています。

ついでに書き加えますと、たまに私の授業中の廊下を通りかかった先生、研究授業で他校から音楽の授業以外で訪問された先生、卒業アルバム写真を撮るために校内を回っていらっしゃるフォトスタジオのスタッフの方、教材納入の業者さんからも
「西野先生の授業は楽しい」
とよく言っていただいていました。
そういえば、参観日に自分の子どもさんを見に来られたはずの保護者の皆さんも、いつの間にか音楽の授業に参加されていたように思います。

<方向修正>
そんな教員生活も2022年3月末で終了。私は一般の人対象に、楽しく歌を歌いながら歌う技術を少しずつ学べるような歌の会をしたいと考え、退職1日目からそれを始めました。「Sing幾多郎」という歌の会です。説明なしでもうおわかりと思います。そうです。人口3万人のかほく市に、そんな人が毎回たくさんお集まりくださるはずがないのです。私のやりたいことは、ほぼどなたにも必要とされていないのてす。

一方、私が37年間自分の技術として蓄積してきたのは、小中学生を教えるための技術、小中学生に楽しく音楽を伝える技術。自主コンサート活動・美女コンは歌手・西野真理として大事な活動で、それはそれで有りです。でもそれ以外に中学校の音楽の先生をしていたからこそやれる活動があるはず。
退職後3年で新たな道筋を作って4年目からは本格スタートという目標を密かに立てていましたが、方向がずれていました。私の認めたくなかったことをきちんと認めるときです。

<元中学校音楽教諭カミングアウト>
そんな時に、川北小学校からの出前授業と先生方対象の研修会講師のオファー。
私が元中学校音楽教諭であったからこそのオファーです。
先生方の中には、
・歌の個人レッスンが受けたくても受けに行く時間がない
・歌の先生を見つけられない
・ただ歌がうまいだけではなく、現場を知っている人にアドバイスを受けたい
・歌だけではなくて、リコーダーとか指揮法とか創作とか音楽鑑賞とか音楽に関するいろいろなことを学びたい
・どうせ受けるならお話の上手な楽しい研修を受けたい
・いい音楽の授業を見てみたい
・小中学生向けのレクチャーを含んだ、楽しいコンサートをしてほしい
・防災教育もちょっと挟んでもらいたい
という方がたくさんいらっしゃるはず。
これ、私にピッタリ。
当然です、私が自分にできることを書いたのですから(笑)。

ここでやっと、今回のブログ最初に戻ることになります。
川北小学校へ出発する前に作り、先生の人数分プリントアウトしてお配りしました。
そしてそれを帰宅後何度も練り直し、決意が鈍らないうちにプリントパックへ500枚発注しました。
(↓はその後何度か改訂した最新版です)

























<S校長先生からのお礼のライン(抜粋)>
楽しい授業、研修、貴重なお話をありがとうございました。
6年生が楽し気に西野ワールドに引き込まれて楽しそうに歌っているのがうれしかったです。

<終わりに、YouTubeアップについて>
この内容、YouTubeにフリートークでアップしようと書き始めた原稿でした。でも、ブログで十分な気がしてきましたので今のところYouTubeはやめておきます。ただし、明日になったら気が変わって、いつの間にかYouTubeにアップしているかもしれません。











久しぶりの校歌編曲 2025年5月29日(木)

まずはこちらをお読みいただいて、お読みいただいた前提でブログを進めていきます。

かつて同じ地区でご一緒し、現在は川北町で小学校の校長先生をしていらっしゃるSさんから研修講師のご依頼をいただいたものの、日程が合わず残念!しかし、Sさんのご尽力により日程調整が進み、6月26日(木)にお伺いすることが決まりました。
その後電話やラインで打ち合わせを兼ね、久しぶりの会話も弾み、
「研修前半の小学校6年生指導用楽曲の楽譜や、川北小学校の校歌の楽譜を送ってください」
というところでお話は終わっていました。

そんな昨日の夕方、ラインに気づきました。
「伴奏譜をメールに送らせていただきました。ご確認ください」
???
届いていません。
実はSさん、今回のことで初めて私に連絡を取ろうとされた際、私がダイレクト葉書に書いたメールアドレスに学校のパソコンからメール送信をされたようなのですが、私には届いていませんでした。いつまでたっても返信をよこさない西野真理に、ご自身のスマホから連絡を下さって、無事今回のことにつながったのです。
どうやら今回も同様の事態が発生している模様。

電話をして事情を伝え、ライン添付で楽譜を送信していただいて無事解決。

さあ、校歌です。
これまでもコンサートでお呼びいただいた学校の校歌はすべて歌ってきました。その際することは校歌伴奏の西野真理オリジナル編曲です。なぜそんなことをするのか。ちょっと話は長くなります。西野真理の憶測と毒を含みます。

