「ひと、能登、アート。」に行ってきました 2025年11月17日(月)

令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨 復興支援特別展
「ひと、能登、アート。」
と題された美術展に行ってきました。























↑のチラシでおわかりのように、あの教科書で見た「麗子像」見れるんですよ!風神雷神も見れるんですよ!行かなきゃいけないでしょう。
しかも、


















↑「内灘以北の方は無料」私たち家族、内灘以北のかほく市在住です。

さて、小学生並みの感想です。
「麗子像」
本物は神々しいです。塗料が輝いていて、毛糸で編んだベスト(?)の毛糸が触ると毛糸のさわり心地がするんじゃないかというくらい毛糸。

「風神雷神」
面白い。力強いんだけど、ユーモアのセンスがあります。で、ちょっと笑っちゃったのが展示に付けられている絵の題名の英語版。
Wind God and Thunder God
オ~ワカリヤスイデス!

「頼朝像」
多分木彫り。本物を裏側まで回り込んで見れて嬉しくなりました。

鶴とか鷺とか鳥がいっぱい出てくる大きな絵がたくさんありました。これを見て思い出したのは。宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」。宮崎監督、これらの絵を見て着想されたんじゃないかと思ったほど。

最後に、一番驚いたこと。これらの作品はすべて国内の名だたる美術館等からの貸出(多分)です。
東京国立博物館
三井記念美術館
東京芸術大学
根津美術館
サントリー美術館
国立西洋美術館
etc.
それらに混じって個人名が!
前澤友作
↓長谷川等伯のこの屏風










美術を味わうのも忘れて、こんなことに感動した西野真理でした。













秋晴れのいしかわ県立美術館前。
でもこの後豪雨に。



第43回美女コンご報告 2025年11月16日(日)

本日第43回美女コンを終えました。
いつものようにそのご報告です。

<前日までのご来場ご連絡>
まず
・いつも来てくださる鈴木さん
ラインに「マンツーマンコンサートになるかも」と返信

・ご近所の大坊さん
お父さんとお二人ということで勇気100倍。
「お一人しかご連絡がなくてマンツーマンコンサートを覚悟していたところです」と
返信

この時点で3人来てくださるということで一安心。

前日の夕方、自動車を運転をされない土屋さんからまさかの
「急に車に乗せてくださる方が現れました」
とのご連絡。

コンサートのお客様、前回同様5人決定です。よかった!
5人でよかったと思っている時点で首を傾げられる方もいらっしゃるでしょう。いつも無観客も覚悟しているのですから、5人ってすごい数です。
そもそもこのコンサート、私にとってはレジャー。そのレジャーに時間とお金をかけてきてくださるなんて、神!

<準備>
~前日~
立ち位置とカラピアノを流すためのスピーカーの位置を決め、バミリテープ
終わり

夕方、「行けなくてごめんなさい」と田中陽子さんからお花が届きました。
申し訳ないなと思いつつ、ステージに飾れてうれしいな。




















~当日朝~
・物品運搬
・椅子並べ
終わり

<本番>
ご連絡いただいた方プラス3名、8名のお客様!(かつての同僚の晶子さん、いつも来てくださる高瀬さん・・・高瀬さんはいつも来てくださるけれどご連絡はないので予定人数には入れられないのです、ご近所のMさん)

オープニングは「夢の世界を」。これは私が中学生の時はなくて、中学校の教員になった時点で教科書に掲載されていて、現在も掲載され続けている名曲。これを一人3重唱。

最初のコーナーは西野真理オリジナル訳詩シリーズ。
今回はシューベルトを6曲。
「ます」「音楽に寄せて」「魔王」「ミューズの子」
名だたる名曲とともに今回は、「ピアノ即興曲90-3西野真理オリジナル創作詩版」にチャレンジしました。正直なところピアノでこの曲を弾き続けてこられた方には受け入れていただけないかもしれません。でも、構いません。私は歌いたかったのです、この名曲を。歌詞をつけることになった経緯はとても不思議なご縁の積み重ね。それをトークでたっぷりお話しました。とっても簡単に書きますと
①偶然(買う気などなかったのに)購入したCD
②そのCDの演奏家とご縁ができる
③さらにそのCDのピアニストからCDをいただき、そのCDでピアノ即興曲90-3をバイオリンとピアノで演奏されているのを聞き、その素晴らしさに感動。私も歌いたいと思った。
ということです。
歌い終わった後、後ろの席で楽しそうに聞いてくださっているかつての同僚・晶子さん(音楽関係者)に
「ピアニストの皆さんには受け入れられなうでしょうか?」
「別のものだと思います」
ホッとしました。

次のコーナーは「山田耕筰童謡100全部歌うプロジェクト その5」
秘話・・・ではないですね。すでにブログに書いていますから。
ここも簡単に書きますと、予定していた「この道」はあまりに未完成であることが4日前の関定子先生のレッスンで判明。その代わりに「赤とんぼ」を入れ、せっかくなので以前、福光声楽セミナーで三林輝夫先生から教えていただいた「フランス語の赤とんぼ」も歌うことにしました。
そんなコンサート1日前、三林先生の訃報。今回の「赤とんぼ フランス語バージョン」は私のせめてもの三林先生の追悼の気持ちを込めさせていただきました。

