来年1月のSing幾多郎 2023年12月30日(土)

 2023年も終わりに近づいてきました。
12月31日のSing幾多郎が165回目。
来年初は1月3日(水)の第32回美女コンからスタートして














Sing幾多郎は6日(土)に166回目でのスタートです。
皆様良いお年を、そして来年もよろしくお願いします。

20241月の予定(12月30日現在)

◯が開催日 

 

 

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ドラッグストアーで 2023年12月28日(木)

ドラッグストアーで買い物中に懐かしい人に会いました。
諸江真一さんです。(実名使用許可いただきました)

諸江さんとは津幡町立津幡南中学校でご一緒しました。
↓あの頃の写真











諸江さんがサッカー部顧問で私が名ばかり副顧問。
簡単に書けば
「普段の練習には全く関わらず、試合の時だけ引率補助」
みたいな大変気楽な身分でご一緒させていただいていました。
40歳前後のことです。

まずは、2002年に書いたエッセイをお読みください。
(ブログとは文体が違います)

<サッカ-部副顧問>
2001年4月から、私はサッカ-部副顧問になった。
以前は合唱部の顧問をしていたが、津幡南中に来てからは合唱部もなく、美術部と科学部の副顧問という大変楽な立場にいさせてもらっていた。しかしこの年から、教員数と部活動数のバランスで、文化部に副顧問を付けられる状況ではないと判断され、私のようなものは、とにかく運動部の副顧問として配置されることになった。

私のような立場の人はほかにも何人かいて、それを考える役のかっちゃんは、だれをどの部へ配置するか頭を悩ませていた。彼が頭を抱えているときにちょうど通り掛かった私に彼は
「西野さん、どこかの運動部の副顧問してもらいたいんですけど、どこがいいですか」
と、親切に聞いてくれた。私は頭をフル回転させてこう言った。
「サッカ-部にしようかな」

サッカ-部顧問の諸江さんは、もうちょっとでJリ-ガ-だったっかもしれないという社会の先生。国体がらみのチ-ムや、県代表選手を集めたチ-ムの監督なども勤めている。私の5歳年下だが、優しく誠実で職員はもちろん、生徒や保護者からの信頼も厚い。当然、サッカ-部への力の入れ方は半端でなく、フェアプレイをモット-とするサッカ-そのものの指導はもちろん、礼儀作法も徹底的に指導し、また、生徒も彼を信頼しその教えに従うため南中学校のサッカ-部はどこへ行っても評判が良い。
そんな部の副顧問ならきっと楽だろう。第一、サッカ-のル-ルさえ知らない私に諸江さんがあれこれ頼むはずもない。

間違いだった。
..........というより、私の読みが浅かった。
彼は忙しいのだ。私が職員室で彼を見ているときも彼は忙しそうだ。しかし、サッカ-がらみとなるとさらに忙しい。同じ日に中学校のチ-ムと県のチ-ムを掛け持ちしていることはザラ。そういう時には私でもいないよりはましなのである。一応責任者として副顧問を置いておき、彼は別の会場へ移動して、また終わる頃に帰ってくる。

そういうわけで、超素人の私がサッカ-の試合でベンチに座ることになってしまった。私は日焼け対策のため銀行強盗のような格好をしていた。そんな私に彼はこう言い残して風のように去っていった。
「西野先生にお任せします。選手の交代も。何なら、声をださない奴とか、かえて構いませんから」
試合が始まった。
「どっちに攻めてるんだろう?」
それすらよく判らなかった。それでも私は諸江さんから言われた
「声をださない奴をかえる」
という一点に集中した。

サッカ-場は広いが、幸い私は目も耳もいい方なので一生懸命観ていると、3人、声をほとんどださない選手が見えて来た。前半が終わって、選手が私の周りに集まって来たので私は
「えっと、あなたとあなたとあなた、声出してないから交代」
後半、その3人は引っ込み、別の3人が入った。
その日試合後のミ-ティングの時、交代させられてた3人は半泣きだったという。しかも、よくよく聞いてみると、諸江さんが私に言った
「声出さない奴は交代」
というのは、冗談だったらしい。素人に冗談は通じないのだ。
が、怪我の功名というか、その後その3人は、とても良く声を出すようになった。

さて、副顧問暦2か月で、少しずつ諸江さんの言葉の意味が理解できるようになって来た。
・「〇〇お願いできますか?」「○○をして頂けませんか?」
  →○○をしなさい。

・「もしよかったら○○して頂けますか?」
  →○○をしてもらわないとかなり困る。

・「ご都合良ければお願いできますか?」
  →よほどの事情がない限り来い。

・「○○覚えてもらうと楽しいんですけど」
  →つべこべ言わずにさっさと覚えろ。

・「お願いします」
  →あなたの責任です。

・「無理しないでください」
  →出来ればやってもらうにこしたことはない。

・「今度○○があるんですよねえ」
  →○○には、あなたにも来てもらわないと困る。

まだ2か月なのでこれくらいしか理解できないが、これ以上理解しないでおこうと考えている・・・

(ブログに戻ります)
私の記憶だけを頼りに諸江さんのことを書いてみますと
・大学時代サッカーで日本一に
・中学校社会科教師として勤務する一方、サッカー部顧問として活躍
・津幡南中学校では県大会優勝、北信越大会へ
その頃から諸江さんは高校のサッカー部顧問としてやってみたいという気持ちがあり、まずはその夢をかなえて高校へ転勤。その後公立高校を51歳で早期退職して、金沢学院大学へ。
現在はその大学に最近できた附属中学校で教えながら、高校や大学のサッカー部にも関わっていらっしゃるようです。

