急性虚血性大腸炎 2025年12月24日(水)

急性虚血性大腸炎、私ではありません。母です。
一昨日「お腹が痛い」というので、病院へ行こうと言いましたが、その日は行かずじまい。結局翌日の23日病院へ行くと「急性虚血性大腸炎」。ネット検索するとそれほどの重病ではありませんでした。しかし、93歳。何が引き金で大変なことになるかわかりません。

病院でお薬をいただいて、その後は順調に回復。
本日は、いつものように歌を歌い、クリスマスということで「諸人こぞりて」を撮影してYouTubeへ。



ただ一つだけ残念なことがありました。
先日のブログに書きましたように、母にいただいた横浜中華街の点心セット、クリスマスイブにみんなで食べる予定でしたが、母は「数日、油物を食べるの禁止」。点心セットおあずけです。
クリスマスイブ、我が家は「おうどんを入れた、油物なしの鍋もの」。
注:申し訳ないですが、母以外は油ものもケーキも食べます

《急性虚血性大腸炎  AI情報》
急性虚血性大腸炎は、大腸への血流が一時的に悪くなることで、突然の強い腹痛(特に左下腹部)と、その後に続く下痢や鮮血の混じった血便が特徴の病気です。高齢者や便秘気味の女性に多いですが、若年層にも見られ、高血圧や糖尿病などの生活習慣病との関連もあります。多くは一過性で自然に治りますが、重症化すると腸管が狭くなったり(狭窄型)、壊死(壊疽型)したりすることもあり、手術が必要になるケースもあります。

2026年・第19回八ヶ岳声楽セミナー参加見送りの危機回避の早業 2025年12月23日(火)

まずこれをお読みください。

やっぱり堀内さんに電話しよう!
毎年3月に開催される八ヶ岳声楽セミナーのご案内がまだ来ません。ご案内が来ないので、来年の開催時期を来年のカレンダーに当てはめ、来年は3月16日(月)~3月20日(金)と予想。そこを外して祖母の33回忌法要での山口県行を3月27,28,29と決め、お寺に連絡、ホテルも予約しました。う~ん・・・でも万一・・・今年の曜日並びだと、その次の週の可能性もあります。どうしようかな~堀内さんに電話しようかな~~~しましょう!

「堀内さん、次の八ヶ岳、いつですか?」
「あ~ごめんね、チラシまだできてこなくて、まだ送れてなくて。今日には来ると思うんだけどね。23(月)~27(金)」
「あ~~~~~~~祖母の33回忌で最終日の27日、朝から山口県へ向かわなくちゃならないんです」
「なんだかホテル側が16日からの週、都合悪くて、1週間遅いんだよね」
あ~あ、今年は行けなくなっちゃった・・・と思う間もなく名案が浮かびました。
「堀内さん!最終日のコンサート失礼するってありですか?前日のラストレッスンまではちゃんと参加して、レッスン後に帰宅させていただくってありでしょうか?」
「あ~~、いいんじゃない。これまでわりとキメキメでやって来たけど・・・最後のコンサートだけ参加できない、まあ、いいんじゃない」

あ~よかった。
セミナーのアシスタントピアニストの美智さんにその旨ライン連絡。

電話とラインを終えて数分後。
「・・・33回忌を1週間前倒しすればいい!」
まずはホテルに空きがあるかどうか確認・・・OK
お寺に電話。21日(土)に変更できますか?・・・OK
母に電話。1週間前にしてもいい?・・・OK
27日から2泊3日のホテルキャンセル。
同じホテルを20日から2泊3日で予約し直し。
親族に変更案内。
堀内さんと美智さんに「33回忌1週間前倒ししました」連絡。

堀内さんへ電話したのが14:10、前倒し連絡まで終えたのが14:52。
こういう仕事の手際の良さは、我ながらすごい!


東京ホテル物語(リフレインが叫んでる) 2025年12月22日(月)

わかりました!
ずっと心に残っていたドラマが何だったのか! 
それはTBSドラマ「東京ホテル物語」全4話(1989年・石川秀美主演)だったのです。

私はこの全4話のドラマの最終回だけたまたま見て、あまりの素晴らしさに今でも感動とともに思い出します。その感動シーンというのは、ラストシーン。そこに、これ以上・これ以外ないという感じで流れるのがユーミンの「リフレインが叫んでる」。
それを時々思い出し
「あのドラマは何だったのだろう?」
と思い続けていたのです。
ただ、私の記憶の不確かさは半端なく、
・NHKのドラマ
・1985年より前
・最終回のラストで「リフレインが叫んでる」が流れる
3分の2間違っていました。探せるわけがありません。

しかしつい先ほど、暇に任せて
「リフレインが叫んでる ドラマ」
でネット検索したところ、Wikipediaの「リフレインが叫んでる」が表示され、その中に「東京ホテル物語」の記述。いとも簡単に見つかってしまいました。

私が見た最終話。最終話だけでもなんとなく状況はわかって、最終話だけなのにたちまちドラマに引き込まれました。
その最終話の私の記憶。

風俗業に従事する若い女性。その子は風俗関係ではない場所でたまたま知り合った、エリートの男性と結婚することになりました。
結婚式の司会者を男性の親友に頼むことになり、食事がてら3人で会うことになります。

食事会場はちょっと高級な感じの料亭。
2人が個室でその親友を待っているとき、女性はトイレへ行くために個室を出ます。そしてトイレから個室へ戻ろうとしたとき、部屋へ入っていったのは、風俗店で自分をいつも指名してくれていた男性でした。
女性は個室に戻らず姿を消します。

男性はなぜ女性が姿を消したのか訳が分からないまま、女性を探します。
(時の経過はよくわからないけれど、すぐにラストシーン)
そしてラストシーン。
長かった髪をバッサリ切った女性と探す男性が車道を挟んですれ違います。もちろん二人とも気づきません。女性は晴れやかな表情、男性は悲しみに疲れた表情。
そのバックにユーミンの「リフレインが叫んでる」。

もう一度見てみたい、心に残るドラマです。

以下は、「東京ホテル物語」の公式サイト情報。
原作:阿刀田高 
(阿刀田高さんだったんですね!私の大好きな作家です)

石川秀美主演。東京のシティホテルを舞台に描かれる、資産家の中年男性と若い娘の切ない恋の物語。石川演じる風子は、忘れ物を捜しに戻ったホテルで大企業の副社長・吉村と出会う。偶然知り合った二人は距離を縮めていくが、吉村は風子の意外な正体を知ることに…。吉村役を演じるのは平田満。また、探偵の行沢役で大竹まことが出演。原作は直木賞作家の阿刀田高。1989年作品。

第1話 チェック・イン・LOVE
吉村省二(平田満)が風子(石川秀美)に出会ったのは、東京のシティホテルにチェックインしたすぐ後のこと。風子が吉村の部屋に昨夜落としたイヤリングを捜しに来たのだ。

第2話 恋はキャンセル?
見合い相手が吉村(平田満)の部屋に押しかけてきたところへ風子(石川秀美)がやってくる。誤解して姿を消した風子を捜すため、吉村は探偵の行沢(大竹まこと)に依頼を。

第3話 恋・延長
ある晩、吉村(平田満)は風子(石川秀美)を誘って飲みに行き、結婚を前提として付き合って欲しいと申し込む。しかし、風子は吉村との身分の違いに戸惑う。

第4話 チェック・アウト・LOVE
吉村(平田満)の熱意に負け、風子(石川秀美)は結婚を決意。さっそく二人は結婚式の打ち合わせのため、司会を頼む吉村の親友に会うことになった。しかしその親友は…。


プレゼント 2025年12月21日(日)

午後、クール宅急便が届きました。
娘からかな?
え!T橋K枝さんからです。
なぜ???
いただいたのは横浜中華街の点心(?っていうのかな)たくさんの詰め合わせ。





















T橋さんは私の訳詩を買ってくださった数少ないお客様のお一人ですから、どちらかと言えばこちらから菓子折りの一つでもお送りしなければならない方です。
電話しましょう。

会話調で書くと長くなるので、結論。
T橋さん、私がYouTubeにアップした、母の歌唱動画に対してクリスマスプレゼントをくださったのです。
母の歌唱動画をアップした目的の一つには
「『90歳を過ぎても歌える!』と、どなたかに思っていただけるといいな」
ということもありました。
もちろんT橋さんは母とは違って音楽大学のご出身ですし、まだまだお若い。それでも、そんな風に謙虚に母の動画を見てくださってプレゼントまでお送りくださるとは。

お礼に最近お気に入りの西野真理訳詩
「マーモット」
の訳詩リズム譜をメール送信させていただきました。


母のバスタブ 2025年12月19日(金)

93歳の母は、我が家のすぐ近くで1人暮らし。身の回りのことははもちろん、買い物にもお天気さえよければ自分で。お天気の悪い日は、私の車でイオン。「年の割に元気」と言ってよいかと思います。

そんな母ですが、ひざが若いころのようには曲がらないと言います。そのため、夏以降浴槽に入らず、シャワーで済ませています。夏の間はよかったのですが、現在12月。浴槽に浸かってもらいたいのが正直なところ。しかし、浴槽がやや深めで、うまくまたげなくなっているようで、お湯を張ろうとしません。

そこで娘・西野真理は考えました。
「ベビーバス、または小さな赤ちゃんプールを洗い場に置く」

早速インターネット検索。私にしては慎重に様々なことを検討しました。
まず母の家の浴槽、洗い場の長さを測り、次に、これぞと思った商品のサイズはもちろん、お湯を張った後、簡単にお湯を流せるかどうか、さらに、その商品が簡単に収納できるものかどうか。

写真で見て、長さも確認して、それでも思ったのと違う!というのはよくあることですが、思い切って注文してみました。
それがこれ↓小さいですし、簡単にたためるようです。



























届きました。





















母はまだこれに浸かる気はないようですが、それでも、足だけでも浸せて、悪くもないようです。今後使い方を考えてみようと思います。

残り火おでん 2025年12月19日(金)

今日の夕飯は、BBQ…と言っては言い過ぎ、彼がデッキテラスに作ってくれた焼肉スペースで、牛タンを焼いて食べました。その炭をおこすと、お肉を焼いている時間はそう長くないので、まだまだ火力十分の炭が燃え続けます。

そこで思いついたのが
「残り火おでん」
BBQ前に材料をお鍋に入れておいて、食ベ終えたらお鍋を網の上に置いてそのまま。
朝にはおいしいおでんができています。丸ごとジャガイモのおいしいこと!
夜におでん泥棒が来ないことを祈るばかりです。

↓焼きおにぎり。お肉を撮るの忘れました。













































デザートにドーナツをたべました。




帯状疱疹予防接種 2025年12月18日(木)

「帯状疱疹の予防接種を受けましょう」
という広報をここ数年(?)よく聞くようになった気がします。私はこのように一般に騒がれる前から怖い病気だという感が働き、予防接種済み。そこで自信満々に家で彼に
「帯状疱疹の予防接種受けてきてね」
と何度も言っていました。
ところがふと、
「私はいつ受けたんだっけ?」
と考えると、どんなに最近だと思おうとしても5年は前のこと。そして先ほど過去のエッセイを読んでみると、2018年のエッセイに
「数年前に帯状疱疹の予防接種を受けた」
という記述がありました。つまり、どんなに最近でも2017年より前に受けたのです。8年は経っています。

