楽譜について 2026年9月8日(土)

 2026年9月8日のFMかほくの放送原稿を、一足お先に皆様にブログでご紹介いたします。

今日は、音楽を演奏する人なら、毎日のように目にしている「楽譜」のお話です。
この楽譜って、いったいいつから、こんな形になったんでしょう。

実は、現在の楽譜ができるまでには、1000年近い、とても長い歴史があります。

<中世ヨーロッパ>
まずは、今から1000年以上前の中世ヨーロッパのお話です。
当時、教会で歌われていたグレゴリオ聖歌などを書き留めるために使われていたのが、「ネウマ譜」という記譜法です。
ただ、現在の楽譜とはかなり違います。
音符のような記号は書かれているのですが、「この音はド、この音はミ」というように、音の高さを正確に示していたわけではありません。
すでに歌を知っている人が、その記号を見て、
「ああ、そうそう。ここはこう歌うんだった」
と思い出すための、いわば「歌のメモ」のようなものだったのです。

<11世紀 グイード・ダレッツォの登場>
ところが、11世紀になると、楽譜の歴史を大きく変える人物が登場します。
イタリアの修道士、グイード・ダレッツォです。
今からおよそ1000年前。
日本では、紫式部や藤原道長が活躍していた時代です。
『源氏物語』が生まれた頃、遠くヨーロッパでは、後の楽譜につながる重要な仕組みが生まれていたんですね。

<日本の楽譜は?>
ここで、ちょっと日本の話もしてみましょう。
西洋では、11世紀ごろから現在の五線譜につながる記譜法が発達していきました。
では、そのころ日本ではどうだったのでしょう。
もちろん、日本にはまだ五線譜はありません。
ところが、「楽譜がなかった」というわけではないんです。
平安時代の日本では、雅楽が盛んに演奏されていました。そして、音楽を伝えるために、音の高さを表す独自の名前が使われていたんです。
「壱越(いちこつ)」「平調(ひょうじょう)」「双調(そうじょう)」「黄鐘(おうしき)」など、「十二律」と呼ばれる音の名前です。
また、「壱越調」「平調」「双調」など、「調」の名前もありました。

そして、さらに驚くのは、五線譜ではないものの、実際に楽譜も残っていることです。
平安時代の終わりごろには、藤原師長という貴族であり音楽家でもあった人物が、琵琶や箏のための楽譜を残しています。
つまり、
「昔の日本には楽譜がなかった」
というより、
「西洋とはまったく違う方法で、音楽を書き留めていた」
と考えたほうが正しいんですね。

<日本のコードネーム?>
そして、日本の音楽で、もう一つ面白いものがあります。
雅楽で使われる楽器、「笙」です。
笙は、一本のメロディーを吹くというより、いくつもの竹管を同時に鳴らして、独特の和音を作る楽器です。
この和音には「合竹(あいたけ)」という名前が付いています。
たとえば、「乙(おつ)」「一(いち)」「工(く)」「凡(ぼん)」などです。
つまり、楽譜に「乙」と書かれていれば、演奏者は「乙」という名前の決められた和音を鳴らす。
こう聞くと、現代の音楽をやっている人なら、「それってコードネームみたいなもの?」と思いますよね。
そう、完全に同じものではありませんが、感覚としてはかなり近いところがあります。
現代の楽譜で「C」と書いてあれば、Cを中心とした決められた和音を演奏する。
それと同じように、笙では「乙」「一」などの名前によって、決められた複数の音を同時に鳴らすのです。
つまり日本の伝統音楽にも、五線譜とはまったく違う形で、「和音を名前で表して伝える」という仕組みがあったわけです。

<グイード・ダレッツォの記譜法>
話を西洋に戻しましょう。
グイードは、音の高さをより正確に記録するために、線を使った記譜法を発展させました。
そして、私たちが今使っている「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」のもとになる、階名を使った歌唱法も考案しました。
もちろん、現在の「ドレミ」とまったく同じものではありません。
でも、「音の高さを名前で覚える」という考え方につながっているんですね。
ですから、「楽譜」と「ドレミ」の歴史を語るとき、グイード・ダレッツォは絶対に外せない人物です。

