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103歳のお友達へ 2024年2月18日(日)

私の教育界の師匠といえば千葉県在住の野口芳宏先生。その先生のお母様がまもなく今年103歳を迎えられる友さん。
そして友さんと西野真理はお誕生日が一緒。
ここ数年は毎年柴舟小出のかわいいひな祭りまんじゅうをお送りしていたのですが、
「謹んでご辞退いたします」
とのお手紙を頂いてしまい、それなのに友さんからは大きな文旦の詰め合わせを頂いてしまいました。


大好きですし、私の母も義母も好きなので両家におすそ分け。
我が家では剝いてないと食べないので、先ほどから頑張って剥きました。
私もその都度剥くのは面倒ですから、こうしておくのは良かったと思います。

友さん、多分11月にお伺いいたしますので、どうぞお元気で!











 


千葉日帰りの旅 その5(重大発表) 2023年8月27日(日)

家です。
0:16。もう28日(月)になっていますが、27日の続きとして書きます。

今回の素麺塾で
「重大発表がある」
と横山験也さんが開会当初から何やら匂わせていらっしゃいました。
横山さんは25年間小学校教員をした後、自分でさくら社という出版社を起こし、デジタル教材を開発し、現在はルワンダにも売り込んでいるというすごい人です。 
私は、
「横山さんはルワンダだけでなく、インドとか南米にも進出するのかな?」
なんて思いながら発表を待ちました。

横山さんの口から語られたのは
「野口先生の記念碑建立プロジェクト」
実行委員長が横山験也さんです。
↓重大発表中の横山さん














もちろん野口先生も最初からOKされるはずはないですが、皆さんの説得により、
「これ以上固辞するのはかえって失礼」
という気持ちに切り替えてくださってのこと。
また記念碑に使う石は、先生の敷地内にある
↓観音様














の台座部分に使った大岩の一部がまだあるということで、それを使うことになるようです。
除幕式の日はすでに2024年11月23日(勤労感謝の日)と決まっています。
予定に入れておかなくちゃ。
これからこのことがどういう風に進んでいくのか、分かり次第、ブログでご報告します。

横山験也さんが私のことサクラ社のブログに書いてくださってとても嬉しいので貼り付けておきます。
https://www.sakura-sha.jp/blog/noguti_juku-67/


千葉日帰りの旅 その1 (起床~金沢駅) 2023年8月27日(日)

今日は千葉日帰りの旅です。
目的地は千葉県君津市糠田、野口芳宏先生のご自宅。野口先生や行われるイベントについては、そのきっかけから書かなくてはわけがわからないのですが、当然とっくに文章にしてあるので、このブログの検索窓に「野口芳宏」と入れてお読みになってみてください。
でも簡単に書けば、教育会の恩師の豪邸(家そのものというより、一山と言っていい広大な敷地)で行われる「素麺塾」という会に参加するためです。

さて、これは新幹線車内で書き始めています。6時3分発。あ、今動き始めました。
昨夜のこと。
彼が
「朝早いから金沢駅まで30分あれば着くんじゃない?」
いや、さすがにそれは危ないと思い、48分前に出発しました。正解でした。
確かに駅まで25分で着きましたが、車を駐車場に入れ、新幹線ホームまで5分は無理!18分の余裕はぴったりでした。
しかし実はその前に少々冷や汗をかいています。スマホの目覚まし設定ミス。4時10分に設定したはずがされておらず、ふと目を覚ますと4時45分。念入りなお化粧をするはずだったのに、念入りらずなお化粧になってしまいました。これだけは心残りです。

駅構内に入り、飲み物を買おうとコンビニまで行くと、退職の年に津幡中学校の同じ学年でご一緒した理科の鶴山先生が生徒3人と一緒にいらっしゃるではありませんか。
「お久しぶりです。今日は何?」
「科学部の生徒が東京の全国大会に出場するんで」
「おめでとう!」
私は以前科学部の名ばかり顧問をしたことがあって、ちょっと誇らしくなりました。
「今日私に会ったことはとても幸運よ」
と、なんの根拠もない恩を売っておきました。 
お餞別に1000円あげました。

まさか朝の時点でこんなサプライズに出会えるとは、私はつくづく運がいいと思った朝でした。

千葉日帰りの旅 その4 (帰路) 2023年8月27日(日)

友さん、野口先生、参加者の皆さんとお別れし、教育関係の社会人立石さん、安野さんの車で、群馬の塚田さんも一緒に君津駅まで送っていただきました。

来た時の逆ルートで君津バスターミナルから高速バスに乗れば楽なのですが、行きの段階で帰り時間帯の混雑予想が表示されていて、時間はかかるけれど電車で東京駅へ向かうのが安全だと判断しました。
電車の車窓から木更津の東京アクアライン入口辺りが見えたのですが、大渋滞でした。
電車にしてよかった。

