コルンゴルト、行きます! 2026年10月10日(土)

あれ?昔って、10月10日は「体育の日(祝)」でしたよね。東京オリンピック開催記念か何かで。1964年、私が2歳の時です。

それとは全く関係ないお話。
昨日レーヴェの初訳詩「魔法使いの弟子」が完成し、ちょっと歌って
「楽し~い!」
早速もう1曲準備してあったレーヴェの「歩き回る鐘」に入りました。これ、確か同じ詩でシューマンが作曲たものを訳詩済み。でも曲の雰囲気は随分違います。シューマンはちょっと怖目、レーヴェは楽し気な曲に仕上がっています。この曲も完成までにそう長くはかからなそう。となると次を探さねばなりません。レーヴェがとても楽しかったので、もう少しレーヴェを集めてみようかな?・・・とドイツ・オーストリアの作曲家を見ていたら
「コルンゴルト・・・・・?この人、アメリカ人だと思ってた!」
久し振りに目にした作曲家、コルンゴルト。彼について私が現在覚えている範囲で書いてみましょう。

・オペラ「死の都」の作曲者
 ※つまり私はこれのみでコルンゴルトを知っているのです。ずいぶん前に東京オペラシティで観ました。これはおすすめです。
・コルンゴルトは映画音楽も素晴らしいものをたくさん作った。ところが彼の時代は映画音楽が下に見られていて、失意のうちに亡くなった

これだけです。

では、Wikipediaから抜粋
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897年5月29日 - 1957年11月29日 60歳没)は、オーストリア出身のアメリカ合衆国の作曲家・指揮者。神童として知られ、ハリウッド史上最も重要な作曲家の一人となった。

コルンゴルトはアメリカに亡命し、仕方なく映画音楽を書きながら亡命生活を送るよりなかった。亡命の際には多くの自筆譜をオーストリアに残してしまったが、友人の協力のおかげでそのほとんどを持ち出すことができ、持ち出せなかった曲も、記憶を元に復元した。

ヒトラーが倒れるまで純粋な音楽作品の創作を封印していたコルンゴルトにとって、第2次世界大戦の終結は転機となった。

1946年、『愛憎の曲(英語版)』(Deception)を最後に、純音楽作曲家に戻るべく、新作を携えウィーンを訪れるも、当時の映画音楽に対する評価の低さや、後期ロマン派的作風は前衛音楽全盛の音楽業界から受け容れられず、「映画に魂を売った下等な作曲家」というレッテルを張られて事実上ウィーンの楽壇から抹殺され、失意の内にハリウッドに戻り、不遇の中、同地で1957年、脳出血で死去した。2曲目の交響曲を作曲中だった。遺体はハリウッドのハリウッド・フォーエバー墓地に埋葬されている。




ChatGPTに200文字にまとめていただきましょう
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897~1957) は、オーストリア生まれの作曲家です。幼い頃から天才と称され、リヒャルト・シュトラウスらにも高く評価されました。オペラ《死の都》などで成功を収めましたが、ナチスの台頭によりアメリカへ亡命。ハリウッドで映画音楽を手がけ、『ロビン・フッドの冒険』でアカデミー作曲賞を受賞しました。後期ロマン派の豊かな旋律と華麗なオーケストレーションが特徴で、映画音楽の発展にも大きな影響を与えた作曲家です。

そんなわけで久しぶりにコルンゴルトの名前を発見し、ちょっといいかも!と曲探し。
ありました。
「6つの素朴な歌 作品9」
ペトルッチに楽譜もありました。
YouTubeにも演奏がアップされていたので早速聴いてみると、久しぶりの心が震えました。ここしばらくシューマンやブラームスなど、ドイツロマン派ど真ん中を聴くことが多かったせいもあるでしょう。それにしても、これはいい!曲の長さもちょうどいい。でも・・・
かほく市の「美女コン」で演奏してお客様に喜んでいただけるかどうかは微妙です。
でも、いい!やりたいことをやるのです。
おそらくスタートは10月14日、横浜イギリス館での「詩人の恋」演奏のための最後の塚田先生レッスンへ向かう新幹線の中になるでしょう。
楽しみです。

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