給食ボード「白鳥の歌?」 2022年3月24日 

 いよいよ今日は最後の給食となりました。
楽しみにしている小鹿山画伯(栄養教諭)作の給食ボード、今日はなんと
「白鳥」
です。
小鹿山さん、私が声楽関係者だと知っていらっしゃるから
「白鳥の歌」=「最後の歌」
そして津幡町の鳥は「白鳥」
これらに見事にかけて給食ボードを白鳥にするなんてさすが!

さあ、最後のボード撮影・・・と近づくと、あれ?
白鳥の上にアリが乗っています。
なぜ白鳥にアリが乗ってるんでしょう?

・・・ありがちょう・・・
・・・・・・・・白鳥ではありませんでした。
こちらこそ、3年間おいしい給食ありがちょうございました。



「吾一と京造」イメージ画  2022年3月23日

これはおそらく私が30代の頃、内灘中学校で1年生を担任していたときのことだと思います。

道徳の読み物教材に
「吾一と京造」
というのがあります。
山本有三作「路傍の石」からの抜粋です。
簡単にあらすじを紹介すると

いつもみんなで誘い合って学校へ行っている仲間たち。
その日なぜか秋ちゃんが来ない。
吾一は、このまま待っていると遅刻するので先に行く。
仲間も追随するが、京造だけは秋ちゃんを待ってあげて一緒に遅刻し、先生に叱られる。
それを見ながら吾一は悶々とする。

指導者によって展開は様々だけど、私は生徒に意見を出させた上で
「この話には、規則を守るために秋ちゃんを待たなかった吾一たちと、待ってあげた京造がいる。この仲間はバランスが取れている。全員に置いていかれたり、逆に全員に待たれたら、秋ちゃんはかえって困ったのではないか。バランスのいい仲間づくりが大切」
みたいな締めくくり方をしていた。

さて、そんな授業を研究授業ですることになった時、やっぱり吾一と京造の絵が欲しいと思いました。本に挿絵もありましたがどうもピンときません。
そんな時、担任している美術部のT崎さんになんとなく声をかけました。
「吾一と京造の絵、描いてくれない?」
T崎さんはこだわりのない飄々とした女の子で、
「いいですよ」
と軽く引き受けてくれて、翌日には持ってきてくれました。

その絵があんまり素晴らしくて、私は定年の今まで捨てることができず、転勤のたびに持っていきました。もちろん、「吾一と京造」の授業をするときは必ず使わせてもらいました。
北鳴中学校で使ったときなど、同僚の国語教師・百合ちゃんが
「ぜひ使わせてほしい」
とコピーしたほどです。
今回退職にあたって、この絵を20代の鈴木さんに譲りました。











T崎さん、元気かな?
もしこのブログを読んでくれたら、コメントくださいね。


給食最終日前日給食ボード 2022年3月23日

 今日は給食最終日前日。栄養教諭・小鹿山さん作の給食ボードは今日も秀逸な上に楽しかったのでブログでご紹介します。ミルクボーイさん、見てくれないかな。


楽らく歩く 2022年3月23日

 「楽らく歩く」
これ、商品名です。
これに足を乗せておけば、機械が足を動かしてくれます。


この商品を始めてみたときから、いいんじゃないかな?と思っていました。
もちろん、自分のためではなく、母のためです・・・なんて書くと、とっても親孝行のいい娘みたいですが、あくまでも
「自分の為に母にいつまで自分で歩いてほしい」
ということです。

母は父が亡くなった1年後・87歳の時、山口県の家を引き払って我が家のすぐ近所に引っ越してきてくれました。現在89歳ですが元気に一人暮らし。毎日お散歩や買い物に歩いていき、合唱団に入って歌も歌っています。

一人で歩けるならそんな商品いらないんじゃないかとお思いかもしれません。
でも、そこが若者との違いです。
若い時なら家で毎日ダラダラしていても、歩こうと思えばまた歩けるでしょう。しかし、これくらいの年になるとちょっと動かさないだけで筋肉が固まって(?)とても動かしにくくなるようなのです。
よく聞きませんか?高齢者がちょっと入院生活を送っただけで歩けなくなるって。

そんな母は旅行好きで、車に長時間乗っていることはそれほど苦になりません。我が家の場合、父のお墓のある山口まで母と行くときは必ず車で9時間の長時間ドライブです。
彼は車の運転が苦にならないのか我慢してくれているのか、結婚してからずっと毎年1度の山口への帰省のときは往復18時間運転してくれていましたし、父が亡くなったときもすぐに山口まで運転してくれました。
そんなここ最近の長距離移動中、PAに到着し車から降りようとする時、母は少し足が動かしづらそうなのです。