さて、ここからは電車内でお聞きした、群馬の塚田さんの息子さんのお話になります。

塚田さんの息子さんはJICAの職員としてアフリカのスーダンで勤務していらっしゃいました。
しかし、2023年4月におこった内戦のとき、たまたま買い物のため外出中に自宅方面が内戦の地となってしまって戻れなくなり、そのまま色々な方の助けを借りつつ、自衛隊の飛行機で命からがら脱出。
その間3週間。
日本にいらっしゃるご家族も、どれほど不安な思いをされたことでしょう。 
そしてすでに息子さんはエジプトへお戻りになっているとのこと。

私は子供の頃、漠然と外国へ行ったり住んだりということに憧れていましたが、語学の勉強をするでなく、具体的に外国へ行くことへの努力をすることもなく過ごし、のほほんと安全に日本で生きてしまいました。
このことを後悔しているわけではありませんが、こんな風に日本の若者が命の危険がある中頑張っているのを知ると、自分のことは棚に上げて、日本も捨てたもんじゃないなと思います。

また、塚田さんからこのことをお聞きし、ウクライナのことなら少しは知っていても、スーダンのことは何も知らなかったことに愕然としました。

東京駅へ着くとまだ新幹線まで1時間あります。
私が目指すのは、千疋屋の桃パフェ。でもお店が見つかりません。だからと言ってラーメン食べようとか駅弁買おうと言う気には全くなりません。口はもうパフェなのです。
こうなったら千疋屋でなくてもパフェ食べれればいいと思いましたが、それすらありません。
仕方なくお土産もの売り場をウロウロしていると、小岩井牧場のお店があり「ズンダ白玉パフェ」があったので食べました。
お土産は「チョコレートヒヨコ」
(新幹線車内で撮影)
東京の人は絶対買わないっていうか、これ、東京の人は知ってるのかな?

楽しい旅もそろそろ終わりです。

↓帰宅後開けてみました



千葉日帰りの旅 その3 (野口素麺塾の風景と友さん)2023年8月27日(日)

ここからはもう帰りの新幹線を待っている時から書き始めています。

では行きの続きから。
高速バスは定刻に君津バスターミナルに着きましたが、乗車中に野口先生からお電話をいただき、君津バスターミナルまで迎えに来てくださることになりました。きっと参加者の若いどなたかが来てくださるものだと思っていたら、野口先生御自らでびっくり。

先生のお宅は先にも書いたように広大な敷地です。
下の写真は流し素麺を行う場所から下を撮影したものですが、たしか野口先生から
「ここから見えるところは昔はすべて野口家のものだった」
みたいに聞いたことがあります。
ご自宅にある観音様
素麺流し。
赤いお箸でとって、ベージュのお箸で食べます。
14名ほどの参加で、一人ずつ自己紹介または実践発表をします。
私は特に何をする気もなかったのですが、せっかくなので、退任式のとき生徒に話したことと(詳細はブログを検索願います)、指揮法のプチレッスンをさせていただきました。
また、野口先生のリクエストで「月の砂漠」を歌いました。

参加者のうち2名は教育関係の社会人の若者、立石さんと安野さん。若いのに、こんなおじさんおばさんの相手を上手に会話して立派❗自分は絶対こうじゃなかった。
おまけにこの二人には、帰り君津駅まで送ってもらえることにもなりました。

流し素麺を食べたり、おしゃべりしたり、メインの野口先生のお話を聞いたり。
特筆すべき美味しかった食べ物は、山中さんが持って来てくださった高級ぶどう。実が大きくてパンパン。こんな美味しいぶどう初めて食べたかも。
 
そうそう、塚田さんが出された小学生でも解ける算数の問題。
50✕50=2500
じゃあ、1少ない
◯✕◯=2499
になる◯は?

私は当然最後までわかりませんでしたが、すぐにおわかりになった方も3人。

ヒント
5✕5=25
これより1少ないのは24だから、24になる掛け算と考えると
4✕6=24

7✕7=49 
1少ない48になるのは
6✕8=48

これでもまだ首を傾げている私に、事務局をやってくださっている小路さんが
X²−1²=(X+1)(X−1)
と、紙に書いてくださいました。

・・・であっと言う間に時は経ち、そろそろお暇しなければなりません。
心残りは103歳のお友達、野口先生のお母様「友さん」とお会いできなかったこと。今回これに来る目的は、もちろん野口先生にもお会いしたかったけれど、半分は友さんにお会いして、歌を聞いていただきたかったから。でもちょうどこの日は、野口先生がご家族で先日までお留守をされていた関係で、ショートステイに行かれていたのです。

いよいよ帰ろうとした時、野口先生が
「マリさん、ちょうど母が帰って来たんだよ」
私はダッシュで友さんのお部屋へいき、準備をしてきた
「女学唱歌 祝歌」
を力いっぱい歌いました。この曲は友さんに教えていただいたのですが、Bellini作曲のオペラ「ノルマ」の一コマ。友さんも一緒に歌ってくださいました。
「また来年❗」
笑顔でお別れしました。
あ〜一緒にお写真とっておけばよかった。






