川北小学校研修会講師当日 2025年6月26日(木)

このブログはこちらをお読みになった前提で進めます。

<朝のひらめき>
さあいよいよ当日です。
13時ちょっと前に出発すれば十分間に合いますから、のんびり準備できます。しかし実際は5時に目覚めソワソワ。そのうち、ちょっとしたひらめきがありました。
「歌の会『Sing幾多郎』には参加者なし。コンサートのお客様も多くて10人強。FMは何人お聴きくださっているかわからない。YouTubeだって登録者2000人に届かない・・・頭ではわかっていたことだけれど『自分がしたいことじゃなくて、相手が必要としていることをする』っていう発想じゃなきゃダメ。今回のこのオファーは、ダイレクト葉書を出しただけで強力に売り込んだわけではないのにお声掛けいただいた・・・ということは、私の必要とされているのは、こういうところなんじゃないかな」
思ったらすぐ行動。そこでできたのがこれ。
↓対象を小中学校の先生に絞ったチラシです。




















コンサート活動等、自分が主体となって行うことと同じくらいやりたいと思っていた
「今まで私に伝えていただいたことを、私が次の人たちに伝える」
ということを、頭の中で整理できた気持ちになりました。

<氷室饅頭>
結局我慢できなくなって、12時半前に家を出ました。出るときに
「授業後でお腹もすいているし、自分でも普段から『食べ物をくれる人はいい人』と思ってるんだから、皆さんと一緒に食べるお菓子買っていきましょう」
と、いつものお菓子屋さんへ行くと、定休日。仕方ありません。でももう1件おいしいお菓子屋さんがありますからそちらへ。
「ずんだ餡氷室饅頭」
を買って、さあ出発。

<道の駅>
当然ですが早く着きすぎました。
2.5キロ先に道の駅があるという看板を発見し、そこでしばらくうろうろして、お野菜を買いました。

<S校長先生>
先日から30年以上ぶりくらいに電話やラインで連絡をとり、すっかり以前に戻った気になっていました。でも、実際にはお互いお顔を合わせてはいないので、ちょっと緊張します。
到着しました。
学校の玄関でお出迎えくださった、昔のままかわいいS校長先生を見てうれしくなりました。

<6年生の授業>
小学生の授業をするのは、え~っと・・・41年ぶりです!大学を卒業して、山口県の岐山小学校で1年間の通年講師(音楽専科)をして以来。
今回お引き受けして、私はすぐに次のように考えました。
「この子たちを教えるのはこの1回限りなんだから、オール西野真理ペースで、伝えたいことをこれでもかと詰め込もう」
~基本、自分がかつて授業をしてきたスタイル~
・教室の座席はピアノを黒板の前の中央に置き、机なし、椅子2列半円形に
・チャイムより前に教室に行き、生徒が好きそうな曲をピアノで弾きながら待つ
・チャイムが鳴ったらすぐに校歌の前奏を弾き、有無を言わさず歌わせる
・ある程度声が出てきた段階で、簡単に自己紹介
・その後は子どもたちの様子を見ながら、教えられそうなことをできる限り教える
 (先生方から事前に「※こんなことを」と言われていたことを含めながら)
 ①ビブラート
 ②言葉のさばきかた
 ③声帯の仕組み
 ④和音のこと※
 ⑤変声期の児童に配慮した授業の進め方※
・テンポよく、生徒を休ませない

久しぶりのわりによくできました🌸(自己評価)

<ミニコンサート>
1曲歌っただけですけどね。
S校長先生はピアノ科の方。事前打ち合わせで
「小学校6年生の教科書に載っている『いのちの歌』」
に決定。

演奏前に、拍手の仕方を指導しました。
「後奏が終わって、歌手が体勢を崩したら拍手するのよ」
こういう指導は必要だと思います。
こういう指導をちゃんとしないから、これ見よがしにフライング拍手する大人が存在してしまうのです。
S校長先生との息もぴったりで無事終了。

<先生方との研修会>
まず氷室饅頭を食べましょう。
若いころ、おばさんたちが何かと食べ物を配るのを見て
「どうしておばさんたちって、いつも食べ物配るんだろう」
と思っていました。私も立派なおばさんになったようです。

7名の熱心な先生方との質疑応答やミニレッスン。
最後に、私のチラシや、音楽教育界での相当に毒づいた内容を含むエッセイ集等をお渡ししました。この「毒エッセイ」さすがに現在もブログには掲載していません。でも、今決めました。65歳になったらブログに公開します。

お配りした中で今後一番お役に立つのは堀博嗣さんに関するレジメでしょう。
これはこのブログにも掲載しているので↑教育関係者の方、是非お読みください。

<帰り道>
帰りの車の中、なんとなく勤務帰りのような懐かしい気持になりました。





 

関定子主演オペラ「アイーダ」鑑賞と塚田先生レッスンとなっちゃんの旅 その4 番外編  2025年6月24日(火)

盛りだくさんの1泊2日。メインのレッスン・オペラ・なっちゃん以外の印象に残ったことを順不同で書きます。

<人生58歳から説>
廣木さんと音楽談義をしていた時、7歳年下の廣木さんに、つい熱く語った、西野真理の「人生58歳から説」。

多くの人が生きる糧を得るために働きます。その仕事がそのまま生きがいだとか夢である方もいらっしゃるでしょう。でも、多くの場合、ある程度は譲歩し、我慢して人生の輝かしい時間をそのことに費やします。
ではそれをいつまでするのか?
私は「58歳まで」と考えています。
そう思い始めたきっかけはハイドンと西田幾多郎でした。
ハイドンは58歳までエステルハージ家で楽長として(作曲はもちろん、楽団員の管理も)58歳で諸事情含んだ定年退職。その後イギリスに渡り大成功。
西田幾多郎は58歳で京都大学を定年退職し、その後「善の研究」を書いています。
この2人の例だけでなんのエビデンスもありませんが、私は
「58歳からは本当にしたいことをしていいんじゃないか」
と思い始めました。

しかし、現在年金は65歳からしかもらえない、定年退職年齢は65歳に引き上げ。こんなこと綺麗事・実現不可能と思われる方、もうちょっと読んでね。

私が58歳からと実感したのは実際に58歳を体験したから。もちろん個人差はあるに決まっていますが、58歳は体力もあり、見た目はどうあれ結構若いのです。そして私はその58歳を「コロナ禍」の中経験しました。「58歳から説」を勝手に唱えつつも、経済的にそう出来ない状況でコロナ。
私はコロナのおかげで、それまでほとんど見たこともなかったYouTubeに足を踏み入れることになりました。学校で授業ができない代わりに、YouTubeに授業動画をアップしたのがきっかけです。それが退職後の予備段階として機能することになりました。現在の西野真理YouTubeなしの人生は考えられません。

退職後やりたいことをすぐ始めるためには、それなりの準備が必要。私には漠然と思うことがあっただけで、なんの準備もしていませんでした。ところが偶然YouTubeと出会い、それが退職後の準備になったのです。

みなさん、58歳からは
「シークレットリタイヤ」
または
「ハーフリタイヤ」
しましょう。
仕事はもちろんちゃんとするのですが、並行して退職後の準備を始めるのです。
準備と言っても物品を揃えるだけが準備ではありません。何をするか考え始めることだって、立派な準備です。7年あれば結構な事ができます。なんなら本当に準備ができた時、例えば62歳で辞めたっていじゃないですか。
・・・とこんなことを廣木さんに語っていました。