そんな諸江さんとドラッグストアーでばったり。
普段まずこんなところには来ないであろう諸江さんですが
「年に一度の両親との食事会の帰り」
ということで、スポーツウエアーでも背広でもない諸江さんを見たのは初めてだったかも。
ドラッグストアーのお醤油売り場の前での立ち話は特別な内容ではありませんでしたが、懐かしいひとときが頭にどんどん浮かんでくる楽しいひと時でした。
頭に浮かんできたことを書いてみましょう。

・暴風のグランドでサッカーの試合を「監督」という肩書で見て、でも砂で目が開けられずそのうちうたた寝してしまった
・灼熱のサッカー場で、それでも日焼けが嫌なので、全身すっぽり包んだ格好でベンチ入りしていた
・サッカー部の副顧問時代はちょうどコンクールをたくさん受けていたときで、こっそり耳にイヤホンを突っ込んで、試合を見ながら歌の暗譜をしていた
・ある試合の時、諸江さんは風邪のため声が出ず、声を出せば出すほどますます出なくなって、試合中の指示を私が代弁した日があった

諸江さんはまだ現役教師。
これからも元気に頑張って欲しいです。

人生初ビッグマック 2023年12月27日(水)

ずっと食べてみたいと思っていたのです。
マクドナルドのビッグマック。
現在61歳と10ヶ月。遅くなればなるほど完食できなくなる可能性がありますから、1日でも早く食べておかなくてはと還暦を過ぎた頃から思っていました。
本日、実行します。

お昼すぎ、かほくイオンのマクドナルドへ。
心配したのは次の2点
①量が多くて食べきれないのではないか
②美味しくないのではないか

でも、心配している場合ではありません。早くしないとどんどん胃が年を取ります。
450円で購入しテイクアウトして来ました。
おめでたいので、彼がクリスマスに買ってきてくれたお花の上に乗せて写真を撮ってあげましょう。















では食べます!














心配した2点について
①え?これだけ?この倍は食べれます。この倍の量の「倍ビッグマック650円」というのもあるらしいので、次はそれを食べてみようかな
②美味しくてたまらないというものではありませんが、期待値を下げていた分美味しく感じました

還暦を過ぎてビッグマックを食べても大丈夫です!






Sing幾多郎、今年中に3回開催、新春美女コンは1月3日 2023年12月26日(火)

Sing幾多郎、今年中に3回開催します。
12月27日(水)30日(土)31日(日)
歌って今年を締めくくりましょう。

第32回美女コンは2024年1月3日(水)13:40です。
楽しい新年は美女コンから。






ライフハック 2023年12月24日(日)

年末大掃除のシーズン(・・・西野真理の場合大掃除はお天気の良いゴールデンウイーク)、YouTubeの2チャンネル有益スレッドのまとめから、西野真理の気に入ったライフハックをご紹介します。少しだけ西野真理が自分で編み出したものも付け加えます。

☆は、西野真理はがこのYouTubeで初めて知ったもの

青色は西野真理が自分で編み出したと思っているもの

①赤ちゃん用おしりふきがなにかと使える☆

 ・アルコールが殆ど入ってないので肌に優しい

 ・フローリングの床拭き

 ・口周りでもテーブルでも何でも拭ける

 ・手荒れもしない

 ・ペットにも安心(ペット用は高いらしく、赤ちゃん用のほうがリーズナブル)

