母、大学病院血液検査結果 2025年4月4日(金)

<結論>
大したことありません。

ということで、お時間の許す方、だらだらとした一部始終をどうぞお読みくださいませ。
西野真理なりのミスがあります。

<検査結果とドクターのお話>
そもそもの受診理由は「貧血」

・貧血といっても大したことはない
・「腎性貧血」という、腎臓が悪いときになる貧血
 (腎臓は、赤血球の産生を促す「エリスロポエチン」というホルモンを作っている。腎臓のはたらきが悪くなるとエリスロポエチンが不足し、必要な赤血球が作られないため貧血になる)
・それに関して最近いい薬がある。試してもいいけど、100人に一人くらい脳の血管が詰まることもある。

ドクター「どうしますか?」
母   「飲んでみます」
ドクター「それじゃあ、一番少ない量で出してみましょう。今後はかかりつけの病院で」

<病院の駐車料金>
病院出口で駐車料金を払います。
前回は100円でしたが今回は300円。あれ?前回の方が時間が長かったのに・・・あ、再診だと割引が少ないのかな・・・なんて思いながらお金を入れようとすると、後ろから警備の人が駆けてきて
「今日は診察ですか?それじゃ診察券入れてください。入れると100円で済みます。ここの表示に300円って見えたもんだから」
すごい!
後ろからちゃんと見ていてくださったんですね。
ありがとうございます。

<薬局へ
処方箋を出すと、薬局のお姉さんが
「この薬、見たことない、今まで扱ったことのない薬で今ありません。これから注文すると15時か16時くらいになりますけどいいですか?
「はい、いくらでも取りに来ます」

<知らない番号からの電話>
帰りの車内で母の携帯に着信がありました。
母「知らない番号だから出ないでおこう」
私「番号は?」
母「076-~~~」
・・・?あれ、これ医科大かも。
母もそう思ったようです。

薬局で手続きを待つ間に番号を調べるとやっぱり医科大。かけ直してみました。すると
「かかりつけの病院に出す書類を受け取らずに帰られたので、まだ病院にいらっしゃるかと思って」
「あ!すみません」
そういえば診察室を出るとき、
「書類、封筒に入れますから」
と言われました。

書類は直接かかりつけの病院へ郵送していただくことになりました。

<今日の待ち時間訳詩>
リスト作曲「3人のジプシー」訳詩完了。





映画「山田くんとLv999の恋をする」を観てきました 2025年4月1日(火)

退職後4年目を迎えました。自堕落な生活にもすっかり慣れきっています。
そんな本日は、朝10時からのFM放送を終えたら映画を観に行こうとうっすら決めていました。うっすらというのは、何を観るか決めていないということ。
このブログをお読みの皆様はお気づきのとおり、西野真理、結構映画に行ってますよね。
理由があります。
FMかほくのパーソナリティーに映画の招待券がいただけるのです。
ただし、もらった人は必ず映画のことをFM放送でお話ししなければいけません。
お任せください!

ということで、私が選ぶ作品候補1位は当然観たい映画。でもそれがない場合は
「まず自分でお金を出して観ることはない、自分の思考の中にはない、しかし、楽しそうな映画」
を選びます。

そこでかほくイオンシネマで検索して発見したのが
「山田くんとLv999の恋をする」
です。
























もちろんすぐに映画の紹介サイトを観ました。
わかったのは
「アニメの実写化映画」
であること。
ゲーム好きな子の出てくる映画のようです。

映画が始まりました。
アニメの実写化なので色合いがアニメっぽくとてもやさしくきれいです。
その後の登場人物は全員とてもかわいくて、観ていて嬉しくなります。

ではここから先はネタバレですので、映画を楽しみにされている方はここでさようなら。

主人公の女の子はネットの中で協力してプレイするタイプのゲームに夢中な大学生。映画が始まるや否や、フラれます。フッた彼氏は新しい彼女とやはりゲームを通じて知り合ったようです。
数日後、その彼氏を見返したいとゲーム好きの集まる場所へ行きます。するとそこで新しい恋の相手と出会います。この時点で、
「この男の子とうまくいってこの映画は終わるんだろうな」
とわかりますし、実際その通りですが、わかっていても観ていられるように上手にストーリーが進みます。
その男の子はゲーム世界の中では有名な子であったり、まだ高校3年生だったり、両親は仕事の関係で外国へ行っていて一人暮らしだったり、と色々都合よくできています。
・・・こんな風に書いてしまうと、これだけのことだったのかと思ってしまいますが、もちろんいろいろ工夫されていて飽きないようになっていますからご心配なく。
この映画を最後まで気分を害さず観ることができたのは、主人公の女の子の性格設定が
「コミュニケーション能力の高い、感じのいい子」
だったから。
そうそう、漫才の「空気階段」のお二人も出演されます。その大きいほうの人は、終わりの方のシーンで、ただのオタクのおじさんではなく、なんだかすごい人らしいということがにおわされます。

・・・とまあ、こんな感じの映画です。
63歳にもなって観る映画ではないかもしれませんが、たまにこうして日常とは違う世界に触れるのもいいですよ。




FMかほくパーソナリティーになった経緯のまとめ 2025年3月31日(月)

FMかほくパーソナリティー3年記念に、パーソナリティーになった経緯をまとめておきます。

<2022年3月18日>
「退職して歌の会『Sing幾多郎』を始めるのは楽しみだけど、実際誰もいらっしゃらないかも」
と少々ナーバスになったのですが、すぐ色々閃きます。そして
「ラジオ パーソナリティ」
でネット検索すると、家から車で5分くらいのところにFMかほくのスタジオがあり、随時パーソナリティを募集していることを発見しました。
↓これです。

ラジオ番組でお話しませんか!
お好きなテーマで、24分番組を放送できます
(番組内には音楽を最低1曲入れてください。)
1年間無料、人に伝えるトーク能力あがります
(2年目~月会費2,000円。応援スポンサーを集めましょう)
番組パーソナリティになりたい方はメールフォーム からご連絡ください。

先に「発見しました」と書きましたが、よく思い出してみると、FMかほくにニアミスしていたことがありました。
教員最後の1年間のどこかでのこと。教えている生徒の一人が授業後私にこんな声をかけてくれました。
「僕の家はお父さんと一緒にFMの番組をやってるんですけど、そのゲストに出てくださいませんか」
何も知らない私は大喜びで
「もちろん出ます」
と答えました。
しかし翌日その生徒から
「連絡を取りたいので先生のメールアドレスを教えてください」
と言われたことで立ち止まりました。学校では生徒との個人的なメールのやり取りが禁じられていたからです。その生徒はとてもいい子でしたし、そのメールで問題が起こるとは思えませんでしたが、やはり決まりは決まり。FMのゲストの件もお断りすることにしました。
後になってこのご家族の放送局はFMかほくだったことに気づきました。現在はFMかほくはおやめになっています。

話を元に戻します。
申し込みましょう!