<ホットドッグをここで?!>
アイーダの会場・紀尾井ホール前で先頭から3、4人目として廣木さんとおしゃべりしつつ待っているときのこと。私たちのすぐ後ろの女性お二人が、バッグからミニサイズのホットドッグを出し、立ったままお召し上がりになり始めました。かなり驚きました。
道を挟んだ向かい側はホテルニューオータニ。坂を下れば国会議員宿舎というハイソな立地の紀尾井ホール玄関で。

<反省>
行きの新幹線車内。
発車後すぐ、トイレへ行きました。
帰ってみると私のキャリーケースが真ん中の通路へ転がっていました。あ〜大変、キャスターを下にしたまま立てておいたらころがったのです。
すぐ自分の座席に戻すと、通路反対側の男性が、少々怒った声で
「ここまで来た!」
と。
「あ〜ごめんなさい」
皆さん、キャリーケースはキャスターを下にしたままでは転がります・・・ブレーキの着いたタイプ、買おうかな。
その後、もちろん帰りもキャリーケースは側面を下にして足元に置きました。

<2日間旅行中に食べたもの一覧表>
23日朝   コンビニシュークリーム(新幹線車内)
  昼   ずんだ餅(塚田先生宅) 
  15時頃 クリームソーダ(カフェベローチェ:廣木さんから)
  夜   コンビニプリンパフェ ファミチキ(ホテル)
24日朝   フィナンシェとクッキー(陽子ちゃんのお土産・ホテル)
  昼   クリームパン(新幹線ホームで購入:新幹線車内)

ファミチキ以外は全部甘いもので、これはダメだと思います。
  

関定子主演オペラ「アイーダ」鑑賞と塚田先生レッスンとなっちゃんの旅 その3 なっちゃんに会いに  2025年6月24日(火)

昨夜はアイーダの余韻に浸りながらブログを書いていたため、寝たのは12時を回っていました。ですから翌朝はいつまでも寝ているかも?と思っていたら63歳、6時起床。
昨日のブログの加筆訂正、お化粧、なんてしているうちにあっという間に8時半。コンビニに朝ごはんを買いに行くのも面倒になって、昨日陽子ちゃんに頂いたフィナンシェとクッキーで甘い朝食。こういうの大好き。小学生なら指導されます。

さあ、なっちゃんに会いに行きましょう。

着きました。
前回が2週間前でしたから、そんなに変わっているはずもありません。でも大きくなっている気がします。
















すくすく健康そうに育っているなっちゃん、いつまでも見ていたいところですけれど、帰らなくちゃね。

12時24分発「はくたか」自由席楽々乗車。
お昼ご飯
盛りだくさんの1泊2日もこれでおしまい。
電車がどんどん来る都会から金沢駅についたあと、在来線は1時間来ないので、彼に迎えに来てもらいます。



関定子主演オペラ「アイーダ」鑑賞と塚田先生レッスンとなっちゃんの旅 その2 塚田先生レッスンとアイーダ  2025年6月23日(月)

ホテルに荷物を置き、塚田先生のご自宅最寄り駅を降りると、そこには立憲民主党の長妻さん。
安倍元総理といい長妻さんといい、この警備の薄さ。肩書がないとこんなものかと心配になりました。

少し早く着きすぎました。レッスン時間30分前です。陽子ちゃんもまだだし、時間潰しに近所のスーパーをウロウロするのもすぐに飽き、結局15分前にピンポン。先生、快く開けてくださって、しばらく雑談を楽しみました。
まもなく陽子ちゃん到着。先生がずんだ餅を出してくださって、レッスン前のおやつの時間。

さあレッスンです。
当然ですけど、ピアニストと一緒にレッスンを受けるといい‼️
これをお読みの一般の方は、意味が今一つおわかりにならないでしょう。
ちょっとご説明いたしますね。普段歌のレッスンは、受講は歌い手、ピアニストはその補助という感じ。しかし塚田先生のレッスンは、2人ともにレッスンを受ける形式なので(そうでないパターンもあります)、歌とピアノを総合的に理解することができます。普段どうしても歌のことしか考えません。でも、こうしてピアニストが先生からアドバイスを受けるのを聞いていると、新しい視点が見えて、とても参考になります。
特に今回、私の訳詩で見ていただいたブラームスの「野の寂しさ」は、今までとは比べ物にならない音楽になりました。
レッスン後、YouTubeにアップしてあった「野の寂しさ」すぐに限定公開(URLを知ってる人しか見れない)に切り替えました。

終了後陽子ちゃんは和声学の講座へ…私も誘われていたのですけれど、オペラの席取りを優先してお断りしました(座席はゾーン指定なので)。

時間が中途半端なのでもう一度荷物を置きにホテルへ。そして半蔵門周辺散策。
国立劇場、そしてその側にあったモルディブ大使館。FM東京。(全部前を通過しただけ)

今回のオペラ、本当は大好きな歌手仲間・のぞみちゃんとご一緒する予定でした。しかし都合が悪くなりキャンセル。そこで作曲家の廣木さんをお誘いしました。直接お会いするのって何年ぶりでしょう?少なくとも2年は経っています。
15時に半蔵門で待ち合わせ、カフェ・ベローチェで音楽談義を1時間半。その後、座席確保のため早めに紀尾井ホールへ。
ホール前に着くと、前から3人目、よし!
歩きながら、開場を待ちながら廣木さんとずっとおしゃべり。

開場後すぐにプロデューサーの堀内さんとお会いして、いつものこれ、いただきました。



開演を待ちながらもずっとしゃべりっぱなし。こういう話って、なかなかできる相手がいないので、至福の時でした。

さあ、開演です。
オペラ「アイーダ」。
プロデューサーの堀内さんの人望で集められた素晴らしい歌手による低価格のオペラ。ほぼ満席。
師匠・関定子演じるアイーダは、幕が進むにつれ疲れるどころか調子アップ‼️
皆さんのご近所に80歳でオペラ全幕歌える人、いらっしゃいますか!
感涙。
もちろん他のキャストも文句なし。
ラダメス(アイーダの恋人)小野弘晴さん(知らない人)
どこまでも高く、いつまでも延びるつややかな声。

アモナズロ(アイーダの父)清水良一さん(大好きなバリトン歌手。何度も共演経験あり)音域が広く、コミカルなものからシリアスなものまで何でもできる歌唱力と演技力。

アムネリス(エジプト王女)城守香さん(一度音友ホールでご一緒したことがあります)こちらも音域・演技力文句なし。声量も男性並み。
合唱団。こちらは生で聴く醍醐味はアンサンブルにあると思わせてくださいます。

そしてこのオペラシリーズを1998年以来22回も続けてこられた堀内さんこそ、今日のオペラで最も喝采を浴びる人です‼️でも、ご本人は決して前には出られません。裏方のプロ。
↓は終演後こっそり堀内さんと一緒に自撮りしたもの。


記憶に残るオペラでした。
関先生と





清水さんと





オペラからホテルに戻り夕飯

その3に続く







関定子主演オペラ「アイーダ」鑑賞と塚田先生レッスンとなっちゃんの旅 その1 塚田先生のお宅に着くまで  2025年6月23日(月)

この計画は我師匠・関定子主演オペラ「アイーダ」のことをお聞きした時から、いえ、もっと前から始まっていました。だって、先生のオペラ、いつも6月の第3週の月曜日。昨年の段階から
「来年も出来るだけ行きましょう」
と思っていたところに
「今回でフルオペラは本当に最後」
とお聞きしたため
「絶対行く‼️」
に変わりました。
なぜ「本当に」かと言いますと、毎回
「これで最後かも?」
と言われていたから。

