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「春の横浜に歌う」その3 ペアレッスンの1日 2026年2月18日(水)

このブログはこちらこちらをお読みになってからどうぞ。

<出演決定>
昨年11月に「結果はブログに書きます」と書いておきながら、すっかり忘れていました。お陰様で「春の横浜に歌う」の出演、昨年12月22日に決まりました。
お世話くださるNさんからのメール。
「昨日塚田先生の方からご連絡があり、みなとみらいのコンサートにご出演して頂く事となりましたので、ご連絡申し上げます。曲目もご提出頂いたものでオーケーです。細かいことは、またご連絡いたします。とりあえずお知らせいたしますどうぞ良いお年を!」

























<レッスン予約>
このコンサート出演の条件・・・と言うほどでもないのですが、歌い手とピアニストで塚田先生のレッスンを受けてから臨むことになっています。
すぐにピアニストの陽子ちゃんとご相談。2月18日にレッスンしていただくことになりました。その際、陽子ちゃんに大事な一言。
「もし大雪で新幹線が動かなかったら、陽子ちゃん、1人で行ってね」
今日の石川県、快晴です。(と言っても家を出る時点では星空でした)

<2日前の計画>
レッスンの2日前、私たちの今回の演奏曲の作曲者・廣木良行さんからライン。
「3/8の美女コン、伺わせていただきます。4/1に拙作を3曲も歌ってくださって、ぜひお礼をしたいのです(後略)」
ラインを読み終えた途端、言葉が口から出ました!
「来なくていい!廣木さんに来ていただくような会場じゃないし、こちらがお礼しなくちゃいけないくらい!」
すぐに電話して、私の美女コンがどのようなものか説明し、(会場は学校の教室程度の場所、ピアニストは不在でカラピアノ)思いとどまっていただきました。
その後の雑談で
「2日後に東京へレッスンに行くこと。それは陽子ちゃんも一緒であること」
を話すうち、
「では3人でランチでも、大船に乗ったつもりで」と楽しい計画も加わりました。もちろん大船はご遠慮し、こちらの小船(泥船)にお乗りいただきますけど。

<出発>
6時16分発「はくたか」。最初はもう1本遅いけれど乗車時間的には30分短い「かがやき」のつもりでした。でも、朝のラッシュに少しかかりそうなことと、それほど急いでいないことで「はくたか」に。
結果的にとても良かったのは、6時16分の「はくたか」は金沢始発だったこと。家を出るときはマイナス2℃。ホームで寒い中立ってるの嫌だなあと思っていたら、私がホームに着いた発車8分前には新幹線、暖かくして待っていてくれました。

↓富山駅あたりから見える立山連峰(新幹線車窓から)














↓日本は広い!と思った新潟あたりの風景(新幹線車窓より)














ここまで、新幹線出発から50分程度で書きました。
続きは帰りの新幹線で。
これから東京駅到着の9時20分まで、訳詩の時間となります。(ちょっと寝ようかな)

<訳詩>
うまく眠れないまま、やっぱり訳詩しようと楽譜を取り出しました。楽しい!眠れないならさっさと訳詩すれば良かった。(サン・サーンスのヴィラネル)
もう東京駅。

<マックアップルパイ>
駅で陽子ちゃんを待つ間、久しぶりにマックへ。そして何十年かぶりにマックアップルパイを食べてみました。とても正直に書きます。その何十年か前にマックのアップルパイを食べた時、あまりの自分との嗜好の違いに驚き「もう二度と食べない!」と決めたのでした。禁を解いて何十年かぶりに食べてみたマックアップルパイさん、待ち合わせの時間まで場所を貸してくださってありがとう。




















<塚田先生レッスン>
※この部分から、帰りの新幹線待合室や新幹線内で書いています

塚田先生のお宅への向かう途中、紅白の梅が満開。
↓近所の神社























~レッスン前のおしゃべり 今日のレッスンは?~
塚田先生、明日は音楽之友ホール日本歌曲シリーズ本番。私たちのレッスン後に出演者全員いらっしゃるというので、なんとなくですが気合い?緊張?ぎみ。本番を頻繁に抱える演奏家のストレスって大変なものだとお察しいたします。先生、それを何十年も続けていらしたかと思うとただただ尊敬。

「で、今日は何のレッスンに来たの?」
「先生、『春の横浜に歌う』の演奏曲です。先生選んでくださったじゃないですか!」
「忘れちゃってた」

忘れられてはいたものの、本当にいいレッスンでした。この成果はどうぞ「春の横浜に歌う」会場で。
ご来場くださる方、ご連絡くださいませ。先着順でご招待いたします。(残りわずかかも)

~レッスン前のおしゃべり ツェムリンスキー~
先生とおしゃべりしながら、ふとツェムリンスキーのことを思い出しました。(詳細はこちら)先生ならツェムリンスキーをご存じかも知れない。
「先生、ツェムリンスキーってご存じですか?」
「あ~知ってる」
「え!さすがですね!!でもどうして?」
「芸大に勤めていたころ、大学院の学生がやってたんで、その伴奏を弾いたことがあったから」
やっぱり塚田佳男はただものではありません。
↓塚田先生のお宅内の壁




















~レッスン後 手作りデザート~
レッスンが終わり
「僕の作ったデザート、食べたことある?」
と、出してくださったのは、皮ごとのリンゴを一口大に切り、生のブルーベリーと一緒にお砂糖なしで煮て冷やし、ホイップクリームをかけた、名もなきデザート。




















お世辞抜きに自然な甘さと酸味でとても美味しいです。果実部分もおいしいのですが、私はシロップ部分、どこかのメーカーがペットボトルに入れて売ってくださらないかなと思ったくらいです。
ただ一つご注意。これ、色がとても濃いので、薄い色の服にこぼすと落ちない気がします。注意してお召し上がりください。私はこの日、白っぽい服だったので、それはそれは注意していただきました。

~帰りに ルビーロマンキャンディ~
帰るとき、塚田先生宅のテーブルに「ルビーロマンキャンディ」(石川県限定発売品。石川県の高級ブランド葡萄ルビーロマン味)を、今日合わせにいらっしゃる歌手の皆さんへのささやかなプレゼントとして置きました。師匠・関定子もいらっしゃるので。本当は廣木さんにあげるつもりだったんですけど。廣木さんにはまた今度。

<東京・丸の内KITTE 千疋屋>
さあ、ランチです。
待ち合わせ時間の13時半ちょうどに到着してみると、10人ほどの列。まもなく廣木さんも合流。廣木さんの曲のレッスンを受けたばかりで、話も弾み、この時ばかりは行列に感謝。

ランチはもちろん
「カレー フルーツサンド パフェ 紅茶のセット」





















おしゃべりもお腹も大満足。
おしゃべりと言えば、3月8日のコンサートでお話する内容がやや不安だったので、お二人に聞いていただきました。
・話が散らばっている
・主役がはっきりしない
・つかみが回収されないまま
であることがわかりました。
聞いて頂いて本当に良かった!

<帰りの新幹線>
自由席のチケットを購入していたので、「かがやき」でなければどれでも大丈夫。改札に行ってみるとちょうど「はくたか」が出たところ。1時間待って16時32分の「はくたか」に乗り、あとは座っているだけ。しかも金沢止まりなので寝過ごしても大丈夫。自由席は想像より混んではいましたが、特に問題なし。こうしてブログ書いています。
では、訳詩の続き始めます。

<サン・サーンス作曲「昔の歌」(全3曲)訳詩終了>
サン・サーンス作曲組曲「昔の歌」。とても可憐な3曲の組曲。1、2曲目は終わっていて、3曲目の訳詩途中から行きの新幹線。帰りにその後半。17時13分、終わりました。早く歌ってみたいなあ〜。
あ、高崎に着きました。

その後少しリムスキー・コルサコフの訳詩をし始めましたが、途中で放棄。
あとはダラダラ過ごして終点金沢。

帰ってお土産に買ったこれ↓食べるの楽しみ!














<今日の特記事項 新幹線のコンセント差し込み口>
行きの新幹線、3列席の窓際(A席)でした。北陸新幹線は全席にコンセント差し込み口がありとても便利。
さあ、充電しましょう、と差し込もうとすると、入りません!A席の差し込み口は壁にあり、上の部分が出っ張っていて、私の持っていったタイプのものは出っ張った部分が邪魔してはいらないのです。仕方ないので、まだ座っていらっしゃらなかったB席の差し込み口(これは前の椅子のところにあって、周りに出っ張っりがないので大丈夫)をしばらく使いました。

帰りの新幹線もA席に座ったので、充電は諦め・・・なくて良かったのです。なんと帰りの新幹線にはあの嫌な出っ張りがないではありませんか。
「ひょっとして、この席だけかも」
と、空いてきた車内を少し探検。他のA席にも出っ張りはありませんでした。
どっちにしても、私の今回持っていったタイプは避けたほうが良いでしょう。

↓これは帰りの差込口。行きのは撮り忘れました。行きのは緑のランプがついている部分横全体が前に出ていました




















↓ネットに出っ張った方の画像がありました
















↓私の持って行ったこのタイプは使わない方が無難














その4に続く

恩人・麻田恭一さんからのプレゼント(長文です) 2026年1月22日(木)

<はじめに(終わった後に)>
今回のブログの<はじめに>は、実は<おわり>に書いています。この後の本当の<はじめに>書いているように、ろくに知識もなくとにかく書いてしまったので、世界公開する前にまずは麻田恭一さんにチェックしていただこうとメール送信しました。
すると3時間ほどのちに赤で加筆したものを返信してくださったのです。
これは願ったりかなったり!!!
まさに私が知りたかった部分です。
そういうわけで、赤加筆の部分をそのままお借りして世界公開いたします。

<はじめに(本当の)>
本日、麻田恭一さんからプレゼントをいただきました。そこでこのチャンスに、麻田さんが恩人である理由を書き残すことにしました。おそらく長文になります。しかも内容は私自身がよく知らないことが多い上に、断片的な知識を勝手につなぎ合わせて、しかも時系列がかなりぐちゃぐちゃです。以前書いていることの繰り返しの部分もかなりあります。そのあたり我慢しつつお楽しみいただけると幸いです。

<奏楽堂日本歌曲コンクール敗退・入賞の歴史
 1998年 36歳 第9回(初出場)1次予選敗退(198人中67位・通過45人)
 1999年 37歳 第10回(2回目)1次予選敗退(203人中56位・通過45人)
 2000年 38歳 第11回(3回目)1次予選通過(198人中30位・通過45人)
                2次予選敗退( 45人中16位・通過11人) 
 2001年 39歳 第12回(4回目)1次予選敗退(198人中49位・通過47人)
 2002年 40歳 第13回 (5回目) 1次予選通過(223人中20位・通過50人)
                 2次予選通過(50人中7位)
                 本選入選(11人中6位)
 2003年 41歳 第14回(6回目) 1次予選通過(183人中18位・通過49人)
                  2次予選通過(49人中4位)
                  本選2位(8人中)