帯状疱疹が大変だというのは、雅子皇后陛下が、皇太子殿下妃の時代に帯状疱疹に罹患されたことが大きく報道されたことで知りました。
「水疱瘡の菌が体の中に残っていて、それが高齢になり免疫が弱くなった時に騒ぎ出し、大きな痛みを伴い、それが長く続く人もいる」
私の解釈はこのようなものでした。
詳細はネット検索してお確かめくださいね。



























そんな最近、3人の知人友人の帯状疱疹罹患のお話を聞きました。
・義姉のお父さん
 帯状疱疹後、強い痛みが残っている
・かつての同僚M子ちゃん
 帯状疱疹後、強い痛みが続き、顔も腫れ、とにかくつらかった。そんなとき同僚A子さんからペインクリニックの情報を得て通院し、痛みから解放された
・歌手仲間M美ちゃん
 手術後帯状疱疹にかかり、痛くて眠れない日もあった。最近ようやく薬が合ったのか、痛みから解放された

M美ちゃんとの電話で↑のお話を聞いた後すぐ、いしざき皮膚科に電話。予防接種はなんとなく皮膚科で受けます。皮膚科ならインフルエンザとか他の病気の人との接触がなさそうだから。それとここ、ドクターが女性だから。すると
「今申し込んでいただければ、明日の午後接種可能です」
予約しました。

帯状疱疹の予防接種は、簡単に書くと次のようになっています。
・8000円(1回で効果短め)タイプ
・40000円(2回セットで長持ち)タイプ
の2タイプ。
65歳以上から5歳刻みで補助が出ます。
63歳の私は、今は効果の短い8000円で受けておいて、65歳になったら補助をもらって40000円の効果長目を受けようという作戦です。40000円のうち、いくら補助していただけるのかわかりませんが、長く続く痛みを考えれば安いものです。

本日14:30、接種終了。
ちょっとチクッとしたくらいです。

立憲いしかわオープンセミナー第3回に行ってきました 2025年12月17日(水)

立憲いしかわオープンセミナー第1回が10月11日、第2回が11月7日、そして今日が3回目。
19:00~20:30 金沢市鞍月KCビル

今日のテーマは「選挙を学ぼう」
講師は衆議院議員の近藤和也さん。





プログラムは
①選挙(運動)と政治(運動)
②政治活動でできること
③政治活動で注意すること
④選挙に勝つために
⑤お金のはなし
⑥政党とのかかわり
⑦SNS

もうお判りでしょう。これは選挙に出ようかな?と思っていらっしゃる方のためのセミナーですね。もちろん立候補する気などない、「有名人に会う」とか「芸能人の握手会に行く」ノリの西野真理。でも真面目に参加しました。

始まる3分ほど前、隣にお座りになった男性が
「内灘中の先生でしたか?」
内灘中で教えたMさんでした。ごめんなさい、覚えていません。セミナー後に少しおしゃべりして、彼はこれから選挙に出ようと思っているということがわかりました。がんばれ!

では、気になったことだけ箇条書き。

①選挙(運動)と政治(運動)
選挙運動・・・その時だけのこと。選挙は一瞬。
 ・町議選 5日間 ・市議選 7日間 ・県議選 9日間 ・衆議院選 12日間
 ・知事選 17日間 ・参議院選 17日間

政治活動・・・地元の祭りに顔を出すなど
       議員活動を頑張っても、一般の人にはわかりにくい

③政治活動で注意すること
選挙運動でダメなこと
・立候補者の名前を書いたタスキ×(「本人」「挑戦者」〇)
・のぼり旗に名前を書いたもの×(原則)
・選挙に出ると言って挨拶に行く× 文章× 「今度選挙に出ます」×
  ↑これを、友人がやってもダメ
・お金には特に注意
・新人は「お金がありません」アピールが大事
・寄付×(ただし、参加費をその金額通りに払うのは〇)
・ご馳走する×(友人がやってもダメ)
・戸別訪問×(訪問活動は〇?・・・わかったようなわからないような・・・)
 
④選挙に勝つために
・好かれること、敵を作らないこと
 ただし、有権者数が少ない場合は、強度の高い政策が効果的な場合もある
・地縁、血縁は政策を超える
・100人の聴衆より3人の異体同心の支援者
・実務は、極論3人いれば選挙はできる
・活動計画
 対象地域を回る 町内会から推薦をいただく 
 街頭演説 選挙準備

⑤お金のはなし
 ざっくりとした必要金額
 供託金 30万円(町議15万円 市議30万円 県議60万円)
 印刷代 80万円(ポスター代は公金)
 事務費 60万円(家賃※家を事務所にすればいらない インターネットetc.)
 用具費 車 音響 看板 etc.
 人件費 うぐいす 運転手(公金)スタッフ
 これを合計すると250万円だが、100万円でもできる

⑥政党とのかかわり
 立憲民主の場合
  ※女性議員を増やしたいという思いから、女性の方が優遇されている
       男性公認料   女性公認料
 県議 現職  80万円    100万円
    新人  100万円    150万円
 市議 現職  30万円    50万円
    新人  30万円    50万円
 町議 現職  20万円    50万円
    新人  20万円    50万円

私は最初このお話を勘違いしてたまま聞いていました。公認料って、選挙に出る人が政党に「認めてください」って支払うお金だと思い込んだまま聞いていたのです。途中からあれ?って思いはじめはしたもののそのまま。
今日になってこれを書くために、立憲民主党をネット検索したところ・・・あ!逆でした。おまけに「落ちたときは返さなくていい貸付金」も、あるそうです。

以上、私の記憶に残ったお話でした。

最後に近藤さんが
「何かご質問は」
と参加者に呼びかけられました。そして、なんとなく指名されてしまったので、せっかくなのでご質問しました。
「先日の国会質問の時、総務副大臣がとてもフレンドリーなお答えをくださいました。それは何か根回しというか、事前に何かあったのでしょうか?」
この質問というのは、近藤さんの
「能登半島地震で解体された家の跡地、建物のない土地は固定資産税が6倍になる。何とかならないか?」
というもの。
近藤さんはそのことを皆さんにご説明された後で
「先に質問は提出するけれども、あのようにお答えくださるというのはその人の人間性」
ということでした。そういう答弁を引き出すことができたのは、近藤さんのお人柄や頑張りであると思います。

次回は来年、2026年2月7日。講師は立憲民主党の小川純也さん。映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」の方です。(まるで最初から知っていたように書きましたが、今調べてわかりました)

過疎ビジネス~コンサル栄えて国滅ぶ~ より 2025年12月15日(月)

この内容は、2025年12月16日(火)10:00からのFMかほく生放送での原稿として書いたものです。ぜひFMもお聴きくださいね。78.7MHzでお聞きいただけない遠くの皆様は、ネット配信でもお聞きいただけます。また生放送ですけれど、YouTubeにもアップしますので、水曜日以降いつでもお聞きになれます。(YouTubeは生放送時もあり)
※今回操作を失敗して、画像が撮れていません。静止画で音声のみとなります

<ノンフィクション作品 「過疎ビジネス」~コンサル栄えて国滅ぶ~>
今日はYouTubeチャンネルで最近多く取り上げられている、「過疎ビジネス」という本についてのお話です。
私はこのことを全く知らないまままず、YouTubeで見ました。それがあまりにも興味深いので、検索してみると、ほかのYouTubeチャンネルでも取り上げられていて、私は同じ内容を5つのYouTubeチャンネルで見ました。それぞれに聞き手の角度が少しずつ違っていて、5つ見ても飽きることはありませんでした。この本の作者で河北新報の新聞記者の横山勲(つとむ)さんが出演されているものもありました。意外に分かりやすかったのは、YouTubeではありますが音声のみの、河北新報オンラインチャンネルで、横山さんが、もう一人の新聞記者の方とお話されていたものです。

そして始めはこの内容をYouTubeから書き起こしてFMでご紹介するつもりでした。結果的にはそうなのですが、あまりに興味深かったのでYouTubeでは飽き足らず、本を購入してしまいました。購入して読んだ結果思ったのは、
「FMで全部読みたい!」
でした。
しかし、さすがにそんなことはできないので、涙を呑んで敢えてYouTubeから抜粋で書き起こしたものを今日は皆様にご紹介いたします。

それでは始めます。

この本は宮城県仙台市に本社を置く河北新報記者の横山さんが、第73回菊池寛賞を受賞したノンフィクションの本『過疎ビジネス』です。この本には「コンサル栄えて国滅ぶ」という相当強い副題も付けられています。
地方創生政策の裏側に広がる「過疎ビジネス」の実態と、企業版ふるさと納税を悪用したマネーロンダリングの疑惑について詳細に解説しているものです。

まず、これに登場する「コンサルタント会社」についてご説明します。実は私自身もよくわかっていなかったので、とても勉強になりました

コンサルタント会社(コンサルティングファーム)とは、企業や組織が抱える経営・戦略・IT・人事などの様々な課題に対し、専門知識と分析力を用いて分析・解決策の立案・実行支援を行い、企業の成長や変革をサポートする専門企業です。単に助言するだけでなく、プロジェクトチームを組んで深く入り込み、実行まで伴走するケースも増えており、戦略系、総合系、IT系など専門分野で多様なファームが存在します。

ずいぶん前のことですが、在職中同僚に、
「コンサルタントってなに?」
と聞くと
「西野さん、先生に歌のレッスン受けてるでしょう?会社がレッスン受けてるって感じだと思うよ」
と答えてくれたことがありました。あの時の同僚はなかなか良い例えで分かりやすく端的に教えてくれたなあと思います。

コンサルタント会社の問題点として2つ挙げてみますと
1つ目が、事業運営経験の不足:
 戦略立案は得意でも、実際の事業運営や現場経験が不足しているコンサルタントも存在します。また、最終的に責任をどこまで負うか、契約にもよるでしょうが曖昧です。

2つ目は資格や実績の見えにくさ
コンサルタントは特定の資格がなくても名乗れるため、実力や実績が見えにくく、依頼側が質の高いコンサルタントを見極めるのが難しい場合があります。

では話を戻します。
横山さんは、入社後の地方回りや震災報道をされた方で、今回の報道の中心舞台となったのは福島総局時代のことです。
今回の取材のきっかけは、
「この町の町長、副町長、教育長といういわゆる特別職3人と、総務課長の給料を勝手に上げた」
という、いわゆるタレコミからでした。横山さんはそのことを調べているうちに、今回のことに気づき、取材を進めていくことになりました。

問題の根源は、2014年から始まった第二次安倍政権下の「地方創生」にあります 。人口減少と都市集中という構造的な課題への対策として始まったものの、10年が経過しても成功例は限られていました。その裏側で、地方の窮状につけ込む「過疎ビジネス」が横行したのです。