せっかく行くのですから、何かとセットにしたいと思っていたところに、ピアニストの近藤陽子ちゃんから
「塚田先生に山田耕筰の童謡のレッスンを受けたいと思ってます」
というラインでのつぶやき。
そこですかさず
「もし6月23日のオペラ前に入れていただけるなんて事があれば、ご一緒に是非‼️‼️」
陽子ちゃんから塚田先生にお問い合わせくださって、この願いが叶ったのです。

さて、現在6月23日(月)北陸新幹線かがやき500号車内です。
先程までヴォルフの訳詩(女声のための6つの歌曲「糸を紡ぐ娘」)をしていて、ちょうど大宮あたりで完成したのでブログ執筆を始めました。

では、今朝からの行動を振り返ってみましょう。
4時10分
目覚まし前に起床。
外は豪雨。
七尾線まずいかも。
↑この予感を信じるべきでした。でもネット検索すると「平常運転」って書いてあったので、彼に宇野気駅まで送ってもらいホームに入ろうとしたその時
「雨のため20分程度の遅れ」
の放送が。
「早く言って!」
20分遅れたら6時02分発かがやきには乗れません。彼に電話して、すぐ駅まで来てもらい、金沢駅まで送ってもらいました。
そもそも、前日から
「金沢駅まで送ってあげるよ」
といわれていたのですから、そのとおりにすればよかった。
幸い早朝で道路も空き空き。余裕で到着。
もし乗れなかったら、新幹線チケットが✕。今回のは早割り・一万円弱で買えた代わりに、一切変更がきかないのです。本当によかった。

金沢駅です。
ここでこんなことになるとは(;_;)
転びました。
自分のキャリーケースに躓いて。
幸い顔から落ちることなく、手と膝をぶつけて済みましたし、人も少なく後ろから来る人に踏まれたり迷惑をかけることもありませんでした。東京駅だったら10人くらいに踏まれるか、それ以上の人を将棋倒しにしてしまったかもしれません。
63歳の自分を過信しないでおこうと思った出来事でした。

あ、上野に着きました。
一旦執筆中断。

東京駅からホテルへ向かい荷物を預けて塚田先生のお宅へ。中央線で人身事故のためのダイヤが乱れているとか。人身事故なんて石川県でおこったらトップニュース!

転んで打撲した膝も痛みはなく、無事レッスンを受けられそうです。
 
その2へ続く


町会グランドゴルフ大会 2025年6月22日(日)

小学生の日記レベルのブログです。

今日午後から、町会のグランドゴルフ大会がありました。参加者は21名です。










開会式までは猛暑!だったのに、急に曇って風も出て、最高のグランドゴルフ日和になりました。それでも完全防備。(サングラスもかけていました)
結果は女子の部5位!














女性参加者は6名でした。

町会長の彼はこの日、午前中は小学校の体育館で宇野気区民のペタンク大会、午後は町会グランドゴルフ。
彼はグランドゴルフでホールインワン賞をもらうことができました。
いい日でした。

DTM音源借用願:フィドロサミル・Ryuさん 2025年6月21日(土)

1つ前のブログを書きながら、このことを書いておかなくてはと思い、引き続きキーボードに向かいました。
フィドロサミル・Ryuさんのことです。
 фю Ядро СА Мир (フィドロサミル / Phydrosamir)

いざ書こうとすると、Ryuさんとの出会いがいつだったかはっきりと思い出せません。
そこで自分でアップしているYouTubeやその記録をさかのぼったところ、2021年2月11日の「Believe」という合唱曲がどうやら最初のようです。
https://youtu.be/bayZgd6l7_Q?si=DXz6ZeKrVYSbeK5M
コロナから1年、まだまだ学校の授業で歌は禁止されている状態のころ。私は家でせっせとYouTubeに合唱曲をアップしていました。

そんな時困るのがピアノ伴奏。
一番経済的なのは、自分で弾いて録音すること。しかし、西野真理、簡単な曲しか弾けませんし、ちょっと難しい曲など、その録音に何日もかかって、コスパが悪いことこの上ない。
次は当然ですが、ピアニストに録音を発注すること。経済的には大変だけれど間違いありません。
そこで、YouTubeにアップしていらっしゃるピアノ伴奏を使わせていただけないかと、動画の概要欄を読むと、
「お断りします」
が8割以上。
実は初期のころ、そこをよく読まず、その伴奏で歌をアップしたところ
「訴えますよ!」
というコメントをいただいたことがあり、驚いて謝罪の上、即刻削除。
それ以来とても用心深くなっていました。

そんな中、2割程度
「どうぞご自由にお使いください」
とか、お問い合わせすると
「使っていただけて嬉しいです」
という方がいらっしゃいます。
そのお一人がフィドロサミルというチャンネルのRyuさんでした。合唱曲の伴奏もたくさん作成していらっしゃいます。
(ほかにも「まがい物商事株式会社」さんも快く使わせてくださいます。こちらはJpopのカラオケがメイン)
Ryuさんのピアノ伴奏音源は実際のピアノ伴奏ではなく、DTM(デスクトップミュージック:パソコンで打ち込み)。

さて、最初の曲を使わせていいただいて以来、合唱曲をRyuさんの作品で探すうち
「あれ?この音違ってる」
という曲が何曲かあることに気づきました。
最初は余計なお世話かとも思いましたが、勇気を出してそのことをお知らせしてみました。
すると、Ryuさんはそのことを好意的に受け取ってくださって
「実は自分のスタッフには、そういうことが得意なものがいない。西野さんに作成した音源のチェックをお願いできないか?お礼は、謝礼をお支払いするか、西野さんの歌いたい曲の伴奏をおつくりするという方法で」
というご依頼がありました。
結構責任重大で少し迷いましたが、作品を使わせていただいているし、自分の能力も生かせるご依頼ですので
「何かあれば伴奏を作っていただくというお約束でお引き受けします」
ということになりました。

その後、時々伴奏をお借りしながら合唱曲をアップし、伴奏作成をお願いすることもないまま迎えた2022年9月、チェック用合唱曲の伴奏音源がたくさん送られてきました。
さあ始めましょう。
例えばこんな感じでチェック内容を送信しました。

「心の中にきらめいて」 ◎

「 夏の日の贈りもの」 ◎

「 輝くために」 3分11秒あたり 「ふみだそう」の小節「そ」の部分右手

「 旅立ちの日に」 間奏(1カッコ)4小節目 1分46秒あたり 2拍目のリズム✕ 付点がついてしまっています。それから、間違いではないのですが、最後のアルペジオにはフェルマータがついているのでもっとゆっくりだと感じが出ると思います。

「 マイ バラード」 ◎

「友 旅立ちの時」 2分19秒あたり「にもわからないさ」の2拍目 右手16分音符2つ目「ら」の部分の音✕ 

「いつまでも」 ◎

「 あなたへ」 0分35秒あたり「みぬせかい」右手3拍目✕ 同様に、1分44秒あたり「ぼくだけがこん」右手3拍目✕  2分15秒あたり 「もった」の小節 2拍目裏の音✕

 「大地讃頌」0分11秒あたり 4小節目右手の音✕

ここからやっと本題です。
2025年9月の美女コンではブラームス作曲「ジプシーの歌」を西野真理オリジナル訳詩で全曲演奏しようと早々に決めました。そして山田耕筰童謡100。あとは?・・・合唱の名曲を独唱しよう!ということを思いついて選曲開始。
そこですぐに頭に浮かんだのが
「怪獣のバラード」
でした。
この曲は、20代~30代前半の教員生活で反省することがたくさん。この曲、中学生に合唱コンクール歌わせてはいけません。私はそのころちゃんとわかってなくて歌わせて大失敗。
あの時の中学生、ごめんなさい。