<見知らぬ人からのFAX>
 2002年、本選で入賞。帰宅後、自宅に知らない人からFAXが。

この知らない人が麻田恭一さんです。

<2002年に書いたエッセイから終わりの部分を抜粋>
2002年5月29日、勤務を終え家へ帰るとFAXが届いていました。
「堀田恭平」という見知らぬ人物からのFAXは、大変嬉しい内容ではありましたが、疑問が多すぎ!
 ・この人を知らないはずなのに、何となく名前に見覚えがある
 ・このような雰囲気の文章をどこかで読んだことがある
 ・文章がうますぎる
 ・このような人物に売った覚えもないのに、この人は私のエッセイを読んでいる
 ・音楽的にただの素人ではない
 ・名前は堀田恭平なのに、発信先の名前(FAXに勝手に機械が書き込む名前)はA
  さん

そこでインタ-ネット検索すると・・・・・・・・
「ははあ、なるほど」
関先生のCDの推薦文を書いている人。しかし、疑問は残ります。なぜその人が私のエッセイをお読みになっているのでしょうか。
「・・・・・・・あっ!これ、堀内さんだ」
私はこう推理しました。
 「堀田恭平は堀内さんのペンネ-ム。堀内さんが(音楽之友社の事業部長で、関定子先生のマネージャー)、Aさんの家からFAXした」
と。
すぐに堀内さんに電話。
私の推理は見事に外れていました。
堀田さんは堀内さんの友人Aさんのペンネ-ム。堀内さんが私のエッセイをAさんにも貸出。コンク-ルも聴きに来ていらっしゃって、私のことをとても気に入ってくださったのだそうです。そのFAXの半分は、もったいないほどの褒め言葉。残り半分にはAさん手作りの表彰状。あんまり嬉しいので、その表彰状をここに披露させていただき(上の写真)今回のエッセイを終わらせていただきます。

<麻田さんのお父様>
ここが今回のメインとも言えるところ。その割に知識がいい加減というか断片的というか、結局正しくないかもしれないというか・・・。もしそんな部分があれば、きっと麻田さんがご指摘くださると思います。ですからこのブログ、時を空けて何度かお読みになることをお勧めいたします。(・・・と書きましたが大丈夫、チェック済みです)

麻田さんのお父様(この後、麻田父 と書きます)は、2023年に95歳の長寿を全うしてお亡くなりになっています。

満洲のハルビン学院(ロシア語教育で有名)を卒業した麻田父は、終戦後ハルビンでソ連軍による日本人狩りに遭い、「日本へ帰してやるから列車に乗れ」と大勢の日本人ですし詰めの無蓋車(屋根のない貨車)に乗せられました。
一昼夜走った頃、北に向かっていることに気がついた麻田父は、すぐに行動に出ます。深夜一人で貨車から飛び降りたのです。
三日かけて徒歩でハルビンに戻り、紆余曲折の後日本に帰ったのは一年後のことでした。

お父様があの時列車から飛び降りてくださらなかったら、その後、麻田さんがお生まれになることがないことはもちろん、これから書くこと(先に書いたことも)の全てがなかったのです。

~ハルピン学院 Wikipedia情報~
概要
設立当初は外務省所管の旧制専門学校であったが、1940年以後は満洲国所管の国立大学となった。日露間の貿易を担う人材養成を標榜した。
沿革
1920年9月24日:日露協会(1907年発足)によって日露協会学校としてハルピン市に設立。
1932年4月:ハルピン学院と改称。
1940年3月:大学に昇格し満州国立大学ハルピン学院と改称。修業年限4年
1945年8月:日本の敗戦に伴い解散。
1999年4月:ハルピン学院同窓会幕引き。同時にハルビン学院連絡所(新宿区原町1-28 恵雅堂出版内)が事務処理を引き継ぐ

西野真理の疑問:「ハルン?」「ハルン?」

<関定子へのオファー>
話しは変わります。私の師匠・関定子は、ヨーロッパで6つのコンクールに入賞を果たし帰国したものの、ステージはほぼありませんでした。そのころのことを象徴的に表す言葉として
「ストーブの前に座り続けた」
これは今読んでもウルッとします。
そんな関定子にわずかなステージがかかります。そのステージとは・・・

無蓋車から飛び降り帰国したあの麻田父の経営されるロシアレストランでの、ロシア民謡のコンサートのゲスト出演でした。私はどういう経緯で関定子にお声がかかったのか知りませんが、関定子の声に魅せられた麻田父は、なんと子供の頃から好きだった山田耕筰のコンサートをもちかけたのです。「得意です」という関定子の返事を聞くと、麻田父は「ロシアレストランで山田耕筰なんて」と反対する息子を押し切って「山田耕筰の夕べ」を始めます。

↓ロシアレストラン チャイカ     http://chaika.co.jp/info
















また同じころ(?)関定子はそれまで歌ってきたイタリアオペラ等の他に、日本歌曲も堪能であることが、のちに関定子のマネージャーになる堀内さんの目に留まります。とにかく幸運の女神が微笑み始めたのです。

<山田耕筰100曲>
そして何回かの「山田耕筰の夕べ」ですっかり関定子にはまってしまった麻田父子は
「関定子に山田耕筰を100曲歌わせてCDを発売しよう」
という暴挙に出ます。CDを作ったこともない出版社なのに。




書くのを忘れていました。麻田父の本業は「恵雅堂出版」の社長さんなのです。そしてこのCDを作ったこともない会社の出したCDは、
・第1集(42曲)《'93年レコード芸術誌特選盤》
・第2集(58曲)《'94年日本レコードアカデミー賞受賞》
を受賞します。すごいことです。
麻田さんによりますと、
「すごいのは、無名のレーベルで受賞できた関定子と塚田佳男の力」とのことでした。
また、麻田さんによりますと
「麻田家の車の中ではある時期いつも関定子のCDがかかっていて、うちの子どもたちは日本一関定子を聞いている」
これもすごい。

<師匠・関定子と西野真理の出会い>
関定子関定子と、もう何度も登場していただいています。でも改めて私と師匠・関定子の出会いを書いておきましょう。

最初は福光声楽セミナー
私は関先生のクラスではありませんでした。それでも強烈な印象で高ぶった気持ちを抑えられず
「こんなすごい人を見た!」
と、夏休み明けの授業全てで(セミナーは夏休みに開催されていました)生徒に報告した覚えがあります。
その後も毎年参加しましたが、私は関先生のクラスになることはありませんでした。
そんなころ(30年近く前でしょうか、1996年前後)、富山県の小松さんが関先生を富山にお招きしてのレッスン会を組織し、活動を開始。その会の初期に、たまたまレッスン枠が空いていて、誰か受講したい人はいないかと、やはり福光声楽セミナー受講者で金沢市在住の土屋さんにお声掛け。セミナーで仲良くなっていた私を思い出してくださった土屋さんは、「西野真理は関先生の教え方に合うのでは」と、私にお電話をくださいました。

一方西野真理はと言えば、以前に○○会にちょっとだけ所属し痛い目にあっており
「2度と○○会と名の付くものには所属しないでおこう」
と心に誓っていました。しかし、その時お電話をいただいた内容を私は勘違いして、このとき1度だけの特別なレッスン会だ思い、それならと参加。小松さんと土屋さん、そして勘違いのおかげで私は無事、関先生の教えを受けるルートに乗れたのです。

<コンクールへの挑戦でいよいよ出会いが!>
関先生のご指導を受け始めて、ちょっとはうまくなったかな?・・・いやいや、いい気になってはいけないとコンクールを受け始め、このブログの最初にあるように、他のコンクールも含めてどんどん落ちました。
そして40歳、麻田恭一さんとの出会いが訪れます。誰だか知らない、でも私の歌をとても評価してくださる方からのFAX。

その後、奥様の牧さんともお知り合いになりました。石川県で開催の美女コンにもご夫妻でおいでくださって、近所の民宿で夕ご飯をご一緒したりと、今もお付き合いが続いています。

<麻田恭一さんからのプレゼント>
ここまで書いてやっと「恩人」の意味をお判りいただけたかと思います。
その恩人の麻田さんから2026年1月12日メールをいただきました。

今、我家は住み慣れた2階から1階への引越しの準備で頭を悩ませています。
まず本の移動から手をつけたのですが、平井康三郎(5冊セット)、橋本国彦、團伊玖磨ほかのCD制作の際に買った楽譜が出てきました。
楽譜の読めない私にはまったく不要なので古本屋に売るか廃棄しようと思ったのですが、一応真理さんに聞いてみようと思った次第。
要るということでしたら宅急便でお送りしますので。

もちろんいただきます!

それが本日届きました。
豪雪の中、石川県へようこそ。
せっかくなので豪雪の中写真を撮ってみました。



以上、私のあまり正確ではないかもしれない今日のブログ、お楽しみいただけていると嬉しいです。(すでに麻田チェック済みなので大丈夫)

<追記>
麻田恭一さんは(も 麻田父)ロシア語習得者。
そうだ、リムスキー・コルサコフ作品の訳詩をしたこと、麻田さんにお伝えしておきましょう。私としてはとても無邪気な発想。
ところが、考えてみれば当然ですが、ちゃんとロシア語のお出来になる方には、ロシア語の子音たっぷりの発音を日本語にしてメロディーに乗せるのは、かなり抵抗がおありになると見受けられます。
私の訳詩に次のようなご意見をいただきました。

子音いっぱいのロシア語(英語でもイタリア語でもドイツ語でもそうですが)を母音主役の日本語で決まった音節の中に移し換えるのが土台無理な話であることをあらためて痛感します。
結論を言えば、原詩の気持ち、雰囲気を十分読み込んだ「翻案」しかないと思いますが、訳詩がすでに「翻案」気味だと、それをさらに「「翻案」すると原詩からかなり離れてしまう可能性があります。

たとえば川本さん訳の最初の2行ですが、
夜の闇の中で私が秘かに何を夢見ているか (→闇の中で夢見ることも) 
  昼の光のもといつも私が何を考えているか (→光の中思うことも)

1行目の最重要のイメージは原詩では「夜のしじま」「夜の静けさ」ですが、訳者は1行目を2行目の「昼の光」に寄せて「夜の闇」としています。
下記が私のフィルターを通してですが、原詩に近づけた訳です。(4行目以下は泥沼にはまりそうなのでやめます。中途はんぱですみません)

夜のしじまの中で密かに私が夢想していること
昼の光のもと絶えず私が思い巡らしていること
それは誰にも、お前にだって秘密なのだ、私の詩よ、

今後、ロシア詩の訳詞の際、ご要請があれば「行の中で何が一番大事なイメージか」の情報提供に協力しますので。

歌の師匠は関定子。
64歳を間近に、ロシア音楽の師匠を持つことになりました。
今後の西野真理ロシアもの訳詩にもご期待ください!


