21世紀日本歌曲コンクール(過去のエッセイ)転載します 2026年4月7日(火)

先日のブログ(「春の横浜に歌う」その6  当日朝 2026年4月1日(水))に、本番の朝、声が出なかったことを書きました。そこでその関連の
「21世紀日本歌曲コンクール」
について書いた25年前・39歳の時のエッセイを転載いたします。(文体等少し手を入れました)

21世紀日本歌曲コンクール


私、西野真理は、2001年3月20日、東京錦糸町「すみだトリフォニ-ホ-ル小ホ-ル」で行われた『21世紀日本歌曲コンク-ル』において、1位をいただきました。応援ありがとうございました。
 
過去3年間、私はこの時期、群馬県榛名町で行われる「日本歌曲セミナ-」に参加していました。今年も参加したかったのですが、昨年参加した時点で事務局の方ら
「西野さん、3年連続で来てるから、来年1回休みね」
と言われてしまっていました。
この時期が空いてしまうのが何となく寂しいなと思っていたところへ目に入ったのがこのコンク-ルの案内。

<1次予選・テ-プ審査>
提出期間は1か月もあるのに、私は決意を鈍らせないために1日目に提出してしまいました。(山田耕筰作曲 曼珠沙華)ちょっと偉そうですが、まあ、テ-プ審査で落ちることはないだろうとは思っていました。
募集要項には
「3月10日までに本人に封書でお知らせします。電話での合否の問い合わせには応じられません」
との記述。
「10日までとあるのだから、まあ5日ころには来るだろう」
と、3月に入ったころから毎日毎日郵便受けを見ますが届きません。
「もしかして、落ちたのかなあ。ひょっとすると、テ-プが届いてないんじゃないかなあ」
などと、不安は増大。

3月9日。ついに我慢出来なくなった私は、コンク-ル事務局に電話。
「すみません、石川県の西野と申しますが、もう合否はお送りになったのでしょうか?」
「はい、昨日発送しましたので、明日には着くと思いますよ」
「あの、私のテ-プは受け付けて頂けているでしょうか?」
「石川県の西野さんですね。はい、お送りしましたので、お待ちください」
ああよかった。私はほっとして電話を切りました。

<3月10日・テープ審査結果>
家に帰ってみると、事務局から封書が届いていました。
封を切る前に私は冷静に判断。
「きっと合格している。なぜなら、封書が厚いからだ。落ちていたら落ちましたの紙だけだから、たくさん入っているはずがない。」
正解。
すぐにいつもお世話になっている旅行会社に電話をし、電車のチケットとホテルがセットになった安いプランの予約。

ここで一つ私にとって幸運なことがありました。
このコンク-ルは、予定では3月20日の11時から2次予選、3月21日の夜7時から本選の予定でしたが、20日に全て終えてしまうことに変更になっていました。
もし予定通りに行われれば、私は石川県を19日に出て、本選に残れば、21日の仕事をまず休み、この日のうちには帰れないので、その日も宿泊し、22日まで仕事を休むことに。ホテルに3泊もし、仕事を2日も休まなくてはなりません。
しかし、この変更のおかげで、宿泊1日、仕事は全く休まなくて済むことになりました。

<コンクールへ出発>
3月19日は3時間目まで授業をし、東京行きの電車に乗車。
コンク-ルのため東京へ行くと、ピアニストと合わせをする練習場が池袋にあるため、たいてい池袋に直行。上越新幹線に乗って池袋に行くには、上野まで行くよりも大宮で降りて埼京線に乗り換える方が早いということを知ってはいましたが、やったことがありませんでした。今回初めてやってみると、20分も早く到着。
まずホテルに荷物を置き、スタ-バックスでコ-ヒ-を買って練習場に行くと、ピアニストの香織ちゃんは先に来てくれていました。
2時間2100円で借りた、1.9畳の練習場で、初めて合わせる曲の最初で最後の練習。
明日、まず行われる2次予選は
  ・蝉
  ・黴(かび)
の2曲。黴は2人でのステ-ジ経験があるし、蝉はそれほどの難曲ではありません。しかし、本選の曲は、はっきり言って難曲で、合わせたことがないどころか、香織ちゃんは今回私のために初めて練習した曲である。無茶な話だと今になって思います。
(團伊玖磨作曲 ジャン・コクト-に依る八つの詩)
合わせは順調・・・には進まず、私は内心
「こりゃだめだ」
と思っていました。
しかし、彼女は努力し、次第に曲の形が整っていきました。
正直言って、コンク-ルなら1度の合わせで合ってしまうような一流のピアニストにお願いすべきかも知れない。でも私はお金もないし、なまいきな言い方だけれど、
「コンク-ルでもコンサ-トでも、ピアニストと歌い手に上下関係がなく、2人で音楽を作って行く」
ということ自体が好きなのです。
また、今回香織ちゃんのピアノは万全ではないけれど、こういう考え方も私を楽にしてくれる。
「落ちても私だけのせいじゃないも-ん」
合わせが終わると、いつもの台湾料理屋さんへ行き、体によさそうな食べ物を普段の夕食の1.5倍ほど食べました。
この時、2日ほど前から出始めた咳が断続的に出ていて、良くなるどころか回数は増えているように思わました。

<本番朝・3月20日>
起きるとすぐに声出し。
「.....出ない」
咳は一層激しくなっていました。
それでもしばらく低い声でそっと声帯を鳴らしていると少しずつ出てきて、何とか普通の声にまでもって行けそうな感じ。
ホテルはとても暑かったし、まだ行ったことのないホ-ルでもあるので、かなり早目に会場へ向かいました。

会場では、出場順の早い人のリハ-サルはもう始まっていました。私は待ち合わせをしている駅前のロッテリアで朝セットを食べながら香織ちゃんを待ち、いよいよ2人で会場の楽屋に入ると、もうほとんどの出場者が集合。
咳は激しさを増していて、私の願いは
「ステ-ジで声が出ること、咳がでないこと」
だけ。

<2次予選>
2次予選のステ-ジに上がりました。
こう見えても相当なあがり性の私が、ほぼ平常心。
咳が止まったからです。
1曲目が順調に終わろうとしたその時、最後のピアノの和音を、香織ちゃんは見事にはずしてしまいました。
私は
「落ちても私のせいじゃないも-ん」
これでますます私はリラックスし、2曲目はかなりいい感じで歌うことが出来ました。
ステ-ジを降りると香織ちゃんはかなり申しわけながっていましたが、私は本選に残る気満々。そして、お世話になっている塚田先生へすぐに送れるよう、結果発表前に文章をメールに打ち込み。
「21世紀日本歌曲コンク-ル、西野2次予選を通過し本選に進みます」
発表は予想通りで、すぐに作っておいた文章を送信。