「怪獣のバラード」は
・結局大人の歌
・音がかなり高く、リズム感も必要。ただ楽しく歌える曲ではない
・テンポが速い(四分音符=162)
・ピアノがとても難しい。これを指定のテンポで弾ける中学生がいたとしたら、その子はプロのピアニストを目指した方がいい。私はゆっくりでも弾けない曲
(授業での合唱コンクール練習の時は、コードで弾いていました)
・YouTubeにもピアニストが「実際のテンポ」で演奏されているものがいくつかあるが、人間だからどうしてもテンポが乱れる

<怪獣のバラード(Wikipediaより)>
本曲は1972年4月に『ステージ101』の音楽監督に就任した東海林が初めて手掛けた番組オリジナルソングの一つであり、1972年6月4日の放送回で、レギュラー出演者のコーラス・グループ「ヤング101」の歌によって発表された。番組で披露される時にはヤング101と共に着ぐるみの怪獣が出演した。

1972年7月25日にヤング101のEPレコード(EXPRESS ETP-2710)として発売され、同年9月5日に発売されたアルバム『怪獣のバラード』(EXPRESS ETP-8198)にも収録された。冒頭部分で軽快な巻き舌を披露しているのは、当時ヤング101のメンバーであった串田アキラである。
テンポの速い曲(BPM:162)で、ホ長調である。また、ピアノ伴奏は右手で弾く部分が多い。

これを63歳の今、改めてテンポ通りに人前で歌ってみようと思ったのです。(YouTubeにはRyuさんの音源でアップ済み)
そこでピアノ伴奏を誰にお願いするか。いつもカラピアノをお願いしているピアニストのどなたかに発注すれば、弾いてくださるに決まっています。しかし!私はこの曲を
「申し訳ないけれど、耳に電子メトロノームを流しながらきっちり162のテンポで」
とお願いしたいのです。
だめでしょう。
あまりに失礼。

そこでRyuさんの「怪獣のバラード」をお借りしようと思い立ちました。
もう3年以上ご連絡したことはありませんが、メールしてみました。

Ryu様
大変ご無沙汰しております。西野真理です。
1つお願いがあります。
以前
「音源確認のお礼をいただかない代わりに、私の歌いたいものがあればその伴奏を」
のような軽いお約束をしていただきました。
しかし、3年も前のことですので、お約束はとっくに失効しているかと思われます。
そこで、Ryuさんのアップされている
「怪獣のバラード」
の音源ファイルをいただけないでしょうか?
あの曲は大変スピードが速いうえに、完全インテンポでの演奏が必要。
人間よりも機械にとても適合している曲で、
私の知り合いのピアニストに伴奏をお願いするよりも
Ryuさんの作品を使わせていただけたらと思ったからです。
ご無理なようでしたら、このお話、スルーしてくださって構いません。

なんとRyuさん、ご快諾の上、すぐに「怪獣のバラード」伴奏音源をお送りくださいました。

9月の美女コン、どうぞお楽しみに。


発見(!?)藤重侑宇さん 2025日6月21日(土)

次回第41回美女コンは7月27日(日)。まだ1か月以上先。でもすでにその次とさらに次の美女コンの計画も着々と進んでいます。西野真理、意外に用意周到・・・というか、そうしないとピアニストの皆さんへのカラピアノ発注が間に合わなくなるからです。もちろん自分の練習も。
そんなわけで、昨日9月の第42回美女コンのプログラムは概ね決定。そして今朝から11月・第43回美女コンについて考え始めました。ただ、9月のプログラムを決める段階で一度決めたプログラムをやめにし、それを半分11月に回すことにしたため、ある意味幸運に11月のプログラムは半分出来上がりました。

「11月だし、後半は『秋の歌特集』にしましょう」
と、ネット検索したりYouTubeを見たりしていた時のこと、YouTubeのお勧めに
https://youtu.be/39d44adxzvA?si=ojs64ktT2WpEt1ce
↑これが出てきました。
面白い!
いったいこの作曲家は何者?
藤重侑宇さん?YouTubeの概要欄に
東京音大作曲科(映画・放送音楽コース)卒。23歳。曲を作ったりピアノを弾いたりします。
と書いてありました。

他にはどんな曲があるのかな?歌曲はないかな?
すると
https://youtu.be/Sf_uai9MebI?si=bKU8WtphvpRR8uBY
面白い!

すぐにコメント欄にその旨書き込み、FacebookからMessengerでメッセージを送信しました。

初めまして、西野真理と申します。楽曲のコメント欄にも書き込ませていただきましたが、 https://youtu.be/Sf_uai9MebI?si=j2IJoXQ4X0CXKf2A ↑この素晴らしい曲を是非歌いたいと思います。楽譜の購入方法をお教えくださいませ。またカラピアノを販売していただければぜひお願いいたします。

お返事来るといいな。
そして11月・第43回美女コンで歌えるといいな。

YouTubeの膨大なデータって? 2025年6月20日(金)

「YouTube本部(?)には、世界各国から毎日大量のデータが送られてきているのに、そのデータ保管庫(?)はいっぱいになったりしないのかな? 」

YouTuber西野真理はこんな心配をしていました。
そこでChatGPTにこのまま質問してみました。
以下、ChatGPTの回答です。

【結論】

理論上は限界があるが、現実には拡張可能なシステムによって、YouTubeの容量が「いっぱいになる」ことはないように設計・運営されています。

✅【1】分散型クラウドインフラで拡張可能

YouTubeはGoogleが運営しており、Googleのデータセンター(世界各地に点在)を使っています。これらは「クラウドインフラ」と呼ばれ、容量が足りなくなれば新しいサーバーを増設することで、際限なく拡張可能です。


✅【2】ストレージ技術が進化している

動画は容量が大きいですが、YouTubeでは

  • 効率の良い圧縮技術(例:AV1、VP9など)を使って容量を最小限にしつつ高画質を保つ

  • アクセス頻度によってデータを分類し、古い動画はよりコストの低いストレージへ移動

といった工夫により、保存コストを抑えながら大量のデータを保持しています。


✅【3】再生需要の少ない動画は低コスト管理

再生回数が少ない動画などは、

  • 高速アクセスが不要な「アーカイブ用ストレージ」

  • 長期保存に適した「テープライブラリ」など
    に移されることで、容量管理とコスト最適化が両立しています。


✅【4】YouTubeのビジネスモデルがそれを支えている

YouTubeは広告やプレミアム会員などで莫大な収益を得ており、その一部が

  • サーバーの増設

  • データセンターの拡張

  • ストレージの更新
    に使われています。ビジネスとしても「容量を増やし続けられる」構造です。




さらに質問してみました。

新しいサーバの増設というのは、実際の建物ですか?

結論

サーバーの増設は、基本的には既存のデータセンターに機器を追加する形で行われますが、必要に応じて新しい建物(データセンター)を世界各地に建てることもあります。

サーバーの増設には2通りあります:

【1】既存のデータセンターにサーバーを追加する(一般的)

  • データセンターはもともと拡張を前提に設計されているため、空いているラック(棚)に**新しいサーバー(コンピューター)**を物理的に設置するだけで済むことが多いです。

  • これは「水平スケーリング」と呼ばれます。

📦イメージ:
データセンターの中には何百・何千台もの薄型のサーバーが並んでいて、そこに「引き出しをもう一つ足す」ような感覚で新しいサーバーを入れていきます。


【2】新しいデータセンター(建物)を建てる(長期的対応)

  • もし現在のデータセンターが物理的・電力的に限界なら、別の土地に新しい施設を建設します。

  • GoogleやAmazon、Microsoftなどの大企業は、世界中に拠点を分散しており、時折、新設を発表しています。

🌍例:
Googleはアイルランドやフィンランド、オレゴン州など、冷却コストが低く通信インフラの整った地域に新しいデータセンターを作っています。


🧠 補足:なぜ分散して作るの?

