所有権移転登記、自分でやってみました その3 2026年2月9日(月)

 ※このブログは、所有権移転登記、自分でやってみました その1その2をお読みになってからどうぞ 

昨夜は(?今日は)3時に寝たので3時間しか寝ていません。(理由はこちらなどを)でも元気です。今日は先日不備を指摘された所有権移転登記の不備を訂正に行きます。



















行ってみると色々違っていました。でも先日電話で担当すると言われたK田さんが一つずつ丁寧に教えてくださるので何の問題もありません。言われたとおりにするだけです。
・ここに二重線を引いてください
・その横に○○と書いてください
・訂正印をこことここに押してください
・お兄さんの書類預かります
・ここに日付入れてください
など。全部で10分かかったでしょうか。
そもそも表題から違っていました。
「所有権移転」ではなく「西野○○持分全部移転」でした。
帰って来てGeminiちゃんの作ってくれた文書を見ると
登記の目的:母 〇〇 〇〇 持分全部移転
と書いてありました。Geminiちゃんの指示通りちゃんと書けばよかったのです。(私はこのGeminiちゃんの言葉を「そういうことをするんだよ」という理由が書いてあるものと思っていました)
・・・というように、間違ってもかなり大丈夫なので、皆さん自分でやってみましょう。

<追記>
その日のうちに法務局から
「受理されました」
のメールをいただき、本当に完了しました。


2026年冬季衆議院選挙回想 その3 開票 2026年2月9日公開

※ このブログは 2026年冬季衆議院選挙回想 その1 その2 をお読みになってからどうぞ(このシリーズはこれで終わりです)

<大雪予報>
投開票日も大雪予報。当選の瞬間を近藤さんの事務所で見届けたいとは思うものの、七尾まで吹雪の中、車を走らせるのはちょっと怖いのが本音。テレビ応援にしようかな・・・。そんな時、かほく市議で近藤和也選挙対策委員(なのかな?)のT本さんからライン。
「IさんAさんが乗せてってと。西野さんも一緒に行きますか」
もちろん、お願いします!
T本さん、吹雪をものともしない、しかし、安全運転でゆっくり七尾事務所に到着。
19:00。
開票を見守る部屋にはすでに報道陣がたくさん。















<開票>
・20時、投票が締め切られると石川2区は早々当確。続いて石川1区も当確(ここは石川3区)
・21時半頃、朝日新聞のネット版が西田候補に当確をつける。他の新聞社は慎重姿勢
・23:15ころ。各社西田候補の当確を伝える
(最終:西田73034票 近藤64893票)
・近藤和也さん到着。敗退挨拶。比例復活を待つ
・23時半過ぎ、近藤さんの比例復活確定!
・23:58 近藤さん今度は比例復活お礼のあいさつ
「日付が変わる前に復活できてよかった。小選挙区での当選はならなかったけれど、これで国会で仕事ができます!」(惜敗率88.852%)












↓娘さんがfacebookに投稿されたご家族のお写真。嬉しそうでこちらも楽しくなります








































<帰宅>
19:00に事務所に到着して比例復活が出るまで、とても長いような短いような不思議な時間を過ごしました。途中眠い時間もありましたが、いつしか眠気も飛び、T本さんの車に乗せていただいて、おしゃべりしながら楽しく帰ります。もう2月9日になっていました。

我が家に到着したのは1:40。
チキンラーメンを食べました。

<全体の選挙結果>
今回の選挙は自民党圧勝で幕を閉じました。
元立憲民主からは西野真理でも知っている方々が落選。
(敬称略)
・小沢一郎
・枝野幸男
・岡田克也
・安住淳
・吉田晴美
・海江田万里

出典・時事通信2月9日

















<選挙を終えて、西野真理、本音のつぶやき>
・立憲公明連立?!それはないでしょう。近藤さんは応援するけど・・・。公明党の主張は理解できる面もあるけれど、やはり宗教が絡むと話が違ってきます。
・となると政党をどこにするか?実は中道ができる前から「チーム未来」に関心を寄せていました。中道結成が決まった時、「近藤さん、『チーム未来』に入ってくださらないかな?」と思っていました。今も思っています。ただ今回、チーム未来は北陸信越選挙区には立候補者を立てていらっしゃらなくて、どちらにしても投票はできませんでした。
・選挙報道でとても気になったのが「18,19歳の票がどこへ動いたか?」でした。石川県の場合、7割自民党。近藤さん、次回(4年後)はここへのテコ入れが必要ではないでしょうか。

<近藤和也プロフィール>
・石川県中能登町出身 1973年生まれ(2026年現在52歳)
・京都大学経済学部卒業
・野村証券採用面接で「10年経ったら辞めます」と言ったのに採用され、トップセールスマンに
・2007年、民主党に公募に合格して、石川県第3区の総支部長に就任。政治活動をスタート。1年後の2009年第45回衆院選初当選
・2012年、第46回衆院選。2014年第47回衆院選(惜敗率9割超)にて落選。それでも翌朝から月100回の辻立ち街宣を続け、20174年第48回衆院選にて比例当選(惜敗率97%)し、2期目の議員活動をスタート
・衆議院議員2期目の政治活動
4年間で本会議、委員会計46回登壇。
2020年:家畜伝染病予防法改正法、ため池整備促進法の成立に尽力。漁業法改定時、附帯決議で違法操業問題を明記させた。災害対策委員会野党筆頭理事として、2021年、義援金差押禁止法の成立に尽力。
・3期目の当選、政治活動
2021年第49回衆院選にて、比例当選(惜敗率95.11%)し、3期目の議員活動をスタート。農林水産委員会、災害対策特別委員会にて筆頭理事を務め、いくつもの法案を実現。能登半島地震において、地元議員として先頭に立ち、被災者によりそい続ける。
・4期目の当選
2024年第50回衆院選にて、投票締め切りの20時直後にNHKは近藤の当選確実を報じ、小選挙区(石川3区)で4期目の当選を果たした。
・5期目の当選
2026年第51回衆議院にて、選挙区で西田候補に惜敗。その後23時30分頃、比例復活で当選。

2026年冬季衆議院選挙回想 その2 車上運動員2日目~応援ボランティア  2026年2月9日公開

※ このブログは 2026年冬季衆議院選挙回想 その1 をお読みになってからどうぞ(その3まであります)

<車上運動員2日目 2026年1月31日>

①はまなすクリニックへ
今回の車上運動員は1月29日、31の2日間だけ。
実は先日から彼も息子も風邪気味で、私も咳が!1月30日17:30いつもの耳鼻科へ。
「先生、選挙カーに乗らなくちゃいけないんです。咳、止めたいんです!」
寺口奏子先生は、お目々ぱっちりでフレンドリーで相談しやすい先生。
「色々やってるね~」
強めの咳止めと鼻水止めを処方していただきました。

②事務所集合
7:10。1日目は1時間も早く着いたので30分遅く出発しようと思っていたら彼に
「雪、わからないよ」
と言われ、20分遅く5:20出発。6:20到着。

③異文化に触れる
解散が発表されると、立憲民主党と公明党が仲良しになり、「中道」になりました。そして近藤和也さんも中道にお入りになりました。そうなると、近藤和也さんの応援に旧公明党が加わります。
私が選挙カーに乗った1月31日、近藤さんは中能登町で街頭演説。その応援に立憲民主党(参議院にはまだ立憲民主党が残っているので)代表:水岡俊一さん、公明党(参議院にはまだ公明党が残っているので)代表:竹谷 とし子さんがいらっしゃいました。
その街頭演説の交差点にお集まりくださった皆さんの半数くらいが、前回選挙時の「近藤和也ファン」とは明らかに雰囲気が違います。また、私が石川県選挙管理委員会のシールが張られたビラ(シールが貼ってないと配ってはいけないのです)を配ろうとしていると一人の男性が
「半分配りますよ」
と、おそらく近藤事務所関係ではない聴衆の皆さんに配ってくださいました。