発表から本選まで1時間ほどしかなく、練習することも出来ません。ちょっとおなかが空いたので、向かいのコンビニへ香織ちゃんと一緒に買い物に行き、大好きなシュ-クリ-ムと、ビタミンCのドリンク剤を買いました。
待ち時間にも咳は断続的に続き、当然願いは
「声が出ますように。咳が出ませんように」

<選曲>
さて、本選の曲を今回のものにしたのには少し訳があります。
1月に行われた日本歌曲の講座に参加した仲間でのコンサ-トで、私はこの曲を歌いましたが、とても悔いの残る出来でした。その直後は、もう2度とこの曲を人前で歌いたくないと思ったほど。しかし、コンク-ルの曲を提出する時になって
「今これを歌わなかったら、私は一生この曲にコンプレックスを持ったままになるかも知れない。コンク-ルを利用してリベンジ!」
という気持ちになり、覚悟を決めて曲目を提出したのです。

<本選>
出番が近づき、ステ-ジ袖へ行くと、係りの女性からドレスをとてもよいと褒めてもらって上機嫌。本選用のドレスは貸衣裳屋さんの放出品を扱うお店から5,000円で買ったもので、その事を話すと、買い物上手と関心してくれてもっと良い気持ちになりした。
しかし、咳は続きます。
ところが、ステ-ジへ出た途端、咳は止まりました。これだけで私は大満足。
最初の一声を出す時は、
「声が出るだろうか」
という少しの緊張があったものの、一度出てしまえばもう嬉しくて、あとは全く緊張することもなく、楽しく、やりたいように、でも、あまり冒険はしない歌い方で、今までの本番の中では最高の出来でステ-ジを降りました。
楽屋に戻ると、突然咳が襲ってきました。楽屋にいた人たちが心配して声を掛けてくれるほど。

<結果発表>
あとは発表を待つだけ。
お化粧を落とし、服を着替え、荷物をまとめて私と香織ちゃんは、舞台袖のドアのところで録音した、あまり録音状態の良くないMDを聴きました。音も小さくしか入っていないので楽屋から少し離れた廊下で。
聴いている途中に、舞台袖でドレスを褒めてくれた係りの人が通り掛かり
「発表されましたよ」
と教えてくださいました。
でも、その時は発表よりも本番の出来の方に興味がありました。というのも、今まで聴いた部分まで、かなりよく歌えていたので、どうしても最後まで聴きたくなってしまったから。そして、聴きながら私は香織ちゃんにこう言った。
 「これ、かなりいい線行くよ。3位内には入るね」
こう言ったのにも少し理由があります。発表されましたと声を掛けてくれた係りの人が、私を見てなんとなく嬉しそうな顔だったから。うまく書けないけれど、落ちている人にああ言う声の掛け方はしないだろうというような感じの.....。
やっと聴き終わるころ、私はおなかが急に痛くなって、トイレに駆け込みました。
 
私がもたもたしている間に発表を見る人の
「わ-」「きゃ-」「うそ-」
のような場面は終わっており、ほとんど人がいなくなっていました。
やっとの事で発表の掲示板のある1階(ホ-ルは地下)への階段を上がろうとしていると、また、先程の係りの人に会った。
その人は
「もうご覧になりました?たしか、西..なんとかさんですよねえ。確か、いいところにあったと思いますよ」
と、早く見に行きなさいと言わんばかり。
私と香織ちゃんが顔を見合わせているところへ、さらに、上から65歳位のおじさんが降りてきて、私の顔を見るとニコニコして、
「西野さんだね。おめでとう。1位だよ」
私も香織ちゃんも目をぱちくりし、香織ちゃんの目には涙が浮かびはじめた。香織ちゃんはころびそうな靴をはいて階段を駆け上がっていった。

おじさんは審査委員長で、とても私を気に入ってくれた様子で、こんなことしゃべっていいのかなというようなことまでいろいろ教えてくれたり、褒めてくれたり。
 ・2次通過は3位だったが、本選は2位以下を大きく引き離してトップだった。
 ・2次のドレスと、本選のドレスがガラッと変わったことにまずひきつけられた。
 ・ステ-ジ全体として感じがとても良かった。

掲示板には
「第1位 西野真理」
と、本当に書かれていました。
会場はもう片付けに入っていて、私たちしか残っていないので慌てて楽屋に戻りましたが、その途中、香織ちゃんは泣いていました。本当は私が泣かなくてはいけないのでしょうが、何だか冷静で、香織ちゃんが泣くのを見てますます楽しい気分になってしまい、それを聞いて香織ちゃんは怒っていました。荷物をもって掲示板のところへ戻るとさっきのおじさんがいらしたので、掲示板の前で一緒に写真撮影。
おじさんは、ぜひ石川でコンサ-トをやりましょうというようなことを言ってくれて、受け付けのお姉さんからは咳き込んでいる私にチョコレ-トまでもらって、会場をあとにしました。

<ささやかな祝賀会とお祝いメール>
駅近くの居酒屋で、ささやかなお祝いをしながらメールで塚田先生に報告し、身内や、職場の友人の諸江さん、本山さん、学校長、教頭、にも連絡。
18:27。携帯にメ-ル。なんと塚田先生からの返信です。
「今、ゆうすげに到着してメ-ルをみました。とにかくおめでとう!本当によかった、よかった!」
(注・ゆうすげは、榛名日本歌曲セミナ-中の宿泊所で、ワカサギ釣で有名な榛名湖畔にあり、この時期はまだ湖が凍っている)
うれしいのはもちろんですが、あのお忙しい塚田先生が、私のためにメ-ルを入れて下さったということ自体に驚き、感激。
このメ-ルは、永久保存用に保護をかけました。

香織ちゃんと別れ、東京駅の地下で疲れて座っていると携帯に電話。今度は関先生から。塚田先生が伝言して下さったのでしょう。
先生もとても喜んでくださり、また、セミナ-でいつもお世話になる堀内さんも電話に出て、とても喜んでいると言ってくださいました。それほど大きなコンク-ルでもないのに、こうして電話をくださり、喜びを伝えてくださることに感動して、目頭が暑くなりました。

新幹線ホ-ムに立っている時に学校長から、新幹線に乗り込んだところで、榛名のセミナ-に参加中の友人から電話をもらい、またまたじんときました。身内、職場の友人からも続々おめでとうのメール。

