過去の呉先生に関するエッセイより 2024年7月4日(木)

<はじめに>
なんとなく呉先生を思い出して、以前の呉先生に関するブログを読み返していました。するとその中の
八ヶ岳声楽セミナー発表コンサート出演と、翌日の呉先生との面会 2023年9月21日(木)
に私が「別エッセイに書いてあります」と記載している部分があることに気づきました。そこでこれまで呉先生とお付き合いのあった方で、以前のことを少しでも知りたいと思われる方があればと、そのエッセイをこちらに貼り付けることにしました。
なぜ「エッセイ」かと申しますと、2020年までは紙媒体でエッセイ集を出版していたからです。エッセイはPART17までありますが、紙媒体の販売にはあまりに無理があり、押入れはエッセイ集でいっぱい。そこでその後ブログに変更したのです。

2020年2月(西野真理エッセイ集PART17より)
「先生と一緒に想い出として語れる日の来ることを祈って書き残すエッセイ」
※現在のブログと語尾表現が違います

<ピアニスト・呉恵珠>
東京都出身。
野呂愛子、松原みどり両氏に師事。藤原歌劇団、日本オペラ協会、二期会、民音などの専属ピアニストとして、多くの名指揮者のもとで研鑽を積む。
その後フリーとなり、国内・国外の著名な声楽家のリサイタルやレコーディングなどで活躍中。2002年からは毎年メゾの女王フィオレンツァ・コッソットのリサイタルでの伴奏を勤め、コッソットからも「私の長いキャリアで、自分と同じ心を共に感じてくれる初めてのピアニストと出会った。ケイは最高のピアノ伴奏者」と絶対的な信頼と賞賛を得ている。
繊細かつ、オペラの雰囲気を表出するダイナミックな演奏で聴衆やメディアからも高い評価をうけている。

<指導者・呉恵珠>
西野のお聞きした記憶によれば、レッスン箇所は石川・沖縄・熊本・福岡・徳島・仙台・大阪・静岡・広島・岡山。そこへ一人荷物を抱えて出向き「激烈レッスン」を行う。レッスンは主としてピアニスト・歌い手に対するものだが、希望に応じて管楽器や指揮者への音楽レッスンも行う。
レッスンやコンサートが続く場合は、荷物を各レッスン場所のホテルからホテルへ送り、自宅へ帰ることなく継続することも多い。
細い体からは考えられないエネルギーの持ち主。

<食通・呉恵珠>
美味しいものを食べること、美味しいものを作ることが大好き。
各レッスン会場では地方の美味しい店を多数把握。レッスン前後には、激烈レッスンのときとは打って変わった陽気さで、レッスン生とともに食べ歩くことが大好き。
食に対する嗅覚が鋭く、TV等で得た情報から「これぞ!」と思ったものはメモしてそこへ行ってみようという好奇心も旺盛。そしてそこは有名であろうとなかろうと間違いなく美味しい。
おしゃべりも大好きでそこの店主とは必ず仲良くなる。

作る方だが、各地方で買い集めた食材が大量に自宅冷凍庫に保管してあるらしく、それらで毎年おせち料理等を作るのだと聞く。残念ながらご自宅でご相伴にあずかったことはないが、以前福光声楽サマーセミナーの時いただいたカレーとパスタは、文句なしの美味しさだった。

<病気の経緯(弟さんからお聞きした内容)>
2019年12月13日(金)福岡で声楽伴奏のコンサート出演の際、2曲めで倒れる。客席に生徒さんの旦那様でお医者様がいらしており、その方の連絡で福岡市内の病院へ。脳出血。
1週間後、開頭手術を行い血液を取り除くが、全部は取れなかった。
容態が落ち着いた2020年2月初旬、東京赤羽の「赤羽リハビリテーション病院」へ転院。
この病院を選んだのは、1階ロビーに自由に弾いていいグランドピアノが置いてあることも理由の一つ。