ちょっと秘話、ありました。
「お菓子の汽車」という曲。4日前の関先生のレッスンで見ていただきました。ちょっと出にくい音があったことで。流石関定子、そんな時どうすればいいかきちんと技術指導してくださって、音の出にくさは問題なし。で、その曲、最後の歌詞が
「パックリ開いた犬の口」
私が歌い終わった瞬間、関定子
「ワン!」
私も今日のステージで取り入れました。

最後のコーナーは「秋の名曲」。
歌ったことがありそうでなかった「小さい秋みつけた」
秋と言えばこれ「まっかな秋」
団伊玖磨の勘違いが生んだ名曲「舟歌」
最後は小林秀雄の「落葉松」を一人3重唱。
自画自賛になりますが、この「落葉松」一人3重唱、頑張りました。頑張った部分は事前のパート録音です。この苦労は音楽関係者以外にはなかなか説明が難しいので、興味のおありの方には直接お話しいたします。

アンコールはもちろん、西野真理作詞・作曲の「防災の歌」
ついでに皆様に母の歌った「わがうた」のYouTube音源をお聞きいただきました。
「あちらに座っております私の母・92歳の11か月の歌です。私に歌を習うとうまくなりますよ!」
と参加者のいらっしゃらないSing幾多郎のCMタイムでした。
母、きっと嬉しかったと思います。






では今日の写真館。
最初にご来場連絡をくださった鈴木さん。いつも次回のチラシ配布をお手伝い下さって(配らせて)います。




















大坊晃子さんと超ダンディなお父様・中谷良作さんとご一緒に。





















この中谷良作さん、お帽子といい、服のセンスと言い素晴らしいですね。最初麻生太郎かと思いました。で、最近西野真理、高市早苗に似ていると言われますので・・・
麻生太郎と高市早苗







いつも遠くから来てくださる高瀬さん




















協力ファミリースタッフとともに









2025年11月16日(日)第43回美女コン 2025年11月16日(日) 

本日2025年11月16日(日)13:40~第43回美女コンです。
以前、その日初めてご来場くださる方から
「ブログのどこを見ればいいのかわからない」
とご指摘を受け、それもそうだと、当日改めてご案内をブログにアップすることにしました。(チラシと会場地図)
楽しくクオリティーの高い西野真理の美女コン、休憩なしの歌とトークの1時間20分。
皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
































追悼・三林輝夫先生 2025年11月15日(土)

今日は義父の49日と納骨。快晴の中、無事納骨も済みました。
お夕飯は49日でいただいた豪華なお弁当。
美味しく食べ終えたところで、なんとなくfacebookを見ると関定子先生の投稿。
「二期会でお世話になり 奏楽堂コンクールでもお世話になった 三林輝夫先生がお亡くなりになった 楽しいお話が思い出される先生であった 残念である」

ああ~・・・そうなんですね。
私は三林先生の直接の弟子ではありません。でも、福光声楽セミナーフランス歌曲コースで先生のお教えを受けるチャンスが何度かありました。そこでフランス歌曲を教えてくださる先生から感じたのは
「フランス音楽が好きで好きでたまらない」
というお気持ち。その時歌ってくださった「ヴィラネル」という曲、今も私ははっきり覚えています。その時初めて聞いた曲ではありましたが、あまりに先生が楽しそうにお歌いになるので、私は1度でその曲が大好きになりました。そして、その2日後に行われるフランス歌曲コースの簡単な発表会に向けての選曲のとき
「君これ歌う?」
と言われ、2日でその曲を歌いました。今思えば無謀ではありますが、先生の楽しさに乗せられた大切な思い出です。そしてその後その曲は日本語訳詩をし、今も時々美女コンで歌っています。

このブログに書いてありますように、明日の第43回美女コンで私は「赤とんぼ」を歌います。もちろん「赤とんぼ」は三木露風作詩の日本語の曲です。でも今回はまず、フランス語で歌ってから(1番だけ)日本語の「赤とんぼ」を歌う計画を立てています。私が取り組んでいる「西野真理オリジナル訳詩による外国オペラ・歌曲・・・『わかって歌いたい』『わかって聴いていただきたい』」を逆の立場で体感していただくためです。
そのフランス語の楽譜を下さったのが、三林先生。
明日の美女コンの「赤とんぼ」のコーナー、私の三林先生へのせめてもの追悼とさせていただきます。

↓おそらく40歳代半ばころの西野真理と三林先生
(福光声楽セミナー最終日のパーティー)














Wikipedia情報
<三林輝夫>
三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月2日 -2025年11月 87歳 )は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、合唱指揮者、公演監督。

経歴
新潟県出身。1961年(昭和36年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、1963年(昭和38年)同校声楽専攻科修了。木下保、渡邊高之助、古沢淑子に師事。デビューは1963年の東京労音のオペラ『フィガロの結婚』でのバジリオ役で、これ以降二期会や東京室内歌劇場他で数多くのオペラ、オペレッタ、創作歌劇に活躍している。

また、日本におけるフランス歌曲の第一人者として十数回にわたるリサイタルで高い評価を得ている。日本歌曲の演奏でも、その明瞭なディクションと深い表現には定評があり「ビロードのような」と定評のある美しい声を披露してきた。