そこで
「楽らく歩く」
です。
長距離ドライブの時車に積んでおいて、母に足を乗せておいてもらって、筋肉のこわばりを防いでもらおうという作戦です。

しかし、この商品5万円。
この値段はちょっと・・・・・
あ!ヤフオク。
そう思いついて調べると9900円で出品されていました。
9900円ならもし良くない商品でもあきらめられると思い入札。競り合うこともなく落札し、2日後にはもう届きました。

3月25日、八ヶ岳まで母と一緒に八ヶ岳日本歌曲セミナーの終了コンサートを聞きに行く予定ですが、その時これ、積んでいきます。










FMかほく 打ち合わせ 2022年3月21日(月・祝)

まずは結論から。

2022年4月5日(火曜日)10:00から24分間、毎週火曜日
FMかほくで西野真理のラジオ番組生放送(再放送週2回有り)
「Sing幾多郎」
はじまります。(78.7MHz)

先日の電話でのお話の時点で
「あれ?特にオーディションとかなくて、『やらせてください』って申し出ただけでやらせてもらえるのかな?」
とは思っていたのですが、そうでした。

お約束した10時にスタジオに到着するには、家を9:55に出なければなりません。家からほぼ一本道です。余裕を持って9:54に玄関を出たのですが、間にある2つの信号が青だったので9:57に到着しました。もし大雪が降っても歩いて行けます。

今日の文章ですが、今までで一番書くのに困っています。
結論としては最初の4行で終わりなのですが、打ち合わせでお話したこのFM局を開設された新江さんのお話の全部に興味津々で、しかも興味があるのにちゃんとはわからなくて、さらにお話が2時間以上あって、当然全部覚えているはずもないのでうまく書ける自信がないのです。

とりあえず、ほどほど覚えていることから項目を立て、思い出しながら書きます。

<開設者の新江さん関係>
・13年前に開局
・総務省から開局許可を得るのに作った書類の束の厚さは10cm
 (これは新江さんが10cmとおっしゃったのではなく、その時の手のポーズから)
・申請するのは面倒だけどやったらそんなもの。それよりその後どうやって人を集めるかが
 大変
・新江さんの感覚によると、ラジオ放送はSNSに似ている。耳からなんとなく入ってくる。 
・時々クーポンのついた、かほくフリーペーパーが郵便受けに入っているが、あれを始めた
 のは新江さん。他にも新規事業立ち上げを色々していらっしゃる、そういうことが得意と
 いうか苦にならない(?)人
・開局10年目に特に赤字を抱えているわけでもないし、お金に困っているわけでもないから
 やめようと思ったが、じゃあこのまま家で寝てるのかと言われるとそれじゃ生きる意味が
 ない

<ラジオ放送について受けたアドバイス>
・ちゃんとした原稿はないほうがいい。先ず作るのが大変だし、作ってしまうと「読んで」
 しまう。それでは言葉として伝わらない
・一人の話をずっと聞くのは5分が限度。ゲストを招いて二人なら10分はなんとかなる。「必ず音楽を1曲入れてください」とご案内にも書いてあったと思うが、話の煮詰まりを防い
 で頭をリセットするためにも24分の間に音楽は必要
・ラジオでいちばん大事なのは音量。音量がある程度同じレベルでなければならない。普通
 ラジオ放送では放送ブースの向こうで色々やってくれる人がいるが、あの人は音量を操作
 してくれている。ここはそれを全部パーソナリティーひとりでやらなければならない

<放送機器の操作>
教えていただきましたし、なにより新江さんは教え方がとてもお上手です。それでも私は1度ではとても覚えられませんでした。(涙)

  え~と、バックミュージックを流しながら喋って、次の音楽をかけるときは、先にかけ
  る音楽をかけてからバックミュージックの音量を下げる。そうすると穴が開かなくて済
  む。

これが一番大事だと思いました。
後はちょっとずつ覚えましょう。

 そうそう、自分のYouTubeを流したいときは、家でYouTube音源mp4をmp3におとして
 USBに入れて持ってくるといい。
  (画像入りの音源mp4だと機械が読んでくれませんでした)

<西野の放送日決定>
新江「いつにしますか?」
西野「いつ空いてますか?」
新江「生放送なら火曜日の10時か木曜日の9時かな」
西野「10時のほうが声が出やすそうだから火曜日にします」
週1回の放送ですが、火曜日の午後と土曜か日曜に再放送されるようです。
3月31日にリハーサルをすることになりました。

<番組名決定>
新江「番組のタイトル何にしますか?」
西野「西野真理の歌とおしゃべりの時間」
新江「まあ・・・まんまですね。できればタイトル名に個人名入れないようにしてるんです
   よ」
西野「じゃあ・・・Sing幾多郎」
新江「それでいきましょう」
  (新江さんにはSing幾多郎のチラシを打ち合わせの最初に渡してあった)