ただし、この頃はまだ五線譜ではありません。
主に4本の線を使って、音の高さを表していました。
そこから何百年もかけて、音符の形や、リズムの表し方が少しずつ発達していきます。

<15,16世紀>
そして15世紀から16世紀、ルネサンス音楽の時代になると、現在の五線譜にかなり近い形が定着してきます。
パレストリーナや、ジョスカン・デ・プレといった作曲家たちが活躍した時代です。
五線の上に音符を置くことで、音の高さだけでなく、リズムもかなり正確に記録できるようになりました。

<17世紀後半 江戸時代>
そして、いよいよ私たちにもおなじみの作曲家が登場します。
17世紀後半から18世紀。日本でいえば江戸時代。音楽史では「バロック音楽」と呼ばれる時代です。
この時代に生まれたのが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。1685年生まれです。
バッハの自筆譜を見ると、これが驚くほど現在の楽譜に似ています。

五線があります。音符があります。音部記号があります。拍子記号があります。調号があります。小節線もあります。
もちろん、音符の字体や細かな書き方には違いがありますが、現代の私たちが見ても、
「あ、これは楽譜だ」
とすぐに分かります。
つまり、現在の楽譜の基本的な形は、18世紀、バッハの時代には、ほぼ出来上がっていたと考えていいでしょう。

ただし、まだ現在の楽譜とは違うところもあります。
例えば、私たちが今の楽譜を見ると、
「ここは弱く」「ここからだんだん強く」「速く」「ゆっくり」
といった、演奏についての細かな指示がたくさん書かれていますよね。こうした強弱や速度、演奏表現を細かく楽譜に書き込む習慣は、特に18世紀後半から19世紀にかけて、どんどん発達していきます。

<モーツァルト、ベートーヴェン、そしてシューベルト の時代>
このあたりの時代になると、楽譜は私たちが現在使っているものと、ほとんど変わらなくなります。特に19世紀の音楽になると、作曲家は楽譜の中に、非常に細かな指示を書くようになります。

例えばベートーヴェン。
「ここは強く」「ここは弱く」「ここは急がない」「ここは突然弱く」
といった具合に、自分の音楽を、できるだけ正確に演奏者に伝えようとしました。
シューベルトの歌曲などを見ても、現代の私たちが使っている楽譜と、ほとんど同じです。
もしシューベルトが現代の楽譜を見たとしたら、
「おお、これはずいぶん便利になったな」
と思うかもしれませんが、
「これは一体、何の記号だ?」
と、まったく理解できないということはないでしょう。
考えてみると、楽譜というのは、本当にすごい発明です。
音楽は、演奏した瞬間に消えてしまいます。
歌声も、ピアノの音も、ヴァイオリンの音も、そのままでは残りません。ところが、楽譜に書くことによって、
「いつ、どんな高さの音を、どんなリズムで、どのくらいの強さで演奏するのか」
という情報を、遠い未来の人にまで伝えることができます。
バッハが300年近く前に書いた音楽を、私たちは今、演奏することができます。
ベートーヴェンが200年ほど前に書いた音楽を、今日の私たちが、同じ楽譜を見て演奏することができます。
これは考えてみれば、本当にすごいことですよね。

