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21世紀日本歌曲コンクール(25年前のエッセイ)転載します 2026年4月7日(火)

先日のブログ(「春の横浜に歌う」その6  当日朝 2026年4月1日(水))に、本番の朝、声が出なかったことを書きました。そこでその関連の
「21世紀日本歌曲コンクール」
について書いた25年前・39歳の時のエッセイを転載いたします。(文体等少し手を入れました)

21世紀日本歌曲コンクール


私、西野真理は、2001年3月20日、東京錦糸町「すみだトリフォニ-ホ-ル小ホ-ル」で行われた『21世紀日本歌曲コンク-ル』において、1位をいただきました。応援ありがとうございました。
 
過去3年間、私はこの時期、群馬県榛名町で行われる「日本歌曲セミナ-」に参加していました。今年も参加したかったのですが、昨年参加した時点で事務局の方ら
「西野さん、3年連続で来てるから、来年1回休みね」
と言われてしまっていました。
この時期が空いてしまうのが何となく寂しいなと思っていたところへ目に入ったのがこのコンク-ルの案内。

<1次予選・テ-プ審査>
提出期間は1か月もあるのに、私は決意を鈍らせないために1日目に提出してしまいました。(山田耕筰作曲 曼珠沙華)ちょっと偉そうですが、まあ、テ-プ審査で落ちることはないだろうとは思っていました。
募集要項には
「3月10日までに本人に封書でお知らせします。電話での合否の問い合わせには応じられません」
との記述。
「10日までとあるのだから、まあ5日ころには来るだろう」
と、3月に入ったころから毎日毎日郵便受けを見ますが届きません。
「もしかして、落ちたのかなあ。ひょっとすると、テ-プが届いてないんじゃないかなあ」
などと、不安は増大。

3月9日。ついに我慢出来なくなった私は、コンク-ル事務局に電話。
「すみません、石川県の西野と申しますが、もう合否はお送りになったのでしょうか?」
「はい、昨日発送しましたので、明日には着くと思いますよ」
「あの、私のテ-プは受け付けて頂けているでしょうか?」
「石川県の西野さんですね。はい、お送りしましたので、お待ちください」
ああよかった。私はほっとして電話を切りました。

<3月10日・テープ審査結果>
家に帰ってみると、事務局から封書が届いていました。
封を切る前に私は冷静に判断。
「きっと合格している。なぜなら、封書が厚いからだ。落ちていたら落ちましたの紙だけだから、たくさん入っているはずがない。」
正解。
すぐにいつもお世話になっている旅行会社に電話をし、電車のチケットとホテルがセットになった安いプランの予約。

ここで一つ私にとって幸運なことがありました。
このコンク-ルは、予定では3月20日の11時から2次予選、3月21日の夜7時から本選の予定でしたが、20日に全て終えてしまうことに変更になっていました。
もし予定通りに行われれば、私は石川県を19日に出て、本選に残れば、21日の仕事をまず休み、この日のうちには帰れないので、その日も宿泊し、22日まで仕事を休むことに。ホテルに3泊もし、仕事を2日も休まなくてはなりません。
しかし、この変更のおかげで、宿泊1日、仕事は全く休まなくて済むことになりました。

<コンクールへ出発>
3月19日は3時間目まで授業をし、東京行きの電車に乗車。
コンク-ルのため東京へ行くと、ピアニストと合わせをする練習場が池袋にあるため、たいてい池袋に直行。上越新幹線に乗って池袋に行くには、上野まで行くよりも大宮で降りて埼京線に乗り換える方が早いということを知ってはいましたが、やったことがありませんでした。今回初めてやってみると、20分も早く到着。
まずホテルに荷物を置き、スタ-バックスでコ-ヒ-を買って練習場に行くと、ピアニストの香織ちゃんは先に来てくれていました。
2時間2100円で借りた、1.9畳の練習場で、初めて合わせる曲の最初で最後の練習。
明日、まず行われる2次予選は
  ・蝉
  ・黴(かび)
の2曲。黴は2人でのステ-ジ経験があるし、蝉はそれほどの難曲ではありません。しかし、本選の曲は、はっきり言って難曲で、合わせたことがないどころか、香織ちゃんは今回私のために初めて練習した曲。無茶な話だと今になって思います。
(團伊玖磨作曲 ジャン・コクト-に依る八つの詩)
合わせは順調・・・には進まず、私は内心
「こりゃだめだ」
と思っていました。
しかし、彼女は努力し、次第に曲の形が整っていきました。
正直言って、コンク-ルなら1度の合わせで合ってしまうような一流のピアニストにお願いすべきかも知れない。でも私はお金もないし、なまいきな言い方だけれど、
「コンク-ルでもコンサ-トでも、ピアニストと歌い手に上下関係がなく、2人で音楽を作って行く」
ということ自体が好きなのです。
また、今回香織ちゃんのピアノは万全ではないけれど、こういう考え方も私を楽にしてくれる。
「落ちても私だけのせいじゃないも-ん」
合わせが終わると、いつもの台湾料理屋さんへ行き、体によさそうな食べ物を普段の夕食の1.5倍ほど食べました。
この時、2日ほど前から出始めた咳が断続的に出ていて、良くなるどころか回数は増えているように思わました。