←このシールが大事









実は以前から思っていたことがあります。お辞めになった公明党の山口代表。彼はいつも選挙の時、他の政党代表者は声を枯らす中、ただ一人最後まで声帯の状態がいいのです。どうして?何か特別薬でも飲んでるのかな?と不思議でした。そこでニュースで流れる街灯演説報道を見てみると、(旧)公明党の議員(弁者)の方は皆さんシャウトしないのです。今回の街頭演説で竹谷さんは一瞬だけそういう声もありましたが、あとはずっと声帯の使い方がソフト。ほかの(旧)公明党の応援演説者も皆さん柔らかな声使い。これは勉強になりました。

④体の調子
私はちょっと辛いとすぐ休みます。体に鞭打って頑張るなんて、まあしません。でも今回はしました。31日午前中の辛かったこと。頭が痛い、喉が痛い、全体的に調子が悪い。薬の多量服用でやや吐き気もする。でも寺口先生に処方していただいた咳止めのおかげで、咳は何とか収まり、鼻は詰まるもののセーフレベル。咳止めを5時間おきに飲んで頭痛薬も飲んで、ごまかしつつ午後になると、どんどん調子は上向いてきました。

⑤グルメ運転手・浜谷直樹さん(実名承認済み)
今回の運転手・浜谷さんはバスの運転手さん。ワゴン車を軽4のように軽々運転。その車内での待ち時間で、食べ物の話になりました。すると浜谷さん、観光バスで日本中走っていらっしゃるので各地域の「安くておいしくて石川県でも手に入る食べもの」をたくさんご存じ。すぐにメモしました。
・橋栄醤油の淡口(大野のお醤油街にある)
















・トチオの油揚げ(新潟産、イオンかほくとAコープにある)


















⑥帰宅
1日目のM輪さんルートで帰りたかったのですが、あの時は何も考えずただついて行ったのでよくわかりません。吹雪の中ですから安全策を取り、来た道を帰りました。

<翌日>
①朝のお手振り
昨日の帰り際、秘書のK田さんから
「西野さん、明日の朝7:30、津幡のAコープ前でお手振りどうですか?」
乗り掛かった舟、行きましょう。
そこでお会いした昨日の運転手・浜谷さん。
「昨日の帰り吹雪いてたいへんだったね~」
「私は千里浜インタールートで帰りましたから、特に困りませんでしたけど・・・」
「それは正解。俺は上棚矢駄インターで帰ったからかなり大変だったよ」
※上棚矢駄ICまで行く道は山の中で、この時はここ辺りにかなり雪が降ったようです

濃い紫ルート 上棚矢駄インターコース
薄い水色   千里浜インターコース


















②朝のお習字タイム
退職後、書初めもしなくなって、お習字自体全くしていません。
今日は近藤さんがかほく市を回られる日。せっかくなので玄関前で何かして待ちましょう。
これ↓書きました。




















※これを持って待ち構えていたのに、街宣カーのスピードが速すぎて、玄関に出たときにはすでに向こうの曲がり角・・・(涙)

<出口調査>
2月4日(水)雪もひと段落したので、彼と母と3人で期日前投票に行ってきました。




















その会場入り口に、女性が一人。特にそれ以上考えず、投票を終えて出てくると先に終えた彼が
「出口調査の人いるよ」
あ~あの人、出口調査員さんだったんだ。これはブログのネタでしょう。
「出口調査お願いできますか?」
「前からやってみたかったんです。顔は写さないので、その胸のタグ『NHK出口調査員』写真撮っていいですか?ブログに載せたいので」
「それはちょっと・・・」
「調査、皆さん答えてくださいますか?」
「この地区の人は優しくて、結構答えてくださいます」
調査方法はアイパッドに出てくるアンケートの選択肢をタッチペンでタッチする方式。全国調査だからだと思いますが、「重視する政策」のような問いの選択肢に「震災復興」に関することはありませんでした。忘れられているのか、全国区の質問だからか・・・そうなるとますます近藤さんに頑張っていただくなくちゃ。

<ささやかな応援>
2月5日。車上運動員スケジュール表で、今日の午前中かほく市を車で回られると知っていたので、今度こそと朝から待ち構えていました。前回同様お習字をして。
前日、近藤和也応援ラインで「4000票負けている!」とのことでしたので、なんだか私もあせった気持ちになってきました。そんなところへ、政見放送を見た方から応援のライン。ありがたいことです。
結局この日も、家の前を通られることはありませんでした(涙)




















<電話ボランティア>
お昼頃から近藤和也かほく事務局へ電話ボランティアへ行きました。名簿の電話番号はすべて固定電話。かけてもかけても
「この電話は現在使われておりません」
我が家もとっくに固定電話は解約しています。この方式はそろそろ何とかしなければならないでしょう。
電話ボランティアに行ってちょっと良かったことは、そこでお知り合いになったかたへ、私のチラシを渡せたことかな。近藤さんご縁を作ってくださってありがとうございます。

<最終日 朝のお手振り>
2月7日(土)。今回の選挙戦、はじまってからずっと近藤和也の劣勢が伝えられています。私が手を振ったからどうということはないことはよくわかっていますが、せめての気持ち!朝のお手振りに行こうではありませんか。7:30、内灘清湖大橋のたもと。私は内灘中学校に延べ18年いたので、もしかすると一人くらい「あ!西野先生だ」と思ってくれる過去の教え子がいるかもしれません。

歩道にはまだガチガチ雪がいっぱい。
通り過ぎる車の50台に1台くらい手を振り返してくださる方がいらして、本当にありがたく感じられます。

<最後の近藤和也演説と電話ボランティアとお手振り>
本当にいろいろラストです。
12:00 かほく市の近藤和也事務所に街宣車到着。




















近藤さんの演説を聞き、近藤ファンの皆さんの激励を受けて次の街宣へ向かわれました。その後事務所で新聞社の人や集まった方とお話をし、電話。
16:30 かほく市高松町の交差点でお手振り。海風がまっすぐ吹いてくる交差点の寒いことと言ったら。それでも手を振り返してくださる方が結構たくさんいらしたのでとても励まされました。
これで私の応援はすべて終わりました。

←赤い看板の向こうを降りたところは海





雪のたくさん残る駐車場
















右の白いのが西野真理
https://www.facebook.com/share/r/1KMnbzBjFY/



2026年冬季衆議院選挙回想 その1 衆議院解散~車上運動員1日 2026年2月9日公開

※書き始めたのは2026年1月30日、2026年2月9日公開 (その3まであります)

「2026年冬季衆議院選挙」は西野真理が勝手に考えた名称。もちろん「冬季」はいりません。でも、積雪地域の住民にとって最重要事項は「選挙が冬であること」。これ以上の注目ポイントはありません。そして、その危惧が的中!選挙運動期間である12日間、わが石川県は(日本海側全般)強い寒波に見舞われ、かなりの積雪、吹雪の中選挙戦が繰り広げられることになりました。積雪だろうと吹雪だろうと、無職・自宅警備員の退職者西野真理にはたいして関係ないはず。でも、とっても関係あったのです。

<衆議院解散経緯>
・1月9日夜:読売新聞解散報道。誤報では?

西野真理がちょっと似ていると言われている高市早苗総理が衆議院を解散するんじゃないかという報道。・・・?「もしそうなら車上運動員のオファーあるかも」と、この時点で思い始める

・1月10日〜12日:高市総理沈黙。三連休中、官邸側は「ノーコメント」を貫く

・1月13日〜14日:自公連立するのしないの?