再生回数の理不尽実験動画 2025年11月14日(金)

人間、努力が報われないなんてこと、ろくに努力しませんけどよく知っいます。その証拠に、私のYouTube動画、かなり頑張って歌いアップした動画は30再生なのに、ちょっとしたお知らせ動画が300回以上再生されたりと、理不尽この上ありません。

以前、息子に勧められて見た、おじさんが公園の遊具で遊んで振り落とされる何万再生もされた動画。実は、あれをアップしたおじさん、普段はちゃんとしたものを地道にアップされているらしいのです。でもたまたま撮れた遊具振り落とされ動画を冗談半分アップしたらまさかの再生数。

それでは私もやってみましょう。努力のかけらもない動画がどれくらい再生されるか実験。

デッキに野良猫が来ました。2年間来ているのに全く懐きません。その猫をスマホで撮ってアップしてみようではありませんか!

「懐かない猫」
1日で2958再生されました。


「春の横浜に歌う」その2 エントリー 2025年11月14日(金)

「春の横浜に歌う」その1 をお読みになってからどうぞ

昨日、11月12日は関定子先生のレッスン。そのレッスンでは3月の美女コンで歌う予定のリスキー・コルサコフの歌曲・西野真理オリジナル訳詩版をメインで見ていただく予定でした。しかし、今週末に迫った第43回美女コンの曲も、関定子お墨付きをいただいておいた方がいいに決まっています。そこで、レッスン会場に美女コンで使うスピーカーを持ち込み、美女コン同様、カラピアノでもレッスンをしていただくことにしました。

このレッスンで1人重唱にOKをいただいたこと、また「この道」は問題山積であることが判明したことはこれ以上ない収穫。なにより関先生がお手本に歌ってくださった「この道」は、ただレッスン代をお支払いするだけで聴かせていただいていいのだろうかという素晴らしいものでした。先生の素晴らしすぎるお手本を聴いてしまったことも相当影響して、帰宅後、「この道」は今回やめることを決断。一人で、小さな会場で、プログラムも自宅プリンター印刷だからできることです。かわりに「赤とんぼ」を入れることにしました。

その日の夜、「春の横浜に歌う」にペアピアニストとして出演していただく近藤陽子ちゃんにお電話。
・山田耕筰童謡100、今後の演奏計画
・「春の横浜に歌う」のエントリー曲
・陽子ちゃんと二人で、陽子ちゃんのご自宅近くでいつかコンサートをというお話
など、お話がはずみました。

翌朝(11月13日)、昨日のお話をもとに、以前の山田耕筰童謡100演奏計画を考え直した一覧表を陽子ちゃんに送信。その後再度お電話。
そのお電話では、
・陽子ちゃんが関先生ホームレッスンアシスタントピアニストの日を見計らって、二人で山田耕筰童謡100のレッスンを受ける計画
・「春の横浜に歌う」の選曲。第1案:廣木良行作曲の「星とたんぽぽ」「花屋の爺さん」「祈り」第2案:「祈り」「浦島太郎」。第2案に決定
・「祈り」の後奏に1つよくわからない音があるけれど、これで正しいのかな?
など、またまた楽しい会話が続きました。
※その後作曲者の廣木良行さんに確認。正しいことがわかりました

さて、無事エントリー曲も決まったので、早速エントリーしようとしたところ、演奏時間記入の必要があることを思い出しました。10分以内です。「祈り」は6分強。「浦島太郎」4分くらいのはず・・・と思い込んでいたら、「浦島太郎」は5分10秒。はい、アウト。

再び陽子ちゃんにご連絡。
第1案の「星とたんぽぽ」2分10秒、「花屋の爺さん」1分10秒、「祈り」6分10秒

第1案でエントリー完了いたしました。
あとは塚田佳男先生の選考結果を待つだけ。
選考結果はおそらくその3に書けることになるはず。どうぞお楽しみに。

牛タン焼肉からの残り火おでん 2025年11月12日(水)

午前中母と二人のSing幾多郎を終え、午後は関定子先生のレッスン受講のため富山へ。3月の美女コン用のリムスキー・コルサコフ 西野真理訳詩4曲だけのつもりが、今週末の美女コンの曲も見ていただいて、本当に見ていただいてよかったとほっとしながら帰宅。

夕飯は牛タン焼肉。コストコで特売していた塊100g498円(切ってあるのは598円)
私が帰るまでに彼が炭をおこしてくれていて、準備万端。




















後は焼いて食べるだけ。
ちょっと寒かったけれど、蚊もいないしお庭焼肉には最適。
↓焼きおにぎり





















さて、お肉を全部焼き終わって後は片づけるだけになっても、炭はまだまだちゃんとしています。これは今回だけではないので、そういう時の準備も万端。
ほったらかしおでんです。
大きなお鍋にじゃがいも、ニンジン、エリンギ、鶏肉、ゆで卵などを入れて、お水とおでんの元をいれて、炭の上に置いておくだけ。
おでん泥棒が来ませんように。








                                                               

咄嗟の判断、入会中止 2025年11月10日(月)