<応募のメール文章>
 西野真理と申します。
 この3月で中学校音楽教師を退職します。
 コロナのため突然始めることになった音楽授業YouTubeが楽しくなり
 主として自身の歌唱動画のアップロードをはじめました。
 2022.3.18現在280本超の動画をアップしています。
 (YouTubeで「西野真理」と検索していただけると嬉しいです)

 もともとおしゃべりが大好きで、教員生活ではそれを存分に生かしてきましたが
 そのスキルをもっと多くの方に知っていただくために、FM放送で試してみたいと思い始めました。
 また今後は音楽活動、歌の好きな方との歌の会を始めていきますが
 その宣伝方法の一つとしてもFM放送で西野真理の名前を
 お知りいただければと思い、応募いたしました。

FMかほくにメールを送信したのが17:35。
夕飯後ダラダラしていたらメールが来ました、FMかほくから。
19:07です。
「まずお電話で詳細をお話いたします」
と書いてあったので、すぐ電話しました。
19:09です。
電話のお相手は管理人の新江さん。
「今メールしたとこなのに」
「はい、今見たところです」
「打ち合わせをしたいのでFMかほくまで来ていただけませんか」
「私、今日コロナのワクチン打ったので明日はおそらくだめです」
ということで、3月21日(月・祝)朝10時に決まりました。

お約束した3月21日10時にスタジオに到着するには、家を9:55に出なければなりません。家からほぼ一本道です。余裕を持って9:54に玄関を出たのですが、間にある2つの信号が青だったので9:57に到着しました。もし大雪が降っても歩いて行けます。

打ち合わせでお話したこのFM局を開設された新江さんのお話は知らないことばかりで興味津々。その時新江さんから頂いたラジオ放送についのアドバイスは以下の通り。

・ちゃんとした原稿はないほうがいい。先ず作るのが大変だし、作ってしまうと「読んで」
 しまう。それでは言葉として伝わらない
・一人の話をずっと聞くのは5分が限度。ゲストを招いて二人なら10分はなんとかなる。
 「必ず音楽を1曲入れてください」とご案内にも書いてあったと思うが、話の煮詰まりを防
 いで頭をリセットするためにも24分の間に音楽は必要
・ラジオでいちばん大事なのは音量。音量がある程度同じレベルでなければならない。普通
 ラジオ放送では放送ブースの向こうで色々やってくれる人がいるが、あの人は音量を操作
 してくれている。ここはそれを全部パーソナリティーひとりでやらなければならない

<放送機器の操作について>
教えていただきましたし、なにより新江さんは教え方がとてもお上手です。それでも私は1度ではとても覚えられませんでした。

<西野の放送日決定>
新江「いつにしますか?」
西野「いつ空いてますか?」
新江「生放送なら火曜日の10時か木曜日の9時かな」
西野「10時のほうが声が出やすそうだから火曜日にします」
この日時決定にはもう一つ大事な要素が含まれていました。今は変わっていますが、このころ火曜日の9時から新江さんが生放送を担当されていて、何かあったら新江さんに助けを求めやすいのです。実際3度ほど新江さんに助けていただきました。


<番組名決定>
新江「番組のタイトル何にしますか?」
西野「西野真理の歌とおしゃべりの時間」
新江「まあ・・・まんまですね。できればタイトル名に個人名入れないようにしてるんです
   よ」
西野「じゃあ・・・Sing幾多郎」
新江「それでいきましょう」
  (新江さんにはSing幾多郎のチラシを打ち合わせの最初に渡してあった)

私としては予想外の展開でしたが、これでSing幾多郎の知名度もほんの少し上がるし、Sing幾多郎へのお誘いもしやすくなります。

さあ、4年目に向かってスタートです。

 

リスト作曲「3人のジプシー(Die Drei Zigeuner S320)」訳します 2025年3月30日(日)

昨日シューマン作曲「ケルナーの詩による12の歌曲」全曲訳詩完了いたしました。これで訳詩作品は242曲。

さあ、次に訳すのは何にしましょう。
あれかな!

それは今年の八ヶ岳声楽セミナー。昨年も同じグループだったSさんと今年もご一緒。
Sさんはドイツリートに長く取り組んでいらしたようで、前回(2024年)も楽しいドイツリートを聞かせてくださいました。その一つが
シューマン作曲「トランプ占いをする女の子」
とても楽しそうにお歌いになっているのですが、ドイツ語が(も)全く分からない私にはその楽しさが全く分かりません。
その時レッスンをされていたわが師匠・関定子先生が
「この曲、訳してみれば」
ドイツリートの松井先生も
「これにピッタリ日本語がはまると面白いかもね」
帰ってすぐに訳しました。

その翌年である今年(2025年)の八ヶ岳声楽セミナーで私は日本語でこの曲を受講しました。
Sさんから
「私もこれ日本語で歌ってみたいわ」
と言ってくださってとても嬉しくなりました。(その後何のお問い合わせもありませんが)
そしてこれは5月11日の美女コンで演奏します。(カラピアノは小林美智さんに発注)

話を戻して・・・今年の八ヶ岳声楽セミナーでSさんは再び興味深い曲を聞かせてくださいました。その時はそれが何という曲だかわかっていませんでしたし、「トランプ占い~」ほどの興味もなく、なんとなくその場面は過ぎていきました。
そして八ヶ岳声楽セミナー最終日の終了コンサート。
終了後に先生方からの講評メモが全員に配られます。その関先生のメモの最後にこう書かれていました。
「3人のジプシー聞きたかった」
私は意味が分かりませんでした。
それをずっと考えていて、今朝、突然ひらめきました。
もちろん憶測ですが多分正解。ちょっと面倒ですが書いてみます。

3月3日、富山で関先生のレッスンがありました。そのレッスンで私は
ブラームス作曲「ジプシーの歌」西野真理訳詩版全曲
を見ていただきました。

今朝。そういえば、と、突然ベッドの中で八ヶ岳のレッスングループで作ったラインを見返すとSさんのレッスン曲の欄に
「Die Drei Zigeuner 」
これだ!
そのままベッドの中で検索するとこの曲は
リスト作曲「3人のジプシー」
であることが分かりました。
関先生、きっとブラームスの「ジプシーの歌」を見てくださった記憶と、今回のシューマンの記憶とSさんのレッスンの記憶がぐちゃぐちゃになっていらしたのでしょう。

さあ、ペトルッチからの楽譜ダウンロードも終わりました。
ブログも書き終えました。
リスト作曲「Die Drei Zigeuner  S320」
訳詩開始します。

50~51歳で声帯を痛めた時のお話(過去のエッセイに書いてなかった部分)その4 2025年3月30日(日)

 先日「50~51歳で声帯を痛めた時のお話」と題して3本ブログにアップしました。懐かしく書きつつ読み返しながら、あれ?あの事が書いてない・・・と思い出すことがあり、過去のエッセイを丁寧に見返しました。しかし、どれだけ見てもその部分のエッセイは見当たりません。そういえば書いた覚えもありません。でも、確かにそういうことはあったし、学校でその部分を何度も生徒にしゃべった記憶もあります。
そこで登場するのが5年日記。これを見ればその部分が書いてあるはず。
私が書き足したかったのは
「京大病院を受診する予約をしていた」
という事実です。

さあ、5年日記を探してみましょう。
手掛かりはその2にある
「次回は2月21日(木)西野真理51歳の誕生日に決まった」
金沢医科大学病院での診察日。

5年日記、2013年2月21日の記述。
「医科大耳鼻科予約日。カルテ画面に『お誕生日おめでとう』と出る。『安静にして一か月後』ということになる」

次に1か月後を探すと
2013年3月28日の記述。
「医科大11時。治療なく『京大病院で診てもらいなさい』ということで終わる。4月18日(木)京大病院予約。夜、18日の電車予約」