<楽譜の再現性>
ただし、ここで一つ、大事なことがあります。
楽譜があれば、音楽を完全に再現できるかというと、そうでもありません。
楽譜には、書き切れないものがあるからです。
音の表情。息づかい。音と音とのつながり。
そして、作曲家が、
「ここは、こういう気持ちで演奏してほしい」
と思っていたことのすべてが、楽譜に書かれているわけではありません。
音楽関係者の中には、
「楽譜にすべて書かれているのだから、楽譜通りに演奏すればいい」
という考え方をされる方もいらっしゃいます。
私は、これには全面的には賛成ではありません。
もし作曲家が、自分の思い通りの演奏を完全に指定したいのであれば、ものすごい量の情報を書き込まなければなりません。そして、もし本当にそんな楽譜ができたとしたら、誰が演奏しても、同じような音楽になってしまうでしょう。
私は、作曲家は作品が完成したところで、ある意味、作品を手放しているのではないかと思います。そして、楽譜に書ききれなかった部分を、演奏家に託している。
実際、私は親しくしている作曲家と、そういう話をしたことがあります。
作曲家というのは、私たちが思っている以上に柔軟です。新しい作品の楽譜をいただいたときなど、演奏してみて相談すると、場合によっては音そのものを変更してくださることさえあります。だからこそ、同じ楽譜を見ても、演奏する人によって音楽が違って聞こえる。そこが、音楽の面白いところでもあります。

最初は「歌を思い出すためのメモ」のようなものだった楽譜。
それが、線を使って音の高さを表すようになり、リズムを記録できるようになり、五線譜となり、そしてバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの時代を経て、現在私たちが使っている形へと発展してきました。そう考えてみると、私たちがいつも何気なく開いている一枚の楽譜の中に、実は1000年近い人類の知恵が詰まっているんですね。

<いよいよ西野真理の本当に言いたいこと>
さて。ここまでは、実は、今日私が一番お話ししたかったことへの「長い長い伏線」なのです。私は、普段楽譜を使うことのない方にも、
「楽譜って、こんなに便利で大切なものなんですよ」
ということを、ぜひ知っていただきたいと思っています。

少し、私の住んでいる宇野気・本町の話をさせてください。
2020年から新型コロナウイルスの感染が広がり、地域のお祭りをはじめ、さまざまな行事が中止になりました。私の住んでいる宇ノ気・本町の町会でも、2年間、お祭りを開催することができませんでした。
そして、3年目。
ようやくお祭りを再開することになったのですが、そこで思いがけない問題が起きました。
笛や太鼓を教える人がいないのです。たった2年間、お祭りができなかっただけなのに、それまで当たり前のように受け継がれてきたものが、途切れかけていました。

~採譜~
ちょうどその頃、我が家が町会長をお引き受けしていた関係で、私もお祭りの準備に少し顔を出していました。そこで、その話を聞いた私は、こう考えました。
「覚えている人から聞き取って、楽譜にしておけばいいんじゃないか」
そうしておけば、また何かがあって、お祭りが2年、3年、あるいはそれ以上できない時期があったとしても、楽譜があれば、笛や太鼓のリズムやメロディーを、次の世代に引き継ぐことができます。
そこで、数年前まで笛の指導に来てくれていた、すでに社会人になっているAさんと、その弟さんから、笛と太鼓のリズムやメロディーを聞き取り、私が楽譜に起こしました。
その年は、Aさんと弟さん、そして楽譜を使って私が小学生に教え、無事にお祭りのお囃子をすることができました。

そして翌年からは、笛については、楽譜を携えて、その時に教えた子どもたちが、今度は中学生になって、次の小学生を教える。そんなサイクルができあがり、今年にも引き継がれています。

~楽譜いらない派の意見~
ここで、太鼓のお話です。
今年、私は太鼓を担当する男性に、作った太鼓のリズム譜を渡しました。すると、
「楽譜なんて、誰も読めないし、見ないから」
と言われ、楽譜を使うことは、あまり歓迎されませんでした。