 

虎屋の羊羹 2026年1月19日(月)

虎屋の羊羹、美味しいですね。もちろん頻繁に買うことはありません。東京へ行った時のお土産とか、東京へ行った方からのお土産とか。そんなことをたまたま思っていました。だからと言ってさすがに私だって、頭でちょっと思ったことをいちいちブログに書いたりしません。でも今日は書きます。ちゃんと理由があって。
さて、どんな順番で書けばいいのかな?・・・ここは時系列で書きましょう。

①衆議院選挙
西野真理がちょっと似ていると言われている高市総理が急に解散とか言い始めました。はっきり日程が言われたわけでもないのに、皆さん動き始められています。TV,YouTube等でもその話題で持ち切り。はやりもの好き西野真理としては、あちこち気になって仕方ありません。さらに、明日のFM放送の話題も選挙のことにしようと思い、選挙関係のことを原稿にまとめ始めました。
その時、以前聞いたフレーズが頭に浮かびました。
「選挙事務所のおやつに『虎屋の羊羹』は出してはいけない」
なんとなく言おうとすることはわかります。
でも、これって国の文書に書いてあるとは思えません。

Geminiちゃんに聞いてみましょう。

公職選挙法における「お菓子の基準」

公職選挙法第139条には、「飲食物の提供禁止」が定められています。その例外として、以下の記述があります。

  • 条文の表現: 「湯茶及びこれに伴い通常用いられる程度の菓子」は提供してもよい。

  • 解釈の壁: 各自治体の選挙管理委員会のガイドライン(手引き)などでは、この「通常用いられる程度」の具体例として、「せんべい、まんじゅう、みかん、りんご程度」と記載されていることが多いです。

ここで、「とらやの羊羹」が問題になります。 とらやの羊羹は、一般的に「贈答用の高級品」とみなされます。「通常のお茶菓子(駄菓子など)」の範囲を超えていると判断されると、「有権者への利益供与(買収)」とみなされるリスクがあるため、多くの解説書や陣営のマニュアルでは「高級菓子は避けるべき」と指導されます。

なるほど、それぞれの陣営のマニュアルの中に高級なお菓子の代名詞として「虎屋の羊羹」が出てくるのですね。

②訳詩購入者Sさんから
現在312曲となった、西野真理の訳詩。その訳詩、もちろん売れることはほとんどありません。つまりちょっと売れているのです。そのちょっとのご購入者のお一人Sさんから昨日突然ご連絡をいただきました。

3月1日のリサイタルで西野真理さん訳詩の「詩人の恋」を歌わせて頂きます。素晴らしい詩に感謝です。気持ちなのですが贈り物をさせて頂きました。

シューマン作曲「詩人の恋」(全16曲)。ご購入いただき、コンサートでも使ってくださる!こちらからお礼しなくちゃいけないくらいです。でも嬉しいな、何が届くのかな!
そうです、虎屋の羊羹だったのです。


















羊羹下の赤地に白馬の風呂敷、昨年末にかわいいなと思って虎屋の通販サイトで購入。虎屋の羊羹、食べる運命にあったのですね。
Sさん、ありがとうございます。
届いて4時間。すでに4分の1食べてしまいました。



いい声って? 2026年1月13日(火)

昨日の夕方、同郷同大学出身のピアニストHさんと長電話・1時間34分。ラインさんありがと!無料でおしゃべりさせてくださって。
その長電話でも足りず、朝さらにライン上でやり取り。その中でHさんから
「~持ち声ってものは変えられないよね?発声は良くなっても声に魅力が出るのとは違うよね?~」
これ、声楽関係者以外からよく質問されること。
その答えには直接ならないですけれど、30年ほど前の強烈な思い出とともに少し書いてみます。

それは福光声楽セミナーでの一コマ。
↓レッスンに使われたコテージ






このセミナーでは6~7名ほどの先生が、各部屋(独立したコテージ)でレッスン。基本はそれぞれ割り当てられた先生のレッスンを期間中ずっと受けます。でも、自分の受講時間が終わった後は、そのままそのお部屋で聴講しても、他の先生のレッスンを聴講しても自由です。
その時私は、平良先生のクラス(多分)。何日かは平良先生のレッスンを受講・聴講。何日目かのとき、別の先生のところを聴講に行こうと、郡愛子先生のレッスンコテージへ入りました。
その時そのコテージには、郡先生とレッスン受講生のIさんの二人きり。そして私がそこへ入ったちょうどその時、優しくちょっと寂し気な口調で郡先生がIさんにこんなことをおっしゃいました。
「だからあなたは『いい声ね』で終わっちゃうのよね・・・」
レッスンの経緯はわかりませんが、私はこの言葉にかなり衝撃を受けました。いい声であることが必ずしも武器ではないのだと。
数日前、私はこのIさんの声に、それこそ衝撃を受けていたからです。
このセミナーでは初期のころ、一人1分程度全員ちょっとずつみんなの前で歌う時間がありました(のちになくなりました)。その時聞いたIさんの声は、まさに
「美声というのはこういうのを言う!」
という見本のような美声。「真綿のような声」という表現がありますよね。そういう声が世の中に存在したんだという驚き。
そのIさんだったのです。
Iさんのような人は、何の苦労もなく、声楽の世界でスター街道を進まれるに違いありません。嫉妬する限界を超えています。
そのIさんが
「だからあなたは『いい声ね』で終わっちゃうのよね・・・」
こんなことってあるのでしょうか?

その後、Iさんの名前をコンクール本選で見かけるとか、何かのチラシで見るということは残念ながらありません。

さて、私ですが、何の謙遜も抜きに自分の声をいい声だと思ったことは一度もありません。無理やり世界をいい声と悪い声の半分に分けたら、悪い方に入るとさえ思います。でも、悪い声だと思っているわけでもありません。それぞれだなあと思うだけです。

ちょっとだけ自慢話っぽくなります。
奏楽堂日本歌曲コンクールで2位になった後、たまたま小泉惠子さんという、ソプラノ歌手でコンクールの審査員の方に話しかけていただいたことがありました。小泉惠子さんは、私の師匠・関定子の美声とはまた違った美声で、
「鈴を転がすような声」
と言ったらこの声。小泉惠子さんの声を初めて聴いたときも驚きました。もし神様に誰かの声と取り換えなさいと言われたら、私はこの人にしてもらいます。声の出し方に力みは全くなく、体のどこかをつついたらパッと声が出るんじゃないかという感じです。私とは真逆の声。
小泉惠子さん、YouTubeにアップしていらしたので貼り付けました。



その小泉惠子さんが私に
「西野さんの声、すごく注目してたのよ」
と話しかけてくださったのです。
簡単に言えばないものねだり?確かに小泉さんは私のような低音をお出しになることはないでしょうし、私の歌った「木の洞」「鴉」をお歌いになることもないでしょう。
私も咄嗟にお返事しました。
「小泉さんのお声、前からあこがれていたんです」
短い会話でしたが、今も嬉しい瞬間としてよく思い出します。

話しを元に戻します。
Hさんの声、私の好みから言えばとてもいい声です。ピアニストだし音程もいいし、文句ありません。でも、多くの「歌ってみたい予備軍」の人が「自分の声には魅力がない」と思っていらっしゃるとしたら、それはとても残念なこと。声帯の筋肉は人間の体の中で一番衰えるのが遅い筋肉だと聞いたこともありますし。
歌を歌いたいと思っていらっしゃる皆さん、それぞれいい声です。自信をもって歌いましょう!







加賀市学校教育会小中音楽部会講師 2025年7月23日(水)

加賀市学校教育会小中音楽部会講師としてお呼びいただきました。経緯を細部までお知りになりたい方はこちらこちらをお読みください。

<出発>
グーグルマップ様が8時12分に出発すればいいと教えてくださったので、起床もゆっくりでいいと思っていました。しかし、63歳は4時半に目覚めます。
ちょうどいいので昨日のFM放送のYouTube画像の編集をしたり庭に水を撒いたり納豆を食べたり洗濯をしたりアイロンをかけたりしていました。なかなか充実していました。
8時4分に出発。

<到着>
9時半到着予定とお伝えしてありましたが、当然のように早く着きました。でもこの程度の余裕は大事。
















<研修前の配りもの>
研修を受けてくださる方、そう、私だってどなたかのお話を聞いたりする時は
「この人何者?」
と思います。しかも多くの講師として招聘される方は何かしらの権威・肩書のある人。私には何もありません。ですから一応事前に私のプロフィールの書かれた美女コンのご案内等を配っていただきました。
そしてもう一つ、ルビーロマンキャンディも。以前から私は
「人にキャンディを配るようになったら間違いなくおばさん」 
と思っていました。ですから、決してキャンディを配ったりしませんでした。でも、ついにその日が来てしまったのです。一応理由はあります。私の研修の前に今回の皆さんは1時間以上、何らかの会議をされているのです。この暑い中、血糖値が下がった状態で歌の指導を受けて倒れてもらうと困りますからね。
 
<研修の内容>
今回の研修は「小中学生への歌唱指導法」というご依頼でした。そこで私が考えたのは、現職中も心がけてきた
「まず個人指導によって一人一人の力をつける」
ということを先生方にもしようということでした。ですから質疑応答よりも参加者全員の個人指導をさせてもらおうと決めて臨みました。

スタートはひたすら歌うこと。時間が来たら自己紹介より先にピアノの前奏を弾き始めます。曲名も言わずにどんどん弾きます。1曲目が終わったらすぐ次。時に前の曲に戻ったりして15分間歌いっぱなし。これは私が37年間の授業でやって来たスタイルそのまま。

「15分経ちました。30秒休憩」
仕上げに1曲歌って、しばらく自己紹介を兼ねた歌についての考え方をおしゃべりして、一気に個人指導の時間に流れ込みました。
10時から11時45分というお約束でしたが12時になってしまいました。これは申し訳ない。時間を守ることを中学校では本当に大事にしていましたから反省しなければいけません。
~いいわけ~
でもねでもね、全員個人レッスンしたかったんです。11時45分の時点で、まだ4人済んでなかったから・・・ほかの人の時間をもっと切り詰めればよかったんですね・・・

それにしても参加者24名の先生たち、お教えしたことがどんどん入っていって、嬉しくなりました。教えるプロであると同時に学ぶプロかもしれません。
それから、他の方のレッスンや私のトークの最中に、それを気持ちの良い笑顔でうなづきながら聞いてくださる方って、ほんとに励まされますね。私もそうやって人の話を聞いてあげなくちゃと教えていただきました。

<猛毒エッセイ配付>
最後に例の猛毒エッセイをお配りしました。このエッセイには本当は人に言いたくてたまらないことを書きました。でも小心者なので紙媒体で250部しか印刷していません。それをそのエッセイ集(美女エッセイPART14)からその部分だけコピーしてお配りしたのです。
「普通エッセイには人の悪口とかは書かない方がいいんですけど、これは毒だらけ。『黒西野真理』です。皆さんとはもう2度とお会いすることもないでしょうからお配りします。でも、苦情は一切お受付できません」

この「猛毒エッセイ」65歳になったらブログに載せるつもりです。でもその前にお読みになりたい方はご連絡ください。

それからもう一つ、堀裕嗣さんの本の抜粋。これはきっと皆さんのお役に立つはず。

<昼食>
尼御前SA、海の見える座席で冷やしおろしそば。
労働の後、おいしくいただきました。















<今日の感想>
現役の音楽(音楽にかかわっている)の先生への指導。これ以上ないやりがいと楽しさがあり、コンサート以外で私が一番したいことだったって改めて思いました。権威も肩書もない西野真理をお呼びくださった北濱先生、本当にありがとうございました。

川北小学校研修会講師当日 2025年6月26日(木)