・1月14日:「立憲と公明が新党結成を視野に調整」というニュースが流れる。西野真理でさえ「そりゃないでしょう!」と思う。でもね、正直に書きますと、今まで一度も投票したことはないけれど、公明党の方針が一番自分の考えと近いことは自覚していて、ちょっと困ったことになったなと思う

・1月15日夕方:野田・斉藤両代表が国会内で会談し、新党結成に正式合意

・1月16日:新党名を「中道改革連合」(略称:中道)とすることを正式に発表
 もっと名前はなかったのかな?最初から「中道」だけでよくないですか?

・1月18日:どのメディアも「19日に首相会見、23日解散」と報道し始める

・1月19日:会見で「高市早苗が総理で良いのか、国民に決めていただく」と高市総理発言

・1月23日:衆議院解散

<車上運動員オファー経緯>
・衆議院議員近藤和也さんの選挙事務所M子ちゃん(わかる人にはわかりますが敢えて伏字)から「2つお願いがあります」とお電話。1つはもちろん車上運動員。もう一つは後述します。

・1月22日午前:運動員オファーとは関係ないことを一つ。近藤和也かほく事務所へ葉書シール貼りボランティアに行きました。黙々とシールを貼るって、長時間はきついけれど、2時間程度なら頭が無になり、貼った枚数という結果が見えて、なかなかいいです。

・1月23日午後:近藤選挙事務所のK田さんから「1月28、31日車上運動員お願いできますか?」とオファー。この短期間に様々な手配をしなければならない事務局の人たち、どんなに大変なことか。

・1月24日午後:「1月29、31日」に変更依頼

<お天気の心配>
私がお引き受けした29日は大寒波の予報。積雪の中、選挙事務所まで行き、帰宅できるか?これだけが心配と言っていいでしょう。1月後半からひたすら天気予報を確認。どんなサイトを見ても大雪は確実。早起きして時間をかけて行くしかありません。

<政見放送応援メッセージ>
先ほどの2つのお願いのもう一つがこれでした。近藤和也政見放送の応援メッセージ撮影。

2つ返事でOK。ただ、この時点で私はどういうものか全くわかっていません。30秒くらいしゃべれると思い込んでいました。結果3秒。これを自覚していなかったのは大きなミスであると後で気づきましたが仕方ありません。

撮影会社のSさんからお電話をいただいて打ち合わせした際
「西野の自宅内で」
ということに。私は一生懸命ピアノ部屋を片付け、1月22日午後からの撮影に備えました。この日は前日からの大雪で撮影スタッフの移動も大変そう。
14:20到着。早速ピアノ部屋へ。しかし、撮影済みのお二人が屋外撮影だったので、
「西野さんも外で」
と変更。結局玄関前。室内だと思ったので薄着。寒いですがこれも仕方ありません。
また、室内ならシワを効果的に飛ばせるいつもYouTube撮影に使っている照明もありましたがここではできません。このことも後になって、照明を持ち出せば良かったと思いましたが今更仕方ありません。
いろいろ仕方ないことだらけです。
出来上がった政見放送がこれ↓。最後の方にちょっとだけ出てきます。後悔はいっぱいですけれど、これでも63歳西野真理、とっても良く映っているのだと思います。撮影スタッフの皆さんありがとう。













~余談~
撮影スタッフは4人。その中のお一人が以前私と会っているとおっしゃいます。え、どうして?なんと、以前映画出演(?)したときのスタッフさんのお一人だったのです。(映画「遠くを見てみた」

<車上運動員1日目 2026年1月29日>
①事務所集合
「7:10七尾選挙事務所集合」前回2024年10月に運動員をお引き受けしたときの記録を見ると、通勤の渋滞もあって1時間10分かかっています。
明日は積雪、2時間前に家を出ることにして目覚ましを4時にセット。
1時間おきに目が覚め、そのたびに窓の外をのぞきます。
意外に降っていません。
でもやっぱり朝4時にはそれなりの積雪。

5時出発。車の前の除雪は何とか必要ない程度で一安心。それでも、かほく市から羽咋市辺りまではけっこうな雪。でも、すでに除雪が済んでいます。除雪作業の皆さん本当にありがとうございます。

また、羽咋市から一般道(それまでは自動車専用道路)に入ると、今度は消雪装置がかなりの区間整備されていて、こちらも問題なし。

さらに七尾市に近づくと、積雪量が半分以下・・・いえ、3分の1以下。

6時5分についてしまいました。もちろん事務所は開いていません。事務所ドアに貼られた駐車場案内図を見ても暗くてよくわからず、コンビニの駐車場まで移動してしばらく待機。6時半に秘書のK田さんにお電話。見つけられなかった駐車場を教えてもらって無事事務所到着。
7時30分、私を含め3人の車上運動員、運転手の4人で事務所出発、途中で候補者の近藤和也さんと合流し街宣スタート。

②運転手M輪さん
この日の殊勲賞は運転手のM輪さん。彼女は仕事柄たまに何らかの運転をすることがあるものの、選挙カーは初めてだそうです。

彼女の運転は安全であることはもちろんですが、なにより度胸があります。かなりの積雪、しかも新雪でタイヤを取られやすいのに、平常心で(平常心に見える)運転。残念ですけれど彼女はこの日だけの乗務で、もう彼女の運転する車に乗ることはないようです。

そうそう、M輪さんと私は初対面だと思ったのに、彼女は明らかに私を知っているという表情。お会いしてすぐ、
「政見放送ありがとうございました」
「!」
彼女は立憲民主事務局勤務で、私が参加した立憲民主セミナーのとき受付にいらしたのです。

③この日の様子
ほぼ雪が降り続いていました。2024年の時は10月だったので、それなりに有権者の方が玄関先に出てくださったり、窓から手を振ったりしてくださいました。でも、この寒さと雪で窓はぴったり閉められ・・・誰だってドア開けたくないですよ。それでも出てきてくださる方には、ウルッとするくらい感謝しました。






















④豪邸
途中トイレをお借りしたお宅には心底驚きました。豪邸です。あんまり驚いたので「写真撮ってもいいですか?」と聞くと、どうぞどうぞということだったので撮影させていただきました。この玄関だけで私の家の1階部分。正面に映っている木の何かは、規制される前の屋久島から持ってきたのだそうです。
お借りしたトイレは、我が家のお風呂くらいの大きさでした。



































⑤帰宅
思ったほど選挙事務所周辺は降っていなくて、駐車場の車が雪だるまってことはありませんでした。それでも少々の雪落としはして、さあ、帰りましょう。

実は先ほどのM輪さん、金沢市にお住まい。そうだ、彼女の車について行けば安心。彼女の車を追走する形で無事帰宅。

里山街道の途中から車がノロノロ運転になりました。事故でもあったのかなと思いましたが、止まることはありません。・・・なるほど、除雪車が先導して作業しながら進んでいたのですね。作業員の皆様ありがとうございます。

そうだ!2日目の帰りは一人で帰らなくちゃいけないからグーグルマップでM輪さんが進んでくださった道を調べておきましょう。・・・わかりませんでした。


所有権移転登記、自分でやってみました その2 2026年2月6日(金)

 ※有権移転登記、自分でやってみました その1   をお読みになってからどうぞ

翌日である本日、早速彼の携帯に法務局からお電話。つまり不備があったということです。でもちゃんと教えてくださるのですからありがたいことこの上ありません。

・署名のところに住所も必要
・義兄の戸籍謄本が必要
・義母の持分は4分の1だったので、費用はもっと安くなる(返金は郵便局で)
あとは書類を持って行けば法務局で何とかなるそうです。
※戸籍謄本(こせきとうほん)という言葉をずっと使ってきましたが、正式な別名は「戸籍全部事項証明書(こせきぜんぶじこうしょうめいしょ)」です。戸籍が電子化(データ化)されたことに伴い、従来の「謄本」という名称から、内容の全てを証明する書面としてこの名称に変わりました。 

それではこの続きは2月9日(月)までお楽しみに。
トウキツネも待ってるよ。

←ぬいぐるみの写真


所有権移転登記、自分でやってみました その1 2026年2月6日(金)

