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恩人・麻田恭一さんからのプレゼント(長文です) 2026年1月22日(木)

<はじめに(終わった後に)>
今回のブログの<はじめに>は、実は<おわり>に書いています。この後の本当の<はじめに>書いているように、ろくに知識もなくとにかく書いてしまったので、世界公開する前にまずは麻田恭一さんにチェックしていただこうとメール送信しました。
すると3時間ほどのちに赤で加筆したものを返信してくださったのです。
これは願ったりかなったり!!!
まさに私が知りたかった部分です。
そういうわけで、赤加筆の部分をそのままお借りして世界公開いたします。

<はじめに(本当の)>
本日、麻田恭一さんからプレゼントをいただきました。そこでこのチャンスに、麻田さんが恩人である理由を書き残すことにしました。おそらく長文になります。しかも内容は私自身がよく知らないことが多い上に、断片的な知識を勝手につなぎ合わせて、しかも時系列がかなりぐちゃぐちゃです。以前書いていることの繰り返しの部分もかなりあります。そのあたり我慢しつつお楽しみいただけると幸いです。

<奏楽堂日本歌曲コンクール敗退・入賞の歴史
 1998年 36歳 第9回(初出場)1次予選敗退(198人中67位・通過45人)
 1999年 37歳 第10回(2回目)1次予選敗退(203人中56位・通過45人)
 2000年 38歳 第11回(3回目)1次予選通過(198人中30位・通過45人)
                2次予選敗退( 45人中16位・通過11人) 
 2001年 39歳 第12回(4回目)1次予選敗退(198人中49位・通過47人)
 2002年 40歳 第13回 (5回目) 1次予選通過(223人中20位・通過50人)
                 2次予選通過(50人中7位)
                 本選入選(11人中6位)
 2003年 41歳 第14回(6回目) 1次予選通過(183人中18位・通過49人)
                  2次予選通過(49人中4位)
                  本選2位(8人中)

<見知らぬ人からのFAX>
 2002年、本選で入賞。帰宅後、自宅に知らない人からFAXが。

この知らない人が麻田恭一さんです。

<2002年に書いたエッセイから終わりの部分を抜粋>
2002年5月29日、勤務を終え家へ帰るとFAXが届いていました。
「堀田恭平」という見知らぬ人物からのFAXは、大変嬉しい内容ではありましたが、疑問が多すぎ!
 ・この人を知らないはずなのに、何となく名前に見覚えがある
 ・このような雰囲気の文章をどこかで読んだことがある
 ・文章がうますぎる
 ・このような人物に売った覚えもないのに、この人は私のエッセイを読んでいる
 ・音楽的にただの素人ではない
 ・名前は堀田恭平なのに、発信先の名前(FAXに勝手に機械が書き込む名前)はA
  さん

そこでインタ-ネット検索すると・・・・・・・・
「ははあ、なるほど」
関先生のCDの推薦文を書いている人。しかし、疑問は残ります。なぜその人が私のエッセイをお読みになっているのでしょうか。
「・・・・・・・あっ!これ、堀内さんだ」
私はこう推理しました。
 「堀田恭平は堀内さんのペンネ-ム。堀内さんが(音楽之友社の事業部長で、関定子先生のマネージャー)、Aさんの家からFAXした」
と。
すぐに堀内さんに電話。
私の推理は見事に外れていました。
堀田さんは堀内さんの友人Aさんのペンネ-ム。堀内さんが私のエッセイをAさんにも貸出。コンク-ルも聴きに来ていらっしゃって、私のことをとても気に入ってくださったのだそうです。そのFAXの半分は、もったいないほどの褒め言葉。残り半分にはAさん手作りの表彰状。あんまり嬉しいので、その表彰状をここに披露させていただき(上の写真)今回のエッセイを終わらせていただきます。

<麻田さんのお父様>
ここが今回のメインとも言えるところ。その割に知識がいい加減というか断片的というか、結局正しくないかもしれないというか・・・。もしそんな部分があれば、きっと麻田さんがご指摘くださると思います。ですからこのブログ、時を空けて何度かお読みになることをお勧めいたします。(・・・と書きましたが大丈夫、チェック済みです)

麻田さんのお父様(この後、麻田父 と書きます)は、2023年に95歳の長寿を全うしてお亡くなりになっています。

満洲のハルビン学院(ロシア語教育で有名)を卒業した麻田父は、終戦後ハルビンでソ連軍による日本人狩りに遭い、「日本へ帰してやるから列車に乗れ」と大勢の日本人ですし詰めの無蓋車(屋根のない貨車)に乗せられました。
一昼夜走った頃、北に向かっていることに気がついた麻田父は、すぐに行動に出ます。深夜一人で貨車から飛び降りたのです。
三日かけて徒歩でハルビンに戻り、紆余曲折の後日本に帰ったのは一年後のことでした。

お父様があの時列車から飛び降りてくださらなかったら、その後、麻田さんがお生まれになることがないことはもちろん、これから書くこと(先に書いたことも)の全てがなかったのです。

~ハルピン学院 Wikipedia情報~
概要
設立当初は外務省所管の旧制専門学校であったが、1940年以後は満洲国所管の国立大学となった。日露間の貿易を担う人材養成を標榜した。
沿革
1920年9月24日:日露協会(1907年発足)によって日露協会学校としてハルピン市に設立。
1932年4月:ハルピン学院と改称。
1940年3月:大学に昇格し満州国立大学ハルピン学院と改称。修業年限4年
1945年8月:日本の敗戦に伴い解散。
1999年4月:ハルピン学院同窓会幕引き。同時にハルビン学院連絡所(新宿区原町1-28 恵雅堂出版内)が事務処理を引き継ぐ

西野真理の疑問:「ハルン?」「ハルン?」

<関定子へのオファー>
話しは変わります。私の師匠・関定子は、ヨーロッパで6つのコンクールに入賞を果たし帰国したものの、ステージはほぼありませんでした。そのころのことを象徴的に表す言葉として
「ストーブの前に座り続けた」
これは今読んでもウルッとします。
そんな関定子にわずかなステージがかかります。そのステージとは・・・

