今日のブログは、私が21年前、奏楽堂日本歌曲コンクールで2位になったときの、私だけが重要だと思っている場面の回想です。
このお話は少々込み入っていて、お話するのも文章にするのも面倒。ですから実際はこれからのお話、「秘話」とはいうものの5~6人の親しい方にはお話ししています。
しかし、あれから21年経ったので、自分の記録として書き起こしてみることにしました。これをお読みくださる方、話があちこち飛びますし、とても重要な部分が西野真理の想像(憶測)でしかないので、その辺りご了解の上お読みくださいませ。
<まず最初に奏楽堂日本歌曲コンクール挑戦記録>
1998年 36歳 第9回(初出場)1次予選敗退(198人中67位・通過45人)
1999年 37歳 第10回(2回目)1次予選敗退(203人中56位・通過45人)
2000年 38歳 第11回(3回目)1次予選通過(198人中30位・通過45人)
2次予選敗退(45人中16位・通過11人)
2001年 39歳 第12回(4回目)1次予選敗退(198人中49位・通過47人)
2002年 40歳 第13回 (5回目) 1次予選通過(223人中20位・通過50人)
2次予選通過(50人中7位)
本選入選 ( 11人中6位)
2003年 41歳 第14回(6回目) 1次予選通過(183人中18位・通過49人)
2次予選通過(49人中4位)
本選2位(8人中)
2次予選通過(50人中7位)
本選入選 ( 11人中6位)
2003年 41歳 第14回(6回目) 1次予選通過(183人中18位・通過49人)
2次予選通過(49人中4位)
本選2位(8人中)
このブログは↑の赤字の部分に関することです。
早速話は飛びます。でも、ここが重要な部分にとっていちばん重要な部分。
詳細は↑にリンクを貼っておきますのでそちらを。
簡単に書きますと、福光声楽サマーセミナーは1993年から2013年までの20年間、富山県福光町(現在の南砺市)のスキー場イオックス・アローザを会場として毎年8月1日~7日まで行われた声楽とピアノ伴奏者のためのセミナーです。
そのセミナーに私はほぼ毎回参加(聴講も)しました。その初期は実力もなければ現在の師匠・関定子との個人的つながりもありませんでした。
また、セミナーそのものも少しずつ工夫・進化されながら重ねられました。
そんなセミナー発足5年以内(多分)の時。
セミナー最終日に優秀受講生が発表され、最終日のパーティー会場で、選ばれた皆さんの演奏が披露されます。優秀受講生発表そのものは最後まで続きましたが、いつからか演奏はなくなり、表彰だけになりました。
<西野真理のセミナー参加とコンクール挑戦>
おわかりの通り、私のセミナー参加とコンクール挑戦は重なっています。そしてコンクールに敗退を続けていた頃、セミナーでも優秀者に選ばれることなどもちろんありませんでした。
そんな頃の私は、最終日に優秀者に選ばれた人たちをただ羨ましく、また、惨めな思いを抱きながら眺めていました。
その優秀者にAさんもいらっしゃいました。後で分かるのですが、Aさんは関先生門下のお一人でした。
<2003年奏楽堂日本歌曲コンクール一次予選>
時が経ち、セミナーでもコンクールでも少しずつ実力が上がったことが感じられるようになっていきました。
そして迎えた2003年奏楽堂日本歌曲コンクール一次予選。
会場に到着すると受付でプログラムを受け取ります。一次と二次は番号だけのプログラムで、名前が記載されていないので、自分の順番に自分の歌う2曲が正しく記載されているかどうか、まずは確かめなければなりません。
すると、私の演奏曲「木の洞」「病める薔薇」の次の出演順の方の欄にも全く同じ順番で「木の洞」「病める薔薇」。
その時私は思いました。
「私が先で良かった」
<会場廊下で>
着替えも済ませあと5~6人で自分の順番、ステージ方向へ向かいました。
そこで出会ったのがピアニストのBさん。彼女は福光声楽サマーセミナー公式ピアニスト。セミナーに何度も参加するうちに顔見知りになり、親しくお話できるようになっていました。Bさんは優しくてどなたからも信頼され、関先生のステージピアニストとしてもご活躍の方です。
「あ、西野さん。全く同じ曲歌うのね!」
なんと、私の次の全く同じ歌を歌われる方のピアニストがBさんだったのです。そして、Bさんのすぐ後ろにいらした歌い手さんを見ると、あれ?どこかで見たような・・・福光声楽サマーセミナーで優秀賞に選ばれた方じゃないかな?
私はその時それがAさんとはわかりませんでした。この方がAさんだとはっきりわかったのは昨年(2023年)のこと。もしかして、と思ってこのお話をBさんにして初めてわかったのです。
<Aさんの反応>
私はAさんを見て瞬間的にとても安心しました。
「優秀な方の前に歌えて良かった」
そしてAさん。ここからが私の想像(憶測)です。私はAさんをとても優秀な方であると察知し、私は挑戦者という気持ちでその場にいました。
ところがその時のAさんの表情が私には
「こんな優秀な人のあとに歌わなきゃならないの」
と思っていらっしゃるように見えたのです。そして
「以前自分が優秀だと思った人から優秀な人だと思われて嬉しいな!」
そんな気分になってしまったのです。
その瞬間から私の心はとても軽くなりました。こう見えても(どう見えるか存じませんが)私はとってもあがり症なのです。しかしこのことで緊張がとれて、一次予選はとても気持ちよく歌うことができました。
一方AさんとBさんですが、その後Bさんから
「舞台袖で全く同じ曲聞いて、なんか変な感じになっちゃって・・・」
気持は良くわかります。順番が逆だったら結果は違っていたかもしれません。
結果的に私は一次予選通過、Aさんは一次で敗退されたそうです。(これも昨年わかったことです)
<本選後の感想>
その後私は2次予選も通過し本選に残り、2位になることができました。
本選前もあの場面を思い出し、あのときの心の軽さを持ったまま臨めたように思います。
「運か努力か」
という論争がよくありますが、私のこのコンクールに関しては、まさに運としか言いようがない、と今も思います。
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