私としては予想外の展開でしたが、これでSing幾多郎の知名度もほんの少し上がるし、Sing幾多郎へのお誘いもしやすくなります。この際Sing幾多郎を立ち上げた考え方をベースとして内容を組み立てていくのも有りだなと思い始めました。

<その他>
これが一番多いのですが、ほぼ忘れました、というか、内容が多すぎて整理できません。
きっと今後放送スタジオに行くごとに少しずつブログに書けるようになると思いますので、今後にご期待ください。
思い出したことが一つありました。
・著作権料は放送局としてまとめて30万円ほど払う形式なので一応心配ない。細かいことは
 色々あるが。

とにかく始まることになり、なんだかとっても気忙しくなりました。

今後の日程
3月24日(木) 最終授業日 離任式  ドレス着る!
3月25日(金)朝5:20 金沢駅へ卓球部全国大会のお見送り ドレス着る!
       八ヶ岳高原ロッジホテルへ八ヶ岳日本歌曲セミナーの終了演奏聴きに行く
      (ささやかな有給休暇消化。30日以上有給を残して退職になります。大企業で
       は有給休暇残り分を買い取ってくれるところもあるようです。10年後にはそ
       うなっていることを祈ります)
3月27日(日)映画の試写会 13:30
3月29日(火)津幡町の退職辞令受け取り
       学校で簡単な送別会
       (コロナで会食自粛のため、ここ2年間飲み会はありません)
3月30日(水)この日までに学校の私物全て持ち帰り。
       掃除、整理整頓、引き継ぎ等もここまでに済ませる
3月31日(木)8:30~9:30 ラジオ放送リハーサル
       (これが最後の有給休暇取得)
       14:30 県の退職辞令受け取りに車で1時間の場所まで
       (学校でくれればいいのに)

4月1日  (金)第1回「Sing幾多郎」
             ※この日にわざわざSing幾多郎を入れたのは、「絶対学校の講師を引き受けたりし
      ない」という決意を鈍らせないためと、退職した1日目に何もしなかったら、き
      っとズルズルだらしない生活を送ってしまいそうだから
4月3日 (日)第2回「Sing幾多郎」
4月5日 (火)第1回 FMかほく「Sing幾多郎」
4月6日 (水)第3回「Sing幾多郎」
4月10日 (日)第4回「Sing幾多郎」 午後久しぶりの関先生のレッスン受講
4月12日 (火)第2回FMかほく「Sing幾多郎」
4月13日 (水)第4回「Sing幾多郎」
  ・
  ・
  ・
と、4月からは<日火水>のルーティーンとなります。
楽しみ!














 

勤務校校歌6 北鳴中学校(石川県金沢市立) 2022年3月21日(月・祝)



北鳴(ほくめい)中学校校歌
作詞 金子曽政 作曲 橋本祥路
歌・ピアノ 西野真理

北鳴(ほくめい)中学校には2003年から2006年まで(41歳~44歳)3年間勤務しました。
私は通勤時間(距離)には大変恵まれていて、ほとんどの勤務校が車で片道20分以内でした。最後に勤務した津幡中学校は片道10分、信号に全く引っかからなければ8分です。
長かったのは最初の岐山小学校と今回の北鳴中学校だけです。

岐山小学校のときはまだ車を運転していなかったので片道10分の自転車、30分の電車、その駅からまた10分の自転車。22歳でしたし自転車が大好きだったのでそこは全く問題なし。30分の空いた電車の車内では教員採用試験の勉強ができるしで却って得したくらいでした。

しかし北鳴中学校は、混雑する金沢市内へ向かうため、空いてさえいれば20分で着く距離が渋滞のため1時間弱。
ところがこれが私には幸いしました。
北鳴中学校1年目の5月、私は奏楽堂日本歌曲コンクールで2位になりましたが、これは通勤時間を利用した暗譜が功を奏したと言って良いでしょう。
本選で歌うことにしていた「鴉(からす)」は演奏時間15分。ひたすら歌って覚えるしかありませんが根気のない私がレッスン室にこもって暗譜のために歌い続けるのは無理があります。ところがこのどうしようもない車内の1時間は暗譜に最適でした。「鴉」を録音したものを聞きながら行きに4回帰りに3回歌うことで、暗譜にこぎつけることができました。

コンクール終了後も、コンサート曲の暗譜やちょうどその時間にやっていたラジオのフランス語講座を聞いたりして結構有意義に過ごしました。
でも、朝が早いことには変わりなく、渋滞も決して心地よくはありません。
そこに勤務2年目、幸運が訪れました。
道路の部分開通です。
現在そこは全線開通しているのですが、私が北鳴中に通っているときは僅かの部分しかできていなくて、そこがちょうど高速道路と接続する部分でした。渋滞はこの先から始まるのです。その接続道路からたった2分高速道路を使うだけで通勤時間が20分以上短縮されます。これを使わない手はありません。