<本番朝・3月20日>
起きるとすぐに声出し。
「.....出ない」
咳は一層激しくなっていました。
それでもしばらく低い声でそっと声帯を鳴らしていると少しずつ出てきて、何とか普通の声にまでもって行けそうな感じ。
ホテルはとても暑かったし、まだ行ったことのないホ-ルでもあるので、かなり早目に会場へ向かいました。

会場では、出場順の早い人のリハ-サルはもう始まっていました。私は待ち合わせをしている駅前のロッテリアで朝セットを食べながら香織ちゃんを待ち、いよいよ2人で会場の楽屋に入ると、もうほとんどの出場者が集合。
咳は激しさを増していて、私の願いは
「ステ-ジで声が出ること、咳がでないこと」
だけ。

<2次予選>
2次予選のステ-ジに上がりました。
こう見えても相当なあがり性の私が、ほぼ平常心。
咳が止まったからです。
1曲目が順調に終わろうとしたその時、最後のピアノの和音を、香織ちゃんは見事にはずしてしまいました。
私は
「落ちても私のせいじゃないも-ん」
これでますます私はリラックスし、2曲目はかなりいい感じで歌うことが出来ました。
ステ-ジを降りると香織ちゃんはかなり申しわけながっていましたが、私は本選に残る気満々。そして、お世話になっている塚田先生へすぐに送れるよう、結果発表前に文章をメールに打ち込み。
「21世紀日本歌曲コンク-ル、西野2次予選を通過し本選に進みます」
発表は予想通りで、すぐに作っておいた文章を送信。

発表から本選まで1時間ほどしかなく、練習することも出来ません。ちょっとおなかが空いたので、向かいのコンビニへ香織ちゃんと一緒に買い物に行き、大好きなシュ-クリ-ムと、ビタミンCのドリンク剤を買いました。
待ち時間にも咳は断続的に続き、当然願いは
「声が出ますように。咳が出ませんように」

<選曲>
さて、本選の曲を今回のものにしたのには少し訳があります。
1月に行われた日本歌曲の講座に参加した仲間でのコンサ-トで、私はこの曲を歌いましたが、とても悔いの残る出来でした。その直後は、もう2度とこの曲を人前で歌いたくないと思ったほど。しかし、コンク-ルの曲を提出する時になって
「今これを歌わなかったら、私は一生この曲にコンプレックスを持ったままになるかも知れない。コンク-ルを利用してリベンジ!」
という気持ちになり、覚悟を決めて曲目を提出したのです。

<本選>
出番が近づき、ステ-ジ袖へ行くと、係りの女性からドレスをとてもよいと褒めてもらって上機嫌。本選用のドレスは貸衣裳屋さんの放出品を扱うお店から5,000円で買ったもので、その事を話すと、買い物上手と関心してくれてもっと良い気持ちになりした。
しかし、咳は続きます。
ところが、ステ-ジへ出た途端、咳は止まりました。これだけで私は大満足。
最初の一声を出す時は、
「声が出るだろうか」
という少しの緊張があったものの、一度出てしまえばもう嬉しくて、あとは全く緊張することもなく、楽しく、やりたいように、でも、あまり冒険はしない歌い方で、今までの本番の中では最高の出来でステ-ジを降りました。
楽屋に戻ると、突然咳が襲ってきました。楽屋にいた人たちが心配して声を掛けてくれるほど。