その事例の一つが、横山さんが取材した福島県国見町の事業。国見町は宮城県と福島県の県境にある人口8000人ほどの町です。

そこに近づいたのが、宮城県にある防災ゼリー製造会社「ワンテーブル」。
この会社は地方創生コンサルタント会社も兼ねていました。そして総務省の地域力創造アドバイザーという肩書きを持っていた元社長を中心に、国見町に対して
「高規格救急車を大量に購入し、研究開発を経て他の自治体へ貸し出す」
という提案をします。(最終的に12台の救急車を購入)
国見町は自前の消防署を持たない広域消防組合の管轄下であり、そもそも救急車のリース事業を行う必然性がない、「意味の分からない事業」だったと横山さんは指摘しています。
この不可解な事業の資金源は
「企業版ふるさと納税」
でした。ワンテーブルは、グループとその関連会社3社から、合計で4億3200万円という巨額の寄付を国見町に取り付けていました。

国見町は事業を公募型プロポーザルで発注しました。

プロポーザルとは自治体や企業が業務委託先などを選定する際、単なる価格競争ではなく、提案内容の質(企画力、技術力、実績など)を総合的に評価して最適な事業者を選ぶ「企画競争入札」方式のことです。

それにワンテーブルの元社長がアドバイザーとして募集要綱の作成に介入 。その結果、ワンテーブル一社のみが応募し受注に至ります。ワンテーブルは、事前にDMMグループ傘下の救急車ベンチャー「ベルリング」と業務提携を結んでいて、最終的に「DMMグループ(寄付)→国見町(受入)→ワンテーブル(受注)→ベルリング/DMMグループ(実働)」という、公金がぐるりと一巡する構図が完成しました。
このDMMというのは石川県の会社です。

企業版ふるさと納税は、法人税などから最大9割の税額控除が受けられるため、ほぼ公費に近いお金が使われることになります 。
横山さんが入手した10時間近い音声データには、ワンテーブルの元社長がこの仕組みについて
「超絶いいマネーロンダリング」
であると公言し 、また地方議会を
「雑魚だから言うこと聞けばいい」
自治体職員を
「バカ」
だと見下し
「うちが第2役場」
と豪語する発言が記録されていました。
さらに、地方自治体を
「誰も気にしない自治体だからいいんですよ」
と、やりたい放題の意図を明かしていました 。

この音声データの入手先についてはYouTubeでは明らかにされていませんし、本にも「X」として匿名での登場です。本では横山さんがXに対し
「こんな音声データをあなたが私に渡したら、だれが音声データをとれるかすぐわかって、Xさんの身に危険があるんじゃないか」
と心配されますと
「社長はどこでも同じようなことを平気で言っていたので問題ない」
とのことでした。

~自治体側の責任と機能不全~
横山さんは、こうした事態を引き起こした責任について、コンサル会社だけでなく「自治体側の問題の方が実は大きい」と強調しています。
役場側が事業の妥当性を深く検証せず、公金を使っているという意識が曖昧になり、コンサル会社による他者排除の仕組みに加担していた点を批判しています 。

これについては私もこれらのYouTubeを見ながら、議会は機能しなかったんだろうか、こういうことのために議会があるんじゃないか、という疑問はかなり抱きました。

自治体のチェック機能が麻痺している背景には、少子高齢化による地域社会の疲弊があります。国見町では、町議会が2回連続で無投票・定員割れを起こすなど、行政の担い手やチェックする側の地元人材が枯渇しています 。
中央政府や首長のオーダーに追われる中で、現場が手一杯になり様々な事業の「外注」が常態化。その結果、公金の意識が薄れ、行政の感覚が麻痺していったと横山さんは分析しています。

~地方自治の未来に向けた提言~
横山さんは、4日間の新聞に対して読者から
「新聞が楽しみ」「負けるな」
といった強い共感と応援を得られたことは、地方のニュースを伝えることの重要性を再認識させられたとおっしゃっていました。

今後の地方創生については、成功の定義を皆で議論し、
「夢を見てる暇があったら現実を見た方がいい」
と主張しています。

なかなか厳しい意見ですが、その通りだと思います。

人口が半減するという避けられない未来を見据え、何を維持し、何を幸せとするのかを地域住民自らが考え、そこから逆算して行動するべきだと訴えていらっしゃいました。
そして、地方自治が今後進むべき方向性を示す事例として、北海道むかわ町での取材経験を挙げました。
その地域の一住民は、コンサルタント会社に頼るのではなく、古いからすぐ壊すとかではなく、新しいものを建てずに、自分たちで
「今あるもののさびれ方をちゃんと考えて愛されて遺されるような町」
にしたいと語ったといいます。
横山さんは、この「さびれ方」を自分たちで考えるという姿勢こそが、外からの安易なスキームに頼らない、本来あるべき地方創生の鍵であると締めくくりました。

~おわりに~
ここまで書き起こしてご紹介しましたが、本当はこの100倍くらい興味深い内容が綿密に取材して書いてあり、最初に申し上げた通り、
「全部読みたい!」
気持ちでいっぱいです。
みな様、ぜひ本をお買い求めになってお読みください。

参考にしたYouTubeチャンネル
↓積読チャンネル
https://youtu.be/PykrNPpH8QM?si=OtkBuuXnZBI4kkgp
↓ニュースの争点公式チャンネル
https://youtu.be/y_5szIiVFW8?si=UvPxHO1jG-MvnLxm
↓文藝春秋PLUS 公式チャンネル
https://youtu.be/aCFq7yQ3xn4?si=2IfI-sWXi1jbq1q-
↓Fラン大学就職チャンネル
https://youtu.be/4RilC3QOILw?si=ANhvrNtjsGIejyLE


丘村クリニック閉院カウントダウン 2025年12月15日(月)

53歳6月19日、私は丘村クリニックを初めて受診しました。あれから間もなく11年、もうすぐ64歳になります。一生お世話になろうと思っていたのに・・・。丘村先生は閉院を決断され、2026年1月末が閉院と決まりました。丘村先生への感謝を込めて、丘村クリニック関係エッセイ(過去に紙媒体で販売していたもの)2作品を貼り付けます(かなり長いです)。

先生今までありがとう。でもあと1か月あるので、また行きます!

↓診察室で記念撮影










☆以下、過去のエッセイなので、文体が違います。

 53歳、お腹にシール(2015年のエッセイより)

<はじめに>

こうなってみると、なぜ早くこうしなかったのかと悔やまれるが、わからなかったのだから仕方がない。
そう、私にもやってきた更年期障害。
今回はその治療のお話。

<なんとなくの知識>
更年期障害ってものを、なんとなく知っていた。
なんとなくの一番の始まりは、私が小さいころからテレビで見ていた
「命の母A」
のCMである。
なんだかよくわからないが、女の人特有の病気があって、それに効く薬のCMをやっているのだといつの間にか知っていた。
そして、いつ聞いたのか、誰から聞いたのよくかわからないが、
「暑くもないのに、すごく汗が出る」
「急に顔がほてって、汗が出る」
とか
「めまいがする」
「立ちくらみがする」
「頭痛がひどい」
ということも聞いた。
それからしばらくして、更年期障害という言葉をなんとなく認識し始めてから、私が自分に対して言い聞かせていたのは
「私は汗も出ないし立ちくらみもしないから、まだ更年期障害ではない」
自分が年をとったとは思いたくないし、
「コウネンキショウガイ」
という響きもよくない。
私は更年期障害ではないと思っていたかったのだ。
あとでわかったことだが、更年期障害は人によって症状が全く違うらしい。
また、私は
「サンフジンカ」
「フジンカ」
の違いも認識していなかった。
「サンフジンカ」という熟語ではなく、「産科」と「婦人科」であり、婦人科ではお産を扱わないのだ。
「男女共同参画」を推進している連合青年女性委員会委員長の立場としても、この病名と病院名、何とかした方がいいような気がする。
更年期障害・・・過渡期症候群
婦人科・・・・・女性科
とか。

<私の症状?>
私の症状?と言えば
・早起き・・・年を取ればみんな早起きになる。別に更年期だからというわけではないんじゃないかな。そのころ4時半起床。
・まぶしい・・・ものすごく、まぶしい。眼科で相談したら「サングラスかければ?」っていわれた。
・ちょっぴり頭痛・・・頭痛薬を飲むって程でもない、微弱な頭痛。
・耳鳴り・・・セミが鳴いてるみたいな感じ。
・のどの渇き・・・喉の奥がくっつくような感じ。

<初婦人科>
急に思った。
「そうだ、サンフジンカへ行こう!」
産科・婦人科・産婦人科の区別ができていない私は熟語:産婦人科を色々ネット検索して、ある産婦人科にしようと思ったとき、会話のついでに同僚の景子さんに話したら
「丘村レディースクリニックは婦人科で、産科がないから待ち時間も短くていいよ」
と教えてくれた。
そこにした。…けど、決めた日はちょうどそのクリニックの定休日だったため翌日に変更。
2015年6月19日、53歳西野真理、婦人科初潜入。
入ってみると女性ばっかりだし、予想に反して私より若い人…っていうか、20代~30代と思われる女性ばかり。
丘村クリニックのおそらく丘村先生は、ヤギみたいな優しそうなおじさん。
「53歳にもなれば、たいてい更年期の症状が出るから、とりあえず血液検査しましょう。今日は調子よくする注射打って、様子見てみましょう」

…ってことで、調子をよくするらしい注射「プラセンタ注射」を打っていただいて帰った。
あとで同僚の能岡(よしおか)さんに話すと、
「プラセンタって、よく芸能人が打ってるよ。美容にいいんだって。化粧ノリが良くなるとか。でも、保険効かないと3000円くらいするらしいよ。え?西野さん500円!じゃ、私も行く」
と、その後能岡さんも更年期障害仲間になってプラセンタを打っている。

6月24日、クリニックへ検査結果の問い合わせの電話。
「血液検査では、間違いなく更年期の症状出てるね。今日?6時までやってるよ」
ってことで、夕方診療へ。
「ホルモン治療しましょう」
って聞いて、なんとなく恐ろし気なムードを感じたが、なんと
「お腹にシール」
だった。
「先生、お腹にシール貼るだけなんですか?薬飲まなくていいんですか?」
「飲みたいなら飲むのもあるけど、飲むと、胃とかあちこち通るでしょう。貼ると直接成分が届くからね」
「へ~すごいですね」
「これ、お腹に1日おきに貼って。場所変えてね。これからは診察受けたければ受けてもらってもいいし、注射だけしに来てもいいよ。注射はまあ、週に1本か2本でいいと思うよ」
プラセンタ注射を打って、薬局で1か月分のシールを15枚もらった。
            
ベージュで、お腹に貼ってあってもほとんど見えない。お風呂に入ってもはがれない。

<治療効果>
私のこの、冬は暖かそうなお腹に貼って、ちゃんと成分がしかるべき場所へ届くのだろうかという心配をよそに、効果は恐ろしいほど早く出た。
・おそらく1週間もしないうちに、朝、目が覚めなくなった。
・耳鳴りが軽くなった。
・微弱な頭痛がなくなった。
・汗はもともとかかなかったが、そういえば、頬のあたりにちょっと汗をかくことがたまにあったが、それも全くなくなった。
・いつの間にか、喉の奥がくっつくような感じがなくなった。
・まぶしいのはあんまり変わらない。

<おわりに>
いくつか思うことがある。
まずは、自分が年を取ったことを認めたくない気持ちはわかるが、さっさと治療を受ければもっと楽だったはず。私も、(過去に書いたエッセイにもあるが)46歳の時(学校で倒れたとき)、婦人科に来ておけばよかった。
人によってはもっと早く行く方がいいかもしれない。
自分はうまく情報を得られなかったけれど、これからの若い人にはうまく情報が伝わるといいな。

