勤務校校歌シリーズ2 津幡南中学校 2022年3月19日

 

津幡南中学校校歌(石川県河北郡津幡町立)
作詞 大竹敏夫 作曲 竹田輝一 歌・ピアノ・伴奏編曲 西野真理(バリトン系ソプラノ) 2022.3.19※姉妹チャンネル「日本歌曲の窓」
津幡南中学校には1999年4月から2003年3月(37歳~41歳)まで勤務しました。 この学校は町内の津幡中学校が1学年10クラス。全校30クラス。マンモス学校解消という方針で分離されてできた新設校。なにもないまっさらの学校の開校に関われるチャンスは、それほど多くの人には巡ってきません。 私は実働部隊ということで面倒なことには関わっていませんが、この時、管理職や各部署の長を担ってくださった方々は本当に苦労されたと思います。でもそのおかげで、この4年間はとっても楽しく過ごすことができました。 特筆するのはその時の校長・森川徹先生。この人の求心力、何でも任せてくださるおおらかさでこの新設校は素晴らしい船出ができたのだと思います。 森川先生は中学校長を退職後、遊学館高校野球部部長に就任され、男女共学になって創設間もない野球部を甲子園へ出場させました。 しかし残念ながら10年ほど前、病のためお亡くなりになりました。 私が定年まで勤務したことを褒めてほしかったなあ~と思います。 津幡南中時代での個人的出来事は 「『叱られて』歌唱コンクール」で第2位を(39歳) 「21世紀日本歌曲コンクール」で、第1位を(39歳) 「奏楽堂日本歌曲コンクール」で、6位入賞(40歳) したことでしょう。 今思うと、授業をしながらどうやって喉を温存させていたのかとても不思議ですが、その時とても苦労したとか頑張ったという記憶がどこにもありません。つまり私にとって最高のレジャーだったのです。 逆に言えば教員生活の37年間 「歌で稼いでいない」 というのが私にとって最大のコンプレックスでした。 ですから、コンクールで入賞することは 「歌で認められたい」 という私の思いそのものは本当でも、歌一本で生きていこう、稼いでいこうと頑張っていらっしゃる歌手の皆さんとは全く違うものがります。 それでも、教員をしながらこれらのコンクールに入賞したことは、私に大きな希望を与えてくれましたし、日本のどこかに私のように教員をしながら「歌で認められたい」と思っていらっしゃる方に少しは勇気をもらっていただくことができたのではないかと思っています。

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