克子叔母が泉下の客となりました。
※泉下の客となるとは
「泉下」とは黄泉(こうせん・よみ)のこと。「泉下の客となる」とは黄泉の国のもとへ訪れる人になること。
この言葉は4年ほど前、父のときに知り、それ以来使っています。
このブログは15日朝5時半から書き始めました。
<3日間の概要>
2023年12月12日(火)
・6:20 山口県の幸子叔母から電話連絡
・8:30 石川県を出発(彼の運転で、母も連れて。幸子叔母も静岡へ向かう)
・10:00 車内からホテルを予約
・13:30 浜松駅で幸子叔母と合流
・14:30 克子叔母の部屋(施設の方、葬儀社等と話)
・15:30 葬儀社で葬儀打ち合わせ
・18:30 ホテルルートイン浜町駅東
・19:30 夕飯
2023年12月13日(水)
・9:00 ドラッグストアで買い物
・9:30 克子叔母の部屋片付け
・13:30 コンビニおにぎり等でお昼ごはん
・15:30 葬儀社安置所で湯灌儀式、小さなお葬式等
・17:00 克子叔母の部屋、契約終了
・18:00 夕食
2023年12月14日(木)
・7:00 ホテル出発
・8:30 最後の対面
・9:30 浜松斎場
・11:00 終了
・12:30 昼食
・13:30 浜松駅へ幸子叔母送る
・19:00 帰宅
では詳細に移ります
<2023年12月12日(火)>
~連絡・出発~
12月2,3日は母と3人でコンサート聴きがてら克子叔母に会いに行き、7日に幸子叔母から「克子叔母は食事をとれなくなっているという連絡が施設から入った」との連絡。万一のことを考えて、来週行く予定だった丘村レディースクリニックへ8日に行き、優しい丘村先生に叔母の状態を話すと「そういう状態だと持って4~5日かな・・・」。
10日には「最後のお別れになるかも」との連絡が施設から入り幸子叔母も私達も浜松日帰り。克子叔母の顔色の良さから楽観的な期待を抱いて帰宅し、家族でも「意外に3月くらいまでは大丈夫なんじゃない」なんて話していた12日6:20。熟睡中の枕元の携帯には幸子叔母の名前。
簡単に話を終え、お互い直ちに浜松へ向かうことに。
熟睡中の彼を起こし、母に電話をし、荷造りをし、今日のFM放送を休ませていただけるよう連絡をし、すぐに出発したいところですが、彼は現在町会長。配付物等様々なことを抱えており、それらのことを町内の方にお願いするのに少し時間がかかりましたが、皆さん快く引き受けてくださったお陰で、無事浜松へ向かうことができました。
10日の時点で「最後のお別れになるかも」というドクターのお見立ても、丘村先生の「持って4~5日」もとても正しかったと今、改めて思います。
~ホテル予約~
移動車内で幸子叔母と連絡を取りながらホテルを予約しました。
克子叔母の施設にはビジター用の宿泊施設も整っていて、私達はここに泊まれるものだと安心していたらこの日は満室。
すぐに車内から前回も泊まったルートイン浜松西インターをネット予約をしようとしましがこちらも満室。ちょっと焦りましたがネット検索でルートイン浜松駅東に空室がみつかり予約。しかし私は1泊しかとらず、幸子叔母からも彼からも
「最低2泊は必要でしょ!」
それもそうです。彼は4日は必要だと思っていたようです。
すぐにホテルに電話し2泊にしてもらえないか問い合わせたところ、幸い空きがあり2泊に延長することができました。
ただこのホテル予約、車内からスマホでするのが大変。
東海北陸自動車道はトンネルだらけ。長いものは11kmもあります。トンネルの照明で画面は見にくく手元は滑り、何度も「確定する」まで行ってやり直し。泣きたくなりました。
結局2泊にするために電話したのだし、今後トンネルの多い道路で車内から予約するときは電話にしましょう。
~克子叔母との対面~
徐々に眠る時間が長くなり食が細くなりこの日を迎えたという、まさに老衰の見本(西野真理個人の感想です)。呼べば起きそうです。
施設の方も葬儀社の方もベテランですから、今後必要な事、スケジュール等を上手に伝えてくださって、その後のことはどんどん進んでいきました。
叔母の居住していたお部屋の片付けは明日と決め、この日は一切、手を付けませんでした。
↓2022年10月(お部屋お引越手伝いに行った時の写真)
引越し前のお部屋
(畳のように見えるのは引越し業者さんが傷防止のために敷いてくださったシート)
引越し先のお部屋(最期の時を迎えたお部屋)
新型コロナ以降いわゆる「小さなお葬式」「家族葬」が主流(?)とまでは言いませんが、私の町内会もこの1年、すべて「家族だけで」というものでした。
今回の克子叔母も家族葬です。