無蓋車から飛び降り帰国したあの麻田父の経営されるロシアレストランでの、ロシア民謡のコンサートのゲスト出演でした。私はどういう経緯で関定子にお声がかかったのか知りませんが、関定子の声に魅せられた麻田父は、なんと子供の頃から好きだった山田耕筰のコンサートをもちかけたのです。「得意です」という関定子の返事を聞くと、麻田父は「ロシアレストランで山田耕筰なんて」と反対する息子を押し切って「山田耕筰の夕べ」を始めます。

↓ロシアレストラン チャイカ     http://chaika.co.jp/info
















また同じころ(?)関定子はそれまで歌ってきたイタリアオペラ等の他に、日本歌曲も堪能であることが、のちに関定子のマネージャーになる堀内さんの目に留まります。とにかく幸運の女神が微笑み始めたのです。

<山田耕筰100曲>
そして何回かの「山田耕筰の夕べ」ですっかり関定子にはまってしまった麻田父子は
「関定子に山田耕筰を100曲歌わせてCDを発売しよう」
という暴挙に出ます。CDを作ったこともない出版社なのに。




書くのを忘れていました。麻田父の本業は「恵雅堂出版」の社長さんなのです。そしてこのCDを作ったこともない会社の出したCDは、
・第1集(42曲)《'93年レコード芸術誌特選盤》
・第2集(58曲)《'94年日本レコードアカデミー賞受賞》
を受賞します。すごいことです。
麻田さんによりますと、
「すごいのは、無名のレーベルで受賞できた関定子と塚田佳男の力」とのことでした。
また、麻田さんによりますと
「麻田家の車の中ではある時期いつも関定子のCDがかかっていて、うちの子どもたちは日本一関定子を聞いている」
これもすごい。

<師匠・関定子と西野真理の出会い>
関定子関定子と、もう何度も登場していただいています。でも改めて私と師匠・関定子の出会いを書いておきましょう。

最初は福光声楽セミナー
私は関先生のクラスではありませんでした。それでも強烈な印象で高ぶった気持ちを抑えられず
「こんなすごい人を見た!」
と、夏休み明けの授業全てで(セミナーは夏休みに開催されていました)生徒に報告した覚えがあります。
その後も毎年参加しましたが、私は関先生のクラスになることはありませんでした。
そんなころ(30年近く前でしょうか、1996年前後)、富山県の小松さんが関先生を富山にお招きしてのレッスン会を組織し、活動を開始。その会の初期に、たまたまレッスン枠が空いていて、誰か受講したい人はいないかと、やはり福光声楽セミナー受講者で金沢市在住の土屋さんにお声掛け。セミナーで仲良くなっていた私を思い出してくださった土屋さんは、「西野真理は関先生の教え方に合うのでは」と、私にお電話をくださいました。

一方西野真理はと言えば、以前に○○会にちょっとだけ所属し痛い目にあっており
「2度と○○会と名の付くものには所属しないでおこう」
と心に誓っていました。しかし、その時お電話をいただいた内容を私は勘違いして、このとき1度だけの特別なレッスン会だ思い、それならと参加。小松さんと土屋さん、そして勘違いのおかげで私は無事、関先生の教えを受けるルートに乗れたのです。

<コンクールへの挑戦でいよいよ出会いが!>
関先生のご指導を受け始めて、ちょっとはうまくなったかな?・・・いやいや、いい気になってはいけないとコンクールを受け始め、このブログの最初にあるように、他のコンクールも含めてどんどん落ちました。
そして40歳、麻田恭一さんとの出会いが訪れます。誰だか知らない、でも私の歌をとても評価してくださる方からのFAX。

その後、奥様の牧さんともお知り合いになりました。石川県で開催の美女コンにもご夫妻でおいでくださって、近所の民宿で夕ご飯をご一緒したりと、今もお付き合いが続いています。

<麻田恭一さんからのプレゼント>
ここまで書いてやっと「恩人」の意味をお判りいただけたかと思います。
その恩人の麻田さんから2026年1月12日メールをいただきました。

今、我家は住み慣れた2階から1階への引越しの準備で頭を悩ませています。
まず本の移動から手をつけたのですが、平井康三郎(5冊セット)、橋本国彦、團伊玖磨ほかのCD制作の際に買った楽譜が出てきました。
楽譜の読めない私にはまったく不要なので古本屋に売るか廃棄しようと思ったのですが、一応真理さんに聞いてみようと思った次第。
要るということでしたら宅急便でお送りしますので。

もちろんいただきます!

それが本日届きました。
豪雪の中、石川県へようこそ。
せっかくなので豪雪の中写真を撮ってみました。



以上、私のあまり正確ではないかもしれない今日のブログ、お楽しみいただけていると嬉しいです。(すでに麻田チェック済みなので大丈夫)

<追記>
麻田恭一さんは(も 麻田父)ロシア語習得者。
そうだ、リムスキー・コルサコフ作品の訳詩をしたこと、麻田さんにお伝えしておきましょう。私としてはとても無邪気な発想。
ところが、考えてみれば当然ですが、ちゃんとロシア語のお出来になる方には、ロシア語の子音たっぷりの発音を日本語にしてメロディーに乗せるのは、かなり抵抗がおありになると見受けられます。
私の訳詩に次のようなご意見をいただきました。

子音いっぱいのロシア語(英語でもイタリア語でもドイツ語でもそうですが)を母音主役の日本語で決まった音節の中に移し換えるのが土台無理な話であることをあらためて痛感します。
結論を言えば、原詩の気持ち、雰囲気を十分読み込んだ「翻案」しかないと思いますが、訳詩がすでに「翻案」気味だと、それをさらに「「翻案」すると原詩からかなり離れてしまう可能性があります。

たとえば川本さん訳の最初の2行ですが、
夜の闇の中で私が秘かに何を夢見ているか (→闇の中で夢見ることも) 
  昼の光のもといつも私が何を考えているか (→光の中思うことも)

1行目の最重要のイメージは原詩では「夜のしじま」「夜の静けさ」ですが、訳者は1行目を2行目の「昼の光」に寄せて「夜の闇」としています。
下記が私のフィルターを通してですが、原詩に近づけた訳です。(4行目以下は泥沼にはまりそうなのでやめます。中途はんぱですみません)

夜のしじまの中で密かに私が夢想していること
昼の光のもと絶えず私が思い巡らしていること
それは誰にも、お前にだって秘密なのだ、私の詩よ、

今後、ロシア詩の訳詞の際、ご要請があれば「行の中で何が一番大事なイメージか」の情報提供に協力しますので。

歌の師匠は関定子。
64歳を間近に、ロシア音楽の師匠を持つことになりました。
今後の西野真理ロシアもの訳詩にもご期待ください!