②パンをトースターで焼かず、フライパンや魚焼きロースターで焼く

 ・ベーコンを焼いたあとでパンを焼くと美味しい

③マーボートーフを作る時はひき肉じゃなくて豚こま

④ごぼうの皮むき

 ・空き缶を裏返してごぼうをゴシゴシ。シーチキンでも桃の缶詰でも

⑤消毒用のマキロン☆

 ・衣類に血がついてしまったとき落とすのに使える

⑥ジップロックは何かと使える

 ・透明で見やすいので、小物ポーチとして万能

 ・旅行時の化粧品は全部これ

 ・財布として。ジップロックじゃないけど100均で売っている幅12センチほどの透明で小
  さなファスナーの付いたポーチを私は小銭入れとして使っている

 ・折り畳み傘を入れる☆

 ・最終的には車ドアポケットのゴミ袋として使う

⑦歯間ブラシをメイクの時のマスカラを整える道具として使う☆

⑧頭皮湿疹ができた時は洗顔フォームを泡立てて頭を洗うと良くなる

(皮膚科の先生おすすめ)☆

⑩子供用の水筒のストローの中を洗う時は、アクリル毛糸を使う☆

⑪パソコンを斜めにするためのパソコンスタンドは高いので

 ・ちりとりを反対に向けて使う☆

 ・ドアストッパーを使う☆

⑫時計の入っていた箱をスマホスタンドに。

 ・西野真理の場合アクセサリーの入っていた箱を使っています

 ・大きな洗濯ばさみをスマホスタンドに☆

⑬布団乾燥機をタイマーにして湯たんぽ代わりに

⑭ツナマヨのかわりに鰹節にマヨネーズを混ぜて代用する☆

⑮ペット用のトイレシーツはなにかと使える☆

 ・赤ちゃんのオムツ替え

 ・冷蔵庫の野菜室の下敷き

 ・車でなにかこぼしたとき用に積んでおく

 ・濡らして冷凍しておくと、保冷剤として使える。大きさも調整可能

⑯もみじおろしのかわりに、おろし大根にラー油を混ぜる☆

⑰冬は麻婆茄子じゃなくて麻婆大根が美味しい☆

⑱ポットや水筒をきれいにするとき、ポット洗浄剤のかわりに、入れ歯洗浄剤を使える。一緒にシルバーのアクセサルーも入れるときれいになる☆

⑲頭皮の臭いが気になる時は、化粧落とし用のクレンジングオイルで頭皮をマッサージしてからシャンプーすると取れる☆

⑳スイートポテトを作るとき、生クリームとか色々買わなくてもバニラアイスを適量入れるといい☆

㉑タコ焼きを作るときキャベツ代わりに玉ねぎも美味しい☆




瑞夢 2023年12月23日(土)

これも(このブログは「加熱靴下」の直後に書いています)Sing幾多郎から帰ると加熱靴下と一緒に届いていました。










高級歌舞伎揚「瑞夢」。
2日前YouTubeでお笑いコンビ「TKO」のショート動画で紹介されていたのです。
「ちょっと高級な感じの歌舞伎揚」
という表現をされていて、
「これは買わなければ!」
と直感し、すぐネット注文。

梱包のダンボールを即座に開け、すぐ食べました。
たしかに今まで食べた歌舞伎揚の高級品です。
ほろっとした歯ごたえと品のいい甘さとお醤油のバランスがベスト。
でも、もう買いません。
これがあると永遠に食べてしまいます。
実はこの1時間以内に6枚食べてしまったのです。(涙)

加熱靴下(Heated Socks) 2023年12月23日(土)

届きました。Heated Socks。














どれくらい前からかわからないくらい前から、冬場は左足先が凍傷になるんじゃないかと思うくらい冷たくて、悩みのタネでした。
靴下を重ね履きしたりカイロを貼ったりはもちろん、レディースクリニックで漢方薬を頂いたりもしましたが効果なし。足先カイロに関してはどうも温まらないのですが、使い方が悪いのでしょうか?
そんな先日ふと思いついてネット検索すると、釣り人や冬山に登る人用に、充電式のヒートソックス発見。これは買うしかないでしょう。

Sing幾多郎を終えて(参加者ゼロですが)帰ってみると、届いていました。
充電はほぼいっぱいの状態。早速履きます!

現在履いたた状態でブログを書いていますが、温かい!
ただ、左足の1番冷えるのは指先。ところが電熱線(?)はもっと足の甲寄りなので、ちょっと靴下の履き方をずらしてみましょう。
いいかも!

温度も4段階に調節できます。
先程は最高温に設定していましたが、ちょっと熱くなってきました。温度を下げましょう。

ああ~幸せ。

豪雪の本日も開催しますSing幾多郎 2023年12月23日(土)

本日2023年12月23日(土)、ここのところ日曜日、水曜日に開催できなかったので、土曜日ですが開催いたします。大雪なのに。
今年いっぱいは土曜日、日曜日、水曜日開催いたします。
今日の会場前

老人会ボランティアコンサート 2023年12月22日(金)

町内老人会からボランティアコンサートの依頼がありました。
もちろん喜んで歌わせていただきますが、心配は唯一つ。お天気です。
冬場万一大雪だと、誰も来てくださらないだろうな~雪じゃなきゃいいな~。

心配が的中し、数日前からこの日を中心に大寒波の予報。
しかし、たとえご来場者がゼロでもお引き受けした以上歌わねばなりません。
前日夕方、彼にも手伝ってもらって会場の宇野気区公民館へ準備に。
おそらく主催者の老人会の方は椅子を並べられるだけだと想像し、家からクリスマスツリーとタペストリーを持っていきました。正解でした。















前夜10時。吹雪始めました。
朝起きるの怖いな~














本日朝の会場前。
この程度で済んでよかった。
とはいえ、お客様は75歳以上の方ばかり。シャーベット状の道路を歩いていらっしゃるのは大変です。ご来場は3人でよしとしましょう。














本番は10時からでしたが極寒の公民館の玄関ホールに少しでも早く暖房を入れておこうと9時に会場入り。6℃の玄関ホール、小さなファンヒーターでは20分経ってやっと10℃。

