実は、現在の楽譜ができるまでには、1000年近い、とても長い歴史があります。
<中世ヨーロッパ>
まずは、今から1000年以上前の中世ヨーロッパのお話です。
当時、教会で歌われていたグレゴリオ聖歌などを書き留めるために使われていたのが、「ネウマ譜」という記譜法です。
ただ、現在の楽譜とはかなり違います。
音符のような記号は書かれているのですが、「この音はド、この音はミ」というように、音の高さを正確に示していたわけではありません。
すでに歌を知っている人が、その記号を見て、
「ああ、そうそう。ここはこう歌うんだった」
と思い出すための、いわば「歌のメモ」のようなものだったのです。
<11世紀 グイード・ダレッツォの登場>
ところが、11世紀になると、楽譜の歴史を大きく変える人物が登場します。
イタリアの修道士、グイード・ダレッツォです。
今からおよそ1000年前。
日本では、紫式部や藤原道長が活躍していた時代です。
『源氏物語』が生まれた頃、遠くヨーロッパでは、後の楽譜につながる重要な仕組みが生まれていたんですね。
<日本の楽譜は?>
ここで、ちょっと日本の話もしてみましょう。
西洋では、11世紀ごろから現在の五線譜につながる記譜法が発達していきました。
では、そのころ日本ではどうだったのでしょう。
もちろん、日本にはまだ五線譜はありません。
ところが、「楽譜がなかった」というわけではないんです。
平安時代の日本では、雅楽が盛んに演奏されていました。そして、音楽を伝えるために、音の高さを表す独自の名前が使われていたんです。
「壱越(いちこつ)」「平調(ひょうじょう)」「双調(そうじょう)」「黄鐘(おうしき)」など、「十二律」と呼ばれる音の名前です。
また、「壱越調」「平調」「双調」など、「調」の名前もありました。
そして、さらに驚くのは、五線譜ではないものの、実際に楽譜も残っていることです。
平安時代の終わりごろには、藤原師長という貴族であり音楽家でもあった人物が、琵琶や箏のための楽譜を残しています。
つまり、
「昔の日本には楽譜がなかった」
というより、
「西洋とはまったく違う方法で、音楽を書き留めていた」
と考えたほうが正しいんですね。
<日本のコードネーム?>
そして、日本の音楽で、もう一つ面白いものがあります。
雅楽で使われる楽器、「笙」です。
笙は、一本のメロディーを吹くというより、いくつもの竹管を同時に鳴らして、独特の和音を作る楽器です。
この和音には「合竹(あいたけ)」という名前が付いています。
たとえば、「乙(おつ)」「一(いち)」「工(く)」「凡(ぼん)」などです。
つまり、楽譜に「乙」と書かれていれば、演奏者は「乙」という名前の決められた和音を鳴らす。
こう聞くと、現代の音楽をやっている人なら、「それってコードネームみたいなもの?」と思いますよね。
そう、完全に同じものではありませんが、感覚としてはかなり近いところがあります。
現代の楽譜で「C」と書いてあれば、Cを中心とした決められた和音を演奏する。
それと同じように、笙では「乙」「一」などの名前によって、決められた複数の音を同時に鳴らすのです。
つまり日本の伝統音楽にも、五線譜とはまったく違う形で、「和音を名前で表して伝える」という仕組みがあったわけです。
<グイード・ダレッツォの記譜法>
話を西洋に戻しましょう。
グイードは、音の高さをより正確に記録するために、線を使った記譜法を発展させました。
そして、私たちが今使っている「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」のもとになる、階名を使った歌唱法も考案しました。
もちろん、現在の「ドレミ」とまったく同じものではありません。
でも、「音の高さを名前で覚える」という考え方につながっているんですね。
ですから、「楽譜」と「ドレミ」の歴史を語るとき、グイード・ダレッツォは絶対に外せない人物です。
ただし、この頃はまだ五線譜ではありません。
主に4本の線を使って、音の高さを表していました。
そこから何百年もかけて、音符の形や、リズムの表し方が少しずつ発達していきます。
<15,16世紀>
そして15世紀から16世紀、ルネサンス音楽の時代になると、現在の五線譜にかなり近い形が定着してきます。
パレストリーナや、ジョスカン・デ・プレといった作曲家たちが活躍した時代です。