その後、のどの不調で大変だった時も、婦人科の治療を合わせていれば、もっと早くよくなったんじゃないかと思う。

そう考えると、お医者様たちはもっと連携してっていうか、自分の患者さんを自分だけの患者にしておかず、例えば私が倒れた時の内科のお医者様や、のどの不調でかかった耳鼻科のお医者様は一言
「婦人科へも行ってごらんなさい」
って、言っていただけるといいのにと思う。


子宮内膜増殖症
      ~全身麻酔手術初体験記~(2016年のエッセイより)

※このエッセイは、美女エッセイPART14に載せようかどうしようか、かなり考えました。私のエッセイの性質上、誰にでもお読みいただくにはややためらわれる部分があるからです。最初は女性、また男性の場合は恋人や配偶者のいらっしゃる方に、エッセイをご購入いただいた際に付録として挟んでお渡ししようかとも考えましたが、やはりこういうことこそ西野真理にしか書けないと思い、思い切って掲載を決めました。

<「お腹にシール」から>
いわゆる更年期障害の治療を始めて(詳しくはエッセイPART13「53才 お腹にシール」をお読みくださいませ ※上のエッセイ)色々と調子が良くなってきたが、治療前は
「もう閉経が近くて、生理もあまりこないのかな」
くらいに生理周期がかなり長くなっていたのに、治療を開始してからは生理が1か月ごとに来るようになっていた。

そんな2015年12月初旬に始まった生理がいつまで経っても終わらない。それどころかどんどん出血量が増えはじめ、2016年1月中旬にはかなり頻繁にトイレに行かなくてはならなくなり、月末には
「おむつがいるんじゃない?」
ってほどの量になってしまった。

実はそのころ、プラセンタ注射のために毎週1回ちゃんと丘村レディースクリニックに通っていたが、プラセンタ注射だけなら診察していただかなくていいし、以前、やはり生理が続いたとき先生にご相談してみると
「閉経が近くなると、たまにしか生理が来なかったり、いつまでもだらだら続いたりするからね」
と言われて、そんなものかと思っていた。
しかし、
「これはいくらなんでも普通じゃない。こんなに出血したら出血多量で死んでしまうんじゃないか」
と思うほどになり、ちゃんと診察を受けることにした。

<診察>
2016年1月26日(火)
「先生、生理がずっと止まらなくて、おむつがいるんじゃないかってくらいの出血量になってるんです」
「いつ生理始まったの?」
このとき私はそれがいつからかはっきり覚えていなくて、
「多分お正月くらいです」
あとで日記帳をみると、12月初旬に始まっていた。1ヶ月も違っている。人の記憶っていい加減なものだ。
「じゃ、ちょっと診てみるよ」
 内診が始まった。
「内膜がかなり厚くなってるね。今日は出血止めの点滴しておくけど、処置は早い方がいいから・・・手術は水曜日と金曜日だから、できれば明日これる?」
 即座に仕事がどうとか言っていられないと判断した私は
 「はい、明日お願いします」
 「午前中にするからね。手術そのものは10分くらいだけど、痛いから全身麻酔でやるよ」
「じゃ、午後は仕事に行けますね」
「いや、全身麻酔だしフラフラする人もいるから、この日の仕事はやめたほうがいいね」
「わかりました」

<欠席連絡>
学校に連絡した。
学年主任の山下さんは女性だし言いやすかったが、教頭先生は男性だしどうしようかなと思ったものの、子供さんもいらっしゃるし、ここははっきり言った方がスッキリする。
 ・子宮関係の処置
 ・1日で終わる
ことを言ってお休みすることにした。
山下さんも教頭先生も私の体を心配しながら気持ちよく欠席連絡を受けてくださった。

もう1件連絡しなければならない。
明日は夕方から連合石川青年女性委員会主催で行われる、国際女性デー開催についての会議が行われることになっていた。青年女性委員会主催ということは私が主催者代表ということだ。代表の私が欠席ってこれはダメだ。代表と言っても実質は連合石川本部の男性・半田さんがやってくださっているのだが。

半田さんに電話した。
「半田さん、明日どうしてもはずせない用事ができて会議に出られない。ごめんね。山本さんには私から連絡するから」
山本さんは元学校の先生で現在金沢市議会議員の女性。
やはりこのような事情、女性になら話がしやすく、電話で事情を説明すると山本さんはすぐに事情をわかってくださり、労いの言葉をいただいて、気持ちよく会議を欠席させていただくことができた。

ここでちょっと、県の男女共同参画会議・連合青年女性委員会委員長・石川県女性基金など、女性の立場で色々と顔を出している関係者として書かせていただくと
「世の中は女性男性半分ずつなんだし、どんな集まりにも男女半分ずついるのがいいな」
自分にこんなことがあってはじめて、男女共同参画などの必要性を感じた。
で、このあたりのことはちょうどいいので、後日、国際女性デー主催者あいさつで使った。転んでもただでは起きない西野真理であった。

<熱帯魚の水槽>
2016年1月27日(水)手術当日。
「9時には来といてね。8時半から開いてるよ」
といわれてクリニックに8時半に行ってみると、看護師さんと先生で朝のお掃除中。
先生は熱帯魚に餌やり中。

この可愛らしい小さな熱帯魚ばかりいる水槽には、1匹、ほかに比べてかなり大きな、有明海にいる「むつごろう」みたいなちょっと悪そうに見える魚がいる。
実は先日、こいつが熱帯魚を食べているのを目撃していて、嫌なやつだと思っていた。先生に言いつけてやろうかと思ったが、手術前だし我慢した。そして、以前から思っていたことを質問してみた。
「先生、この水槽きれいですけど、どうやって掃除するんですか?」
「これね、あの大きい魚が水槽の内側についた苔とかみんな食べるから、掃除あんまりしなくていいんだよ」
 あいつは結構いいやつらしい。

<手術>
前夜9時から飲食禁止。ちゃんと守った。
9時過ぎ、まず手術着に着替えた。
10時手術室。なにかしらの点滴。
10時過ぎ、その点滴のなかに麻酔投入。
「麻酔薬入れますから、ゆっくり数を数えてください」
「い~ち、に~い・・・・」
 21まで数えて目を開けたら手術が終わっていた。
 10時50分だった。(手術室の時計でしっかり確認)
 麻酔から覚めた第一思考は
「これから手術かな?」
 だった。
 麻酔ってすごい。
 毎晩寝るときに
「これで目が覚めなかったら死んだってことだな」
 と思うので、麻酔の前も
「これで目が覚めなかったら死んだってことだな」
 と思いながら横になっていた。
 目が覚めてよかった。
 私はきっと死んでもわからないな。

その後14時までベッドで点滴しながら寝ていたが、点滴でたくさんの水分を入れたせいか、点滴を犬の散歩みたいに引っ張ってトイレに2回も行った。
「フラフラして歩けない人もいらっしゃるけど、元気ですね」
と誉められて嬉しかった。
どんなことでも誉められると嬉しいものだ。
手術費用は14,950円。

<子宮内膜増殖症>
その後ネットで調べた子宮内膜増殖症について書いておきます。

そもそも生理っていうのは
「子宮というベッドがあって、そのベッドにいつ受精卵が来てもいいように子宮内膜というシーツを20日位かけて敷くのだけれど、そこに受精卵が来なかったら、一旦そのシーツを剥がして、新しいシーツと取り替えようとする」
ようなものらしい。
しかし、何かの誤作動(?)でそのシーツが取り替えられないまま2枚も3枚も重ねられてしまって、分厚くなってしまった状態が子宮内膜増殖症。
今回の処置は、分厚くなってしまった内膜を全部剥がしてもとの身軽な子宮に戻してしまうものらしい。
ただ、1度こうしてリセットしたから、もうそうならないとは限らないようだ。

その後の検査の結果、悪性でないことも判明してひと安心。

<まさかの症状>
この手術の時、思わぬことが判明した。
貧血である。
私は54才になるまで、
「顔色が悪い」
なんて言われたことがなかった。
今回の手術で一番いやだったのは、手術の前日、食事・水分制限の他に看護師さんから
「お化粧しないで来てくださいね」
と言われたこと。
(あ~お化粧してない顔、人の前にさらしたくない)
と思いつつ、逆らうわけにもいかずノーメイクで行ったら、先生から
「顔色も悪いね」
と言われ、結構ショックだった。
本当のことを言うと、眉だけ描いて行った。
冷静に考えれば12月から丸2ヶ月、あれだけ出血すれば、貧血にもなろうというものだ。
先生にお聞きしたところ、普通の人の血液はなんだか知らないが
「12~16」
 という数値だが、重症の貧血数値が
「6以下」
 西野真理は
 「8」
 だそうで、わりと悪そうだ。

後でさらに貧血についてネット検索すると
・立ちくらみ・疲れやすい・朝から眠い・ちょっとの階段でも息切れする
・顔色が悪い・固いものを食べたくなる・手足が冷える
などの症状が貧血の症状として書かれていた。
見事にあてはまっていた。
ただ一つ、私に全くあてはまらないものがあった。
・寝つきが悪い、寝起きが悪い 
ぱっと寝て、ぱっと起きます。

健康を過信していた。
この言葉、以前に別のエッセイにも書いた気がするが、もう一度書いておこう。
「皆さん、体は有限です。健康の過信はいけません」
2016年2月現在、週1回、プラセンタ注・鉄分補給(?かな)注射・出血止めの点滴に通院中。

<余談>
このエッセイ、北陸自動車道徳光PAの2階無料休憩所で書いています。そう、美女エッセイPART13にも書いた、ロジクールウルトラポータブルキーボードを使い、スマホで自分のgmailに保存するという方法で。
なぜこんなところで?
今日は土曜日。
昨日ちょっと腰を痛めたので、小松の加茂整形外科に行き治療を受けた帰り。で、現在ダイエット中(貧血なのに・・・ちゃんと鉄分をとるように心がけています)。
家にいるとエッセイを書きながらついつまみ食いをしてしまうから、ここなら大丈夫。しかもここ、オーシャンビュー!!!!!青空が広がり・・と書きたいところだが今日は雨でちょっと惜しい。
冷暖房完備。
誰もいない。
執筆に最高。
そんな執筆中に娘から電話がかかってきた。
「今、徳光PAにいる?」
「どうして知ってるの!!!!」
「今、徳光に寄ったらティアナが停まってたから」
 娘はこのころ福井在住だったが、金沢で行われる友人の結婚式に参列するため途中休憩で立ち寄ったのだ。
「2階にいるからおいでよ」
結婚式用に美容室できれいにセットした髪で現れた娘としばらく話をし、おこづかいをあげ、この部分を書き終え、さあ、そろそろ帰ることにしよう。
あ、娘がここのソフトクリーム美味しいっていってたから、食べてから帰ろう。
ダイエット中だけど。

<追伸>
ここのソフトクリーム
「生クリーム入り ラングドシャのコーンに入って530円」
確かにおいしいです。(高いけどね。丸亀製麺のおうどん食べれる)
「溶けやすいので気を付けてください」
と言われたが、想像以上にすぐ溶けるのでとっても急いで食べなくてはいけません。
ラングドシャ(「猫の舌」の意味)クッキー(ヨックモックではくるんと巻いてシガールという名前で売られている)をソフトクリームのコーンの形にしてあり、アイス部分は「kiriクリームチーズアイス」とよく似てます。
家で食べたい人は、ヨックモックのクッキーを買って、kiriクリームチーズアイスを乗せて食べてね。




自動車輸出ニュース映像での疑問をGeminiちゃんに聞いてみました 2025年12月11日(木)

自動車輸出関係のニュース映像を見ているとき、ふと疑問がわきました。











輸出車を駐車場まで運転して並べた運転手さんたち、次の自動車をまた取りに戻るときどうするのかな?走るのかな?ローラースケートはいてるのかな?キックスケーターかも?これはGeminiちゃんに聞くしかないでしょう。

車輸出用に、駐車スペースへ車を移動する仕事の人は、元の場所へ戻るとき、どうしているのですか?走るの?