<結果発表>
あとは発表を待つだけ。
お化粧を落とし、服を着替え、荷物をまとめて私と香織ちゃんは、舞台袖のドアのところで録音した、あまり録音状態の良くないMDを聴きました。音も小さくしか入っていないので楽屋から少し離れた廊下で。
聴いている途中に、舞台袖でドレスを褒めてくれた係りの人が通り掛かり
「発表されましたよ」
と教えてくださいました。
でも、その時は発表よりも本番の出来の方に興味がありました。というのも、今まで聴いた部分まで、かなりよく歌えていたので、どうしても最後まで聴きたくなってしまったから。そして、聴きながら私は香織ちゃんにこう言った。
 「これ、かなりいい線行くよ。3位内には入るね」
こう言ったのにも少し理由があります。発表されましたと声を掛けてくれた係りの人が、私を見てなんとなく嬉しそうな顔だったから。うまく書けないけれど、落ちている人にああ言う声の掛け方はしないだろうというような感じの.....。
やっと聴き終わるころ、私はおなかが急に痛くなって、トイレに駆け込みました。
 
私がもたもたしている間に発表を見る人の
「わ-」「きゃ-」「うそ-」
のような場面は終わっており、ほとんど人がいなくなっていました。
やっとの事で発表の掲示板のある1階(ホ-ルは地下)への階段を上がろうとしていると、また、先程の係りの人に会いました。
その人は
「もうご覧になりました?たしか、西..なんとかさんですよねえ。確か、いいところにあったと思いますよ」
と、早く見に行きなさいと言わんばかり。
私と香織ちゃんが顔を見合わせているところへ、さらに、上から65歳位のおじさんが降りてきて、私の顔を見るとニコニコして、
「西野さんだね。おめでとう。1位だよ」
私も香織ちゃんも目をぱちくりし、香織ちゃんの目には涙が浮かびはじめました。香織ちゃんはころびそうな靴をはいて階段を駆け上がっていきました。

おじさんは審査委員長で、とても私を気に入ってくれた様子で、こんなことしゃべっていいのかなというようなことまでいろいろ教えてくれたり、褒めてくれたり。
 ・2次通過は3位だったが、本選は2位以下を大きく引き離してトップだった。
 ・2次のドレスと、本選のドレスがガラッと変わったことにまずひきつけられた。
 ・ステ-ジ全体として感じがとても良かった。

掲示板には
「第1位 西野真理」
と、本当に書かれていました。
会場はもう片付けに入っていて、私たちしか残っていないので慌てて楽屋に戻りましたが、その途中、香織ちゃんは泣いていました。本当は私が泣かなくてはいけないのでしょうが、何だか冷静で、香織ちゃんが泣くのを見てますます楽しい気分になってしまい、それを聞いて香織ちゃんは怒っていました。荷物をもって掲示板のところへ戻るとさっきのおじさんがいらしたので、掲示板の前で一緒に写真撮影。
おじさんは、ぜひ石川でコンサ-トをやりましょうというようなことを言ってくれて、受け付けのお姉さんからは咳き込んでいる私にチョコレ-トまでもらって、会場をあとにしました。

<ささやかな祝賀会とお祝いメール>
駅近くの居酒屋で、ささやかなお祝いをしながらメールで塚田先生に報告し、身内や、職場の友人の諸江さん、本山さん、学校長、教頭、にも連絡。
18:27。携帯にメ-ル。なんと塚田先生からの返信です。
「今、ゆうすげに到着してメ-ルをみました。とにかくおめでとう!本当によかった、よかった!」
(注・ゆうすげは、榛名日本歌曲セミナ-中の宿泊所で、ワカサギ釣で有名な榛名湖畔にあり、この時期はまだ湖が凍っている)
うれしいのはもちろんですが、あのお忙しい塚田先生が、私のためにメ-ルを入れて下さったということ自体に驚き、感激。
このメ-ルは、永久保存用に保護をかけました。

香織ちゃんと別れ、東京駅の地下で疲れて座っていると携帯に電話。今度は関先生から。塚田先生が伝言して下さったのでしょう。
先生もとても喜んでくださり、また、セミナ-でいつもお世話になる堀内さんも電話に出て、とても喜んでいると言ってくださいました。それほど大きなコンク-ルでもないのに、こうして電話をくださり、喜びを伝えてくださることに感動して、目頭が暑くなりました。