ではなぜこの部分をエッセイにも書いていないのによく覚えていたかというと、それは授業で何度も生徒に見せた「声帯」に関するテレビ番組絡み。
ある時(この声帯のトラブルより後)医療系の番組で声帯を扱っていたので私はすぐに録画を開始しました。その時その専門家として登場したのは「東京ボイスセンター」の先生でした。私はこれを見てちょっと嬉しくなりました。それは、医科大で京大病院を予約するとき
「声帯を見てもらうのなら『東京ボイスセンター』か『京大』。どちらにしますか?」
と聞かれていたのです。そのころはまだ北陸新幹線がなかったので私は早く行ける京大を選びました。
「私はあの時、東京ボイスセンターに行くことになっていたかも」
生徒に歌を教えるとき、声帯を大事に使いましょうということも込めて、自分の声帯トラブルのことも話していました。その時この映像を見ながら
「私実はね、この東京ボイスセンターに行くことになっていたかもしれない」
というのはなんとなく楽しい場面でした。もちろん何もなかったから言えることですが。

その後のことは前にアップしたブログに書いた通り、4月に入ってから喉の調子は改善の方向へ。そのころの5年日記を見ると
・4月7日(日)
少し喉の調子よくなったような気がする。ここで無理しないように我慢我慢
・4月8日(月)
気を付けてしゃべるがやはり疲れやすい
・4月10日(水)
加茂整形外科へ。喉(首)にいっぱい打ってもらって(トリガーポイント注射)いい感じ
・4月11日(木)
朝、喉の調子がいい。京大病院キャンセルしようかと思い始める
・4月12日(金)
京大病院キャンセルする。京都行の電車チケットキャンセル
・4月13日(土)
静岡へ、のぞみちゃんのオペラ「森は生きている」観に行く。13時からのと17時からの両方観る
・4月14日(日)
静岡から京都へまわり、京都瑞穂の会コンサート聞きに行くことにする
喉の調子ずいぶんよくなる
・4月16日(火)
セーブしながら授業するようにして喉の負担減ってきている
・4月22日(月)
喉痛くて夜目が覚める。無理せず授業するやり方にしてかえって歌はいい感じになった気がする

その後、喉に関する記述はなくなっていました。

以上で声帯を痛めたときのお話を終わります。

2025年4月のSing幾多郎 2025年3月29日(土)

4月Sing幾多郎開催予定カレンダーです。

 場所 石川県かほく市宇野気ト110-1

   本町コミュニティセンター

 

 

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<毎週日曜日> 

フリーの歌の会(予約の必要はございません)
・9時30分~10時15分(45分間)
 1回お一人 2000円

個人レッスン(各45分) 予約者のみ
 予約・お問い合わせ メール宛先  singkitarooo@gmail.com

<毎週水曜日> 
歌の会(3人以上での予約の方のみ)
・9時30分~10時15分(45分間)
 1回お一人 2000円

個人レッスン(各45分) 予約者のみ
 予約・お問い合わせ メール宛先  singkitarooo@gmail.com

















定年退職3年を振り返ってみました 2025年3月29日(土)

2025年3月末で定年退職(このころは教員の定年退職は60歳でした)からまる3年が経ちます。定年退職する少し前から定年後のことをそれなりに「計画」していました。しかし、それらは
「計画」
ではなく
「妄想」
だったことがほとんど。
「夢」
といえば少しは聞こえがいいかもしれません。
でも、私はそれを自分自身への慰めもプラスして、それはそれで楽しい3年間であったと思っています。

では妄想(?)の数々を振り返ってみましょう。

歌の会「Sing幾多郎」
「週に2回、歌を歌いたい人に集まっていただいて、楽しく歌いつつプチレッスンを受けることのできる会。会員制でもなければ合唱団でもない」
こんな感じで最初は2~3人、そのうち10名ほど集まってくださればいいなあ~。
完全に妄想でした。
それでも2年目途中までは週2回必ず開催していました。ほぼどなたもいらっしゃらないのに。しかしさすがにどなたもいらっしゃらないのに会場費だけ払い続けるのはまずいと思い始め、「Sing幾多郎」として行うのは日曜日だけにして、水曜日は私の会場練習を兼ねて借りることにしました(町民なら営利を伴わない時は無料で借りられるので)。借りていれば無理にでも練習すると思ったからです。これは結果的に良い判断で、現在も週2回は必ずきちんと練習することができています。

FMかほく「Sing幾多郎」
これは妄想とまで言えないかも。
毎週火曜日の10時から生放送。年間3回くらいお休みしたことはありますが、毎回原稿もちゃんと作って、それなりにきちんとできたと思っています。
ただ、リスナーさんがどれくらいか?というのはラジオですからよくわかりません。
私がリスナーさんの楽曲リクエストに答えないこともあり(自分が歌った曲しか流さないと明言しているので)リスナーさんからお便りをいただくことはほとんどありません。この3年間で3回くらいかな?
FMをYouTube配信もしていますが、これも平均20名程度。それも最後まで聞いていらっしゃるわけではなく、最初ちょっとクリックしてくださっただけのように思われます(YouTubeのアナリティクスに出てきます)

「美女コン」~生涯100回を目指して~
これは順調に計画遂行中!
第25回美女コンから「生涯100回」計画をスタートさせて年6回(奇数月に)。2025年3月で39回目が終わりました。プログラムは毎回きちんと新しく考えて、カラピアノをピアニストに発注し、歌もトークもちゃんと練習して。退職後14回も開催したなんて大してものです。(ここは自分で言わせていただきましょう)2023年お正月など地震直後なのに「それでもやる!」と狭い自宅レッスン室で開催しました。
ただ、問題は集客力のなさです。
一番少ないときが6名(地震後2023年1月3日)。一番多かったのが2025年3月の19名。この19名には励まされました。今後コンスタントに30名が目標です。
でも、たとえお客様がお一人でもちゃんとやります。(無観客でもやります!)
皆様どうぞよろしくお願いします。

YouTube
2020年、コロナで授業ができない時、音楽授業配信が目的で始めたものが現在も続いています。これには特別大きな目標はないので、現在もコンサートのライブ映像や新しく勉強した歌をアップしています。ショート動画も含めると800本を超えていると思います。
こちらは今後も楽しく続けるつもりです。

防災士
これにも特別目標はなく義務感もありません。また、防災士の資格を取ったというだけで防災に関する多くの知識・技術が私にあるわけでもありません。そこで「防災士」という肩書を上手に利用するというか他の防災士の方にはできない方法で何かしてみたいと考えて出てきたのが「歌う防災士」。「防災の歌」(作詞・作曲・歌・ピアノ)での啓蒙活動が私の一番取り組みやすいことかなと思っています。

ブログ・note
ブログはとてもよく書いています。私の場合、ブログ・YouTube・note・FM・コンサート・防災士、Sing幾多郎をうまくリンクさせていて、無理なく続けられています。

訳詩活動(販売)
「わかって歌いたい」「わかって聞いていただきたい」という気持ちと、シューマン作曲「詩人の恋」を全曲訳詩しコンサートで歌ったことが大きな力となって、その後訳詩活動は順調に(マイペースで)進んでいます。そしてそれらを販売することにもしました。数人の方からご購入いただき、その方々はそれをご自身のコンサートで使ってくださっています。
2025年3月30日現在、訳詩作品は242曲。これからもライフワークとして続けていきます。

その他
新しいことや無料でできることを見つけると、とりあえず手を出してみます。
この1年で手を出したのは「起業塾」への参加とホームページ作り。起業塾はまあ行ってみた程度でしたが、ホームページは作ってとてもよかったと思います。
選挙の「ウグイス嬢」も楽しい体験でした。
そうそう、彼が町会長をしている関係で、自主的に「本町通信」という回覧板に挟むお便り月2回の発行も楽しんでいます。これはあと2年続きます。









月刊スガイ…「遠くを見てみた」 2025年3月29日(土)