そのころ、開通した僅かな部分だけを使う人はとても少なく、ETCもそれほど普及しておらず、しかもETCの利用拡大のために通勤時間帯の高速料金割引キャンペーンをやり始め、私が使う部分は150円。私は結構早くからETCを付けていたので、すぐにそれを使うことにしてその後は楽々通勤となりました。

ここでちょっとした転勤秘話。
津幡南中学校から北鳴中学校に転勤する時の内示を、私は校長から電話で聞きました。演奏旅行のため台湾に出発するときだったからです。(関空から出ました)
この日、イラン・イラク戦争が始まり、SARSという正体不明の伝染病も囁かれ始めていました。台湾から帰ってくると教育委員会から体調についてのアンケートが届いていました。
また、SARSのため私がチーフを務めることになっていた「北鳴中・日中交流事業」の計画が中止にり、仕事が相当楽になりました。
この時のSARSが今のコロナのようにならなくて本当に良かったと思います。

北鳴中学校では全校集会の校歌は学校長の方針で吹奏楽部が演奏することになり、私が全校集会で歌唱指導をすることはありませんでした。また合唱コンクールもなく私としては少々残念な3年間ではありました。でも、それに負ける西野真理ではありません。学校として合唱コンクールがないのならと、音楽の授業として「録画による合唱コンクール」を実施しました。

長くなりましたがここでやっと校歌です。
歌詞は港中学校と同じ金子曽政。元金沢大学学長、高分子化学の専門家。格調高い詩です。

作曲はあの!橋本祥路。合唱曲の大家。1948年生まれでご存命です。「夢の世界を」「時の旅人」「怪獣のバラード」でお馴染みですね。
さすがの名曲ですが難しい。
まず出だしが低いシのフラット。これは中学生にはきつい。
またラストの言葉が「ん」で高いミのフラット。これは西野真理にもきつい。

この曲を生徒に教えている時、
「あ!」
語源を知るのが大好きな西野真理の頭の隅にあるものが引っかかりました。
・北鳴中学校の音楽室の窓からはレンコン畑が見えます。
・理科授業で時々「ロート」という実験器具を使います。
・校歌の歌詞「~濁りに染まぬ蓮葉の意気~」
蓮・・・蓮の花・・・花が散ると三角形のジョウゴみたいになる・・・漏斗・・・
ロート・・・
「あ!『ロータスブルーメ』って歌がシューベルトにあったけど、これ『蓮の花』。ロートって器具、蓮の花が咲いた後に似てるからこんな名前になったんだ、きっと」









校歌歌います・・・ってどうでしょう 2022年3月20日

 いよいよ退職の日も近づいてきました。
「次何するんですか?」
と、よく聞かれますので、現在思いついていることを書きます。

①YouTubeを続ける
 最低週1本はアップする(⑤とリンク)

②NPO法人FMかほくのパーソナリティー
 明日お話に伺います。おそらく4月からできるんじゃないかなという甘いよみ。

③「Sing幾多郎」を主宰する
 これについては準備は着々と進んでいます。あとは参加者が集まるかどうか。現在のとこ
 ろ4人の方が興味を持ってくださっていますが、開催日が週2回と多いため、そのどの日に
 その方々が来てくださるかは不明。ですから開店休業状態の日も覚悟はしています。
 それでも絶対1年は続けます。

④このブログを続ける
 これはできます

⑤YouTubeで「校歌歌います」っていう動画を出して、日本全国から
 「私の学校の校歌を歌ってください」
 というリクエストに答えて校歌をどんどん歌う。
 校歌ってどの学校にもあるので、私のキャパで言えば「無限」に存在。
 ですからこれを本当に始めれば、一生暇で困るってことはないはず。

⑥したことのないことをできるだけする 
 何でもいいのです。
 ・今まで食べたことのないものを食べる
   ツバメの巣
   帝国ホテルでディナーを食べる
   いちご狩りでいちごをいっぱい食べる
 ・行ったことのないところへ行く
   日本の行ったことない県に全部行く
   (多分北限は福島県。それより北へ行く) 
   プロレスって見たことない
   競馬って行ったことない
   サーカスって見たことない
 ・したことのない体験をする
   ヘリコプターに乗る
   まつげエクステをする
   アロママッサージを受ける
  