<東さんからの情報(電話・メール)>
2019年12月15日
熊本時代からの先生の愛弟子・東園さんの電話が第一報。

その後どうしようもないまま、東さんからの連絡を待つ日が続いた。

2019年12月16日
あれから 熊本の呉先生lessonを手配してくださる方が 
病院にいってくださって、わかったことは
演奏会 1曲目を弾かれ終わって
その後 2曲目に意識を失って運ばれたそうです
脳出血だそうで また 来週 水曜日か木曜日に 手術をするそうで これを受けても どうなるかは言えません。っていうことでした。
 
来週手術と言うことは今は比較的安定しているのかと言う推測で、しかし 面会謝絶だそうです。 今 先生頑張ってらっしゃいます
 
2019年12月24日
呉先生、手術成功して意識戻ったそうです。
良かった~
ただ、右半身は麻痺しているそうです。
年内は集中治療室、また落ち着いたら弟さん連絡くださるそうです。

2020年1月10日
熊本の友達が今日から また 弟さん病院に来られるということで病院に行かれたそうです。
インフルエンザや感染の恐れがあるため 呉先生には会えなかったそうです。
弟さんと話したところ
先生はアイスクリームを食べられるほどになっているようです。
子供がえりもあるとか…。
 
うちに来られるお客様が言ってたんですが、自分も同じような症状で倒れられて 手術してすぐは 色んな事を忘れていたそうで子供がえりされてたそうです。
リハビリで徐々に思い出してくるとか…
 
そして もう少し経過が良くなったら福岡のリハビリ専門の病院に移られるということなのでしばらくは 福岡なのだと思います。
 
そんな 連絡を頂きました。
 
2020年2月1日
呉先生、2/4退院なさるということです。それから どこの病院にうつられるかは分かりません。また 連絡待ちですが…。
だいぶ 回復されているご様子で嬉しいですね。
 先程メール頂いたもの転送します。
  
呉先生、体調は大分回復にむかっている様子で、一般病棟に移りましたが、朝倉医師会病院の建物構造の問題で病院に入れないこと、呉先生にはお会いできない状態でした(1/13情報)。
 
又、更に連絡があり、2/4に退院することになり、東京の病院に移動されるとの情報がありました
2/4の朝8時半に伺えば会えそうです…とのことです
 まだ東京のどちらの病院に転院されるのかお聞きしていないので、わかりましたら、またお知らせいたします

2020年2月4日
熊本の友人が早朝、退院のときに行ってくれました!右半身に麻痺が残るもののしっかりされていて、名前も呼んでくださったそうです。本当に良かった。また、東京の病院を聞いてお知らせしますね

<お見舞い日の決定>
東さんから情報をいただくものの、又聞きのさらに又聞きは危険だと思い、多くの方がご心配であろうことは判るものの、やはり、自分でお見舞いに伺ってから皆さんに連絡をしようと決めた。

ちょうどそんなことを思っていた時、
「この3人(東園さん、藤井ひろみさん、西野真理)と金沢でコンサートできればいいなと思うんだけど、どう?」
と、呉先生が声をかけてくださったメンバーの一人、ひろみさんから
「2月22日土曜日にちょうど東京へ行く用事があるので、いっしょにお見舞いに行きませんか?」
という連絡を頂いた。

ちょっと迷っていたが、2月21日金曜日の夜に私もメンバーの一人である日本歌曲の会「瑞穂の会」のコンサートが東京・紀尾井ホールで開催されることを思い出した。この会には先生の指導していらっしゃるメンバーも多いし、これを聞いた翌日にお見舞いに伺うのはとてもいいと思い、ひろみさんとご一緒することに決め、先生の弟さんに電話をして、22日の14時にお伺いすることになった。
電話で弟さんから
「お見舞いに来ていただくことは構いませんが、元気な頃の姉を知っている方は結構驚かれると思います」
とお聞きしたときは、なにか覚悟を決めなければという気持ちになった。

一番お付き合いの長い東園さんがお仕事の関係でご一緒できないことだけが残念だった。

<お見舞いへ>
強風だがお散歩にはちょうどいいお天気の東京・半蔵門のホテルで目覚めた私は、午後までの時間つぶしに皇居周辺1周のお散歩、迎賓館見学にでかけた。
この頃「コロナウイルス」感染拡大が問題になっていて、駅などはいつもどおりだが、人気観光地であるはずの迎賓館はガラガラ。観光バスは1台も停まっていなかった。