五線の上に音符を置くことで、音の高さだけでなく、リズムもかなり正確に記録できるようになりました。
<17世紀後半 江戸時代>
そして、いよいよ私たちにもおなじみの作曲家が登場します。
17世紀後半から18世紀。日本でいえば江戸時代。音楽史では「バロック音楽」と呼ばれる時代です。
この時代に生まれたのが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。1685年生まれです。
バッハの自筆譜を見ると、これが驚くほど現在の楽譜に似ています。
五線があります。音符があります。音部記号があります。拍子記号があります。調号があります。小節線もあります。
もちろん、音符の字体や細かな書き方には違いがありますが、現代の私たちが見ても、
「あ、これは楽譜だ」
とすぐに分かります。
つまり、現在の楽譜の基本的な形は、18世紀、バッハの時代には、ほぼ出来上がっていたと考えていいでしょう。
ただし、まだ現在の楽譜とは違うところもあります。
例えば、私たちが今の楽譜を見ると、
「ここは弱く」「ここからだんだん強く」「速く」「ゆっくり」
といった、演奏についての細かな指示がたくさん書かれていますよね。こうした強弱や速度、演奏表現を細かく楽譜に書き込む習慣は、特に18世紀後半から19世紀にかけて、どんどん発達していきます。
<モーツァルト、ベートーヴェン、そしてシューベルト の時代>
このあたりの時代になると、楽譜は私たちが現在使っているものと、ほとんど変わらなくなります。特に19世紀の音楽になると、作曲家は楽譜の中に、非常に細かな指示を書くようになります。
例えばベートーヴェン。
「ここは強く」「ここは弱く」「ここは急がない」「ここは突然弱く」
といった具合に、自分の音楽を、できるだけ正確に演奏者に伝えようとしました。
シューベルトの歌曲などを見ても、現代の私たちが使っている楽譜と、ほとんど同じです。
もしシューベルトが現代の楽譜を見たとしたら、
「おお、これはずいぶん便利になったな」
と思うかもしれませんが、
「これは一体、何の記号だ?」
と、まったく理解できないということはないでしょう。
考えてみると、楽譜というのは、本当にすごい発明です。
音楽は、演奏した瞬間に消えてしまいます。
歌声も、ピアノの音も、ヴァイオリンの音も、そのままでは残りません。ところが、楽譜に書くことによって、
「いつ、どんな高さの音を、どんなリズムで、どのくらいの強さで演奏するのか」
という情報を、遠い未来の人にまで伝えることができます。
バッハが300年近く前に書いた音楽を、私たちは今、演奏することができます。
ベートーヴェンが200年ほど前に書いた音楽を、今日の私たちが、同じ楽譜を見て演奏することができます。
これは考えてみれば、本当にすごいことですよね。
<楽譜の再現性>
ただし、ここで一つ、大事なことがあります。
楽譜があれば、音楽を完全に再現できるかというと、そうでもありません。
楽譜には、書き切れないものがあるからです。
音の表情。息づかい。音と音とのつながり。
そして、作曲家が、
「ここは、こういう気持ちで演奏してほしい」
と思っていたことのすべてが、楽譜に書かれているわけではありません。
音楽関係者の中には、
「楽譜にすべて書かれているのだから、楽譜通りに演奏すればいい」
という考え方をされる方もいらっしゃいます。
私は、これには全面的には賛成ではありません。
もし作曲家が、自分の思い通りの演奏を完全に指定したいのであれば、ものすごい量の情報を書き込まなければなりません。そして、もし本当にそんな楽譜ができたとしたら、誰が演奏しても、同じような音楽になってしまうでしょう。
私は、作曲家は作品が完成したところで、ある意味、作品を手放しているのではないかと思います。そして、楽譜に書ききれなかった部分を、演奏家に託している。
実際、私は親しくしている作曲家と、そういう話をしたことがあります。
作曲家というのは、私たちが思っている以上に柔軟です。新しい作品の楽譜をいただいたときなど、演奏してみて相談すると、場合によっては音そのものを変更してくださることさえあります。だからこそ、同じ楽譜を見ても、演奏する人によって音楽が違って聞こえる。そこが、音楽の面白いところでもあります。
最初は「歌を思い出すためのメモ」のようなものだった楽譜。