深夜、石川県の自宅にたどり着くと、関先生、塚田先生、堀内さんに、お礼状をFAX、フランス物を教えて下さっている佐伯先生と、とても感じの良い運営をしていただいたコンク-ルの事務局へ礼状を書いた。
咳はこれでもかと思うほどひどくなって、なかなか寝ることが出来ませんでした。

<翌日>
朝のホ-ムル-ムのため教室に入ると、一斉にクラッカ-がなりました。受賞を知らせた諸江さんが、私が担任している2年5組の生徒にクラッカ-を渡してくれていたのです。
感動。
2年5組のみんな、津幡南中学校の職員生徒のみなさん本当にありがとう。こんな平和なクラス、学校で過ごさせてもらったおかげです。

<翌々日>
咳のため、ついに声が出なくなってしまい、この日の授業は筆談と、ひそひそ話のような声で何とか乗り越えました。
痰に血が絡むようになっていました。
私がひそひそ喋るものだから、職員室中ひそひそ喋り、生徒もいつになく静か。

さあ、これからも守りに入ることなく、また敗退記録を一から作り直すことにしましょう。

<久しぶりに過去のエッセイを読んだ感想>
・25年前は「テープ」審査だった
・25年前は「MD」を使っていた
・25年前には北陸新幹線がなかった(新幹線は上越まで。北陸本線に乗り換えていた)
・25年前はスマホがなく、携帯電話でメールを打っていた(Iモードって名前だったかな)
・25年前も今も咳は怖い
・25年前も今も、私は精神的にあんまり変わっていない


「春の横浜に歌う」その9 本番を終えて 2026年4月1日(水)

<ロビーあいさつ>
本番を終え、ロビーでお客様にご挨拶。
私がご案内差し上げた皆さま
・大学同門下同級生のS谷さんと、存じ上げないけれど同門下のT本さん
・石川県出身で彼の高校の同級生、私と同大学出身のS村さん
・小中学校の同級生F士さんと、F士さんのお友だち 
・彼と娘の彼のご両親
・作曲家の廣木さんと廣木さんの山登り仲間・山ガールさん
・昨年石川県から神奈川県にお引越しされた宮城さんとお友だち
私がチケットを手配差し上げた方ではないけれど、八ヶ岳でご一緒したS口さん、T橋さんとダーリン、T坂さん(「祈り」の楽譜をお買い求めくださいました)。出演最高齢小林さん(86歳!奇跡の人)の娘さんの徳子ちゃん。

ご挨拶って結局褒めてほしいだけです。
皆さまお優しくて、たくさん褒めていただいて舞い上がりました。
さらに爪のアクセサリーも皆さまに自慢しました。
(写真は八ヶ岳のもの)




















作曲家の廣木さんとピアニストの陽子ちゃん
※このドレスはソロ後の童謡のステージのもの

 ↓廣木さんの曲のドレス(この写真は八ヶ岳のもの)

















廣木さんがfacebookにアップされた文章を転載させていただきます。

「星とたんぽぽ」「花屋の爺さん」「祈り」を西野真理さんのソプラノ、近藤陽子さんのピアノで演奏しました。中でも「祈り」は圧巻で、今回全プログラムの中で一番だったと(僕は)思っています。お客様からも何人かお声掛けを頂きました。ご来場下さった皆様ありがとうございました♪

廣木さん、2003年以来本当にいい人です。これに関してはこちらをご参考に。

<陽子ちゃんにピアノ以外でもお礼>
今回私と陽子ちゃんはこの会の会計を任されていました。そのお仕事、100%陽子ちゃんがやってくださいました。(その陰には配偶者のゲオさんも!※私が勝手に重雄さんをゲオさんと呼んでいます)本当に本当に本当にありがとう!
               ↓ゲオさん

<さあ、ここからが本当の本番?>
なっちゃんのところへ行きましょう。
本当は打ち上げにも参加したいのですが、やはりなっちゃんにはかないません。














歌もなっちゃんも楽しんだ3日間でした。

「春の横浜に歌う」その8 本番 2026年4月1日(水)

<本番ステージへ>
ステージ袖のドアを演出家の大島先生が開けてくださいました。今振り返ってみると、その時全くあがっていなかったことがわかります。39歳のあの時の
「咳が出なければいい」
と同じ
「声が出ればいい」
そのことしか頭にありません。

今回の舞台は上出上入。客席から見て右から入って右から出ます。いつもと反対。








なぜ?と聞いてみると、このステージ、下側のドアが舞台横ではなく後ろにあるのです。そのため、演奏者が退場する時、お客様に背中を向けることになり、それを演出家の大島先生が避けたいという意向から。一方、上手のドアは横にあります。
そのことが私に少し味方してくれることになりました。
八ヶ岳声楽セミナー本番のステージで関定子先生から
「ステージに登場してお辞儀をする前にピアニストの方を向いちゃダメ」
と注意されていたのです。つい見てしまうんですよ。でも今回のように上入だと、ピアニストは私の後ろを通ってピアノの前まで行くことになり、確実にピアニストがそこにいるとわかるので、安心してお辞儀できます。

<本番>
陽子ちゃんの私を気遣ったやや抑えめ音量の前奏のお陰で、とても落ち着いてスタート。用心深く出した一声目も、ホールのおかげで十分客席に届いているようです。
そうなるとあとはスムーズ。客席を観察する余裕も出て来ました。
最後に
「作曲者の廣木良行さんがご来場くださっています」
を言うために、廣木さんも探しておかなくちゃ。あ!わかりました、私から見て右前方。
彼と娘の彼のご両親も一生懸命探しましたが、こちらはわかりませんでした。
八ヶ岳でご一緒したT橋さん、来てくださっています。
・・・という具合の余裕。

最後の曲「祈り」。これは私から陽子ちゃんに
「我慢!」
と、自分に言い聞かせる意味も込めて伝えてありました。間合いをどれくらい我慢できるかにこの曲はかかっていると考えたから。
陽子ちゃん、私の理想の我慢・・・いえ、間合いをとって、最後の1音を弾き終えてくれました。
そこで私もその1音の最後の響きがホールから消えるまで体勢を崩さず、お客様に拍手されないよう我慢して、演奏を終えました。
そして
「作曲者の廣木良行さんが〜」
で廣木さんにも拍手を頂き、私と陽子ちゃんのステージは終わりました。