 

いい声って? 2026年1月13日(火)

昨日の夕方、同郷同大学出身のピアニストHさんと長電話・1時間34分。ラインさんありがと!無料でおしゃべりさせてくださって。
その長電話でも足りず、朝さらにライン上でやり取り。その中でHさんから
「~持ち声ってものは変えられないよね?発声は良くなっても声に魅力が出るのとは違うよね?~」
これ、声楽関係者以外からよく質問されること。
その答えには直接ならないですけれど、30年ほど前の強烈な思い出とともに少し書いてみます。

それは福光声楽セミナーでの一コマ。
↓レッスンに使われたコテージ






このセミナーでは6~7名ほどの先生が、各部屋(独立したコテージ)でレッスン。基本はそれぞれ割り当てられた先生のレッスンを期間中ずっと受けます。でも、自分の受講時間が終わった後は、そのままそのお部屋で聴講しても、他の先生のレッスンを聴講しても自由です。
その時私は、平良先生のクラス(多分)。何日かは平良先生のレッスンを受講・聴講。何日目かのとき、別の先生のところを聴講に行こうと、郡愛子先生のレッスンコテージへ入りました。
その時そのコテージには、郡先生とレッスン受講生のIさんの二人きり。そして私がそこへ入ったちょうどその時、優しくちょっと寂し気な口調で郡先生がIさんにこんなことをおっしゃいました。
「だからあなたは『いい声ね』で終わっちゃうのよね・・・」
レッスンの経緯はわかりませんが、私はこの言葉にかなり衝撃を受けました。いい声であることが必ずしも武器ではないのだと。
数日前、私はこのIさんの声に、それこそ衝撃を受けていたからです。
このセミナーでは初期のころ、一人1分程度全員ちょっとずつみんなの前で歌う時間がありました(のちになくなりました)。その時聞いたIさんの声は、まさに
「美声というのはこういうのを言う!」
という見本のような美声。「真綿のような声」という表現がありますよね。そういう声が世の中に存在したんだという驚き。
そのIさんだったのです。
Iさんのような人は、何の苦労もなく、声楽の世界でスター街道を進まれるに違いありません。嫉妬する限界を超えています。
そのIさんが
「だからあなたは『いい声ね』で終わっちゃうのよね・・・」
こんなことってあるのでしょうか?

その後、Iさんの名前をコンクール本選で見かけるとか、何かのチラシで見るということは残念ながらありません。

さて、私ですが、何の謙遜も抜きに自分の声をいい声だと思ったことは一度もありません。無理やり世界をいい声と悪い声の半分に分けたら、悪い方に入るとさえ思います。でも、悪い声だと思っているわけでもありません。それぞれだなあと思うだけです。

ちょっとだけ自慢話っぽくなります。
奏楽堂日本歌曲コンクールで2位になった後、たまたま小泉惠子さんという、ソプラノ歌手でコンクールの審査員の方に話しかけていただいたことがありました。小泉惠子さんは、私の師匠・関定子の美声とはまた違った美声で、
「鈴を転がすような声」
と言ったらこの声。小泉惠子さんの声を初めて聴いたときも驚きました。もし神様に誰かの声と取り換えなさいと言われたら、私はこの人にしてもらいます。声の出し方に力みは全くなく、体のどこかをつついたらパッと声が出るんじゃないかという感じです。私とは真逆の声。
小泉惠子さん、YouTubeにアップしていらしたので貼り付けました。



その小泉惠子さんが私に
「西野さんの声、すごく注目してたのよ」
と話しかけてくださったのです。
簡単に言えばないものねだり?確かに小泉さんは私のような低音をお出しになることはないでしょうし、私の歌った「木の洞」「鴉」をお歌いになることもないでしょう。
私も咄嗟にお返事しました。
「小泉さんのお声、前からあこがれていたんです」
短い会話でしたが、今も嬉しい瞬間としてよく思い出します。

話しを元に戻します。
Hさんの声、私の好みから言えばとてもいい声です。ピアニストだし音程もいいし、文句ありません。でも、多くの「歌ってみたい予備軍」の人が「自分の声には魅力がない」と思っていらっしゃるとしたら、それはとても残念なこと。声帯の筋肉は人間の体の中で一番衰えるのが遅い筋肉だと聞いたこともありますし。
歌を歌いたいと思っていらっしゃる皆さん、それぞれいい声です。自信をもって歌いましょう!







三林輝夫先生の思い出 2025年11月20日(木)

先日三林輝夫先生についてブログに書いたところ、思いがけず多くの方からアクセスをいただきました。そして、そのブログに登場した「ヴィラネル」について過去の記録を探したところ、2021年にそのことについて書いていることを発見しました。YouTubeに「ヴィラネル」をアップした際、概要欄に書いた文章です。その文章をこちらへ転載いたします。

~以下2021年12月31日の文章です~

2021年西野真理YouTube動画アップロードラストを締めくくるのは、ベルリオーズ作曲「Villanelle」です。

 ※ヴィラネル(villanelle)には2つの異なる意味がある。

   ・詩の詩形。19行2韻詩と訳される。

   ・古いフランスの詩。田園詩と訳される。

この曲を初めて知ったのは、1993年から2013年までの20年間、富山県福光町(現在の南砺市)で毎年8月1日~7日まで行われた声楽とピアノ伴奏者のためのセミナー「福光声楽サマーセミナー」。

その何度目かは忘れたのですが、「フランス歌曲コース」で三林輝夫先生が歌ってくださったのがこの曲。先生の歌われる様子から、この曲を楽しみこの曲が大好きという感じがダイレクトに伝わってきて、1度聞いただけで「なんて素敵な曲!」と、すぐに大好きな曲の一つになりました。詩の内容も、春に恋人同士、森へ遊びに行く幸せなものです。

しかもその時、三林先生は即興で一部分を日本語で歌ってくださり、それがとてもわかり易く、「やっぱりすぐに言葉がわかるっていい!」と、いつかは日本語に訳してみたいと思い続けていました。