戦後・1947年、学校が6・3・3制になった時、おそらく多くの学校で校歌が作られました。そのころの日本に作曲できる人材が学校の数だけいらっしゃったとは到底考えられません。数少ない「作曲家」と呼べるような方に作曲を依頼するとなれば謝礼も相当な額になるはず。実際、山田耕筰、平井康三郎、信時潔などもたくさんの校歌を作曲しています。
では、山田耕筰に頼めない学校はどうするか?
「その地域にお住いのピアノを弾ける人、音楽を勉強した人」
に依頼するのです。1947年時点で作曲依頼の候補に挙がるということは、1947年時点で少なくとも40歳以上、日露戦争が終わったのが1905年ですから、その頃以前にお生まれになっているということ。そんな時代にピアノがあって、音楽の勉強ができる環境にあったというのは、地方の名士に違いありません。
頼まれればいやとも言えず作曲された曲、それが校歌です。

そこで問題になるのが和声(伴奏)です。旋律(校歌のメロディー)は何とかなります。実際私も創作の授業をしてきて、
「メロディーのある生徒はいる」
これが実感。私自身は逆で、自分にはメロディーを生み出す才能はないとはっきり言えます。和声感もいいわけではありませんが、音楽大学で勉強した基礎はあります。ですから、私の創作の授業は授業時数の限られている中、先に和声を与えて旋律を作ることをやっていました。
おっと、話を戻します。
皆さんもご経験がおありでしょう。ピアノがあまり得意でない人が、無理やり簡単な和音で伴奏する違和感のある伴奏。
これが校歌にも多用されています。
その無理やりな和声のままで自分で歌うのは絶対嫌なのです。もちろんそれを生徒に指導することは、私の精神衛生上とてもよくありません。何しろ学校にいる間ずっとそれを聞かなくてはならないのですから。

そこで私は、退職するまでに勤務してきた学校のほとんどの校歌を編曲し直しました。
(以下、ほぼYouTubeにアップしてあります)

・岐山小学校(山口県)
・津幡中学校
・津幡南中学校
・内灘中学校
編曲し直さなくてよかったのは
・北鳴中学校(作曲:橋本祥路)
・港中学校(作曲:川崎祥悦)
この2つの学校は新設校。素晴らしい校歌でした。

町歌
・津幡町歌
・内灘町歌
コンサートにお呼びいただいた学校
・萩野台小学校
・目黒区立第一中学校(石川県への修学旅行)
・宇ノ気中学校
・錦城中学校
その他
・飯田小学校(平井康三郎作曲:話が複雑なのでこちらをお読みください)
・石川県民の歌(YouTubeアップ用)
・宇ノ気小学校(YouTubeアップ用)
・石川婦人の歌(1996年に何かで歌わせていただいた)
・西田幾多郎先生を讃える歌(YouTubeアップ用)
・太陽となろう~へき地教師の歌~(僻地教育大会開会式用録音)

さあ、川北小学校校歌です。
やり始めると一気にやりたいタイプ。
夕方に始めて22:30頃に終わりました。










最後の異動(2019年・57歳時)秘話 2025年5月25日(日)

このことをブログにアップしていなかったので、かつて書いていた紙媒体のエッセイ集原稿をリライトしてこちらに貼り付けます。
なぜ急にこれを?とお思いでしょう。
それは今後、津幡町出身力士「大の里」のことを書く時に、私の津幡町とのかかわりをその都度説明するのを避けるためです。

 57歳(2019年)・最後の異動

<退職まであと3年?4年?>

はっきりしてもらわなくちゃ困るとこれほど思ったことはありません。

2019年現在、日本では労働者人口が急激に減っていくという予想から、定年退職年齢を現在の60歳から65歳へ段階的に引き上げようという議論が数年前からされ始めました。

そして、確か昨年、何かしらの文書に教員の定年退職年齢がグラフっぽい表で示され、それによると現在57歳である西野真理の定年退職年齢は61歳らしいことが書かれていました。

大問題!