<ラストステージで>
それぞれのソロステージのあとは、全員で童謡メドレー(私は「ゆりかごの歌」)と合唱(「夕焼け小焼け」)。
最後に
「会場の皆様とご一緒に『赤い靴』」
これで終わり、と思った途端、咳が襲ってきました。我慢しても抑えきれず、前奏で咳の音をたててしまいました。皆様に申し訳なくて、袖に引っ込もうかと思いましたがそれはそれで迷惑。なんとか音を立てず最小限に抑えて(抑えたつもりで)ラストステージを終えました。
緊張って大事です。

こうして「春の横浜に歌う」全てが終わりました。



「春の横浜に歌う」その7 会場入りから本番前まで 2026年4月1日(水)

<会場へ>
喉はなんとかなりそう。
さあ、会場へ行きましょう。
↓やや不安げな西野真理
宿泊している横浜アパからは900mほど。お天気もいいので歩いて行けはするのです。でも、大きなドレスの入った、持ち手の壊れたスーツケース↓(この写真のあと、持ち手は壊れてしまいました)
を引っ張って歩くのは嫌だなあと思っていたら、彼が一緒に行ってくれることになりました。良かった。

<ホール探検>
みなとみらいホール、立派です。
建物も楽屋も全部立派です。
探検しましょう。
↓楽屋前廊下
↓演奏する小ホール。440人収容
↓小ホールロビーを上からみたところ
↓お向かいはパシフィコ横浜。大学の入学式、どこかの会社の入社式が行われているようです。

楽屋↓





















<ホール練習>
ホール練習の時間になりました。このホール、私が人生で演奏した中で一番響きがいい気がしました。調子の悪い私の最高の味方です。陽子ちゃんも私の調子に合わせて臨機応変に音量を調整してくださって、本当に助かります。
これならなんとかなりそう!

<本番直前練習>
本番直前練習で、声はそれなりに出ましたが、歌詞は間違える、出の拍を間違える!まっ、いいかな、誰にも分からないし・・・じゃない!作曲者の廣木さんが来てくださるのです。
楽譜を再確認。

それから、苦情というわけではないのですけれど、みなとみらいホールの練習室へ行く通路、外(?)なんです。外っていうか、屋上っていうか。ですから雨に濡れます。ドレスをたくし上げて、転ばないようにゆっくり歩きました。
↓この写真を撮った後、雨が降り出し風も強くなりました

さあ、あとは本番で歌うだけ。





「春の横浜に歌う」その6 当日朝 2026年4月1日(水)

6時半起床。
全く声が出ません。
しかし、64歳西野真理、このくらいでオタオタしません。絶対歌えます。その自信の根拠は2つ。

<根拠1  39歳  21世紀日本歌曲コンクール>
西野真理39歳の3月、「21世紀日本歌曲コンクール」を受け1位になりました。その日の朝が今日と全く同じ。いえ、もっと悪かったと思います。咳が出て出て止まりません。もちろん喉もガラガラです。そういう時は低い声で緩やかに声を出し続け、喉を慣らしていきます。もちろん咳止めを飲みます。
そして迎えた本番の時間。奇跡的に咳が止まりました。
その頃の私は、本番、とにかくあがってあがって〜どれくらいかといえば、見ている人に手が震えているのがわかるくらい〜歌えなかったのです。ところがこの時は、なんとか声は出るようになったので、あとは咳さえ出なければいい。もう、咳のことしか考えられませんでした。そして本番直前に咳が止まったので、
「咳が出ないうちに歌い終えてしまおう」
それだけが、私の希望でした。まさにあがる暇がない状態。
歌い終えてみると、咳のことを考えていたのであがらず歌うことができていました。その結果が1位。
「あがらずに歌えば、私も結果が出せるんだ!」
今、私がそこそこ上がらず歌えるのは(今もあがりますよ)この時の経験があったから。

<根拠2   浄瑠璃人間国宝のどなたかの言葉>
次にご紹介するのは、根拠という言葉は適切ではないように思います。でもこういう時、いつも思い出して、心の支えにしている言葉です。

随分前に国立劇場で行われた、音楽の先生対象の講座。そこで浄瑠璃の人間国宝(多分)の方がこんなことを仰っていました。
「本番の時、ちょっと調子が悪い方がお客様の心を打つ気がする」
今日の私です。ちょっとじゃないかもしれませんけどね。

<こういう時の対処法>
私の対処法、もしかするとお役に立つかもしれないので、私が朝からやっていることをご紹介します。
「ざじずぜぞ」
「ず」
をなるべく低い音でずっとロングトーンします。その音を徐々に上げていきます。今日はもう2時間近くやっています。随分声が出て来ました。なぜこれで出るようになるのか私にも分かりませんが、ずっとこの方法でやってきました。本番の16時過ぎには普通の声になっているはずです。もちろん、人によると思います。ご参考まで。

「春の横浜に歌う」その5 八ヶ岳声楽セミナー帰宅から前夜まで 2026年3月31日(火)

<喉の痛み> 
27日(金)に八ヶ岳声楽セミナーから帰宅し、翌28日(土)は滅多にない忙しい日を過ごし、迎えた29日(日)早朝、喉の痛みで目を覚ましました。乾燥したのかな?風邪をひいたとは思いたくない気持ちも手伝って、朝まで様子見。

<悪化>
朝になりました。もっと痛くなっていて、咳も出始めました。まずい!そこで思い出したのが、1月に衆議院選挙車上運動員をお引き受けした時、咳が出始め耳鼻科でいただいた強力咳止め薬が余っていたこと。それが1日半分。とりあえず市販風邪薬を飲み、前日からこの強力咳止めを飲んで抑え込もうという案。

しかし、咳はどんどんひどくなり、前日まで強力咳止めを飲まないなんてことできない状況になってきました。そこで、風邪薬をお昼に飲んでしまったこともあるので、夕方から強力咳止めを服用。よく効きました。

<クリニックへ>
30日(月)はまなすクリニックに駆け込み先生に
「先生、水曜日歌の本番なんです。咳止めないと!今は前回いただいて余っていた咳止めを飲んでよく効いています。あれお願いします!」
先生、喉を見てくださって
「声帯は大丈夫そう。それじゃ、同じ薬、少し多めに出しときましょう」
クリニックから帰ると、午後3時間ぐっすり眠りました。

<横浜へ>
薬のお陰で咳は抑え込んで朝を迎えました。しかし、喉の痛みは続いていて、鎮痛剤服用。でも、喉以外はとても元気で、彼の運転する車で6時22分家を出発。事故も渋滞もなく無事14時過ぎ、最近の定宿・横浜アパに到着。