思いはあるものの何もしないうち、セミナーそのものが終わってしまい、もう三林先生のレッスンを受けるチャンスもなくなってしまいました。

その後、なんとなく西野真理の中で訳詩ブームが起こってこの曲にも取り掛かり、3年ほど前には出来上がっていました。ところが、以前から思っていたのですが、この曲はバリトン系ソプラノの私には少し高いのです。そこでピアノ録音をピアニストの小林美智さんにお願いするとき、
「短3度下に移調したものでお願いできますか?」
と無理を言い、そのおかげで本日のアップロードを完成させることが出来ました。

※こちらの訳詩に興味をお持ちいただけましたらご連絡くださいませ。現在300作品の歌唱用訳詩を販売しております。

第43回美女コンご報告 2025年11月16日(日)

本日第43回美女コンを終えました。
いつものようにそのご報告です。

<前日までのご来場ご連絡>
まず
・いつも来てくださる鈴木さん
ラインに「マンツーマンコンサートになるかも」と返信

・ご近所の大坊さん
お父さんとお二人ということで勇気100倍。
「お一人しかご連絡がなくてマンツーマンコンサートを覚悟していたところです」と
返信

この時点で3人来てくださるということで一安心。

前日の夕方、自動車を運転をされない土屋さんからまさかの
「急に車に乗せてくださる方が現れました」
とのご連絡。

コンサートのお客様、前回同様5人決定です。よかった!
5人でよかったと思っている時点で首を傾げられる方もいらっしゃるでしょう。いつも無観客も覚悟しているのですから、5人ってすごい数です。
そもそもこのコンサート、私にとってはレジャー。そのレジャーに時間とお金をかけてきてくださるなんて、神!

<準備>
~前日~
立ち位置とカラピアノを流すためのスピーカーの位置を決め、バミリテープ
終わり

夕方、「行けなくてごめんなさい」と田中陽子さんからお花が届きました。
申し訳ないなと思いつつ、ステージに飾れてうれしいな。




















~当日朝~
・物品運搬
・椅子並べ
終わり

<本番>
ご連絡いただいた方プラス3名、8名のお客様!(かつての同僚の晶子さん、いつも来てくださる高瀬さん・・・高瀬さんはいつも来てくださるけれどご連絡はないので予定人数には入れられないのです、ご近所のMさん)

オープニングは「夢の世界を」。これは私が中学生の時はなくて、中学校の教員になった時点で教科書に掲載されていて、現在も掲載され続けている名曲。これを一人3重唱。

最初のコーナーは西野真理オリジナル訳詩シリーズ。
今回はシューベルトを6曲。
「ます」「音楽に寄せて」「魔王」「ミューズの子」
名だたる名曲とともに今回は、「ピアノ即興曲90-3西野真理オリジナル創作詩版」にチャレンジしました。正直なところピアノでこの曲を弾き続けてこられた方には受け入れていただけないかもしれません。でも、構いません。私は歌いたかったのです、この名曲を。歌詞をつけることになった経緯はとても不思議なご縁の積み重ね。それをトークでたっぷりお話しました。
とっても簡単に書きますと
①偶然(買う気などなかったのに)購入したCD
②そのCDの演奏家とご縁ができる
③さらにそのCDのピアニストからCDをいただき、そのCDでピアノ即興曲90-3をバイオリンとピアノで演奏されているのを聞き、その素晴らしさに感動。私も歌いたいと思った。
ということです。
歌い終わった後、後ろの席で楽しそうに聞いてくださっているかつての同僚・晶子さん(音楽関係者)に
「ピアニストの皆さんには受け入れられないでしょうか?」
「別のものだと思います」
ホッとしました。

次のコーナーは「山田耕筰童謡100全部歌うプロジェクト その5」
秘話・・・ではないですね。すでにブログに書いていますから。
ここも簡単に書きますと、予定していた「この道」はあまりに未完成であることが4日前の関定子先生のレッスンで判明。その代わりに「赤とんぼ」を入れ、せっかくなので以前、福光声楽セミナーで三林輝夫先生から教えていただいた「フランス語の赤とんぼ」も歌うことにしました。
そんなコンサート1日前、三林先生の訃報。今回の「赤とんぼ フランス語バージョン」は私のせめてもの三林先生の追悼の気持ちを込めさせていただきました。

ちょっと秘話、ありました。
「お菓子の汽車」という曲。4日前の関先生のレッスンで見ていただきました。ちょっと出にくい音があったことで。流石関定子、そんな時どうすればいいかきちんと技術指導してくださって、音の出にくさは問題なし。で、その曲、最後の歌詞が
「パックリ開いた犬の口」
私が歌い終わった瞬間、関定子
「ワン!」
私も今日のステージで取り入れました。

最後のコーナーは「秋の名曲」。
歌ったことがありそうでなかった「小さい秋みつけた」
秋と言えばこれ「まっかな秋」
団伊玖磨の勘違いが生んだ名曲「舟歌」
最後は小林秀雄の「落葉松」を一人3重唱。
自画自賛になりますが、この「落葉松」一人3重唱、頑張りました。頑張った部分は事前のパート録音です。この苦労は音楽関係者以外にはなかなか説明が難しいので、興味のおありの方には直接お話しいたします。

アンコールはもちろん、西野真理作詞・作曲の「防災の歌」
ついでに皆様に母の歌った「わがうた」のYouTube音源をお聞きいただきました。
「あちらに座っております私の母・92歳の11か月の歌です。私に歌を習うとうまくなりますよ!」
と参加者のいらっしゃらないSing幾多郎のCMタイムでした。
母、きっと嬉しかったと思います。






では今日の写真館。
最初にご来場連絡をくださった鈴木さん。いつも次回のチラシ配布をお手伝い下さって(配らせて)います。




















大坊晃子さんと超ダンディなお父様・中谷良作さんとご一緒に。





















この中谷良作さん、お帽子といい、服のセンスと言い素晴らしいですね。最初麻生太郎かと思いました。で、最近西野真理、高市早苗に似ていると言われますので・・・
麻生太郎と高市早苗







いつも遠くから来てくださる高瀬さん




















協力ファミリースタッフとともに









追悼・三林輝夫先生 2025年11月15日(土)

今日は義父の49日と納骨。快晴の中、無事納骨も済みました。
お夕飯は49日でいただいた豪華なお弁当。
美味しく食べ終えたところで、なんとなくfacebookを見ると関定子先生の投稿。
「二期会でお世話になり 奏楽堂コンクールでもお世話になった 三林輝夫先生がお亡くなりになった 楽しいお話が思い出される先生であった 残念である」(2025年11月14日)