もし60歳定年なら、現在勤務3年目の金沢市立港中学校に特に不満もないし、今担任をしている2年生が卒業するまで一緒にいるのも悪くないし、ということで3年間留任希望を出し続けてここで教員生活を終えるのは「有り」。

しかし、あと4年となると話は全く違ってきます。
もう4年留任(トータル7年)となると、その可能性はかなり低くなります。
もしラスト2年とか1年で異動になったらそれこそ最悪。

<決断>

港中学校3年目の12月、来年度の異動希望調査表が配布されました。
これまでの経験や同僚の話をまとめると、
「希望調査は教育委員会の『書かせてあげたよ』パフォーマンス」
……なんて書くと身も蓋もありませんが、教育委員会だって鬼ではないのです。介護や育児など特別な事情のある人達は結構配慮されているように思います。
でも、以下に書く「気持ち」という意味での「希望」なんてものは、聞いていていただけると思うほうが間違い。
そんな私が本当に本当に正直に書いた希望表が↓。


・異動希望  有  無   (有 に〇しました)

  第1希望 津幡町立津幡中 第2希望 津幡町立津幡南中

    ~有りの場合の理由~

現在の港中学校に不満はありませんが、定年まで後3年と考えると、もう3年港中学校にいさせていただくのは難しいと考えます。それならば、私の初任校である津幡町立津幡中学校へ帰り、過去のリベンジをしたいと希望します。


また、この書類には書きませんでしたが、第2希望の津幡南中学校にもそれなりの思いがありました。津幡南中学校は津幡中学校の生徒数が多すぎるため津幡中学校から分離する形で作られた学校で、私はその新設スタッフだったのです。私はそのことにちょっとした誇らしさと、あの時の楽しい思い出を持っていました。

<異動内示>
2019年3月20日。
帰りHRを終えて職員室へ帰るとすぐに校長室へ呼ばれました。
異動です!
「私としてはとても残念なのですが、西野先生、津幡中学校へ異動です」
希望って叶うんだ!

これが私の教員生活最後の異動秘話です。
こんなわけで、私は初任校と退任校の両方が津幡中学校。そのため、親子で私に音楽を教わったというご家庭もたくさんありました。

<追記>
定年退職年齢引き上げの議論は、コロナ禍で先送りとなり、私の次の年度の人までが60歳定年。結局2023年から2年ごとに1歳ずつ定年が引き上げられ、最終的には、2031年度に65歳定年制が導入される予定のよう。つまり2025年現在55歳の人は65歳定年ってことかな。

小中学校音楽部会研修会講師オファー 2025年5月9日(金)

1つ前のブログを書こうとしていた時、電話がかかってきました。加賀市錦城中学校の先生からです。この部分書くと長いので興味をお持ちの方はこちらのリンク先を頼りにあちこちご覧ください。

そういうわけで、お話しが始まるや否や
「はい、歌います」
「今回はコンサートじゃないんです。研修会で発声法とかのご指導をお願いしたくて」
「得意!」

・7月23日(水)10時~12時(夏休み中)
・発声法や発表会に向けての指導法
・生徒の指導法
・先生は小中合わせて24名(声楽専門の方はいらっしゃらない)

楽しみ!
それにしても、こんなご依頼が2つも続けてあるとは!

深夜のパート録音 2024年10月24(木)~25(金)

車上運動員(ウグイス嬢)の仕事から帰宅し、なんだかモタモタしている間に遅くなり23時半過ぎにベッドに入った途端にライン着信。
かつての仲良しの同僚・現役教員のHさんからです。
「夜分遅くにすみません~」
要約しますと、
担任しているクラスの合唱コンクールの仕上がりがあまりにひどい。なんとかならないか。
というもの。彼女が添えてくれた合唱練習の音声は、それがなんという曲だかわかりません。仕方ないので電話しました。
するとそのよくわからない曲は、私がYouTubeにもアップしている
「友~旅立ちの時」
彼女が困っているのも頷けます。
「写真でいいから楽譜送って」
楽譜を見ると、かなり難しい編曲の上に、音も高く設定されています。これは大変。
合唱コンクールまでおそらくあと1週間ほど。今更発声だの心構えだの綺麗事を言っても始まりません。
そこで私の考えた方法は1つ。
3部合唱は諦めて2部にし(女子全員アルトパート)男子にメロディーを歌わせる
和声上まずい部分もありますが、改めて編曲しなおす時間もないので今回は目をつぶります。また女子のアルトパートもかなりカットして旋律を歌う部分を多くします。

中学3年生にもなると、音量に関して女子は男子に勝てません。その女子を2つに分け、少ない人数で弱々しい声で旋律を歌わせても聞こえるはずがないのです。
また、歌う気のない男子に、よくわからない副旋律を歌えというのが無理。旋律なら歌う楽しさを少しは感じることができます。そもそも
「ハモりたい、副旋律を歌いたい」
という気持ちになるのは、相当歌を歌える人の感覚。正直私はそっち。ハモるの大好き。
そんな事もあって、私は教員生活の後半、ほぼこのやり方でが合唱をさせていました。

Hさんに上記を提案し放ったらかしにもできないので、私の提案したアルトパートを録音してお送りすることにしました。その時点で今日(24日)が終わりそう。でもやります。
防音室とは言え、深夜なので控えめな声で録音。ウグイス嬢であんなに声を出していたのにちゃんと歌えていい気分です。