私の楽屋は会場のドア一つ隔てたところ。
10時、責任者の方が開会のお話を始められました。そして
「西野先生、ご用意よろしいですか?」
「はい、いつでも大丈夫です」
「それではご紹介いたします」
と、これからが長いこと長いこと。
まず私のお渡ししてあったチラシからコンクールのことなど読まれて、それで始まるものだと思ったら
・〇〇さんのお宅のお向かいで~
・△△さんのご親戚~
・ご主人は□□で~
・ご主人のお父様は~
と、個人情報の嵐。プライバシーなど存在しません。
そして一言お話になるたびに、会場の方々でそれにまつわる雑談が始まります。
でも・・・コンサートよりもこういうことを楽しみに来ていらっしゃるのです。細かいことは気にせず、のんびり待つことにしましょう。

10時からコンサートということでしたが、始まったのは10時10分。
「諸人こぞりて」から始めて唱歌を2~3曲歌ったところで、会場の皆さんは歌を聞くより一緒にお歌いになりたいということがわかってきましたので、すぐにモードを切り替えて、一緒に歌い、少々の歌唱指導をさせていただくことにしました。
ずっと歌ったほうが良かったのかもしれませんが、私の感触としてはこれで良かったかなと思っています。

そうそう本日のお客様ですが、なんと15人!
これは私が本町コミュニティセンターで開催している美女コンの最高ご来場者数を抜いています。

コンサートも終わり家に帰ると、そういえば今年はまだクリスマスツリーを出していなかったことを思い出し、コンサート会場に持っていったクリスマスツリーをそのまま飾りました。








「諸人こぞりて」文法構造(一部再掲載) 2023年12月18日(月)

このブログは2022年12月29日のものを一部再掲載しています。

クリスマスが近づくとよく歌われる、ヘンデル作曲「諸人こぞりて」の歌詞の中の「主はきませり」。この文法構造がずっと分からなくて、でもある日、「黒澤先生に聞けばいい!」と思いついて、本当に質問したところ、本当にご回答頂きました。

<黒澤弘光 筑摩書房ホームページより>
1945年群馬県生まれ。東京教育大学文学部、同大学大学院博士課程修了。1973年東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)教諭となり、2008年退職。『現代漢和辞典』(大修館書店)編纂、『広辞林』(三省堂)などの辞書や『日本名歌百選』(音楽之友社)を執筆。












↑黒澤先生はこの本の著者で、福光声楽サマーセミナー(これについては別のブログをどうぞ)のとき「詩の解釈」の講座の講師としてお世話になりました。大変気さくな先生で「なにか質問があればどうぞ」と、講座の受講生に惜しげもなく電話番号・住所を教えて下さいました。

あれからずいぶん時間が経ちましたが、お年賀状をお出ししていたことで、私は勝手に関係が細々続いていると都合よく解釈し、ついに2022年年末にお年賀状をお出しする時、そのことについて書いてみました。
するとそのお返事に質問の答えを書いてくださったので、私が独り占めするのはもったいないと思いブログに書かせていただくことにしました。

~「主はきませり」の構造について 黒澤弘光~
「来(き)」は現代語の「来る」、古語の「来(く)」の連用形です。
「ませ」は 古代から平安時代によく使われた「坐(ま)す」(「いらっしゃる」という意味の動詞ー「あり」ーの尊敬形)から派生した尊敬の補助動詞の已然形(~なされる、お~になる、の意)で、「り」は完了・存続の助動詞。これを訳すと「おいでになった、いらっしゃった」の意で、つまり「主はこの世においでになった(降臨された)」となります。

黒澤先生、ありがとうございました。

そして今日、歌の動画とピアノ伴奏のみの動画の2本をアップしました。







叔母が泉下の客となりました 2023年12月15日(金)

克子叔母が泉下の客となりました。
※泉下の客となるとは
 「泉下」とは黄泉(こうせん・よみ)のこと。「泉下の客となる」とは黄泉の国のもとへ訪れる人になること。
この言葉は4年ほど前、父のときに知り、それ以来使っています。
このブログは15日朝5時半から書き始めました。

<3日間の概要>
2023年12月12日(火)
・6:20  山口県の幸子叔母から電話連絡
・8:30  石川県を出発(彼の運転で、母も連れて。幸子叔母も静岡へ向かう)
・10:00 車内からホテルを予約
・13:30 浜松駅で幸子叔母と合流
・14:30 克子叔母の部屋(施設の方、葬儀社等と話)
・15:30 葬儀社で葬儀打ち合わせ
・18:30 ホテルルートイン浜町駅東
・19:30 夕飯

2023年12月13日(水)
・9:00  ドラッグストアで買い物
・9:30  克子叔母の部屋片付け 
・13:30 コンビニおにぎり等でお昼ごはん
・15:30 葬儀社安置所で湯灌儀式、小さなお葬式等
・17:00 克子叔母の部屋、契約終了
・18:00 夕食

2023年12月14日(木)
・7:00  ホテル出発
・8:30  最後の対面 
・9:30  浜松斎場
・11:00 終了
・12:30 昼食
・13:30 浜松駅へ幸子叔母送る
・19:00 帰宅
 