~役立てられる人もいる~
でも、私はここで、ちょっと待ってほしいと思うのです。
料理に例えてみましょう。
「このくらいの味」
と味見をしただけで、調味料の分量を感覚で決められる人もいます。でも、お料理の本に書いてあるレシピを見なければ、なかなか同じものを作れない人もいます。音楽も同じです。
聴いて覚えて、そのまま演奏できる人もいれば、楽譜を見て、それを頼りにしなければ演奏できない人もいます。実は、私自身もそうです。楽譜なしでは、なかなかできません。
そして、子どもたちの保護者の中には、意外と楽譜を読める方がいらっしゃいます。
「子どもの頃、ピアノを習っていた」
「吹奏楽部に入っていた」
「バンドをやっていた」
など、楽譜を読むことができる方は、決して少なくありません。
実際、私が太鼓の楽譜を渡してみると、それまで、ただ子どもの練習を横で見守ってくださっていた若いお母さんが、楽譜を読んで、ご自身で子どもさんに指導を始めてくださいました。
私は、この時、
「ああ、やっぱり楽譜を作っておいてよかった」
と思いました。
楽譜というのは、単に「音楽を演奏するためのもの」ではないんですね。
その場にいる人が覚えておくためだけでもありません。
「次の人へ渡すためのもの」
でもあるのです。人から人へ。世代から世代へ。口で伝えることも大切です。耳で覚えることも大切です。でも、それを支えるものとして、楽譜があれば、文化はもっと確実に次の世代へ残っていきます。

長い長い伏線でしたが、私のまじめな主張、ご理解いただけましたでしょうか。

今日は、
「楽譜は、いつ、今の形になったの?」

というお話でした。
普段何気なく見ている楽譜。
その一枚の紙の中には、1000年近い人類の知恵と、そして、次の世代へ音楽を渡していくための力が詰まっています。

~本町の笛と太鼓の楽譜~







チャイコフスキー?シューベルト?の訳詩行きます~気が散って庭仕事 2026年9月4日(金)

昨日(2026年9月3日)ファリャ作曲「7つのスペイン民謡」の訳詩が完了しました。この時点で訳詩総数253曲になりました。すぐに次の曲を探さなければなりません…でも大丈夫。ファリャの前にシューマン作曲「4つの歌 作品142」を訳すことに決めていたのに、ファリャに手を出したという経緯があり、次こそ「4つの歌」を訳せばいいのです。
と、そんなところへ昨夜、ピアニストの近藤陽子ちゃんから、陽子ちゃんの先生・シピリ先生がピアノで共演されるコンサートのチラシが送信されてきました。

シピリ先生について ~草津夏期国際音楽アカデミー公式ページより~
ANTHONY SPIRI ピアノ Piano

アントニー・シピリ Anthony SPIRI
アメリカ・ニュージャージー州生まれ。歌曲伴奏者、ソリスト、室内楽奏者として多才なピアニスト。(中略)歌曲伴奏者として、M.リポヴシェク、B.フィンク、P.シュライヤー、E.マティス、C.エルツェ、F.ベッシュ等とパートナーを組む。室内楽ではG.クレーメル、N.メンケマイヤー、S.マイヤーや著名弦楽四重奏との共演も多く、録音したCDは50枚を超える。16年には独エコー賞にノミネートされる。
教育活動においては、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院、トロッシンゲン音楽大学を経て、現在ケルンの音楽大学にてピアノ室内楽科教授を務める傍ら、ピアノ、室内楽、歌曲と演奏練習法のマスタークラスを世界中で行っている。(後略)

チラシによるとそのコンサートでは、シューベルト、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、レーヴェ、マーラー、別宮貞雄が演奏されます。
このプログラム全部訳してみようかな・・・せっかくなので、まだ訳したことのない作曲家にしましょう。・・・レーヴェ、いいかも!レーヴェはシューベルト作曲でおなじみの「魔王」を同じ歌詞で作曲した人。私がレーヴェで知っているのはこの「魔王」だけ。チラシに載せられたレーヴェの曲は3曲。
・私の安らぎは失せ
・魔王
・詩人トム
「詩人トム」YouTubeで聴いてみると、物語仕立てで楽しい曲です。知らなければシューベルトに聞こえます。ペトルッチに楽譜もあったのですぐにプリントアウト。よし。