25日 0:40 できました。
Hさんに送信。
「あくまでも西野真理案ですから、あとはご自由に。ただ、ハモるのはまずメロディーが聞こえてこそ」
就寝。

やっぱり音楽で人の役に立てるっていい気持ちです。

感激のメール・・・「一票を『つなぐ』」探し 2024年10月15日(火)

2024年10月15日。あと少しでウグイス嬢初日が終わるころ、メールの着信に気付きました。
以下のメールです。

不躾なメールで失礼いたします。
金沢市教育委員会の学校指導課Oと申します。

さて、偶然メールを拝見させていただき、わたしどもは文集を把握しておりませんでしたが、弁論部の担当に偶然会う機会があり、話題を出したところ、2016年のメッセージ文集をみせていただくことができました。
文集自体は一部ということで、お渡しできないそうですが、資料だけは、ということでスキャンさせていただきましたので、データを送付させていただきます。

こちらは、O個人が勝手に送付しておりますので、個人情報などの取り扱いなどにご留意願います。

参考になればうれしいです。
遅い連絡になり、また西野様の個人メールにおせっかいにも送りつけましたことをお詫びいたします。

この説明として私がかつての同僚送ったラインをお読みください。

西野真理です。大変ご無沙汰しております。私はおかげさまで大変元気です。
さて、ちょっとお願いがあってメッセージをおおくりしています。
冊子の探しものなんです。
平成28年(2016年)金沢市意見発表会とか中学生の主張とかそんな名前の金沢市大会をまとめた文集です。

<事情説明>
その時私は港中学校で3年の担任をしていて、クラスの生徒が市大会代表になったので引率しました。
その大会で、別の学校の女の子の話した内容があまりに素晴らしくて、(でも県大会代表にはならなくて。その後私はその子の学校に「私はあなたの作文に感動した」旨FAXを送りました)
大会後、港中学校でもその後津幡中学校でもその作文を紹介しました。
それを探しています。
その作文が文集にまとめられて学校に配られました。私もいただいて持っていたのですが、退職時にいつの間にか捨ててしまったようです。
もし学校の職員図書とかに残っていたら、コピーして(ラインに写真かパソコンに読み込みでも)送っていただけないでしょうか。

内容は、女性に選挙権が認められた初の選挙の時、その子の曾祖母に当たる人がそれを体験し、そのことを語り継ぎ、今もそのご家族は必ず選挙に行く、というもの。
今もなぜこれを県大会代表にしなかったのか、残念でなりません。
もしみつけられたお願いいたします✨
現在その会のお世話をOさんがされているとお聞きし、メッセージをお送りした次第です。どうぞよろしくお願いいたします。

実は↑以前に金沢市の教育委員会に問い合わせをしていて、
その返信が↓です。

メールを拝見させていただきました。
お問い合わせの文集については、
中文連が作成し、各学校に配布しているため、
こちらでは保管しておりません。

事情、おわかりいただけましたでしょうか?
今回送ってくださったOさんに心より敬意を評します。

私の探していた文章は「一票を『つなぐ』」という作文でした。ここに貼り付けたいのは山々ですが、お読みになりたい方は、個人的にお問い合わせください。
でも、いつか再度これをお書きになったHさんにアクセスして、
世界発信(このブログに載せる)したいと思っています。

祝:日本被団協ノーベル平和賞受賞・坪井直さんの想い出 2024年10月11日(金) 

2024年10月11日、日本被団協がノーベル平和賞受賞。おめでとうございます!
実は私、被団協の元委員長・坪井直さんに直接お会いしお話したことがあります。2015年、9年も前のことですが今もよく覚えています。
そのことを過去のエッセイに書いていますので、そのエッセイを貼り付けます。ちょっと長いですが、ぜひお読みくださいませ。
(このブログとは文体が違います)

史上最小の突撃ボランティア
<連合石川青年女性委員会・2015平和集会>
9月4日に行われた平和集会である。
一応私が主催者になっている。
戦後70年の記念の年、この集会の講師としてだれをお呼びするかという話を青年女性幹事会でしたとき、
「何年か前に広島から原爆被害者である語り部の方をお呼びしたが、その方がとてもよかった。今回もその方ではどうか」
との提案があったが、正直なところ私は気が進まなかった。体験者のお話だというだけで、その悲惨さが想像以上だと言うことが想像できるからだ。しかし私以外のメンバーの
「体験者ご自身からお話をお聞きできるのはもうそれほど機会はない」
との熱い意見で、その方をお呼びすることになった。