千葉日帰りの旅 その2 (東京駅バスターミナル) 2023年8月27日(日)

君津バスターミナル行きのバスには何度か乗っているので大丈夫なのですが、新幹線の中で一応調べることにしました。
調べてよかった\(^o^)/
私の知らない間に、東京駅にバスターミナルが出来ているではありませんか❗
ゴチャゴチャお読みいただくのも申しわけないので、サッサと書きます。
出口間違えました。
もしかするとギリギリで8時45分のバスに間に合ったかもしれないのに。
ま、いいいい。
都会だしすぐ次が来るでしょう。
30分後でした。
でもお陰でこうしてバスターミナルの「君津方面」看板の前に立ったままブログ書けました。乗りました。
前回は高速道路で事故があって1時間くらい遅れたっけ。
今日は何事もなく着きますように。

友さんからのプレゼント 2023年3月7日(火)

お誕生日が一緒で42歳年上のお友達、野口友さん103歳からたった今内祝いが届きました。
















すぐにお礼のお電話をしましたが、お電話でお声だけ聞いていると、その受け答えも声のハリも、まあ70代です。
いいなあ~!
友さんとの関係については、このブログで「野口芳宏」と検索していただけるとどこかに書いてありますが、主たることだけ書いておきますと、私は友さんのお作りになった俳句に作曲し歌ったものをYouTubeに上げてあります。





103歳、友さんとのお電話(「野口先生との出会い」エッセイより転載付き) 2023年2月21日(火)

ChatGPTとのチャットを終え、そろそろFMへ行こうかなと思っている時、着信に気付きました。千葉県在住の野口芳宏先生から1時間前に着信があったようです。

※野口先生との出会いはエッセイに詳しく書いていたので、最後に貼り付けておきます。(エッセイから転載ですので、その部分は文体が違います)

電話しました。
「やあ~西野さん」
野口先生は86歳ですがとてもお元気で声にも張りがあります。
「お誕生日おめでとう!」
なぜ千葉県の先生が(それも、私の小学校、中学校の恩師ではなく、42歳で出会った方です)石川県の西野真理のお誕生日なんて覚えてくださっているのでしょうか?
それは、私と野口先生のお母様のお誕生日が一緒だからです。
しかもそのお母様は103歳!
野口先生とのおしゃべりのあと、お母様の友さんとも電話でお話しました。
感覚的には80歳くらいの人とお話しているというほどお元気です。
多分今日かほく市で103歳の人とおしゃべりしたのは私だけです。

<野口先生との出会い>
2004年9月、42歳が野口先生との初対面。
何の下知識もなく、京都へ公費で行けるというだけの理由、しかも野口先生のことさえ知らずに参加した京都教育大学付属小学校の研究大会で、私は野口先生の授業を拝見して衝撃を受けた。
その衝撃を受けた授業が以下「手品師」。

「手品師」あらすじ
一人の売れない手品師がいる。大舞台を夢見ているがとてもかないそうにない。ある日町を歩いているとき一人の不幸な少年にあう。手品を見せてやると大変喜び、明日も見せてやると約束し別れた。その日の夜手品師の友人から電話があり「病気の手品師のかわりに舞台に立たないか」と言われる。しかし、手品師は「大事な約束があるから」とそれを断り、翌日約束どおり少年に手品を見せる。

この作品を元に参加者は10分の時間を与えられ感想を書き始めた。
以下が机間巡視をする野口先生の目に留まり、全体の前で発表することになった私の感想文である。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「手品師を読んで」           西野真理

「手品師」という道徳で使われる読み物を読んだ。レポート作文のエクササイズとして、「発、材、析、束」のある文章を書くためである。

この物語の主人公は売れない手品師。いつか大きな舞台に立ちたいと夢見ているがチャンスは来ない。
そんなある日、街角で出会った不幸な少年に手品を見せ、明日も見せると約束した。すると、その日の夜、友人から電話がかかってきて大きな舞台に立てるチャンスをもらうが、手品師はそのチャンスを捨て、少年との約束を守る方をとるという、一見美談である。

この物語の細部に見られる矛盾を私はつつこうとは思わない。大事なのはこの手品師が本当に大舞台をつとめることのできる実力を有していたか、そして、大舞台に立ってやろうという心構えができていたかということに尽きると私は考える。

世の中で様々なチャンスを狙う人達は、常にそのチャンスに備えている。そして、チャンスが来たとき、そのチャンスにとびつけるよう万全の準備と心構えをしている。
結局この手品師にはそれがなかったのだ。チャンスに手を伸ばすだけの自分の技術に対する自信がなく、そのために持つべき心構えを持っていなかったのだ。そうしてこの手品師はひっそりと「美談」の中に自分をどっぷりつけてそっと喜んでいるのであろう。
今大舞台では、別の新しい将来有望な手品師が技を披露している。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

