先日ブログに書きました、FMかほくの番組
「山田真暉 Y列車でいこう!」
今日もこの番組を聞き、聞きながら昔のある出来事を思い出しました。24年前の鉄道関係のことです。普通24年も前のことは詳細には書けないものですが、私は書けます。当時から書いていたエッセイにこのことを書いていたから。
せっかく鉄道関係なので、山田さんにラインでお送りしました。ただ、山田さんへは文体を現在のものに変え、山田さんには関係ない関先生のことなどは割愛したものを。
それでは皆様には当時の文体のまま、お読みいただきますね。
異次元空間
2001年3月11日(日)
その日は、関定子先生のレッスンが富山県・呉羽(くれは)駅近くのレッスン場で行われ、終了後私は、東京へお帰りになる先生を呉羽駅へお送りすることなった。
少し早く着いたので、私は先生と一緒にプラットホ-ムへ出ることにした。
呉羽駅は田舎の小さな駅で、プラットホ-ムは2つしかない。
先生がお乗りになる電車は橋を渡った向う側。夕方の6時を過ぎてあたりはすっかり暗くなっていて、私と先生以外、だれも向こうへ渡る人はいなかった。
先生と世間話をしながらゆっくり歩き、私たちは橋を曲がって、下りの階段部分にさしかかった。
そして、下を見た時、あまりの驚きに私と先生は同じ目をして(多分)見つめあった。
少し間を置いて、先に言葉を発したのは関先生の方だった。
「異次元空間に入っちゃったの?」
プラットホ-ムには、8人ほどの作業服の男性が私たちに背を向けた状態で、右手を肩のところで地面と平行にまっすぐ伸ばし、無言で静かに立っていたのだ。
私たちはプラットホ-ムに降りたいのだが、不気味で足が止まってしまった。
その時、私たちに気付いた、階段の途中にいる、やはり作業服を来た男性が
「あ、どうぞ。黄色いところを歩いてくださいね。」
と、明るく声を掛けてくれた。
なぜ黄色いところを歩かなくてはならないのだろうと、後で考えれば何でもない言葉にまで恐怖を感じながら、私たちはゆっくり降りていった。
階段の真中まで来た時、通過電車が通過していった。
すると、何事もなっかったように作業服の男たちは動き始めた。
私はすぐに頭をフル回転させて、今の状況を整理した。
彼らは鉄道の工事関係者で、その日は呉羽駅プラットホ-ムに、視覚障碍者誘導用の黄色いプレ-トを、貼り付けていた。工事関係者には、「安全確保行動(?)」とかなんとか名付けられた規則があって、その一つが、
『電車が来る時は、必ず作業を中断し、電車の来る方向を向き、右手を肩の位置で地面と平行にまっすぐ伸ばして、通過するまで待たなければならない』
なのだ。
(自分で考えたのだが、案外このとおりに書かれていたりして!)
ホットした私と先生は、ビックリしたというようなことを笑顔で話しながら電車を待っていると、ほどなく電車はやって来た。
そこで私はふと思い立って、ある行動に出た。
そう、あの「安全確保行動(?)」である。
後ろから工事の男性が一言、
「合ってる!」
ほどなく先生のお乗りになる電車がプラットホ-ムに入ってきた。
私は先生を「安全確保行動」で見送った。
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