でも・・・チャイコフスキーも捨てがたいな。そこで、なぜか持っていたチャイコフスキーの楽譜でチラシに載せられた曲を開いてみると、少々暗め。そのうちなんとなくチャイコフスキーに気持ちが入って行き、チラシと関係なくチャイコフスキーを訳したくなってきました。
そしてあれこれピアノを弾いてみて、以下の4曲を選択。
・なぜ?(ハイネ)
・憧れを知る者のみが(ゲーテ)
・カナリア(メイ)
・窓を開けば(ロマノフ)

マーラーの「子どもの不思議な角笛」も前から興味があったのですが、これは男女の歌い手が出てきて、すぐに歌うのが困難そうなので、今は止めておきます。

メンデルスゾーンの「魔女の歌」これは訳詩済み。「歌の翼に」はもう日本語訳として定着したものがあるので訳すのは止めておきます。(でもいつか訳すかもしれません)

ということで、チャイコフスキー訳詩の準備にかかろうとしたところで、多動児・西野真理、ちょっと窓の方を見ると、窓に這わせたゴーヤーがもう限界。今日は曇りで気温も低め。庭仕事に最適な日です。ゴーヤー、外してしまいましょう。なんとなく植物って枯れた方が取りやすそうに感じますが、こういうつる状のものは、乾くととても取りにくいということを昨年経験しました。そこで今年はまだ青々としているうちに取り除こうと、植えるときから思っていました。
作業開始。
作業前↓



















作業後↓(残っているのは人工グリーンカーテン)


















ミニトマトももう赤くなりそうもありません。抜いてしまいましょう。(これは彼がやりました)↓作業前



















↓作業後



















終わりました。
シャワーを浴びて、今度こそチャイコフスキー。でもその前にこのブログを書いています。
そしてこのブログを書きつつ、シューベルトの「万霊節の日のための連祷 D.343」を聴いていました。なんていい曲!先にこれにしようかな。

バイエーカーからのアトー・スポーツ(ハンドル型電動車いす) 2026年9月3日(木)

 まずはこちらのバイエーカー情報を頭に入れてからお願いします。

母の歩行器に無事、なくなった部品取り付けが終わった翌朝の今、改めてバイエーカーのホームページを見てみると、これまでに見たことのなかった「電動車いす」が掲載されていました。バイエーカーの商品ならきっといいものに違いありません。そもそも写真だけで、これまで見たことのある電動車いすとは全く違います。動いているときはもちろん、持ち運びの時など、変形ロボットみたい。アトー・スポーツという名前です。























これから先、自分に何が起こるかわかりません。歩けなくなるというほどではないにしても、「自動車免許返納」なんてことになった時、父が使っていたようなシルバー電動車いすはちょっとごつすぎるな~なんて思っていたのです。









それに比べてこのアトー・スポーツのスタイリッシュなこと!
お値段は?100万円超えるのかな?と調べてみると、60万円ほど。
未来がさらに明るく見えてきました。

バイエーカー(byACRE)のアフターケアー  2026年9月2日(水)

93歳の母がいつも使っているバイエーカーの歩行器。











母が歩行器に頼ってとは言うものの、いつも元気にお散歩ができるのはこの歩行器のおかげ。スタイリッシュで安定感があって、少々お値段は張るものの、それ以上の価値がある商品です。母がこの商品を購入したのは2022年1月19日(詳細はこちらを)。もう4年も前です。ですから保証期間などはとっくに過ぎているはず。そもそも保証書があったのか、あったとしてもどこにあるのかわかりません。

そんな先日、母が
「下の部分の部品が外れて、うまく開かなくなった」
と私に報告しました。見ると、反対側にはあるグレーの部品がこちら側にはなく、本体とうまくつながらなくなっています。
















それでも無理にぐっと押し付ければ使えるのでその日はそれで使い、その後彼が上手に紐で固定してくれました。






















それでも、もし部品を購入できるものならそれに越したことはありません。確か製造元はデンマークの会社。その代理店が日本にあるかもしれません。
ネット検索するとすぐに出てきたので、写真を添えて

