どっちが詩人の書いた言葉でしょうクイズ
第1問
①(そら豆を見て)
みんなカチューシャしてる
②(死んだ蝶をありが運ぶのを見て)
ヨットのようだ
第2問
①いつかきっと海をくすぐってやる
②秋が飛んでいる
第3問
①僕は子どもじゃない 僕は僕だ
②全然眠れなかった 夢を見てたから
第4問
①木が両手を広げてかさをさしてくれてる
ここでまた遊べるね
②木はいいな 小鳥が泊まりに来るから
僕 木になりたい
第5問
①てっぺんに空 向こうに明日
②明日は今日になる
<第1問 解説 正解は②>
三好達治の「土」から
蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああヨットのやうだ
<第2問 解説 正解は①>
工藤直子の詩集「のはらうた」から「海へ」
ぼくは
いつか きっと
うみを
くすぐってやる
<第3問 解説 正解は①>
谷川俊太郎 「ぼく」
僕は子どもじゃない 誰が決めたのか知らないが
僕はぼくだ ぼくはうまれたときからぼくだ
僕は大人じゃない だからこれからも
ぼくはぼくだ ぼくはぼくをやっていく
ぼくはきみじゃない僕は絶対に僕だから
ぼくはぼくだ なんにでもなれる
エイリアンにだってなれる
<第4問 解説 正解②>
清水たみ子
木はいいな、
ことりが とまりにくるから。
ぼく、木になりたい。
ぼくの木に
すずめがたくさんとまりにきたら、
うれしくて
くすぐったくて
からだじゅうのはっぱをちらちらさせて
わらっちゃう。
<第5問 解説 正解①>
工藤直子『風景』
てっぺんに 空
むこうに 明日
麦ばたけをのせて
地球は ブランコ
4 件のコメント:
お久しぶりです。
こういうクイズ、とても勉強になります。よくある「東大なんたら」のタイプのもの知りクイズや
「なんたらに叱られる」のタイプの「そういうもんだから」という“結論ありき”ではなく、
読む人、聴く人に考える「間」を与え、学びの機会を与えてくれます。
これがホンモノ、これがニセモノというようなオチで落ち着くのではなく、それを考える時間を
通して、ヒトの脳自体を働かせてくれるからです。これぞ学習。これぞ教育。
現に私もやってみて、二問ほど回答に迷ったものがありましたが、その間に考えていることは、
何が「詩的なもの」で、何が「詩」かという問題だと思います。つまり、「一見詩のように見えるけれど、
詩ではない」と「一見駄文のように見えるけど、実に詩だ」の間でさ迷う体験。詩の書かれていない
部分まで読むような「読みの読みの読み」(将棋の藤井六冠みたい)をせねばならないという体験
だからで、下手な詩や短歌も書く身にとっては、まさに身につまされました。
これは、今話題になっているチャットGPTの問題にも通ずることで、すなわち何が「創造的な生成」で
何が「模倣的な生成」か?という、人間のオリジナリティやアイデンティティにも直結している問いです。
しかもこの問いは、早まってどちらか一方に軍配を上げることではなく、むしろ両者をくりかえし比較し
対話させることによって、初めて答えが見えて来るのですね。
これは、やや難しくなりますが、アリストテレスの言ったミメーシス(模倣)とプラトンの言ったポイエ
ーシス(ポエジーの語源で、詩的創造または飛躍のこと)の比較ということになります。
長くなるのでこの辺にしますが、チャットGPTのおかげで、人間を見直す良い機会が訪れていると
思っております。
sapporo1972さんは詩人でもあり、文章のプロでもいらっしゃるので、個人的にいただける文章であっても「わたしが独り占めしていいのかな~」といつももったいない気持ちになります。一応このブロウも世界に公開されていますので、一人でも多くの方がこの投稿とコメントをお読みくださると嬉しいです。
さて、書いていただいた「創造的な生成」と「模倣的な生成」ですが、私が直感的に思い浮かべたのはやはり歌のことでした。
私は長く関定子という78歳にしてオペラ歌手であり日本歌曲の歌い手であり指導者でもあるという師匠にお教えいただいてます。目指すは「完全に関定子のマネをすること」です。しかし、どんなマネても関定子には程遠いですし、一方、わたしなりの個性が確立されて来ていることも確かです。
もしも「完全なマネができた」と思える瞬間が来たとしたら、その時わたしと関定子は全く別物になっているように思います。
何をいいたいのかよくわからなくなって来ました。チャットGPTに書いてもらえばよかったかな(笑)
ええ。完全に一致、同一化することもないし、また完全な別物または分離化することも
ないのです。
そんなこと人間である限り、また生命である限り、できるわけもないですから。
よく主客合一ということを言いますが、これとて一瞬そういうことはありますが、また次の瞬間には
その感覚を携えつつ個々に戻るのです。
ですから、大切なことは、対話であると思います。対話循環しつつともに生成・成長していく過程で
あると思います。師を持つことだと思います。または弟子や教え子の中に師を見出すことだと思います。
ですから私は、「対話編」という形で哲学をしたプラトンは信用しますが、独りだけで書き物哲学を
したハイデガーなどはあまり信用しません。(デカルト以降は一応疑います。)
この傾向は、現代の哲学者という人にはよくあって、要するに引きこもり型ですね。鎖国型、独裁者型、
内政不干渉型です。精神衛生上、よろしくありません。(笑)
藤井七冠が七冠となったのは、AIとの対話型時代の中でAIを師とし、AIを活かし自分も活かした
からでしょうね。その対話の深さが違うのだと思います。AIの膨大な経験値と勝利確率の集積の「質」、
それにスピード、これらを活かしたからこその勝利だと観ています。
要するにチャットGPTの活かし方と、性質は極めてよく似ています。
チャットGPTのことを即座に藤井聡太さんのことと関連付けてコメントを書いて下さると、本当によくわかります。ありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。
それにしてもチャットGPTはありがたいです。
私が今20代だったら、チャットGPTのお陰でもっときちんと仕事ができていたか、または、チャットGPTがあれば西野真理はいらなかったか、難しい問題です(笑)
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