このブログはこちらをお読みになった前提で進めます。

<朝のひらめき>
さあいよいよ当日です。
13時ちょっと前に出発すれば十分間に合いますから、のんびり準備できます。しかし実際は5時に目覚めソワソワ。そのうち、ちょっとしたひらめきがありました。
「歌の会『Sing幾多郎』には参加者なし。コンサートのお客様も多くて10人強。FMは何人お聴きくださっているかわからない。YouTubeだって登録者2000人に届かない・・・頭ではわかっていたことだけれど『自分がしたいことじゃなくて、相手が必要としていることをする』っていう発想じゃなきゃダメ。今回のこのオファーは、ダイレクト葉書を出しただけで強力に売り込んだわけではないのにお声掛けいただいた・・・ということは、私の必要とされているのは、こういうところなんじゃないかな」
思ったらすぐ行動。そこでできたのがこれ。
↓対象を小中学校の先生に絞ったチラシです。
(※当日お配りしたものを、帰宅後何度も練り直しています)





















コンサート活動等、自分が主体となって行うことと同じくらいやりたいと思っていた
「今まで私に伝えていただいたことを、私が次の人たちに伝える」
ということを整理できました。

<氷室饅頭>
結局我慢できなくなって、12時半前に家を出ました。出るときに
「授業後でお腹もすいているし、自分でも普段から『食べ物をくれる人はいい人』と思ってるんだから、皆さんと一緒に食べるお菓子買っていきましょう」
と、いつものお菓子屋さんへ行くと、定休日。仕方ありません。でももう1件おいしいお菓子屋さんがありますからそちらへ。
「ずんだ餡氷室饅頭」
を買って、さあ出発。

氷室饅頭(ひむろまんじゅう)とは?(お菓子の森八ホームページより)
加賀藩政期、前田家では旧暦6月1日に山中の氷室を開き、冬の間貯えておいた雪氷を遠く江戸将軍家に献上していました。長い道中、無事に氷が届けられるよう、庶民の間では麦饅頭を神仏に奉納し、その後、無病息災を祈願して食された風習が氷室饅頭として今日まで伝えられました。現代では氷室が開かれた7月1日に夏の暑さを乗り切り健康を願って食される氷室饅頭は、娘の嫁ぎ先に持参され、親類縁者・近隣にも配られるという慣習を残し夏の風物詩として加賀金沢の街に伝え続けられています。

<道の駅>
当然ですが早く着きすぎました。
2.5キロ先に道の駅があるという看板を発見し、そこでしばらくうろうろして、お野菜を買いました。

<S校長先生>
先日から30年以上ぶりくらいに電話やラインで連絡をとり、すっかり以前に戻った気になっていました。でも、実際にはお互いお顔を合わせてはいないので、ちょっと緊張します。

到着しました。
学校の玄関でお出迎えくださった、昔のままかわいいS校長先生を見てうれしくなりました。

<6年生の授業>
小学生の授業をするのは、え~っと・・・41年ぶりです!大学を卒業して、山口県の岐山小学校で1年間の通年講師(音楽専科)をして以来。
今回お引き受けして、私はすぐに次のように考えました。
「この子たちを教えるのはこの1回限りなんだから、オール西野真理ペースで、伝えたいことをこれでもかと詰め込もう」

~基本、自分がかつて授業をしてきたスタイル~
・教室の座席はピアノを黒板の前の中央に置き、机なし、椅子2列半円形に
・チャイムより前に教室に行き、生徒が好きそうな曲をピアノで弾きながら待つ
・チャイムが鳴ったらすぐに校歌の前奏を弾き、有無を言わさず歌わせる
・ある程度声が出てきた段階で、簡単に自己紹介
・その後は子どもたちの様子を見ながら、教えられそうなことをできる限り教える
 (先生方から事前に「※こんなことを」と言われていたことを含めながら)
 ①ビブラート
 ②言葉のさばきかた
 ③声帯の仕組み
 ④和音のこと※
 ⑤変声期の児童に配慮した授業の進め方※
    ⑥ちょっとした楽典(今回はト音記号)
・テンポよく、生徒を休ませない

久しぶりのわりによくできました🌸(自己評価)

<ミニコンサート>
1曲歌っただけですけどね。
S校長先生はピアノ科の方。事前打ち合わせで
「小学校6年生の教科書に載っている『いのちの歌』」
に決定。

演奏前に、拍手の仕方を指導しました。
「後奏が終わって、歌手が体勢を崩したら拍手するのよ」
こういう指導は必要だと思います。
こういう指導をちゃんとしないから、これ見よがしにフライング拍手する大人が存在してしまうのです。
S校長先生との息もぴったりで無事終了。

<先生方との研修会>
まず氷室饅頭を食べましょう。
若いころ、おばさんたちが何かと食べ物を配るのを見て
「どうしておばさんたちって、いつも食べ物配るんだろう」
と思っていました。私も立派なおばさんになったようです。

7名の熱心な先生方との質疑応答やミニレッスン。
最後に、私のチラシや、音楽教育界について相当に毒づいた内容を含むエッセイ集等をお渡ししました。この「猛毒エッセイ」さすがに現在もブログには掲載していません。でも、今決めました。65歳になったらブログに公開します。

お配りした中で今後一番先生方のお役に立つのは堀裕嗣さんに関するレジメでしょう。
                        ↑リンク貼ってあります

<帰り道>
帰りの車の中、なんとなく勤務帰りのような懐かしい気持になりました。



関定子主演オペラ「アイーダ」鑑賞と塚田先生レッスンとなっちゃんの旅 その4 番外編  2025年6月24日(火)

盛りだくさんの1泊2日。メインのレッスン・オペラ・なっちゃん以外の印象に残ったことを順不同で書きます。

<人生58歳から説>
廣木さんと音楽談義をしていた時、7歳年下の廣木さんに、つい熱く語った、西野真理の「人生58歳から説」。

多くの人が生きる糧を得るために働きます。その仕事がそのまま生きがいだとか夢である方もいらっしゃるでしょう。でも、多くの場合、ある程度は譲歩し、我慢して人生の輝かしい時間をそのことに費やします。
ではそれをいつまでするのか?
私は「58歳まで」と考えています。
そう思い始めたきっかけはハイドンと西田幾多郎でした。
ハイドンは58歳までエステルハージ家で楽長として(作曲はもちろん、楽団員の管理も)58歳で諸事情含んだ定年退職。その後イギリスに渡り大成功。
西田幾多郎は58歳で京都大学を定年退職し、その後「善の研究」を書いています。
この2人の例だけでなんのエビデンスもありませんが、私は
「58歳からは本当にしたいことをしていいんじゃないか」
と思い始めました。

しかし、現在年金は65歳からしかもらえない、定年退職年齢は65歳に引き上げ。こんなこと綺麗事・実現不可能と思われる方、もうちょっと読んでね。

私が58歳からと実感したのは実際に58歳を体験したから。もちろん個人差はあるに決まっていますが、58歳は体力もあり、見た目はどうあれ結構若いのです。そして私はその58歳を「コロナ禍」の中経験しました。「58歳から説」を勝手に唱えつつも、経済的にそう出来ない状況でコロナ。
私はコロナのおかげで、それまでほとんど見たこともなかったYouTubeに足を踏み入れることになりました。学校で授業ができない代わりに、YouTubeに授業動画をアップしたのがきっかけです。それが退職後の予備段階として機能することになりました。現在の西野真理YouTubeなしの人生は考えられません。

退職後やりたいことをすぐ始めるためには、それなりの準備が必要。私には漠然と思うことがあっただけで、なんの準備もしていませんでした。ところが偶然YouTubeと出会い、それが退職後の準備になったのです。

みなさん、58歳からは
「シークレットリタイヤ」
または
「ハーフリタイヤ」
しましょう。
仕事はもちろんちゃんとするのですが、並行して退職後の準備を始めるのです。
準備と言っても物品を揃えるだけが準備ではありません。何をするか考え始めることだって、立派な準備です。7年あれば結構な事ができます。なんなら本当に準備ができた時、例えば62歳で辞めたっていじゃないですか。
・・・とこんなことを廣木さんに語っていました。

<ホットドッグをここで?!>
アイーダの会場・紀尾井ホール前で先頭から3、4人目として廣木さんとおしゃべりしつつ待っているときのこと。私たちのすぐ後ろの女性お二人が、バッグからミニサイズのホットドッグを出し、立ったままお召し上がりになり始めました。かなり驚きました。
道を挟んだ向かい側はホテルニューオータニ。坂を下れば国会議員宿舎というハイソな立地の紀尾井ホール玄関で。

<反省>
行きの新幹線車内。
発車後すぐ、トイレへ行きました。
帰ってみると私のキャリーケースが真ん中の通路へ転がっていました。あ〜大変、キャスターを下にしたまま立てておいたらころがったのです。
すぐ自分の座席に戻すと、通路反対側の男性が、少々怒った声で
「ここまで来た!」
と。
「あ〜ごめんなさい」
皆さん、キャリーケースはキャスターを下にしたままでは転がります・・・ブレーキの着いたタイプ、買おうかな。
その後、もちろん帰りもキャリーケースは側面を下にして足元に置きました。

<2日間旅行中に食べたもの一覧表>
23日朝   コンビニシュークリーム(新幹線車内)
  昼   ずんだ餅(塚田先生宅) 
  15時頃 クリームソーダ(カフェベローチェ:廣木さんから)
  夜   コンビニプリンパフェ ファミチキ(ホテル)
24日朝   フィナンシェとクッキー(陽子ちゃんのお土産・ホテル)
  昼   クリームパン(新幹線ホームで購入:新幹線車内)

ファミチキ以外は全部甘いもので、これはダメだと思います。
  

関定子主演オペラ「アイーダ」鑑賞と塚田先生レッスンとなっちゃんの旅 その2 塚田先生レッスンとアイーダ  2025年6月23日(月)

ホテルに荷物を置き、塚田先生のご自宅最寄り駅を降りると、そこには立憲民主党の長妻さん。
安倍元総理といい長妻さんといい、この警備の薄さ。肩書がないとこんなものかと心配になりました。

少し早く着きすぎました。レッスン時間30分前です。陽子ちゃんもまだだし、時間潰しに近所のスーパーをウロウロするのもすぐに飽き、結局15分前にピンポン。先生、快く開けてくださって、しばらく雑談を楽しみました。
まもなく陽子ちゃん到着。先生がずんだ餅を出してくださって、レッスン前のおやつの時間。

さあレッスンです。
当然ですけど、ピアニストと一緒にレッスンを受けるといい‼️
これをお読みの一般の方は、意味が今一つおわかりにならないでしょう。
ちょっとご説明いたしますね。普段歌のレッスンは、受講は歌い手、ピアニストはその補助という感じ。しかし塚田先生のレッスンは、2人ともにレッスンを受ける形式なので(そうでないパターンもあります)、歌とピアノを総合的に理解することができます。普段どうしても歌のことしか考えません。でも、こうしてピアニストが先生からアドバイスを受けるのを聞いていると、新しい視点が見えて、とても参考になります。
特に今回、私の訳詩で見ていただいたブラームスの「野の寂しさ」は、今までとは比べ物にならない音楽になりました。
レッスン後、YouTubeにアップしてあった「野の寂しさ」すぐに限定公開(URLを知ってる人しか見れない)に切り替えました。