費用もパンフレットに明記されていて、そこに若干のオプションを付ける方法で、その点もスムーズに進んでいきました。
オプションとして付けたのは「湯灌」。これは20年以上前、祖父(克子叔母の父)のとき、それを取り仕切った克子叔母が
「おじいちゃんに湯灌をしてあげてとても良かった。おじいちゃんがとても気持ち良さそうに見えた」
と話してくれたことをよく覚えていましたし、父のときもそうでしたので、是非叔母にもしてあげたいと思ったからです。
費用は6万円。祖父のとき確か4万円と聞いた気がするので、意外に値上がりしてないなと思ったりしていました。
お花を2万円で付けることにもしたのですが、こちらはその後のお話で克子叔母の入居施設の方が出して下さると聞き、キャンセルしました。
「火葬場はとても混んでいて、明日は一杯。明後日は朝9時半からだけまだ空いているので予約するならすぐに」
と葬儀社の方から教えていただき、その場で14日の朝9時半に決めました。
後でわかったことですが、この決断は正解。翌日は片付けの日として確保できましたし、もしここで決めなかったら火葬場は17日まで取れなかったそうです。
~YouTubeから~
安置所で克子叔母と対面しながら、本当は自分で歌を歌えばよかったのですが無理です。
そこでYouTubeにアップしてあった
「いのちの歌」「涙そうそう」「千の風になって」
を流しながらお別れのひとときを過ごしました。
YouTubeをやっていて良かった、と思いました。
~夕飯~
その後ホテルへ向かいホテルのレストランで夕飯をと思っていましたが、こちらのホテルのレストランは朝食専用で夕飯の時間は閉店。少々疲れてはいましたが、せっかく浜松なのでうなぎでもと、ホテルに置いてあったパンフレットから1つを選びそこへ向かうとお休み。ちゃんと見ればそう書いてあったのですが。
しかたなくその近くにあったお蕎麦屋さんで夕飯を食べました。ここがとても美味しくて、精進料理としてもちょうどよかったかもしれません・・・精進ではありませんね。(天竜そばニュー藤屋)
<2023年12月13日(水)>
片付け日です。
幸子叔母と母には書類や写真に目を通してもらい、私と彼で車で持ち帰るか送るかするものを車に積んだり箱に詰めたり。それほど大きな部屋でもなく、大変几帳面な叔母でもあり、また必要でないものはそのまま全て業者さんに処分を委託ということにしてありましたので、とても楽・・・なはずですが、それでもかなり大変です。
また、もったいないとは思うものの、私も母も幸子叔母も必要ではないし、家に持ち帰っても置く場所はありませんので「それらを捨てる」という精神的な苦痛もありました。
それでもがんばって持ち帰ることにしたのは
・BOSEのCDデッキ(母の家へ)
・スリムなコートかけ
・お裁縫箱と小さな置物
・テレビ 書棚 時計 クラシックのCD アクセサリー
・小さな万華鏡(彼が素敵だと言ったので)
・祖父の家にあった古文書をどこかに寄付したときもらったというお皿
以前このお皿で克子叔母の作ってくれたパスタを食べたような・・・
・その他細々
サーキュレーター ヘッドフォン 小さなポーチ 木のお盆
非常用ランタン ノミ レモンジュース 虫眼鏡
~父の切手~
帰りの車内を少しでも空けるために、送れるものは送ってしまうことにしました。
そこで登場するのが生前父が集めていた大量の切手です。現在切手は余程珍しいものでない限りいわゆる「希少価値」的な意味は無く、切手として使うのがベスト。ゆうパックの料金は切手で払うことができるので、こんな事もあろうかと切手を持ってきていました。
その切手を5000円分ほど使って我が家と幸子叔母へ荷物を送りました。
天国の父にお礼を言っておきましょう。
~コンビニMINISTOP~
石川県にはありません。(私の知る限り)
以前から「MINISTOPのソフトクリームは美味しい」と聞いていたので、ゆうパックを送った帰りに買ってみました。確かになかなか美味しく作ってあります。
ここで母と叔母におにぎりを買い、克子叔母の部屋で遅めのお昼ごはん。
~湯灌式~
15:30湯灌式のために葬儀社へ。
若い納棺師お二人で丁寧に湯灌してくださいました。
「湯灌式」というものが昔からあったとは思いませんし、実際、祖父や父のときは「式」という形にはなっていませんでした。この葬儀社さんが上手くこのような形を整えられたのでしょう。なかなか素敵な演出だと思いました。(静岡県・家族葬のタクセルさん)
湯灌のとき気づいたことが一つ。
私達が最初に到着して克子叔母の部屋に行ったとき、克子叔母の顔がとてもきれいだったので、施設の人がお化粧をしてくださったものと思いこんでいました。