では詳細に移ります
<2023年12月12日(火)>
~連絡・出発~
12月2,3日は母と3人でコンサート聴きがてら克子叔母に会いに行き、7日に幸子叔母から「克子叔母は食事をとれなくなっているという連絡が施設から入った」との連絡。万一のことを考えて、来週行く予定だった丘村レディースクリニックへ8日に行き、優しい丘村先生に叔母の状態を話すと「そういう状態だと持って4~5日かな・・・」。
10日には「最後のお別れになるかも」との連絡が施設から入り幸子叔母も私達も浜松日帰り。克子叔母の顔色の良さから楽観的な期待を抱いて帰宅し、家族でも「意外に3月くらいまでは大丈夫なんじゃない」なんて話していた12日6:20。熟睡中の枕元の携帯には幸子叔母の名前。
簡単に話を終え、お互い直ちに浜松へ向かうことに。

熟睡中の彼を起こし、母に電話をし、荷造りをし、今日のFM放送を休ませていただけるよう連絡をし、すぐに出発したいところですが、彼は現在町会長。配付物等様々なことを抱えており、それらのことを町内の方にお願いするのに少し時間がかかりましたが、皆さん快く引き受けてくださったお陰で、無事浜松へ向かうことができました。
10日の時点で「最後のお別れになるかも」というドクターのお見立ても、丘村先生の「持って4~5日」もとても正しかったと今、改めて思います。

~ホテル予約~
移動車内で幸子叔母と連絡を取りながらホテルを予約しました。
克子叔母の施設にはビジター用の宿泊施設も整っていて、私達はここに泊まれるものだと安心していたらこの日は満室。
すぐに車内から前回も泊まったルートイン浜松西インターをネット予約をしようとしましがこちらも満室。ちょっと焦りましたがネット検索でルートイン浜松駅東に空室がみつかり予約。しかし私は1泊しかとらず、幸子叔母からも彼からも
「最低2泊は必要でしょ!」
それもそうです。彼は4日は必要だと思っていたようです。
すぐにホテルに電話し2泊にしてもらえないか問い合わせたところ、幸い空きがあり2泊に延長することができました。

ただこのホテル予約、車内からスマホでするのが大変。
東海北陸自動車道はトンネルだらけ。長いものは11kmもあります。トンネルの照明で画面は見にくく手元は滑り、何度も「確定する」まで行ってやり直し。泣きたくなりました。
結局2泊にするために電話したのだし、今後トンネルの多い道路で車内から予約するときは電話にしましょう。

~克子叔母との対面~
徐々に眠る時間が長くなり食が細くなりこの日を迎えたという、まさに老衰の見本(西野真理個人の感想です)。呼べば起きそうです。
施設の方も葬儀社の方もベテランですから、今後必要な事、スケジュール等を上手に伝えてくださって、その後のことはどんどん進んでいきました。
叔母の居住していたお部屋の片付けは明日と決め、この日は一切、手を付けませんでした。

↓2022年10月(お部屋お引越手伝いに行った時の写真)
 引越し前のお部屋
(畳のように見えるのは引越し業者さんが傷防止のために敷いてくださったシート)












 引越し先のお部屋(最期の時を迎えたお部屋)









~葬儀社でのお話~
新型コロナ以降いわゆる「小さなお葬式」「家族葬」が主流(?)とまでは言いませんが、私の町内会もこの1年、すべて「家族だけで」というものでした。
今回の克子叔母も家族葬です。
費用もパンフレットに明記されていて、そこに若干のオプションを付ける方法で、その点もスムーズに進んでいきました。

オプションとして付けたのは「湯灌」。これは20年以上前、祖父(克子叔母の父)のとき、それを取り仕切った克子叔母が
「おじいちゃんに湯灌をしてあげてとても良かった。おじいちゃんがとても気持ち良さそうに見えた」
と話してくれたことをよく覚えていましたし、父のときもそうでしたので、是非叔母にもしてあげたいと思ったからです。
費用は6万円。祖父のとき確か4万円と聞いた気がするので、意外に値上がりしてないなと思ったりしていました。

お花を2万円で付けることにもしたのですが、こちらはその後のお話で克子叔母の入居施設の方が出して下さると聞き、キャンセルしました。

「火葬場はとても混んでいて、明日は一杯。明後日は朝9時半からだけまだ空いているので予約するならすぐに」
と葬儀社の方から教えていただき、その場で14日の朝9時半に決めました。
後でわかったことですが、この決断は正解。翌日は片付けの日として確保できましたし、もしここで決めなかったら火葬場は17日まで取れなかったそうです。

~YouTubeから~
安置所で克子叔母と対面しながら、本当は自分で歌を歌えばよかったのですが無理です。
そこでYouTubeにアップしてあった
「いのちの歌」「涙そうそう」「千の風になって」
を流しながらお別れのひとときを過ごしました。
YouTubeをやっていて良かった、と思いました。















