今日のブログは6月9日(火)のFMかほくSing幾多郎の原稿です。ですからいつものブログより少しお話っぽい書き方になっています。読むのが面倒な方はYouTubeをご覧くださいませ。そもそもですけれど、もとのYouTubeをご覧になるのが一番です。
※FMの原稿にする時点で元動画からもかなり割愛している上に、実際にFM本番ではさらにこの原稿からも割愛しています
<悪意のない人がする「統計的差別」とは?>
今日も私大好きなYouTubeチャンネル……「積読(つんどく)チャンネル」から、「それ、差別です 統計的差別について」というかなり正統派の内容です。しかし、そのお話しぶりが面白くて、しかも胸にチクリと刺さる内容だったので、ぜひお伝えしたいと思い今日の原稿にいたしました。
この動画のテーマは
『差別は大抵悪意のない人がする』
です。
ご紹介しているYouTube「積読チャンネル」は、ナビゲーターの堀元さんと飯田さんというお二人が、いつもユニークな本を紹介している番組です。
そのお二人が、以前別の動画で「香川県にモスク、イスラム教の礼拝堂ができるまで」というテーマを扱った時のこと、非常に真面目で素晴らしい内容だったのですが、その動画のコメント欄が、配信後に少し荒れてしまったらしいんです。
どんなことで荒れたかというと、動画の中で
「日本国内で、外国籍の方に対して、部屋を貸せないと断る不動産業者や大家さんがたくさんいる」
という現実が紹介されたんです。それに対して配信者の堀元さんが
「あ、それは外国人差別だし、良くないよね」
と発言しました。
すると、コメント欄にものすごい勢いで、こんな反論が書き込まれたそうなんです。
「いや、それは差別ではありません。ビジネス上のリスク判断です」
「大家は自分の資産を守るために、データを元にリスクを回避しているだけです。何でもかんでも差別と呼ぶあなたたちこそ、現場を知らない独善的な差別者ではないですか?」
ところが、ここからです。
発言者の堀元さんは、その「リスク判断だから差別じゃない」という意見に対して、非常に明確で強力な反論を突きつけました。彼はこう言いました。
「世界はそれを『差別』と呼ぶんだぜ」
と。そして、この現象には、経済学や社会学の分野でちゃんとした名前がついています。それが
『統計的差別(とうけいてきさべつ)』
です。
これが一番のキーワードです。
商売上のリスク判断、合理的なデータ分析、そう言われると何か正しいことのように思えてしまいますが、これこそが「まさに差別そのものである」という概念です。
では、なぜこれが「合理的な判断」ではなく「差別」なのか。
動画の中では、もっと分かりやすい別の例を挙げて説明していました。
例えば、ある企業が
「女性は結婚や子育てで、男性よりも将来的に長期離職する確率が統計的に高い。だから、重要ポストへの出世は男性を優先しよう。これは会社のリスクを最小限にするための合理的な経営判断だ」
と言ったらどうでしょうか。
今の時代、これは完全にアウトですよね。明確な女性差別だと誰もが気付きます。でも、構造は「外国人に部屋を貸さない大家さん」と全く同じなんです。
<抜け出せない「無限ループ」の恐ろしさ>
この「統計的差別」の本当に恐ろしいところは、動画でも語られていましたが、
「それをやっていると、一生その格差が埋まらず、無限ループに陥る」
という点です。
もう一度、女性の出世の例で考えてみましょう。
過去の統計データで「女性の離職率が高い」からといって女性を出世させないと、当然女性の賃金は上がりません。すると社会全体で、夫婦のどちらかが仕事をセーブしようと考えたとき、「夫の方が給料が高いから、妻(女性)が仕事を休む・辞める方が合理的だ」という判断になります。結果として、また女性の離職率が高くなり、最初の「女性は離職しやすい」という統計データがさらに補強されてしまう。
「データがこう言っているから」「過去の経験上、このタイプの人はこうだから」と、悪気なく誰かを排除してしまう。その構造に名前をつけたのが、この『統計的差別』という言葉です。
この「統計的差別」という恐ろしい無意識の罠について書かれているのが、
『差別は大抵悪意のない人がする』
原題は『善良な差別主義者』という、少しハッとするようなタイトルだそうです。韓国の大学教授であり、差別研究の専門家であるキム・ジヘさんが書かれた本です。
<専門家や当事者さえも陥る「無意識の罠」>
面白いのが、この本の始まり方です。
著者のキム・ジヘさんは、差別の専門家として、ある高名な人権シンポジウムに呼ばれて熱弁を振るったそうです。専門家ですから、言葉の端々にまで気を配って、完璧なスピーチをしたつもりでした。
ところが、講演が終わった後、参加者から
「先生、先ほどの発言、実はとても差別的ですよ」
と指摘されてしまったそうなんです。
専門家である自分が、人権のシンポジウムで差別発言をしてしまった。
著者は最初、もの凄いショックを受けて、すぐにはその現実を受け入れられなかったと言います。
「そんなはずはない、私は差別なんてしていない!」
と、頭の中で強い防衛反応が働いたそうです。
本の中で、著者はその時の心境をこう振り返っています。
「私が障害者を差別していたなんて、信じられなかった。いや、信じたくなかった。大学に入学して最初に入ったのは手話サークルだった。社会福祉学と法学を専攻して人権について勉強し、障害者の権利や法律に関する授業も受けてきた。家族の中にも障害者がいて、彼らが置かれた状況をある程度知っていると思っていた私が、彼らを差別する側だったなんて……」