 結論から言うと、基本的には走りません。 広い港や巨大な船の中でドライバーが走って戻ることは非効率で危険なため、**「送迎車(シャトルカー)」**を使って元の場所に戻るのが一般的です。

この業務は非常にシステム化されており、以下のような仕組みで行われています。

1. 送迎車(シャトル)の存在

輸出車両の移動は、通常**チーム制(通称:ギャング)**で行われます。 例えば「ドライバー数名 + 送迎車担当1名」が1つのチームになります。

行き: ドライバーたちがそれぞれ輸出する車を運転し、一列になって駐車スペース(または船の中)へ向かいます。

帰り: 全員が駐車し終えたタイミングを見計らって、**チーム専属のワンボックスカー(ハイエースなど)**がその場所に先回り、または追走して待機しています。ドライバーはその車に乗り込み、全員で元の場所へ戻ります。

2. 船の中(RORO船)の場合

自動車運搬船(RORO船)への積み込み時も同様です。 船の中は迷路のように広く、多層構造になっています。ドライバーが車を停めたあと、送迎車も船の中まで入ってきて、ドライバーたちを回収し、スロープを降りて外へ連れ出します。これが延々と繰り返されます。

3. なぜ走らないのか?

距離の問題: 港のヤード(置き場)は数キロメートルに及ぶこともあり、走って戻るのは不可能です。

安全確保: 港湾内は巨大なトレーラーや重機が動き回っており、生身の人間がウロウロするのは非常に危険です。

疲労管理: 1日に何百台も移動させるため、走って体力を消耗すると事故につながります。

例外:小走りはする?

「車を降りてから、待機している送迎車に乗り込むまでの数メートル」は、作業効率を上げるために**小走り(ジョギング程度)**でキビキビ動くことはよくあります。ダラダラ歩いていると全体の作業が遅れてしまうためです。

このように、彼らの仕事は単なる運転手ではなく、チームワークで動く高度な「物流作業」の一部と言えます。

聞き出しのプロ【ReHacQ】高橋弘樹さんとのやりとりから 2025年12月11日(木)

 最近よく見ているYouTubeチャンネル【ReHacQ】の「なぜ会社辞めたんですか」。
この番組、1本ごとの時間が長いので、楽譜の整理をするとか、庭の草取りをするとかの時、だらだら聞いている(実際あまり画面を見ません、聞いているという表現で正しいと思います)のにちょうどいいんです。そして、なにより聞き手の高橋弘樹さんの聞き方の上手さ・・・かなり強引なんだけれども、ついしゃべってしまうように誘導するその聞き方で、長くても引き込まれてしまいます。これまでに見たものは・・・。
つまり、昨日見たものは、ちょっと違っていたのです。
【高橋弘樹vsしんぶん赤旗日曜版編集長・山本豊彦】
気の短い私は、何度も途中で聞くのをやめようと思いました。 あの高橋さんをしても、会話が先へ進まなくて、何を聞いているのかわからなくなるのです。

でもそれを我慢しながら聞いていると、それまでに聞いてきた他の出演者との会話との明らかな違いが分かってきました。高橋さんが質問して山本さんに話者が交代するときの山本さんの受けの言葉です。山本さんは必ずと言っていいほど
「いや、だから~」
「ただ、○○は~」
「いや、例えば」
「いや、別にそんなことは~」
から始まります。まず相手を否定してから入り、その後のたとえ話が長いのです。そのたとえ話を聞いているうちに、本題とずれてきます。

一方、これまでに聞いた方は、質問の答えの初めの言葉が
「おっしゃる通りです」
「そうですね」
から始まります。だからと言って必ずしもその後の内容が肯定的ではないのです。高橋さんのことを立てつつ、自分の考えの方向へ上手く持って行くのです。
そのような会話ができる根底には、出演者の自己肯定感の高さ・そして他者から受け入れられているという自信があるように思われました。


呉羽駅での出来事 2025年12月9日(火)

先日ブログに書きました、FMかほくの番組
「山田真暉 Y列車でいこう!」
今日もこの番組を聞き、聞きながら昔のある出来事を思い出しました。24年前の鉄道関係のことです。普通24年も前のことは詳細には書けないものですが、私は書けます。当時から書いていたエッセイにこのことを書いていたから。
せっかく鉄道関係なので、山田さんにラインでお送りしました。ただ、山田さんへは文体を現在のものに変え、山田さんには関係ない関先生のことなどは割愛したものを。

それでは皆様には当時の文体のまま、お読みいただきますね。

異次元空間

2001年3月11日(日)
その日は、関定子先生のレッスンが富山県・呉羽(くれは)駅近くのレッスン場で行われ、終了後私は、東京へお帰りになる先生を呉羽駅へお送りすることなった。

少し早く着いたので、私は先生と一緒にプラットホ-ムへ出ることにした。
呉羽駅は田舎の小さな駅で、プラットホ-ムは2つしかない。
先生がお乗りになる電車は橋を渡った向う側。夕方の6時を過ぎてあたりはすっかり暗くなっていて、私と先生以外、だれも向こうへ渡る人はいなかった。
先生と世間話をしながらゆっくり歩き、私たちは橋を曲がって、下りの階段部分にさしかかった。
そして、下を見た時、あまりの驚きに私と先生は同じ目をして(多分)見つめあった。
少し間を置いて、先に言葉を発したのは関先生の方だった。
 「異次元空間に入っちゃったの?」
プラットホ-ムには、8人ほどの作業服の男性が私たちに背を向けた状態で、右手を肩のところで地面と平行にまっすぐ伸ばし、無言で静かに立っていたのだ。
私たちはプラットホ-ムに降りたいのだが、不気味で足が止まってしまった。

その時、私たちに気付いた、階段の途中にいる、やはり作業服を来た男性が
「あ、どうぞ。黄色いところを歩いてくださいね。」
と、明るく声を掛けてくれた。
なぜ黄色いところを歩かなくてはならないのだろうと、後で考えれば何でもない言葉にまで恐怖を感じながら、私たちはゆっくり降りていった。
階段の真中まで来た時、通過電車が通過していった。
すると、何事もなっかったように作業服の男たちは動き始めた。
私はすぐに頭をフル回転させて、今の状況を整理した。
彼らは鉄道の工事関係者で、その日は呉羽駅プラットホ-ムに、視覚障碍者誘導用の黄色いプレ-トを、貼り付けていた。工事関係者には、「安全確保行動(?)」とかなんとか名付けられた規則があって、その一つが、
 『電車が来る時は、必ず作業を中断し、電車の来る方向を向き、右手を肩の位置で地面と平行にまっすぐ伸ばして、通過するまで待たなければならない』
なのだ。
 (自分で考えたのだが、案外このとおりに書かれていたりして!)
ホットした私と先生は、ビックリしたというようなことを笑顔で話しながら電車を待っていると、ほどなく電車はやって来た。
そこで私はふと思い立って、ある行動に出た。
そう、あの「安全確保行動(?)」である。
後ろから工事の男性が一言、
「合ってる!」

 ほどなく先生のお乗りになる電車がプラットホ-ムに入ってきた。
 私は先生を「安全確保行動」で見送った。

祝・初著作権料入金! 2025年12月8日(月)

なんと!私の訳詩した曲が歌われ、その著作権料が訳詩者の私にJASRACから振り込まれたのです。こんなことが人生にあるとは思ってもいませんでした。

思い起こせば・・・と言ってもよく思い出せないので、このブログを検索してみますね。

(検索している時間)

ありました。最初がこれ。2024年7月26日のことでした。その後のことを詳しくお知りになりたい方は「JASRAC」でブログ検索をお願いします。

とにかく頑張ってJASRACに登録し、あとはただ時間が過ぎていきました。ただと書きましたが、訳詩活動はその後も、とっても楽しく続けて現在306曲訳詩終了。もちろんこれからも続けます。
しかし問題があるにはあります。
ほぼ売れません。
「詩人の恋(全16曲)」「女の愛と生涯(全8曲)」等は何人かお買い上げくださいましたが、それっきり。もちろんその方々が本番で歌われても、コンサートが無料だったら入ってきませんし、私がJASRAC手続き前のコンサートだった場合もやはり著作権料は入りません。

そこで、
「もし次に訳詩が売れて、有料コンサートで歌っていただけたときのことを考えて、今のうちに訳した300数曲、全部届け出、してしまおう!」
と、朝から頑張りました。
これまでに40曲はしてあったので、残り260曲ほどです。
88曲までやって、疲れてやめました。無理はよくない。明日から少しずつやります。
↓これを見ると、あ~ってなります。少しずつやっておけばよかった・・・











さて皆さま、いったい何という曲がどなたに歌われて、いくら入ったのかお知りになりたいですよね?
それではご報告。
・2025年7月13日に行われた
・「富山リラの会」で、西野真理が歌った
・「ブラームス作曲 西野真理訳詩『ジプシーの歌(全8曲)』から5作品」
・手数料や税金などたくさん引かれて、508円入金されました

近藤和也さんの国会質問と高橋克法総務副大臣 2025年12月6日(土)

 今日のブログの内容は来週火曜日(2025年12月9日)のFMかほく生放送でお話しする予定の一部です。ぜひ、放送で全部お聞きいただければと思います。

https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&media_type=&deli_id=56020&time=2711.5


何度も書いてきましたが、私は無党派層ならぬ「多党派層」。何党がどうとかではなくて、国のために良い方向性を示してくださる党、国のために熱心に働いてくださる何らかの党のどなたかをその都度応援しています。

昨日拝見した、石川県のために懸命に働いてくださっている近藤和也さんの国会中継が素晴らしかったので、それを書き起こしてみました。その中で特に注目したのが、最初の質問とそれにお答えくださった高橋克法総務副大臣の最後のお言葉でした。

近藤和也さんの最初の質問は「解体した後の土地の固定資産税特例措置の延長について」
以下、書き起こしです。

近藤和也衆議院議員
公費解体が進んできた。ありがたいこと。ある町会では半分以上解体が終わった。「見晴らしがいい」という言葉がこんな悲しい時にも使われるのかと大変つらい局面を迎えている。その解体した後の土地の固定資産税についてお聞きしたい。本当は家を解体するとその土地の固定資産税は6倍になるところだが、震災後2年は特例ということで、元のままだった。しかし、来年の3月でこの期限は切れてしまう。東日本大震災や熊本地震の時にはかなり延長されていた。能登半島地震の被災者や行政からも延長を望む声が大きい。何とか延長してもらえないだろうか。

