腰痛がいつまでも続く中、先日マッサージを受けているときマッサージ師さんから
「ほぐすのも大事ですけど、筋肉も付けた方がいい」
と言われたことを思い出し、ジムに通うことを考え始めました。ジムと言ってもムキムキのお兄さんが通うところではありません。おそらく皆様よくご存じの中高年女性をターゲットにしたKというあのジムです。かほくイオンの2階だし通いやすいと思ったので。
そう思った1週間程前、ネットで体験申し込み。その後お電話をいただいて、11月10日11:30~の体験が決定。

実はこのKへは3年前にも1度体験に行き、断念したという経験があります。
このブログに書いたはずだと思うのですが探せませんので、そのときのことを思い出して書いてみます。

体験へ行くとまず若いトレーナーさんから問診というか、色々な質問をされるところから始まりました。その質問というのが、
「〇〇はどうしてだと思いますか?」
の〇〇が、絶対考えてもわからない事柄。それなら私はさっさと
「〇〇はこうなので、このジムでこうすることで、△△になるんですよ」
みたいに教えて欲しい派なのです。そしてそのような質問が延々続きました。私はその時点で耐えられなくなり、若いトレーナーさんに
「すみません、帰ってもいいですか?」
と聞き、慌てたトレーナーさんはとりあえず体験をさせてくださって、一応体験は終わり。入会することはありませんでした。

あれから3年、腰痛と天秤にかけて入会する気になり始めました。そして電話がかかってきたとき、正直に3年前のことを伝えました。

今日になりました。用意してくださると言われたのに、ちゃんと内履きも自分で用意してKの入り口前に11:25到着。
その瞬間に入り口から見えたのがご近所のAさんの姿。その時Aさんは別の方に話しかけていらっしゃいました。
この瞬間、私は入会中止を決めました。ここは私の苦手なところ。私は静かに誰ともしゃべらずトレーニングをしたいのです。幸いAさんは私に気づいていらっしゃいません。念のために書いておきますが、Aさんはいい人です。

Aさん発見の直後に、私にお電話をくださったと思われる方が近づいていらして
「お待ちしていました」
と、とても感じよく話しかけてくださいました。
「すみません、実は私、お断りしに来たんです。せっかくお時間を取っていただいたのにお電話でお断りするのも失礼だと思って」

こうして私の中高年女性対象ジムへの入会は中止となりました。

帰ってブログを書きました。


西野真理と吹奏楽:西尾正則先生古希コンサートに思う 2025年11月9日(日)

これを書き始めたのは、西尾正則先生古希コンサートの10分休憩中から。
(吹奏楽のコンサートで、西尾先生は主に指揮)
西尾正則先生のこと、知っているようでよく知りません。でも先にそれを書かないとおわかりいただけないと思うので、頑張って書いてみましょう。

西尾正則先生
多分1955年生まれ(今年が古希だから)。石川県穴水町出身。東京音楽大学器楽科トランペット専攻卒業。石川県の中学校音楽科教諭。教頭。吹奏楽部顧問として全国大会金賞を2回以上。
※全国大会の出場回数など、詳しくご存じの方、コメント欄で教えてください m(_ _)m

西尾正則先生がいらっしゃらなかったら、私は歌の活動を続けるどころか、大人になってから歌の勉強を再スタートさせることもできなかったかもしれません。
そのお話に敢えて題名をつけるとすれば
「教員生活37年、西野真理吹奏楽部顧問回避の歴史と西尾正則先生」
それでは はじまりはじまり。

山口県出身の西野真理、彼と結婚するために石川県の教員採用を受け、愛の力で一発合格。そしてその初任校が石川県河北郡津幡町立津幡中学校でした。当時津幡中学校は一学年10クラスのマンモス校で、しかも音楽が各学年週2回ある時代だったので、音楽科の先生は3人。転出されたお一人のかわりに入ったのが新採用の私。
私の前からいらしたお二人のうちのお一人が西尾正則先生でした。

ここ最近、教員の過重労働の源「教員の部活動からの解放」が急速に進んでいます。でも当時は部活動全盛時代。私はひょっとして吹奏楽の顧問をしなければならないのではないかと不安でした。吹奏楽の顧問の大変さが想像を超えることはわかっていたからです。
ところが、津幡中学校には、後に全国吹奏楽コンクール常連となる西尾正則先生と、さらにやはり吹奏楽大好きなもう一人の先生がいらして、私なんか全く必要なし。
まず吹奏楽との関わりの最初をクリアしたのです。

6年後、私は津幡中学校から内灘中学校へ異動。そこには数年前に西尾正則先生が先に異動されていて、何の心配もありません。また、そこにも吹奏楽大好きな先生がもう一人。
2校連続で吹奏楽部クリアです。

8年後に異動したのは、マンモス校解消のため津幡中学校から分離する形でできた新設校・津幡南中学校。こちらは、前の学校からの顧問の先生(英語)がそのままということで問題なし。

4年後、金沢市立北鳴中学校へ異動。ここではもう覚悟しないわけにいきませんでした。今までは音楽の先生が複数でしたが、ここでは私一人なのです。しかも以前の吹奏楽部顧問は音楽の先生。私がやるしかなさそうです。しかし、ここに同時に異動してこられたのが、西尾正則先生に追いつけ追い越せと河北郡で吹奏楽を頑張っていらした理科のM先生でした。私は恐る恐る
「ね~Mさん、吹奏楽持ってくれる?」
「僕にやらせてくれるの!」
3校目クリア。

ここまでくればもう「西野真理は吹奏楽部を持たない人」と認知されています。

3年後再度内灘中学校に異動。そこでは西尾正則先生たちが頑張っていらした頃の生徒がすでに教員になり、吹奏楽命で頑張ってくださっていて、全く問題なし。

10年後、金沢市立港中学校に異動。ここには、西尾正則先生の教え子で津幡中学校吹奏楽部西尾先生顧問時代に全国大会出場経験者のT先生(国語)が。北鳴中学校同様
「私がやっていいんですか!」
ありがとう!