<坪井 直さん>
その方は、つぼい すなおさん。90歳。
20歳の時被爆され、現在広島原爆被害者団体協議会理事長・日本被爆者団体協議会代表。元中学校教諭で広島市立城南中学校長として退任。海外へ渡航されての平和の訴えも21回に及ぶ。
何しろ90歳である。お元気であったとしても、広島から来ていただけるかどうか、そもそもこんな遠くまで来ていただいていいものかどうかという意見もあったが、とりあえずお声かけしてみると、OK!
すごいおじいちゃんだ。
後でお聞きしたところによると、周りはみんな大反対。
しかし、坪井さんご自身が
「行って話をしたい!」
と強く希望してくださったこと、また、娘さん(長女と言っていらっしゃったが、どう見ても40歳以下。かなり遅くにお出来になった女のお子さんのようだ)がちょうどご都合がよく、石川県までご同行くださることが可能であったことから今回の講師を受けていただけることになったそうだ。

<坪井さんとの対面>
集会は石川県勤労者福祉文化会館2階。
主催者だし、早めに行って準備したり打ち合わせしたりと思っていたのだが、こんな日に限って担任している生徒の保護者が突然話をしたいと来校。会場に着いたのは集会15分前。
会場は準備万端。参加者はもちろん、坪井さんも講師席にスタンバイ完了。
何もごあいさつせず始めるのはあんまりだと思い、講師席に近づき言った。
「青年女性委員長の西野です。私、山口県出身なんです」

よく考えれば、広島県と山口県はそれなりに遠いし、私が山口県出身者だからといって、坪井さんのことを知っているわけでも、原爆に詳しいわけでもない。
しかし、誰も知らない場所にいらした坪井さんにとっても、話の糸口の欲しい私にとっても、このことはとても好都合な材料となり、急速に距離が縮まり、旧知の間柄のように開会前の5~6分を過ごした。
坪井さんはおじいちゃんだし、お顔を近くで拝見すると、一目で、原爆でかなりひどいやけどを全身に負われたであろうことが察せられるが、元気でユーモアのセンスにあふれ、とても若々しい。

実はもう一つ、私が坪井さんとおしゃべりし易かった理由がある。
それは、坪井さんの言葉のアクセントや方言が、山口県のそれととてもよく似ていて、100歳で亡くなった祖父としゃべっているような気持ちになったからである。

坪井さんが背広に原爆ドームのブローチを付けていらっしゃったので、そのことを聞いたら、一つくださったので、私も服に付けた。
↓このバッジ、今も大切に持っています














<西野委員長開会あいさつ>
開会あいさつをしようといろいろ考えてきたが、私が言おうとしたことは司会者の西出さんが全部言ってしまった。
仕方ないので、正直に言うことにした。
「私が言おうと準備してきたことは司会者が全部言ってしまいました。実は私は山口県出身で、そのことで先ほど坪井さんとすっかり盛り上がってしまいました。5分ほどですけど。今回坪井さんをお呼びしたのは、以前に坪井さんのお話を聞いたこの会の幹事から、ぜひ坪井さんをという推薦があったからですが、お歳のことも考えながらもお声かけしてみたところ、ぜひ行って話したいとのことで来ていただけることになりました。しかし、そのギャラですけど、何十万円もお支払いしているんではないのです。こんな額でよく来てくださいましたというような額なんです!坪井さんは先ほど『私もこの歳ですし、棺桶に入る前にできるだけお話しさせていただこうと思ってきました』とおっしゃっていましたが、棺桶に入るにはまだ10年はかかりそうです。それでは、貴重な体験談をお聞きいたしましょう」

<講演開始>
坪井さんのお話は、まずご自身の現在の体の状態からだったが、そのことに興が乗りすぎてしまって、正直一番お聞きしたい原爆投下後の話になかなか行きつかない。何しろご本人のご希望で、
「9時には寝たい」
ということで、講演は質疑を含めて1時間以内。レジメの内容を全部お話しいただくとしたら、このペースでは絶対時間が足りない。
ヤキモキしたが、90歳のおじいちゃんだし、まあいいかと思っていたら
ヤキモキしたのは私よりも娘さんのほうで、15分ほど経過した頃、我慢の限界を超えられたらしい娘さんが前へ出てこられ、坪井さんの耳元で
「原爆投下の日の話!」
すると
「ハハハ!(笑)私に文句を言えるのは娘だけですから」

<印象に残ったお話>
原爆に関することは、多くの資料や本に書かれてあり、それを見たり読んだりしていただければわかる。しかし、実体験者の話は重みが違うし、坪井さんからしか聞けない、坪井さんの思いがあふれた部分を3つ書いておきたい。
①原爆投下後、多くの医師がこんな発言をした
「原爆にあった人は2~3年でみんな死ぬ」
2~3年で死んでしまう人を雇う会社や結婚相手として選ぶ人はいない。
せっかく命を取り留めても、そのことで別の差別に苦しむことになった。