高橋総務副大臣(高橋克法)
ご指摘の通り、住宅地特例は2年という原則がある。またこれもご指摘の通り、過去の災害でも復興状況を見て特例を延長してきた。例えば熊本地震は通算8年延長されている。ご指摘の件については国土交通省からも要望が出ている。被災地の状況、被災地からの要望、近藤議員の質問などを踏まえて令和8年度税制改正プロセスの中で丁寧に現在議論を行っているところ。現在議論中なのでこれ以上突っ込んだ答弁ができないことを理解してほしい。
ただ政治家として気持ちは一緒であります













近藤和也衆議院議員
お気持ち受け取っていただきありがとうございます。「丁寧に議論中」ということでしたので、結果に結び付けていただけるのかなあと思っています。

~西野真理の感想~
政治家用語というのか、議会用語というのかわかりませんが、おそらく「丁寧に対応」という発言は、それなりに前向きにこのことに対して対応するという意味を含んでいるのだろうなと思いながら聞いていました。また、高橋総務副大臣の
「政治家として気持ちは一緒」
というお言葉にもグッとくるものがありました。お人柄が感じられます。
私は国会のことは何も知れません。おそらく答弁は優秀な官僚の皆様がきちんと一言一句慎重に書いてくださっているでしょう。でもこの最後の一言は高橋さんご自身のお気持ちがにじみ出たものと私は理解しました。
そこで、この発言をされた高橋総務副大臣についてネット検索してみました。

高橋 克法(たかはし かつのり、1957年〈昭和32年〉12月7日 - )さんは、栃木県から出られた参議院議員。自由民主党麻生派所属で、現在の参議院議員3期目。総務副大臣。

近藤和也さんのキャッチフレーズは「一所懸命」高橋さんのキャッチフレーズは「一緒懸命」。このお二人には何かしら気持ちの通じる部分があるのかもしれません。

<書き起こし後のこと>
これを書き起こした後、FM放送でもお話する旨、facebookで近藤和也さんにお伝えしました。その時に高橋さんの言葉にも連れたところ、近藤さんから
「正直私も泣きそうになりました」
というご返信をいただきました。

さらにその後、私は高橋さんのことを調べたときにホームページがありその中にお問い合わせ欄があったので、この時の発言に対してのお礼を書き込んでおきました。

93歳母・お誕生日記念にVoi che sapeteを歌う 2025年12月4日(木)

昨日は母の93歳のお誕生日。以前からご参加者のいない西野真理の歌の会「Sing幾多郎」の唯一の参加者が母。これで2年になります。
始めてしばらくしたとき
「このままただ練習しても、母には何の目標もやりがいもない・・・そうだ、YouTubeに『92歳が歌うシリーズ』としてアップしよう」
と思いつき、少々嫌がる母を無視して、撮影・YouTubeアップを始めました。嫌がっていた割に母は素直に撮影に応じ、練習しては撮影しYouTubeアップが習慣になりました。

そんな93歳になる2か月前、93歳の記念になにをしようかと考えつつ、次の曲としてモーツァルト作曲オペラ「フィガロの結婚」からVoi che sapeteを西野真理訳詩でと提案すると、母は
「アリアは歌えないんじゃない・・・」

※「アリア」とはオペラの中でソロで歌われる曲です

その言葉を聞いて私は「これだ」と思い、この曲を93歳記念にすることにしました。母は、大学生のころから合唱団に所属、小学校の先生として勤務し、退職何年か前からは音楽専科として勤務していました。音楽の知識はそれなり。そんな母は、きっと今まで
「自分にオペラアリアは歌えない」
と思ってきたのでしょう。
歌わせてあげようではありませんか。
お誕生日2か月ほど前から練習開始。

いよいよ93歳当日。
小林美智さんに録音していただいたピアノ伴奏で練習を積み、無事お誕生日当日、撮影を終えました。
頑張って顔に力が入り、少々厳しい表情ですが、皆様どうぞ温かい気持ちでご覧くださいませ。




義父のご縁で営業活動 2025年12月3日(水)

9月に亡くなった義父の永代供養の納骨に義兄夫妻・私たちでお寺へ行ってきました。
お経も終わり、お坊さんがお茶を出してくださって雑談になった時、
「お寺は響きもいいしコンサートとかできそうですね」
とちょっと話題を振ってみたところ
「やってますよ」
なんとこのお寺、プロジェクションマッピング、沖縄の三線、ギター演奏等、色々イベントを開催されているというではありませんか。
すかさず私はチラシを渡しました。が、正直、このお話がそれ以上先へ進むとは思いませんでした。ところが
「来年6月21日どうですか?」
具体的な日にちが提示されるとは!
その後私は
・カラピアノで歌っているのでピアノがなくても大丈夫であること
・5分でも1時間でもご要望に応じてプログラムを組むこと
・曲はクラシックからJpopまで多彩であること
・YouTubeで私の演奏をお確かめいただけること
などお話し、それなりにお話が弾みました。

本当に来年の6月のお声掛けがあるかどうかわかりません。でも、義父のおかげでちょっと楽しい永代供養納骨日になりました。

「祝歌」へのコメント 2025年12月1日(月)

YouTubeのコメント欄は褒めていただければ嬉しいのでちゃんとチェックしています。でも時々、私のチェック漏れや、何かしらの都合でコメントが送信されなかったりがあるようです。そんなコメントが先ほど届きました。

「祝歌」の動画にです。

だいぶ前にコメントしましたけど、反映されてませんので、もう一度。この歌は、母がよく口ずさんでいたので、覚えていました。オペラを聴くようになって、ノルマを聴いたとき、この旋律が登場してびっくりしました。ノルマから拝借した旋律だったとは!一部うろ覚えだった歌詞が、こちらのおかげで全部わかって、うれしいです。ありがとうございます!
ところで、グルックのオルフェオとエウリディーチェの中、精霊の踊りの一部に、「清く優し野辺の花よ、揺れて咲くは、コスモス」という歌詞をつけたものをご存知ですか?ここだけ覚えていて、全曲あれば、知りたいです。歌ってくださるとうれしいです。

せっかくですから、そのYouTube概要欄にその時私が書いたものをご紹介します。

<エッセイ:女学唱歌「祝歌」>
 作詞 三輪義方 
 作曲 ベッリーニ(原曲 オペラ「ノルマ」よりノルマが来る)
     Vincenzo Bellini (1801-1835) Norma  'Norma viene
 歌・ピアノ 西野真理(バリトン系ソプラノ)2021.10.2

このエッセイは「美女エッセイPART15」からの引用です。
内容は別の動画でのエッセイと被る部分がございますが、適当に飛ばしてお読みくださいませ。
また、「何のことだかさっぱりわからない」と思われる部分もたくさんあると思われますが、それは別動画のエッセイも全部お読みいただくと大体理解していただけます。
それでもおわかりいただけない部分をお知りになりたい方は「美女エッセイ」シリーズをお読みになることをおすすめいたします。


以下、過去のエッセイ集のものなので、文体が違います

女学唱歌「祝歌」 
<3回目の参加>
今年も行ってしまった。
初めて参加するまでは
「いい大人がどうして千葉まで行ってお素麺食べなくちゃいけないの」
と思っていたくせに。
そう、千葉県・君津・野口素麺塾。

<野口芳宏先生との出会いのおさらい>
2004年9月・学校の出張として
「道徳の勉強をどこかでして来い」
ということで、
「まあ、京都あたりなら日帰りできるし、八つ橋も買えるしいいんじゃないか」
という限りなく浅い理由でインターネット検索をしたら、たまたま出てきた京都教育大で行われている野口芳宏とかいう先生が講師で開催される会を発見し、行くことにした。
その日は台風が来ていて私の乗った電車も少し遅れたが、駅からそう急ぐでもなくブラブラ会場まで歩いて行ったらすでに会場は一杯で、しかもなんだかよくわからない熱気が漂っていた。
「これ、よくある上から押し付けられた出張とは違うな」
と感じつつ適当に座った席の、たまたまお向かいにお座りになっていたきれいな女性と雑談したら、彼女は
「あなた、何も知らないで来たの?え?公費で来てるの!みんな自費できてるのよ。私は群馬から」
なんだかすごい会らしいことがだんだん判ってきた。
始まってみるとこの講義は本来の目的である道徳というより国語の授業っぽかった。本来の目的でもなければ専門でもないが、直感力だけは優れていると思っている自分の
「これはすごい人だ数値」
が最高値を示した。
その講義の中で「手品師」という物語の感想文を書く場面があり、私の感想文が野口先生の目に止まり、参加者の前でそれを読むように言われた。読み終えた私に野口先生は
「文章は素晴らしい。しかし…題名をもう一度読んでみて」
と言われ
「『手品師』を読んで」
と言ったところ
「ダメだ!そんな題名を付けているようじゃあ。私が感想文の審査員ならその題名を見ただけでその感想文を落とします」
これこれこれ!
私はこういうビシっとした指導を望んでいたのだ。
そう、ダメなものはこんな風にちゃんとダメって言ってほしい。

その会の終了後、そこで販売されていた野口先生の書籍の中で一番値段の安いものを買ってサインしていただきながら
「石川県では山本さんが私を呼んでくださってますよ」
と野口先生からお聞きし、野口塾に参加させていただくようになって以来、先生とのおつきあいが続いている。
毎年夏に開かれている「野口素麺塾」のこともお聞きしてはいたが、1度参加してしまったら、私の夏の行事になってしまった。

<ミニコンサート>
昨年、2回目の参加をさせていただいた時、野口先生のお母様はじめめ、奥様・素麺塾のお手伝いをして下さる皆様の前でちょっぴり歌わせていただいたところ、社交辞令半分としてもとても喜んでいただけたので、次の参加のときも歌わせていただこうと決めていた。
そして今年、あっという間に次がやってきた。

<実践発表>
今年は「実践発表」というコーナーに手を上げてみた。
教員生活もあと4年。ずっと生徒には教えてきた「君が代」の音楽的解説を、少しでも多くの先生に知ってもらいたいと以前から思っていた。しかし、普段の学校生活では他の先生の授業をゆっくり参観するような時間はまずないし、音楽の先生にそれを伝えたくても、学校に音楽の先生は1人。
野口塾でなら聞いていただけると考えたからだ。
(その発表原稿に近いものは美女エッセイ「PART13」にあります)
今回それをするにあたって必要なキーボードの手配を
横山験也さん→瀧澤真さん→辻雄一朗さん
(他にもどなたかいらっしゃるようです)
という、まともに存じ上げているのは最初の横山さんだけだというのに
「キーボード、なんとかお願いします!」
と、野口先生宅まで運んでいただきました。
この場を借りて心から御礼申し上げます。