ああ~・・・そうなんですね。
私は三林先生の直接の弟子ではありません。でも、福光声楽セミナーフランス歌曲コースで先生のお教えを受けるチャンスが何度かありました。そこでフランス歌曲を教えてくださる先生から感じたのは
「フランス音楽が好きで好きでたまらない」
というお気持ち。その時歌ってくださった「ヴィラネル」(ヴェルリオーズ作曲)という曲、今も私ははっきり覚えています。その時初めて聞いた曲ではありましたが、あまりに先生が楽しそうにお歌いになるので、私は1度でその曲が大好きになりました。そして、その2日後に行われるフランス歌曲コースの簡単な発表会に向けての選曲のとき
「君これ歌う?」
と言われ、2日でその曲を歌いました。今思えば無謀ではありますが、先生の楽しさに乗せられた大切な思い出です。そしてその後その曲は日本語訳詩をし、今も時々美女コンで歌っています。

このブログに書いてありますように、明日の第43回美女コンで私は「赤とんぼ」を歌います。もちろん「赤とんぼ」は三木露風作詩の日本語の曲です。でも今回はまず、フランス語で歌ってから(1番だけ)日本語の「赤とんぼ」を歌う計画を立てています。私が取り組んでいる「西野真理オリジナル訳詩による外国オペラ・歌曲・・・『わかって歌いたい』『わかって聴いていただきたい』」を逆の立場で体感していただくためです。
そのフランス語の楽譜を下さったのが、三林先生。
明日の美女コンの「赤とんぼ」のコーナー、私の三林先生へのせめてもの追悼とさせていただきます。

↓おそらく40歳代半ばころの西野真理と三林先生
(福光声楽セミナー最終日のパーティー)














Wikipedia情報
<三林輝夫>
三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月2日 -2025年11月 87歳 )は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、合唱指揮者、公演監督。

経歴
新潟県出身。1961年(昭和36年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、1963年(昭和38年)同校声楽専攻科修了。木下保、渡邊高之助、古沢淑子に師事。デビューは1963年の東京労音のオペラ『フィガロの結婚』でのバジリオ役で、これ以降二期会や東京室内歌劇場他で数多くのオペラ、オペレッタ、創作歌劇に活躍している。

また、日本におけるフランス歌曲の第一人者として十数回にわたるリサイタルで高い評価を得ている。日本歌曲の演奏でも、その明瞭なディクションと深い表現には定評があり「ビロードのような」と定評のある美しい声を披露してきた。



8月1日は福光記念日 2025年8月1日(金)

福光声楽サマーセミナーについては書きたいことが多すぎて、また、何度も書いているのでこちらをお読みください。(リンクを貼り付けようとして検索したら、同じことを何度も書いています。ごめんなさい。でもまた書きます)

そういうわけで、今年もセミナーの開催されたIOX-AROSA(イオックスアローザスキー場 富山県南砺市)へ行ってきました。8月1日を記念日に決めたので。

我が家から1時間弱のとてもいいドライブコース。
まず立ち寄ったのが道の駅。こちらで売っている「ますずし」おいしいので。













今回とんでもなく賞味期限の長いお寿司発見!(今日は令和7年8月1日)






さあ、セミナー会場へ。
麓の会場入り口


















そろそろ会場も近い


















見えてきました


















H内M也子さんがバイクで頭をぶつけたバルト(レストラン。ここが事務局になっていました)の壁
























W辺明先生が酔っ払ってガスのホースを抜いたBBQハウス


















開閉講式、レッスン、座学の行われたホテル(2階ホール)。かなり前から閉じたまま


















オペラ講座やコンサート、修了演奏会の行われた体育館



















レッスン会場でもあり宿泊施設でもあるコテージ



















ふもとには散居村が広がります














おまけ。ブランコに乗る92歳の母


全部懐かしい風景でした。
今もセミナー最終日を終えて家に帰る車の中で喉の奥が詰まって目の奥がジンとする感じを思い出します。
ではまた来年。





声楽セミナーのまとめ(福光・榛名・八ヶ岳)2025年2月28日(金)

あちこちにまとめるまとめるといいながら、結局散らかったままのセミナーをコンパクトにまとめました。これらのセミナーがなければ今の西野真理はないと本気で言えます。その恩返しってほどでもないですが、それを忘れないように、誰かに聞かれたらこれを見ればすぐに答えられるようにしたつもりです。

「堀内美也子セミナーの歴史」
そうです、これは堀内美也子なしではありえなかったセミナーです

<堀内美也子 西野真理の知っている範囲の薄い紹介
・富山県滑川市出身
・武蔵野音楽大学器楽科ピアノ専攻卒業
・音楽之友社で編集長、事業部長
 ※マリア・カラスにインタビューしたこともある
・音楽之友社定年退職後は<友>音楽工房を立ち上げ現在も活躍中

<福光声楽サマーセミナー>
・開催場所
 富山県福光町(現在の南砺市)のスキー場イオックス・アローザ
・時期
 毎年8月1日~8月7日
・開催期間
 1993年から2013年までの20年間
・講師
 初年度から
 渡辺明 関定子 大島幾男 郡愛子 大島洋子 平栄一 
 (P)塚田佳男 呉恵珠 相庭尚子 (演出)大島尚志
 初年度以降から
  青山恵子 川上洋司 三林輝夫
  1度のみの参加
  中沢桂 小栗純一 山口道子
  特別講師
  畑中良輔  ガブリエルラ・トゥッチ  フィオレンツァ・コッソット 
  ヴィンチェンツォ・スカレーラ(ピアニスト)

セミナー関係の特別な演奏会
 2001年 オペラ「アイーダ」全幕  富山オーバードホール
 2003年 オペラ「魔笛」全幕    福光中学校体育館

↓セミナー期間中の本部事務局(レストラン)          




 
  










↓レッスン会場 兼 宿泊コテージ
(レンタルアップライトピアノ運び込み)















↓コテージ1階から2階の寝室を見上げるとこんな感じ













↓オペラレッスンやコンサートの開催される場所(普段は体育館)