差別をなくそうと人生を捧げて勉強してきた専門家でさえ、無意識のうちに、自分の立っている特権的な場所から、誰かを傷つける言葉を発してしまう。
ここで動画の聞き手である飯田さんが、ご自身の大学時代の苦い経験を思い出して語っていらっしゃいました。
飯田さんが学生時代、異文化コミュニケーション研究という、まさに差別や人権を扱うゼミに所属していたときのこと。授業のアシスタントとして簡単なゲームの進行を任されたそうです。その時、飯田さんは何気なく、本当に深い意味もなく、「じゃあ、男性は右側、女性は左側に分かれて並んでください」と指示を出しました。
その瞬間、教授から「ちょっと待ちなさい」と止められたそうです。
後から教授にこう諭されました。「この授業には、自分自身の性自認やジェンダーに悩みや疑問を持って、傷つきながら来ている学生もいる。その発言は、あまりもし配慮に欠け、危ういものだったよ」と。
飯田さんは当時、悪気は全くなかった。ただ無邪気に進行しようとしただけだった。だからこそ、自分が無意識に誰かを排除する側に回っていたという事実に、大きなショックを受けたそうです。
この本が教えてくれるのは、
「あなたが悪人だから差別をするのではない」
ということです。悪意のない善良な私たちが、そのままの姿で「差別主義者」になってしまうのが、現代社会の構造なんだという衝撃的な事実なんです。
さて、ここまでお話を聴いてくださって、「うわあ、確かに気をつけなきゃな」と感じてくださっている方もいらっしゃるかと思います。
<綺麗事だけでは済まない「商売のリアル」>
しかしここから、YouTubeの動画はガラリと雰囲気を変えます。
発言者の堀元さんが、ここから
「綺麗事だけではない、生々しい商売人としてのパート」
に突入していくんです。これがまた、この動画をただの「道徳の授業」に終わらせない、最高に面白い視点でした。
堀元さんはご自身で会社を経営されている商売人でもあるのでこう言います。
「人文学の教授が言う綺麗事は100%正しい。でも、現場の商売人からすれば、『綺麗事ばっかり言いやがって、じゃあ家賃を滞納されたときの損失は、お前が責任取ってくれるのか?』って言いたくなる気持ちも、痛いほど分かる」
そうなんです。正義を振りかざして
「差別はダメだ、全員を平等に扱え」
と言うのは簡単ですが、その言葉には責任が伴いません。もし本当に、リスクのありそうな人に部屋を貸して、トラブルが起きて物件が自己破産に追い込まれたら、その大家さんの家族は路頭に迷ってしまいます。
ここで堀元さんは、もの凄く尖った、でも本質的な持論を展開します。
「ちっちゃい商売人には、民主主義や正義を蹴っ飛ばす自由があっていい。間違った決断をする自由がある。なぜなら、その決断の責任を全部自分で背負うからだ」
大企業や行政は、社会の公的な器ですから、高い倫理性が求められます。でも、個人の小さな居酒屋の店主が
「なんとなくマナーが悪そうだから、お前は出入り禁止だ。理由は説明しない」
と直感で客を断る権利はあっていいはずだし、それで客が減って店が潰れても、責任を取るのは店主本人です。
<私たちが胸の片隅に持っておくべき「小さな罪悪感」>
それでは、結局「商売のリアルがあるんだから、差別してもしょうがない」という結論になるのでしょうか?
いいえ、お二人の結論は違いました。ここからが本当に素晴らしい着地となります。
堀元さんが言いたかったのは、
「差別を絶対にするな」
ということでも、
「商売だから差別していい」
ということでもなく、
「せめて、罪悪感は持とうよ」
ということでした。
一番恐ろしいのは、
「これはビジネスのリスク管理なんだから、100%正しい当たり前の行為だ」
と開き直って、自分の行為を完全に正当化してしまうこと。
「外国人に部屋を貸さないのは、ビジネスだから当たり前、正しいことだ」と善良な人間面をして開き直るのではなく、
「本当は全員に機械の平等を重んじるべきなのに、自分のリソースの限界のせいで、特定の属性を排除してしまっている。俺は今、不義理な、悪いことをしているな……」
という、小さな罪悪感を胸の片隅に持っておくこと。
それがあるかないかで、人間としての、そして経営者としての、その後の歩み方が全く変わってくるはずだ、とお二人は熱く語り合っていました。
<終わりに>
今日はYouTube「積読チャンネル」で語られていた『差別は大抵悪意のない人がする』というテーマから、私たちの日常に潜む「統計的差別」の罠、そして商売のリアルについてお話ししてきました。
動画の最後の方で、聞き手の飯田さんが、昭和の特撮ヒーロー『人造人間キカイダー』の例え話をしていたのが、私の心にとても強く残っています。
キカイダーというロボットは、不完全な「良心回路」を持っていて、良い心と悪い心の両方を持ち合わせているために、常にその間で激しく苦悩し、葛藤するヒーローなんだそうです。
綺麗な、100%純粋な正義の心だけを持っている別のロボットも出てくるそうですが、最終的に世の中を変え、本当に「人間らしく」なれたのは、悪の心を抱えながらも、それに抗って善を行おうと必死に悩み続けたキカイダーの方だった……というお話です。
さて、今日は少々硬いお話になりましたが、どう感じられたでしょうか。
ご紹介したキム・ジヘさんの著書『差別は大抵悪意のない人がする』は、とても読みやすいそうですから、ぜひ手にお取りになってみてください。
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