<ご母堂・友さんの歌唱>
昨年の決意どおり歌わせていただこうと思ったが、今年聞いていただけることになったのはご母堂の友さん99歳のみ。1分の1。これは大きなステージだ。
数曲歌った後
「なにかリクエストないですか?」
とお聞きしたところ
「曲名は覚えてないんですけれどね、『万歳、万歳、万歳~。山辺も野辺も霞わたり 花笑い、鳥うとう、君が代の春の日に…』こんな歌があって、卒業式に歌ったんですよ。何か、外国の曲に歌詞をつけたんじゃないかと思うんですけど。懐かしくてね」
残念ながら私はこの曲を知らなかったけれど、この99歳の友さんの歌唱は素晴らしかった。
学校でも生徒から
「先生、この曲知ってる?」
と言って、生徒が私に歌って聞かせてくれる場面が時々あるのだが、その半分はどんな曲だかよくわからない。音程が定まらないからだ。よく知っている曲であっても歌い方が悪いとさっぱりわからなくて、あとになって
「あ~あの曲だったのか」
ということは結構ある。
今回の友さんの歌はちゃんとわかった。
これは先生のお母様だからお世辞に書いているのではない。
まず声が美しい。声の出し方もきれい。音程がきちんとしていて、それを聞いただけで私も歌える。後でわかったことだが、歌詞も全部合っている。本当に素晴らしくてびっくりした。
私は99歳でこんな声が出るだろうか。

<インターネット様様>
千葉日帰りの野口素麺塾翌日。友さんが聞かせてくださった歌が気になって仕方なくなり、歌詞と女学校時代であろうことを頼りにインターネット検索をすると、すぐに出てきた。

それが以下↓(出典 Moto Saitoh's Home Page)

我国初の女学生用教科書『女学唱歌』
山田源一郎編 編集(共益商社)
第一集(1900年8月19日) 第二集(1901年5月15日)
 山田源一郎(1869-1927. 5)   『女学唱歌』第一集表紙       

山田源一郎が女学生用に作った初めての唱歌教科書.彼自身の作曲のものと外国からの合唱曲,輪唱曲を集めたもの
① 第二十二 祝歌 (三輪義方 作詞 Bellini 作曲)

  萬歳、々々、々々。
   山邊も野邊も、 かすみわたり。
   花わらひ、   鳥うたふ。
   君が代の、   春の日に。
   桂を折りえし、 我友の其(その)光榮。
   おもへばその身の、光榮のみか。
   御代の光、   御國の榮。
   花も鳥も、   祝へやいはへ。
    あゝゝゝゝゝ、萬々歳。 
[注] Vincenzo Bellini 作曲(1831)『ノルマ』("Norma")第一幕第一場
のドルイド族の合唱「ノルマが来る」('Norma viene').
合唱は
Bellini.Norma.Norma viene...Sediziosi voci. 
   • 動画  
 
<録音>
以上からおわかりのように、この曲、もともとベッリーニのOpera「ノルマ」の一部に、それとは全く関係のない歌詞を付けたもの。しかし、当時の人がこの明るく溌剌としたメロディーに惹かれたのは判る気がするし、なかなかのセンスだと思う。
そう思っているうちに
「せっかく友さんからリクエストしていただいたのに歌えなかったから、歌って録音してお送りしよう」
という気になって練習開始。
1時間後、録音終了。

この曲、練習しているうちにとっても楽しくなったので、8月5日の第22回美女コン(2017年)で歌ってみようかなと思案中である。

<後日談>
美女コンで歌いました。

<さらに後日談>
美女コンの映像を母に送ったところ、母が
「おばあちゃんは歌が好きでよく歌を歌ってくれたけど、おばあちゃんもこの曲歌ってたと思うよ。女学校で習ったんだろうね」
もし生きていたら110歳位かな?
亡くなったおばあちゃんが急に懐かしくなりました。





山田真暉 Y列車でいこう!(FMかほくの番組) 2025年12月1日(月)

FMかほくのパーソナリティーになって3年8か月。退職と同時・2022年4月5日(火)にスタートしましたから、退職後の年数とFMかほくパーソナリティ期間は同じです。このパーソナリティ、謝礼をいただいてするのではなく、「放送枠を買い取る」形。現在月額2500円。日本で一番安いらしいです。私が以前地方民放局での同じようなシステムのことをお聞きしたときは、確か月額(または1枠、しかも5分くらい)5万円だったと思います。

さて、よく理解しないままに書きますけれど、放送局では法律で何かしら会議をしなければならないことが決まっているようです。私はその「評議員(?)」を依頼され、時々会議に出席しています。出席と言っても「ネット会議」。ほんとうに便利ですね。たいてい土曜日の夜。私はFMかほくのあるかほく市在住。でも、パーソナリティの皆さんは全国にいらっしゃるので、その皆さんが一堂に会するのはちょっと無理。でもネット会議なら平気。名古屋・山形・神奈川・東京・・・などからも参加されているはず。

その会議のおかげで、少しずつお知り合いもできてきました。そのお一人が名古屋在住(多分)の山田真暉 さん、火曜日午後4時から
「山田真暉 Y列車でいこう!」











という番組を担当されています。
以前からこの番組は時々聞いていました。きっかけは、西野真理自身の再放送を聞こうとしたこと。私の火曜日朝10時からの生放送の再放送が火曜日の午後4時半。その再放送の1つ前の枠の生放送番組が「山田真暉 Y列車でいこう!」。
最初はラジオから流れてくるから何となく聞いている、という感じだったのですが、この山田さん
・おしゃべりがうまく聞きやすい
・鉄道知識が豊富
・知識を自慢するという気持ちより、鉄道のことを多くの人に知っていただきたいという気持ちの方が大きく上回っていると感じる
というようなことから、特別鉄道ファンでもないのに次第に自分の再放送を確認するついではなく、積極的に聞くようになりました。
「自慢したい気持ちを、知っていただきたい気持ちが上回って感じるのはなぜか?」
ということが解明できれば自分の放送にも役立てられると思うのですが、今のところ私にはわかりません。

そんな山田さんも会議出席者のお一人。作曲家のドヴォルザークは鉄道マニアだったという話題がきっかけで、個人的にお話するようになりました。
そんな先日、私の歌い手仲間・のぞみちゃんのお宅近くまで運行されていた大井川鐡道が廃線になったらしく、車以外で伺うことができなくなったということを山田さんにラインしたところ、すぐに次のように教えていただきました。

「現在、大井川鐵道本線の川根温泉笹間渡~千頭間が3年前の台風による被害で不通となっていて、代行バスによる輸送が続いています。
ただ、あくまで代行輸送であって、廃止にはなっていません。2029年春の運転再開を目指して工事を進めるとしています。時間がかかりそうなので、気長に待ちましょう。」

流石です。
特に鉄道ファンでない皆さま、ぜひ「Y列車で行こう」お聞きになってみてください。ネット配信がありますから、全国どこからでもお聞きいただけますよ。
ちなみにテーマ曲として使われているのは「A列車で行こう」です。

Geminiちゃん流石! 2025年11月30日(日)