②原爆の写真を見たことがあるだろう
キノコ雲とか建物がぐちゃぐちゃになった写真ばかり。本当に見てほしいのは人間が大変な状態になっている写真だし、そういう写真はある。自分は実際に見ている。
しかし、国連の場でさえ
「残酷すぎる」
という理由で、公開することができない。

③あとでわかったこと
坪井さんは偶然
「この枠の中にいた人は全員亡くなっている」
というラインの少し外に逃げ、しかも、たまたまそこを通りかかった救護の軽トラに乗せてもらえたので助かった。
しかし、その時多くの助けて欲しい人がみんな乗せてもらえたわけではない。乗せてもらえたのは
「これからまだ戦える若い男」
だけ。原爆投下後、日本はまだ戦う気満々だったのである。
その時、なにもわからない5歳くらいの女の子が軽トラによじ登ろうとしたが引きずり下ろされた。その子は泣きながら、今思うと、全員亡くなっている枠の中の方へ駆けていった。坪井さんは
「火のない方へ逃げろ」
と叫ぶのが精一杯だった。
 最後に坪井さんはこの話をこう締めくくられた。
「これが戦争なんです」

<講演後>
講演が終わったあと、本来なら「一緒にお夕飯でも」となるところだが、すぐにホテルでお休みになりたいということで、本当にこれでおしまい。お別れ前に坪井さんと娘さん、青年女性委員会のメンバーが集まり会場入り口付近で少しだけお話した。
お話を聞き終えて、私はもっと大きい会場にもっとたくさんの方をお呼びすれば良かったと思ったが、娘さんから
「こんなに多くの方に集まっていただけるとは思わなかった」
と言っていただいて、社交辞令かも知れないがとてもホッとさせられた。
1時間立ったままでお話下さった坪井さんだが、疲れた様子もお見せにならず、
「それではまた5年後に」
と、にこやかにタクシーでホテルへと向かわれた。

<ホテルへ>
お二人をお見送りしたあと、
「いくらご本人のご希望とはいえ、広島から来ていただいて、そのままお帰りいただくのはあんまりだ」
という思いが湧き出して止まらない。しかもこの日、私は名刺を忘れてしまい、自己紹介すらきちんとできていなかった。
「・・・ホテルへ行こう」
名刺代わりに、車のトランクに常に入れてあるエッセイを4冊ほどバッグに入れた。

<ANAホリデイ・イン金沢スカイホテル>
この名前、どうにかしてほしいと思っているのは私だけではないはずだ。
金沢駅前に以前「ホリデイ・イン金沢」があり、現在そこは「ホテル金沢」に変わっている。
また「全日空ホテル」が駅前にあったが、そこは「ANAクラウンプラザホテル金沢」に名称変更。
ANAホリデイ・イン金沢スカイホテルは、元「金沢スカイホテル」という名前で存在していたので、石川県に長くいる人には
「M’ZAのとこのホテル」
と説明する。これは、M’ZAというデパートの横にこのホテルがくっついているからだが、このデパートだって、元は「名鉄丸越」という名前。その「名鉄丸越」も、もっと以前は「丸越」だったらしい。
だいたい「M’ZA」を「エムザ」と読むのもどうかと思う。
この長いホテル名、いっそ「なかよしホテル」とかにしてくれないかな。
というわけでその「ANAホリデイ・イン金沢スカイホテル」へ向かった。

<ホテルのフロントで>
ANAホリデイ・イン金沢スカイホテルに着いた。
「連合石川の西野と申します。先ほどおじいさんと娘さんがお入りになったと思うのですが、坪井さんといいます。ちょっとお呼びいただけませんか?」
フロントの方に電話をかけていただいて、お部屋へ行かせていただけることになったが、ホテル的には宿泊者以外の入室は本当はだめなようだった。が、このホテルはよく連合で利用しているおかげで「連合」が威力を発揮してくれたらしい。
ありがとう連合。

<お部屋へ>
「一緒にお食事もできなくてすみません。私、実は歌手なんです」
この一言が、だいたい話の盛り上がりのきっかけになる。
「本も書いてるんです。名刺代わりにもらって下さい」
これでさらに盛り上がり
「実は中学校の音楽教師なんです」
坪井さんも元中学校の先生だから、一気にフレンドリーに。
しばらくお話しして最後に
「それでは1曲歌わせていただきます」
ホテルの部屋でいいのかな?と思わないではなかったが、広島県からのお客様、大目に見ていただこう。
「故郷」を歌い、盛大な拍手をいただいた。

こうして私の史上最小の突撃ボランティアは終了したが、分母が小さいことを考えると史上最大だったかも知れない。

あすなろ中学校(夜間中学校)講師登録してみました 2024年8月31日(土)