ラスト3年は初任校の津幡中学校。ここでは私が行く前から吹奏楽大好きな国語のO先生、続いて私を追う形で港中からT先生。

このように最後の勤務校まで音楽科でなくても「吹奏楽大好き先生」と必ずご一緒するパターンが続き、私は無事歌の勉強を続け、コンクールを受けたりコンサートを開催したりしながら教員生活を終えることができたのです。
そんな最初の段階から後進の育成までの大恩人
西尾正則先生、古希、おめでとうございます!

今回のコンサートは演奏中の写真撮影OKでした

















↑西尾正則先生久しぶりのトランペット演奏
(指揮は教え子さん)



コンサート終了後ロビーで






立憲いしかわオープンセミナー第2回に行ってきました 2025年11月7日(金)

こちらをお読みになってからだと、よりわかりやすくお読みいただけます。

立憲いしかわオープンセミナー第2回 
演題:政党って何
講師:近藤和也(立憲民主党所属・衆議院議員)
2025年11月6日(木)19:00~20:00
金沢市鞍月KCビル5階会議室













今回参加するにあたって、私は私が勝手に文章の師と仰ぐ倉島保美さんのこの文章を頭に置いて臨みました。ノートの取り方に関しての文章です。(このシリーズ全部お読みになることをお勧めいたします)
以下に総論部分を引用させていただきます。

<総論>
ノートの取り方の連載。今回は、何を授業ノートに取るのかである。授業ノートに取るのはまとめではなく、具体例や例えなどの詳細だ。詳細をノートに取るので、「鉛筆の先から摩擦熱で煙が出る速さ」でメモっていく。このような授業ノートの取り方をすると、講義に集中せざるを得ない。頭をフル回転するので、疑問も多く湧くし、頭が痛くなるほど疲れる。
(note 倉島保美「ノートを取るスキル(何をノートに取るのか)」より)

私には無理でした(涙)。
もちろん、今回のセミナーは授業ではないので少々違うかもしれません。それにしても、近藤さんのお話の内容をノートに「摩擦熱で煙が出る速さ」でメモるのは不可能。そもそも漢字が書けません。いちいち
「今の言葉、漢字でどう書くんだったかな?」
と考えているうちにお話は進みます。
たとえば「とうぎこうそく」???「党議拘束」。
やっぱり、漢字書き取り学習は大事です。

それでも何とかメモをとれたことの中で、印象的だったことを書いてみます。

~まず今回の参加状況~
前回の半分くらいに人数は減っていました。前回は土曜日の14時から、今回は平日の夜ということも関係していると思われます。

演題:政党って何
講師:近藤和也(立憲民主党所属・衆議院議員)
・政党の始まりは明治時代、戦後再スタート
・現在の国政政党数は12
・自由民主党は長く続いているイメージがあるが、実は自民党もいろいろ変わってここまで来ている
田中角栄の場合:日本自由党→民主自由党→自由党→自由民主党
中曽根康弘の場合:民主党→国民民主党→改進党→ 日本民主党→自由民主党
・近藤和也の場合は、民主系政党の再編に伴いここまで来た。だからよく「近藤さん、今何党にいるの?」と聞かれる
        :民主党→民進党→希望の党→国民民主党→立憲民主党
・政党:基本方針が同じ塊
・会派:議会の中で政党は違うが、個別の問題に関しては同じ考えを持つグループ
・政党に属すると地方議会での情報がたくさんもらえるメリットがある
・政党交付金は国全体で315億円。そのうち立憲民主がもらっているのは81億円。立憲民主の活動の8割はこれで賄える。日本共産党はそれを全く受け取っていない
・石川県七尾市の場合、議員の7割は自民党だが、公認をもらっているのは3人だけ
 (私はこの意味がよくわかりませんでしたが、質問しそびれました)
・政党に所属すると「党議拘束」がかかり、自分の意見と違ってもそれにしたがわなければならないというデメリットもある
・政党の評判のいいときにだけ近寄って来る人は、評判が悪くなるとすぐ出ていく。いかがなものか

~2024年の能登半島地震の時のこと~
被災者生活再建支援法・・・全壊300万円ではとても足りない!