  • 地震や停電などの災害対策(冗長性)

  • 各地域のユーザーに高速に配信するため(距離が短いほど通信が速い)

  • 電気代や税制が有利な土地を選ぶこともあります
















さらにさらに聞いてみました。

日本からのデータはどこに保管されているのですか?

 結論

日本のYouTubeデータは、おそらく千葉県印西市や東京・大阪周辺のCDN拠点に一部がキャッシュされており、主要なデータはGoogleの世界的なクラウドインフラに分散保存されています。

※CDN(コンテンツ・デリバリー・ネットワーク)の拠点は、コンテンツを効率的に配信するために、地理的に分散配置されたサーバー群

日本国内のデータセンター(推定)

Googleは公式には日本国内のデータセンターの場所を公開していませんが、次のような状況が知られています:

✅【1】千葉県印西市(いんざいし)

  • 国内の**複数の大手クラウド事業者(Google、Amazon、Microsoftなど)**がデータセンターを構えている地域。

  • Googleが直接所有しているとは公表されていませんが、データの中継・キャッシュ拠点(CDN)として利用されていると推測されています。








✅【2】東京・大阪周辺(クラウド拠点)

  • YouTubeのような大容量配信には**Google Cloud CDN(コンテンツ配信ネットワーク)**が使われており、日本の主要都市にエッジノード(小規模なデータキャッシュ)があると考えられています。

  • エッジノードとは「利用者の近くにデータの一部を一時的に保管する仕組み」で、動画再生をスムーズにします。


🌍 世界各地のGoogleデータセンター

YouTubeのオリジナルデータ(マスター動画)などは、次のようなグローバルな大型データセンターにも保管されています:

  • アメリカ(オレゴン、アイオワ、ジョージアなど)

  • 台湾

  • シンガポール

  • ベルギー

  • フィンランド

YouTubeは「分散保存+高速なキャッシュ」で、世界中どこでもスムーズに動画が見られるように設計されています。


🧠 補足:日本のユーザーが動画を見ると…

  1. まず日本国内の**キャッシュサーバー(CDN)**にあるか確認

  2. なければ、アジア圏(例:台湾やシンガポール)のサーバーへアクセス

  3. それでもない場合は、アメリカなどのメインストレージに問い合わせ

このようにして、アクセス距離が近く・速くなるよう最適化されています。




「置き配」と「宅配BOX」の違い 2025年6月18日(水)

 みなさんご存じかもしれませんが、1万人にお一人くらい私のような勘違いの方もいらっしゃるかと思い、ブログに書くことにしました。
「置き配」「宅配BOX」についてです。

Amazonから商品が届く時、あんなに家にいるのになぜかジャストタイミングで留守のことがよくあるので、半年ほど前に我が家も宅配BOXを設置しました。そしてAmazonさんには「置き配」を指定しました。私の中で明確な言葉にはなっていないけれど、私は玄関前に宅配BOXがあれば、置き配指定の時は当然のように宅配BOXに入れていただけるものと思っていました。
違います!
「置き配」…玄関ドアの前に置く
「宅配BOX」…宅配BOXの中に入れる
私は宅配BOX指定をしていなかったのです。

昨日荷物が届きました。
あれ?玄関の前に置きっぱなし。




どうしてちゃんと宅配BOXに入れてくれないんでしょう。
むっとした私は、Amazonの評価に、配送低評価をつけました。

しばらくして、家族から私が間違っていることを教えられ、私は配送業者さんに申し訳ないと思い、カスタマーサービスのチャットにアクセスし次のように書き込みました。

「置き配」指定をしてあれば自然に「宅配BOX」に入ると勘違いし、配送業者さんに低評価をつけてしまいました。私の勘違いです。申し訳ありません。

するとチャットの向こうの人から
ご連絡ありがとうございました
とチャットが帰ってきました。

この後、Amazon指定の「宅配BOX」にチェックをいれました。

置き配指定(解除もこちらから)
置き配指定(解除もこちらから)



高瀬洋さんを偲んで 2025年6月12日(木)

いつもコンサートにご来場くださる高瀬良洋さんの息子さん・洋さんが55歳の生涯を終えられました。











高瀬さんとお知り合いになった経緯に関しては、大変話が長く、また、珍しくまじめな部分も多くなりますが、ぜひ最後までお付き合いくださいませ。

まずは、過去のエッセイ(2008年)を貼り付けます。(2作のエッセイをまとめました。現在のブログとは文体が違います)

ダメでもともと。突撃精神瞬間着火

2008年6月のある朝、職場で隣の席に座っている理科教師のMちゃんがこんなことを話してくれた。
「真理ちゃんならひょっとして興味があるかな~と思って言ってみるんだけど、今度金沢で『クリスマスレクチャー』って言うのがあるけど行ってみない?・・・あっ、でも、行きたいからって申し込んでも、ものすごく応募者が多いと思うから、行けるとは限らな・・・・・・」
「?クリスマス・・・・」
私が
「サンタさんのお話でもあるのかな」
と思っていると、その思いを見透かしたようにさらにMちゃんは続けた。
「これ、かなり前からイギリスでやってるレクチャーで、私前から行ってみたかったんだけどね。それって、世界的な科学者が楽しく科学のお話をしてくださる、ま、とにかくすごいの。それを今年日本でも・・・もちろんイギリスではクリスマスだけど、日本では夏やることになって、1回目は東京、で、2回目が金沢!」
 
私は、判る判らないは抜きにして(本当は抜かないほうがいいけど)自分の知らない世界のことを聞くのが大好き!それに「世界的な!」なんて言葉がついたりしようものなら、もうドキドキワクワク。
さすがMチャンは私のそういうところを見抜いており、私に声をかけてくれたわけだ。

が、話しているうちにふと気づいた。申し込んでも行けるかどうか判らないし、私が聞いてそのレクチャーが判るかどうかもわからない・・・・。
だったら☆
私の突撃精神に火がついた。
「私、そのレクチャーの休憩時間とか前座とかで歌わせてもらえないかな~?」
Mちゃん、あまりの話の飛躍にびっくり。
「・・・・・あ~・・それ・・・なんていうか、・・・ちょっと無理じゃない・・・・・」
遠慮しがちにはっきり言われたが、私はもうすっかりその気になっていた。そして
「主催の読売新聞に『歌わせてくださいませんか』ってメールしよ~っと!」
あきれてものが言えないという雰囲気をかもし出しているMちゃんを無視して、私はさっさと次のようなメールを読売新聞に送信した。

    ✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉
<読売新聞社様>
いつもご苦労様です。
さて、以下の情報を拝見しました。
<8月1日、2日 石川・金沢工業大学多目的ホール
各日午前11時~午後2時半
【講 師】 マーカス・デュ・ソートイ氏(オックスフォード大教授)
「数のミステリー」
 世界的に有名な数学者が、数の不思議や面白さを、実験やデモンストレーションを交えて解き明かします。参加無料>