 教員時代にとてもお世話になったスガイ書店(文具とか学校で使うもの色々の業者さんでもある)の吉田さん(実質社長)から、毎月「月刊スガイ」というリーフレットが送られてきます。その今月号に映画「遠くを見てみた」関係で西野真理のことを書いてくださったので、そのまま貼り付けます。どうぞお読みください。



集中訳詩4時間で3曲(母、大学病院受診) 2025年3月28日(金)

幼いころから落ち着きがないといわれ、本人も自覚があり、それは63歳になった現在も全く変わらず。そんな私が4時間ほぼ集中して訳詩に取り組む、そんな状況が生まれた本日のお話し。
先にネタ晴らし。
母の病院の付き添いです。

先日、母のかかりつけ医から
「〇〇の値が少し高いから大学病院へ検査に行ってもいいし・・・行かなくてもいいし・・・」
ちょっぴり高いくらいだし、92歳だし、元気だし、仮に結果が悪くても今元気なのですから入院も手術もさせる気持ちもありません。
母も同じ意見。
検査にはいかないものだと思ったら
「やっぱり行ってみようかな」
「レジャー?」
「まあそんなもの」

昨日は29℃。
今日は9℃。
8:40。雨の中金沢医科大学病院へ向かいました。前にも書きましたが「金沢」と名前がついていますが、「東京ディズニーランド」と同じネーミング方式。がっつり河北郡にあります。
検査となると午前中全部潰れるに違いないと予想して、前日から訳詩の材料をバッグに入れました。楽譜と訳詩の元訳だけではありません。音源とエアポッズ。筆記用具。
8:55。到着。
あとはひたすらただ待ち時間。
さあ、訳詩開始。
シューマン作曲「ケスラーの詩による12の歌曲」
8曲目まで訳し終えていて、あと4曲。
途中母をトイレまで連れて行ったのが集中の切れた時間。あとはひたすら訳詩して、やっと母の診察の順番が回ってきたとき、3曲目をちょうど訳し終えたところでした。
診察といっても
「それじゃあ血液検査してください。そのあともうしばらく待ってもらうと、検査結果わかりますけど聞いて帰りますか?」
「今日聞いたらもう来なくていいんですか?」
「そんなことはありません」
「じゃあ、今日は検査が終わったら帰ります」
「それでは次は4月4日に来てください」
これで先生との会話は終わり。
母はただ血液検査をして、それでおしまい。

この4時間はいったい何なんでしょう???
母は元気だからよかったものの、病気の人だったら大変・・・
???なんか変・・・
ちょっと数値が悪いくらいでもう検査はやめましょう。
でも私の訳詩集中にはとても良い時間でした。

50~51歳で声帯を痛めた時のお話(過去のエッセイより)その3 2025年3月27日(木)

このブログは
50~51歳で声帯を痛めた時のお話(過去のエッセイより)その2 2025年3月27日(木)
をおよみになってからどうぞ。

「絶不調からの脱出?」総集編
     (2013年3月頃・51歳のエッセイ)

<はじめに> 

「不調など自分にはありえない」という健康を過信した西野真理に、声帯のトラブルという天罰が下った50歳半ばから51歳初頭。

その過信とちょっぴりの絶望との合間に、いくつかのそれに関するエッセイも書いた。が、今こうして不調の時を過ぎて冷静に見えてくることも多く、これを書き残すことは今後の自分のためであることはもちろん、「健康過信中」の多くの皆様にも有効かと考え、極力正直に一生懸命思い出して書いてみることにした。

<最初の警告>
「今にして思えば」の一言に尽きるが、あの時のあれは間違いなく今回のそれだった。そう、エッセイPART8に書き残している

「ドキュメンタリー 病休初体験」

西野真理45歳の6月に起きた一件・・・・

その1週間前あたりから耳が妙で、それを放っておいた木曜日の午後、学校で調子が悪くなり、保健室で吐き、病院へ運ばれで点滴を受けた。翌日念のため大きな病院へ行ったが、その時にはすっかり良くなっていて、「な~んだ」って思っておしまい。

今になって改めてエッセイを読み返してみると、たしかにドキュメンタリー風に書かれていて、書かれているそのことは正しいが、実は自分にとって不利(?)っていうか、自分が健康じゃないって思われてしまいそうなことは書かないようにしようとしていることが思い出される。

それは、その時のエッセイには書かなかった、点滴を受けた病院でドクターから言われた一言。
「過労じゃありませんか?」
その時私はその言葉をきっぱりと否定したのだった。
「自分に過労などありえない」
という思い込みと自信から。

「間違いなく『過労』である」
と今なら書ける。
それも喉の不調を伴った過労。

ちょうどそのころ、すべてのクラスの音楽の授業で歌のテストを行なっていた。それも、デュエットテスト。私がピアノを弾きながら、生徒に主旋律を歌わせながら、私が副旋律を一緒に歌いながら採点するという方式。およそ450人の生徒とそれをやった。
しかもその時ちょっと風邪気味だった。
さらにそのころ、総合学習の「職場体験学習」のために、生徒の体験職場決め集会で、くじを引いた順番にすべての生徒の希望場所をくじ順に決めていく係をやった。300人強の生徒に。
これは倒れる。
でも私は45歳の西野真理を過信していた。
しかも幸か不幸か翌日には回復してしまい(回復したように見えた)、そのことを大きく捉えようとはしなかった。

<47歳の警告>
一般には40肩とか50肩とか言われる症状で、加茂整形外科の加茂先生の「筋痛症」という考えを知ってからの私なら、これは筋痛症で加茂先生に治療していただけばすぐ治るとわかるのだが、この頃は知らなかったので仕方がない。
それにしても、やはり一般に言われるように、筋肉にガタが来る年頃になっているという警告と受け取ればよかった。

が、またしても「過労」「加齢」を受け止めたくない私は
「ピアノの弾き方が悪い」
「指揮法の授業が続いた」
「庭仕事のしすぎ」
と言い訳をしていた。
つまり、腕や肩が痛いということは、体中の筋肉はどこだってそれなりに平等に疲れているはずだ。
特に喉。
だがこの頃、自分の体の中でも特に喉に関して私は過信中の過信をしていた。喉に申し分けない。

<不調中の無理>
50歳の夏、特に調子が良かった。
その調子に乗っかっていた9月の終わり、ちょっと風邪をひいた。
これがすべての始まり。
この頃からオペラ「天狗と彦市」の練習が始まり、ちょっとしたコンサートを頼まれ、合唱コンクールの時期でもあり喉を休ませることができなかった。
いや、できなくない。
今ならそう言える。
調子が悪ければ練習は程々で過ごして本番に備えればいいし、授業も先生が必ず歌わなければできないというものではないのだ。
でも、私にはそんな智恵がなかった。
さらにその後、またちょっと歌わなければならないことがあって、喉は悲鳴を上げたのだった。
状態としては「声帯結節」の初期。   
声を出すと閉じる声帯の無理な使い方によって、手に例えると「ペンだこ」みたいなものが声帯左右対象にできたのが結節。私のは、これが片方だけ。
小さな声帯に小さな突起が出来ればちゃんと声帯が閉じなくなって、ちゃんとした声が出なくなる。
治療法はひとつ。
声を出さない。
でも本番はある。
だから無理して出す。
ますます結節はひどくなる。
ストレスが溜まる。
中心性漿液性脈絡網膜症にかかる。(別記。エッセイPART11)
眼科でビタミン剤を大量にいただく。この薬を声帯のためと思って飲む。