1月24日 近藤和也、国会で質疑
     法案提出(立憲民主、国民、維新 3党が共同で提出)
2月1日  政府から新たな交付金の提案
2月27日 特例交付金
※提出した「予算を削って交付金に充てる」という部分は否決された形で、新たに1000億円の支援という形で可決された

~政治の世界に入った時のこと 他~
・野村証券に「10年したら辞めます」と面接で言ったのに、採用してもらった
・野村証券8年目に小泉さんが郵政民営化を打ち出した。そのときの身内に対するやり方があんまりだと思い(それまで味方だった人に対しても、民営化反対の人には対立候補を出して落としたり)自民党ではない党から選挙に出ようと思った
2007年 参議院公募応募
2009年 衆議院1期
2012年 2014年 2016年 落選
 ・落選すると本当に情報が入らなくなる
2017年 2期
2021年 3期
2024年 4期
 ※西野真理、車上運動員として参加。20時のTV開票速報で瞬間に当確が出てびっくり!
  この時選挙事務所にいて撮影した写真
  ↓




~その他印象に残ったこと~
・質疑応答の時、ある女性が、涙を浮かべながら近藤和也さんの政治姿勢を応援し、人によっては自民党を支持しながらも個人としては近藤さんを応援している人がたくさんいる、というようなことを語られていたこと
・このセミナーの司会進行役の荒井さんという男性。長身で顔だちも雰囲気も良く、いったいどういう方なのか気になりました。先ほどの女性も、「次回の選挙頑張ってください」というようなエールを送られていましたし。そこでブログを書きつつ調べました。
以下、荒井さんのInstagramから引用。

PROFILE 
立憲民主党 あらい淳志
1994年4月30日、石川県金沢市生まれ。30歳。
戸板小、長田中、金沢泉丘高、
慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。
株式会社北國新聞社記者を経て、
2021年10月の第49回衆議院選挙に石川1区から出馬。
浪人中も政治活動を継続しつつ、地元の消防団活動などに参加。


次回、12月17日のブログもお楽しみに。

・・・一日明けて振り返ると、昨日はなかなか楽しく忙しい一日だったことがわかりました(ブログ参照)

野村康子追悼展覧会(西田幾多郎記念哲学館) 2025年11月5日(木)

野村康子追悼展覧会へ行ってきました。
会期 2025年11月3日から9日まで(4日はお休み)
場所 かほく市西田幾多郎記念哲学館ホワイエ





















絵のことなど全く分からない西野真理がいろいろ言うのは何ですが、とても素敵な作品です。
是非ご自身の目でお確かめ、お楽しみくださいませ。

瞑想の空間に展示されている様子


瞑想の空間上部







母も一緒に
向こうに見える大きな2つの絵は、内灘町への寄贈が決まっているそうです



素敵な絵を堪能した後は、2階のカフェでおぜんざいをいただきました。


安藤忠雄設計の西田幾多郎記念哲学館






母がいつも散歩させてもらっている、イオンを眼下に




















「春の横浜に歌う」その1 出演者募集 2025年11月5日(木)

朝からインフルエンザの予防接種に行き、色々しているうちにお昼になり、そろそろ歌の練習をと思っているときに郵便物が届きました。その郵便物は所属している日本歌曲の会「みずほの会」(歌手とピアニストによる)主催のコンサート開催のお知らせ。この会では、コンサートを開催したり、公開レッスンを主催したりと結構熱心に活動が繰り広げられています。しかし私は、会費を払うだけの、ほぼ幽霊会員。コンサートに出演しなくなって7年は経っているはず。

そんな私に届いたお知らせが
「春の横浜に歌う」
出ましょう。
横浜だから。
「横浜だから」の理由は二つ。
①なっちゃんに会いに行くという口実ができる
②お誘いしようと思っているピアニストの陽子ちゃんが横浜在住

歌の練習のことなど、どこへやら。
陽子ちゃんに出演を考えている旨ライン送信。
その後、陽子ちゃんから、
・もしかすると別件が入るかもしれない
ことや
・出場できることになった場合の選曲のこと
など、すぐに対応していただき、とっても楽しい気持ちになりました。
もう、来月にでもステージのような気持になっています。

あ、このコンサート、応募者の中から塚田先生の選考により出演者が決定されるので、ピアニストのご都合もわからないわたしは、申込書さえ書けないのです。
でも、しました。
ホテルの予約!

その2へ続く

閉院 2025年11月4日(火)

毎月1回のレディースクリニック受診。金沢市の丘村レディースクリニック。
通院のきっかけは学校で倒れたこと。その後すぐに復活したものの、なんとなく不調で友人から教えられたこちらへ。その後割に重めの貧血や更年期障害が判明したりで、以降月に一度通い続けてきました。
特別悪いところはなくても、継続して服用する薬があること。そして、やさしい丘村先生のお顔を拝見して、月一度なんとなく無駄話をするのは、私の健康習慣の一部だったと言っても過言ではありません。

そんな今日、FM放送を終え、お天気もいいのでチューリップ植えなくちゃと思っていたところに思い出したのが月一回の通院。

いつものようにクリニックの玄関を入ると、正面に貼り紙。
「令和8年1月で閉院いたします。長い間ありがとうございました。院長」
先生辞めちゃうんだ・・・

診察です。いつものように特に悪いところもないのですけれど。(腰痛は有り)
「先生、辞めちゃうんですか?」
「いつまでもだらだらとやるのもね」
「先生、私の歌の会に歌いに来てください!」
「車ないもん、ここから歩いて駅まで行ってまた歩くの大変だよ。昔合唱部に入ってたから、歌は好きなんだけど」
と、いつもの無駄話・・・診療終了。

12月、もう1回来ます!