現在ソプラノ歌手として様々なところで歌わせていただいていますが
ぜひこのような場でほんの数分でも前座、又は休憩時間の余興として
歌わせていただければと思いメールさせていただいた次第です。
興味をお持ちいただけましたら、ご連絡をお願いいたします。
<西野真理プロフィール>
西野真理 (歌) 武蔵野音楽大学声楽科卒業
‘01年21世紀日本歌曲コンクール第1位
‘02年奏楽堂日本歌曲コンクール入選
‘03年奏楽堂日本歌曲コンクール第2位
‘03年以来、東京・音楽の友ホール「日本歌曲シリーズ」に出演
‘06年榛名日本歌曲セミナー演奏助手
現在までに「あまんじゃくとうりこ姫」「アイーダ」「魔笛」「ちゃんちき」「フィガロの結婚」等のオペラに出演
‘05、‘07には石川県立音楽堂コンサートホールで0歳児からのコンサートに司会兼歌手として出演し好評を博す。かほく市在住
✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉✉

送信してしまうと、もうすることなんてなにもないわけで、そのことはあっという間に私の頭から消えてしまった。

6月26日・火曜日の夕方電話が鳴った。平日夕方の電話は怪しい。
「マンションを買わないか」
「壁を塗らないか」
今日のは
「読売新聞の・・・」
「うちは、2紙取ってるからいらないよ~」
・・・・・・・・・・・・・・と言わなくて良かった!!!!!
声の主は続けた。
「支局長のヤスエと申します。西野真理さんでいらっしゃいますか?先日はメールをいただきありがとうございました」
「えっ!あ、ありがとうございます!」
ヤスエさんからの電話の内容はおよそ次のようなものだった。

大変面白そうな申し出で、こちらも大変興味がある。しかし『クリスマスレクチャー』というのは、それこそノーベル賞級の学者さんがいらっしゃる会で、私が勝手にいろいろ決めるわけに行かない。こちらの担当教授の○○さんと今度相談してみようと思うが、歌ってもらうことになるかどうか、現段階で約束はできない。それでも了解してもらえるようなら、日程を空けておいてほしい。もし歌っていただけなくてもご希望があれば西野さんに席をご用意してもよい。ただし、立ち見になるかも。また、これとは別に読売新聞社ではほぼ毎月1回、文化活動として講演会などをしている。そういう会に歌っていただくことは可能だろうか?
 
「もちろんです!日程も空けますし、お返事も前日までならOKです!」

<イベント申し込みからの展開>
当然歌わせてもらうことはできなかったが、読売新聞北陸支局長・安江さんが私に興味を持ってくださり、その後開催された筋ジストロフィー患者・四方健二さんの自作詩朗読会で歌わないかと声をかけてくださった。
その朗読会で歌わせていただいた後、ご来場中の同じ筋ジストロフィー患者である息子さんをお持ちの高瀬さんから
「医王病院でも歌ってもらえないだろうか」
というお手紙をいただいた。

そのお手紙をいただいて1週間ほどのちの富山レッスンの帰り、金沢森本インターから一般道へ降りようとしたとき、その正面に医王病院を発見。つい、いつもの突撃ボランティア精神が沸き起こり病院を訪問することにした。

医王病院にて

<医王病院へ>
上記のような経緯で何のアポイントもなく医王病院へ足を踏み入れたが、病院はいつも突撃ボランティアを行っている老人ホームのように簡単に
「さあどうぞ歌ってください」
とはいかなかった。
覚悟はしていたのでそのまま帰ろうとしたが、一応高瀬さんの名前を出してみると少し様子が変わり、高瀬さんに電話で確認していただけることになった。

看護師さんが高瀬さんの携帯に電話をされると、高瀬さんはつい30分ほど前にこの病院を出て家へ向かわれたところで、私が来ていると知ると、
「すぐ戻るから待っていて欲しい」
とのこと。
高瀬さんが電話で私のことをどんなふうにお話くださったかは不明だが、この後すぐに歌わせていただけることになり、あちこちの病室を訪ねて歌いつつ高瀬さんをお待ちすることになった。

<病室の様子>
詩の朗読会でお会いした四方さんの様子から、筋ジストロフィーの患者さんのことを知っているつもりでいたが、一人にお会いするのと、たくさんの患者さんを一度に目にするのは全く感じが違っていた。
一人ひとりの心拍を表示する機械、呼吸をサポートする機械、痰を吸い出す機械・・・その他見たことのないたくさんの機械がところ狭しと並び
「私がつまづいて機械を倒したりコードを踏んだりしたら命にかかわるかもしれない!」
とはじめのうちとても緊張した。













<高瀬さんのお話>
しばらく歌っているうちに高瀬さんが到着。
その後は高瀬さんのご案内であちこちの病室を回ることになったが、その間に高瀬さんから次のようなことをお聞きした。

・・・何十年か前だと、筋ジス患者は20歳位くらいまでしか生きられなかった。体中の筋肉が次第に衰え、20歳くらいには呼吸するための筋肉が動かなくなるから。しかし、人工呼吸器(名前は確かではない)が開発され、生きられるようになった。自分の息子も小さいころは普通に歩いていたのがだんだん歩けなくなり、車椅子になり、人工呼吸器になり。私自身も絶望したり、それはそれは色々あって・・・・

高瀬さんの話しぶりは本当にあっけらかんとして、いわゆる
「達観した」
という表現がぴったりだった。
たくさんのことを乗り越えていらしたんだなあと思った。

<想像を超えた病室>
「西野さん、一人でこういうところに入ることはないだろうから、ここでも歌うといいよ」
と高瀬さんに案内されたのは、ベビーベッドのたくさん並んだ小児病棟。
そのベッドの間を縫うように歌いつつ見た患者さんたちの姿は想像を超えたものだった。
それも、一人ひとり状態が違っていた。
その様子の違いをどこまで書いていいのか、また書いたとしてもどこまで正確に描写できるか、こうして書きながらずっと迷っている。
一目でわかることは、体の大きさ。
体全体の大きさも様々なら、体の部分的な大きさや、おそらく動かすことはできないであろうと思われる手足、いや、手足に限ったことではない、一生ここから、このベッドから出ることはできないだろうと想像される姿に、私の心臓の鼓動は一気に速くなった。
それでも一生懸命歌っていると高瀬さんが
「あ~この子喜んでる!」
残念ながら私の目にはその患者さんの感情は全く伝わってこなかったが、そういわれたことは私をとても安心させてくれ、歌い続ける力になった。

<衝撃の事実>
私はその後、この日の出来事を生徒や友人に話した。できるだけ正直に正確に。
しかし、この
「小児病棟」
という表現が大変な思い違いであったことを、2度目にボランティアに行ったとき知ることになった。

2度目に伺ったときも高瀬さんに案内されて病棟を回ったが、以前から手狭になった医王病院の後に新しい病棟が建設されていて、どの病棟も新しい建物に移ったり、今まで使っていた病室を広く使えるようになったりしていた。

新しくなった病棟を回りながら高瀬さんが私の勘違いを見透かすように
こう言われた。
「西野さん、あの子たち小さいから子供だと思ったかもしれないけど、みんな20歳過ぎてるんだよ」
「え!・・・・・・・・」
小児病棟で見たこととして生徒や友人に語ってきたのに、あの患者さんたちはみな、成人した方だったのだ。
この事実を知ったことがここ数年で私が受けた衝撃の中で一番大きなものだったように思
う。

ここからが2025年6月12日のブログです

横浜2泊3日の帰途の車内、高瀬精治さんのfacebookへの投稿に気づきました。(精治さんは良洋さんの息子さんです。実名や投稿記事・写真の使用に関してはご快諾いただきました)