<悪あがき>
・漢方薬を飲んでみる・・・「響声破笛丸料」ちょっと効果あり。結節が治るわけではない  が喉は楽になる。
・また漢方薬を飲んでみる・・・「麦門冬湯」う~ん。
・酵素風呂に行ってみる。1回きり。(別記エッセイ。エッセイPART11)
・マスクをする・・・人と喋らない効果はある。
・喉に蒸気をあてる・・・効果が本当にあるかどうかわからないが、いい気
がする。しかも、購入した機械の本職は美顔器。
これは現在も使っている。
・京大医学部耳鼻咽喉科音声外来予約・・・金沢医科大学で紹介状をいただき、4月18日に予約を入れ、電車のチケットもとってあったが、結果的にキャンセル。予約して安心したという精神的効果はあり。後述参照。
・歌の練習・・・「これは不調じゃなくて練習不足で歌えないんだ」と逆切れ気味の発想でお正月開けに練習を再開。これは最低!絶対やってはいけない。これで回復が2週間遅れた…と思う。

<不調期の本番>
①不調初期
・9月~10月オペラ「天狗と彦市」練習と本番。なんとかやり過ごす。
②不調中期
・9月29日「野々市チャリティコンサート」。高い「ラ」は、苦しいが出る。
・10月19日オペラ「雪女」ナレーター 喋り声ガサガサ。低めの声設定。
③絶不調期
・11月22日 「レストラン チャリティコンサート」。アカペラだったため、
音をかなり下げ、トークも低めの声でなんとか◯
・12月下旬 生徒を連れて老人ホームを慰問。ドレスを着てティアラもつけてリコーダーを吹いた。あんな格好をして歌を歌わないなんて今思えば余程のことだ。が、一緒に行った先生から
「ドレスにティアラでリコーダーを吹いてもらうと、すごくいいもの聴いた気になりました」
と言われた。やっぱり衣装は大事。    
・1月初旬  声帯の手術を考え始める。
・1月21日 1年前から楽しみにしていた「八ヶ岳声楽セミナー」応募締め切り日。お金も封筒に入れて用意してあったが、夕方までずっと考え続けて、申し込み断念。
・2月15日 紀尾井ホール「瑞穂の会」コンサート。全部3度下げ、本番前はなるべく喋らず喉を温存させて△。
・3月1日 「卒業祝い給食」の時、ドレスを着て3年生8クラスを回って歌う。これもアカペラだったため、生徒に調子の悪さは気づかれなかったようだが、正直この頃、歌への意欲が失われかけていた。毎年やってきたけれども、この年はやる気が起こらず、当日朝まで迷っていた。しかし、予想以上に生徒に喜ばれたことで、歌うことへの意欲を失わずに済んだ。
・3月7日 塚田先生による「福光南部小学校ボランティアコンサート」の司会兼ちょっと歌とリコーダー。これも、派手なドレスとリコーダーでなんとかごまかした。歌は「富士山」と「茶摘み」だけだったが、こんな曲さえ1音下げた。ボランティアとはいえ塚田先生とコンサートを初共演できたことや小学生の喜んでくれる姿に、絶不調ながら精神的にはとても癒された。
・???? 夜、見知らぬ人から電話があり「老人ホームでボランティア演奏をしてくれないか」と頼まれたが、「調子が悪いので」とお断りした。私としては考えられないことである。

<喉の筋肉治療>
そうだ、加茂先生だ。
「体に色々あるときは筋肉の疲労を考えなくてはいけない」
と、あんなに書いたり人に言ったりしているくせに、肝心なときに思い出さない。
「喉の筋肉を緩めてもらえばいい」

4月10日、加茂整形外科へ向かった。
事情を話すと、先生はちょうど声帯の辺りを押さえ
「この辺?」
「痛っ!」
と、そこへトリガーポイント注射(局所麻酔注射)。
嘘のように喉が楽になった。

<「病は気から」その1>
1つ目は、紀尾井ホールの本番。別記エッセイにも詳しいが、あんなに不調の中、とにかく歌ったこと。また、その演奏を「見て」下さった方から「楽しかった」という言葉をかけていただいたことで、もしこのまま喉が治らなかったとしても、この喉で何とかしていこうと前向きになれた。

<「病は気から」その2>
2つ目はのぞみちゃんのオペラ。
のぞみちゃんとは誰よりもたくさん共演している。でも、共演者というのは、その時同時にステージに居る、または、ステージ袖や楽屋にいるわけで、ちゃんと本番を見ることは意外にないのだ。

そこで以前から、のぞみちゃんの演奏会を聞きに行くチャンスを狙っていたが、そのチャンスがついにやってきた。4月13日に静岡で行われる静岡室内歌劇場の公演、オペラ「森は生きている」である。
このことに気づいた頃の私は、まだ不調の真最中で、とても人の演奏を聞きに行けるような精神状態ではなかった。それでも聞きに行こうと思えたのは、のぞみちゃん効果という他はない。

静岡室内歌劇場は有名でもなければ豊かでもない、手弁当でやっているオペラ団体である。(・・って、聞いたわけではないが、きっとそう)仕事をしながら、練習場所をさまよいながら、舞台衣装やセットを手作りしながら本番にこぎつけるのは並大抵ではないだろう。そして本番は昼の部と夜の部の2ステージ。

そこで主役(?かな。私には主役に見えた)の娘を演じたのぞみちゃんは、もうこの役のために生まれてきたようにピッタリ。その他の皆さんの熱演ももちろんで、2ステージとも見終えた私には、なんともいえない力が湧いていた。

<「病は気から」その3>
そしてその翌日。
「瑞穂の会 京都コンサート」が京都で開催された。
このことは、のぞみちゃんのコンサートを聴きに行く時点でわかっていた。しかし先にも書いたように、その時の私には「人の歌を聴く余裕」などなかった。そこで、わかっていたのに静岡からまっすぐ石川県に帰る電車のチケットを買っていた。
ところが、のぞみちゃんのオペラを聴いた翌日の私は、
「京都に行って『瑞穂の会』を聴かなくちゃ気分満々」
になっていた。

翌朝ホテルをさっさとチェックアウトし、静岡駅で京都周りのチケットに変更し、京都府民ホール「アルティ」へ向かった。京都御苑の隣にある素晴らしいホールである。
聴き終えた私は、歌う気満々になっていた。

<おわりに>
4月初旬には妄想さえできていなかった、毎年開催している「美女コン」。
毎年聴きに来てくださっている方から
「今年も夏にあるんですよね?」
と聞かれた時も
「ああ・・・あの・・考え中です」
と、ゴニョゴニョしていた。
が、こうなってくると突然「美女コン」計画始動。

また4月中旬、ちょうどこの頃学校では本格的に授業が開始されるが(それまでは係を決めたり集会があったり進級テストがあったり)そのタイミングでほぼ元の喉の状態に戻った私は、二度とあんな無理はしないと心に誓いながら慎重に授業をすすめている。

ここで今更ながら感じるのは、師であるソプラノ歌手「関定子」の奇跡。先生は2013年現在67歳。6月にオペラ「トゥーランドット」のタイトルロールを演じられる。説明不要!脅威のソプラノ!
先生から「歌うための技術を学ぶ」ことはいつも考えてきたつもりだったが、学ぶことはそれだけじゃなかったということを改めて気付かされた。

みなさん、体は有限です。いたわりながら、末永く使っていきましょう。


50~51歳で声帯を痛めた時のお話(過去のエッセイより) その2 2025年3月27日(木)

