表題通り「まさか」のご注文でした。「フニクリ・フニクラ」。
フニクリ・フニクラ(Wikipediaより)
「フニクリ・フニクラ」(ナポリ語: Funiculì funiculà)は、1880年に作曲、発表されたイタリアの大衆歌謡。
1880年にヴェスヴィオ山の山頂までの登山鉄道(ケーブルカー、イタリア語では「フニコラーレ(Funicolare)」)の「ヴェズヴィアナ鋼索線」が敷設されたが、当初は利用者が少なかった。本作は運営会社が宣伝曲を作ることを考え、同社の依頼を受けた作曲家のルイージ・デンツァが作曲し、ジャーナリストのジュゼッペ・トゥルコ(イタリア語版)(1846年 - 1907年)が作詞したものであり、世界最古のコマーシャルソングともいわれる。「フニクリ・フニクラ」とは、フニコラーレの愛称である。歌詞はナポリ語で書かれており、内容は、登山鉄道とヴェスヴィオを題材としつつ男性が意中の女性への熱い愛と結婚への思いを歌い上げる、というものである。なお、題材となったフニコラーレは、1944年に起きたヴェスヴィオ山の噴火によって破壊され、運行を終了した。
<授業で>
在職中のかなり長い期間、私はこの曲を新入生最初の音楽授業のラストで「5分間鑑賞」の曲として使っていました。(※5分間鑑賞:西野真理が設定した、授業ラストで短くインパクトのある曲を鑑賞する時間。多くの曲を知ってもらおうと思って)
理由は
①たまたま素晴らしい歌唱映像をTV番組から録画できた
ラッセル・ワトソンというイケメンテノールが陽気に歌うフニクリ・フニクラはそれはそれは楽しく、大人の私が何度聞いても飽きない(実際年間5回・・・1学年5クラスで1回ずつ・・・としても10年で50回。生徒からリクエストされることもあるのでこの倍は聞いている)
ラッセル・ワトソン(Wikipediaより)
ラッセル・ワトソン (Russell Watson、 1966年11月24日 - ) は、イギリス・マンチェスター出身のテノール・ポップス歌手。尚、生年を「1972年」もしくは「1974年」などとするメディアもある。
幼少の頃から両親の流す音楽に親しんではいたが、当初は真剣にプロの歌手を目指すつもりはなかったもよう。したがって、他のクラシック歌手にありがちな「幼少の頃からの音楽の英才教育」は一切経験していない。
16歳の頃旋盤工となり、仕事のオフタイムの折にパブでロックやポップスを歌うのみであったが、観客に「ルチアーノ・パヴァロッティの“トゥーランドット”にある『誰も寝てはならぬ』を歌ってみてはどうか」と勧められ、CDを入手してヴォイス・トレーニングに取り組むことになった。これがラッセルのテノール歌手としての原点である。
②イタリア語だけれど、サビの「ヤンモ ヤンモ コンパヤンモヤ」はわからなくてもすぐ歌える(生徒は授業後歌いながら廊下を歩いていました)
生徒にはカタカナを降ったイタリア語の歌詞カードを渡しました。
<映画出演>
長くなるのでこのブログを「映画関連」で検索してお読みくださいませ。
映画にちょっと出演。その時日本語で歌うことになったのが「フニクリ・フニクラ」。私は自分で訳したものを監督さんにご提案しましたが却下。
その後歌うことはないとは思いましたが、せっかく訳したのだし一応保存してありました。
それを最近訳詩販売を始めるときに「枯れ木も山のにぎわい」と、リストに加えておいたのです。
<ご注文>
そして7月6日、Yさんからのご注文です。
5曲ご注文いただいた内、2曲はオペラアリア、「アメイジング・グレイス」「アニー・ローリー」そして「フニクリ・フニクラ」。
良かったね「フニクリ・フニクラ」。
Yさんからのご注文を受け、久しぶりに見直しリズム割を1箇所見直し。
こういう曲、私が考えるよりも需要があるのかも。今後何を訳すか考える時、こういうものも考えてみるといいかもしれません。
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