ところが湯灌のとき
「このあとお化粧をするのでお顔を少し剃りますね」
と、納棺師の方が剃刀を顔に当てられたのですが、顔色が全く変わりません。
「あれ?お化粧してなかったんですね」
「はい、これからです」
89歳であの肌の美しさ。なんて羨ましい。
ただ、指の爪はどうしても紫色に変色が進んでいましたので、納棺のときにはマニキュアを塗ってきれいな色にしてくださっていました。
~契約終了~
再び施設へ戻り、克子叔母の部屋の片付けはこれで終わりであることを確認し、いよいよ契約終了です。
克子叔母は80歳で入居し15年の契約をしていました。9年しか居られませんでしたので、納入金は日割りで返還されます。そのあたりのことはビジネスとしてきちんとしていますし、それらの手続きは幸子叔母にすべて託されていましたが、そのようなことも克子叔母はきちんと書き残してくれていました。
また部屋に残ったものの片付け費用は、このあと業者さんに見積もりを出していただきましたが、なんとか10万円以内に収まってホッとしました。
この最後の片付けに関してですが、身内がどなたもいらっしゃらない方はどうするのだろう?と思っていたところ、そういう方の場合も契約設定があり
「後片付け、役所関係・法律的なこと、お墓等全部やってもらうことになると約300万円」
だそうです!
この施設に来ることはもう2度とないでしょう。
今までありがとうございました。
~ネコの配膳~
夕飯は道沿いにあったガストへ。
そう言えばTVで見たっけ、配膳のネコロボット。
これを使えば人件費も削減できるし、人手不足もかなり解消されそうです。
<2023年12月14日(木)>
7:10ホテルを出発。葬儀社には8:30までに行けば良いのですが、かなり混雑する道なので早めに出ることにしました。8時前には着いてしましましたが遅れるより安心です。
8時半、最後のお別れ。火葬場でもう蓋は開けられません。
克子叔母の顔の周りにお花を並べました。
12月2日に会いに来たとき、母がお誕生日プレゼントにと小さな造花のアレンジメントフラワーを持って行っていたので、それも飾りました。
9:00、黒いベンツで出発。助手席には幸子叔母が乗りました。
9:20、浜松斎場に着きました。2年前大阪で火葬した叔父の時は、火葬場の炉が20基もあってびっくりしたのですが、こちらは7基でした。火葬料金ですが、市民は無料。何かの都合で市民以外の方が使用する場合は4万2000円です。
10:45、お骨を骨壷に入れ、こちらでのことはおそらくほぼ終わりのはずです。
幸子叔母は15:53の新幹線を予約していましたので、みんなで少し観光でもということになり浜松城に行ってみました。幸いすぐ側の美術館が休館日だったので車を停めることができて、お城を近くで見ました。小さな可愛いお城でした。
石垣が少し変わっていて、自然石っぽいっものが普通見るものより隙間多く積んであります。足をかければ誰でも簡単に登れそうに見えました。実際ネコが登っていました。
~ロイヤルホスト~
何十年ぶりかにロイヤルホストに行きました。
美味しくて驚きました。(私は野菜カレー)
~帰途~
ごく順調に石川県まで帰りました。
一つだけ違ったのは、帰りの2時間半、私が運転したことと、私が運転中にどこからか小石(かな?)が飛んできて、フロントガラスにヒビが入ったくらいかな。とは言え結構危険な感じの「ピシッ!」という音がしてヒヤッとしました。
12月の浜松3往復、彼には本当に感謝の気持でいっぱいです。
91歳の母は、この全日程よく同行できたものと感心します。
すべての手続を託されていた幸子叔母。姉妹の中で一番若いとは言え81歳。よく頑張ったと思います。自分がこの年でこんな事ができるだろうかと幸子叔母をとても尊敬します。
<2023年12月15日(金)>
きっと9時頃まで寝ているのだろうと思っていたら、5時半に目が覚め、ブログを書き始めました。怒涛の3日間で、いつ何があったのかよく思いだせない部分もあったのですが、その際役立ったのは、「auペイ」のお支払明細とスマホの通信記録でした。
さて、現在我が家のピアノ部屋は、物置き小屋と化しています。
<追記>
2023年12月16日(土)朝です。
私は「5年日記」を付けていて、ここ数日分をまとめて書いていた先程気付いたことを一つ。
この日記の各日の下には、その日生まれた有名人が書かれています。
克子叔母のお棺の中に、家族写真と叔母が好きでずっと飾ってあったムンクの版画「桟橋の少女たち」を入れたのですが、叔母が泉下の客となった日はムンクのお誕生日でした。