発表を終えた私に野口先生は
「文章はすばらしい。しかし、・・・題をもう一度読んでみて」
「・・・『手品師』を読んで・・・」
「ぜんぜんダメ!!そんな題じゃダメだ。たとえば子供が感想文で『野口英世を読んで』なんて書いてきたら、それだけでその作品はダメ!切り口を見せるような題をつけなけりゃダメだ」

こう言われて私はとても嬉しくなった。もちろんほめられたことも嬉しいが、ダメな部分をきちんと指摘していただける嬉しさ・・・しかも、この日一日ですっかりファンになってしまった方から言われると、自分に向上するチャンスが与えられたようで、とても新鮮な喜びが湧き上がってきた。

・・というわけでこの作文の題名は何がいいだろう・・・
     「美談への逃亡」なんていかかがでしょう?

☆野口素麺塾☆
「野口素麺塾」?
そば打ち名人がいるように、この世には「素麺打ち名人」がいて、その第一人者が野口さん。毎年夏のはじめになると、その技を盗みに日本各地から野口素麺塾に多くの人が訪れる。
嘘です。
「野口」とは私が教育界で師と仰ぐ野口芳宏先生。
「素麺塾」とは、その野口先生のご自宅に各地から学びに集まったみんなが、お勉強のあと、そこに設置してある流し素麺セット(グルグル回るやつじゃないです。ちゃんと竹で作ってあるあれ)でお素麺を食べたり、まあ、あとは大人なので宴会になる会。

野口先生宅は千葉県君津市。
初めてこの会の存在を知った時は、
「何が楽しくて、いい大人が千葉まで行ってお素麺食べなくちゃいけないのよ」
と、鼻で笑っていたのに行ってしまった。
飛行機に乗って、高速バス(東京アクアライン通った!)に乗って。
しかしそこは西野真理なので、なんとかお得にこのことを使えないかと考えたところ、9月に出演させて頂く音楽の友ホールでの独唱曲をちょうどこのタイミングで決めていただいたので、
「塚田先生、7月12日の日曜日、合わせお願いできませんか?」
と連絡を取ったところ◯。
11日の朝、石川県を出て野口塾に参加。その日は君津駅前に泊まり、翌日は高速バスで東京に入り塚田先生宅へというスケジュールを、ものすごい勢いで決めてしまった。

さて、野口素麺塾だが、普段は「素麺」の無い「野口塾」。全国各地に野口先生をお呼びしようという方がいらっしゃって、お呼びがかかると野口先生は基本お断りになることなく、どこへでも出向いてくださる。
組織化されているわけではなく、やりたい人がやりたいようにやっている(のだと思う)。
野口先生はその要求に答えて、全国の野口先生を師と仰ぐ人たちのために、野口先生が様々なところでおっしゃったり書かれたりしている
「手に入れたものは全て失い、与えたものだけが残る」
を、実践してくださっている。

そんな野口塾を石川県ではYさんが開催して下さっているのだが、今年はYさんのご都合が悪く、今年石川県開催は無し。参加できなくて残念だなと思っていたところに素麺塾の情報を得、そのお世話役の山中さんにも無理を言って、定員に達しているのに無理に西野真理を押し込んでいただき、千葉まで出向くことにしたのである。

☆お宅拝見☆
先生のお宅は一山だった。
豪邸という表現とはちょっと違う。ものすごく敷地の広い、田舎のおじいちゃんの家って書くのが一番感じが出るかな。
・家にパワーショベルがあります。通勤に使うのではありません。
・観音堂があります。
・なんかすごい銅像みたいなのが立っています。
・大きな池が複数あります。鯉が泳いでいます。
・家が複数あります。蔵もあります。
・下の家から上の家に行くとき、野口家の人はバイクです。(坂道)
・冷蔵用に作られた横穴があります。
・一族のお墓があります。
・すももがなっています。食べ放題。みんなで食べました。
・書斎として1つ家が建っています。それとは別にまだ書庫があります。
・お地蔵さんが坂道の途中にあります。
・犬がいます(普通)

☆素麺塾概要☆
まず3人の先生の実践報告。終わったらお素麺を食べてから野口先生の敷地内散策。これ、小学校1年生なら遠足。
戻ったら「俳句大会」。
一人ニ句作ってそれを1枚の紙に貼って、それぞれが1番いいと思う句と2番目にいいと思う句を発表して、最優秀賞を決める。
私はこの句会がこんなマジなものとは知らず、適当に書いて出した。知っていても出来た句は同じだが。そんな私の句がこれ。
    「なんとまあ 流しそうめん 野口塾」
ふざけている。
当然誰にも相手にされなかった。