終了後陽子ちゃんは和声学の講座へ…私も誘われていたのですけれど、オペラの席取りを優先してお断りしました(座席はゾーン指定なので)。

時間が中途半端なのでもう一度荷物を置きにホテルへ。そして半蔵門周辺散策。
国立劇場、そしてその側にあったモルディブ大使館。FM東京。(全部前を通過しただけ)

今回のオペラ、本当は大好きな歌手仲間・のぞみちゃんとご一緒する予定でした。しかし都合が悪くなりキャンセル。そこで作曲家の廣木さんをお誘いしました。直接お会いするのって何年ぶりでしょう?少なくとも2年は経っています。
15時に半蔵門で待ち合わせ、カフェ・ベローチェで音楽談義を1時間半。その後、座席確保のため早めに紀尾井ホールへ。
ホール前に着くと、前から3人目、よし!
歩きながら、開場を待ちながら廣木さんとずっとおしゃべり。

開場後すぐにプロデューサーの堀内さんとお会いして、いつものこれ、いただきました。



開演を待ちながらもずっとしゃべりっぱなし。こういう話って、なかなかできる相手がいないので、至福の時でした。

さあ、開演です。
オペラ「アイーダ」。
プロデューサーの堀内さんの人望で集められた素晴らしい歌手による低価格のオペラ。ほぼ満席。
師匠・関定子演じるアイーダは、幕が進むにつれ疲れるどころか調子アップ‼️
皆さんのご近所に80歳でオペラ全幕歌える人、いらっしゃいますか!
感涙。
もちろん他のキャストも文句なし。
ラダメス(アイーダの恋人)小野弘晴さん(知らない人)
どこまでも高く、いつまでも延びるつややかな声。

アモナズロ(アイーダの父)清水良一さん(大好きなバリトン歌手。何度も共演経験あり)音域が広く、コミカルなものからシリアスなものまで何でもできる歌唱力と演技力。

アムネリス(エジプト王女)城守香さん(一度音友ホールでご一緒したことがあります)こちらも音域・演技力文句なし。声量も男性並み。
合唱団。こちらは生で聴く醍醐味はアンサンブルにあると思わせてくださいます。

そしてこのオペラシリーズを1998年以来22回も続けてこられた堀内さんこそ、今日のオペラで最も喝采を浴びる人です‼️でも、ご本人は決して前には出られません。裏方のプロ。
↓は終演後こっそり堀内さんと一緒に自撮りしたもの。














記憶に残るオペラでした。
関先生と





清水さんと





オペラからホテルに戻り夕飯

その3に続く







関定子主演オペラ「アイーダ」鑑賞と塚田先生レッスンとなっちゃんの旅 その1 塚田先生のお宅に着くまで  2025年6月23日(月)

この計画は我師匠・関定子主演オペラ「アイーダ」のことをお聞きした時から、いえ、もっと前から始まっていました。だって、先生のオペラ、いつも6月の第3週の月曜日。昨年の段階から
「来年も出来るだけ行きましょう」
と思っていたところに
「今回でフルオペラは本当に最後」
とお聞きしたため
「絶対行く‼️」
に変わりました。
なぜ「本当に」かと言いますと、毎回
「これで最後かも?」
と言われていたから。

せっかく行くのですから、何かとセットにしたいと思っていたところに、ピアニストの近藤陽子ちゃんから
「塚田先生に山田耕筰の童謡のレッスンを受けたいと思ってます」
というラインでのつぶやき。
そこですかさず
「もし6月23日のオペラ前に入れていただけるなんて事があれば、ご一緒に是非‼️‼️」
陽子ちゃんから塚田先生にお問い合わせくださって、この願いが叶ったのです。

さて、現在6月23日(月)北陸新幹線かがやき500号車内です。
先程までヴォルフの訳詩(女声のための6つの歌曲「糸を紡ぐ娘」)をしていて、ちょうど大宮あたりで完成したのでブログ執筆を始めました。

では、今朝からの行動を振り返ってみましょう。
4時10分
目覚まし前に起床。
外は豪雨。
七尾線まずいかも。
↑この予感を信じるべきでした。でもネット検索すると「平常運転」って書いてあったので、彼に宇野気駅まで送ってもらいホームに入ろうとしたその時
「雨のため20分程度の遅れ」
の放送が。
「早く言って!」
20分遅れたら6時02分発かがやきには乗れません。彼に電話して、すぐ駅まで来てもらい、金沢駅まで送ってもらいました。
そもそも、前日から
「金沢駅まで送ってあげるよ」
といわれていたのですから、そのとおりにすればよかった。
幸い早朝で道路も空き空き。余裕で到着。
もし乗れなかったら、新幹線チケットが✕。今回のは早割り・一万円弱で買えた代わりに、一切変更がきかないのです。本当によかった。

金沢駅です。
ここでこんなことになるとは(;_;)
転びました。
自分のキャリーケースに躓いて。
幸い顔から落ちることなく、手と膝をぶつけて済みましたし、人も少なく後ろから来る人に踏まれたり迷惑をかけることもありませんでした。東京駅だったら10人くらいに踏まれるか、それ以上の人を将棋倒しにしてしまったかもしれません。
63歳の自分を過信しないでおこうと思った出来事でした。

あ、上野に着きました。
一旦執筆中断。

東京駅からホテルへ向かい荷物を預けて塚田先生のお宅へ。中央線で人身事故のためのダイヤが乱れているとか。人身事故なんて石川県でおこったらトップニュース!

転んで打撲した膝も痛みはなく、無事レッスンを受けられそうです。
 
その2へ続く


奏楽堂日本歌曲コンクールきっかけ、新曲トライ? 2025年5月26日(月)

奏楽堂日本歌曲コンクールを卒業(←参考リンク)して22年。それでも親しい歌手やピアニストがかかわることもあって、この時期になると気になります。

さて、そんな今年も奏楽堂日本歌曲コンクール本選が5月25日(日)に開催され、会場へ聴きに行っていたピアニストの近藤陽子ちゃんから色々な情報をいただきました。中でも私が一番気になったのがこれ。
「2位になられた松浦さんが歌われた中也の曲、真理さんとご一緒してみたく思いました」
陽子ちゃんの選曲眼は確かなので、きっといい曲です。
YouTubeを検索しました。
素敵な曲です。

次は作曲者の藤中聖也さんを検索してみましょう。
こちらもすぐに出てきました。すでに会社?楽譜を販売する様式が整っていて、メールをすぐに送れるようになっています。
送りました。

はじめまして。西野真理と申します。

「月夜の浜辺」の楽譜をぜひ購入させていただきたく、ご連絡差し上げました。

この作品を知ったきっかけは、いつも共演しているピアニストが奏楽堂日本歌曲コンクールで拝聴し、「真理さんとぜひご一緒してみたい曲」と教えてくれたことでした。
その言葉で、さっそくYouTubeで演奏を拝聴し、とても心惹かれました。

もしこの作品がチクルスの一部であれば、他の曲にも興味がございます。
つきましては、もし楽譜をご購入させていただけるようでしたら、ご案内いただけますと幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。


・・・多分続く

小中学校音楽部会研修会講師オファー 2025年5月9日(金)

1つ前のブログを書こうとしていた時、電話がかかってきました。加賀市錦城中学校の先生からです。この部分書くと長いので興味をお持ちの方はこちらのリンク先を頼りにあちこちご覧ください。

そういうわけで、お話しが始まるや否や
「はい、歌います」
「今回はコンサートじゃないんです。研修会で発声法とかのご指導をお願いしたくて」
「得意!」

・7月23日(水)10時~12時(夏休み中)
・発声法や発表会に向けての指導法
・生徒の指導法
・先生は小中合わせて24名(声楽専門の方はいらっしゃらない)

楽しみ!
それにしても、こんなご依頼が2つも続けてあるとは!

作曲家・次郎丸智希さん 2025年4月12日(土)

 昨夜のこと、ピアニストの近藤陽子ちゃんから中原中也作詩「サーカス」につけられた曲をご紹介いただきました。陽子ちゃんが、群馬の実力派美人歌手で私とも仲良くしてくださっている鷹野恵さんの本番で弾かれたもののようです。
紹介してもらったのはいいのですが、面倒なことの嫌いな私は、それが超現代曲っぽいものだったら音取りは大変だし面白くないし誰にも聞いてもらえないしでいやだなあと内心思っていました。

ところがその後、それが歌われているYouTubeも陽子ちゃんからご紹介され聴いてみると、これがとても素敵な曲なのです。難解でも音が取りにくそうでもありません。「サーカス」にはいろいろな作曲家の方が曲をつけていらっしゃいますが、正直なところどれも歌いたいとは思いませんでした。でもこれは歌いたいと思いました。
そこで陽子ちゃんに楽譜を写真で送ってもらいました。
やっぱりいい曲です!
YouTubeで他にも演奏はないかと探すと、合唱に編曲されているものもありました。
とりあえず、この日はこれでおやすみなさい。

朝になりました。
「サーカス」の練習です。美女コンを控えていてそっちを練習すべきですが、こっちをやりたくてたまりません。
とりあえず音取りをしました。割と楽に取れてしまったので、ピアノと合わせたい!でも私には上手に弾けません。そこで目をつけたのが昨夜発見した合唱団です。この合唱のピアノがものすごく上手いのです。テクニックという意味だけではなく、音楽としても素晴らしいので、これに合わせて歌うことにしました。いい感じです。
この曲、いつか美女コンで歌おうと決めました。

午後になりました。
美女コンで歌おうかと思っているような曲を写真で送ってもらった楽譜で勉強しているのはあんまりだと思いネットで楽譜を探しましたが、販売されていません。
そこでFacebookを見てみると、次郎丸さんが出てきたではありませんか!
こうなったら連絡を取りましょう。

突然のMessengerでのご連絡でしたが、次郎丸さんは丁寧にご返信くださって、楽譜を購入できることになりました。またその後何往復かMessengerでお話をして、なんと、先ほどの合唱団のピアニストは次郎丸さんご自身であることも判明しました。
現在、私の聞く耳も大したもんだと自画自賛中です。

悠来さんを偲んで 2025年2月11日(水)

「遠いところからここへ来てくれた、という思いを込めて悠来(ゆき)と名付けました」
こんな言葉から牧師でありお父様による告別式「葬送にあたり」のお言葉は始まり、たくさんの悠来さんの思い出が語られて
「少々型破りではありましたが、これで終わります」
と締めくくられました。

私の大切な声楽仲間・松下のぞみちゃんの姉・悠来さん56歳のあまりにも早い旅立ちです。

のぞみちゃんから告別式のご連絡をいただいたのは2月9日。のぞみちゃんはきっと、私にそのことを伝えれば、石川県から全国的な寒波襲来の中で静岡まで私を呼ぶことになってしまうと躊躇したことでしょう。でも、教えていただいて悠来さんとお別れが出来て本当に良かった。のぞみちゃんありがとう。

