ドラッグストアーで買い物中に懐かしい人に会いました。
諸江真一さんです。(実名使用許可いただきました)
諸江さんとは津幡町立津幡南中学校でご一緒しました。
↓あの頃の写真
諸江さんがサッカー部顧問で私が名ばかり副顧問。
簡単に書けば
「普段の練習には全く関わらず、試合の時だけ引率補助」
みたいな大変気楽な身分でご一緒させていただいていました。
40歳前後のことです。
まずは、2002年に書いたエッセイをお読みください。
(ブログとは文体が違います)
<サッカ-部副顧問>
2001年4月から、私はサッカ-部副顧問になった。
以前は合唱部の顧問をしていたが、津幡南中に来てからは合唱部もなく、美術部と科学部の副顧問という大変楽な立場にいさせてもらっていた。しかしこの年から、教員数と部活動数のバランスで、文化部に副顧問を付けられる状況ではないと判断され、私のようなものは、とにかく運動部の副顧問として配置されることになった。
私のような立場の人はほかにも何人かいて、それを考える役のかっちゃんは、だれをどの部へ配置するか頭を悩ませていた。彼が頭を抱えているときにちょうど通り掛かった私に彼は
「西野さん、どこかの運動部の副顧問してもらいたいんですけど、どこがいいですか」
と、親切に聞いてくれた。私は頭をフル回転させてこう言った。
「サッカ-部にしようかな」
サッカ-部顧問の諸江さんは、もうちょっとでJリ-ガ-だったっかもしれないという社会の先生。国体がらみのチ-ムや、県代表選手を集めたチ-ムの監督なども勤めている。私の5歳年下だが、優しく誠実で職員はもちろん、生徒や保護者からの信頼も厚い。当然、サッカ-部への力の入れ方は半端でなく、フェアプレイをモット-とするサッカ-そのものの指導はもちろん、礼儀作法も徹底的に指導し、また、生徒も彼を信頼しその教えに従うため南中学校のサッカ-部はどこへ行っても評判が良い。
そんな部の副顧問ならきっと楽だろう。第一、サッカ-のル-ルさえ知らない私に諸江さんがあれこれ頼むはずもない。
間違いだった。
..........というより、私の読みが浅かった。
彼は忙しいのだ。私が職員室で彼を見ているときも彼は忙しそうだ。しかし、サッカ-がらみとなるとさらに忙しい。同じ日に中学校のチ-ムと県のチ-ムを掛け持ちしていることはザラ。そういう時には私でもいないよりはましなのである。一応責任者として副顧問を置いておき、彼は別の会場へ移動して、また終わる頃に帰ってくる。
そういうわけで、超素人の私がサッカ-の試合でベンチに座ることになってしまった。私は日焼け対策のため銀行強盗のような格好をしていた。そんな私に彼はこう言い残して風のように去っていった。
「西野先生にお任せします。選手の交代も。何なら、声をださない奴とか、かえて構いませんから」
試合が始まった。
「どっちに攻めてるんだろう?」
それすらよく判らなかった。それでも私は諸江さんから言われた
「声をださない奴をかえる」
という一点に集中した。
サッカ-場は広いが、幸い私は目も耳もいい方なので一生懸命観ていると、3人、声をほとんどださない選手が見えて来た。前半が終わって、選手が私の周りに集まって来たので私は
「えっと、あなたとあなたとあなた、声出してないから交代」
後半、その3人は引っ込み、別の3人が入った。
その日試合後のミ-ティングの時、交代させられてた3人は半泣きだったという。しかも、よくよく聞いてみると、諸江さんが私に言った
「声出さない奴は交代」
というのは、冗談だったらしい。素人に冗談は通じないのだ。
が、怪我の功名というか、その後その3人は、とても良く声を出すようになった。
さて、副顧問暦2か月で、少しずつ諸江さんの言葉の意味が理解できるようになって来た。
・「〇〇お願いできますか?」「○○をして頂けませんか?」
→○○をしなさい。
・「もしよかったら○○して頂けますか?」
→○○をしてもらわないとかなり困る。
・「ご都合良ければお願いできますか?」
→よほどの事情がない限り来い。
・「○○覚えてもらうと楽しいんですけど」
→つべこべ言わずにさっさと覚えろ。
・「お願いします」
→あなたの責任です。
・「無理しないでください」
→出来ればやってもらうにこしたことはない。
・「今度○○があるんですよねえ」
→○○には、あなたにも来てもらわないと困る。
まだ2か月なのでこれくらいしか理解できないが、これ以上理解しないでおこうと考えている・・・
(ブログに戻ります)
私の記憶だけを頼りに諸江さんのことを書いてみますと
・大学時代サッカーで日本一に
・中学校社会科教師として勤務する一方、サッカー部顧問として活躍
・津幡南中学校では県大会優勝、北信越大会へ
その頃から諸江さんは高校のサッカー部顧問としてやってみたいという気持ちがあり、まずはその夢をかなえて高校へ転勤。その後公立高校を51歳で早期退職して、金沢学院大学へ。
現在はその大学に最近できた附属中学校で教えながら、高校や大学のサッカー部にも関わっていらっしゃるようです。
そんな諸江さんとドラッグストアーでばったり。
普段まずこんなところには来ないであろう諸江さんですが
「年に一度の両親との食事会の帰り」
ということで、スポーツウエアーでも背広でもない諸江さんを見たのは初めてだったかも。
ドラッグストアーのお醤油売り場の前での立ち話は特別な内容ではありませんでしたが、懐かしいひとときが頭にどんどん浮かんでくる楽しいひと時でした。
頭に浮かんできたことを書いてみましょう。
・暴風のグランドでサッカーの試合を「監督」という肩書で見て、でも砂で目が開けられずそのうちうたた寝してしまった
・灼熱のサッカー場で、それでも日焼けが嫌なので、全身すっぽり包んだ格好でベンチ入りしていた
・サッカー部の副顧問時代はちょうどコンクールをたくさん受けていたときで、こっそり耳にイヤホンを突っ込んで、試合を見ながら歌の暗譜をしていた
・ある試合の時、諸江さんは風邪のため声が出ず、声を出せば出すほどますます出なくなって、試合中の指示を私が代弁した日があった
諸江さんはまだ現役教師。
これからも元気に頑張って欲しいです。
1 件のコメント:
西野先生、ありがとうございます(^^)
津幡南中学校が創部3年目にして、石川県で2度の優勝🏆を掴むことが出来たのも西野先生のおかげです。
規律とユーモアを兼ね備えた西野先生が2度の優勝🏆と信頼される集団を創ったと思っております。
西野先生のより一層のご活躍をお祈りしております。
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