2026年1月8日、義母が泉下の客となったこともあって、1月はなんだか長かったな~などとホッとしつつ2月に入った先日の朝、急に頭に浮かんだことがありました。
「この家の土地の所有権って、義母さんが3分の1持ってたんじゃなかったっけ?」
すぐに彼に言うと、彼も同じようなタイミングで考えていたらしく
「そうなんだよ、兄貴からも『所有権、司法書士に頼んで移さなきゃいけないよ』って言われてたんだ」
・・・司法書士に頼んで?・・・
「私、自分でする」

<抵当権抹消手続き独力完遂>
私は過去に、抵当権抹消手続きというのを自分でやった経験があります。家のローンが終わった時に、その「借金の形」になっているこの家を銀行から自分たちに取り戻す手続きです。詳しくはこちらをお読みいただくとよくわかります。簡単に書くと、独力とは名ばかりで、親切なネット情報を見ながら割と簡単にやれてしまいました。
「あれができたんだからこれだってきっとできる!」

<我が家の事情>
私たちが今住んでいる家は、もともと中古住宅を購入し、その後のその家を壊して現在の家に建て替えました。購入時点で私たちはまだ20代。独力では購入できなかったので、義母の援助を受けました。その際、援助を受けたのに夫婦の名義にすると贈与税が大きいというので3人名義にしました。ですからもとは全体が私たちと義母の3人名義。しかし建て替えたことで家の部分の共同名義はなくなって、土地の部分だけが義母との3人名義のまま。義母が亡くなったため、その移し替えが必要となったのです。

<ネット検索>
2026年2月4日午後、早速取り掛かりました。
①まず、ネット検索
読むのが面倒ですが、ネットで何とかなることがわかりました。
②次にYouTube
西野真理程度の頭でもわかるようにとても親切に解説してくださっているものがたくさんあります。それぞれお好みもあるでしょうから、色々ご覧になるとよいでしょう。YouTubeで概要はつかめました。
③あ、そうだ、Geminiちゃんに頼めばいい!

<Geminiちゃんへ質問>
①最初の質問
私たちの家の土地は、母との共同名義になっています。先日母が亡くなったため、母の名前を外したいと思います。やり方を教えて。

Geminiちゃんの回答
手続きの全体的な流れ
一般的には、以下の4つのステップで進めます。

・遺言書の確認 母が「誰に相続させるか」を記した遺言書を残していないか確認します。
・相続人の確定と話し合い 遺言がない場合、誰が母の持分を継ぐかを相続人全員で話し合い、「遺産分割協議書」を作成します。
・必要書類の収集 戸籍謄本や住民票、固定資産評価証明書などを集めます。
・法務局への申請 不動産の所在地を管轄する法務局へ「登記申請書」を提出します。

~必要書類~
1 被相続人(母)の除籍謄本 本籍地の市区町村 出生から死亡までの連続したもの
2 相続人全員の戸籍謄本 本籍地の市区町村 現在のもの
3 新名義人の住民票 住所地の市区町村 新しく名義人になる方のもの
4 遺産分割協議書 ご自身で作成 相続人全員の署名・実印の押印が必要
5 相続人全員の印鑑証明書 住所地の市区町村 協議書に添付します
6 固定資産評価証明書 市役所の税務窓口 登録免許税(税金)の計算に必要

相続は彼一人にした方が楽なのでそうすることにし、その日のうちに市役所へ。受付のお姉さんに私が取れるものとそうでないものを教えていただいて、市役所の税務課で6を、市役所にあるコピー機(?)で2,3,をプリントアウト(窓口より安い)、さらにGeminiちゃんに聞いて、いとも簡単に4を作成。
この日西野真理、頑張りました。
残りは私では取れないので、彼や義兄にお願いします。

②次の質問
不動産の登記申請書を作ってください。土地の共同名義だった母が死亡し、それを夫が相続します。

Geminiちゃんの回答
所有権移転登記申請書(相続)
登記の目的:母 〇〇 〇〇 持分全部移転 原因:令和〇年〇月〇日(お母様が亡くなった日) 相続 相続人:(被相続人 母 〇〇 〇〇)     
(住所)〇〇県〇〇市……     
(氏名)〇〇 〇〇(ご主人の名前) ㊞     
 連絡先の電話番号:090-xxxx-xxxx

添付情報:

登記原因証明情報(遺産分割協議書、戸籍謄本一式など)

住所証明情報(ご主人の住民票)

令和〇年〇月〇日申請 〇〇法務局(又は支局・出張所) 御中

課税価格:金 〇〇〇万円 (※固定資産評価証明書の価格に、お母様の持分を掛けた金額。1,000円未満切り捨て)

登録免許税:金 〇〇,〇〇〇円 (※課税価格の 0.4%。100円未満切り捨て)

不動産の表示:

不動産番号:1234567890123(※権利証や登記事項証明書に記載があります)

所在:〇〇市〇〇町

地番:〇〇番〇

地目:宅地

地積:〇〇.〇〇平方メートル

<法務局へ>
2026年2月5日、彼もさっさと動いてくれて、お昼過ぎには義兄のところへ行き、必要書類をそろえてくれました。
あとは法務局へ行くだけです。

金沢市新神田の法務局へ入り彼がトイレへ行っている間にウロウロしていると、受付のかわいい女の子が声をかけてくれました。
「どうされましたか?」
事情を話して、書類を出して、必要な金額分の収入印紙を貼って終わり。え?もう終わりなの?って感じです。
今後もし書類に誤りや不備があれば2月16日までに連絡が来ます。連絡が来なければOKということ。つまり何かあっても法務局さんがちゃんと教えてくださるということ。何かあったら何度でも来ますよ!という大船に乗った気持ちになりました。

法務局のマスコット、トウキツネ(登記+キツネ)。受付にぬいぐるみが置いてありました。本当はここで写真を撮りたかったのですが、「スマホの使用禁止」と書いてあったので、ネットから。













<もし司法書士さんに頼んだら>
義兄はもっと複雑だったので司法書士さんに色々お願いしたところ、10万円ほどかかったそうです。

目黒蓮着用FENDIのニット 2026年2月2日(月)

昨夜の黒柳徹子・徹子の部屋スペシャルに目黒連が出演していました。目黒蓮がFENDIのニット(最初私はトレーナーだと思いました)を着用していたので、すぐに目黒蓮推しの睦子ちゃんにライン。
「FENDIのトレーナー買わなくちゃね」
すぐに睦子ちゃんから返信。
「お高くて買えません」
返信を見て、高いと言っても目黒蓮推しの睦子ちゃん、3万円位なら買えるじゃないかなと思いつつ、やや冗談も込めて
「高いのね、10万円位かな?」
すると
「ニットだから何十万円もすると思います。10万円じゃTシャツも買えないんです」
何ですって!!!
公式サイトを調べました。
21万7800円。中古の軽4買えますね。












ついでに見つけたベビー服。7万5900円!



クリームチーズって? 2026年1月28日(水)

1つ前のブログでクリームチーズらしきものを作ったことを書きました。・・・じゃあ、クリームチーズっていったいなに?ここはGeminiちゃんでしょう。

<質問>
「クリームチーズは、塩こうじとヨーグルトでできる」というレシピを見て作ってみました。確かにそのようになりました。では一体、クリームチーズって何なんでしょうか

<Geminiちゃんの回答>

手作りクリームチーズの成功、おめでとうございます!あの「濃厚でまろやかな塊」が身近な材料で出来上がると、ちょっとした魔法みたいで感動しますよね。

結論から言うと、あなたが作ったものは「クリームチーズ風の乳製品(あるいはフレッシュチーズの一種)」です。

なぜ塩こうじとヨーグルトでクリームチーズが再現できたのか、そして本来のクリームチーズとは何なのか、その正体を紐解いてみましょう。


1. そもそも「クリームチーズ」の定義とは?

