為末大さん講演会「スポーツを科学する」 2023年10月29日(日)

1ヶ月ほど前、かほく市の公式ラインから西田幾多郎記念哲学で開催されるこの講演会のお知らせが届いたので、私はすぐに申し込みました。先着順でしたが私の受付番号は111番でした。
本日満席。(303席中、関係者席を除き定員250名だったようです)
いいなあ~
私がコンサートを開催する11月12日もこうだったらいいのに・・・

<概要(公式ページより)>
日本で唯一の哲学の博物館である西田幾多郎記念哲学館のあるかほく市で、「走る哲学者」の異名をとる為末大さんをお迎えして、基調講演を行います。講演後には、引き続き為末さんを交え、本市ゆかりの有識者2名と<スポーツ×哲学×まちづくり>をテーマとしてパネルディスカッションを行います。

会場:石川県西田幾多郎記念哲学館(かほく市内日角井1)

※当日は河北台中学校講堂(かほく市遠塚47-1)をサテライト会場とし、哲学館での模様をライブ中継いたします。

日時:令和5年10月29日(日) 13:00~16:00







以下、公演中にとったメモです。
お話の雰囲気というか流れもあり、箇条書きの文字ではうまくお伝えできないかもしれませんが、なんとなくこんなお話だったんだなと思っていただけると幸いです。

<哲学シンポジウム スポーツを哲学する 
            ~地域を盛り上げるヒントを探る~>

為末大(wikipediaより)
為末 大(ためすえ だい、1978年5月3日 - )は、広島市佐伯区出身の男子元陸上競技選手。400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役。株式会社侍 代表取締役。

2001年世界陸上エドモントン大会・2005年世界陸上ヘルシンキ大会の男子400mハードルにおいて、世界陸上選手権の2大会で銅メダルを獲得。またオリンピックには、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続で出場した。身長170cm、体重66kg。

・白シャツに黒のズボン、靴は凝ったスポーツシューズという感じでラフなスタイル。とても感じのいい人

・24歳のときサンフランシスコのジャパンタウンで「禅フェア」をやっていてその時鈴木大拙、西田幾多郎の本を手に取ったのが西田幾多郎との初めての出会い
・その頃はよく分からなかったが、西洋と東洋ではものの見方が違うらしい
・スイミングの本を読んでも泳げるようにはならないのと同じで、東洋の哲学は体験からはじまる

・「スポーツとはなにか」という定義は実は曖昧。一応「ルールが有る・時間と空間に制限がある・勝ち負けがある」ということになっているが、そうすると、将棋もスポーツということになる。逆にサーフィンは入らなくなる。将棋などはヨーロッパでは「マインドスポーツ」と呼ばれている
・為末大さんはスポーツを「自分と環境の間で遊ぶ」と定義している

・スポーツの語源としては
 ラテン語の「デポルターレ」・・・気晴らし 休養する 楽しむ
それがフランスに渡ってディスポルトになりイギリスでスポーツになった
・イギリスでは最初、疑似訓練のようだったらしい
・イギリスではラグビーが盛んだが、やっているうちに「相手の足をちょっと蹴ってもいい」というグループと「蹴ったりしちゃだめだ」というグループがあり、話し合いの結果蹴らないことになった。でも蹴りたい人たちがサッカーを作ったという話もある

・次のオリンピックでは日本のテレビ番組の「サスケ」みたいな「アスレチックスポーツ」が入った。現在オリンピック競技はスタジアムの外に向かう傾向にある
・流れとしては「小スポーツ」「少スペース」「短時間」。例えば3人でするバスケットとか5人でするサッカーとか
・スポーツは境目がはっきりしなくなっている

・為末さんは小さい頃から足が早く、少年野球チームからも声がかかった。入ったけれど打撃も守備も下手。でも足が速いから代走専門で大活躍し、そのチームは地方のベスト8に入った。すると次の年からルールが変えられて、代走は一人1回までになった

・中学生の時陸上で日本一になった。中学の時点で身長も170センチ。でもそこで止まった。そして高校生になるとそれまで勝っていた相手に負けてしまった
・勝っていた時は周りもチヤホヤしてくれいい気になっていたし、負けると人が離れて行って何なんだろうと思う。そんな時社会に影響される自分って何なんだろうと思い始めた
・また自分は広島出身で祖母は被爆者。祖父はメディア関係者。もし自分がアメリカで生まれていたら原爆に関しても違う見方をしていただろう。そういう色々なことから社会と自分との関係について考えはじめた

・ある時、陸上の大会でどんどん人が転んでいる競技を見た。400メートルハードルだった。これなら勝てるかもしれないという理由でハードルを始めた

・1番印象に残っているのはオーストラリア・シドニーオリンピック。このとき五輪の予選で転倒し敗退。この時自分は世界ランキング18位だったが、五輪の決勝順位は他の選手も世界ランキングとかなり違っていた。多くの人が自分を見ている4年に1回の大会でどう力を出すか?つまり心の問題になってくる。でもこういう練習はできない。それで色々な海外の大会に参加し始めた。

・海外の賞金は1位で150万円。5、6位だと30万円。年間多くて15試合、世界ランキングが5~6位で年収600~700万円。もちろん旅費等は自分で出す
・オランダのハーグを拠点にやっていたが、練習は1日60分週4回

・その頃黒人の友人に黒人しかいないクラブに遊びに連れて行ってもらったが、どうしていいか分からないから友人に聞いたら「とりあえず体を上下に動かしてリズムを取れ」と言われたから動かしていたら、自分だけ体でとるリズムが逆だった

・外国で膝が痛くなった時「腱が悪くなっているから、これ以上になったら手術しましょう」と言われた。日本に帰ってきて相談したら「右肩の動きに合わせて膝がねじれているからそのねじれを止めよう」と言われた。また、人間が歩く時体は左右に揺れるが日本人はそれがとても少ない。どっちがいいとか悪いではない

・人間は体を通して学んだことはずっとできる。ドアノブを開けられるとか自転車に乗るとか
・「なにかの役に立とう」なんて思った途端良くないことになる。スポーツをなにかに役立てようとかではなく楽しいからやる。文化の難しい所
・自分も自分の心を捉えたことを追いかけてきただけ。自分が面白いと思うことを遠慮せずやる
・面白い町というのは、一人面白いことをやろうとしている人がいて、それを応援してくれている人が一人いる、というところから始まる

・今一番増えているのは「市民マラソン」。これが始まった時は、一流選手なんて呼んでなかった。市民が出るし、仮装してもよかったりなど、みんなが楽しんでいる
・フランスのワイナリーマラソンなんて、途中ワインを飲んでいる
・今オリンピックに入ってきているものは、町から出てきたもの。この競技環境じゃなきゃできないなんてものじゃない
・まずは遊び感覚で裾野を広げる

・最後に支えになったのは自分が子供の頃楽しかったということ。「勝てる」という理由だけでは難しい
・挫折した時、新しい見方ができるかどうかが大事
・スポーツは人生そのものではない。わかりやすい挫折体験を作りやすい
・挫折の場面ではちゃんとそこまで落ち、悲しむことが大事
・日本ではスポーツは学校とか塾と並んでいる。外国では映画とか居酒屋と並んでいる
・下手の横好きを面白がる感覚で大会をやってみる。その競技を3ヶ月以上やった人は出場禁止とか

以上、講演会のメモでした。
この講演会の帰りに、かつての同僚に会ったのですが
「今日のお話、まりちゃんのことみたいだね」
と言われて、実は私内心そう思っていたのですが、改めて人から言われてとても嬉しい気持ちで会場をあとにしました。

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