到着後ガソリンを入れました。

ガソリン価格の乱高下で、いつどこで入れればお得なのかさっぱりわかりません。

<合わせ>
合わせの場所確保経緯についての詳細は、「その4」をお読みいただくことにして、アパ到着後すぐに茅ヶ崎へ向かいました。

横浜駅で茅ヶ崎方面行きの電車を待っていると、ちょうど前の電車が行ってしまったところ。14分も待たなくてはなりません。七尾線は一本逃すと下手すれば2時間待つのに。人は便利にすぐ慣れます。

茅ヶ崎駅前のハスキーズギャラリー。
https://www.huskys-g.com/hamahirugao/store.html
この日、陽子ちゃんに発表会伴奏のお仕事を依頼してくださった竹村さんが、その発表会の後、合わせにお使いくださいとお貸しくださったのです。これは本当にありがたいことでした。
私が到着した時点で発表会は終了間際。素敵な二重唱を聞かせていただきました。

さて、いよいよ合わせですが、この時点で私は前日から全く声を出していません。どうなることかと思いつつスタート。もしこれがのど自慢大会なら1秒でアウト。ピアニストの陽子ちゃんも慌てて
「大丈夫!」
大丈夫って声をかけなくちゃいけないって、かなり大丈夫ではありません。発表会の後そのまま残ってなんとなく聞いてくださっていた皆様も、きっと
「この人、歌うの無理なんじゃない?」
と思われたと思います。
でも私はこの時点では本当に大丈夫だと思っていました。実際このあとしばらく声を出しているうちに、ごく普通の状態で歌えるようになりました。

合わせも上手くいって、アパへ帰宅。

<アパカレー>
夕飯は中華街へ行くのも面倒、アパの夕食ビュッフェは4900円。アパカレーにしましょう。



彼は普通のカレー。私は春キャベツミンチカツカレー。
入る時はすぐに入れたのに、私たちが出る時には外は行列になっていました。
このあとすぐお風呂に入って、すぐに眠ってしまいました。

滅多にない忙しい日(2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー帰宅翌日) 2026年3月28日(土)

私の生活で・・・特に退職してから、まず「忙しい日」なんてものはありません。ところが八ヶ岳声楽セミナーから帰宅した翌日の今日は、滅多にない「忙しい日」になりました。せっかく滅多にないことなので書き上げてみます。

起床
きっと目覚めは9時過ぎ…と思っていたら6時前に起床。お洗濯、アイロンかけ、旅行に持って行ったものの整理。

あゆみさんとお話
8:20、加賀市の中学校の先生あゆみさんからライン。(あゆみさんについてはこちらなどをどうぞ)。彼女、今回の人事異動で金沢市へ転勤。せっかくなので電話して、しばらく楽しいおしゃべりタイム。

セミナー録音音源を陽子ちゃんへ
おしゃべりが終わり、お洗濯等が終わると、4月1日「春の横浜に歌う」でご一緒するピアニストの近藤陽子ちゃんへ、八ヶ岳声楽セミナーの録音音源を見繕って送信するための作業。というのは、「春の~」で演奏する曲をセミナーで受講し、終了演奏会でもその中の1曲を歌ったから。送る際、長い音源はYouTube限定公開でYouTubeにアップしてしまった方が聴きやすいのです。(※限定公開:私がURLを教えた人しか見ることができない設定)
4月1日まであと3日。今日やらなければ価値は半減。昨日帰ってきてすぐやってしまえばよかったかなと今反省しました。

訳詩改定版作り
セミナーでご指導を受け訳詩を変更することになった「ミルテの花」の中の2曲(「クルミの木」「はすの花」)。楽譜、リズム譜、横書きの歌詞、全部訂正します。楽譜は1曲につき6つ。製本済みA4自分用、製本済みA4先生用、製本済みB5自分用、製本済みB5先生用、鉛筆書原本製本前、原本製本前コピー。リズム譜をスキャンし直してパソコンに保存。これも今全部やらなかったらきっと忘れてしまいます。










庭の草取り
しなくてもいいのに現実逃避10分。

楽譜の整理
セミナーに持って行った楽譜を作曲家別に本棚に戻します。これも今やらなかったらグチャグチャになります。これ、すぐできそうで意外に時間がかかります。

勝崎電機さんに電話
ピアノ部屋の2012年製のエアコン、昨年夏からあまり冷えません。あれから14年経っているのですから寿命は間違いないでしょう。来年にはエアコンの省エネ規制も厳しくなるらしいですし、これは修理より取り換え。Geminiちゃんに聞いてもそう言っていました。
いつもお願いしている勝崎電機さんに電話。
「2012年に付けていただいたエアコン~」
来週家まで見に来てくださることになりました。

FMかほくの番組を聴く
この時点でもうお昼を回っています。本当はちょっとお昼寝したいなあ~と思ったのですが、大事なことを思い出してしまいました。今夜19時からのFMかほくライン会議のこと。この会議のために何か1番組聞いて、6つの観点で感想を述べなければならないのです。
眠いのを我慢して聞きました。

コスモス(ドラッグストアー)とコストコへ
FMを聞き終えたとき彼が、
「4月から色々値上げらしいよ。4月になるまでにコストコ行っとかない?」
というので
「それなら来週になる前がいいよ。つまり今日しかない。以前同じことが言われた時、やっぱり4月1日が火曜日で、月曜日の3月31日には値上げされてたから」
まずはコスモスでいつものヨーグルトと納豆などを買った後コストコへ向かいました。コストコのガソリンスタンド、長蛇の列。入るまでに30分近くかかりました。当然お店の中も混雑。
また、2月から使えるコストコのリワード(ポイントみたいなもの)、使おうとしたらレジのお姉さんが
「これにエントリーしてからだとお得。3月中にエントリーしてくださいね」
といわれQRコードの書かれた紙をいただきました。本当はかなり眠くて帰りの車の中で寝ていようと思ったのですが、エントリーしなくてはなりません。とにかく面倒!30分くらいかかって、やっとエントリーが終わりました。

FMかほくライン会議
コストコから帰るともう18時半。会議まであと30分しかありません。眠い!お腹もすいた。でも寝ることもご飯を食べることもできずまずはライン会議場所の整備(ピアノ部屋の片づけ、スマホ設置、照明、お化粧←一番大事)。そうこうしているうちに開始時刻。
20時に終わって、コストコで買ってきた「ニンニク鶏混ぜそば」を食べました。(もちろん家族には先に食べてもらいましたよ)おいしいです。おすすめ。