~夕飯~
その後ホテルへ向かいホテルのレストランで夕飯をと思っていましたが、こちらのホテルのレストランは朝食専用で夕飯の時間は閉店。少々疲れてはいましたが、せっかく浜松なのでうなぎでもと、ホテルに置いてあったパンフレットから1つを選びそこへ向かうとお休み。ちゃんと見ればそう書いてあったのですが。
しかたなくその近くにあったお蕎麦屋さんで夕飯を食べました。ここがとても美味しくて、精進料理としてもちょうどよかったかもしれません・・・精進ではありませんね。(天竜そばニュー藤屋)













<2023年12月13日(水)>
片付け日です。
幸子叔母と母には書類や写真に目を通してもらい、私と彼で車で持ち帰るか送るかするものを車に積んだり箱に詰めたり。それほど大きな部屋でもなく、大変几帳面な叔母でもあり、また必要でないものはそのまま全て業者さんに処分を委託ということにしてありましたので、とても楽・・・なはずですが、それでもかなり大変です。
また、もったいないとは思うものの、私も母も幸子叔母も必要ではないし、家に持ち帰っても置く場所はありませんので「それらを捨てる」という精神的な苦痛もありました。

それでもがんばって持ち帰ることにしたのは
・BOSEのCDデッキ(母の家へ)















・スリムなコートかけ
















・お裁縫箱と小さな置物















・テレビ 書棚 時計 クラシックのCD アクセサリー




・小さな万華鏡(彼が素敵だと言ったので)











・祖父の家にあった古文書をどこかに寄付したときもらったというお皿
以前このお皿で克子叔母の作ってくれたパスタを食べたような・・・












・その他細々
 サーキュレーター  ヘッドフォン 小さなポーチ 木のお盆
 非常用ランタン ノミ レモンジュース 虫眼鏡

~父の切手~
帰りの車内を少しでも空けるために、送れるものは送ってしまうことにしました。
そこで登場するのが生前父が集めていた大量の切手です。現在切手は余程珍しいものでない限りいわゆる「希少価値」的な意味は無く、切手として使うのがベスト。ゆうパックの料金は切手で払うことができるので、こんな事もあろうかと切手を持ってきていました。
その切手を5000円分ほど使って我が家と幸子叔母へ荷物を送りました。
天国の父にお礼を言っておきましょう。

~コンビニMINISTOP~
石川県にはありません。(私の知る限り)
以前から「MINISTOPのソフトクリームは美味しい」と聞いていたので、ゆうパックを送った帰りに買ってみました。確かになかなか美味しく作ってあります。
ここで母と叔母におにぎりを買い、克子叔母の部屋で遅めのお昼ごはん。

~湯灌式~
15:30湯灌式のために葬儀社へ。
若い納棺師お二人で丁寧に湯灌してくださいました。
「湯灌式」というものが昔からあったとは思いませんし、実際、祖父や父のときは「式」という形にはなっていませんでした。この葬儀社さんが上手くこのような形を整えられたのでしょう。なかなか素敵な演出だと思いました。(静岡県・家族葬のタクセルさん)

湯灌のとき気づいたことが一つ。
私達が最初に到着して克子叔母の部屋に行ったとき、克子叔母の顔がとてもきれいだったので、施設の人がお化粧をしてくださったものと思いこんでいました。
ところが湯灌のとき
「このあとお化粧をするのでお顔を少し剃りますね」
と、納棺師の方が剃刀を顔に当てられたのですが、顔色が全く変わりません。
「あれ?お化粧してなかったんですね」
「はい、これからです」
89歳であの肌の美しさ。なんて羨ましい。
ただ、指の爪はどうしても紫色に変色が進んでいましたので、納棺のときにはマニキュアを塗ってきれいな色にしてくださっていました。

~契約終了~
再び施設へ戻り、克子叔母の部屋の片付けはこれで終わりであることを確認し、いよいよ契約終了です。
克子叔母は80歳で入居し15年の契約をしていました。9年しか居られませんでしたので、納入金は日割りで返還されます。そのあたりのことはビジネスとしてきちんとしていますし、それらの手続きは幸子叔母にすべて託されていましたが、そのようなことも克子叔母はきちんと書き残してくれていました。
また部屋に残ったものの片付け費用は、このあと業者さんに見積もりを出していただきましたが、なんとか10万円以内に収まってホッとしました。

この最後の片付けに関してですが、身内がどなたもいらっしゃらない方はどうするのだろう?と思っていたところ、そういう方の場合も契約設定があり
「後片付け、役所関係・法律的なこと、お墓等全部やってもらうことになると約300万円」
だそうです!