新幹線ホ-ムに立っている時に学校長から、新幹線に乗り込んだところで、榛名のセミナ-に参加中の友人から電話をもらい、またまたじんときました。身内、職場の友人からも続々おめでとうのメール。

深夜、石川県の自宅にたどり着くと、関先生、塚田先生、堀内さんに、お礼状をFAX、フランス物を教えて下さっている佐伯先生と、とても感じの良い運営をしていただいたコンク-ルの事務局へ礼状を書いた。
咳はこれでもかと思うほどひどくなって、なかなか寝ることが出来ませんでした。

<翌日>
朝のホ-ムル-ムのため教室に入ると、一斉にクラッカ-がなりました。受賞を知らせた諸江さんが、私が担任している2年5組の生徒にクラッカ-を渡してくれていたのです。
感動。
2年5組のみんな、津幡南中学校の職員生徒のみなさん本当にありがとう。こんな平和なクラス、学校で過ごさせてもらったおかげです。

<翌々日>
咳のため、ついに声が出なくなってしまい、この日の授業は筆談と、ひそひそ話のような声で何とか乗り越えました。
痰に血が絡むようになっていました。
私がひそひそ喋るものだから、職員室中ひそひそ喋り、生徒もいつになく静か。

さあ、これからも守りに入ることなく、また敗退記録を一から作り直すことにしましょう。

<久しぶりに過去のエッセイを読んだ感想>
・25年前は「テープ」審査だった
・25年前は「MD」を使っていた
・25年前に池袋のピアノ練習室「フォルテ」は地下にあり(現在は地上9階)、入り口そばにMINISTOPがあった
・25年前には北陸新幹線がなかった(新幹線は上越まで。北陸本線に乗り換えていた)
・25年前はスマホがなく、携帯電話でメールを打っていた(Iモードって名前だったかな)
・25年前も今も咳は怖い
・25年前も今も、私は精神的にあんまり変わっていない


声楽セミナーのまとめ(福光・榛名・八ヶ岳)2025年2月28日(金)

あちこちにまとめるまとめるといいながら、結局散らかったままのセミナーをコンパクトにまとめました。これらのセミナーがなければ今の西野真理はないと本気で言えます。その恩返しってほどでもないですが、それを忘れないように、誰かに聞かれたらこれを見ればすぐに答えられるようにしたつもりです。

「堀内美也子セミナーの歴史」
そうです、これは堀内美也子なしではありえなかったセミナーです

<堀内美也子 西野真理の知っている範囲の薄い紹介
・富山県滑川市出身
・武蔵野音楽大学器楽科ピアノ専攻卒業
・音楽之友社で編集長、事業部長
 ※マリア・カラスにインタビューしたこともある
・音楽之友社定年退職後は<友>音楽工房を立ち上げ現在も活躍中

<福光声楽サマーセミナー>
・開催場所
 富山県福光町(現在の南砺市)のスキー場イオックス・アローザ
・時期
 毎年8月1日~8月7日
・開催期間
 1993年から2013年までの20年間
・講師
 初年度から
 渡辺明 関定子 大島幾男 郡愛子 大島洋子 平栄一 
 (P)塚田佳男 呉恵珠 相庭尚子 (演出)大島尚志
 初年度以降から
  青山恵子 川上洋司 三林輝夫
  1度のみの参加
  中沢桂 小栗純一 山口道子
  特別講師
  畑中良輔  ガブリエルラ・トゥッチ  フィオレンツァ・コッソット 
  ヴィンチェンツォ・スカレーラ(ピアニスト)

セミナー関係の特別な演奏会
 2001年 オペラ「アイーダ」全幕  富山オーバードホール
 2003年 オペラ「魔笛」全幕    福光中学校体育館

↓セミナー期間中の本部事務局(レストラン)          




 
  










↓レッスン会場 兼 宿泊コテージ
(レンタルアップライトピアノ運び込み)















↓コテージ1階から2階の寝室を見上げるとこんな感じ













↓オペラレッスンやコンサートの開催される場所(普段は体育館)















<榛名梅の里日本歌曲スプリングセミナー>
・開催場所
 群馬県榛名町  榛名文化会館・エコール(レッスン)  
  榛名湖畔の宿「ゆうすげ」(宿泊)
 ※最初から数年は「榛名元湯」。
  麓に下りずにレッスンを宿泊施設内でしたこともある
・時期
 毎年3月後半(第3週あたり) 4泊5日
・開催期間
 1997年から2006年までの10年間
・講師
 関定子 青山恵子 竹澤 嘉明 (P)塚田佳男
・特別講師
 畑中良輔 福島雄次郎