このブログは
50~51歳で声帯を痛めた時のお話(過去のエッセイより)その1 2025年3月27日(木)
をお読みになってからどうぞ。

声帯結節手術妄想記(2013年3月頃・51歳のエッセイ)

<想像>
ホーミーもどきの声でジタバタしたあと、その不調が完全には治らないまま年を越してしまった。毎日耳鼻科に吸入に通い、薬を飲みマスクもかけていたがやっぱりよろしくない。小さな突起(指にできる『ペンだこ』みたいなもの)が耳鼻科で鼻から入れたカメラに映し出されていたので、これがどんどん大きくなってしまっているのだろうと想像していた。

<ネット検索>
「声帯結節」
でネット検索すると、その症状の悪化で手術を経験した人のブログがたくさん出てきた。特にプロの声優さんのものには興味津々。
さらに
「声帯結節 手術」
で検索するとやはり声優さんたちのブログには次のように書かれていた。

・手術中ちょっとでも動くと大変なので全身麻酔だが、手術そのものは15分ほどで終わる
・費用は6万円くらい
・翌日には食べたり(酒たばこ以外)何でも出来るが、おしゃべり絶対禁止
・おしゃべりさせないために1週間ほど入院
・その後も極力しゃべらない、笑わない、咳をしない2週間を過ごす 

しかし、どのブログにも
「やって良かった」
の記述があふれていた。

<決断>
「手術しよう」
こう決めたら早い。
1月11日(金)、1並びのめでたい日、朝の占いで魚座が1位の勤務終了後、ずっと通っていたY耳鼻科で先生にこう切り出した。
「先生、私手術しようと思います」
Y先生は
「結節みたいに見えるけどそれほど大きくないし、こういうのを切るのはかえって難しいんだよ・・・・&%#{`”Q”%$#&%$’&%’(&)///////」
とあまり手術には乗り気でなさそうなムードを醸し出しながらも金沢医科大学病院への紹介状を書いて下さった。

その日の夕飯時、決意を家族に述べ、手術日程を考え、さらに心の中では
「声帯結節手術日記」
というエッセイの題名まで考えていた。

<翌朝>
土曜日の朝9時半に家を出て医科大へ・・・っと、その前に、職場である内灘中学校へ立ち寄り、野田元総理大臣似の林教頭先生に事情を説明した。手術をすると3週間喋れなくなるから、今年度末から来年度最初にかけて手術をするのが一番授業に支障がない。その時期に合わせて手術休みをもらおうという相談である。
休日にまず学校に来ない私が学校に来たので、英語教師で天然パーマでインドネシア語が喋れてメガネをいっぱい持ってて卓球部顧問の優しい三輪さんが
「曜日、間違ってるんじゃないですよね?」      
とちょっと意地悪に聞いてきた。
(※ここの記述に関しては本人と相談。「意地悪仲間の三輪さんが」にする予定だった)

本当に優しい教頭先生はすぐに事情を理解して下さり
「校長先生にも了解を得ないといけないですけど、そこは私がアシストします」
と強力な一言。
安心して向かった金沢医科大病院は「金沢」と名乗っているが、間違いなく「河北郡」にある。ネーミング的には「東京ディズニーランド」と同じ。職場から車で3分、家からも車で12分の最高の立地条件である。

<受診>
「269番」で呼ばれて入ったH―1診察室担当は、医科大学病院の耳鼻咽喉科の教授・M先生だった(廊下に書いてあった)。肩書きや権威に弱い私はそれだけで嬉しくなった。あとで判ったのだが、M先生は普段、月曜日と木曜日のみの診察で、この日はたまたま土曜日当番だったそうだ。
早速事情を説明しY耳鼻科と同様、鼻からカメラを入れて声帯の撮影。
(これ、本当に嫌い。痛いし嘔吐反射が出る。なるべくやりたくない)

画像を見た先生の説明は、ほぼY耳鼻科の先生と同じで、およそ次のように説明して下さった。
・結節と言うほどの大きさではない
・声帯が開いたときは突起がなくなっている(私も画像で確認)
・切るにしても難しいし、かえって痛めることになるかもしれない
「先生、歌を歌うには支障がないはずなんですね」
「この状態でも発声の工夫で
ちゃんと歌えるはずです」
そして
「言語聴覚士と相談されるほうがいいですね。今日来ているかどうか聞いてみましょう。・・・・・大丈夫です」

<言語聴覚士Yさんとの面談>
言語聴覚士との相談は完全予約制らしく、私のように急に入れていただくのは稀な様子だったが、2時間後ならということで、一旦病院を出て学校に戻り、教頭先生に手術はなくなったことを報告。その後暇つぶしにこのエッセイを書き始めた。

12時過ぎに始まった言語聴覚士Yさん(30歳前後の可愛い女性)との面談は
・音域検査・・・30年以上前のものだと思われるエレクトーンが置いてあって、どの音まで出るか確かめる。
・朗読検査・・・「北風と太陽」のお話を3行ほど読んで録音。これもテープレコーダーで、30年以上前のもののように見えた。
・音声測定・・・心電図を測る???ような感じの機械で、これまた古い。物持ちのいい病院だ。
・質疑応答・・・「いつから悪いのか」など

最終的にYさんから受けたアドバイスは、一生懸命面談していただいて申し訳ないが、
「無理しない」「歌わない」「しゃべらない」「マスクをする」
というごく普通のもの。

Yさんはこの結果をM先生に報告に行かれたのか30分ほど待って、もう一度M先生と面談。
「結節になりかけという感じかもしれないから、なるべく歌わずに様子を見て、1か月後にまた来てください。・・・まあ、長年の喉の酷使・・・年に応じた喉の使い方を工夫するとか・・・そうやってこれからもずっと歌えるように・・・・予約入れて行かれますか?私が出ているのは月曜か木曜ですけど、どこかご都合のいい日ありますか」
M先生は
「歳のせいですね」
と言いたいところを優しくオブラートに包んで表現してくださっていた。
ということで、次回は2月21日(木)西野真理51歳の誕生日に決まった。

<今後の展開予想>
31歳で白髪染めを始め歌の勉強を再スタート、41歳で老眼が始まり奏楽堂コンクールで2位になった。51歳で何があるのか楽しみにしていたら、こういうことだったのか。
「発声を整えて再スタートしなさい」
ってことだねきっと。
51歳西野真理、さらなる展開の予感!



50~51歳で声帯を痛めた時のお話(過去のエッセイより) その1 2025年3月27日(木)

このブログを始めるまで、私は紙媒体でエッセイを自費出版していました。当然それらは売れるはずもなく、今も押し入れはいっぱいです。でも、書くことも出版することも楽しく、押入れがいっぱいなこと以外、出版して本当に良かったと思っています。
書いていてよかったことの一番は、書かなければ絶対に忘れていた過去のことを思い出せること。今までもしてきましたが、これからも時々過去のエッセイをご紹介していきます。
さっそく、昨日のブログに登場した、喉を痛めていた時のエッセイです。

<はじめに>
エッセイの時とこのブログでは文体が違いますが、そのまま掲載いたします。
またこの中に「過去のエッセイをお読みください」という記述が時々出てきます。それも同時に貼り付けようかと思いました。でも、コメント欄にお一人でも読みたいという方がコメントを下さったらにします。


絶不調からの脱出?(2012年11月頃・50歳のエッセイ)

 
<マーフィーの法則>
「『スランプだ、スランプだ』という人の絶好調の時を見たことがない」
これは随分前に読んだ
「マーフィーの法則」
という本に載っていた言葉で、この言葉を知って以来、
「スランプ」「不調」
という言葉は、私が決して口にしないでおこうと肝に銘じているもののひとつに入っている。