この施設に来ることはもう2度とないでしょう。
今までありがとうございました。












~ネコの配膳~
夕飯は道沿いにあったガストへ。
そう言えばTVで見たっけ、配膳のネコロボット。
これを使えば人件費も削減できるし、人手不足もかなり解消されそうです。

<2023年12月14日(木)>
7:10ホテルを出発。葬儀社には8:30までに行けば良いのですが、かなり混雑する道なので早めに出ることにしました。8時前には着いてしましましたが遅れるより安心です。

8時半、最後のお別れ。火葬場でもう蓋は開けられません。
克子叔母の顔の周りにお花を並べました。
12月2日に会いに来たとき、母がお誕生日プレゼントにと小さな造花のアレンジメントフラワーを持って行っていたので、それも飾りました。

9:00、黒いベンツで出発。助手席には幸子叔母が乗りました。
9:20、浜松斎場に着きました。2年前大阪で火葬した叔父の時は、火葬場の炉が20基もあってびっくりしたのですが、こちらは7基でした。火葬料金ですが、市民は無料。何かの都合で市民以外の方が使用する場合は4万2000円です。
10:45、お骨を骨壷に入れ、こちらでのことはおそらくほぼ終わりのはずです。




幸子叔母は15:53の新幹線を予約していましたので、みんなで少し観光でもということになり浜松城に行ってみました。幸いすぐ側の美術館が休館日だったので車を停めることができて、お城を近くで見ました。小さな可愛いお城でした。
石垣が少し変わっていて、自然石っぽいっものが普通見るものより隙間多く積んであります。足をかければ誰でも簡単に登れそうに見えました。実際ネコが登っていました。
















~ロイヤルホスト~
何十年ぶりかにロイヤルホストに行きました。
美味しくて驚きました。(私は野菜カレー)

~帰途~
ごく順調に石川県まで帰りました。
一つだけ違ったのは、帰りの2時間半、私が運転したことと、私が運転中にどこからか小石(かな?)が飛んできて、フロントガラスにヒビが入ったくらいかな。とは言え結構危険な感じの「ピシッ!」という音がしてヒヤッとしました。

12月の浜松3往復、彼には本当に感謝の気持でいっぱいです。
91歳の母は、この全日程よく同行できたものと感心します。
すべての手続を託されていた幸子叔母。姉妹の中で一番若いとは言え81歳。よく頑張ったと思います。自分がこの年でこんな事ができるだろうかと幸子叔母をとても尊敬します。

<2023年12月15日(金)>
きっと9時頃まで寝ているのだろうと思っていたら、5時半に目が覚め、ブログを書き始めました。怒涛の3日間で、いつ何があったのかよく思いだせない部分もあったのですが、その際役立ったのは、「auペイ」のお支払明細とスマホの通信記録でした。

さて、現在我が家のピアノ部屋は、物置き小屋と化しています。

<追記>
2023年12月16日(土)朝です。
私は「5年日記」を付けていて、ここ数日分をまとめて書いていた先程気付いたことを一つ。
この日記の各日の下には、その日生まれた有名人が書かれています。
克子叔母のお棺の中に、家族写真と叔母が好きでずっと飾ってあったムンクの版画「桟橋の少女たち」を入れたのですが、叔母が泉下の客となった日はムンクのお誕生日でした。


























浜松日帰りの旅 2023年12月11日(月)

このブログは2023年12月2日3日の「掛川・浜松1泊2日の旅と母91歳のお誕生日 その1 その2」をお読みになってからどうぞ。

2023年12月10日(日)あれから1週間、再度浜松です。

2023年12月7日(木)16時、山口県在住の幸子叔母(母の4姉妹一番下)からライン。
「浜松から電話がありました。最近は食べることができなくなったので、今日は夕飯から食事の提供はしないということです。明日医師の診断があるということですが、今はいつ何があってもおかしくない状況だそうです。
普通食べられなくなると、1週間と聞いたことがありますが、克子姉の場合、もう少し早い可能性もあると思います。緊急に浜松に行くことになりそうなので、準備をしておいてくださいね」
克子叔母は尊厳死協会に入り、自分の体の状況によっての対処法を書いていました。
胃瘻や点滴による延命は希望していません。

ラインを読み終えるとすぐ幸子叔母と電話で話しながら自分の意志を整理しましたが、その時点ではそうは言っても今すぐとは考えていませんでした。
その後ネットでそのような状況になるとどうなるか検索したりしていました。

2023年12月9日(土)ちょうど防災講演会(12月9日のブログ参照)に向かっている時に幸子叔母から着信がありました。
「施設から『最後のお別れになるかも』というような連絡がありました」
叔母と電話で話しながら今後の行動を叔母と決めました。結論としては
「このように聞いて今会いに行かなければきっと後悔するだろう。日曜日、日帰りで浜松に行ける身内で集まろう」
何しろ先週、彼に車の運転を頼んで浜松に行ったばかりですから、また今週もお願いするのはさすがの私も気が引けたので、彼に電話をし
「私が運転して母と二人で行ってもいい」
と伝えました。私は過去に2回、コンサートのために一人で静岡を車で往復しているので、正直それもありだと思っていました。
講演会を終えて家に帰ると、彼はもう荷作りを終えていました。
「明日は日帰りの予定だけど?」
「何があるかわからないだろう。4日分の着替え準備したよ」
彼はとても用心深いのです。
私は本気で小さなバック一つで行くつもりでしたので、仕方なく2日分の着替えを旅行バッグに詰めました。最悪の場合も考えて、作業用の服も準備。
その後、横浜にいる娘も浜松まで1時間半ということで来てくれることに。
ブログに日曜日「Sing幾多郎」お休みの情報を上げ、本町コミュニティセンターの玄関にお休みの掲示を貼りに行きました。

