金田一秀穂 2023年10月24日(火)

古舘伊知郎YouTubeチャンネル
杏林大学市民講座YouTubeチャンネルより
(気に入ったとこだけ)書き起こし

国語の天才「金田一秀穂」

金田一秀穂(きんだいち ひでほ、1953年〈昭和28年〉5月5日 - )
祖父 - 金田一京助(言語学者)
父 - 金田一春彦(国語学者)
兄 - 金田一真澄(ロシア語学者)
名門国語学者一族・金田一家の三代目であり、親しみやすいキャラクターで日本語の魅力を広く伝えている。2002年頃から「日本語の専門家」としてメディアへの出演が増えた。

以前NHKのスイッチインタビューで厚切りジェイソンと対談。圧勝でした。
例えば
「日本語は曖昧だ」
と勝ち誇っていう厚切りジェイソンに対して
「英語で痛いは?」
「アウチ!ouch」
「熱いは!」
「アウチ!」
「英語はみんな一緒じゃない。日本語なら痛い時は『いたっ!』熱い時は『あつっ!』。日本語のほうが使い分けてますよ。日本人はその状況を即時に表現するよ」

<古舘伊知郎との対談YouTubeより>
・知っている有名人の電話は古舘伊知郎と谷川俊太郎
~汚いというかネガティブな言葉のほうが物事を強調できる~
・「とても」という言葉も昔は良くない方につける言葉だった。例えば「とても汚い」はいいけど「とてもきれい」はだめ。「とても寒い」はいいけど「とても暖かい」はダメ。でも今は「とてもおいしい」という。「すごく美味しい」も本当はだめ。「すごく」もネガティブな言葉につけるものだった。

<余談>

これは西野真理が20代の頃に新聞で読んだのだが、もし2023年のいまなら120歳くらい
のお父さんのことを書いた記事。その記事を書いている人はおそらくその頃80歳以上。
その人が若い頃に、お父さんからこんなふうに言われた。
「今の若いものは言葉の使い方がなってない。『おはようございます』だなんて言っている。『おはようござります』と言え」
それを読んでかなり驚きました。

~言葉は変化している~

・言葉はいわば民主主義みたいなもの。時代とともにみんなの総意で変わっていく。平安時代、奈良時代の言葉、今使ってますか?

・新しい人達は新しい言葉でないと自分の言葉を盛り込めない。だから新しい言葉が必要。若い頃は既成の言葉だと自分の気持ちにしっくりこない。そして仲間言葉的な要素。その言葉を仲間内で使うとうまくいく。そんな事もあって新しい言葉が生まれていく。

・「申し訳ありません」を嫌がる人がいる。正しくは「申しわけない」または「申しわけないことでございます」だった

・ビートルズが来日した時、当時インタビューに答えている若い女性が
 「何かしら、ポールかしら,素敵だわ」
と言っていた。今はそんな言葉使わない。それが当時のギャル言葉。今はそれはおばさんの言葉になっている。だから今も若い子がおばさんになった時、今のギャル言葉をそのまま使っておばさんになる。それをきいて次の世代の女の子は「おばさん」って思う。言葉はミルフィーユみたいになっている

・「神対応」「神回」「神ってる」のように「神」がインフレ状態だがその前に「鬼」っていうのもあった。「鬼わかる」とか使っていた。これはそういうことを表現する上がなくなっちゃったからだろう。

・お笑い芸人のダウンタウンは自分が言いたいことはこれだということを見事な略語で表現する。とてもも安いことを「やすっ!」とても寒いことを「さむっ!」


~言葉というのは衣服のようにその人のイメージを作る~

・役割語というのが有る。例えば野球の野村監督は自分のことを「わし」というイメージ。でも長島監督なら「わたくし」になる。今人気のあのちゃんなんか自分のことを「ぼく」という。それが一番その人を表す

・「教授は家へ帰ってお化粧をすっかり落とした」と聞くと、一瞬変に感じる。「教授は男」という思い込みがあるから。そう言うと、今の女性は怒る。「私の友人にも教授はいっぱいいます」。しかし、男女の役割ガッツリ世代に育ってしまっていると、つい違和感を感じてしまう。今、ちゃんと怒れる時代になった


~言葉での決めつけ~

・言葉は二元論では済まされない。グズグズしたところを残しておいてほしい。

・論破って流行っているけど、勝ち負けではない。議論があったらAかBかではなくてCが出てこなきゃいけない。

・ブラック企業っていう言葉は良くない。ブラック企業と決めつけたその言葉が良くない。もしかしたらダークグレーとかライトグレー位かもしれないのに、ブラックと言ってしまったら真っ黒といういう悪い印象を与えてしまう。その方がわかり安いからだろうが


~不思議なことがたくさん~

・一日ごとの「ごと」と一日置き「おき」の違いは言語学でもまだ謎のまま。

分散数と連続数というのが有る。時間は連続数。人の数は分散数。1.5人とかはない。だから「一人おき」というと人と人との間に、一人おく。「1年おき」というのは数を分散数で捉えるか連続数で捉えるかで解釈が分かれる。

・言葉には不思議な事がいっぱいあって例えば「うちには犬と猫がいます」「うちには猫と犬がいます」どっちがいいですか?「犬と猫」と言いたくなる。どうしてだろう。こういうのはまだわからない。中国だと「猫と犬」という。

・訓読みだと「にしひがし」と言うけど音読みだと「東西とうざい」という。これもわからない。「浮き沈み」というけど「沈みうき」とは言わない。中国語では逆。

<杏林大学YouTube市民講座より>

・国語辞書の最初のページには「愛」が最後のページには「腕力」が載っている。それじゃ真ん中はと言うと、「ナニヌネノ」ではなく「せ」

~説明の難しい言葉~

・国語辞書では基本的な言葉も説明しなければならない。
 「右と左」はとても難しい。
 今よくされているのは「南を向いた時、西が右で東が左」
大槻文彦さんという人が、ウエブスターという辞書で見て、この説明をみてこれを真似て明治時代に「言海」という辞書に載せた。辞書にはあまり著作権というものがない。

・「右、の」の画期的説明?
今から12.3年前にある辞書が活気的な説明を考えた。辞書をひらいたときの偶数ページが右、奇数ページが左。それを見て金田一秀穂さんは良い説明だと思い、お父さんの春彦さんに話した所「右と左の分からない者が、偶数と奇数がわかるわけない」と言った。
 ただ、これに関して西野真理が思うのは、右と左の言葉の説明の仕方について疑問を持って辞書で調べようとする人は、偶数奇数をわかっている人だと思う。

・「間」の説明はむずかしい。どうしても間という言葉を使ってしまう。
新明解国語辞典を見ると
「連続しない2つの点や物の非連続部分を満たす空間・時間など」

・「時」もむずかしい
具体的な行動(変化)が行われる舞台と考えられるもののうちで、「所」に対するもの


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