↓レッスン会場(山の麓にある)
 














↓宿泊施設(榛名湖畔 山の上にある)


  













↓奨励賞の記念品
                    
















<八ヶ岳日本歌曲スプリングセミナー>
・開催場所
 長野県南佐久郡南牧村海ノ口 八ヶ岳高原ロッジ(宿泊)音楽堂(レッスン)
・時期
 毎年3月後半(第3週あたり) 4泊5日
・開催期間
 2007年から   2025年で18回目 継続中
・講師
   開催初年度~2022年
   関定子 青山恵子 竹澤 嘉明 (P)塚田佳男
  2023年から
   関定子 青山恵子 松井康司
↓ホテル正面  











↓音楽堂(レッスン会場)




 








↓講師による演奏会















↓音楽堂ロビーもレッスン会場になります

















↓楽屋もレッスン会場


















↓八ヶ岳高原ヒュッテ(レッスン会場だったことも)







楽譜送付等手続きに半日(八ヶ岳日本歌曲スプリングセミナー関連とセミナーの歴史) 2023年1月18日(土)

昨日は起床から半日を、3月に受講する「八ヶ岳<日本歌曲〉スプリングセミナー」関係の事務処理に費やしました。これから3月末まで、このブログには何かと
「八ヶ岳<日本歌曲>スプリングセミナー」(※以下「八ヶ岳声楽セミナー」と表記)
のことを書くことになると思いますので、まずは八ヶ岳声楽セミナー関係のことを書いておきます。

<セミナーの歴史>
~福光声楽サマーセミナー~
1993年から2013年までの20年間、富山県福光町(現在の南砺市)のスキー場イオックス・アローザを会場として「福光声楽サマーセミナー」が開催された。
 ・毎年8月1日~7日までで、声楽とピアノ伴奏者のためのセミナー
 ・私は31歳から参加
 ・主催は「音楽之友社」だったが、途中から「<友>音楽工房」に引き継がれる
 ・プロデューサーはその後のセミナーも全て堀内美也子さん(私にとっての大恩人)
 ・このセミナーから八ヶ岳声楽セミナーに至るまで関定子・青山恵子両師は連続して講師
 ・何年か経って、福光声楽セミナーの講座の中に「日本歌曲特設コース」ができ、以後
  日本歌曲コースが発展して行くことになる
 ・2001年39歳の時、日本歌曲特設コースにピアニストのTさんと一緒に参加し
  「愛する歌」を演奏してペアとして奨励賞を受賞

↓セミナー事務局として使われていたレストラン





















宿泊施設であり、レッスン会場としても使われたコテージ
一部屋ごとにピアノが搬入された




















~榛名梅の里日本歌曲セミナー~
福光声楽セミナーから少し遅れて、おそらく1997年に群馬県榛名町で「榛名梅の里日本歌曲セミナー」が始まった。
 ・宿泊は山の上の榛名湖畔の宿「ゆうすげ」(若さぎ釣りで有名)
   ※初会から何年かはここではなく、もっと古い建物
 ・レッスンは麓の榛名文化会館・エコール
 ・私は1998年36歳の時から3回は参加したはず
 ・毎年3月末に開催されていた。10回は続いたと思うが確かではない
 ・その間1回は、伴奏者コースのアシスタント歌手として参加
 ・1999年37歳で参加した時、終了演奏で「おおかみの大しくじり」を歌い、奨励賞を
  受賞

↓榛名湖畔の宿 ゆうすげ


























レッスン会場 エコール















~八ヶ岳<日本歌曲>マイスターコース~
2007年3月26日、45歳の時、八ヶ岳日本歌曲セミナーが始まり、スタート年から参加。ちょうどセミナーに出かけようとした時かなり大きく家が揺れ、榛名スプリングセミナーの奨励賞記念に頂いたこけしが落ちた。(能登沖地震)






















 ・当初は上記のような名称で、レベルがそれなりの人以上を対象ということだったが、少
  しずつ緩やかになった。
 ・毎年3月20日前後から4泊5日で行わる
 ・歌い手とピアニスト両方のレッスンが個別だったりペアだったりで行われる
 ・八ヶ岳高原ロッジという高級ホテルに宿泊
 ・それに付随する素敵な音楽堂をレッスン会場として使用
 ・2023年現在も続いている。