2023年12月10日(日)6:30出発。
幸子叔母と娘は12時ころ浜松駅に到着です。
私達もちょうどその時間に着けるように出発したわけですが、道はとても空いていてお天気もよく、余裕のあるドライブになりました。
浜松駅は大河ドラマ「どうする家康」の「家康推し」中。





 









14:45から施設スタッフの方と今後のことについて話をするということで、お昼ごはんを食べて施設へ向かいました。(コメダ珈琲)
叔母の部屋に入ると、先週とかわらず顔色もよく穏やかな表情で、しかし、声をかけてもずっと眠り続けています。
その後スタッフの方から説明を受けましたが結論としては
「わからない」
その理由は
「今までこういう例は見たことがない」ということ。
・全く疾患がない、怪我をしたわけでもない
・徐々に徐々にこのような状況になった
・話しかけても反応がないのに、食べ物を近づけるとぱっと口を開けて食べてくれることもある
・元々体が小さいので、そのようなわずかの水分・糖分で生命が維持できているようだ
・医師はご家族に大きな期待を持たせないように「年をこすことはないだろう」という言い方をしているが、見たことがない例なので、今後のことは全く分からない

その後再度叔母の部屋にみんなで行き、そのときスタッフの方が叔母の好きなレモン味のゼリーを口元に持って行ってくださると、2口ほど食べていました。
顔色もよく、ひょとすると急に目を開けてくれるのではないかと淡い期待をしましたが、そのようなことはありませんでした。
みんなで記念撮影をしました。

その後今度は、万一の場合のことについて別のスタッフの方から説明を受け、もう一度お部屋に行き、耳元で歌を歌ってみましたがやはり反応はありません。

さあ、帰りましょう。
克子叔母は母と同じシニアカーを使っていたのですが、もうそれを使うことはないだろうというので、彼の親族でもし使える人がいればということで持って帰ることにしました。

幸子叔母と娘を浜松駅でおろし、石川県へ向かいます。
先週浜名湖SAで買った三ヶ日みかんがちょうどなくなったので(1週間で食べきりました。それくらい美味しかったのです)また購入。

21時50分帰宅。
次に浜松に行くのは
「目を覚ましましたよ」
という連絡であって欲しいな。

「セミナー・冬の災害に備える」に行ってきました 2023年12月9日(土)

 ↓これに行って来ました。









参加の動機は
「今後は自分のコンサート活動の他に、防災関係のイベントに『歌える防災士』『防災トーク付きコンサート歌手』として声をかけていただこう!」
というちょっとした目標があるからです。
(これに関してはブログ内を『防災士』で検索してご覧くださいませ)

本当にそんな事になった場合、どんなことをお話すれば喜ばれるのか、現在それをされている方はどんなスタイルでされているのか、一度見てみたいと思っていたのです。
そんなある日、ネット検索をしていると、石川県庁隣の地場産業振興センターで、まさにそのようなイベントが開かれるというのですぐに申し込みました。参加できるかどうかは引き換えのハガキが届くまでわかりません。
1週間前、無事そのハガキが届きました。
















お話しされるのは
・歌う防災士 しほママ
・ほくりくアイドル部 松井祐香里
のお二人。
しほママは歌がとてもお上手ですし、滑舌も良く、何より東北と熊本で2回被災されているという実体験に基づくお話なので、説得力があります。
松井祐香里さんはTVでもよくお見かけしているので勝手に親しみやすく思っていましたが、TV同様笑顔を絶やさず元気で、流石だなあと思わせてくださいました。

さて、私の今日のブログのメインは、その開会前のこと。
ハガキを出して受付を済ませたところですかさず言いました。
「私、歌手なんですが、事情があって防災士の資格を取って、防災のお話に興味があってきました」
そして、名刺とコンサート活動のチラシと1月3日のコンサートのチラシをスタッフの方にお渡ししました。
すると
「歌手のかたですか。それじゃこちらへ」
と、何のアポも取っていないのに、しほママと松井祐香里さんに会わせてくださって、ちょっとお話をし名刺交換までしてしまいました。
自分のことを
「歌手」
というのに少々勇気がいりますが、今後はこれだな、と思った日になりました。

このセミナー、実質石油系暖房器具やボイラー関係の会社のPRなのですが(主催:石油連盟)、私が興味を持った商品のご紹介。
普通石油ストーブって電気がいらないと入っても着火のために電池を使いますね。でもそれさえいらない商品がこちら。

トヨトミ 電池レス反射型石油ストーブ 手回し着火タイプ












  写真右下にある↑ ここを3~4回回すと、火花が出て着火します。
これ考えた人天才ですね。

西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

このブログは 野口芳宏先生記念碑「師道の碑」除幕・祝賀パーティー 2024年11月23日(土) をお読みになってからどうぞ。 ↑そういうわけで、野口先生にもぜひ「お山の大将」をお歌いいただければいいなと思い、ピアノ伴奏をYouTubeにアップしてみました。いつも書いていますがピア...