勤務校校歌シリーズ5 内灘中学校(石川県河北郡内灘町立) 2022年3月20日


内灘中学校校歌(石川県河北郡内灘町立) 作詞 大沢衛 作曲 川口恒子  歌・ピアノ・伴奏編曲 西野真理(バリトン系ソプラノ) 2022.3.20 ※姉妹チャンネル「日本歌曲の窓」
内灘中学校には1991年4月から1999年3月までの8年間(28歳~37歳)と、2006年4月から2016年3月まで(44歳~54歳)の2回。計18年勤務しました。年数も長く2度も行っているので、時々街で声をかけてくださる卒業生の方が、1回目なのか2回目なのかわからなくて困ります。それどころか最近ではその2回がグチャグチャになってしまってさっぱりわかりません。ごめんなさい。 1回目のときは全校で32クラスくらいあって、先生も生徒も多く大変ではありましたが、パワーが溢れていました。 また、この学校にいるときに私は関定子先生に出会うことになる「福光声楽サマーセミナー」に参加しました。参加できたのはその頃内灘町教育委員会が企画してくださった「夏休みに勉強したい先生がいれば研修費用を補助する」という制度のおかげです。内灘町には本当に感謝しています。そのおかげで今があります。
2回目のときは校舎を改築するために窓にシートが貼られて学校中暗い期間が結構ありました。途中から半分できて使えるようになったのはいいのですが、改築されない部分にある音楽室に、非常階段を使って移動しなければならないのは結構たいへんでした。職員室に忘れ物をしたときは悲しくなりました。

<曲について>
詩を書かれたのは大沢 衛(おおさわ まもる)さん。1904年1月18日 - 1980年4月13日。英文学者、金沢大学名誉教授。 石川県出身。1927年東京帝国大学文学部英文科卒。第四高等学校教授、戦後金沢大学教授、1969年定年、金沢美術工芸大学長。75年退職。日本ハーディ協会会長。 作曲者は川口恒子(かわぐちつねこ)さん。1924年、東京市麻布区(現在の東京都港区)生まれ。東京音楽学校(現在の東京芸術大音楽学部)ピアノ科を卒業後、50年に金沢大で勤め始めた。県ピアノ協会を設立し、教育者の育成に努めた。後に同大名誉教授となった。88歳で死去。

勤務校校歌シリーズ4 岐山小学校(山口県周南市立)2022年3月20日(日)



岐山小学校校歌(山口県周南市立)
作詞 田中俊資(しゅんすけ) 作曲 森豊幸
歌・ピアノ・伴奏編曲 西野真理(バリトン系ソプラノ)


岐山小学校は私が大学卒業後初めて勤務した学校です。
1984年から1年間の通年音樂専科講師です。
あの時私は22歳。小学校6年生の生徒は12歳。
6年生の子どもたちは今50歳になっているのかと思うと不思議でたまりません。
あの時の可愛い子どもたちの中にこれを読んでくれた人がいたら、ぜひコメントお願いします。

大学4年の夏に受けた山口県の教員採用試験には落ち、でも、就職を焦ることもなく、
「来年山口に帰れば講師の口くらいあるだろう」
とのんびりしたものでした。

3月の終わり、アパートを引き払い実家に戻った翌日、山口県教育委員会から電話がありました。
「小学校の通年音楽専科の講師をしていただけませんか。小学生は可愛くていいいですよ」
即答でOKです。

今思うと、石川県の現在の夫と知り合い(大学卒業2ヶ月前に知り合いました。山口県で採用が決まっていたらこんなことにはならなかったでしょう)結婚し、石川県で就職し子供を産み、こうして退職の日を石川県で迎えるのは、あの時山口県教育委員会が私を採用試験で落としてくださったからです。山口県教育委員会の皆さんありがとう。

岐山小学校は当時「徳山市立」の学校でした。当時は「出光興産」「徳山ソーダ」など化学工場の景気がよく、徳山の町はとても栄えていました。まさか「徳山市」の名前がなくなるなんて想像したこともありませんでした。現在は近隣の市が合併し「周南市」になっています。

「徳山市」といえば「ぞうさん」です。
そう、あの
「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね」
で有名なあの歌詞は、詩人のまどみちおさんが徳山動物園のぞうさんを見て書かれたものです。(まどさんは山口県の方です)そのせいか、動物園の名前だけは「徳山動物園」のまま残されています。
その徳山動物園は岐山小学校の校区内で、私は毎日その横を通って通勤していました。

さて校歌ですが、楽譜は持ってないしどうしようかとネットで検索すると音声が出てきたので、それを楽譜に書き取り伴奏を付けてアップしました。

<曲について>
作詞者は田中俊資さん 「維新の先達」「楠正行」「南期盛衰記」の著書があります。
田布施町立田布施中学校の校歌、萩市立育英小学校の校歌もこの方の作詞ですが、育英小学校の校歌は山田耕筰が作曲しています。聞いてみたいですね。
でも、それ以上のことはわかりませんでした。