腰痛報告ちょっと続き 2025年11月2日(日)

昨夜から何となく体の調子が悪く、足のぞわぞわ感でよく眠れないまま、なんとなく朝を迎えました。

朝になって
「これは久しぶりに、いわゆる『風邪気味』」
であるとの自己判断をしつつ、Sing幾多郎会場へ。
会場ではちょっと咳も出ながら11月16日の美女コン通し練習。
その後、もちろんどなたも参加者はいらっしゃいませんので、母と二人でSing幾多郎。

帰宅後
「やはりこれは風邪」
と、市販の風邪薬を飲みました。
なんと、これが今までで最も効いたのです!
腰痛も喉の不快感も足のぞわぞわ感もなくなり、嬉しくなりました。

その後、練習の録音を聞きつつ、3時間お昼寝。
目覚めるともうそろそろ薬は切れ気味の感じ。やや腰痛気味。
飲んじゃえ!
本日2回目の風邪薬です。
・・・実は、風邪薬が体のよくわからない不調や、肩こりの時効果があるということはかなり前から感じていて、仕事をしているときはよくお世話になっていたことを先ほど思い出しました。ただし、皆さん、これはあくまでも西野真理自己判断、自己責任の行動です。念のために。



腰痛報告 2025年11月1日(土)

今回の腰痛、しぶといです!
信頼の加茂整形外科に2週間に1度通っているのに、一向に良くなりません。
加茂先生のお言葉
「痛みを恐れず、良く動かすこと」
これはちゃんと続けています。よく歩くしよく動きます。幸いなことに、立ってする様々なことには全く支障がありません。歌なんて、何時間立って歌っても大丈夫。
腰痛ストレッチもYouTubeであれこれ見て積極的にやっています。
マッサージにも1度行きました。その時はとてもよくなりますが、長続きしません。これにはもう1回行きたいと思っています。

さて、加茂整形外科では、最初鎮痛剤として「アセトアミノフェン」を処方されていました。先生からいただいた資料によると、急性痛と慢性痛では飲む薬が違い
<急性痛>
ボルタレン ロキソニン 等の消炎鎮痛剤
<慢性痛>
アセトアミノフェン(カロナール) リリカ ワントラム ツートラム

私の場合、発症が7月、長引いているので最初アセトアミノフェン(副作用が少ない)を処方されていました。しかし、効果が表れないのでツートラムに変更。これも、初めの1日はとても効果があったように感じたのですが、長続きしませんでした。そこで、最初の25mg処方を50mgへ。

そして昨日、加茂整形外科へ。
「先生、ツートラム増量していただきましたが、どうも効果がありません」
ツートラムの服用は止めることになりました。ツートラムを飲んでよかったことは、これといった副作用がなかったこと。ただ、やたら眠かったので、あれは副作用だったかもしれません。帰宅後、あと3日分残っていたツートラムを片づけました。

夕食後、
「ツートラムはもう飲まないのだし、ダメもとで市販薬を1度試してみようかな」
家にあった消炎系の鎮痛剤(イブプロフェン)を飲んでみることにしました。
40分ほど経って・・・
あれ?なんとなく痛みが軽くなっています。
私の痛みはまだ急性痛の段階だったのかもしれません。

現在翌日の朝。今までよりも痛みがかなり軽くなっている気がします。
このブログを書き終えたら、もう一度イブプロフェン飲んでみます。

今日のブログが腰痛でお困りの方に何かしらお役に立てれば幸いです。
しかし、この内容は「人によります」し、「個人の感想」です。必ず専門のお医者様に見ていただきましょう。
腰痛でお困りの方、頑張りましょうね!


毎年恒例チューリップ球根公園植え(埋め)と球根購入 2025年10月30日(木)

なっちゃん来県もあり、今年は少し出遅れました。
近所の公園へのチューリップ球根植え(埋め)。
ブログを始めてから毎年この時期このことについては書いているので、なぜ「植え(埋め)」かという理由も毎回書いています。
また書きます。

同僚のYさんから
「チューリップは植えさえすれば何もお世話をしなくても必ず芽が出て花が咲き、『春になった』と思わせてくれる」
と聞いて以来、私も毎年秋になるとチューリップの球根をホームセンターで買って、プランターに植えてきました。
Yさんの言ってくれた通り、毎年春には春の気分を味わわせてくれるチューリップ。その咲き終わった後の球根は、そのまま置いておいても翌年には咲きません。まず球根が2つに割れて、その後7年でやっと咲くのです。ですから自宅で毎年春にチューリップを楽しみたければ、毎年新たに買って植えなければなりません。

では、咲き終わった後の球根をどうするか?
そこで閃いたのが
「引き上げた球根を秋まで取っておいて、近所の公園に植える(埋める)」
事でした。
そうしておけば、7年後には咲き始め、それを続ければ7年後からは毎年必ず咲くはずです。

思いついたら行動。
町内の公園除草作業が10月中旬に行われますから、その後が最適。
それを毎年やっているのです。

初めてそれをしたその翌年の春、チューリップが咲くことなど全く期待していなかったのですが、ちらほら咲いているではありませんか!きっと種類によるんですね。
1年目からそうだったものですから嬉しくなって、その後毎年続けて現在に至ります。

今日は快晴。公園へ出動!