母のお風呂
会議が終わってコストコの食品を冷凍庫へ入れるラッピング作業をしようとしていたら、あ、母のお風呂の時間です。急いで向かいました。
ところが行ってみると母はNHKの「ファミリーヒストリー」を見ていて、終わるまでお風呂に入りそうもありません。仕方がないので一旦家へ帰って、ちょどいいのでコストコ食品ラッピング作業。

21時に再び母の家へ。母がお風呂に入るために寝室で服を脱いでいると
「痛!」
寝室で転んだのです。幸いお尻から先に着いたようで大事には至りませんでしたが、おでこが青くなりました。

コストコ食品冷凍作業の続き
冷凍作業あと少し残っています。チーズケーキ。切り分けて冷凍しておくと、いつでも食べられます。でもその前にみんなで今日の分を食べましょう。

入浴
お風呂に入りました。

ブログ書き
現在23時35分。眠い!!!
でも楽しいから書いています。忙しいのに。
それではおやすみなさい。








2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その11 5日目 昼食パーティーと先生方の講評と帰宅 2026年3月27日(金)

※このブログは一連の「2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー」をお読みくださっていることを前提にすすめます。

<昼食パーティーと講評>
本番も終わって、あとは昼食を兼ねたパーティー。
今回はハヤシライスとサラダとシャーベットとコーヒー。

そこでは先生方が書いてくださった講評の紙も配られます。今回初めて皆様に公表いたします。
〜関先生〜
助詞の後 ,(カンマ)ブレスを入れて言葉の流れが生まれ言葉がさらに良くなりましたね。
今後さらに発展するといいですね。
夕べの話し合い(訳詩のこと)はその1歩になるきっかけになると嬉しいね
おめでとうございます、素晴らしい演奏でした。

〜青山先生〜
藤井さん(私の演奏曲「祈り」の作詩・藤井慶子さん)の詩をよく伝えてくれました。私も長いお付き合いでした。
丁寧な歌唱でとてもよかった。品あり落ち着きあり。
 ※このご講評で、青山先生が藤井慶子さんをご存じであることを知りました。作曲者の廣木さんから「藤井さんにご案内差し上げたけれど、お返事がなくて」ということで気になっていたのです。そこで青山先生にお尋ねしたところ、藤井慶子さんは数年前にお亡くなりになったということでした。ご冥福をお祈りいたします。

〜松井先生〜
声の使い方と表現のバランスがとてもよかったです。表現力があるので、時に表現過多になりがちなのですが、それがなかった。

私が講評を公表した理由おわかりですね(喜)
でも一つ、関先生からダメ出し。
「ステージに登場してお辞儀をする前にピアニストの方を見ちゃダメ。ピアニストはそこにいるに決まってるんだから」
こういうことって本番を見ていただかない限りわからないこと。こんなチャンスはまずありません。これがセミナーの醍醐味!

そうそう、本番後に私の歌を聞いてくださったT坂さんからも「祈り」の楽譜購入希望のお申し出があり、すぐに廣木さんにご連絡しました。

<西野真理渾身のスピーチ 麻田平蔵物語>
内容についてはこちらをお読みください。
セミナー参加者に関わりのある方のお話なので、お喜びいただけたように思います。

<帰宅>
ホテルを14時50分出発。
途中トイレ休憩1回だけ。














あんまりよくないですが、道が空いていたのでつい走り続けてしまいました。
自宅着19時40分。 
楽しい楽しい5日間でした。
衝動買いした羊さんを早速出して記念撮影。































↑やっぱりなんだか疲れた顔してますね。
これで2026年八ヶ岳声楽セミナーブログを終わります。その11まで全部読んでくださった皆様ありがとうございました。

2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その10 5日目 終了コンサート本番 2026年3月27日(金)

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演奏曲 詩・藤井慶子 曲・廣木良行 「祈り」
本番終わりました。まあ普通。
嘘。一カ所歌詞、ちょっと忘れました。
でも、「春の横浜に歌う」のリハーサルとしてはとても良いステージだったと思います。美智さんのピアノ、素晴らしかった!
さあパーティーです。
(この写真は以前の支配人・小池さんが撮影してくださいました)

2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その9 5日目 終了コンサートへ出発から本番前まで 2026年3月27日(金)

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よく晴れたいい日になりました。

終了コンサートへ出発。
出演順、ラストです。暇。
そんな時には訳詩。でもほかの人の演奏を聴くのもありですね。どうしよう。聴いてると緊張するし疲れるし。
10時スタートなので、それまでだって20分あるし、訳詩にシフトします。
・・・と思ったけれど、まず着替えとお化粧を済ませてしまいましょう。
その後しばらく楽屋観察。

<開始前の楽屋は>
開始前の楽屋は動物園の猛獣檻の前のような雰囲気です。みんな勝手に発声練習や気になるところの練習をするから。
私はこれが苦手で、以前コンクールを受けていた頃はよくトイレに逃げていました。
現在私は鏡に向かってひたすら厚塗り。
































着替えました。
前回美女コンから使っているつけ爪?指輪式爪
では、ここでアップして、その次は本番後となります。今こんなに余裕ある感じにしていて、本番後どうなっているかお楽しみに。

2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その8 5日目 最終日オムレツ秘話 2026年3月27日(金)

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朝のオムレツ秘話
(訳詩もそこそこに朝食へ出かけました。)
ホテルの朝食でお願いすると作っていただけるオムレツが毎回楽しみでした。もちろん今回もお願いしました。すると、なんとなく今までよりフワフワ感が劣ると言いますか・・・こんなこともあるでしょう、人間だもの。
翌日、昨日と同じ。
そして最終日。
オムレツを運んで来てくださった若いボーイさんが
「ちょっと見た目は悪いですけど、昨日より中が柔らかくて美味しいと思います」
確かにちょっと形は悪いかな?でもわざわざ
「昨日より美味しいって・・・」
ボーイさんの言うとおり、昨年までに食べたあの美味しさが戻ってきていました。
きっと昨日までのシェフはまだ修行中だったのでしょう。それなら仕方ありませんよ。みんなそうやって上手になるんだから。
私は歌の勉強、何年やっていることやら。



2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その7 5日目 最終日朝 2026年3月27日(金)

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昨夜眠ったのは今日だったので、ちゃんと起きれるかな?5時過ぎ起床。
撤収作業開始。
荷物は車に運んでしまいましょう。

駐車場へ行くと、車は凍結。当然ガラスも凍っているので前が見えません。

エンジンをかけて窓ガラスの氷を融かしている間に、師匠の車(後ろの青い車)も一緒に記念撮影。そうそう、昨年はもっと気温が低くて、エンジンがかからず焦ったことを思い出しました。

6時44分、何もないお部屋に帰ってきました。暇です。でも大丈夫、私には最大最高の暇つぶし、訳詩があるのです。アイフェンドルフ歌曲集の訳詩、続きいきます!




