YouTube 統計学 サトマイさんの番組からアドラー心理学
そんな先日、よく拝見しているYouTubeのサトマイさんの番組で、アドラー心理学をわかりやすく取り上げなおしてくださっていたので書き起こしてみました。ただ、私自身この内容に共感できるところとそうでないところがありますが、とりあえずすべてご紹介してあとの判断はお読みくださっている方で取捨選択してくださればと思います。
<サトマイさんのお話書き起こし(一部割愛あり)>
今日のテーマは都合のいい嫌われる勇気についてです。他者から嫌われることを恐れず、自分の人生を生きる勇気を解き、大きなベストセラーとなった嫌われる勇気は、アドラー心理学をベースにした自己啓発書です。特に課題の分離に関しては大きな反響を呼んでいました。これは
相手がどう思うかは、相手の課題、自分がどう行動するかは自分の課題として整理することはアドラー心理学の重要なポイントです。この課題の分離自体は有効な視点ですけれども、実生活では課題が入り混じる場面が多く、相手との適度な協力とか調節が必要なケースも多くあるため、単純に線引きできないケースもあります。
そこで今回は、嫌われる勇気を読んで嫌われる勇気だけは立派に育ったが自己中心的な態度に拍車がかかり、一層嫌われてしまう人を反面教師にしながら、成熟した課題の分離とは何かについて見ていきたいと思います。
今日のポイントは3つ。
1つ目 誤解されやすい課題の分離
2つ目 下手くそな課題の分離3選
3つ目 アドラー心理学はクレヨンしんちゃんから学べ
この3点について解説していきます。
1点目 誤解されやすい課題の分離
まずアドラー心理学では、自分のことは自分が決定し、責任を引き受けるという主体性が重視されます。ある行動の結果、最終的に恩恵や不利益を受けるのは誰かという風に考えることで、その課題が誰のものかを判断します。
親子関係の例で言えば、子供の勉強に関して勉強の結果、つまり成績が上がると下がるとかによって直接的な利益不利益を被るのは子供本人です。したがって、親が代わりにやる。あるいは無理に管理しすぎると、子供の主体性を奪うことになります。親の課題は子供が学習しやすい環境を提供したり、必要であれば学習方法を助言するといったサポートであって、最終結果をコントロールすることではありません。
対人トラブルの多くは他者の課題への過度な干渉から起こります。「何で私の思う通りにやってくれないの?」「私がやってあげると言ってるのに相手が拒否してきてイライラ」。
こうした衝突は、実は
・元々相手の課題である事柄に自分が踏み込みすぎてしまった
・自分の課題に相手が不当に介入してきた
という構図になっている場合が少なくありません。自分の課題を他人任せにしていると、いつまでも自立できず不満がつのりやすくなります。
逆に相手の課題に首を突っ込みすぎると、相手の自己決定権を奪って相互依存の関係性が歪んでいきます。
結論
この課題の分離と。 共感協力っていうのは両立します。
まず、分離っていうのは冷たい態度とか拒絶とは違います。アドラー心理学ではむしろ他者に貢献するとか共同体感覚、みんなで協力しあう感覚を非常に重視して、相手に手を差し伸べる優しさとか強調は大切にしています。
アドバイスとかヘルプっていうのは、あくまでサポートであって、最終判断を相手に委ねるって事が大切です。
例えば友人が悩んでいる時にこうしてみたらどうという風にアドバイスは提案することは全然構いません。しかし、相手がそのアドバイスを受け入れるかどうかまでコントロールしないとか決定を強制しない。ここに課題の分離の原則が生きています。
2点目。下手くそな課題の分離3選
下手なケース3つ紹介します。
ケース1
過剰干渉タイプ。共同体感覚らしきものはあるんだけれども、課題の分離ができていないっていうものです。例えば、あなたのためを思っているのという風に口では言いつつ、相手の行動とか選択を細かく管理批判するとかですね。仕事でも家族関係でも私が正しいやり方を知ってるから、あなたは言う通りにやればいいと指示しまくるとか、相手が断るとせっかく助けてあげていいのに、というふうに怒り出すっていうような感じですね。
ケース2
冷淡無関心タイプ。これは課題の分離らしきものはしてるんだけれども、共同体感覚が欠如しているようなものですね。例えばそれあなたの課題でしょ。俺は関係ないからと一刀両断してしまうとか、友人や同僚が困っていても一切手伝わないとか。手を差し伸べるどころか話すら聞こうとしないとか、結果的に誰からも頼れない存在になって、自分も周囲と協力し合う機会を失うのがこのパターンです。で、この問題点としては課題の分離っていうのを見捨てることと混同してるって事ですね。社会や他者に貢献するっていう姿勢がないので、孤立しがちで心理関係を築けないわけです。
ケース3
過剰依存タイプ。これは共同体感覚らしきものはあるんだが、自分の課題を相手に丸投げしている人ですね。
この問題点としては、助け合いの精神っていうのを都合よく利用していて、相手の境界線つまり、相手の都合だったりとか、相手ができる限界っていうものを尊重していないっていうことです。自分の課題への責任感が欠如していて、相手が断ると冷たいっていう風に攻撃的になります。本来の共同体感覚っていうのは貢献し合うとか支え合うことなのに、一方的に受け取るだけになりがちです。