あとは自己紹介をしつつ宴会スタート。
参加者32人は、東京・愛媛・埼玉・千葉・栃木・大阪・青森・北海道・神奈川・秋田・広島・石川(私)。
一番驚いたのは、うち10人が出版社の方だということ。
私は当然、自己紹介で歌うのであるが、今回は謙虚に、野口先生から「何か1曲」と言って頂いてから歌いましたよ。

ここまでが過去のエッセイ転載
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

先程のお電話に戻りますが、上記エッセイに書いていた「素麺塾」ですが、コロナはなくなりそうにもないので、次回からは「おでん塾」にするそうです。
真夏のおでん!楽しそう。

退任式 2022年3月24日

2022年3月24日(木)

「今日はついに離任式です」
・・・と 私の場合言わないということが、学校で今日の日程が書かれた紙を見てわかりました。私のような退職者はもう「離任」ではなく「退任」なんですね。

同僚みんな
「西野真理はドレスで出る」
と思ってくれていると勝手に思い込み、半ば当然のように学校長に
「服装自由ですよね?」
と話しかけて許可を得た気になり
「入場は後ろの入り口から生徒の真ん中の花道を通るんですよね?」
とこれも当然のように言い放って式の集合体型を変更させるという我儘も
「最後だから」
の一言で許されると思いこむことにして退任式(離任式・普通に離任する先生もたくさん)は行われることになりました。

前夜、我が家では最近恒例になったドレス選定の
「これだめかな?」「派手かな?」
「何がだめなのかわからない」「何が派手なのかわからない」
という感覚の麻痺した家族との会話が交わされ、何事もなくドレス選びは終わりました。

コロナの影響で授業数確保のためこの退任・離任式の日まで午前中は授業があり、もちろん私も最後の2クラスの授業(作曲の授業でした。作曲と言ってもコード進行を与えて、その中で作るのですが)を終えました。
2年3組では私の授業がこれで本当にラストだと知っているのか、いつにも増してお利口な授業態度で、手間取りがちな作曲の授業が10分も早く終わってしまいました。
「じゃあ、あと10分は自由に作って、できた人から見せに来て」
すると
「先生の話」
と数人の生徒が言い始めたので
「何話す?」
そこでN君が
「先生が石川県へ来たこと」
ははあ~N君はきっと知っていて上手く私に振ってくれたんですね。

実は私、学校で何でもペラペラしゃべるくせに、家族のことは全く話していません。
「結婚してるんですか?」
という質問にはいつも
「さあね」
とかわしていました。
別に喋ってもいいのですが
・生徒は私のことを結婚もしていなければ子供もいないというイメージを作っている感じがするので、それに乗っかっておこう
・喋り始めると何でもしゃべるので、家族のプライバシーが損なわれる。だったら始めから何も喋らない
と決めていたのです。
でも、担任していた3年4組のまとまった話のできる最後の時間、とても雰囲気が良かったので、彼との出会いのときからのことを話しました。私が結婚していて子供がいることを本当に知らなかった生徒も思ったよりたくさんいて、真面目にびっくりした顔をしていました。
おそらくN君はその情報を得たのでしょう、自分も直接聞きたいし、他の子も聞きたいのではないかという配慮だと思います。N君大人だなあ。

せっかくなのでお読みくださっている皆様に簡単に内容をご紹介しますと
・大学4年の夏に受けた山口県教員採用試験に落ちる
・大学4年末の2月、彼と知り合い、卒業までの1ヶ月半で結婚することになる
・彼は石川へ私は山口へ帰り1年間の遠距離恋愛
・山口では1年間小学校の音楽専科講師
・その間に石川県教員採用試験を受けて合格したので4月から石川へ
・その年の6月、23歳で結婚
・24歳で長男を、28歳で長女を出産

簡単に言うとこんな感じです。
さすが西野真理、37年間に磨いたトーク術。10分間できちんと喋り終えました。

最後の授業を終えると、会議室を私の楽屋にしてヘアメイク。
14時。いよいよ退任・離任式です。














変更してもらった後ろの入り口を入ると大きなどよめきが・・・と書きたいところですが、津幡中学校の生徒はとてもおとなしくお利口で、それほどの歓声は上がりません。また、この式には毎年卒業生も半数くらい参加してくれるのですが、今年はほぼ全員なんじゃないかという数です。これにはとても嬉しくなりました。

今回退任は私ともうひとり北橋さん。北橋さんとはお誕生日が1日違いで私が1日お姉さんです。彼は津幡中にいるときに大きな病気をしたそうで、そのときに先生や生徒に助けられたことを心を込めてお話されて感動を呼んでいました。式のお話とはこうあるべきという見本のようなお話です。