日程が合わなかったりコロナだったりでしばらく参加できていませんでしたが、退職した今年は日程を気にすることなく申し込むことができました。ただ、根がサボり性の私ですから参加するとなると勉強しなくてはならないので、ちょっとためらっていたその時、関定子先生のレッスンがあり、先生から
「八ヶ岳来てね」
とお声掛けいただき間髪入れず
「はい!」
と軽快に返事をし、申し込むことに決めました。
期間は3月20(月)から3月24日(木)
西野真理のことを熟知していらっしゃる方は
「この間にFM生放送の日があるけど休むの?」
とお思いでしょう。
これも運が味方についています。
「FMかほく」は祝日の生放送はお休み。3月21日(火)は祝日でお休みなのです。
水曜日の「Sing幾多郎」ですか?これは自分主宰なので「おやすみしま~す」とお伝えするだけです。

↓ホテル正面












↓音楽堂外観

















音楽堂内部

















<昨日の話に戻ります>
1月16日(木)に八ヶ岳セミナー事務局から受講案内が届きました。
声楽関係者はよくおわかりだと思いますが、ピアニストに楽譜を送るのってけっこう大変ですよね。楽譜をコピーし製本するのは案外時間がかかるのです。
届いた案内には
・受講者
・受講費用
・担当ピアニスト
・その他注意
が書かれていて、何より大事なのは
「担当ピアニストに2月末までに楽譜を送りなさい」
ということです。
楽譜を送るということは、受講曲を決定しなければならないということですが、流石にあと1ヶ月と少し、ほぼ決めてはいました。

しかし、準備を始めた時、心が揺れ始めました。
講師の松井さんのことです。
今までは「日本歌曲セミナー」ということですから当然日本歌曲ばかり教えていただいていたのです。しかし今年はピアニストの塚田先生が参加されないこともあり、バリトン歌手の松井さんが講師として参加されることになりました。その事もあってか今回は募集要項に
「歌うことの広い分野を鑑みて~・・・ オペラアリア・ドイツリート~・・・」
の一文が。

このことは募集要項の時点で知っていたのですからもっと早く決めればよかったのですが、なんとなく「日本歌曲で」と気持ちをそらしていました。
でも、いざ受講曲一覧表に曲を書き込もうとしたとき
「せっかくだからドイツリートを持っていってみよう!」
という気持ちに振り切れました。

その曲とは、シューベルトの「美しい水車屋の娘」、日本語で歌うのです。
この曲には2013年に喉を壊したことをきっかけに
「男性の歌う曲を更に音を下げれば歌えるんじゃないか」
という安易な発想から取り組みました。
しかし、ここからが幸運で
・あの松本隆さん(松田聖子の曲などを手掛ける一流作詞家)が訳詩版を発表された
・最終的に松本さんはシューベルト3大歌曲全部を発表
 「美しい水車屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」
・西野真理はその全部に取り組む
ということになりました。

そもそもですが、私がこの訳詞があることを知ったのは、学校で「魔王」の授業をするために「魔王」の日本語訳版のCDを探し、たまたま「魔王」だけを聴くつもりで買ったそのCDが「美しい水車屋の娘(全曲)」のCDだったのです。

それを美女コンで歌う時、もちろん関定子先生にご指導は受けましたが、ドイツリートを専門にされている方にご助言をいただいたことはありませんでした。そして、出来ればもう一度「美しい水車屋の娘」をコンサートで歌いたいと思っていました。
そんな時、まさかのこの展開。松井さんはドイツに留学され、ドイツリートを長く歌っていらっしゃいますのでこんなチャンスは2度とない、と考えたのです。

お昼近くまでかかって作業を終え、午後はただ、ダラダラしていました。
明日からは練習します!

↓私の趣味、製本した楽譜の表紙作り


































西野真理の色々なお話

災害時の連絡について  2026年8月28日(金)

 災害時、親しい方の安否が気になるのは当然のこと。しかし、そのために連絡を取ることについて、その方のお心がわかるだけに申し上げにくいこともあります。以下は能登半島地震被災体験者・中村弥子さんのFacebook、金子国土交通大臣のXから(7月26日熊本地震について)お借りしました。...