ノロノロ台風のため不安定なお天気。急な雨に降られながら(と言っても車です)ドラッグストアから帰ってきて、ふとTVをみると
「あ!上田さんが校長!」
石川県に来年度開校の
「あすなろ中学校」↓
石川県では、様々な理由で小学校や中学校を卒業できなかった方、不登校や病気、その他の理由により十分に学べないまま中学校を卒業した方、日本の義務教育を受けることを希望する外国籍の方などのために、令和7年4月に石川県立あすなろ中学校(夜間中学)を開校します。

の校長が以前同僚としてご一緒したことのある上田さんに決まったというニュース。彼女は優秀だし人柄もいいしピッタリ。
実は以前からこの夜間中学校には興味があって、昨年秋には説明会にも行ってきました。その時、その説明会会場に今度校長になることの決まった上田さんも教育委員会のスタッフとして参加していらっしゃって、少しお話もしていたのです。
※詳細はこのブログの中の「夜間中学校開校説明会 2023年11月5日(日)」をお読みください

そもそも私は退職後、教員の再任用だとか非常勤講師等で働く気は退職前も現在も全くありません。しかし、以下のような自分勝手な条件が揃えば、是非働きたいとその時も今も思っています。
①週1回位だけ学校に行く
②音楽だけ教える
③カリキュラムとかきつい縛りがない
④変な書類とかいっぱい書かなくていい
⑤成績をつけなくていい
こんな都合のいい働き口などあるはずがありません。言ってみればカルチャーセンターです。しかし、ほんのちょっとだけ譲れば、あんまり成績を気にしないような生徒を教える・・・工業高校の音楽の先生なんていいな、と思ったりしていました。

そんな時夜間中学校のことを知り、ここで教えてみたいなと思うようになりました。
退職少し前には担任していたクラスの生徒にも
「夜間中学校っていいな」
と雑談交じりに話したこともありました。

その夜間中学校、教育委員会内部では当然ずっと前から様々な準備が進められていたでしょう。そして明日から2学期の今日、いよいよ外部に向けても開校情報発信。その第1歩が校長の発表。

それを見た私は
「講師登録しよう」
とすぐにパソコンに向かいました。
・住所氏名
・大学卒業年次
・教員免許のこと
など、当然書くべきことは書いて、次が肝心。
「勤務についての希望」の記述欄。

あすなろ中学校音楽担当のみ希望いたします

私にとって都合よく解釈すれば、音楽は週1回、または美術と抱き合せでもしかすると月2回。常勤の音楽の先生を雇用するとは考えられません。また生徒は普通の中学生の年齢よりずっと上の生徒さんが多いと思われますので、大学出たての先生より、まあまあ歳を重ねた講師が適任と思われます。
どうでしょう、西野真理にぴったりじゃないですか?





「薔薇は美しく散る」へのコメント 

このブログは一つ前の
「久しぶりの自宅撮影動画アップ」 2024年5月17日(金)
をお読みになってからどうぞ。

目覚めると昨日アップしたYouTube動画にコメントが届いていました。

「薔薇は美しく散る」

この曲をリクエストした卒業生の夫です

リクエストに応えて頂きありがとうございます!

西野先生と曲のイメージがピッタリでした!

これからも夫婦共々応援しております!!

返信しました。

早速ご覧いただきありがとうございます。10年前ご卒業の彼女だけでなく、その彼までも私の歌を聞いていただけるなんて!先生しててよかった、と思わせてくださってありがとうございます。このYouTubeをご覧いただく方が少ないのと同様?いえ、もっと少ないのが私のブログ。ぜひそちらもよろしくお願いいたします。(「西野真理 ブログ」で検索を)


第34回美女コン終わりました 2024年5月12日(日)

おかげさまで無事第34回美女コン終了いたしました。
今回はいつも3人でご来場くださるMさんからご来場が難しそうだとメールを頂いていたので、ひょっとするとお客様は3名かもしれない・・・と思いつつ開演しました。
なんと、6名。想像の倍!
ありがたいことです。

今回ご来場くださったのはいつものSさん、高瀬さん、陽子さん、M子ちゃん、ご近所のOさん。そしてお一人の女性。でも私はこの女性、以前ご来場くださった、以前担任していたYさんのお母様だと思っていたのです。ですからお帰りの際に
「Yちゃんお元気ですか?」
とお声掛けすると
「いいえ、私初めてで~」
なんとこの女性、私が学校宛に送ったダイレクト葉書

 



