大好きな、あんちゃん(兄)が令和7年6月7日19時30頃天国に旅立ちました🪽
55歳でした!
あんちゃんは、前にも書いたと思いますが先天性の筋ジストロフィーという病気で20歳ごろ自力で呼吸ができなくなり喉を切開して呼吸器を取り付けました!
それから35年間病院生活をしていました。
周りの環境も良かったのかこの歳までこの病気で生きた方はいないそうです。
とにかく映画が大好きで亡くなる前日もゴジラの映画(ビデオ)を見てたそうです
^ ^
自分が病院に面会に行った時も必ず何かしらの映画を一緒に見るのが楽しみでした。
ミッションインポッシブルの最新ファイナルレコリングもDVD📀を買って一緒見ようと思ってましたが、とても残念です😢
またあんちゃんは、呼吸器をつける前はケンタッキーフライドチキン🍗が大好きでよく食べていましたが、呼吸器をつけてから一度食べたことはあるんですが、喉に詰まり苦しくなってそこから食べ物一度も口にすることはありませんでした。
最後に実家に帰り食べさせてあげることが出来たので、あんちゃんも喜んでいることと思います^ ^
それからあんちゃんの人生の大半を一緒過ごしてくださった横川先生も前日にあんちゃんの顔を見に来ていただきありがとうございます。
横川先生が来てくれてあんちゃんも嬉しかったと思います、一緒にいた時の笑顔が浮かびました^ ^
あんちゃんは、いろんな方にサポートしていただき55歳まで生きることが出来たと思います。
医王病院の先生、看護師の方々、これまでに関わってくださった全ての方々に感謝を申し上げます。
ありがとうございました🙇‍♂️
あんちゃんは幸せものでした^ ^
天国から笑顔で見てると思います。
あんちゃんまたね👋

SAに立ち寄った時、高瀬さんにお電話しました。
先に貼り付けたエッセイにもあったように、高瀬さんは達観した方。とても明るくお話しくださったことで、私はとてもほっとしました。
「明日お宅へお伺いしていいですか?」
ということで、本日お伺いしました。

いつも通り、明るく元気な高瀬さんではありますが、お仏壇横には洋さんの写真。その前で
医王病院でのボランティアコンサートのときには聞けなかった詳しいお話を伺うことができました。
難しくて1度では覚えきれなかったので、順不同、箇条書きでご勘弁ください。

・洋さんは小学生で発症、20代前半で一度呼吸が止まったこともあったが、ちょうど人工呼吸器が開発され、それによって延命が可能になった
・意思の疎通は、口の動きやまばたき
・寝返りも打てない、ちょっと痒くても掻くこともできないのに、洋さんは「つらい」ということはなかった
・筋ジストロフィーの専門病院は北陸には石川県の医王病院だけ、ここから一番近いのは滋賀県
・この病気だといろんな薬が使えない。これをこちらに使えば、あちらに悪い
・洋さんは何度か呼吸が止まったことがあったが、そのたび自力で呼吸を戻した
・普通の体力の人なら呼吸が止まった時胸部圧迫という方法もあるが、そんなこと絶対できない
・筋ジストロフィーとよく似た病気でALSというのもある
 ※これについては高瀬さんもよくわからないとおっしゃったので、調べてみました。
観点ALS筋ジストロフィー
原因    神経      筋肉
発症年齢   成人        小児が多い
進行   急速     緩やか(タイプによる)
知能・感覚   保たれる     多くは保たれる
治療   進行遅延薬あり   対症療法中心、遺伝子治療研究中

洋さんのご冥福と、難病の治療法が見つかることを心よりお祈りしてこのブログを終わります。


抵当権抹消登記手続き(過去のエッセイより)2025年6月11日(水)

2024年元旦の能登半島地震で家屋倒壊等のため、大事なご自宅の取り壊しをされた方のお話を時々お聞きします。そんな方のお役に少しはたてるかも?と、やや内容は違いますが登記関系の過去のエッセイをこちらに載せてみました。

※これは2014年の紙媒体のエッセイで、現在のブログとは文体が違います。


抵当権抹消登記手続き

※今回のエッセイには、法律的なことや難しい手続きのことが出てきます。それを説明したいと思って書いたエッセイではありますが、西野真理の頭脳を考慮し、万一、これを参考に物事を進めようとされる場合は、十分ご注意ください。これを参考にして失敗された場合の責任は負いかねます。

<銀行からの厚めの封筒>

山口県へのお里帰りから帰ると、郵便受けに厚めの封筒が突っ込まれていた。H銀行からのお知らせだ。
開封した夫は言った。
「面倒くせ~!」
私達は30代半ば、家を建てるため銀行ローンを組んだ。その時は
「完済するときは50歳過ぎてるんだなあ~」
と、その年月を途方もなく先に感じたし、自分が50歳になることなんて想像もできなかったが、こうして51歳になってみると、精神的にはあんまり変わっていないことに驚いてしまう。
が、まあとにかく、ローン完済はおめでたい。わ~い終わったと思ったらこれだ。面倒くさそうな手続きをしなくちゃならないらしい。
ローンを組む時、銀行さんは
「もしちゃんとお金返してくれなかったら、そのお家、こっちがいただきますよ」
という書類を、あの時私達に書かせたらしい。
その時の
「こっちがいただきますよ」
を丁寧な言葉で正式にしたものが
「抵当権設定」
ローン完済でこれが要らなくなったので、今度は
「あ、あの抵当権?お金返してもらったし、もう、うちの銀行に関係ないです。『あの家、銀行の抵当ではなくなりました』って手続きしといてね~」
ということで送られてきたのがこの厚めの封筒である。

確かお金借りるときは、お家まで銀行さんから2人くらい来て丁寧に説明してくださったなあ~。「ここにハンコ押してください」とか「ここに、こう書くんですよ」とか準備万端で・・・。

<司法書士へ?>

たくさんの書類の中の説明書に当たるものにこんなことが書かれていた
「・・・一般的に司法書士に依頼する方法で行われています・・・・」
「・・・お手続きを依頼する司法書士の紹介を行っております・・・」
銀行さんと司法書士さんは仲がよさそうだ。

<偉大な日本の義務教育を証明する時>
私は面倒なことが嫌いだ。
でも、私の直感が囁いた。
・こんなこと、いちいち人にやってもらわなければならないということがそもそも変だ。自分でできるはずだ。
・私にだって、30年、日本の公教育をちょっとは担ってきた(音楽だけど)という自負がある。9年間の義務教育を受ければこの程度のことができるように、日本の教育は整備されているはずだ。
そうだ、私が逃げてどうする。日本の義務教育の素晴らしさを証明しなけ
れば。今がその時だ。

<ソプラノ歌手・関定子先生登場>
・・・のようなことを考えるのとほぼ同時に私の頭に登場したのが、私の師でソプラノ歌手・関定子先生である。
先生は数年前にご主人を亡くされたのだが、その時、家の権利がどうとか、そういうごちゃごちゃした手続きを、
「私は全部自分でやったの。やってみたかったの」
と話してくださった。
その時は自分に直接関係ないことだったし、先にも書いたように面倒なこ
とが嫌いな私は
「私だったら専門家に頼むけど・・・」
と思いながら聞いていた。
が、その一方、そういうことを
「やってみたかった」
と言い切る先生を誇らしく感じていたのを思い出したのだ。
先生のそれより、かなり簡単な手続きだが、
「自分でやる!なんか楽しそう!」
と彼に宣言し、書類作りを開始した。
山口県から休憩込み車で9時間かけて帰ってきたその夜の話である。

<ネット情報>
こういう時、インターネットは本当に有難い。
私のように
「自分でやるんだ」
と思って四苦八苦した人たちが、たくさんの情報を提供してくれていた。
あちこち見せていただいたが、感謝を込めて最も参考になったホームページのアドレスを載せておきます。
どうもありがとう。 http://抵当権抹消.net/ 