本来のクリームチーズは、牛乳に「生クリーム」を加え、乳酸菌で発酵させて固めたあと、水分(ホエイ)を除去したものを指します。

  • 特徴: 熟成させない「フレッシュタイプ」のチーズ。

  • 成分: 脂肪分が非常に高く(製品によりますが33%以上など)、バターのような滑らかさと酸味が特徴です。

2. なぜ「ヨーグルト+塩こうじ」で再現できたのか?

今回のレシピは、化学的・味覚的に非常に理にかなっています。

  • 水切りのマジック: ヨーグルトの水分(ホエイ)を抜くと、タンパク質と脂肪分が凝縮され、食感がクリーミーになります。これがいわゆる「水切りヨーグルト」です。

  • 塩こうじの役割: ここがポイントです。本来のクリームチーズにある「乳製品特有のコク」と「奥行きのある塩気」を、塩こうじの酵素(プロテアーゼ)が補っています。

    • 塩こうじがヨーグルトのタンパク質を分解して旨味成分(アミノ酸)に変えるため、ただのヨーグルトよりも「チーズらしい濃厚さ」が生まれるのです。

3. 「本物」と「手作り」の違い

厳密に言えば、以下のような違いがあります。

項目市販のクリームチーズ今回の手作りレシピ
主な原料生クリーム + 牛乳ヨーグルト + 塩こうじ
脂肪分非常に高い(こってり)低め(さっぱり・ヘルシー)
味わい濃厚なミルク感発酵による複雑な旨味と酸味

塩こうじヨーグルトクリームチーズ 2026年1月28日(水)

今回は成功。
今回はと言いますのは、前回はクリームチーズを作ろうとして失敗したということです。(リンク参照)
前回のものは手間のかかる割に美味しくありませんでした。しかし今回のものは、手間もかからず、これが本当にクリームチーズなのかどうかはっきりしませんけれども、私のような味覚の冴えていない人間には「クリームチーズですよ」と言われてわからないレベルでした。

<材料>
ヨーグルト 400g(私はビヒダス。多分何でもいい)
塩こうじ  35g (私はヒガシマル。多分何でもいい)












<作り方>
①材料を混ぜる
②キッチンペーパーに包んで水分を抜く(ビニール袋に入れたお水を重しに)
 ※ここは問題あり。これがすぐ破れる!
  別の動画で、サランラップ状になったガーゼを使っている人を見ました。
  これはとってもよさそう。でも売ってるの見たことない。欲しいです。
↓ブログ公開後に見つけてネット注文しました!
















③2~3時間して水分が抜けたらよく混ぜて出来上がり
 ※ここの「よく混ぜて」大事!私はよく混ぜなかったので、麹の粒々が残りました。
  この粒々はないほうがおいしく感じると思われます。

私はこれにアガベシロップを入れてみました。普通においしいです。パンに塗るととってもいいんじゃないかなと思いました。






 

耳閉塞感、鼻詰まりにカチューシャ?・・・個人の感想とGeminiちゃんの回答 2026年1月24日(土)

2026年1月後半、石川県は強い寒気にさらされています。
↓イオン駐車場の除雪の山を撮影してみました。






ニュースでそういう情報をご覧になる他地域の方は
「積雪が大変ね」
とご心配くださっていることでしょう。確かにそれはあります。でも、実はそれに伴って、いや、伴わなくても、石川県の冬は風が強烈なのです。台風以上に思われることもしばしば。そんな中外へ出ると髪ぐちゃぐちゃ。
そこで昨日思いついて3COINZでカチューシャを買いました。300円です。

家へ帰ってすぐに装着し、洗濯物の前で回しているサーキュレータ前に頭を突き出してみました。よし!

しばらくして
「あれ?鼻の通り良くない?耳鳴りも少し弱い気がするんだけど・・・」
私は鼻炎持ちで常にどちらかの鼻が詰まっていますし、耳鳴り、耳の閉そく感はもう5年以上だと思います。

朝になりました。
着替えてカチューシャ装着。
暫く経って・・・やっぱり鼻の通りがいい!耳の閉そく感も少ない。

ただし、ちょっと首コリ、肩こり発生!
どっちとるですね・・・

これはGeminiちゃんに聞くしかないでしょう。
※Geminiちゃん、時々間違えますし、システム上、知らないのに知ってる風に嘘をつくことがありますから、信頼しすぎには十分ご注意ください

質問
耳鳴りが長年続いています。
昨日、ヘアセットのためにカチューシャを買って頭に付けました。すると、鼻の通りがよく(もともと鼻炎持ちで鼻の通りが悪い)耳鳴りが軽減したように感じました。気のせいですか?

Geminiちゃんの回答

長年続いている耳鳴りが、カチューシャをつけたことで軽減されたとのこと、驚きとともに少しホッとされたのではないでしょうか。

結論から申し上げますと、それは「気のせい」ではない可能性が十分にあります。カチューシャによる頭部への圧迫が、いくつかの身体的メカニズムに作用したと考えられます。

考えられる主な理由は以下の3点です。


1. 蝶形骨(ちょうけいこつ)への刺激

鼻の奥には「蝶形骨」という、顔の骨格の土台となる蝶のような形をした骨があります。カチューシャをつける位置(こめかみ付近)は、この骨に間接的に圧力をかけやすい場所です。

  • 鼻の通り: わずかな圧迫で骨の歪みが調整されたり、鼻腔周辺のスペースが確保されたりして、通りが良くなることがあります。

  • 耳鳴り: 耳の奥の構造(中耳など)は蝶形骨と近接しているため、骨のバランスが変わることで耳への圧迫感が抜け、耳鳴りが和らぐことがあります。

2. 筋肉の緊張緩和(トリガーポイント)

耳鳴りの原因の一つに、頭の横にある「側頭筋」の過緊張があります。

  • カチューシャの圧迫が、図らずもツボ押し(指圧)のような効果をもたらし、筋肉の緊張をほぐした可能性があります。

  • 顎関節(あごの関節)周りの緊張も耳鳴りに影響するため、カチューシャで頭蓋骨全体の締め付けバランスが変わったことがプラスに働いたのかもしれません。

3. 耳管(じかん)への影響

鼻と耳は「耳管」という管でつながっています。

  • 鼻炎で鼻の通りが悪いと、耳管の働きも悪くなり(耳管狭窄など)、耳鳴りが起きやすくなります。

  • カチューシャによって鼻の通りが改善された結果、耳の換気がスムーズになり、耳鳴りが軽減したという連鎖反応が考えられます。


注意点とアドバイス

一時的に楽になるのは素晴らしいことですが、以下の点に気をつけてみてください。

  • 締め付けすぎに注意: 長時間強い力で締め付けると、逆に血行不良から頭痛や肩こりを引き起こすことがあります。「心地よい」と感じる範囲に留めてください。

  • 根本的なケア: カチューシャで楽になるということは、「骨格の微細なズレ」や「筋肉のこり」「鼻の詰まり」が耳鳴りに大きく関与しているというヒントになります。

もしよろしければ、カチューシャをどのあたり(おでこに近い方、あるいは耳に近い方など)につけた時に一番効果を感じたか教えていただけますか?それによって、より具体的なセルフケアの方法を一緒に考えられるかもしれません。


西野真理のGeminiちゃんへの答え
カチューシャが主に圧迫しているのは、耳の後ろの骨のあたりかと思います

耳の後ろの骨のあたりですね。そこは専門的には「乳様突起(にゅうようとつき)」と呼ばれる部位のすぐ近くです。

カチューシャがその周辺を圧迫して耳鳴りが軽減したとなると、非常に興味深いメカニズムが推測できます。


耳の後ろへの圧迫が効いた理由

1. 側頭骨(そくとうこつ)のバランス調整 耳の後ろの骨は「側頭骨」の一部です。ここは耳の器官(鼓膜や内耳)を包み込んでいる非常に重要な骨です。

  • カチューシャによる適度な圧力が、わずかに内側に傾いたり歪んでいたりした側頭骨のポジションを、あなたにとって「耳の機能が正常に働きやすい位置」へ押し戻した可能性があります。