バイエーカー様
貴商品のおかげで、母は毎日楽しく歩いています。
さて、今日になって一つ部品が取れていることに気づきました。
この部品を購入することはできますか。(写真添付)
出来ればぜひお願いします。

とメールしました。

その後すぐ、メールに気づいてもらえないかもしれない(私のアドレスは時々はじかれるようなので)と思い、電話してみました。すると電話対応をしてくださった男性は、どの部分の部品かを私から聞き
「わかりました、それではその部品をお送りします。今日は金曜日なので、発送は来週になります。普通郵便ですので少しお待たせすることになりますがご了承ください」
「え?料金は?」
「いえ、大丈夫です、無料でお送りします」
「そうなんですか!ありがとうございます。先ほどのメールには住所を書いていなかったので、住所を書いて再度メール送信させていただきます」

正直半信半疑。だって、私はこの会社から直接買った覚えはないのです。多分楽天市場で購入したはず。保証書はありますかとか、いつどこで買ったのですかとか、何も聞かれていません。

そして先ほど、お届けいただきました。


































さあ、あとは彼が帰ってきて取り付けてくれるのを待つだけ。
FANGOWさん、ありがとうございます。これでまた母は安全にお散歩できます。
(お礼にこのブログを送信することにします)

4時間後、帰宅した彼がつけてくれました。


訳詩350曲達成! 2026年9月1日(火)

昨日はササユリコンサートの余韻に浸っていたからか、うっかりこのことを書くのを忘れていました。

訳詩350曲達成しました。

記念すべき350曲目は
ファリャ作曲「7つのスペイン民謡」の4曲目 JOTA 






日本語で分かって歌える、わかって聴いていただけるって楽しいですよ。
日本語詩のご注文お待ちしております。








中近両用メガネできました 2026年8月31日(月)

 これの続きです。

第5回ササユリコンサート翌日の今日は、朝からブログを書いて、ドレスの洗濯をして・・・あ、そうだった、メガネ出来上がってるんでした。

メガネ屋さんへ。

受付カウンターで新しいメガネを出していただいて、掛けた途端
「わ~よく見える!」

家に帰りました。
ピアノの前に座って楽譜を見てみましょう。
見やすい!
これで訳詩も譜読みもはかどりそうです。


第5回ササユリコンサート その8 本番終了後から帰宅まで 2026年8月31日(月)

本番、終わりました。楽しかった~!

<お昼ご飯>
終了後は松下家の皆さんが用意してくださったお昼ご飯。と言っても13:30は過ぎていました。
・お寿司
・春巻き2種(エビチリ、フルーツのデザート春巻き)
・のぞみちゃん手作りの「梅・くわの実・枇杷」を発酵させた(って言ってたように思います)シロップを炭酸で割ったジュース
・元お茶関係の会社にお務めだった林さん(お茶のインストラクター)が入れてくださったお茶・・・このお茶、お茶葉もいいし、入れ方もいいしで、別格に美味しかったですね。この場面の写真を撮るのを忘れ残念

<ニホンカモシカ>
いよいよお別れの時です。
玄関に出たとき、なぎちゃんが
「あ!イノシシ!」
「・・・ニホンカモシカ」
確かに下半身はイノシシそっくりです。
これを見れたのが今回別の意味で一番うれしかったかも。
14:39










<金谷駅まで>
なぎちゃんを東海道線のどこかの駅までお送りしてから帰ります。
はじめはお迎えと同じ島田駅と思ったのですが、途中で金谷駅の方が都合がよいことがわかり行先変更。
無事なぎちゃんを金谷駅にお送りして、さあ、自宅へ向かいます。
「あ、自宅をカーナビに入れるの忘れた!」
ということで金谷駅をぐるっと回って金谷駅の駐車場に入れてカーナビに入れようとしたのですが、駐車場にうまく入れません。なぎちゃんが駅前で私を見送ろうと待っていてくれているのがわかるのですが、結局停められず、おそらく反対方向だろうと思われる方へ出ることにしました。なぎちゃんにお別れのお手振りできませんでした。
道が広くなっているところへ車を停め、カーナビに指示して方向転換。無事帰宅体制を整えました。

