昨日の夕方、同郷同大学出身のピアニストHさんと長電話・1時間34分。ラインさんありがと!無料でおしゃべりさせてくださって。
その長電話でも足りず、朝さらにライン上でやり取り。その中でHさんから
「~持ち声ってものは変えられないよね?発声は良くなっても声に魅力が出るのとは違うよね?~」
これ、声楽関係者以外からよく質問されること。
その答えには直接ならないですけれど、30年ほど前の強烈な思い出とともに少し書いてみます。
それは福光声楽セミナーでの一コマ。
↓レッスンに使われるコテージ
このセミナーでは6~7名ほどの先生が、各部屋(独立したコテージ)でレッスン。基本はそれぞれ割り当てられた先生のレッスンを期間中ずっと受けます。でも、自分の受講時間が終わった後は、そのままそのお部屋で聴講しても、他の先生のレッスンを聴講しても自由です。
その時私は、平良先生のクラス(多分)。何日かは平良先生のレッスンを受講・聴講。何日目かのとき、別の先生のところを聴講に行こうと、郡愛子先生のレッスンコテージへ入りました。
その時そのコテージには、郡先生とレッスン受講生のIさんの二人きり。そして私がそこへ入ったちょうどその時、優しくちょっと寂し気な口調で郡先生がIさんにこんなことをおっしゃいました。
「だからあなたは『いい声ね』で終わっちゃうのよね・・・」
レッスンの経緯はわかりませんが、私はこの言葉にかなり衝撃を受けました。いい声であることが必ずしも武器ではないのだと。
数日前、私はこのIさんの声に、それこそ衝撃を受けていたからです。
このセミナーでは初期のころ、一人1分程度全員ちょっとずつみんなの前で歌う時間がありました(のちになくなりました)。その時聞いたIさんの声は、まさに
「美声というのはこういうのを言う!」
という見本のような美声。「真綿のような声」という表現を聞いたことがありましたが、そういう声が世の中に存在したんだという驚き。
そのIさんだったのです。
Iさんのような人は、何の苦労もなく、声楽の世界でスター街道を進まれるに違いありません。嫉妬する限界を超えています。
そのIさんが
「だからあなたは『いい声ね』で終わっちゃうのよね・・・」
こんなことってあるのでしょうか?
その後、Iさんの名前をコンクール本選で見かけるとか、何かのチラシで見るということは残念ながらありません。
さて、私ですが、何の謙遜も抜きに自分の声をいい声だと思ったことは一度もありません。無理やり世界をいい声と悪い声の半分に分けたら、悪い方に入るとさえ思います。でも、悪い声だと思っているわけでもありません。それぞれだなあと思うだけです。
ちょっとだけ自慢話っぽくなります。
奏楽堂日本歌曲コンクールで2位になった後、たまたま小泉惠子さんという、ソプラノ歌手でコンクールの審査員の方に話しかけていただいたことがありました。小泉惠子さんは、私の師匠・関定子の美声とはまた違った美声で、
「鈴を転がすような声」
と言ったらこの声。小泉惠子さんの声を初めて聴いたときも驚きました。もし神様に誰かの声と取り換えなさいと言われたら、私はこの人にしてもらいます。声の出し方に力みは全くなく、体のどこかをつついたらパッと声が出るんじゃないかという感じです。私とは真逆の声。
小泉惠子さん、YouTubeにアップしていらしたので貼り付けました。
その小泉惠子さんが私に
「西野さんの声、すごく注目してたのよ」
と話しかけてくださったのです。
簡単に言えばないものねだり?確かに小泉さんは私のような低音をお出しになることはないでしょうし、私の歌った「木の洞」「鴉」をお歌いになることもないでしょう。
私も咄嗟にお返事しました。
「小泉さんのお声、前からあこがれていたんです」
短い会話でしたが、今も嬉しい瞬間としてよく思い出します。
話しを元に戻します。
Hさんの声、私の好みから言えばとてもいい声です。ピアニストだし音程もいいし、文句ありません。でも、多くの「歌ってみたい予備軍」の人が「自分の声には魅力がない」と思っていらっしゃるとしたら、それはとても残念なこと。声帯の筋肉は人間の体の中で一番衰えるのが遅い筋肉だと聞いたこともありますし。
歌を歌いたいと思っていらっしゃる皆さん、それぞれいい声です。自信をもって歌いましょう!

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