作曲者は森豊幸さん 大正3年、岡山県生まれ。1987年没。作曲家・ピアニスト・山口大学名誉教授で、岡山・山口両県の校歌を100曲以上作曲されています。

勤務校校歌シリーズ3 金沢市立港中学校 2022年3月19日(土)




 港中学校校歌(石川県金沢市立)

作詞 金子曽政(かつまさ) 作曲 川崎祥悦  歌・ピアノ 西野真理(バリトン系ソプラノ) 2022.3.19※姉妹チャンネル「日本歌曲の窓」 港中学校には2016年4月から2019年3月まで(54歳~57歳)3年間勤務しました。 音楽室が職員室からとても遠くておまけに担任もして授業数も多いので、6時間空きなしの日が週1回ありました。そんな日は諦めて一日中音楽室と担任クラスの往復で終わっていました。

港中の3年間で一番つらかったのは給食集金担当業務です。
教員人生で一番つらかったかもしれません。
教員にはそれぞれ校内の「研究」だとか「生徒指導」だとか様々な校務分掌が割り当てられます。私が港中学校に赴任して最初の職員会議に出た時、私の分掌はとても軽めで
「あと6年で退職だから、こういう人には軽くしてくださるんだな」
と、気楽に構えていました。
ただそこに、見慣れぬ「給食担当」の文言も入っていました。
私がそれまで勤務した河北郡市での「給食担当」は
・給食委員会の指導
・エプロンの準備をしましょう
・給食はこの通路で取りに行きましょう
・配膳はこのような段取りで
等、主として生徒に関すること。
たまにあるのは、
・転出したり転入したりの生徒がいたときに、給食数の変更を給食センターへ伝える
程度でした。
ここでもそうだろうと思っていたら、その「給食担当」の業務の中に
給食集金
が入っていたのです。
河北郡市では給食センター側の業務であったことが、中学校教員に任されているのです。

集金等、経理に堪能な方には私のつらさは理解されにくいと思いますが、とにかくやらねばならないと判った時点で、教頭先生に聞くと
「誰にもわかりません!あれは大変です」
と、きっぱり。
「前の担当者のAさんに電話してみれば?」
と言われ電話すると、今にも泣き出さんばかりの声で
「私もわからないの!」
「・・・・・・・・・」
仕方なくAさんの残した書類を見ると、月ごとの数字がプリントアウトされたものの上に鉛筆でごちゃごちゃメモがされ、ある数字に線が引っ張ってあり
「これをどうするか」
と書いてありました。
どうしたんですか!

それからは毎月毎月集金業務が定期的に襲ってきました。
仕方なく私は集金計算方法をテンプレートにすることにしました。
ここまでお読みになった方は、一体何がそんなに大変なのかとお思いでしょう。
それではその一端をご紹介します。

・集金は一般集金と給食集金を一緒に集める
・その中から給食分が別口座に入る
・入ったものが生徒全員分で、全員同じ食べ方ならなんの問題もなし
しかし!
・口座引落が前提だが、口座引落されない生徒がいる
・口座引落されなかった生徒の中に、牛乳を取っている生徒と取っていない生徒が混じっている
 (牛乳取る取らないは自由なので)
・更にそのパターンの中に、市から補助の出ている生徒と出ていない生徒がいる
・前月分の未払い分を追加して払うが、その中にも上記のいくつものパターンが混在する

久しぶりにあのときのことを思い出しました。
実際はもっと複雑です。
冗談でもなんでもなく、給食集金日前後は暇さえあれば頭の中は給食集金のことばかり考えていました。

そんな2年目、文部科学省から次のような文書が出ました。
「教員の給食集金業務からの解放」
相当強いトーンのこの文章に私はバンザイと叫びたいほどでした。
全国に私と同じ思いをしている仲間がいるのです。
しかし、あれから改善されたとは聞いていません。
でもこれは給食集金に限りません。
ぜひ、集金業務全体から先生を解放してほしいです。