2. 聴覚に関連する筋肉へのアプローチ 耳の後ろには、首を支える大きな筋肉(胸鎖乳突筋)や、耳の周りの細かい筋肉が付着しています。

  • これらの筋肉が緊張すると、耳の中の小さな筋肉までこわばり、耳鳴りを引き起こすことがあります。カチューシャの先がそこを抑えることで、「筋膜リリース」のような効果が生まれ、耳の奥の緊張が解けたと考えられます。

3. リンパと血流の促進 耳の後ろにはリンパ節が集中しており、血流も複雑に入り組んでいます。

  • 鼻炎持ちの方は、耳周りの循環が滞りやすい傾向があります。カチューシャの圧迫とその後の解放によって、滞っていた血流やリンパの流れが一時的に改善され、鼻の粘膜の腫れが引いたり(=鼻が通る)、耳の不快感が減ったりした可能性があります。


日常で試せるヒント

カチューシャをずっとつけていると頭痛の原因にもなりかねませんので、代わりに以下のような「手でのケア」を試してみるのもおすすめです。

  • 耳の後ろのセルフマッサージ: カチューシャが当たっていた骨のあたりを、指の腹で優しく円を描くようにほぐしてみてください。

  • 耳を引っ張る: 耳たぶを軽く持ち、横や斜め後ろにじわーっと引っ張ることで、側頭骨周辺に隙間を作り、鼻の通りを助けることができます。

もし、カチューシャを外した後にすぐ症状が戻ってしまうようであれば、「顎(あご)の噛み合わせ」や「首の凝り」も深く関係しているかもしれません。


西野真理さらに質問
関連して考えると、ハチマキも意外に効果があるのかもしれませんね

その通りですね!おっしゃる通り、ハチマキもカチューシャと同様、あるいはそれ以上の効果を発揮する可能性があります。

実は、頭の周りを一定の圧力で締める行為には、医学的・身体構造的にも理にかなったポイントがいくつかあります。


ハチマキが耳鳴りや鼻詰まりに効くかもしれない理由

1. 頭蓋骨の「遊び」を締める 頭蓋骨は20枚以上の骨がパズルのように組み合わさっています。ストレスや疲れでこの継ぎ目(縫合)がわずかに緩んだり広がったりすることがありますが、ハチマキで均等に圧をかけることで、骨格が本来のタイトな状態に安定します。これが鼻腔の広さや耳の圧迫感に良い影響を与えることがあります。

2. 「圧向反射(あつこうはんしゃ)」の利用 体の一部を圧迫すると、反対側の血流や神経に影響が出る反応があります。頭部を鉢巻でぐるりと締めることで、顔面や鼻の粘膜の血流が変化し、鼻の腫れが引いて通りが良くなるという現象は十分に考えられます。

3. 集中力と自律神経への作用 「ハチマキを締めると気合が入る」というのは精神論だけではありません。頭部への適切な圧迫は、自律神経を刺激し、副交感神経と交感神経のバランスを整える効果があると言われています。耳鳴りは自律神経の乱れで増幅されることが多いため、ハチマキによる安定感がリラックス効果を生み、耳鳴りの音量を下げている可能性もあります。


ハチマキを試す際のポイント

カチューシャと違って、ハチマキは**「締める位置」や「強さ」を自由に変えられる**のがメリットです。

  • 位置: 耳のすぐ上を通るように巻くと側頭骨に、おでこの中央を通ると前頭骨に作用します。

  • 強さ: 強く締めすぎると「緊張型頭痛」の原因になるので、「頭がシュッと軽くなる」程度の強さが理想です。

現代版ハチマキ?

最近では、頭痛緩和やリラックス用に「ヘッドバンド」「アイマスクを兼ねたヘッドラップ」などを使う方も増えています。これらはハチマキと同じ原理で、頭部を優しく包んで圧をかけるものです。

もしハチマキを試してみて、カチューシャよりも「ここを締めると鼻が通る!」というピンポイントな場所が見つかったら、そこがあなたの身体の「スイッチ」かもしれません。

恩人・麻田恭一さんからのプレゼント(長文です) 2026年1月22日(木)

<はじめに(終わった後に)>
今回のブログの<はじめに>は、実は<おわり>に書いています。この後の本当の<はじめに>書いているように、ろくに知識もなくとにかく書いてしまったので、世界公開する前にまずは麻田恭一さんにチェックしていただこうとメール送信しました。
すると3時間ほどのちに赤で加筆したものを返信してくださったのです。
これは願ったりかなったり!!!
まさに私が知りたかった部分です。
そういうわけで、赤加筆の部分をそのままお借りして世界公開いたします。

<はじめに(本当の)>
本日、麻田恭一さんからプレゼントをいただきました。そこでこのチャンスに、麻田さんが恩人である理由を書き残すことにしました。おそらく長文になります。しかも内容は私自身がよく知らないことが多い上に、断片的な知識を勝手につなぎ合わせて、しかも時系列がかなりぐちゃぐちゃです。以前書いていることの繰り返しの部分もかなりあります。そのあたり我慢しつつお楽しみいただけると幸いです。

<奏楽堂日本歌曲コンクール敗退・入賞の歴史
 1998年 36歳 第9回(初出場)1次予選敗退(198人中67位・通過45人)
 1999年 37歳 第10回(2回目)1次予選敗退(203人中56位・通過45人)
 2000年 38歳 第11回(3回目)1次予選通過(198人中30位・通過45人)
                2次予選敗退( 45人中16位・通過11人) 
 2001年 39歳 第12回(4回目)1次予選敗退(198人中49位・通過47人)
 2002年 40歳 第13回 (5回目) 1次予選通過(223人中20位・通過50人)
                 2次予選通過(50人中7位)
                 本選入選(11人中6位)
 2003年 41歳 第14回(6回目) 1次予選通過(183人中18位・通過49人)
                  2次予選通過(49人中4位)
                  本選2位(8人中)

<見知らぬ人からのFAX>
 2002年、本選で入賞。帰宅後、自宅に知らない人からFAXが。

この知らない人が麻田恭一さんです。

<2002年に書いたエッセイから終わりの部分を抜粋>
2002年5月29日、勤務を終え家へ帰るとFAXが届いていました。
「堀田恭平」という見知らぬ人物からのFAXは、大変嬉しい内容ではありましたが、疑問が多すぎ!
 ・この人を知らないはずなのに、何となく名前に見覚えがある
 ・このような雰囲気の文章をどこかで読んだことがある
 ・文章がうますぎる
 ・このような人物に売った覚えもないのに、この人は私のエッセイを読んでいる
 ・音楽的にただの素人ではない
 ・名前は堀田恭平なのに、発信先の名前(FAXに勝手に機械が書き込む名前)はA
  さん

そこでインタ-ネット検索すると・・・・・・・・
「ははあ、なるほど」
関先生のCDの推薦文を書いている人。しかし、疑問は残ります。なぜその人が私のエッセイをお読みになっているのでしょうか。
「・・・・・・・あっ!これ、堀内さんだ」
私はこう推理しました。
 「堀田恭平は堀内さんのペンネ-ム。堀内さんが(音楽之友社の事業部長で、関定子先生のマネージャー)、Aさんの家からFAXした」
と。
すぐに堀内さんに電話。
私の推理は見事に外れていました。
堀田さんは堀内さんの友人Aさんのペンネ-ム。堀内さんが私のエッセイをAさんにも貸出。コンク-ルも聴きに来ていらっしゃって、私のことをとても気に入ってくださったのだそうです。そのFAXの半分は、もったいないほどの褒め言葉。残り半分にはAさん手作りの表彰状。あんまり嬉しいので、その表彰状をここに披露させていただき(上の写真)今回のエッセイを終わらせていただきます。