家の裏に置いてあった昨年の球根






公園に到着。
ブランコの向こうに見えるゴミステーション、昨年までは公園の外にあったのですが、先月公園内に移動。昨年まではよくその場所に植えていたので、今年からそこには植えられません。でも逆に、昨年までのチューリップは誰に踏まれることなく、丈夫に咲きそうです。



































↓昨年春の公園







今年はそこから90度まがったところに植えることにしましょう。





















土をかぶせておしまい。








それでは春まで、ごきげんよう!
あ、我が家のチューリップ、まだ植えてません。まず球根買いに行かなくちゃ!

買ってきました。
ついでにガーデンシクラメンも。




なっちゃん初石川県関連3日間 その4・帰りの足止め2時間 2025年10月27日(月)

箱根の森彫刻美術館を出て、ガソリンも入れ、高速に乗り20時には石川県へ着く…予定でしたが、こんなこともあるんですね。

掛川SAで遅めの昼食。
実は行きもここ(反対車線ですけど)へ寄ったんです。






















↑私はギョーザだけ。行きに食べたラーメン、美味しかったのですけれど、あまりに量が多くて残してしまったので。

さあ、ご飯も済んだので車に乗って・・・と思った時に館内放送。
「ただいま高速道路でトラックの車両火災が発生し、通行止めとなっております。しばらくお待ちください」
私たちが向かう方向にあるトンネル手前での事故のようです。
いつまで待つのでしょうか?事故による犠牲者の方がいらっしゃらないことを祈りつつ、待つしかありません。

2時間経ちました。





















やっと帰れます。
それでもその事故のあった付近は少し渋滞。

22時15分 到着

お土産のお菓子たち(全部自分たち用)





なっちゃん初石川県関連3日間 その3・石川県へ帰りがてら箱根彫刻の森美術館 2025年10月27日(月)

なっちゃんのふわふわほっぺにもうしばらく触れられないのは残念ですけれど、次を楽しみに石川県へ帰ります。
でもせっかくなのでどこかへ寄って帰りましょう。
ムーミンパークやスヌーピーの何かしらも思い浮かびましたが、それはなっちゃんが大きくなって一緒に行くのもいいかなと思っていたところにひらめいたのが
「箱根彫刻の森美術館」
多分帰り道方向だし。

ホテルを9時に出発して、カーナビもあるのに途中何度か道を間違え、それでもいい感じの時間に到着。
入場料2000円、駐車料金3時間まで500円。

結論から言うと、私たちがたまたま行った今回の日、とてもよかったようです。
そもそも彫刻の森美術館って、私が想像した感じと全く違っていました。下調べもせず出かけたから当然ですけどね。私は芝生の広場みたいなところに点々と彫刻が置いてあるのだと思っていました。違います。
そうそう、お客様の9割外国人!

<彫刻の森概要>
・かなりの広さ
・相当な高低差
・山道を歩くような場所あり(ハイヒールはやめましょう)
・杖が必要な人にはちょっと無理
・日陰なし
・屋外だけでなく、展示館もある
・足湯あり(自販機でタオル売ってます)

<今回良かった点>
①天候
ここ、夏で30度超えるような日は絶対無理だと思います。よほどの暑さ対策しないと。
まだ冬の方がましな気がします。でも冬だと途中の道路が凍結していた場合、箱根のぐにゃぐにゃした狭い道、相当危険。私は怖いです。
また、晴れてないと辛いと思います。
私たちの行った時は雨上がりで、気温もちょうどいい感じでした。

②季節・日時
春の新緑シーズン、秋の紅葉シーズンはとんでもない数の観光客が殺到すると想像されます。娘によると
「11月の休日に向かったら、箱根の町にすら入れなかった」
とのことでした。
また、月曜日のお昼だったせいか、人もそれほどではなく、駐車場の待ち時間なし、入場券を買う場所の待ち時間なし、食べなかったけれどレストランで並んでいる人もなし、お土産物コーナーの待ち時間なし、トイレの待ち時間なし。

<彫刻の森写真展>
どこも写真撮り放題
入ってすぐ、岡本太郎がお出迎え




















何かわからないけどすてき














中に入れます(入らなかったけど)





















螺旋階段で登っていけます(登らなかったけど)
本当にきれい!























作者本人が型を取ったそうです





















おもしろい(何かの本でこの写真を見た気がします)















こんなところばかりだと思っていた、想像していた風景。
実際は高低差かなりあり














今回たまたまやっていた野口哲哉作品展。これが一番楽しかったかも













































ピカソ館もあります














お土産に買ったTシャツ



西野真理の色々なお話

「ひと、能登、アート。」に行ってきました 2025年11月17日(月)

令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨 復興支援特別展 「ひと、能登、アート。」 と題された美術展に行ってきました。 ↑のチラシでおわかりのように、あの教科書で見た「麗子像」見れるんですよ!風神雷神も見れるんですよ!行かなきゃいけないでしょう。 しかも、 ↑「内灘以北の方は無料...