ちょっと嫌な話になってしまいましたのでもとに戻します。
港中はその名の通り金沢港のすぐ近くで、窓から外国からの豪華客船が見えてとても素敵でした。 また通勤は海沿いの道を走るのですが、朝、西側の海に虹がかかったのを見たときはとても感動しました。しかし!前方で2台の車が事故! 2台とも虹を見ていて前方不注意だったのでしょうか。みなさん、脇見運転には注意しましょう。 港中学校の校歌は私が最も影響を受けた曲の一つです。 この前奏の素晴らしさ、途中普通より少し長めの歌詞で緩みそうな部分を、そこを利用して情緒豊かに奏でられているところ。さすが川崎祥悦!ご存命です。  ※かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月29日 - )日本の作曲家。   青森県出身。東京藝術大学音楽部作曲科卒業。多くの合唱曲を作曲している。 これに影響を受けて、その後赴任した津幡中学校校歌の伴奏をアレンジしました。 さて、歌詞ですが、これも素敵です。 春夏秋冬の学校周辺の様子が大変美しく、知的に描かれています。 詩を書かれたのは元金沢大学の学長・金子曽政(かつまさ)さん。 高分子化学がご専門だったようですが、どんなご縁でこの方が詩をおかきになったのでしょうか。 1916年に誕生、2001年06月01日にお亡くなりになっています。福井県の方です。

勤務校校歌シリーズ2 津幡南中学校 2022年3月19日(土)

 

津幡南中学校校歌(石川県河北郡津幡町立)
作詞 大竹敏夫 作曲 竹田輝一 歌・ピアノ・伴奏編曲 西野真理(バリトン系ソプラノ) 2022.3.19※姉妹チャンネル「日本歌曲の窓」
津幡南中学校には1999年4月から2003年3月(37歳~41歳)まで勤務しました。 この学校は町内の津幡中学校が1学年10クラス。全校30クラス。マンモス学校解消という方針で分離されてできた新設校。なにもないまっさらの学校の開校に関われるチャンスは、それほど多くの人には巡ってきません。 私は実働部隊ということで面倒なことには関わっていませんが、この時、管理職や各部署の長を担ってくださった方々は本当に苦労されたと思います。でもそのおかげで、この4年間はとっても楽しく過ごすことができました。 特筆するのはその時の校長・森川徹先生。この人の求心力、何でも任せてくださるおおらかさでこの新設校は素晴らしい船出ができたのだと思います。 森川先生は中学校長を退職後、遊学館高校野球部部長に就任され、男女共学になって創設間もない野球部を甲子園へ出場させました。 しかし残念ながら10年ほど前、病のためお亡くなりになりました。 私が定年まで勤務したことを褒めてほしかったなあ~と思います。 津幡南中時代での個人的出来事は 「『叱られて』歌唱コンクール」で第2位を(39歳) 「21世紀日本歌曲コンクール」で、第1位を(39歳) 「奏楽堂日本歌曲コンクール」で、6位入賞(40歳) したことでしょう。 今思うと、授業をしながらどうやって喉を温存させていたのかとても不思議ですが、その時とても苦労したとか頑張ったという記憶がどこにもありません。つまり私にとって最高のレジャーだったのです。 逆に言えば教員生活の37年間 「歌で稼いでいない」 というのが私にとって最大のコンプレックスでした。 ですから、コンクールで入賞することは 「歌で認められたい」 という私の思いそのものは本当でも、歌一本で生きていこう、稼いでいこうと頑張っていらっしゃる歌手の皆さんとは全く違うものがります。 それでも、教員をしながらこれらのコンクールに入賞したことは、私に大きな希望を与えてくれましたし、日本のどこかに私のように教員をしながら「歌で認められたい」と思っていらっしゃる方に少しは勇気をもらっていただくことができたのではないかと思っています。

勤務校校歌シリーズ 1 津幡中学校 2022年3月19日(土)

 退職記念に勤務校の校歌をアップすることにしました。

津幡中学校校歌(石川県河北郡津幡町立) 歌・ピアノ・伴奏編曲 西野真理(バリトン系ソプラノ) 2022.3.19※姉妹チャンネル「日本歌曲の窓」 ~「これまで勤務した学校の校歌をYouTubeにアップします」シリーズ~ 津幡中学校には初任の1985年から1991年まで(23歳~28歳)6年間勤務した後、2019年から定年退職を迎える2022年まで(57歳~60歳)の3年間、計9年間勤務しました。 初任の時の津幡中学校は全校30クラスのマンモス校。教員の年齢構成も様々な上に教員数が多いので若い先生も多く、よく言えば元気ハツラツ、悪く言えばシッチャカメッチャカ(一番でたらめなのは私)でしたが、お陰でどんな行事も嫌でも盛り上がるたのしい学校でした。 定年前の3年間、津幡中学校に戻ってきたのにはわけがあります。 それは前任校の金沢市立港中学校3年目を終える時。異動希望書に私は次のように書きました。 「初任の頃、拙い授業をしていた自分にリベンジしたい。初任校の津幡中学校へ異動させてほしい」 その願いがかなって津幡中学校へ最後の異動となりました。 しかし待っていたのは2年目のコロナでした。 でも、私はあの頃よりスキル知識も上がっていました。 歌唱指導をしたいのはもちろんですが、そんなこと予想もしていなかったのですが、歌唱を禁じられた時の授業ストックは十分に蓄えられてて、かえって今まで十分にできなかったことができて、良かったと思えるほどです。 初任の頃の拙い授業を受けてくださったみなさんごめんなさい。 これまで授業を受けてくれた皆さんありがとう。