<麻田さんのお父様>
ここが今回のメインとも言えるところ。その割に知識がいい加減というか断片的というか、結局正しくないかもしれないというか・・・。もしそんな部分があれば、きっと麻田さんがご指摘くださると思います。ですからこのブログ、時を空けて何度かお読みになることをお勧めいたします。(・・・と書きましたが大丈夫、チェック済みです)

麻田さんのお父様(この後、麻田父 と書きます)は、数年前に90歳以上の長寿を全うしてお亡くなりになっています。

満洲のハルビン学院(ロシア語教育で有名)を卒業した麻田父は、終戦後ハルビンでソ連軍による日本人狩りに遭い、「日本へ帰してやるから列車に乗れ」と大勢の日本人ですし詰めの無蓋車(屋根のない貨車)に乗せられました。
一昼夜走った頃、北に向かっていることに気がついた麻田父は、すぐに行動に出ます。深夜一人で貨車から飛び降りたのです。
三日かけて徒歩でハルビンに戻り、紆余曲折の後日本に帰ったのは一年後のことでした。

お父様があの時列車から飛び降りてくださらなかったら、その後、麻田さんがお生まれになることがないことはもちろん、これから書くこと(先に書いたことも)の全てがなかったのです。

~ハルピン学院 Wikipedia情報~
概要
設立当初は外務省所管の旧制専門学校であったが、1940年以後は満洲国所管の国立大学となった。日露間の貿易を担う人材養成を標榜した。
沿革
1920年9月24日:日露協会(1907年発足)によって日露協会学校としてハルピン市に設立。
1932年4月:ハルピン学院と改称。
1940年3月:大学に昇格し満州国立大学ハルピン学院と改称。修業年限4年
1945年8月:日本の敗戦に伴い解散。
1999年4月:ハルピン学院同窓会幕引き。同時にハルビン学院連絡所(新宿区原町1-28 恵雅堂出版内)が事務処理を引き継ぐ

西野真理の疑問:「ハルン?」「ハルン?」

<関定子へのオファー>
話しは変わります。私の師匠・関定子は、ヨーロッパで6つのコンクールに入賞を果たし帰国したものの、ステージはほぼありませんでした。そのころのことを象徴的に表す言葉として
「ストーブの前に座り続けた」
これは今読んでもウルッとします。
そんな関定子にわずかなステージがかかります。そのステージとは・・・

無蓋車から飛び降り帰国したあの麻田父の経営されるロシアレストランでの、ロシア民謡のコンサートのゲスト出演でした。私はどういう経緯で関定子にお声がかかったのか知りませんが、関定子の声に魅せられた麻田父は、なんと子供の頃から好きだった山田耕筰のコンサートをもちかけたのです。「得意です」という関定子の返事を聞くと、麻田父は「ロシアレストランで山田耕筰なんて」と反対する息子を押し切って「山田耕筰の夕べ」を始めます。

↓ロシアレストラン チャイカ     http://chaika.co.jp/info
















また同じころ(?)関定子はそれまで歌ってきたイタリアオペラ等の他に、日本歌曲も堪能であることが、のちに関定子のマネージャーになる堀内さんの目に留まります。とにかく幸運の女神が微笑み始めたのです。

<山田耕筰100曲>
そして何回かの「山田耕筰の夕べ」ですっかり関定子にはまってしまった麻田父子は
「関定子に山田耕筰を100曲歌わせてCDを発売しよう」
という暴挙に出ます。CDを作ったこともない出版社なのに。




書くのを忘れていました。麻田父の本業は「恵雅堂出版」の社長さんなのです。そしてこのCDを作ったこともない会社の出したCDは、
・第1集(42曲)《'93年レコード芸術誌特選盤》
・第2集(58曲)《'94年日本レコードアカデミー賞受賞》
を受賞します。すごいことです。
麻田さんによりますと、
「すごいのは、無名のレーベルで受賞できた関定子と塚田佳男の力」とのことでした。
また、麻田さんによりますと
「麻田家の車の中ではある時期いつも関定子のCDがかかっていて、うちの子どもたちは日本一関定子を聞いている」
これもすごい。

<師匠・関定子と西野真理の出会い>
関定子関定子と、もう何度も登場していただいています。でも改めて私と師匠・関定子の出会いを書いておきましょう。

最初は福光声楽セミナー
私は関先生のクラスではありませんでした。それでも強烈な印象で高ぶった気持ちを抑えられず
「こんなすごい人を見た!」
と、夏休み明けの授業全てで(セミナーは夏休みに開催されていました)生徒に報告した覚えがあります。
その後も毎年参加しましたが、私は関先生のクラスになることはありませんでした。
そんなころ(30年近く前でしょうか、1996年前後)、富山県の小松さんが関先生を富山にお招きしてのレッスン会を組織し、活動を開始。その会の初期に、たまたまレッスン枠が空いていて、誰か受講したい人はいないかと、やはり福光声楽セミナー受講者で金沢市在住の土屋さんにお声掛け。セミナーで仲良くなっていた私を思い出してくださった土屋さんは、「西野真理は関先生の教え方に合うのでは」と、私にお電話をくださいました。

一方西野真理はと言えば、以前に○○会にちょっとだけ所属し痛い目にあっており
「2度と○○会と名の付くものには所属しないでおこう」
と心に誓っていました。しかし、その時お電話をいただいた内容を私は勘違いして、このとき1度だけの特別なレッスン会だ思い、それならと参加。小松さんと土屋さん、そして勘違いのおかげで私は無事、関先生の教えを受けるルートに乗れたのです。

<コンクールへの挑戦でいよいよ出会いが!>
関先生のご指導を受け始めて、ちょっとはうまくなったかな?・・・いやいや、いい気になってはいけないとコンクールを受け始め、このブログの最初にあるように、他のコンクールも含めてどんどん落ちました。
そして40歳、麻田恭一さんとの出会いが訪れます。誰だか知らない、でも私の歌をとても評価してくださる方からのFAX。

その後、奥様の牧さんともお知り合いになりました。石川県で開催の美女コンにもご夫妻でおいでくださって、近所の民宿で夕ご飯をご一緒したりと、今もお付き合いが続いています。

<麻田恭一さんからのプレゼント>
ここまで書いてやっと「恩人」の意味をお判りいただけたかと思います。
その恩人の麻田さんから2026年1月12日メールをいただきました。

今、我家は住み慣れた2階から1階への引越しの準備で頭を悩ませています。
まず本の移動から手をつけたのですが、平井康三郎(5冊セット)、橋本国彦、團伊玖磨ほかのCD制作の際に買った楽譜が出てきました。
楽譜の読めない私にはまったく不要なので古本屋に売るか廃棄しようと思ったのですが、一応真理さんに聞いてみようと思った次第。
要るということでしたら宅急便でお送りしますので。

もちろんいただきます!