2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その6 4日目 最終レッスン1日中 2026年3月26日(木)

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さあ、いよいよレッスンとしては最終日。
<レッスン1  松井先生>
「ミルテの花(全26曲)」の続き。
まず前回「蓮の花(7曲目)」で指摘された部分。
「この歌は本質的にかなりきわどい大人な内容。もう少し踏み込めないだろうか?」
というのが先生のご指摘でした。
少し踏み込んでみました。
改訂したものがベストとは言えないでしょうが、今日のところは合格点をいただいたことにしておきましょう。

次に「ズライカの歌(9曲目)」。これはかつてゲーテ作詩と言われていたけれど、本当は浮気相手が偽名でゲーテに書いたもの。ですからこれもかなり情熱的。その情熱が一番現れる部分に「キス キス キス キス」とキスが4回も書いてあります。私はこれを訳すときかなり悩みました。悩んだ結果、直接「キス」を表に出すことをやめました。当然松井先生からもご指摘がありました。そのご指摘への私の答えは
「直接的表現だと、なんだかひく
松井先生にもご理解いただけたように思います。

八ヶ岳でドイツリートを専門にされる方に訳詩を見ていただけたことは、本当にありがたいことです。全部見ていただきたかったというのが現在の正直な気持ちです。

<レッスン2  青山先生>
今まで人前で歌うことを避けてきた超有名曲「からたちの花」「この道」。見ていただいて良かった!
2曲とも同じ(ような)メロディで4番まで繰り返す曲。歌い分けの大切さ。私は今までちゃんと考えたことがなかったことをとても反省しました。本番にかけるのは、まだ先になりそうです。

<レッスン3  関先生>
「ミルテの花(全26曲)」松井先生に見ていただいた続きの12曲目からどんどん進みます。
関先生には以前から私が自分で訳したもので歌うということを好意的、それどころか積極的にご理解いただきながらご指導いただいています。そのお陰で私は訳詩を続け、歌うことができているのです。関先生に16曲目まで見ていただいて、レッスンの全てが終わりました。

<夕食>
これで夕食も最後。

デザート撮影を忘れました。

<帰宅準備中のお呼び出し>
人には言えない格好で明日の帰宅準備をしていると、室内のインターフォンがなりました。堀内さんからです。
「今、先生たちと集まってて、西野の訳詩のことで聞きたいことがあるっていうんだけど」
「行きます!」
大急ぎで人に言える格好で堀内さんのお部屋に向かいました。

そこでは堀内さん、講師の先生、元堀内さんの部下・宗像さん、S橋さんからどうすれば私の訳詩が世に知られ売れるようなるか、色々考えていただきました。ありがたいことです。
売れないにしても、私は自分の訳詩を少なくともこの場では評価いただけたようで、とても嬉しい気持ちになりました。
緑のファイルは訳詩中のヴォルフ作曲「アイフェンドルフ歌曲集」

<今日の終わりに>
明日の終了コンサートで日程の全てが終わります。夢のような日々はあっという間に去って行きます。

2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その5 4日目 ささやかな自慢話 2026年3月26日(木)

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今回私が持参した品物が役に立ったという自慢話です。
①ビーチボール
腰当て用に持ってきたビーチボールを堀内さんに差し上げたことは先日書きました。でもその後、本当にお役に立っているのかしら?と思っていたら↓
堀内さん、レッスン会場へ紙袋に入れて持ってきていらっしゃいました。
このビーチボール、確かTemu(激安中国通販サイト)で4つ600円くらいでかったのです。

②ライト
ホテルの照明が暗いので持参したライト。レッスン会場である楽屋のレッスン室の照明も暗いので持ち込んだところ、先生方に大変お喜びいただきました。

③「祈り」楽譜購入希望
今回の受講曲で、4月1日「春の横浜に歌う」での演奏曲、廣木良行作曲の「祈り」。私がレッスンで歌うのを聴いて、受講生のお二人S田さんとI神さんから楽譜購入をご希望いただきました。早速廣木さんにご連絡し、購入手続きをさせていただきました。

2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その4 3日目 座学 講師コンサート パーティー 2026年3月25日(水)

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<朝食>
左上のクラムチャウダーが今日の第1位。
セロリは昨日に引き続き美味しいです。

<座学 その① 松井先生 滝廉太郎>
とても興味深い内容で、かなり頑張ってメモを取りました。ここには書ききれないのと、これは残して置きたいのとで、後日きちんと書き起こしてブログにアップします。
今まで知らなかったキーワードとしては「鈴木毅一」。ネットで検索なさってみてください。

<座学 その② 青山先生 小泉八雲作品>
青山先生の御出身地ゆかりの作家・小泉八雲。この作品を作曲家に委嘱し、新曲を世に出していらっしゃいます。当然青山先生ご自身の財産を叩いて。
「雪女」は小泉八雲の向かいにお家があるという、作曲家でありながら歌えて台本も書ける引野裕亮さん。
あちこちで上演されているので、是非ご覧くださいませ。
書きながら思い出しました。私は「雪女」にちょっぴり関わったことがあったんでした!随分前に青山先生が富山で上演された時、私は語り手(朗読)役(影マイク、ステージには出ません)で参加していたのです。その時、作曲家の引野さんともお会いしておしゃべりもしました。確か彼のご実家はお弁当の中に使うアルミ製のカップありますよね、あれを作っている会社を経営していらして、西日本のほぼ独占企業だとお話になったていたように記憶しています。(記憶違いだったらごめんなさい)

<座学 その③ 関先生 童謡・唱歌>
この講座、結局みなさんお一人ずつ童謡を歌うコーナーとなりました。これはこれで楽しいひと時。私は山田耕筰の「かへろかへろと」を歌いました。