<最初で最後の休憩>
夏休み最後の日曜日、浜松辺りのパーキングはどこも「混雑」の表示。入ることをためらっている間に静岡を出てしまいました。お土産を静岡で買うことができないまま車は岐阜県へ。そろそろ休憩した方がいいんじゃないかと思っているその時、真正面に太陽。このまま走るのはつらいな~と思っていたらちょうど美濃加茂SAがあったので入ることにしました。ここにはこれまでに何度も入っています。
17:43



















とちおとめソフトを食べました。岐阜なのに。










結局休憩はこの1回。本番を終えてドーパミン出っ放しなんですね。よい子は真似しないでね。

パーキングを出る前に、目があんまり乾くのでコンタクトを外してメガネに。これで分かったのは、車の運転にはコンタクトの方がいいということでした。

<ジャンクション、走行失敗>
美濃加茂SAを出てぼーっと走っていてふと気づいたら美濃関ジャンクション。SAで休憩中にスマホの音声がうるさいので音量をゼロにしていたため、ナビの音声が聞こえなかったのです。自分で標識をちゃんと見ていればこんなことにはならなかったのに、すっかりナビ様に頼りっぱなし。低きに流れています。
そして気づいたときには北陸自動車道方面ではなく、名古屋の方に戻る車線に入ってしまっていました。あ~あ。
仕方ありません。
でも幸いなことにそれほど遠くない地点にあった関広見IC(多分)で降りてUターン。
今度はナビ様の音も聞きつつ自分でも確認して、自宅へのルートへ戻りました。

その後はひたすら走っていたので、写真も何もなし。
帰りの車内ではずっと9月27日の美女コン練習録音を聴いていました。

<20時44分 自宅到着>
あっという間の2日間でした。
テーブルに彼がもらってきた
「賞味期限2026年9月1日の焼き鳥缶詰」
がたくさんあったので、3つ食べました。

↓もっとたくさんあったようです















<ドレス洗濯>
そして今朝、つい先ほどドレスの洗濯終わりました。
「ドレスって洗えるの?」
よく聞かれます。
洗えます。
大きい洗濯ネットに入れ、水は最大量(我が家の洗濯機は10㎏タイプ)、洗剤は入れず、柔軟剤だけ使い、脱水はとても短め。
今日はとても暑い日で嫌だな~と思うところですが、ドレスが乾くこの暑さに感謝したくなります。

以上で第5回ササユリコンサートのご報告を終わります。

第5回ササユリコンサート その7 本番 2026年8月31日(月)

 のぞみちゃん手書きの、ウエルカムボード。
















さゆり幼稚園に咲く花々

















本番5分前、西野真理の影マイク。

本番の様子って意外に文章にしにくいですね。
結局一番多く書けるのは失敗したことかな。
よかった、たくさん書けます。















夏の思い出
1番のラスト部分、のぞみちゃん、高音ハモリを忘れ、私と同じ旋律を歌っていました。2番はちゃんとハモってくれました。

浦島太郎
大うけ!もちろん私自身皆様に笑っていただきたいと思って歌っているのですから、それが当然です。しかし、今回のお客様、「楽しもう」と思ってきてくださっていることがあふれ出ていて、この曲以外のちょっとしたトークにも一つずつ予想の倍以上ウケてくださるのです。こんなに気持ちのいい思いはなかなかできるものではありません。お客様あってのコンサートだと改めて感じられたステージでした。

もし鳥だったなら
これは立原道造作の詩による、のぞみちゃんのソロ曲。でも言葉が難しいので、私が先に朗読させていただくことにしました。これは西野真理、なかなか上手に朗読できました。

童謡唱歌のメドレー(デュオ)
これはあちこちヘンなことしています。でも多分ばれていません。
「夏は来ぬ」は三部合唱編曲楽譜から私が音を拾ったので、和声的に大丈夫ならそれでよし。
「七夕様」、のぞみちゃんが最後から2ページ目、2小節早く入ってしまったので、まあいいかなと思って、そのままのぞみちゃんのソロにしておきました。なぎちゃんはピアノでちゃんと合わせてくれていました。