その私が不覚にも絶不調だ。
もちろん家族以外には言っていない。

<ホーミー>
10月23日に出演させていただいたオペラ「天狗と彦市」のときも、今だから書くが、3週間ばかり前からあまり良い状態とは言えず、正直かなりヒヤヒヤした。しかし、なんとか回復期に入ったようで、絶好調とはいえないまでも普通にやれたと思っている。
ところがその後、回復曲線はまたも下を向き、熱も出なければ体の調子も悪くないのに、声の調子だけが悪くなっていった。次の本番(チャリティーコンサート)が11月22日に控えているのに。
どんな状態かというと、モンゴルの
「ホーミー」
という歌い方をご存じだろうか?私もよく知らない。まあ、聞きかじった知識によると、一度に2つの声が声帯からが出る。お得・・・じゃない!
ホーミーの日々がスタートした。
ちょうどこの時期の学校は合唱コンクールの直前で、幸いなことに先生が歌って聴かせる場面は少なくて済んだが、ちょっと喋るとすぐノドが疲れ、ホーミーどころか、しゃべるのさえ嫌になる日が続いた。

<我慢>
授業は何とかなっても歌は歌えない。
こういう時、することは2つ。
「薬を飲む」
そして
「歌わずに我慢する」
耳鼻科の先生に泣きついたが、
「薬を飲んで、無理せずに」
と言われておしまい。

「まだ3週間ある」
「まだ2週間ある」

<カウントダウン>
「まだ1週間ある」
この頃になると、一日中、思考の回転木馬に入った。

「キャンセルしよう→まだ1週間ある→ドタキャンはできない→1週間あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」

「キャンセルしよう→まだ6日ある→ドタキャンはできない→6日あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」

「キャンセルしよう→まだ5日ある→ドタキャンはできない→5日あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」

「キャンセルしよう→まだ4日ある→ドタキャンはできない→4日あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」

3日前。
ホーミーが今までより高音へ移動した。

2日前。(別エッセイ「酵素風呂体験記」も合わせてお読みください)
ホーミーがさらに高音へ移動した。

1日前。
ホーミーがさらにさらに高音へ移動した。

当日の朝。
ホーミーだけどなんとかなる・・・と思うしかない。

<アカペラさまさま>
私がボランティアやチャリティーで、要するにピアニストに謝礼を払うことができないときは、
「アカペラでよければ」
ということでステージを引き受ける。
今までこのスタイルで活動(修行)をしてきたことが、今回のピンチを救うことになった。
そう、一人ならその時の調子にあわせて、好きな高さで、好きな曲を自由に歌うことができる。ピアニストと事前にプログラムを組んで練習していたら、そう勝手なことは言えない。

<本番>
直前まで声の高さの上限を慎重に確かめながら、
「瑠璃色の地球」
でスタート。
ノドを疲れさせないようにトークはセーブして、なるべく低い調で歌を多めにと思いつつしゃべりはじめたが、
「あれ?」
ちゃんと声が出る。
しばらく喋ったが、しわがれてこない。
次の曲は高音をやや強めにしてみたが、これもOK!
「このままいけるかもしれない」

ちゃんとしゃべってちゃんと歌って本番が終わった。
でもやっぱり、全体の音域は低めに設定して正解。
アカペラさまさまである。

<翌日>
ホーミーから山羊に変身。
脱出途上である。

92歳の母「美しい水車屋の娘」を歌う その1 2025年3月23日(日)

92歳が歌う話まで少々前置きが長くなります。

それは2012年初夏辺りから2013年3月辺りまで。西野真理51歳、喉を壊して歌えなくなっていました。授業ではそっと歌っていました。生徒を連れてボランティアコンサートに行ったときは、ドレスにティアラ姿でリコーダーを吹きました。

色々あって2013年4月ころにはよくなりました。しかし、その歌えない間にすることがなかったのと
「男性が歌う曲なら低くて歌いやすいかもしれない」
という安易で馬鹿な発想などから
(※女性が歌う曲だって音を下げればいいだけなのです。つまりこのころ、今思うと相当追い詰められていました。このあたりの詳細は過去に紙媒体で出版していたエッセイに詳しいので、そのうちそれを貼り付けます)
シューベルト作曲「美しい水車屋の娘」を日本語で歌う(松本隆訳詩)ことに手を出しました。結果的にそれが現在の西野真理オリジナル日本語訳詩につながったかと思うと、人生何が幸いするかわかりません。
そして喉の回復した2013年7月、第18回美女コン。川岸香織さんのピアノにより「美しい水車屋の娘」の演奏を終えました。

時は経ち、2022年3月末定年退職。2023年2月から八ヶ岳声楽セミナーがらみでシューマン作曲「詩人の恋」を訳し始めたことから訳詩活動が本格化。
2023年11月、第31回美女コン。小林美智さんのピアノで「詩人の恋」全曲を西野真理訳詩版で演奏。
2024年7月、第35回美女コン。近藤陽子さんのピアノで「リーダークライス 作品24」全曲を西野真理訳詩版で演奏。
現在訳詩は230曲を超えました。

さて、そんな退職後、週2回「Sing幾多郎」という歌の会を開催していますが、ほぼどなたもいらっしゃいません。仕方がないので借りている会場(コンサート会場でもあるコミュニティセンター)で練習することになり、おかげでとてもうまくなっています。それでもこの状況はまずいとは思います。

さて、このSing幾多郎を始めた動機には
「歌好きで高齢の母が父の他界後、山口県から石川県へ越してきてくれた。そのため母は仲間のたくさんいた合唱団からも離れ、歌う場所がなくなってしまった。だから週に2回、歌う場所を作ってあげよう」
ということも含まれていました。
しかし、母は私の会には興味を示さず、この地域の小さな合唱団に入りました。私は最初からこの合唱団では無理だろうと思っていました。過去に母が所属していた合唱団はママさんコーラスで上位大会にも出るような合唱団。こちらで入ったのは、上位入賞を目指すような合唱団ではなかったからです。思った通り、1年以内(?)にやめてしまいました。
しばらくはそのままでしたが2024年10月、私から再度
「Sing幾多郎で歌えばいいのに」
と声をかけたところ、今度は母も承知しました。

さあ、私と母のマンツーマン歌のレッスンが始まりました。
はじめのうちは適当な曲を歌っていました。
そんな3か月ほど前、母がFMで「美しい水車屋の娘」の日本語版をたまたま聞き、日本語で歌いたいと言い出しました。
後は上記からご想像の通りです。
私はそのうちこの様子を
「92歳(93歳以上になっているかも)の母『美しい水車屋の娘』を歌う」
と題してYouTubeにアップしようかと思っています。多分母は嫌がるでしょうが、頑張ります。
ピアノ伴奏は、いつもお願いしているピアニストの皆さんにお願いしようかとも思いましたが、あんまり失礼。そこで昨日ネット検索したところ、伴奏ピアノ音源が販売されていたので即刻ダウンロード購入。











準備は整いました。

現在週2回、母という貴重なお客様にご参加いただいてSing幾多郎を開催しています。もちろん母からも参加料をいただいて。
ただし、一般の方にご参加いだきやすいよう、母の時間はずらしてあります。参加ご希望の方、どうぞご遠慮なくいらしてくださいね。






八ヶ岳声楽セミナー受講に興味をお持ちの皆様へ 2025年番外編 2025年3月22日(土)