<榛名梅の里日本歌曲スプリングセミナー>
・開催場所
 群馬県榛名町  榛名文化会館・エコール(レッスン)  
  榛名湖畔の宿「ゆうすげ」(宿泊)
 ※最初から数年は「榛名元湯」。
  麓に下りずにレッスンを宿泊施設内でしたこともある
・時期
 毎年3月後半(第3週あたり) 4泊5日
・開催期間
 1997年から2006年までの10年間
・講師
 関定子 青山恵子 竹澤 嘉明 (P)塚田佳男
・特別講師
 畑中良輔 福島雄次郎

↓レッスン会場(山の麓にある)
 














↓宿泊施設(榛名湖畔 山の上にある)


  













↓奨励賞の記念品
                    
















<八ヶ岳日本歌曲スプリングセミナー>
・開催場所
 長野県南佐久郡南牧村海ノ口 八ヶ岳高原ロッジ(宿泊)音楽堂(レッスン)
・時期
 毎年3月後半(第3週あたり) 4泊5日
・開催期間
 2007年から   2025年で18回目 継続中
・講師
   開催初年度~2022年
   関定子 青山恵子 竹澤 嘉明 (P)塚田佳男
  2023年から
   関定子 青山恵子 松井康司
↓ホテル正面  











↓音楽堂(レッスン会場)




 








↓講師による演奏会















↓音楽堂ロビーもレッスン会場になります

















↓楽屋もレッスン会場


















↓八ヶ岳高原ヒュッテ(レッスン会場だったことも)







「諸人こぞりて」文法構造(一部再掲載) 2023年12月18日(月)

このブログは2022年12月29日のものを一部再掲載しています。

クリスマスが近づくとよく歌われる、ヘンデル作曲「諸人こぞりて」の歌詞の中の「主はきませり」。この文法構造がずっと分からなくて、でもある日、「黒澤先生に聞けばいい!」と思いついて、本当に質問したところ、本当にご回答頂きました。

<黒澤弘光 筑摩書房ホームページより>
1945年群馬県生まれ。東京教育大学文学部、同大学大学院博士課程修了。1973年東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)教諭となり、2008年退職。『現代漢和辞典』(大修館書店)編纂、『広辞林』(三省堂)などの辞書や『日本名歌百選』(音楽之友社)を執筆。












↑黒澤先生はこの本の著者で、福光声楽サマーセミナー(これについては別のブログをどうぞ)のとき「詩の解釈」の講座の講師としてお世話になりました。大変気さくな先生で「なにか質問があればどうぞ」と、講座の受講生に惜しげもなく電話番号・住所を教えて下さいました。

あれからずいぶん時間が経ちましたが、お年賀状をお出ししていたことで、私は勝手に関係が細々続いていると都合よく解釈し、ついに2022年年末にお年賀状をお出しする時、そのことについて書いてみました。
するとそのお返事に質問の答えを書いてくださったので、私が独り占めするのはもったいないと思いブログに書かせていただくことにしました。

~「主はきませり」の構造について 黒澤弘光~
「来(き)」は現代語の「来る」、古語の「来(く)」の連用形です。
「ませ」は 古代から平安時代によく使われた「坐(ま)す」(「いらっしゃる」という意味の動詞ー「あり」ーの尊敬形)から派生した尊敬の補助動詞の已然形(~なされる、お~になる、の意)で、「り」は完了・存続の助動詞。これを訳すと「おいでになった、いらっしゃった」の意で、つまり「主はこの世においでになった(降臨された)」となります。

黒澤先生、ありがとうございました。

そして今日、歌の動画とピアノ伴奏のみの動画の2本をアップしました。







83歳初参加Tさんと、開催時間の変更 2023年4月24日(月)

昨日のSing幾多郎、久しぶりに初参加の方がいらっしゃいました。
Tさん、83歳です。
Tさんはもう30年前からのお知り合い・・・どころか、声楽関係者、武蔵野音楽大学声楽科ご出身の方です。

31歳で私が福光声楽サマーセミナーに初参加したとき、その駐車場でお会いしたのが最初。
当時の車のナンバープレートは二人共「石川」。そのセミナーにはほとんどの方が宿泊で参加されるのに、この会場まで1時間以内で来ることのできる私やTさんは、8日間のセミナーを通いでの参加。駐車場ですぐお互いにそのことを察して話も弾み、さらに二人は同じ先生のグループであることもわかって交流も深まりました。

その後Tさんも私も新たな先生に師事したりコンサート活動をしたりお互いのコンサートを聞いたりと、緩やかに交流は続きました。

時は流れ、私は61歳、Tさんは83歳になられました。
そんなTさん、詳細は存じ上げないのですが、この1年以内に膝の手術をされ、歌もあまりお歌いにならない状況でいらした中、
「リハビリも兼ねてSing幾多郎に行ってみよう」
と思ってくださり、4月22日(土)私にお電話をくださいました。
電話でお話を聞きながら、私は
「いくらリハビリとはいえ、大学の後輩であり、ご自身もきちんとお勉強されてきたにも関わらず歌を教えて欲しいなんて・・・」
でも、私はその言葉をぐっとこらえました。そんなこと御本人はとっくにお考えになった上でのお電話なのですから、それを言ってしまったらかえって失礼です。

「行ってみたいけど、電車に乗れるかしら・・・駅から会場まで歩けるかしら・・・私でもご一緒に歌えるかしら・・・」
色々不安を口にされる中、私はパソコンの前に座ってあれこれ検索しながら、こうご提案しました。
「明日は晴です。電車も9時4分宇野気駅着があります。Tさん、せっかくですから明日いらっしゃいませんか?駅まで道順のご案内がてらお散歩がてらお迎えに伺います」

電話を終えた後、私はある思いつきを実行することにしました。
Sing幾多郎開始時間を10時から9時30分への変更するのです。

会場の本町コミュニティセンターは9時からお借りしていているのですが、すっかり慣れてきた現在、9時から10時までの1時間をやや持て余していました。そこでもう30分早くしたいと思いながらも、それほど困っているわけでもないので惰性で現在まで来ていました。
ところがこの度のTさんの参加によって、
・Tさんの電車は9時4分に到着。ゆっくり歩いても9時15分には会場に到着。10時までの開始時間を持て余してしまう。
・10時50分に終わると、お帰りに使える電車は11時40分。またまた時間を持て余してしまう。
しかし、もし開始を9時30分にすると、全てが解決。
・宇野気着9時4分の電車・・・9時30分の開始にピッタリ
・宇野気発10時45分の電車・・・10時20分に終わればちょうどいい
・私の中で、開始時間を変更する理由ができる