<お昼>
ホテルのレストランで、お仲間と一緒にチーズケーキ。
そのあと真面目に練習。

<講師コンサート>
歌謡曲、日本歌曲、カンツォーネ、ドイツリート、どれも楽しませていただきました。
松井先生のドイツリート2曲は、訳していたもので、スマホにも入れてあったので、自分の訳詩リズム譜を見ながら聴くことができ、とても楽しめました。(セレナーデ、君は僕の女神さま)
<リラックスパーティー・ワグネリアンS橋さん>
パーティーといっても、夕食会。特別スピーチをするとかでもなく、同じテーブルになった人としゃべっているだけです。
しゃべっているうちに、テーブルメンバーのお一人・テノールのS橋さんが筋金入りのワグネリアンだとわかりました。しかも「ワーグナーのオペラをちゃんとオーケストラを使ってやりたい!」と。さらに色々聞くうち、S橋さんにはそれができる条件が十分そろっているのです!(そろっているという意味、どうぞご想像ください。実力も財力も・・・すごいでしょう!)驚いたテーブルメンバーで、S橋さんを焚き付つけるといいますか、実現に結びつけられそうな提案をどんどんしていきました。
私は以前から
「財力のある人がきちんとそれを使う世の中にならないと、日本の経済は良くならない。特に文化的なことには積極的に財力のある人は財産を使うべき。そういう人を嫉妬せず、使っていただきやすい世の中に!」
と思ってきました。S橋さん、まさにその人。もちろん私は私の身の丈で頑張ります。
S橋さん、きっと実現されると思います。


<今日の振り返り>
時間の余裕があったので練習もでき、予想以上に充実した1日でした。明日は最後の一日中レッスン日。お洗濯しておやすみなさい。
あ、そうそう、昨日あんなに苦労して作った最終日前夜のピアニストとの合わせ時間割、合わせが昼休憩時になったため、必要なくなりました。

2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー その3 2日目 1日中レッスン 2026年3月24日(火)

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昨夜は今日になってからベッドに入ったので、朝ちゃんと起きれるかな・・・5時起床。

<レッスン割作り直し>
昨日作ったレッスン割表枚、全て作り直しです。休憩を取っていなかったから。先生とピアニストがきついのは当然です。でもレッスン・聴講している私たちもやはり休憩なしはきつい!
5時からせっせと作り直しました。

<最終日前夜のピアニストとの合わせ割>
これも算数の苦手な真理ちゃんには、すぐには上手い方法の見つからない作業。何をしなければならないかと言いますと
「2部屋しかないピアニストとの合わせ部屋に、それぞれ1名のピアニストの付いた3グループ(A  B  C)を入れる(1時間半)」
↓やっと考えた割り当て表

<訳詩>
時間があるので訳詩しましょう。でも私が家から持参したやりかけの訳詩ではないのです。前回も八ヶ岳でご一緒し、いくつか訳詩をお買い上げくださったT橋さんから
「モーツァルトのとっても可愛い曲があるの。西野さんが訳すと素敵なんじゃないかと思って」
と、昨日再会後いだいたた楽譜です。楽譜を見てすぐ私の好みだとわかりました。
Komm,liebe Zither
訳し始めるとすぐ時間が経ちます。
あ!お化粧しなくちゃ、髪ちゃんとしなくちゃ、ご飯食べに行かなくちゃ!

<朝食ビュッフェ>
セロリ美味しい。セロリって最近買ったことなかった気がします。

<本日のレッスン1  青山先生>
山田耕筰の「和蘭陀船」。これ、第45回美女コンですでに歌ったもの。でも同じメロディが10回繰り返されて、どうしたものかと迷いながら本番終了。
この曲、青山先生はお得意分野のはず。
予想的中。
青山先生のご指導結果はなるべく近いうちに美女コンでご披露しようと思っています。

<幻のホットアップルパイ>
八ヶ岳声楽セミナー最初の年に事務局の堀内さんからご馳走になった、とっても美味しくて思い出のホットアップルパイ。今回もう一度食べる気満々で、本日の昼食時、レストランに向かいました。
ところが入り口でメニューをみると、あれ?
近づいて来てくださったレストランの方が
「ホットアップルパイ、今もうやってないんです」

<Komm,liebe Zither訳詩完成>
ホットアップルパイが幻になった今、私がすることは一つ、訳詩の続きです。
できました。
嬉しくなって楽譜をくださったT橋さんにリズム譜の写真を撮ってライン送信。
あ!まだ声に出して歌っていませんでした。机上でできた気になっていても、声に出すとよくないところが見えてくるのです。
ホテルのお部屋は声出しOKなので歌ってみました。予想通り問題点発見。
すぐに訂正して再送信しました。

訳詩作業つながりで書いておきますと、聴講しながらちょっと飽きて来た時には訳詩をしています。先日から取り組んでいる、ヴォルフ作曲「アイフェンドルフ歌曲集」。本日3曲目、終わりました。

<本日のレッスン2  関先生>
「春の横浜に歌う」の曲を見ていただかなくては。3曲歌ううちの3曲目「祈り」は、私の不得意な静かで落ち着いて長い曲。静かで落ち着いて長い曲もそれなりに元気にはっきり、やや早めに歌うのがポイントのようです。

<本日のレッスン3  松井先生>
「ミルテの花(全26曲)」の続きです。
・あまり歌われない曲はよくわかるし、よくできている
・よく歌われる曲の訳の方が気になる
・シューマンは詩を選ぶとき、クララとの関係性の中で選んでいる。たからよくわからない内容の詩は、きっと2人のなかでは何かあったはず。2人だけで「あ〜あのとき、ああだったね」みたいな
・「クルミの木」は出だしが「クルミ」になっているが、柔らかい子音の方がいい。例えば「揺れる」とか。Kだと強すぎる
・「蓮の花」は実はかなり艶めかしい内容。ドイツ人はそれをわかって聴いている。ピアノパートが高い音に上がって来た部分の訳「月」がうまく入るといい

<お夕飯>
テーブル、男性お二人とご一緒でした。
お一人は元小学校の先生で、音楽大学ではなく退職後に関先生に師事された方。もうお一人は一般企業勤務中にはカンボジアの工場で工場長だった方。退職後の現在、音楽大学に入学されて現在大学3年生。

<今日の終わりに>
今日もいい1日でした。
腰の痛そうな堀内さんに、私の腰当て用に持参したビーチボールを貸してあげたら、とてもお気に召して、プレゼントすることになりました。そんな堀内さんはじめ講師のみなさんと就寝前に楽しいおしゃべりタイム。

では、お洗濯してお風呂に入ってこれを投稿しておやすみなさい。

西野真理の色々なお話

21世紀日本歌曲コンクール(過去のエッセイ)転載します 2026年4月7日(火)

先日のブログ (「春の横浜に歌う」その6  当日朝 2026年4月1日(水)) に、本番の朝、声が出なかったことを書きました。そこでその関連の 「21世紀日本歌曲コンクール」 について書いた25年前・39歳の時のエッセイを転載いたします。(文体等少し手を入れました) 21世紀日本...