八ヶ岳声楽セミナー受講に興味をお持ちの皆様へ

八ヶ岳4泊5日は夢?
今朝は自宅でパソコン前。
期間中毎日投稿していたfacebookを見て下さった方のお1人からセミナーについてお問い合わせがありました。そういわれてみると、今までセミナーについて事務的な内容は詳しく書いてこなかった気もします。では改めてまとめてみます。ただし、内容には西野真理の個人的想像・感想も含みます。

<開催場所について>
・宿泊  八ヶ岳高原ロッジ 長野県南佐久郡南牧村海ノ口 
(公式ホームページ https://www.yatsugatake.co.jp/)
 ゲームセンターなどない、それなりに高級なホテル
 














 窓辺に小鳥、リス(いない時もあります)
 森の中には鹿(いない時もあります)
・車でなければ相当不便な場所
・駐車場にはベンツ、アウディがいっぱい
・セミナー開催中早朝の気温は零度以下(西野真理は2024年マイナス14度を体験)
↓2025年降雪時の愛車














・レッスン 音楽堂 ※ロッジのバスで送迎










<開催日時>
毎年3月の第3週辺り月曜日から金曜日
2025年の場合3月17日(月)~3月21日(金)
~2025年の日程表~(私の手書きメモ含む)



 ~15時受付に間に合うための例~
  ①石川県から車の時
   自宅を9時半出発で約5時間(必ず冬用タイヤ)
    往復ガソリン代約8千円 高速料金片道約7千円  
  ②新宿から電車の時
   11時発特急あずさ松本行→小渕沢12:51 
          小淵沢13:36→野辺山14:13(ホテルのバスがお迎え)
  ③大阪方面から電車の方
   詳細は知りませんが、①より2時間以上多く時間がかかっていらっしゃるようです

<主催>
<友>音楽工房・堀内美也子(元音楽之友社 事業部長、編集長)

<2025年の費用>
来年開催の場合、今年の値段では多分無理だと思います
受講費:7万円
施設費:3万円(音楽堂使用料、暖房費等)
宿泊費:6万9千円(4泊5日 朝・夕食付)
昼食:自分でパンやカップ麺を持参しホテルのお部屋で食べる方がほとんど。西野真理は来る途中、小布施SAで栗あんパンを買い、お部屋で食べていました。レストランでランチを食べることもできます。「おすすめランチ野菜カレーセット2500円」お勧め。


<講師>
関定子 青山恵子 松井康司
※各クラスにプロのアシスタントピアニストが常駐し、どんな曲にも対応
 (受講決定後、楽譜を送付)
 小林美智 松崎充代 寺本沙綾香

<レッスン等>
・声楽レッスンが全7コマ 
・3クラスに分かれ、今回一人当たり1回24分程度(受講生の数により変化)
・クラスによって講師の回数は平等ではない
 今回の場合、西野真理所属のクラスは関先生2回、青山先生2回、松井先生3回
・講師による座学 講師によるコンサート











・最終日に終了コンサート(1人5分前後)
「コンサートはドレス着用でもいい」と要項に書いてありますが、全員気合の入ったドレス(着物)です。
↓2023年の西野真理終了コンサート(Pf 東井美佳)











・夕食後ピアニストとの合わせの時間もあります
・ホテルのお部屋で声出しができます

<準備する受講曲>
日本歌曲はmust(元々日本歌曲セミナー)。しかし、数年前からオペラアリア、ドイツリート、歌謡曲等何でもありになりました。
西野真理の感覚としては、日本歌曲以外で見ていただくとすれば
関定子:オペラ ポピュラー
青山恵子:日本民謡 語り物
松井康司:ドイツリート

西野真理が今回用意した受講曲
・団伊玖磨作曲「三つの小唄」全3曲・・・レッスンしていただけたのは2曲
・団伊玖磨作曲「美濃びとに」全5曲・・・レッスンしていただけたのは3曲
・山田耕筰作曲 童謡3曲     ・・・レッスンしていただけたのは2曲
・シューマン作曲
 リーダークライス作品39より6曲・・・全部レッスン
・シューマン作曲「トランプ占いをする女の子」・・・全部
・ブラームスの歌曲5曲      ・・・レッスンしていただけたのは1曲
※受講者の希望により、曲を少なくして集中的に見ていただく方もいらっしゃいます

<受講生>
今回は17名。音楽大学出身者でなくてもいい。

<その他>
・ペアで参加しミニオペラのレッスンを受けた方もいらっしゃいました(お二人がそれぞれソロでレッスンを受けられる時間もありました)
・以前は塚田佳男先生が講師として参加されていて、伴奏ピアニストコースがありました。
・現在も伴奏ピアニスト参加は可能です。しかし、伴奏ピアニスト指導者はいらっしゃらないため、今回伴奏ピアニストの参加者はいらっしゃいませんでした
・〇〇賞みたいなものは一切ありません

もしこれ以外にご質問があればコメント欄にどうぞ。ここに書き足します。


   

八ヶ岳声楽セミナー2025 5日目(最終日) 2025年3月21日(金)

朝の気温。今日はマイナス3℃。暖かく感じます。































頭の上にお日様を乗せて写真撮影































車に荷物を積み込みます。





































昨日のうちに車の雪をどかしておいてよかった!































この後車を動かそうとしたらエンジンがかからず、冷や汗!!!
何度もスイッチを押してやっとかかった時には心から安堵しました。
寒い駐車場に置きっぱなしだとこんなことになるんですね。
次回があったら毎日1度は動かすことにします。

最後の朝ごはん
このオムレツ毎日食べたいな











終了コンサート。
出場順は前半のラスト。
演奏曲
山田耕筰作曲 童謡「カッコ鳥」
團伊玖磨作曲 美濃びとに より「秋」
シューマン作曲 リーダークライスop.39-9
                       「歌の中の悲しみ」(西野真理訳詩による)

コンサート前 楽屋からホールへの廊下で
・・・写真撮ってる暇があったら、楽譜を見なさい!














コンサート後 










他の方を撮影中のお師匠様(関定子79歳)と


















解散ランチ
















この時のスピーチでは、ここぞとばかり訳詩販売のCM。
「私はこの会で『リーダークライス作品39も34もミルテの花も訳します!』と宣言し、現在訳詩作品は230曲を超えました。私は2年前小林美智さんのピアノで西野真理訳詩による『詩人の恋』全曲コンサートを開催し、その後美智さんが大阪でやはり『詩人の恋』全曲を弾かれるコンサートを聞きに伺いました。もちろんそちらはドイツ語です。その時思いがけない発見がありました。それは、原語での演奏をまるで同時通訳を聞きながら聞いているようだったのです。本当に楽しく聞くことができました。ですから、お歌いにならない方、原語での演奏を聞くために私の訳詩をご購入されてはいかがでしょう」

今回のセミナーで一つ残念だったのは、鹿を見れなかったこと。
残念だなと思いながらホテルの駐車場を出て、坂道を下り始めたとき
鹿が見送りに来てくれました。















14時過ぎにホテルを出て19時ジャスト自宅着。
最後に一つ本当に残念なことがあったことをご報告します。
イヤリングを片方落としました。
(その後ホテルに電話してみました。やはりありませんでした)

西野真理の色々なお話

母、大学病院血液検査結果 2025年4月4日(金)

<結論> 大したことありません。 ということで、お時間の許す方、だらだらとした一部始終をどうぞお読みくださいませ。 西野真理なりのミスがあります。 <検査結果とドクターのお話> そもそもの受診理由は「貧血」 ・貧血といっても大したことはない ・「腎性貧血」という、腎臓が悪いときに...