町内会の通信を作成し、それをGeminiちゃんにリライトしてもらいました。すると

~~~文章をどこかでお知らせとして利用される予定でしたら、「11月31日(日)」は存在しない日付である点にご注意ください。11月は30日までです。正しい日付に修正が必要でしたら、お気軽にお申し付けください。~~~

流石!

この文章には全く関係のない野良猫の動画も併せてお楽しみくださいませ。



廊下でCurble Chair Wideお問い合わせ 2025年11月29日(土)

まずこちらをお読みくださいね。

















私にはこのCurble Chair Wideの効果が絶大。そうは言ってもまだ回復途上の腰痛治療に、昨日も加茂整形外科へ。そのとき加茂先生にもこのことをお話(自慢)しようと、また待合室での待ち時間が長くなった時、椅子に置いておくためにこれを持って行きました。
車のシートでも使いましたが、これだけはあまりよくありません。車の椅子のシートの形状というか傾きが、どうも合わないのです。現在置き方の工夫中です。

そういうわけで、これを持って診療室に入りました。
ここでちょっと加茂整形外科の診療室の説明が必要です。
加茂整形外科の診療室は、横長の部屋がカーテンで4つに仕切られています。そこで、先生がすぐに治療を始められるように、患者は服を脱ぐ等の準備をして、ベッドに横たわって待っています。そこを先生が順番に回られるという、とても効率的なシステム。
先生は痛みがどうして起こるのか、これからどうすればいいのか、初診者には理論的に丁寧に説明してくださいます。私のようなベテランの患者にはもちろん説明済みですから、現在の様子を聞いてくださって、あとはトリガーポイント注射をどんどん患部に打ってくださって治療は終わります。

この日、診療室に呼ばれるまでは早かったのですが、初診の患者さんへの説明が結構長くて、その間私は横になって待っていました。そのうち、看護師さんたちとおしゃべりを始め、そうだ、看護師さんにもお話(自慢)しようと、診療室の脱衣籠に置いたCurble Chair Wideを取り出してお話を始めました。
・たまたまコストコで購入したこと
・家のパソコン作業時の椅子に置いたところ、長時間の作業が痛みなしだったこと
・映画「国宝」を見るとき映画館に持ち込んだところ、3時間痛みがなかったこと
そして、看護師さんたちにも座ってみていただきました。ちょっと座っただけではわかりにくいとは思いますが、なんとなく好感触。

いよいよ私の治療の番になり、先生にもお話。

治療後、診療室を出た廊下のところの椅子に座っていると、一人の男性が近づいてこられました。50歳前後のぱっと見とても元気そうなスポーティーな男性です。
「すみません、先ほどお話が聞こえたので。その椅子、教えてもらえませんか?」
どうやらこの男性、診療室のカーテンで隔てられたお隣にいらして、私と看護師さんたちとのお話を聞いていらしたようなのです。私は嬉しくなって
「どうぞどうぞ!人によるとは思いますけど、私にはあってました。Amazonでも買えますよ」
「ここにきてずいぶんよくはなったんですが・・・」
男性はCurble Chair Wideの写真を撮り、お礼を言って待合室へ戻られました。

2~3分後また男性がやって来て、
「これですよね」
とスマホのAmazonサイトの画像を提示されました。
「あ、これです」

あの男性、Amazonで注文したかな?
良くなってくださるといいな。

コミュニティセンターにピアノ!?その後 2025年11月29日(土)

コミュニティセンターにピアノ!? 2025年4月7日(月)」をお読みいただいた前提で進めます。

<結論>
町会での会議の結果、ピアノの寄付はお断りすることになりました。

<経緯>
最初は町会でも寄付していただく方向で話が進んでいたようです。進んだ理由の1番は
「能登半島地震で被災された方のピアノである」
ということ。そして、それならピアノの移動費用も町会で負担してあげればどうだろうか
という方向で。

ところがいざ具体的に詳細を聞いてみると
・ピアノの持ち主は被災者でもなければ、かほく市在住者でもない

あれ?

ここで風向きが変わりました。
・被災者の持ち物でははない
・かほく市在住でもない
・ピアノはアップライトで50年経過している
・状態もよくわからない
・もし状態がよくなかったらメンテナンス費用が相当かかる
・そもそもコミュニティセンターにピアノは必要なのか
・そのようなピアノを、こちらで移動費用を負担してまで寄付していただく必要があるのか?

という意見が大半となり、寄付はお断りするという結論に至ったようです。

<我が家の事情>
もし、我が家が町会長を引き受けていなければ、逆に私など会議に参加させていただいて
「ピアノがあるっていいですよ」
みたいな加勢ができたかもしれません。
しかし、現在我が家は町会長。そんな立場でピアノを入れることを強く主張すれば、
「会場を利用してコンサートをしたいものだから、無理やりピアノを入れた」
と思われても仕方ありません。

<これから>
現在のところ本町コミュニティセンターにピアノが入ることはなくなりました。
でも西野真理
「今ある状況でやれることをやる」
という考えでこれまで色々やって来たのです。だからこそコミュニティセンターでのカラピアノコンサート年6回という案もひねり出しました。

さあ、これからも今ある状況で楽しくやっていきましょう!

横領で会社を辞めた元CBCアナウンサー・江田さんのお話(ReHacQより) 2025年11月29日(土)

※この内容はFMかほく・Sing幾多郎でもお話しました。西野真理のYouTubeにもアップしてあります。読むのが面倒な方はそちらをどうぞ(2025年11月25日)

YouTubeチャンネル「ReHacQ−リハック・なぜ会社辞めたんですか?」から、組織のお金を横領した元アナウンサーのお話です。聞き手は元テレビ東京の高橋弘樹さん。



<まずあらすじから>
今回会社を辞めた元CBCアナウンサーの江田亮さん。ご自身でこの番組への出演を打診されたそうです。江田さんが会社を辞めた理由は「4000万円横領」。ただ、お金はすでに返済。2022年のことです。江田さんはこの件で2年間苦しんでおり、現在も「地獄の途中だと思っている」という心境を語りました 。
「横領」は例えば殺人などよりずっと軽い印象を受けますが、一般の人が思うよりかなり重い罪なのだそうです。

高橋さんは、江田さんとのおしゃべりの中で、アナウンス能力を高く評価する一方で、今回の件の根底には「メタ認知能力、つまり、江田さんが自分を客観的に評価できる能力に欠けていること」や「プライド」の持ち方に課題があったと指摘されます。

高橋さんは、
「江田さんのスキルを活かせば、フリーとして食べていくことはできるんじゃないか」
と激励し、二度と同じ過ちを繰り返さないよう強く忠告しました 。
そして配信の最後に、江田さんはこれから「茨の道」となるフリーアナウンサーとして頑張っていく決意を語り、高橋さんは、今後の人生に向けての励ましと、人生を楽しんでほしいと締めくくりました。

<それでは詳しく説明いたします>
元テレビ東京プロデューサーの高橋弘樹さんが主宰するYouTubeチャンネル「ReHacQ−リハック」で行われた、元CBC(中部日本放送)アナウンサー・江田亮さんとの対談。

1 対談のきっかけと横領
異例の対談が実現したきっかけは、江田さんがReHacQに
「キャスターとしてチャンスはないか?」
と直接問い合わせをしたことでした。当時、ReHacQの姉妹メディアである「PIVOT」では、元アナウンサーの起用が進んでいた時期で、高橋さんとしてもアナウンサーの人材を広げたいと考えていたところに、江田さんからの連絡があったといいます。

今回の配信は、一社会人として大きな過ちを犯した人物が、何を語り、これからどこへ向かうのか、という非常に踏み込んだテーマでした。

江田さんは、「横領」は間違いなく自らが犯した事実であると認めます。その横領したお金は、会社のお金ではなく会社の労働組合の組合費4,000万円。自身が財務部長を務めていた際に、投資信託への流用などの形で着服しました。これは外部情報からも裏付けられています。

江田さんの横領が発覚した後、江田さんは全額を組合に返済したため刑事事件には至りませんでした。また、会社のお金ではなく組合のお金だったこともあって、会社に直接被害はなく、組合にも返金されているため組合側も訴訟を起こしても得がないことなどから、江田さんの退社はいわゆる首ではなく自己都合退職で、退職金も支払われています。

2 江田さんのこと
配信中、聞き手の高橋さんは単なる事件の経緯だけでなく、江田さんの人間性、プロとしての資質、そして過ちを生んだ背景について深く切り込んでいきます。このあたりの切り込み方は流石高橋さんだと感心させられました。

江田さんは早稲田大学卒業後、2013年にCBCに入社し、プロ野球や競馬実況などスポーツアナウンサーとして活躍していました。それだけの経歴があるのに、なぜそのような地位を捨ててまで横領に手を染めたのかを高橋さんは追求します。この辺りの高橋さんの追及の仕方が素晴らしいので、実際にYouTubeをご覧いただけるとよいかと思います。この番組の中で高橋さんは江田さんの状況を「ギャンブル依存症」に似ていると感想を述べられました。私もそういう印象を受けました。

3 江田さんの能力と問題点
高橋さんは、長時間の対談を経て、江田さんのアナウンス能力自体は高く評価しています。特に、発音の明瞭さや言葉の切れ味は、一般のYouTuberにはないプロのスキルだと認めています。

一方で、高橋さんは終盤のトークで、江田さんの言葉遣いや自己認識に潜む問題を鋭く指摘します。
例えば、江田さんがトークの中で
「難しいと言われたけど」
と発言した場面。これを高橋さんは
「そこの部分はそうじゃなくて、『いやおっしゃる通り私も難しいと思います』って言わなきゃいけないと思うんだけどね」
と指摘されてました。ういう些細なことがアナウンサーとしては致命的なんだそうです。
実は私もこの部分を聞きながら、江田さんはなんとなくプライドの高い人だなあ、という印象を受けていました。

高橋さんはこのあたりの分析として、江田さんは自分自身の状況や相手(視聴者や高橋さん)の視線を正確に捉え、言葉や態度をコントロールする「メタ認知」と「プライド」の持ち方に欠けている、と指摘しました。
高橋さんは自己分析として冗談めかしながら
「ぼくは腹黒いから計算して喋る」
と語り、プロの表現者は「どう見られるか」を計算することが重要だと示唆しました。

江田さんの横領という行為の背景には、この「メタ認知」の欠如、つまり、客観的な自己評価や周囲の状況を把握しきれない「心の歪み」があったのではないか、という問題提起がなされます。
この辺り、さすが元TVのプロデューサー。

4 今後への提案
今後の江田さんの生き方について高橋さんは、
「厳しい批判コメントを含むYouTubeのコメント欄こそが、江田さんにとってすごく勉強になる教材だよ」
と強調されました。
批判や指摘を受け止めながら、自分自身で配信や活動を行い、それを修正していくことの重要性、今回の過ちを償い、プロとして再生していくための具体的な方法論の提示と言えると思います。
ここ、私にはとても耳の痛い部分でした。私もできれば誉め言葉ばかり聞いて、批判からは目を背けたいタイプだからです。

トークの最後、高橋さんは江田さんに対し、以下のようなメッセージを送りました。
まずは
「次はやんないでくださいね色々ね」
そして、
「アナウンス能力は確かなものがあるから、それを活かして生計を立てることは可能」
ということから、
「素人のYouTuberでプロにナレーションを入れてほしい人はたくさんいると思うから、そんな仕事を安い値段で受けてみたらどうだろう?」
と、具体的な提案がなされました。

・60分までのVTRにナレーションを入れる 1本2000円 運動会のVTRでもなんでも
・草野球の実況1時間まで 3000円、現場に行く場合は交通費相談

これはすごいと思いました。私もやってほしいと思ったほどです。
実際にやってほしい人のために、このチャンネルの概要欄には連絡先も載っていますので、ぜひご覧ください。下に貼り付けます。

江田さんに動画を依頼したい方はこちらのHPから
https://ryo-eda.com
こちらのURLよりお申し込みいただいた場合2025年5/18〜から1年間、動画内でお話しした金額にて承るそうです!

改訂・山田耕筰童謡100曲調整・速度・季節一覧表 2025年11月27日(木)

ピアニストの近藤陽子ちゃんからのご紹介で取り組み始めた「山田耕筰童謡100全部歌うプロジェクト」、第43回までのコンサートで48曲を歌い終えました。そのほとんどが私にとって「新曲」でした。山田耕筰に失礼を承知で書きますと
「この曲があまり歌われないのも仕方ないかな・・・」
という曲があることも否めません。しかし、
「もっと歌われればいいのに」
という曲ももちろんたくさんあります。そんな中から西野真理厳選3曲

・「お菓子の汽車」
 西條八十の詩。お菓子でできた汽車の様子を楽しく描いた作品。
 ♪~おかまは丸い唐饅頭
 ♪長い煙突アルヘイトウ
など、ちょっと知らないお菓子の名前が出てきたので、それをお客様にトークでご紹介したのちに歌うのも、楽しい経験でした。

・「箱根の山」
 野口雨情の詩。箱根の光景を歌った詩かと思ったら、箱根の山で「コ~ン」と鳴く狐とカケスの様子を歌ったしみじみとかわいい曲。

・「漣は」
北原白秋の詩。川面が揺れるのを見て「どうして漣が起こるの?」「鴨がいるんだよ」と月夜に穏やかに話す父子の情景。

童謡100に取り組み始めてすぐに、これらの調性・速度・季節の一覧表を作り、ブログやfacebookにアップしました。しかし、48曲の楽譜を眺めるだけでなくちゃんと歌うと、少々間違いがあることに気づきましたので、改訂版をアップいたします。
例えば「ぶどうの蔓」という曲。「『ぶどう』だから『秋』」とろくに詩を読まずに一覧表に書き込みました。いざ歌ってみると、緑色のぶどうの蔓がどんどん伸びていく様子が歌われています。これ、夏ですね。





映え写真と初めて知った事実 2025年11月26日(水)

昨日はかつての同僚3人でのフルーツパーラーランチ。





















その時、晶子さんからサンリオピューロランドのお土産にかわいい小さなキティをいただきました。
帰宅後もう一人の友人・睦子ちゃんは、やはり晶子さんからいただいたシナモロールを、推しのアイドル写真といっしょに撮影してラインに送ってくれました。睦子ちゃんはこのような写真を撮り慣れているので、とても上手に撮れています。
そうなると全く絵心のない西野真理も、ちょっと撮ってみたくなります。
そこで家中見渡して考えたのが以下3か所。

岡本太郎と




















天使たちと
















オルゴールと
















そして先ほど娘にこの写真をライン送信したところ
「リボンがないね」
「リボンは別にぶら下がっていました。
・・・あ、でもこれ、リボンじゃなくてハート リボンなくしたのかな?」
と、リボン無しキティもいるんだなと思っていました。

するとほどなく、娘から
「ダニエルみたい」
なんとこの青い服着てリボン外したキティだと思っていたのは、
ダニエル
だったのです!

<公式サイトより>
キティの幼なじみで、ボーイフレンド。ツンと立った前髪がトレードマーク。
身長はメロン4個分。体重はメロン3個分。
カメラマンをしているパパの仕事の都合で、アフリカに行ってしまったダニエルだけど、世界をまわってニューヨークから、キティのところに帰ってきた。




西野真理の色々なお話

急性虚血性大腸炎 2025年12月24日(水)

急性虚血性大腸炎、私ではありません。母です。 一昨日「お腹が痛い」というので、病院へ行こうと言いましたが、その日は行かずじまい。結局翌日の23日病院へ行くと「急性虚血性大腸炎」。ネット検索するとそれほどの重病ではありませんでした。しかし、93歳。何が引き金で大変なことになるかわか...