それが本日届きました。
豪雪の中、石川県へようこそ。
せっかくなので豪雪の中写真を撮ってみました。



以上、私のあまり正確ではないかもしれない今日のブログ、お楽しみいただけていると嬉しいです。(すでに麻田チェック済みなので大丈夫)

<追記>
麻田恭一さんは(も 麻田父)ロシア語習得者。
そうだ、リムスキー・コルサコフ作品の訳詩をしたこと、麻田さんにお伝えしておきましょう。私としてはとても無邪気な発想。
ところが、考えてみれば当然ですが、ちゃんとロシア語のお出来になる方には、ロシア語の子音たっぷりの発音を日本語にしてメロディーに乗せるのは、かなり抵抗がおありになると見受けられます。
私の訳詩に次のようなご意見をいただきました。

子音いっぱいのロシア語(英語でもイタリア語でもドイツ語でもそうですが)を母音主役の日本語で決まった音節の中に移し換えるのが土台無理な話であることをあらためて痛感します。
結論を言えば、原詩の気持ち、雰囲気を十分読み込んだ「翻案」しかないと思いますが、訳詩がすでに「翻案」気味だと、それをさらに「「翻案」すると原詩からかなり離れてしまう可能性があります。

たとえば川本さん訳の最初の2行ですが、
夜の闇の中で私が秘かに何を夢見ているか (→闇の中で夢見ることも) 
  昼の光のもといつも私が何を考えているか (→光の中思うことも)

1行目の最重要のイメージは原詩では「夜のしじま」「夜の静けさ」ですが、訳者は1行目を2行目の「昼の光」に寄せて「夜の闇」としています。
下記が私のフィルターを通してですが、原詩に近づけた訳です。(4行目以下は泥沼にはまりそうなのでやめます。中途はんぱですみません)

夜のしじまの中で密かに私が夢想していること
昼の光のもと絶えず私が思い巡らしていること
それは誰にも、お前にだって秘密なのだ、私の詩よ、

今後、ロシア詩の訳詞の際、ご要請があれば「行の中で何が一番大事なイメージか」の情報提供に協力しますので。

歌の師匠は関定子。
64歳を間近に、ロシア音楽の師匠を持つことになりました。
今後の西野真理ロシアもの訳詩にもご期待ください!


 

最後の丘村クリニック 2026年1月21日(水)

このブログをお読みいただいた前提で進めます。

1月末閉院が決定している丘村クリニックへ行けるのは今日が最後です。






























和菓子屋さんで本ほんの気持ち、お土産を買って行きました。
いつも1か月に1度出していただいていたお薬をこちらでいただくのもこれで最後。
特別重病ではないですけれど、1か月に1度、先生のお顔を見て、ちょっとした雑談をして、時に調子が悪い時は別のお薬もいただいて。一番よくいただいたのは喉関係の漢方薬。先生はいつも一言
「歌いすぎ」
その通りです。
「先生、コンサートに来てくださいよ」
3月のチラシをお渡ししました。でも先生、車の免許を返納され、駅まで遠いこの場所からコンサートを開催している宇野気駅まで来ていただくのはなかなか難しいかもしれません。
今日は最後に先生から
「これからどんどん活躍しなきゃ」
先生もどうぞお元気で。
本当は今日も一緒にお写真を撮りたかったのですけれど、泣きそうなのでやめました。
前回の写真をもう一度貼り付けます。



ツェムリンスキー 2026年1月20日(火)

<西野真理の訳詩事情>
ツェムリンスキーについて書く前に、私の訳詩事情を書いておきます。

2023年にシューマン作曲「詩人の恋」全16曲を訳詩終えたことで弾みがつき、2025年末時点で訳詩総数306曲。1曲または1組曲終わるごとに次の曲を探しては訳し続けてきました。しかし、訳詩300曲を超えた今、簡単に次の曲を探せなくなってきました。

訳詩を始めたとき私は周囲にこんなことを言っていました。
「私にとって訳詩は
・無料でできる
・いつでもどこでもできる
・訳詩曲はほぼ無尽蔵で、すぐ探せる
という、これ以上ない退職後の趣味」
このことは今も変わっていません。でも「すぐ探せる」の部分が困ったことになってきました。確かに「ほぼ無尽蔵」ではあるのです。
訳してみたい順で考えると
第1位 どなたでもご存じの曲
第2位 たくさんの歌手がお歌いになりたいであろう曲
第3位 マニアックだけれど、どなたかのコンサートで聴いたことのある曲
第4位 クラシック関係者の間ではそれなりに知られた曲
第5位 聞いたことはないけれど、曲名だけは「あ~知ってる」という曲
第6位 作曲者、作詞者、曲名、を見て「面白そうだな」と直感した曲
となります。
しかし、これらが尽きてきて、すぐ探せないのです。
しかもこれらの頭に実は「ドイツリートで」を西野真理の脳内でつけています。と申しますのは、私は長くイタリアもの、フランスものを勉強してきて(と言ってもイタリア語もフランス語もわかりません)それらの曲は原語の発音で記憶してしまっているので、(・・・いや、言うほど記憶していませんけれど)ほぼ勉強していないドイツ語の方が抵抗なく訳せるからです。(と言っても、イタリア、フランスものも訳していますし、訳したくないわけではありません)

<勘違い>
そんな次の訳詩曲を探していた2026年年明け、訳したい順第6位に当てはまるブラームスの曲を発見しました。楽譜は著作権切れの楽譜を集めたペトルッチからダウンロードできるはず。ペトルッチのサイトにアクセスし、全6曲の楽譜全てをプリントアウトしました。そしてYouTubeでその曲を探し、楽譜を見ながら聴き始めました。
・・・あれ?楽譜と違わない?・・・これ、ブラームスの楽譜じゃない!
私の入力ミス(検索ミス?)で、作品番号の同じ別の曲がプリントアウトされていたのです。
すぐに本当にプリントアウトしたかったブラームスを検索しようとして、ふと間違って取り出した楽譜に目をやると・・・
「この曲、いいかも!」
私が手にしていたのはツェムリンスキーという初めて見る名前の作曲家の楽譜でした。

<ツェムリンスキー>
Wikipedia情報をGeminiちゃんに要約してもらったものです。
アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(Alexander von Zemlinsky、1871年10月14日 - 1942年3月15日)は、オーストリア作曲家指揮者・音楽教師。

1. 音楽家としての歩みと教育
19世紀末から20世紀前半に活躍したオーストリアの作曲家・指揮者です。ブラームスから才能を認められ、後に義理の弟となるシェーンベルクに音楽を教えた唯一の人物としても知られています。ウィーン・フォルクスオーパーやプラハの新ドイツ劇場の指揮者を歴任し、当時は指揮者として高い名声を得ていました。

2. 私生活とアルマ・マーラー
作曲の弟子であったアルマ・シントラー(後のアルマ・マーラー)と熱烈な恋に落ちますが、容姿や地位を理由に周囲から反対され、失恋に終わりました。この経験は彼のその後の人生や創作活動に深い影を落としたと言われています。
※西野真理の感想
容姿をよく思われなかったようですが、そんなに悪いでしょうか?
















3. ナチス台頭と不遇の晩年
ユダヤ系の家系であったため、ナチスの台頭によりウィーンからアメリカへ亡命しました。しかし、新天地で成功したシェーンベルクとは対照的に、言葉の壁や病気に苦しみ、無名のままニューヨークで没しました。戦後、1970年代以降になってようやく再評価が進みました。

<ツェムリンスキー作曲 トスカーナ地方の民謡によるワルツの歌(全6曲)>
全部ワルツのかわいい6曲です。(4曲目はちょっと暗い)
昨日、2026年1月19日、全曲訳詩終えました。訳詩総数312曲になりました。
なるべく早くステージにかけたいと思っています・・・でもやりたい訳詩曲が多すぎて、いつになることやら。とりあえず訳詩ものはリムスキー・コルサコフ作品4曲と(2026年3月8日美女コン)シューマン作曲「ミルテの花」(全26曲)(2026年5月美女コンから4回に分けて)が控えているので、その後になりますね。

<これから>
ツェムリンスキーを訳詩終えてしまったので、次に訳す曲を探さなくちゃなりません。
でも、次の曲を探すのも、楽しみの一つですから。

見つけました!
次、サン=サーンス行きます。

西野真理の色々なお話

所有権移転登記、自分でやってみました その3 2026年2月9日(月)

 ※このブログは、 所有権移転登記、自分でやってみました その1 , その2 をお読みになってからどうぞ  昨夜は(?今日は)3時に寝たので3時間しか寝ていません。(理由は こちら などを)でも元気です。今日は先日不備を指摘された所有権移転登記の不備を訂正に行きます。 行ってみる...