青い珊瑚礁
のぞみちゃんのソロに私があとから入って行く段取り。でも私が間奏を2小節長くとってしまい、そのまま歌い続け、なぎちゃんに無理やり合わせていただきました。

高原列車は行く
「会場の皆様とご一緒に」とは事前にプログラムには書かず、サプライズとしてご一緒ステージ。用意しておいた歌詞カードを、客席で名前のわかる露木さん、福地さんに
「配ってくださいね」
と指名して働いてきただき、他のお客様にも
「積極的に配るように」
と指示して、あっという間に配付完了。
少しずつ指導しながら歌っていく予定でしたが、お客様が想像以上にうまく、指導の必要なし。間奏に乗せたトークも尺にピッタリ収まり、楽しく歌い終えました。

<終了後写真館>
3人で。なんと私はのぞみちゃんの倍面積をとっています。今後のぞみちゃんと撮るときは2歩下がることにします。









同じ関定子門下の福地英子さん。英子さんと撮るときも2歩後ろですね。
暫く本番をお休みしていらっしゃる英子さんから
「コンサートを聴いて、私も歌いたくなりました」
と言っていただき、嬉しくなりました。















かわいい手芸小物の小鳥も頂きました。(のぞみちゃん、なぎちゃんにも)
センスが光ります。
















その後、英子さんが送ってくださった小鳥の仲間たち写真





















第5回ササユリコンサート その6 起床~本番前まで 2026年8月31日(月)

現在2026年8月31日(月)の朝5:50。我が家のパソコン前。2日前のこの時間は静岡出発前の最終持ち物チェックをしていました。2日後の今は本番も終わり、回想ブログ書きです。

<8月30日(日)当日朝~出発>
一度3時頃目が覚めましたが、その後ちゃんと寝て6時起床。
7時、なぎちゃんと二人で朝ご飯を食べ、昨日ののぞみちゃんとのお約束より早かったのですが、8時前に野口屋さんを出て会場へ向かうことにしました。
お宿のお支払いは
「私が払うから払わないで」
というのぞみちゃんのお言葉に甘えて、チェックアウト時には特にすることもありません。女将さんにご挨拶して出発しようとしたところ、女将さんから
「どれか好きなもの持って行って」
と玄関で販売していらっしゃる手芸小物をいただきました。














お礼に玄関で「ふるさと」を歌いました。お世辞抜きで(だと思います)感激して下さったご様子で(これが演技ならすごい!)歌ってよかったと思いました。発声練習もしていないのに朝から絶好調でよかった(笑)

<最後の練習>
8時半、最後の練習開始。外ではのぞみパパが駐車場の白線引き。ご近所の方が草刈り。
練習はそれなり順調に進み、気づくと10時。10時半開場、11時開演の予定ですが、もうお客様が3人いらっしゃいました。練習、早く始めておいてよかった。

<会場の様子・写真でどうぞ>
練習中のなぎちゃん










ステージから見た客席









椅子の乗っている台はのぞみパパの手作り










客席を後ろから見たところ










練習中ののぞみちゃんをステージ横から














<お客様の人数>
練習後、ステージのカーテンを閉めました。ですから私たちにはお客様がどれくらい入っていらっしゃるかわかりません。でもその会場のざわめきから、予定していた60名前後ご来場くださっていることは間違いありません。さあ、いよいよ本番です。

西野真理の色々なお話

楽譜について 2026年9月8日(土)

 2026年9月8日のFMかほくの放送原稿を、一足お先に皆様にブログでご紹介いたします。 今日は、音楽を演奏する人なら、毎日のように目にしている「楽譜」のお話です。 この楽譜って、いったいいつから、こんな形になったんでしょう。 実は、現在の楽譜ができるまでには、1000年近い、と...