思いついたら行動。ブログにその旨投稿し、今までご参加くださった方にメールやラインでお知らせしました。

4月23日(日)
宇野気駅西口にTさんをお迎えに行きました。
電車が到着しました。
???Tさんは?
もしかすると朝になって体調を崩されたのかも・・・
体調の悪い中お電話すると大変だから明日にでもお電話してみましょう・・・と会場まで戻っていると、Tさんからお電話が。
Tさん、東口に出られていたのです。
小さな宇野気駅、Tさんは降りたホーム側に出口があることにお気づきにならなかったのでしょう(西側は無人で通路があるだけ)。もっとちゃんとご説明すればよかったと反省しました。
しかし、このことで私に安心材料ができました。宇野気駅にエレベーターはないので、東口へは階段の昇降が必要ですが、Tさんはそれがお出来になるくらいの膝の状態だということですから。

宇野気駅へ戻り、Tさんに道案内をしつつ思い出話をしながら会場へ向かいました。
向かう途中よくご参加くださるSさんとも合流。
久しぶりの複数でのSing幾多郎開催となりました。
Tさん、始めは
「今日は見学するつもりで来たので・・・」
と、やや消極的な雰囲気でしたが、元々お歌いになれる方ですので次第に声も出始め、50分後にはかなりの高音まで出されていました。はじめは前かがみだった姿勢も、どんどんまっすぐになっていきました。

この日のことで私が一番考えさせられたのは「謙虚な気持ちの大切さ」ということです。
私が80歳を過ぎて、何らかのことでしばらく歌を休んでしまって復帰しようと思ったとき、自分の後輩に頭を下げてお金を払って教えを請うなんてことができるでしょうか?
昨日Tさんは50分の間にどんどん元気になっていかれましたが、それは私の教え方がどうとかではなく、彼女に謙虚な気持ちがあって、わざわざ宇野気までいらして教えを請うという選択をされたからです。
もし自分にそんな日が訪れたら、Tさんのような行動ができるようにしたいなあと思った日でした。








八ヶ岳声楽セミナー2023 5日目(最終日)その3 最後のランチでのスピーチ 2023年3月24日(金)

最後のプチパーティーランチのためにホテルへ戻る途中・・・
鹿です!!!
3日めにもちらっと見れたのですが、写真には残せませんでした。
最終日の帰りに写真に撮ることができてとても幸せな気持ちになりました。













最後のお食事
真ん中の写真・黒いチョコレートみたいなのは「トランペット茸のスープ」だそうです。

























ランチ中、スピーチの時間は全員にはなさそうだったので、80歳以上の方や各クラス(3クラス)のインペクさんがお話しくださいました。
ところが予想外に時間が余ってしまったので、
「誰か喋りたい人!」
「はい!」
西野真理にもお話のチャンスが回ってきました。ありがとう!堀内さん。
この場面では、以前からお話ししたいと思っていた30年前の出来事(福光声楽サマーセミナー初参加・31歳のとき)をお話することができました。

それは福光声楽サマーセミナー開講2年目、西野真理初参加の3日目のこと。今も鮮明に思い出すことができます。
3日目の午後には声楽に関する座学が組まれていました。7泊8日の日程中盤でみんな疲れていて、できれば座学はちょっとパスしたいと思う人もいたでしょう。私にもそんな気持ちが無かったとはいえませんが、まあ一応参加していました。
それが始まる直前、何者だか全く知らなかった主催者側の堀内さんとかいう人が会場前方に立ち、
「今、下のカフェでお茶している人がいました。せっかくこんな素晴らしい講座を用意しているのに、お茶してるとは何事ですか!!!」
・・・は???
その時の西野真理の感覚としては、
「このセミナーは主催している音楽之友社の商売。お金さえ払ってくれれば受講しようがお茶しようが、会社には関係ない」
のです。
ところが主催者側のこの堀内さんという人はなんだか本気でおサボりしている人に対して腹を立てている。一体この人はなに?
でも、この場面でこの堀内さんという人の本気さが伝わってきて、私は堀内さんとのお付き合いはそれ以来だと思っています。(その時点で堀内さんは私のことなど全くご存じないはずですが)

その後36歳の時、福光声楽サマーセミナーの中学生向けコンサートで初めて「公的」なステージを堀内さんからいただけることになりました。私以外の出演者は私から見れば「若いプロ歌手」でした。なぜ私がこの中に入れていただけるのか不思議ではありますが嬉しくて、でも、歌う曲となると、「歌手」の皆さんのような曲は無理です。
そこで選んだのは中学生がよく歌う合唱曲「マイバラード」「Believe」、アニメ映画「もののけ姫」、ウケを狙って「ゴキブリの歌」(磯部俶作曲)でした。

そのステージのあと、仲良しののぞみちゃんがこんな事を話してくれました。
「真理さん、コンサートの時お隣に佐藤さんって方が座っていらしたんですけど、その方がね『西野さんって人は決して上手いわけじゃないけど、一番中学生の心をつかんでいたと思う』って」
私は今でも、なにかへこんだときにはこの言葉を思い出して勇気づけられています。

これで解散です。

石川県へ帰ります。
帰途の様子はその4へ続きます。













楽譜送付等手続きに半日(八ヶ岳日本歌曲スプリングセミナー関連とセミナーの歴史) 2023年1月18日(土)

昨日は起床から半日を、3月に受講する「八ヶ岳<日本歌曲〉スプリングセミナー」関係の事務処理に費やしました。これから3月末まで、このブログには何かと
「八ヶ岳<日本歌曲>スプリングセミナー」(※以下「八ヶ岳声楽セミナー」と表記)
のことを書くことになると思いますので、まずは八ヶ岳声楽セミナー関係のことを書いておきます。

<セミナーの歴史>
~福光声楽サマーセミナー~
1993年から2013年までの20年間、富山県福光町(現在の南砺市)のスキー場イオックス・アローザを会場として「福光声楽サマーセミナー」が開催された。
 ・毎年8月1日~7日までで、声楽とピアノ伴奏者のためのセミナー
 ・私は31歳から参加
 ・主催は「音楽之友社」だったが、途中から「<友>音楽工房」に引き継がれる
 ・プロデューサーはその後のセミナーも全て堀内美也子さん(私にとっての大恩人)
 ・このセミナーから八ヶ岳声楽セミナーに至るまで関定子・青山恵子両師は連続して講師
 ・何年か経って、福光声楽セミナーの講座の中に「日本歌曲特設コース」ができ、以後
  日本歌曲コースが発展して行くことになる
 ・2001年39歳の時、日本歌曲特設コースにピアニストのTさんと一緒に参加し
  「愛する歌」を演奏してペアとして奨励賞を受賞