ただ実際、すぐにのぞみちゃんの大親友・和(なぎ)ちゃんと連絡をとり、電車のチケットと前泊ホテル予約を済ませたものの、
「電車止まるかも!」
の不安はつきまといました。
10日は宇ノ気駅発13時21分なのに、早々と準備を済ませて10分置きに電車運行状況をスマホで確認。
幸い少々の徐行運転はあったものの、全て予定の電車に乗ることができました。

11日朝は和ちゃんと私を、松下家と親しくしていらっしゃる小野瀞子さんが島田駅までお迎えに来てくださって、帰りもその方にお送りいただくことに。しかもお別れの時にはお土産までいただいてしまいました。

それでは山田悠来さんを偲びながら、告別式を振り返ります。
式場 さゆり幼稚園。正面に美しいお花。
司会 葬儀社
※この告別式としての進行はのぞみちゃんが実に立派にやり遂げました。
司式 川根バプテスト教会
牧師 松下正巳
奏楽 松下のぞみ(電子オルガンによる讃美歌)
聖書 マタイによる福音書
            27章45〜54節
讃美歌 320 主よみもとに近づかん
祈祷 牧師(父・松下正巳)
葬送にあたり 牧師(父・松下正巳)
弔辞 母・文代さんより悠来さん上司弔電朗読
献歌 ①コーラス・リベルテ「時代」(作詞・作曲 中島みゆき)
   ②歌・松下のぞみ ピアノ・奥田和
   「春」(作詞 新川和江 作曲 信長貴富)
※この歌を歌うことの説明がのぞみちゃんから。
「もう最期という時、姉が大好きだったこの『春』を歌ったら、パッと目を開いてくれました。歌うにあたって、この曲のピアノをすぐにお願い出来るのは和ちゃんしかいないと、お忙しいのは承知でお願いしました」
・泣かずに歌いきったのぞみちゃん、立派です
祈祷
讃美歌 405 神ともいまして
後奏 Chopin 別れの曲(ピアノ 松下のぞみ)
喪主挨拶 山田浩嗣(悠来さんのご主人)
※とてもかわいい悠来さんとの出会いからお話を始められました。
今日まで結婚生活30年。病気がわかってからも(3年ほど)最期まで在宅で仕事を続けたし、旅行にもたくさん出かけた。いよいよというときに退職届け。その時悠来さんは「これで終わった」と一言。いい生活だった。
献花
※棺の中の悠来さんのメイクはのぞみちゃん。そして悠来さんの旅立ちの衣装はのぞみちゃんが「私の妹」という曲を歌った時にステージで着用した白いドレス。選んだのが悠来さんだったので。

告別式後、火葬場までご一緒しました。
火葬をご親族とともに待合室でお昼をいただきながらお待ちしました。時間もありますし、親族でもない私や和ちゃんが何者なんだろうときっと訝しく思われる方もいらっしゃるかと、私は思い切ってお話を始めました。
①私とのぞみちゃんとの出会い
②その要所要所で力を貸して下さる悠来さん
・常にのぞみちゃんのマネージャーでありアドバイザー
・ステージ袖ではインカムで指示
・のぞみちゃんのメイクや衣装も担当、把握
③松下ご家族のサポート
④ピアニスト奥田和ちゃんのこと

また、お話されている方の中に「耳が遠くて」とお困りの言葉が聞こえたので、次の方法をお伝えしました。

・スマホのGooglePlayで「日本語 書き起こし」と検索
私が使っているのは↓
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.google.audio.hearing.visualization.accessibility.scribe

これ、本当によくて、ほぼ会話と同じスピードでしかもかなりの感度で書き起こしてくれます。耳の遠い方以外でも、喧騒の中とかメモ代わりに使えてとても便利です。(詳細、別のブログにもあります)

こんなお話をしている間に、ほんの少しのぞみちゃんのママが元気になられたように見えて気が楽になりました。
のぞみちゃんは随分無理をしているに違いないので、このあとゆっくりしてほしいです。この私でさえ父の葬儀5日後、突然膀胱炎になったのですから。

そして、お話の最中に閃きました。
「悠来さんのお誕生日である10月2日前後に悠来さん追悼も込めたコンサート、のぞみちゃんと和ちゃんと私の3人でしましょう」
このコンサートのラストの曲は
「春」
※後日、10月はのぞみちゃんも和ちゃんも演奏本番で忙しいということが分かったので、開催日時は変更されると思われます。

〈余談〉
最後に島田駅の駅員さんにお礼を。
帰りは島田駅で電車のチケットを購入しました。
島田(在来線)→浜松(東海道新幹線)→名古屋(東海道新幹線)→米原(特急しらさぎ)→敦賀(北陸新幹線)→金沢(在来線)→宇ノ気
この最後の北陸新幹線。たまたま島田駅で駅員さんが金沢止まりの「新幹線つるぎ」を取ってくださいました。ちょっと前に乗れる「かがやき」もあったのに。
私はこのブログを島田乗車からスマホで書き始め、北陸新幹線途中で書き終えウトウト。
ふと目を覚ますとあれ?誰もいない。新幹線止まってる・・・
するとアナウンスが
「この新幹線は金沢止まりで回送となり、ご乗車できません」
❗️❗️❗️
大慌てで飛び降りました。
乗る予定の在来線もう行っちゃったかも❗️❗️❗️
間に合いました。金沢駅で停車した新幹線で3分程寝ていたようです。
島田駅の駅員さん、ありがとうございました。東京まで行ってしまうところでした。





   

21年前の秘話(奏楽堂日本歌曲コンクール) 2024年12月15日(日)

今日のブログは、私が21年前、奏楽堂日本歌曲コンクールで2位になったときの、私だけが重要だと思っている場面の回想です。

このお話は少々込み入っていて、お話するのも文章にするのも面倒。ですから実際はこれからのお話、「秘話」とはいうものの5~6人の親しい方にはお話ししています。
しかし、あれから21年経ったので、自分の記録として書き起こしてみることにしました。これをお読みくださる方、話があちこち飛びますし、とても重要な部分が西野真理の想像(憶測)でしかないので、その辺りご了解の上お読みくださいませ。


<まず最初に奏楽堂日本歌曲コンクール挑戦記録>
 1998年 36歳 第9回(初出場)1次予選敗退(198人中67位・通過45人)
 1999年 37歳 第10回(2回目)1次予選敗退(203人中56位・通過45人)
 2000年 38歳 第11回(3回目)1次予選通過(198人中30位・通過45人) 
                 2次予選敗退(45人中16位・通過11人) 
 2001年 39歳 第12回(4回目)1次予選敗退(198人中49位・通過47人)
 2002年 40歳 第13回 (5回目) 1次予選通過(223人中20位・通過50人)
                  2次予選通過(50人中7位)
                  本選入選    ( 11人中6位)
   2003年 41歳 第14回(6回目)   1次予選通過(183人中18位・通過49人)
                            2次予選通過(49人中4位)
                            本選2位(8人中)
 このブログは↑の赤字の部分に関することです。

早速話は飛びます。でも、ここが重要な部分にとっていちばん重要な部分。
詳細は↑にリンクを貼っておきますのでそちらを。
簡単に書きますと、福光声楽サマーセミナーは1993年から2013年までの20年間、富山県福光町(現在の南砺市)のスキー場イオックス・アローザを会場として毎年8月1日~7日まで行われた声楽とピアノ伴奏者のためのセミナーです。
そのセミナーに私はほぼ毎回参加(聴講も)しました。その初期は実力もなければ現在の師匠・関定子との個人的つながりもありませんでした。
また、セミナーそのものも少しずつ工夫・進化されながら重ねられました。

そんなセミナー発足5年以内(多分)の時。
セミナー最終日に優秀受講生が発表され、最終日のパーティー会場で、選ばれた皆さんの演奏が披露されます。優秀受講生発表そのものは最後まで続きましたが、いつからか演奏はなくなり、表彰だけになりました。

<西野真理のセミナー参加とコンクール挑戦>
おわかりの通り、私のセミナー参加とコンクール挑戦は重なっています。そしてコンクールに敗退を続けていた頃、セミナーでも優秀者に選ばれることなどもちろんありませんでした。
そんな頃の私は、最終日に優秀者に選ばれた人たちをただ羨ましく、また、惨めな思いを抱きながら眺めていました。
その優秀者にAさんもいらっしゃいました。後で分かるのですが、Aさんは関先生門下のお一人でした。

<2003年奏楽堂日本歌曲コンクール一次予選>
時が経ち、セミナーでもコンクールでも少しずつ実力が上がったことが感じられるようになっていきました。
そして迎えた2003年奏楽堂日本歌曲コンクール一次予選。
会場に到着すると受付でプログラムを受け取ります。一次と二次は番号だけのプログラムで、名前が記載されていないので、自分の順番に自分の歌う2曲が正しく記載されているかどうか、まずは確かめなければなりません。
すると、私の演奏曲「木の洞」「病める薔薇」の次の出演順の方の欄にも全く同じ順番で「木の洞」「病める薔薇」。
その時私は思いました。
「私が先で良かった」

<会場廊下で>
着替えも済ませあと5~6人で自分の順番、ステージ方向へ向かいました。
そこで出会ったのがピアニストのBさん。彼女は福光声楽サマーセミナー公式ピアニスト。セミナーに何度も参加するうちに顔見知りになり、親しくお話できるようになっていました。Bさんは優しくてどなたからも信頼され、関先生のステージピアニストとしてもご活躍の方です。
「あ、西野さん。全く同じ曲歌うのね!」
なんと、私の次の全く同じ歌を歌われる方のピアニストがBさんだったのです。そして、Bさんのすぐ後ろにいらした歌い手さんを見ると、あれ?どこかで見たような・・・福光声楽サマーセミナーで優秀賞に選ばれた方じゃないかな?
私はその時それがAさんとはわかりませんでした。この方がAさんだとはっきりわかったのは昨年(2023年)のこと。もしかして、と思ってこのお話をBさんにして初めてわかったのです。

<Aさんの反応>
私はAさんを見て瞬間的にとても安心しました。
「優秀な方の前に歌えて良かった」
そしてAさん。ここからが私の想像(憶測)です。私はAさんをとても優秀な方であると察知し、私は挑戦者という気持ちでその場にいました。
ところがその時のAさんの表情が私には
「こんな優秀な人のあとに歌わなきゃならないの」
と思っていらっしゃるように見えたのです。そして
「以前自分が優秀だと思った人から優秀な人だと思われて嬉しいな!」
そんな気分になってしまったのです。
その瞬間から私の心はとても軽くなりました。こう見えても(どう見えるか存じませんが)私はとってもあがり症なのです。しかしこのことで緊張がとれて、一次予選はとても気持ちよく歌うことができました。

一方AさんとBさんですが、その後Bさんから
「舞台袖で全く同じ曲聞いて、なんか変な感じになっちゃって・・・」
気持は良くわかります。順番が逆だったら結果は違っていたかもしれません。

結果的に私は一次予選通過、Aさんは一次で敗退されたそうです。(これも昨年わかったことです)

<本選後の感想>
その後私は2次予選も通過し本選に残り、2位になることができました。
本選前もあの場面を思い出し、あのときの心の軽さを持ったまま臨めたように思います。