この課題の分離と共同体感覚が両立できているかっていうのを定期的にセルフチェックするための質問として、例えば今相手の課題に踏み込みすぎていないかとか。逆に自分の課題を誰かに丸投げしていないかとか。私は相手を尊重しているか。相手も私を尊重しているかっていうふうな問いかけですね。
まとめ
共同体感覚とこの課題の分離っていうのは本来セットで機能するものです。アドラー心理学では相手を思いやり貢献したいと願う気持ちを前提にしつつ、相手の人生の責任まで奪わないというバランスが理想です。
共同体感覚というのは、他者を思いやる。温かい気持ちとか、課題の分離はお互いの責任範囲をしっかり線引きするクールな視点とも言えます。両者を行ったり来たりしながら上手にバランスを取ることで健全な関係が築かれていくと思います。
いよいよ「アドラー心理学はクレヨンしんちゃんから学ぶ」です。
ここで映画「クレヨンしんちゃん」からクレヨンしんちゃんのお母さんの言葉が引用されています。実は私・西野真理はこの部分にはあまり共感できませんでした。しかし、サトマイさんがおすすめされているこの言葉に共感される方のほうが多いと思いますのでご紹介します。
「子供のピンチに駆けつけない親がどこにいるってのよ。親にとって子供っていうのは自分以上なの。そこんとこわかってんの?わがままばっかり言うんじゃない。優しくしてくれるパパばっかりに甘えんな!好きで嫌われ役やってんじゃないわよ。嫌われたっていいから、自分の子供を守りたいだけ、あんたたち子供には分からないでしょうけどね。それが母親ってものなの」
いかがでしょう。この言葉についてのご判断はどうぞ読者ご自身で。
むしろ私はサトマイさんの次のおっしゃり方が一番ピンときました。
日常生活への課題の分離の実践のアドバイスをお伝えしてます。
分離をするか、手を貸すかの判断の基準となるのは、自分の後悔が大きくなりそうな方を選択するっていうのは結構おすすめです。
例えば誰かに100万円貸してと言われた時
「100万円貸したら後悔する」
「100万円貸さなかったら後悔する」
どちらの後悔が大きそうですか?この後悔が大きそうな方の行動をしてはいかがでしょうか、というご提案でした。
嫌われる勇気というのは他人に嫌われてもいいから、自己中心的に振る舞うということではなくて、相手を尊重しながら自分の価値観に沿って自分の人生を主体的に生きる。その結果、他人に嫌われるかもしれない。リスクも積極的に引き受ける。その勇気を持って行動しろ、というのがアドラーの言いたいことなのかなというふうに私は解釈してます。
<西野真理の余談 アドラーは心理学か哲学か>
私はアドラーは哲学のような気がします。
チャットGPTに質問したところ、以下のように教えてもらいました。これを読んでますますアドラーは哲学だなあと今思っています。
心理学 (Psychology)
- 目的: 人間の心や行動を科学的に理解し、説明、予測、改善すること。
- アプローチ: 実験、観察、データ分析などの科学的方法を用いる。
- 焦点:
- 個人の心の働き(記憶、感情、知覚、学習など)
- 行動のメカニズムや影響要因(遺伝、環境、社会的要因)
- 心理的な問題の治療や改善(臨床心理学やカウンセリングなど)
心理学は、現代では神経科学や生物学とも密接に関わり、実証的な研究が特徴です。たとえば、「なぜストレスを感じるのか?」を脳の反応やホルモンの分泌から分析することがあります。
哲学 (Philosophy)
- 目的: 存在、知識、価値、道徳、真理、心などに関する根本的な問いを探求すること。
- アプローチ: 論理的な推論や思索、概念の分析を中心とする。
- 焦点:
- 存在論: 「私たちが存在するとはどういうことか?」
- 認識論: 「私たちは何を知り得るのか?」
- 倫理学: 「何が正しい行いなのか?」
- 心の哲学: 「心とは物理的なものか、それとも独立した実体か?」
哲学は直接的な実証ではなく、抽象的な概念や理論的な議論を通じて物事の本質に迫ります。たとえば、「幸せとは何か?」といった問いに対して、普遍的な答えを模索します。
違いのまとめ
心理学 |
哲学 |
|
方法論 |
科学的(実験、観察、統計) |
論理的(推論、思索、概念分析) |
主な目的 |
行動や心の理解と応用 |
世界や人間の根本的な意味や本質の探求 |
具体性 |
実証的で個別的 |
抽象的で普遍的 |
関連性 |
臨床、教育、産業などの応用分野 |
倫理、政治、宗教、科学哲学など広範囲に影響 |
共通点と相互作用
心理学と哲学はしばしば重なり合う部分があります。たとえば、心の哲学(Philosophy of Mind)は心理学と哲学の交点であり、「心と体の関係」や「意識の本質」といったテーマが共通の関心事です。また、倫理学は心理学の研究(例えば道徳判断のメカニズム)から影響を受けることもあります。
どちらも人間の本質や世界を理解するための大切な学問です。興味があるテーマによって、どちらのアプローチが自分に合っているかを考えると良いでしょう!
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