さあ2番めは西野真理です。
先ず、演台のマイクをマイクスタンドから外して手に持ち前に出ました。
「皆様、西野真理でございます。ちょっと地味だったでしょうか」
と軽く笑いを取った後、
「最後の自慢話をします」
と切り出して、次のことを話しました。
実はこの話、今まで2回してきましたが、やはり私の教員生活はこれに尽きるので、今回もこの話をしました。
「『素晴らしい出会いがある。それはあなたの才能です』この言葉は100歳を過ぎても現役の医師をしていらした日野原さんの言葉です。私は歌の世界では関定子、教育の世界では野口芳宏という師と出会い、それが今日まで私を支えてくれました。私にはこの二人と出会う才能があったのです。さて、皆さん、皆さんは西野真理と出会いましたね。皆さんには西野真理と出会うという才能があったのです。ここにいる皆さんはそういう素晴らしい才能の持ち主です。それでは素晴らしい人生を」

式が終わり職員室に戻ると同じ学年スタッフの星場さんが
「そのまま着替えずに待っててくださいね」
と、私と北橋さんに声をかけました。
きっと記念撮影をするんだなと待っていると、学校とほぼつながっている、町の体育館トレーニング場へ案内されました。
そこには卒業した3年生がたくさん待っていてくれて、私と北橋さんの退任を祝う時間を改めて持ってくれる会が行われました。

会ではいつの間にか用意された、私や生徒の写った3年分の細々とした楽しいシーンの写真と生徒全員の寄せ書きの詰められたアルバムをプレゼントしていただきました。これを準備するためにどれほどの時間が費やされたかと思うと、言葉がありません。











改めて最後の一言となった時、私は危険を覚悟でこう言いました。
「・・・Y君は両親学校の先生。私も両親が学校の先生、私はかつて高校を落ち、Y君も高校を落ちました。色々共通することがあります。高校合格発表の日、私は急遽、曲を1曲YouTubeにアップしました。それ、Y君、あなたに向けてです。気づいてくれたかな?」

3年4組で不合格だったのはY君一人でした。いくらY君が明るくポジティブであるとしても、中学校3年生での不合格体験が辛くないはずがありません。そして、多くの友人達が合格で喜んでいるその場所に身を置くことが心地よいはずがありません。でも彼はこの式に来てくれたのです。
退任・離任式のステージからはY君の姿を確認できなかったのですが、この会を催していただいたお陰でY君が来てくれていることがわかり、危険だと思いながらも彼が不合格だったことを話しました。
Y君、嫌な思いをさせてごめんね。
でも人生を振り返ると、「嫌なこと」「つらいこと」のほうが「今自分がこうしているのはあれがあったから」「あれがなければ今の自分はない」と強く思えます。
あなたの素晴らしい才能は、きっとこのルートで花開くようにできています。

さて、記念すべき一日が終わって家に帰り、ドレスを片付けようとバッグから出すと、学校の廊下をとてもきれいにしたことがわかりました。


堀裕嗣さん 2022年2月16日

 堀裕嗣さん

私はこの方と知り合いでもなんでもありません。堀さんのお名前を知ったのは野口芳宏先生からです。野口先生が
「彼はすごい」
と発言されたのを聞いて
「何がすごいんですか?」
とバカ丸出しの質問をしたところ
「とにかく彼は書ける」

そこで読んでみたのです。
すごいと思いました。
そこで抜粋です。

~西野真理 独断抜粋~

裕嗣  ()   教師力ピラミッド

 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則     

<堀 裕嗣(ほり ひろつぐ)>

1966年北海道湧別町生。北海道教育大学札幌校・岩見沢校修士課程国語教育専修修了。

1991年札幌市中学校教員として採用。学生時代,森田茂之に師事し文学教育に傾倒。

1991年「実践研究水輪」入会。1992年「研究集団ことのは」設立。

 

<もくじ>

第1章 「教師力ピラミッド」で教師力をチェックする

第2章 基本モラルと生活スキルをもつ

第3章 友人型指導力で子どもとの関係をつくる

第4章 母性型指導力で子どもを優しく包み込む

第5章 父性型指導力で子どもの壁となる

第6章 事務力がなければ教職は務まらない

第7章 先見性・創造性が教師の評価を決める

第8章 チーム力を発揮しないと学校教育は成立しない

 

<まえがきより>

・・・(前略)こうして出来上がったのが〈教師力ピラミッド〉です。第1章から詳しく述べていきますので,ここでその内容には触れませんが,私はこの教師力モデルをつくってみて,驚くべき現実に突き当たりました。

 「ああ,こりゃ,すべての世論の要求に応えられる教師はあり得ない……」

・・・・・・・・(中略)

 「ああ,チームでこの教師力の全体像を機能させればいいんだ」

 こうして,いまとなっては私の主張の根幹を成すともいえる〈チーム力〉という発想が生まれたのです。

 