「運か努力か」
という論争がよくありますが、私のこのコンクールに関しては、まさに運としか言いようがない、と今も思います。



第4回平井康三郎声楽コンクール入賞・入選記念コンサート出演(渋谷)&第6回あれやこれおもしろコンサート(高崎)鑑賞 その4 2024年11月27(水)28日(木)

2024年11月28日(木)午後
スタッフ集合
集合は13時半。まだ13時10分ですけど入口まで行ってみましょう。 



あれ?もう準備始まってるみたい・・・メモを確認。!集合13時でした。
ごめんなさい。
ちょうど陽子ちゃんのお母様がいらしたのでご挨拶し、責任者の方にお謝りしてお仕事開始。とは言え、それほどのお仕事もないのです。
・置きチケットお渡し
・車椅子の方補助
・お花等のお預かり
・ドア開け
・チケットもぎり
・楽屋撤収お手伝い
それもほとんど慣れたお仲間がやって下さっています。

お客様は、今日の出演者がご指導中の合唱団関係者が多いのかな?平均年齢70歳は超えていると思われます。

コンサートの振り返り
さて、今回のコンサートは地域のニーズに合わせたお客様中心のプログラム。クラシックはもちろんありますが、童謡あり昭和歌謡あり。皆さんもご一緒にのコーナーでは
「りんごの唄」「三百六十五歩のマーチ」
を楽しく歌っていらっしゃいました。
玄人向けとしては「荒城の月」をベートーヴェンの「月光」を用いて伴奏をアレンジしたもの、とても素敵。
歌手のお二人、たくさんの童謡・昭和歌謡を器用にこなされ随分お疲れのはずなのに、後半超絶オペラを疲れを感じさせることなく歌い上げ、ほんとに御立派。
ピアニストのお二人は伴奏はもちろん、ソロ、連弾、時に演劇、リコーダーと休む暇無し。それら全てをプロとして時に楽しく、時に真剣にのバランスがとってもいい。
求められるコンサートを続けている皆さん、素晴らしいです。

打ち上げ
なぜか私も打ち上げにご招待頂きました。
とってもおしゃれで美味しいレストラン。
1つ目のお料理が出てきた時は冷静に写真を撮りましたが、あとは夢中で食べて、写真なし。















楽しい時も過ぎ、歌手の恵さんに高崎駅まで送って頂いて、19:53はくたか乗車。現在新幹線の中でブログ執筆。金沢到着予定22:16。
楽しい楽しい2日間でした。

帰途
そうそう、高崎は雲一つない晴れで気温高めでしたが、先程の彼からのラインによると、かほく市は現在みぞれが降っているそうです。でも彼が22:57に宇ノ気駅まで迎えに来てくれるので心配なし。

帰宅 
強風・雨・頻繁に雷。
北陸に冬がやってきます。

第4回平井康三郎声楽コンクール入賞・入選記念コンサート出演(渋谷)&第6回あれやこれおもしろコンサート(高崎)鑑賞 その3 2024年11月27(水)28日(木)

2024年11月28日(木)「あれやこれ〜」本番当日です。

話はさかのぼります
前日の平井康三郎〜コンサート出演がわかった段階で、11月27日の新幹線帰宅は難しいから夜行バスかな?翌日何かコンサートでもあればホテルに泊まるっていう選択肢もあるけど・・・。
そんなことをピアニストの陽子ちゃんとお話ししていたら
「翌日、高崎でコンサートなんです!」
こんなうまい話あるでしょうか!あるんです。
そしてさらに11月21日、陽子ちゃんから

真理さん
急なお願いで大変恐縮なのですが、「あれやコレ」の開演直前と休憩時間だけ、スタッフのお手伝いをお願いしても宜しいでしょうか?

はじめはこれを、陽子ちゃんが私にチケットを購入しないでいいよう気を使ってのことと思っていました。しかしこれ、会場規則のスタッフ人数の絡みで、本当に私へのスタッフ依頼であることが判明。もちろんOKです。

当日に戻ります
アパホテルチェックアウトは11時。せっかくですからのんびりしましょう。朝からお風呂に入り、コンビニで朝ご飯を買い、本当にのんびりしていたらすぐに11時。

会場スタッフ集合は13時半。
陽子ちゃんから
「高崎駅近くのマンションに美術館があります」
と教えてもらったので、そこへ。



会場へ行ってしまいましょう。
もちろん時間つぶしは訳詩です。
それも飽きて、ブログ書き。
3本アップしてしまいました。

その4に続く

第4回平井康三郎声楽コンクール入賞・入選記念コンサート出演(渋谷)&第6回あれやこれおもしろコンサート(高崎)鑑賞 その2 終了後 2024年11月27(水)28日(木)

2024年11月27日(水)21時過ぎ
コンサート終了後は陽子ちゃんと一緒に高崎へ。(埼京線で大宮。大宮から新幹線で高崎) 

↓高崎駅にあったダルマ


夕食
陽子ちゃんとは高崎駅でお別れし、私はとりあえず高崎アパホテルチェックイン。
さあ、何か食べましょう。私はお蕎麦に決めていたのですが、この時点で23時近く。ほぼしまっています。
高崎駅周辺2周。あきらめてLAWSONへ行こうとしたその時、居酒屋さんが目に入りました。そしてその看板にはおうどんが!この際おうどんでもお蕎麦でも同じ(同じじゃないけど)。
入りました。
注文しました。
「煮込みひもかわうどん 850円」


この麺、いつも食べている麺とは違って、幅2cm位あります。


食感スベスベで美味しい。美味しいんですけど何かに似ています。・・・あ!私が時々作る余りものを入れたおうどん。これは私の料理を美味しいと言えばいいのか、この居酒屋が家庭的と言えばいいのか微妙なところ。

体も温まり、ホテルへ戻りゆっくりお風呂に入ってこの日は終わりました(28日になっていましたけど)

その3へ続く

第4回平井康三郎声楽コンクール入賞・入選記念コンサート出演(渋谷)&第6回あれやこれおもしろコンサート(高崎)鑑賞 その1 2024年11月27(水)28日(木)

題名が長くてごめんなさい。でもそういう事です。
(※平井康三郎声楽コンクールについては別ブログをどうぞ)

前夜の地震 2024年11月26日(火)
11月26日22時47分。かなりの揺れ(震度4)。もちろん今年元日よりはずっと弱くはありました。でも、さらに強い揺れが来るのではと身構えました。明日の準備も整いそろそろ寝ようかなと思っていた時でしたが、電車運休が気になり、すぐにネット検索。どうやら大丈夫。
その後ベッドに入ってから何度も余震があり、その度目が覚めました。

当日朝 11月27日(水)
10月東京往復3回、11月3回。これまでの5回は全部日帰りでしたが今回は「あれやこれ〜」へ伺うので高崎で1泊します。そのため金沢駅までは宇野気駅から電車の予定にしていました。(駐車場料金節約のため)
宇野気駅発7時26分。彼に「宇野気駅まで送って」と頼んでいましたが、もしまた大きめの揺れがあると電車が止まるかも!と彼には悪いけれど金沢駅まで送ってもらうことにしました。幸い揺れることはなく、新幹線も定時発着。

渋谷・三浦ピアノ
ピアニストの陽子ちゃんはコンクールのピアニストを務めていただき、もちろんこのコンサートも陽子ちゃんに弾いていただくつもりでした。ところが陽子ちゃんは翌日高崎で「あれやこれ〜」の本番。今回のことをお願いすることは少々ためらわれました。しかし、陽子ちゃんの快諾を得て、今日もほぼ1日ご一緒します。
コンサートゲネプロ集合は14時半ですが、やはり練習しておきたくて、12時半に渋谷・三浦ピアノの練習室を予約(こんなことも全部陽子ちゃんにして頂きました)。
私は11時半には渋谷に着いてしまったので、EXCELSIORでカフェラテとミルクレープ。これで同一メニュー3回目です。
そういえば10月~11月の5回の東京、ちゃんとしたレストランに入ったことは一度もありません。でも私の目的は観光ではないのでノープロブレム。このブログもEXCELSIORの窓辺で書いています。通りに見えるのは日本人半分外国人半分。今日は暖かめではあるものの、私はちゃんと厚着。でも外国人男性の3分の1くらいは半袖!なぜ?おヘソ出してる女の子も!以前ネット検索すると「外国人は筋肉量が多くて体温が高い」と書いてありました。でもそんなにあたたかいのでしょうか。

陽子ちゃんと合流し予約の12時半少し前に三浦ピアノへいくと、受付の男性から
「あと10分ですけどよろしいですか?」
あらあら、予約時間を間違えていたようです。
30分延長。料金、陽子ちゃんが払ってくださることに。申し訳ない。

関定子先生のご好意
関先生にはこのコンサートのためのレッスンにもお伺いしました。その時
「コンサート行けないの」
先生、イタリア旅行中(「セキテイと巡るイタリア・ドイツの旅」)なのです。その代わりにと、私からチケットご購入くださって、門下生のKさんに
「あなた行ってあげて」
と託してくださいました。
どこまでもお世話になりっぱなしです。
先生今頃ミラノかな?

13時半 会場集合
電車の遅延で間に合わない方もいらっしゃいましたが、ほぼ揃って控室へ。

14時 ゲネプロ開始
このコンクール、予選から本選まで会場で他の方の演奏を聴けることは全くありませんでした。でも今日は出演者全員会場の椅子に座って、プログラムの順番に歌い聴きます。
最初の人が終わりました。会場から審査委員長の平井先生が出ていらしてダメ出しっていうかレッスン状態。これ時間かかりそう。
いつも思うのは、歌手を目指すような人って小さい頃から
「きれいな声ね」
と言われた人だということ。
どの人もとにかくきれいな声。
その中にあって、それほどきれいってわけじゃなく、少し太めの西野真理の声はある意味コンクールには有利なのかもしれません。

14時50分 西野真理ゲネプロ
と、その前にピアニストの藤波さんから
「ピアノ、全開にしちゃダメかしら」
とご提案を耳打ちされに。
音楽関係者ではない方へ。
ピアノの蓋って、開きますよね。あれ、開ける大きさによって音の大きさや響きが変わるんです。そして、歌い手はあの蓋が背中にあるとそれが反響板の役目になって自分の声がよく前に出てくれるという利点もあります。もちろん大きすぎる場合は開け方を小さくします。
今回は最初から半開だったので、ベテランでこの会場の経験もお有りの藤波さんは提案してくださったのです。
そこでここはおそらくこの歌手の中で最年長であろう西野真理、審査委員長で先程からゲネプロにお付き合いくださっている平井先生に
「試しに全開では?」
とお声掛けしたところ、
「途中で開けたり閉めたりできないので、もし開ければそのまま開けて・・・」
ということで、とりあえず西野真理のゲネプロからは全開で歌ってみることになりました。

歌い終わりアドバイスを頂き客席に戻ると、皆さんこの方がいい、みたいなムード。全開でやることになりました。

ソロのゲネプロが終わったのは16時01分でした。

合唱ゲネプロ
出演者全員で平井康三郎作曲の「ゆりかご」「甲斐の峡(さわ)」「スキー」を最後に合唱します。
久しぶりの歌える方ばかりでの合唱、とても満たされた気持ちになりました。