↑これを見てきてくださったというではありませんか!
↓お帰り際にお呼び止めして撮影





















これには本当に驚きました。
私はこの葉書、666枚投函しました。
でも期待は正直にゼロ。以前こんなことを音楽仲間から聞いていたからです。
「チラシなんて4000枚まいて、やっと一人来てくださればいいくらいのもの」
そうなんだ・・・でも何もしないものなんだし、一応出してみようかな・・・程度の気持ち。しかもこの葉書、普通の人ならチラシとして印刷して封筒に入れてご挨拶文も添えてお出しになることでしょう。そんな面倒なこと、とても出来ません。
ですからこの666分の1の彼女は私にとって奇跡のようなものです。

そうそう、肝心の今日のコンサートの内容は「歌」「唱」「詩」など「うた」でまとめ、ラスト3曲はシューベルト(西野真理訳詩「音楽に寄せて」「羊飼いの嘆きの歌」「魔王」)。40分のコンサートと言いながら結局1時間。でも皆様お帰りになることなく聞いてくださいました。
「うた」まとめのアンコール曲ですか?
西野真理作詩・作曲の「防災の歌」です!

それから陽子さんからはレモンの木(しかもお花が咲いている!)いただきました。
(陽子さんと写真撮るの忘れました)




















いつも来てくださる高瀬さん




















珍しくいい笑顔の母


















教え子 2024年4月6日(土)

再び「教え子」さん登場です。
始めはマドリモ工事の時(詳細は2024年2月5日、16日のブログを)、お願いした石友リフォームサービスの店長・干場さんが内灘中学校時代の教え子であったこと。
そして今回は何年も前から危険じゃないかと思い続けていたカーポートの屋根を見ていただくことになったことでの再会。
実は3年以上前に建築関係者の方から危険だと指摘されていたのです。最近では鉄板に小さな穴が何箇所も空いていることを発見。このままじゃ強い台風が来たら飛んでしまう!我が家の車が潰れるだけならまだしも、ご近所にこの鉄板が飛んだら大変。
















「あ、干場さんに相談してみよう」
とやっと気づいて先日お電話。
そして今日、カーポートの様子を見に来てくださった時、業者さんとして一緒に来てくださった干場さんの同級生Nさん(実名登場の可否をお聞きするのを忘れていました)も、内灘中学校の教え子の一人だったのです。ただその頃内灘中学校はマンモス校で音楽の先生が3人。私がNさんの担当になったことは1度もなかったそうですが、覚えていてくださいました。Nさんの奥さんも同級生だそうで、彼女の方はお教えしたようです。Nさんは料理人の修行をしていたのですが、家業を継ぐことになってこの業界へ。
みんな立派になって何より。














干場さんに
「大雪が降って雪下ろしのためにこの屋根に乗ったことが何度かあるんですけど、このままだったらもう乗らないほうがいいですよね?」
と聞いたところ
「危険だと思います」
来てもらってよかった。
NさんにはYouTubeのこと、コンサートのこと、ブログのことなどたっぷりCMしておきました。

関係ない話ですが、このあとスーパーにお買い物に行くとカニを売っていたので買いました。1杯580円。生きています。



私の(?)チューリップ 2024年4月5日(金)

今年も私の(?)チューリップが小公園に咲き始めました。















このブログをずっと読んでくださっている方はおわかりですね。
(そういう方、多分3人くらいいらっしゃると思っています)
そう、昨年の秋に小公園に「埋めた」チューリップです。

きっかけはその当時の同僚山下さんと山崎さん。
山下さんは
「チューリップは咲くとそのまま埋めておいても次の年には咲かなくて、でも2つに割れて、7年後に2倍になって咲く」
山崎さんは
「チューリップはただ植えさえすればお水もなんにもやらなくても、春になったらちゃんと咲いて『あ~春が来た』って思わせてくれる」

そこで私は春に庭のプランターで咲き終えたチューリップの球根を取り出し、秋まで保管。そして秋になるとそれを持って近所の小公園に行き、公園の隅に埋めることにしたのです。















私の計画がうまく行けば、毎年埋め続ければ7年後からは毎年勝手にチューリップが咲くことになるのです。
それを始めてもう20年は経ったはず。30年かも・・・

さて、そのチューリップですが嬉しい誤算で埋めた翌年からいくつかは咲き始めました。
そして今年も。
これが7年前のものなのか、14年前のものなのかわかりませんが、とにかくこんなにたくさん。皆様も是非お試しください。

このブログ、多分昨年も書いたと思うので、来年からはコピペして写真だけ変えようかな。

↓これから咲くはず


















西野真理の色々なお話

横浜市イギリス館コンサート その16 満席御礼/Sold Out  2026年10月12日(月)

 ※このブログは「 横浜市イギリス館コンサート その1 」からここまでをお読みくださっている前提で進めます。 ご来場ご予約が50名を超えたと陽子ちゃんと喜んでいたその日の夜、陽子ちゃんからラインがありました。 「出演者、係の人を含めて60人だそうです!」 これは大変。 ご予約はこ...