<全体>

・自分のキャラクターに応じて自分と合う子の指導にあたろう。

・人間関係の一番の難しさは距離感覚

・悩んで解決することなんて殆どない。世の中の失敗の99%は謝罪すれば許されます。

・怒鳴る教師になってはいけません。怒鳴ることはある種「麻薬」。

・誰だって意味のわからない指導には従いたくない。

・杓子定規にならない。人間相手の商売には必ず「のりしろ」が必要。

・優先順位をわかっていない教師は「仕事のできない人」と呼ばれます。

・研究授業などは自分から立候補して成長のチャンスを自ら獲得しましょう。

・教師を圧迫しているのは「多忙」ではなく「多忙感」なのではないか。仕事の徒労感、見通しが持てない、仕事の目的がわからない、そういう仕事の仕方をしていると、あなたの時間は死んでいる。

・最悪の事態を想定することは悪いことではありませんが、それに囚われすぎてしまうと、教師の言葉かけが、教師の指導行為が、微妙にずれてしまいます。

・旅行的行事は「本当に楽しかった」と言わせ、ステージや合唱は華々しい成果を上げる。

・教師は行事においては<演出家>でなければなりません。

・教育関係の審議会について公開されている議事録に目をとおす。それを批判的に検討し続ける。

・似たもの同士ではなく、異質な他者と仲間づくりをすること。

・最も弱い担任に配慮する。

・学級経営は常に相対的に評価される。

・自分に適した役割が最も機能する。

・チーム立ち上げのときのリーダーは「おまかせします」という一言で運営するのが一番良いと考えています。

・仲良く仕事をしたいなら、仕事を充実させる。

・生徒指導で一番大切なことは「教師の協調体制」

 

<若い先生へ>

・職場に閉じこもらずに、いろいろな人と合うことをお勧めします。自分の職場を相対化する目を持ちましょう。

・理由を語る。

・すべての事務仕事は「まず始めること」

・文書はタイトルに日付を付けて「2020114事務仕事早めに取り組もう」など。フォルダの中が時系列になり、次年度活用するとき便利。

・文書作成は「他人に見やすい」「来年度の自分にも見やすい」という書き方、保存の仕方

・「健全な野心」を持ちましょう

・良い発表やよい取り組みがあったら、ネタや指導法を意識的に収集しておく。

 

<中堅・ベテランの先生へ>

・若い頃に比べて、保護者や同僚、管理職の質が劣化しているように見えますが、それはあなた自身が経験を積んで成長しているからです。他人を責めずに解決できる方法がないかと常に考えましょう。

・甘やかすことも指導のうちであるという認識を持ちましょう。

・子供を個人として認識する癖をつけましょう。「この学年は」「この学校の生徒は」はでなく。

・いつでも若手に授業を見せられる自分でありたいものです。

・行事では若い先生に花を持たせるという発想ではなく、若者を圧倒するような成果をあげましょう。それが若者の将来のため。

 

<自分を磨くヒント>

・看護、介護関係の本を読むことをお勧めします。

・最初から「先生に相談したい病」にかかっている女の子がまれにいます。周りの先生を情報交換しておくことが重要です。

・自分の感覚、自分のものの見方・考え方に自信を持っている教師ほど、クレームを受けたときには大事に至りやすい傾向がある。

・仕事をテキパキこなす人は、優先順位を理解して周りに迷惑をかけないように仕事に取り組んでいます。

・研究授業や研究発表があったらお金と時間を惜しまないようにしましょう。

・常に学校全体の視点で見直してみる。

・学びは早すぎることも遅すぎることもありません。学ぼうと考えたとき、それが適切な時期なのです。

・研究サークルを作ることをお勧めします。仲良しサークルではなく、異質な人達を集める。





お山の大将 2022年2月7日

「 お山の大将」 
作詞 西條八十 作曲 本居長世  先程(2月6日(日)夜19:47)野口芳宏先生からお電話をいただきました。 野口先生のことを書き始めると4200文字必要になりますので、お知りになりたい方は西野真理動画「月の砂漠」解説欄をどうぞ。 野口先生とお話をするうち、先生が見てくださる西野真理の動画はどうしても野口先生が幼少の頃にお聞きになった曲に限られてしまうということで 「先生、なにかお好きな曲を教えていただけませんか?」 とお尋ねしたときに登場したのが今回の曲です。 その時、ピアノ部屋で先生との会話を続けていたのですが、「お山の大将」とお聞きするとすぐ、先生とのお電話をハンズフリーにして楽譜を探し始めました。 ありました。 楽譜を置いてピアノを弾きながら歌わせていただくと、先生にとてもお喜びいただいたので、 「先生、明日は土曜授業の代休でお休みなんです。明日この曲をYouTubeにアップします」 と宣言。 しかし、電話を終えると歌わずにはいられない気持ちになり、20時を回っていましたが早速動画撮影準備に取り掛かりました。この日は別動画2本(「あのね、のねずみは」「赤鬼と青鬼のタンゴ」)も撮影・アップしていたというのに。 撮影準備とは? ・そもそもこの曲を知らないのでまず音取り ・練習 ・ピアノパート録音  ※私の最難関。でも今回のはまあまあ早く出来ました ・ヘアメイク ・照明の準備(スイッチを入れるだけ) ・撮影機材の準備(ビデオカメラを置くだけ) また、先生との会話の中で 「私の父がよくこの曲を歌ってくれたんですがね、途中からゆっくりになるところ、そこを実に情感豊かに歌って見事でしたよ」 と思い出を語ってくださったので、その部分にはかなり気を使って歌ってみました。先生の思い出の曲想と近い感じで歌えているといいのですが。 (アップ後先生にご意見をお聞きして、あまりに違うようでしたら撮り直します) さて、この曲の載っていた「ドレミ楽譜出版  日本抒情歌全集」ですが、前にもどこかに書きましたが、それぞれの曲に付けられている長田暁二さんの書かれた短い解説がとてもわかりやすいのです。そこでこちらに引用させていただくことにしました。 前回引用するに当たって出版社にお問い合わせしたところ、ご快諾いただきましたので、今回も多分大丈夫だと思いますが、後で再度お問い合わせしておきます。 <日本抒情歌全集2 解説より(長田暁二)> 大正9年6月の「赤い鳥」に発表された。学生時代新宿戸山ヶ原に下宿した西條八十は、初夏の青草に覆われた野原の丘のてっぺんに立つ餓鬼大将をひきずりおろそうとしている子どもの遊びを見ていた。そうされまいとする大将。こんな単純な遊びを子どもたちは飽きもせず毎日家々に灯がつくころまで続けていた。このシーンが西条の脳裏に焼き付いていてこの詩が生まれた。本居長世の曲は緩急の変化強弱の変化をつけた名曲である。


