追悼 作曲家・湯浅譲二さん 2024年8月5日(月)

昨日の報道で2024年7月21日に作曲家の湯浅譲二さんがお亡くなりになっていたことを知りました。こんなふうに書くとまるで私がずっと湯浅さんを存じ上げていたかのようですが、申し訳ありません、逆です。今まで何も知りませんでした。訃報で初めてお名前を認識し、あの「はしれちょうとっきゅう」を作曲された方で、もう1つやはりよく歌った「ピコットさん」も湯浅さんの作品であることを知りました。

そこで追悼の意味を込め、両方YouTubeにアップしようとして驚きました。私は「ピコットさん」、かなり間違って歌っていたのです。
そこで今日は「はしれちょうとっきゅう」をYouTubeにアップして私なりの追悼といたします。

<湯浅譲二 Wikipediaより>
湯浅 譲二(ゆあさ じょうじ、1929年8月12日 - 2024年7月21日)は、日本現代音楽作曲家
1929年福島県郡山市にて開業医、寿泉堂病院(現:寿泉堂綜合病院)二代目院長湯浅大太郎(医学博士)の次男として生まれる。芸術愛好家だった父の影響で幼時より音楽に親しむ。郡山市金透尋常小学校の3年生頃からブラスバンドに入り、トランペットを担当した。

旧制福島県立安積中学校を卒業したのち上京し、慶應義塾大学医学部に進む。当時は外科医志望であり作曲は趣味として行うつもりだったが東京で日本の現代音楽の状況を知るうちに「このぐらいなら自分でもできる」と思うようになり1951年、「10年間は面倒みてやるから」との父親の合意のもとに医学部教養課程を中退して作曲の道に進む。詩人・瀧口修造を中心に集まった芸術家グループ・実験工房に加わり、武満徹らと共に活動し電子音楽や自作を含む現代音楽の演奏会の製作にかかわった。

一方で古典的な作曲理論を身につけておく必要も痛感し、大学教養課程での音楽の担当であった評論家・村田武雄の紹介で中田一次に短期間師事している。

1981年よりロジャー・レイノルズの招きでアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校ブライアン・ファーニホゥらと共に作曲の教職に就いていた。UPICMUSIC-Nにも果敢に挑み、電子音楽に傑作を残した開祖的存在でもある。

カリフォルニア大学サンディエゴ校教授、日本大学藝術学部客員教授、東京音楽大学客員教授、桐朋学園大学特任教授などを経て、現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授、国際現代音楽協会 (ISCM) 名誉会員。慶應義塾大学アート・センター訪問所員、郡山市名誉市民。

「秋吉台の夏」現代音楽セミナー&フェスティバルでは、全国の音楽大学から集った作曲学生に作曲思想を伝授して、2000年代にデビューした作曲家たちに大きな影響を与えた。

作曲の弟子には、藤枝守、田中聰、伊藤弘之、久田典子、伊左治直、植田彰、松本直祐樹、今井智景、中橋愛生、川上統、ジュリアン・ユーほかがいる。

2024年7月21日に肺炎により死去。94歳没。



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