↓セミナー事務局として使われていたレストラン





















宿泊施設であり、レッスン会場としても使われたコテージ
一部屋ごとにピアノが搬入された




















~榛名梅の里日本歌曲セミナー~
福光声楽セミナーから少し遅れて、おそらく1997年に群馬県榛名町で「榛名梅の里日本歌曲セミナー」が始まった。
 ・宿泊は山の上の榛名湖畔の宿「ゆうすげ」(若さぎ釣りで有名)
   ※初会から何年かはここではなく、もっと古い建物
 ・レッスンは麓の榛名文化会館・エコール
 ・私は1998年36歳の時から3回は参加したはず
 ・毎年3月末に開催されていた。10回は続いたと思うが確かではない
 ・その間1回は、伴奏者コースのアシスタント歌手として参加
 ・1999年37歳で参加した時、終了演奏で「おおかみの大しくじり」を歌い、奨励賞を
  受賞

↓榛名湖畔の宿 ゆうすげ


























レッスン会場 エコール















~八ヶ岳<日本歌曲>マイスターコース~
2007年3月26日、45歳の時、八ヶ岳日本歌曲セミナーが始まり、スタート年から参加。ちょうどセミナーに出かけようとした時かなり大きく家が揺れ、榛名スプリングセミナーの奨励賞記念に頂いたこけしが落ちた。(能登沖地震)






















 ・当初は上記のような名称で、レベルがそれなりの人以上を対象ということだったが、少
  しずつ緩やかになった。
 ・毎年3月20日前後から4泊5日で行わる
 ・歌い手とピアニスト両方のレッスンが個別だったりペアだったりで行われる
 ・八ヶ岳高原ロッジという高級ホテルに宿泊
 ・それに付随する素敵な音楽堂をレッスン会場として使用
 ・2023年現在も続いている。

日程が合わなかったりコロナだったりでしばらく参加できていませんでしたが、退職した今年は日程を気にすることなく申し込むことができました。ただ、根がサボり性の私ですから参加するとなると勉強しなくてはならないので、ちょっとためらっていたその時、関定子先生のレッスンがあり、先生から
「八ヶ岳来てね」
とお声掛けいただき間髪入れず
「はい!」
と軽快に返事をし、申し込むことに決めました。
期間は3月20(月)から3月24日(木)
西野真理のことを熟知していらっしゃる方は
「この間にFM生放送の日があるけど休むの?」
とお思いでしょう。
これも運が味方についています。
「FMかほく」は祝日の生放送はお休み。3月21日(火)は祝日でお休みなのです。
水曜日の「Sing幾多郎」ですか?これは自分主宰なので「おやすみしま~す」とお伝えするだけです。

↓ホテル正面












↓音楽堂外観

















音楽堂内部

















<昨日の話に戻ります>
1月16日(木)に八ヶ岳セミナー事務局から受講案内が届きました。
声楽関係者はよくおわかりだと思いますが、ピアニストに楽譜を送るのってけっこう大変ですよね。楽譜をコピーし製本するのは案外時間がかかるのです。
届いた案内には
・受講者
・受講費用
・担当ピアニスト
・その他注意
が書かれていて、何より大事なのは
「担当ピアニストに2月末までに楽譜を送りなさい」
ということです。
楽譜を送るということは、受講曲を決定しなければならないということですが、流石にあと1ヶ月と少し、ほぼ決めてはいました。

しかし、準備を始めた時、心が揺れ始めました。
講師の松井さんのことです。
今までは「日本歌曲セミナー」ということですから当然日本歌曲ばかり教えていただいていたのです。しかし今年はピアニストの塚田先生が参加されないこともあり、バリトン歌手の松井さんが講師として参加されることになりました。その事もあってか今回は募集要項に
「歌うことの広い分野を鑑みて~・・・ オペラアリア・ドイツリート~・・・」
の一文が。

このことは募集要項の時点で知っていたのですからもっと早く決めればよかったのですが、なんとなく「日本歌曲で」と気持ちをそらしていました。
でも、いざ受講曲一覧表に曲を書き込もうとしたとき
「せっかくだからドイツリートを持っていってみよう!」
という気持ちに振り切れました。

その曲とは、シューベルトの「美しい水車屋の娘」、日本語で歌うのです。
この曲には2013年に喉を壊したことをきっかけに
「男性の歌う曲を更に音を下げれば歌えるんじゃないか」
という安易な発想から取り組みました。
しかし、ここからが幸運で
・あの松本隆さん(松田聖子の曲などを手掛ける一流作詞家)が訳詩版を発表された
・最終的に松本さんはシューベルト3大歌曲全部を発表
 「美しい水車屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」
・西野真理はその全部に取り組む
ということになりました。

そもそもですが、私がこの訳詞があることを知ったのは、学校で「魔王」の授業をするために「魔王」の日本語訳版のCDを探し、たまたま「魔王」だけを聴くつもりで買ったそのCDが「美しい水車屋の娘(全曲)」のCDだったのです。

それを美女コンで歌う時、もちろん関定子先生にご指導は受けましたが、ドイツリートを専門にされている方にご助言をいただいたことはありませんでした。そして、出来ればもう一度「美しい水車屋の娘」をコンサートで歌いたいと思っていました。
そんな時、まさかのこの展開。松井さんはドイツに留学され、ドイツリートを長く歌っていらっしゃいますのでこんなチャンスは2度とない、と考えたのです。

お昼近くまでかかって作業を終え、午後はただ、ダラダラしていました。
明日からは練習します!

↓私の趣味、製本した楽譜の表紙作り


































西野真理の色々なお話

災害時の連絡について  2026年8月28日(金)

 災害時、親しい方の安否が気になるのは当然のこと。しかし、そのために連絡を取ることについて、その方のお心がわかるだけに申し上げにくいこともあります。以下は能登半島地震被災体験者・中村弥子さんのFacebook、金子国土交通大臣のXから(7月26日熊本地震について)お借りしました。...