ルワンダ国歌 2022年1月8日

突然「ルワンダ国歌」です。

「どうしてルワンダ国歌?」 どなたもそうお思いのことでしょう。 この説明を1から文章にすると長文になりますので、箇条書き+プチ説明。 ①全く興味もなければ知りもしなかった教育者・野口芳宏先生の講演会が京都教育大附属小学校であり、そこへ公費出張で行き、野口先生を知る。 ②野口先生のセミナーに参加し野口先生とお知り合いになる。  ・実はすごい方だったことがどんどんわかってくる。  ・夏に千葉のご自宅で親睦会的な勉強会が開かれるが、それには小学館、明治図書な   ど大手出版社からも参加者有り。私も3度参加。  ・教育関係出版物は数しれず  ・弟さんは東京音楽大学の指揮者科教授 ③そのセミナーで教育出版社「さくら社」経営の元小学校教師・横山験也さんと知り合う。  ・その後野口先生と験也さんは東京音楽の友ホールへ私の演奏を聞きに来てくださっ   たこともある。 ④験也さんは日本で教育関係ソフトを販売していたが、(そこからの経緯は全く知らないが)アフリカ・ルワンダへも教育ソフトを展開。 ⑤験也さんと特別多くの交流があるわけではないが、ぼんやりと「アフリカ」というワードは頭にあった。 ⑥話は変わるが以前、連合主宰の外国人歓迎パーティーで参加者各国の国歌を歌ったところ大変喜ばれた。国歌を歌ったのは選曲に困ったから。何度かパーティー等で国歌を歌ったが、歌唱経験国歌は次の通り。ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ロシア、中国。ブラジルの方は私が歌い始めると全員起立し、涙を流す人もいた。 ⑦いよいよ教員生活があと3ヶ月になった今、YouTube動画で歌う曲を考えていたとき、ふと「アフリカ」「国歌」というワードが頭に浮かび、「国歌を歌えば新しい視聴者に結びつくかも」と安易な発想をした。 ⑧そこへ験也さんが浮かび「たしか験也さんはケニヤと交流があるっておっしゃってたな」と思いケニヤ国歌を歌おうと決める。 ⑨験也さんから頂いたお年賀状に「YouTube見てます」のようなことを書いていただいていたので、その御礼がてら「今度YouTubeにケニヤ国歌アップします」とメール。 ⑩験也さんからの返信には「次はルワンダお願いします」と書いてあり「ケニヤじゃなくルワンダだった!」と知りルワンダ国歌に変更。本日のYouTube動画アップに至る。  ・験也さんからのメールによると「Jicaのプロジェクトで、ルワンダの教育局(日本で   言うところの文科省初等中等教育局のようなところ)からオフィスをお借りして、   首都キガリを中心に8校のパイロット校に協力を頂いています」とのことです。

というわけでルワンダ国歌歌っています。
いつかルワンダに行ってみたいな。
それでは「ルワンダ国歌」YouTubeの「西野真理チャンネル」でお楽しみくださいませ。

西野真理の色々なお話

災害時の連絡について  2026年8月28日(金)

 災害時、親しい方の安否が気になるのは当然のこと。しかし、そのために連絡を取ることについて、その方のお心がわかるだけに申し上げにくいこともあります。以下は能登半島地震被災体験者・中村弥子さんのFacebook、金子国土交通大臣のXから(7月26日熊本地震について)お借りしました。...