それが、線を使って音の高さを表すようになり、リズムを記録できるようになり、五線譜となり、そしてバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの時代を経て、現在私たちが使っている形へと発展してきました。そう考えてみると、私たちがいつも何気なく開いている一枚の楽譜の中に、実は1000年近い人類の知恵が詰まっているんですね。
<いよいよ西野真理の本当に言いたいこと>
さて。ここまでは、実は、今日私が一番お話ししたかったことへの「長い長い伏線」なのです。私は、普段楽譜を使うことのない方にも、
「楽譜って、こんなに便利で大切なものなんですよ」
ということを、ぜひ知っていただきたいと思っています。
少し、私の住んでいる宇野気・本町の話をさせてください。
2020年から新型コロナウイルスの感染が広がり、地域のお祭りをはじめ、さまざまな行事が中止になりました。私の住んでいる宇ノ気・本町の町会でも、2年間、お祭りを開催することができませんでした。
そして、3年目。
ようやくお祭りを再開することになったのですが、そこで思いがけない問題が起きました。
笛や太鼓を教える人がいないのです。たった2年間、お祭りができなかっただけなのに、それまで当たり前のように受け継がれてきたものが、途切れかけていました。
~採譜~
ちょうどその頃、我が家が町会長をお引き受けしていた関係で、私もお祭りの準備に少し顔を出していました。そこで、その話を聞いた私は、こう考えました。
「覚えている人から聞き取って、楽譜にしておけばいいんじゃないか」
そうしておけば、また何かがあって、お祭りが2年、3年、あるいはそれ以上できない時期があったとしても、楽譜があれば、笛や太鼓のリズムやメロディーを、次の世代に引き継ぐことができます。
そこで、数年前まで笛の指導に来てくれていた、すでに社会人になっているAさんと、その弟さんから、笛と太鼓のリズムやメロディーを聞き取り、私が楽譜に起こしました。
その年は、Aさんと弟さん、そして楽譜を使って私が小学生に教え、無事にお祭りのお囃子をすることができました。
そして翌年からは、笛については、楽譜を携えて、その時に教えた子どもたちが、今度は中学生になって、次の小学生を教える。そんなサイクルができあがり、今年にも引き継がれています。
~楽譜いらない派の意見~
ここで、太鼓のお話です。
今年、私は太鼓を担当する男性に、作った太鼓のリズム譜を渡しました。すると、
「楽譜なんて、誰も読めないし、見ないから」
と言われ、楽譜を使うことは、あまり歓迎されませんでした。
~役立てられる人もいる~
でも、私はここで、ちょっと待ってほしいと思うのです。
料理に例えてみましょう。
「このくらいの味」
と味見をしただけで、調味料の分量を感覚で決められる人もいます。でも、お料理の本に書いてあるレシピを見なければ、なかなか同じものを作れない人もいます。音楽も同じです。
聴いて覚えて、そのまま演奏できる人もいれば、楽譜を見て、それを頼りにしなければ演奏できない人もいます。実は、私自身もそうです。楽譜なしでは、なかなかできません。
そして、子どもたちの保護者の中には、意外と楽譜を読める方がいらっしゃいます。
「子どもの頃、ピアノを習っていた」
「吹奏楽部に入っていた」
「バンドをやっていた」
など、楽譜を読むことができる方は、決して少なくありません。
実際、私が太鼓の楽譜を渡してみると、それまで、ただ子どもの練習を横で見守ってくださっていた若いお母さんが、楽譜を読んで、ご自身で子どもさんに指導を始めてくださいました。
私は、この時、
「ああ、やっぱり楽譜を作っておいてよかった」
と思いました。
楽譜というのは、単に「音楽を演奏するためのもの」ではないんですね。
その場にいる人が覚えておくためだけでもありません。
「次の人へ渡すためのもの」
でもあるのです。人から人へ。世代から世代へ。口で伝えることも大切です。耳で覚えることも大切です。でも、それを支えるものとして、楽譜があれば、文化はもっと確実に次の世代へ残っていきます。
長い長い伏線でしたが、私のまじめな主張、ご理解いただけましたでしょうか。
今日は、
「楽譜は、いつ、今の形になったの?」
というお話でした。
普段何気なく見ている楽譜。
その一枚の紙の中には、1000年近い人類の知恵と、そして、次の世代へ音楽を渡していくための力が詰まっています。