FMかほく 電話連絡 2022年3月18日(金)

 FMかほくにメールを送信したのが17:35。
夕飯後ダラダラしていたらメールが来ました、FMかほくから。
19:07です。
「まずお電話で詳細をお話いたします」
と書いてあったので、すぐ電話しました。
19:09です。

打ち合わせに行く事になりました。
「私、今日コロナのワクチン打ったので明日はおそらくだめです」
ということで、3月21日(月・祝)朝10時に決まりました。

続きは多分3月21日に書きます。
明日熱が出なければいいな。
打ったのが15:30、今20:30ですがちょっと腕が痛くなってきました。

さて、翌朝、5時起床。
腕は少々痛いですが体温は35.7C 平熱より低いです。

FMかほくパーソナリティ応募 2022年3月18日(金)

先程コロナワクチン3回めを接種してきました。
横目でお相撲を見ながら
「退職して『Sing幾多郎』を始めるのは楽しみだけど、実際誰もいらっしゃらないかも」
と少々ナーバスになったのですが、すぐ色々閃きます。そして
「ラジオ パーソナリティ」
でネット検索すると、家から車で5分くらいのところにFMかほくのスタジオがあり、随時パーソナリティを募集していることを発見しました。
↓これです。

ラジオ番組でお話しませんか!
お好きなテーマで、24分番組を放送できます
(番組内には音楽を最低1曲入れてください。)
1年間無料、人に伝えるトーク能力あがります
(2年目~月会費2,000円。応援スポンサーを集めましょう)
番組パーソナリティになりたい方はメールフォーム からご連絡ください。

申し込みましょう!

<応募の文章>
 西野真理と申します。
 この3月で中学校音楽教師を退職します。
 コロナのため突然始めることになった音楽授業YouTubeが楽しくなり
 主として自身の歌唱動画のアップロードをはじめました。
 2022
.3.18現在280本超の動画をアップしています。
 (YouTubeで「西野真理」と検索していただけると嬉しいです)

 もともとおしゃべりが大好きで、教員生活ではそれを存分に生かしてきましたが
 そのスキルをもっと多くの方に知っていただくために、FM放送で試してみたいと思い始めました。
 また今後は音楽活動、歌の好きな方との歌の会を始めていきますが
 その宣伝方法の一つとしてもFM放送で西野真理の名前を
 お知りいただければと思い、応募いたしました。

この後についてはまたブログに書きますね。



Sing幾多郎 4月の予定表(スマホ用)2022年3月18日(金)

 Sing幾多郎

4月の予定表

一緒に歌いましょう

主宰 西野真理

・合唱をしたいわけではないけれど、

何となくみんなに混じって歌いたい

・個人レッスンに通うほどではないけれど、

歌のレッスンを受けてみたい

♪そんな方をお待ちしています~

「西野真理 ブログ」ネット検索で

Sing幾多郎の月予定をご覧いただけます

西野真理の歌はYouTube「西野真理」で御覧ください

☆お問い合わせ singkitarooo@gmail.com                     

日時 

2022年4月は◎が開催日 (基本は毎週水曜日・日曜日)

毎回参加される必要はありません。ご都合の良いときにどうぞ

27

28

29

30

31

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30







場所

かほく市 宇野気区 本町コミュニティセンター 

かほく市宇野気ト 110-1(宇野気「八講屋」さん近く)

参加資格 

・高校生以上110歳以下  ・メールorラインで連絡できる方

・スマホをお持ちの方(連絡や歌詞を見るために使用します)

歌う曲

何でも(クラシックから歌謡曲まで幅広く・リクエスト歓迎)

参加費

1回 1,500円(毎回当日支払い 楽譜・コピー代別途)

タイムスケジュール

945~1000  準備 消毒 検温 参加者名簿記入

参加費支払い ネームホルダー付け 椅子出し 等

100010:50 ひたすら歌います(途中休憩なしの50分)

1050終了 ネームホルダー返却 片付け等 (11:05 退館完了)

その他    マスク着用で歌います(当面の間)

           

西野真理の色々なお話

災害時の連絡について  2026年8月28日(金)

 災害時、親しい方の安否が気になるのは当然のこと。しかし、そのために連絡を取ることについて、その方のお心がわかるだけに申し上げにくいこともあります。以下は能登半島地震被災体験者・中村弥子さんのFacebook、金子国土交通大臣のXから(7月26日熊本地震について)お借りしました。...