本番
まあ、普通。
衣装は↓
だって関先生から
「ティアラつけようがどうしようが好きに派手にしていい」
って言ってもらったんだもん。


西野真理今日一番の善行
本番が始まりました。本番が半分以上過ぎると、練習室には誰もいなくなります。
私の出番は前半最後から2番目。
そこで気づいたのです。出番が終わり練習室も空いたこの時間、明日コンサートの陽子ちゃんにピアノの練習をさせてあげられる!と。
「陽子ちゃん、コンサートの後半、練習室で練習してくれば?」
明日のコンサートを控えて本来なら家で練習したかったはずの陽子ちゃんに練習してもらえて、本当によかった。

無事終了
コンサートも記念撮影も無事終わり、皆さんとお別れしました。どの方も気持ちのいい方でとても素敵なコンサートでした。
↓審査委員長の平井先生と

↓楽屋で。左から西野真理
田坂蘭子さん(歌手)
藤波結花さん(ピアニストこの写真を送ってくださいました)
近藤陽子さん(ピアニスト)


改めて感じた幸運
この日改めて思い返したのは、31歳の時、福光声楽セミナーに参加出来たことと、関先生の門下生になれた幸運。イタリア旅行中の堀内さんとの関先生にお礼としてプログラムのプロフィール写真をラインに添付して送信。

武蔵野音楽大学声楽科を特筆することなく卒業。31歳で参加した福光(現在の富山県南砺市)声楽サマーセミナーで実力を思い知るとともに、現在につながる師(関定子・塚田佳男)や仲間との出会いを得て、歌の勉強を再スタートする。‘01年「叱られて」歌唱コンクール第2位‘01年21世紀日本歌曲コンクール第1位‘02年奏楽堂日本歌曲コンクール入選‘03年奏楽堂日本歌曲コンクール第2位。中学校教員を2022年定年退職後は「人生100回」を目指し地域に根ざしたコンサート活動(トークショー付き)を奇数月年間6回開催、オペラ・歌曲の歌唱用訳詩活動、YouTubeへの歌唱動画投稿、FMかほくパーソナリティなど多方面で活動している。
(赤字は事務局さんからのご提案で削除した部分)

↓自分プログラム用に書いたプロフィール


その2へ続く

平井康三郎声楽コンクール その4 本選 2024年10月17日(木)

4:30 起床
昨夜は「眠れなかったらどうしよう」と心配しつつベッドに入ったはずですが、すぐ寝たようです。
お化粧、荷物確認、それでもまだ余裕があったのでパン焼き(ホームベーカリー)。まだ時間があったので、このブログを書き始めました。時系列で書くことになるので、わかってる時間だけは書いておきましょう。帰りの新幹線に乗っている時には結果がわかっているんですね。

6:00 出発
金沢駅まで走る日本海に沿った「のと里山海道」から見える日本海、先日までは凪状態だったのに、今日はまあまあ高い波。今日私が歌う「九十九里浜」の雰囲気にぴったりだなぁ~なんて思いながら車を走らせました。
20分強の余裕で金沢駅到着。駐車場は3階。新幹線の座席は3号車3番。出場順3番に合わせてみました。コンビニでもっちりチョコバナナクレープ購入。

7:03 金沢駅から新幹線乗車(かがやき502)
まずはチョコバナナクレープ食べましょう。
そして訳詩開始。ブラームス作曲「ジプシーの歌」。この曲はもともと四重唱曲・全11曲で作曲されたものを後にブラームス自身が1〜7曲目と11曲目、計8曲を独唱曲に編曲し直したというもの。昨日までに4曲目まで終えていたので、これから4曲目を見直し先へ進みます。
7曲目まで出来てしまいました。
このあといつの間にか眠っていて、気づいたら上野。

9:32 東京駅着
渋谷へ向います。
10時過ぎには到着。
二次予選の時と同じ三浦ピアノすぐ近くのEXCELSIORで二次予選の時と同じカフェラテとミルクレープを食べながらピアニストの陽子ちゃんをのんびり待つつもりでいたら、陽子ちゃんも10時半には到着。おしゃべりしながら予約の11時を待ちました。














今思うと二次予選の時のほうが随分緊張していた気がします。本選は歌うだけだけど、二次予選は本選に残れるかどうかがかかっていますから。

11:00 渋谷・三浦ピアノで合わせ
特に問題なく終了。

12:00
12時に三浦ピアノを出て、会場へ。ちょっと迷いましたが無事到着。12時半には着いていました。
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(6階)は区の施設のようですが、とってもきれいです。
まだ誰もいらっしゃらないので、この時を利用して付けまつげを付けてしまいました。これって緊張すると上手につけられなかったりするので、早めに付けておくのが正解。ショパンコンクールで2位になられた反田さんだって、本選前に緊張しすぎてネクタイが結べなかったっておっしゃってましたから。

陽子ちゃん、コンビニへ。
その間を利用して、このブログ書いています。
陽子ちゃん、私のためにアンパンを買って来てくれました。

13:15 コンクール受付
着替え。
今回も出演者は聴けないそうです。
着替えたりお化粧したりしているうちに、あっという間に練習時間。

13:56 練習室で5分間のピアノと合わせ練習
練習室は2階下の4階。でも今日は利用者が多くエレベーターがなかなか来ないということで、少し早めに係の方からお迎え。このお迎えは八ヶ岳声楽セミナーでご一緒した、紋(あや)ちゃん。
練習、上手に歌えました。

14:00 本選会開演
練習室から直接舞台袖へ。
私の前のお二人は私とは違う曲だったので安心して聴けます。

14:24分ころ 私の本番スタート(3番)
予定では14:16スタートでしたが、前のお二人の選ばれた曲が長いものばかりだったので、遅れています。

14:30頃
「野焼きの頃」「九十九里浜」
普通に終わりました。
特に悔いはありません。

17時30分までにここへ帰ってくればいいので、かなり時間を持て余します。そこで、表参道のKAWAIへ楽譜を見に行くという陽子ちゃんについて行くことにしました。
表参道、何十年ぶりでしょう!
行ったとて、何も買うものは(買えるものは)ありません。でも素敵!

KAWAIで久しぶりに楽譜売り場を眺めました。ネットで買うようになって久しいので、なんだか新鮮。

本当は陽子ちゃんとお食事、と思っていたのですが、表参道で入れそうなお店を見つけられず、結局地下鉄改札近くのカフェでお茶。















お茶してる時に今日頂いた資料を見るとその裏面にこんな記述が!
「演奏終了後は、舞台衣装から表彰式用のセミフォーマル衣装への着替え後・・・」
え!セミフォーマルって何!!!
私、ただの普段着ですけど。
そこで陽子ちゃんの提案は
「今着ている服に、舞台用のネックレスとイヤリングをつける」
そうします。

渋谷に戻り陽子ちゃんとお別れし、現在コンクール会場ロビーで一人ブログ書いてます。














17:30 集合
皆さん、先程の「セミフォーマル」に驚いていらして、仕方なくアクセサリー取り出したり色々。男性たちは舞台の衣装に着替えられました。
私の前にあるモニターには表彰式会場が映し出されています。















17:45
係の方(紋ちゃん)から
「皆様、審査が押しておりまして、あと30分ほどお待ちください」

18:00 
本来ならこの時間に結果発表。でもまだ。
そして私の結果待ちの緊張はパタッと切れ、
「訳詩の続きしよっと」
最後の一曲、訳詩開始。
18:25訳詩完了!
あ〜帰りの新幹線することない!

18:30 ステージへ
とりあえず出演順にステージの椅子に座るように指示がありました。出場者みんなヤキモキ。何にかと言いますと、広島までお帰りになる田坂さん、品川発20時。19時には出たい!そりゃそうですよ。

18時40分 表彰式開始
始まったのはいいのですが、審査委員長さんのお話がとても丁寧。(言葉を選んでいます)田坂さんのことでヤキモキします。
 
結果
1位 該当なし
2位 男性一人
3位 男性二人
これで終わりかと思ったら奨励賞が二人
西野真理
田坂蘭子

正直に書きましょう。
3位の男性一人目が発表された時点で、私は入賞全員男性、または2位が田坂さんだと思いました。
そして、2位の発表で田坂さんが入っていないことがわかり、これで終わりかと思ったら奨励賞2名の発表。私は奨励賞があることを知らなかったのです。
そのことを知った途端、
「奨励賞は私と田坂さん」
と思いました。
なぜ?
このコンクールは出場者は聞けないので、私が聞いたのは袖にいた時の数名。それもちゃんと聞こうと思ってはいません。でも、陽子ちゃんが田坂さんを絶賛していたので興味があり、田坂さんの演奏だけは袖で聞こうと思って聞きました。彼女は実力者だとすぐわかりました。そして、私と同系列の歌い方だということも感じました。
しかし、審査委員長が
「今回は1位該当者なし」
と発言され、3位のお一人が男性であった時点で、これはまず声なんだな、と。そうなるとここに女性が食い込むのは困難です。
しかし、音楽的に完成度高く歌った人をそのままにできないので、その人に奨励賞を。
すみません、男性の方々が音楽性が低いと言っているわけではありません。何しろ私は聞いていないのですから。

さて、先程のお急ぎの田坂さんです。
係の方もご存じだったので、田坂さんの写真を先に撮って、田坂さんは会場を出て行かれました。間に合われたかな?
私は21:04東京駅なので余裕。
審査員の皆様とそれぞれお話しし、関先生に写真を撮って頂き・・・あっ!自分で撮るの忘れてた!
・・・とちょうどこれを書いていたタイミングで、田坂さんのピアニスト・藤波さんから写真を送信していただきました。ありがとう、藤波さん。
またその後、関先生もFacebookに写真を上げてくださいました。





































20時過ぎ
やっと会場を出ました。
まだ陽子ちゃんにも家族にも連絡していません。陽子ちゃん、ドキドキして待ってくれてるでしょうに。

山手線に乗って、陽子ちゃんと家族にやっとライン。

21:04 東京駅から新幹線乗車(かがやき519)
お夕飯はお昼に陽子ちゃんに買ってもらったアンパンと、お水と梨ジュース。














そしてあとの時間はブログ書きと訳詩したもののリズム譜作り。

あと20分弱で金沢。リズム譜もほぼ完成。ほぼというのは、リズム譜用の紙が足りなくなったから。
ブログも概ね完成です。
あとは帰宅後書き足して、写真を適宜挿入するだけ。

23:32 金沢駅到着

本当はこのブログ、すぐにでも公開したいのです。でも出来ません。9月の美女コンで
「11月の美女コンで結果発表します。それまでブログを書いても公開しません」
と宣言してしまったので。

↓美女コンでご報告をしているところ
横山さん撮影














長い長いダラダラしたブログへのお付き合いありがとうございました。
でもまだ続きます。入賞者コンサートのことがありますからね。

その5へ続く

西野真理の色々なお話

災害時の連絡について  2026年8月28日(金)

 災害時、親しい方の安否が気になるのは当然のこと。しかし、そのために連絡を取ることについて、その方のお心がわかるだけに申し上げにくいこともあります。以下は能登半島地震被災体験者・中村弥子さんのFacebook、金子国土交通大臣のXから(7月26日熊本地震について)お借りしました。...