<書類作りと提出>
情報のお陰で、書類作りはネットを見始めた時間を含めて1時間で終了。
翌朝、金沢地方法務局へ初めて足を踏み入れたが、キョロキョロと挙動不審な私に職員の皆さんとても親切で、待ち時間もなく、ちょっとしたミスがあったが丁寧に教えていただき書類を完成させ、2000円払って収入印紙を買って貼り付け、提出して終了。
専門家に頼むと18,000円くらいかかるらしい。
すごく得した気分の一日だった。
次ページに書類の見本を載せておきます。
ご参考になれば幸いです。

<ご注意>
エッセイ版の時つけた注釈画像入りのものをうまく貼り付けられませんでした。そこで、一旦文章だけ貼り付けて、その下に、JPEGで画像として同じものを載せてあります。
少し小さくて見づらいです。ごめんなさい。


登 記 申 請 書

登記の目的    抵 当 権 抹 消


原   因    平成 ○年○月○日 解除


抹消すべき登記  平成30年3月30日受付 第 2022 号


権 利 者    タヌキ県キツネ市ウサギ町100番地5 猫田猫男

         タヌキ県キツネ市ウサギ町100番地5 猫田にゃん子


義 務 者    タヌキ県アナグマ市ネズミ町1番地

株式会社 動物銀行

代表取締役 熊野熊雄


添付書類

(省略)登記原因証明情報  登記識別情報または登記済証

代理権限証明情報  資格証明情報



平成  ○年 △月 △ 日申請   やまおく法務局 御中


申請人兼義務者代理人

  (申請人)タヌキ県キツネ市ウサギ町100番地5 猫田にゃん子

                      (連絡先 020-222-2222)


登録免許税    金 2,000 円


不動産の表示   別紙記載のとおり


不動産の表示


  (戸建て土地)

  所  在  タヌキ県キツネ市ウサギ町

地  番  100番地5

地  目  宅地

地  積  1000㎡


  (戸建て建物)

所  在  タヌキ県キツネ市ウサギ100番地5

   家屋番号  100番 5

   種  類  居宅

   構  造  軽量鉄骨造スレート葺2階建

   床 面 積  1階 100㎡

         2階 100㎡














初対面・横浜への旅2泊3日 3日目 2025年6月11日(水)

楽しい2日間も終わり、今日は帰るだけ。
昨日は雨の中をかなりたくさん歩き、かわいいかわいい孫の顔もたくさん見て、若い夫婦との楽しい時間もすごし、二人とも早く寝たので早く目覚め、せっかくだから朝のうちに横浜散歩でもしようかと思ったものの雨。それじゃあもう帰りましょうと、7時20分にホテルを出発。

石川県なら朝のこの時間、道路は通勤ラッシュが始まっているのに、赤レンガ倉庫周辺は車通勤者が少ないのか、道はガラガラ。














町田、海老名あたりでおそらく通勤ラッシュであろう少々の渋滞はあったものの、極めて順調。ただ、日本列島が梅雨入りのため、静岡近くまで来たときには見通しが悪くなるくらいの雨。














その後もほぼ雨の中ではありますが、ごく普通に高速を走りました。
しかし心配が1つ。ガソリンです。
計算上、出発前に満タンにすれば家まで大丈夫なはずですが、少々不安。
あと家まで100キロ辺りで彼が眠くてたまらないというので運転を交代。交代した私はエコ運転を心掛け、そこそこの余裕で我が家近くのいつものガソリンスタンドに到着。

楽しい楽しい2泊3日の旅でした。



















初対面・横浜への旅2泊3日 2日目 2025年6月10日(火)

2日目
前回も雨、今回もまた雨。
雨なら雨を楽しみましょう。屋内!
晴れなら元気に歩いた距離かな?雨なのでみなとみらい線で新高島まで行き、日産ミュージアムへ。
ここ、おすすめ!
広くて綺麗で、展示してある車に乗っていいので(ダメなのもあります)テンション上がります。
フェアレディZに乗って大喜び!
他の展示も興味深く、私たちが帰る頃には沢山の観光客が。



次は資生堂ミュージアム。落ち着いた綺麗な博物館。
次のYAMAHAは休館日、その次の京急博物館も休館日。皆様、火曜日・水曜日はお気をつけください。
駅の案内アンパンマンで知ったアンパンマンミュージアムへも行ってみましたが、これはどう見ても子どもさん連れ向けの施設。子どもさん連れで大にぎわい!入るのやめました。
再びみなとみらい線に乗り日本大通りまで行って、開港記念館へ。
この記念館の始まりは「ペリー来航」です!


お腹も空いたし、ちょっと休もうと一旦ホテルへ帰ることにしました。そのホテルの少し手前にあるチョコレート屋さん、前から行ってみたかったのですが、いつも満席だったり休業日だったり。でも今日はちょうど空いていてすぐ入れました。
このチョコレートドリンク、本当に美味しい。入れて良かった。彼はホットチョコレートを飲んでいました。
では、ホテルでしばらく休憩して、お夕飯は「なっちゃん」を眺めながら(笑)娘のお家でご馳走になります。




初対面・横浜への旅2泊3日 1日目 2025年6月9日(月)

娘関係でこのブログに横浜旅行のことを書くのは3回目かな?道中変わった事がそれほど起こるはずもないので、いつも確実にお読みくださる6人の貴重な読者のみなさま、まあまあ同じようなことを書きます。でも、微妙な違いをお楽しみ頂くのも間違い探しのようで楽しいかもしれません。それでは「初対面・横浜への旅2泊3日」始まり始まり。

2025年6月9日朝8時半、初対面旅行に出発。そう、初孫の「なっちゃん」に会うため。
北陸自動車道→
 東海北陸自動車道→
  東海環状自動車道→
   新東名自動車道→ 
    東名自動車道→
     このあとがいつもよくわかりません
とにかくみなとみらいの定宿
「アパホテル&リゾート 横浜ベイタワー」
へ16時19分到着。
途中の特筆事項
①高級車ランボルギーニを初めて見た
in駿河湾沼津
②渋滞中、前のトラックのロック部分が、人差し指で目を隠している人みたいだった

③その渋滞の事故がこれ。
神奈川県に入ったあたり。事故処理車が何台も来ていましたから、かなり大きな事故だったようです。トラックの荷台部分が燃えていたようでした。

さあ、ホテルに着きました。荷物を置いたら、なっちゃんに会いに行きましょう。そうそう、今回のホテルの値段、二人で2泊18000円。(ポイント分割引含む)アパさんありがとう。
別のブログに書きましたが、同じお部屋でも5倍、6倍以上の価格の日があります。

着きました。
まあ可愛い‼️

夕飯は中華街へ。
前回体験で我が家では
「60歳代食べ放題禁止条例」
ができましてので、今回はちゃんとしたお店へ。
結局横浜初回に入って大満足だった「同発」へ。
間違いない美味しさでした。味付けも食材もとてもいいです。しかもこれだけ食べて2人で10950円!お支払いをする時2万円弱かな?と思いながらレジに行ったので、ほんとに驚きました。

しかし!
注文しすぎました。心から反省します。
(でも、全部食べましたよ)
次回へ向けて書いておきましょう。

①最後の一品を注文する時、お店の人から「多くないですか?」と言われました。プロの言うことは聞きましょう。
②主食系は二人で1品にしましょう




西野真理の色々なお話

川北小学校研修会講師当日 2025年6月26日(木)

このブログは こちら をお読みになった前提で進めます。 <朝のひらめき> さあいよいよ当日です。 13時ちょっと前に出発すれば十分間に合いますから、のんびり準備できます。しかし実際は5時に目覚めソワソワ。そのうち、ちょっとしたひらめきがありました。 「歌の会『Sing幾多郎』には...