電車内のマスク着用率は西野真理の観察で約75%。

13時30分、赤羽駅着。タクシーで赤羽リハビリテーション病院へ。
病院でひろみさんとひろみさんの旦那様と合流していよいよ病室へ向かった。
(ひろみさんの旦那様は前回レッスン前夜、お夕飯をご一緒されて、先生とすっかり意気投合。「恵ちゃん・幹ちゃん」と呼び合う仲)

<お見舞い報告メール>
ここからの文章は、お見舞い後、新幹線の中でレッスンメンバーにお送り
した報告メールを元に、補筆・再構成したものです。

西野真理です。
本日、藤井ひろみさんと、ひろみさんの旦那さまと一緒に呉先生のお見舞いに行ってきました。長文になりそうなので、まず結論から書きます。詳細からは、お時間のあるときにどうぞ。ただし、あくまで、西野真理の感じ方(希望的観測を含む)とご理解ください。
 
~結論~
・完全復帰は無理だが、数年後に舘野泉さんくらいにはなれると信じたい
 
~2020年2月22日現在の西野真理が拝見した正直なご様子~
・言葉が出ないし、ほぼ聞き取れないが、相手の話の理解はできている
・右半身完全麻痺
・左手でピアノが弾けるが、まだ力は入りづらそう。しかし音楽性は完璧。
 ※このリハビリ施設には1階ロビーにグランドピアノが置いてあり、自由に弾ける。「それがあるからここを選んだ」と弟さん。
・一人で車イスに乗ることはできないが、体は起こせる
・車イスに乗るとき、自分で靴をはける(動かない足に片手で入れられる)
・開頭手術の傷跡がおでこと髪の生え際に残ってはいるが、ほとんどわからない
 
~病気の経緯~
12月13日のコンサート2曲目に倒れ、福岡の病院へ。
1週間後、頭の血を取り除く手術。(開頭)完全にはとれなかった。
2月になって、こちらの病院へ。
 
~お見舞い詳細~
14時過ぎから15時、小一時間の訪問でした。
お会いしてすぐ先生は私達を認識してくださった様子でしたが、言葉が出ないため私はどう接していいかわからず、また、話せない先生相手に私の言葉も出なくなりました。でも、先生にちゃんと表情があること、顔の色艶が良いことがとても嬉しくて、
「先生良かった!」
と言うと、言葉にはならないけれど
「私はもうだめなのよ」
みたいな感じの表情や仕草をされたように見え、どんどん涙が出てきました。私が泣いたりすると先生が
「私はそんなに悪い状況なんだ」
と思わせてしまいそうで、一生懸命涙を止めようとするのですが止まりませんし、私もさらに言葉が出ません。
それを見ていらした弟さんから
「相手の話はわかっていると思いますよ」
と言われたので、私もひろみさんもどんどん話し始めると、確かに全部わかっていらっしゃるなと思えてきました。
ひろみさんの旦那様・幹ちゃんもたくさん話しかけてくださいました。幹ちゃんとお話するのが一番嬉しそうに見えました。
しかし、私たちの名前や、きちんとした言葉が先生の口から出ることは最後までありませんでした。

お話をする時、先生はそれぞれの手を握ってくださるのですが、少しずつ冷静になってくると、私の手を握る先生の左手の握力がごく普通であることに気づきました。そこで
「先生の左手は、普通の人の左手とは違います。左手だけでもかなりの曲が弾けるじゃないですか。レッスンでも左手のことすごくおっしゃってましたよ。石川県で今年の夏、8月10日にコンサートすることになってましたよね。もちろん8月は無理ですけど、完全じゃなくても、まずここの1階ロビーでコンサートしましょう」
みたいなことを言い始めた辺りからすこしずつ表情がよくなった気がしました。私がそう思いたいからそう見えたのかもしれません。

しばらくすると、先生がドアの方を指すような手を振るようなしぐさをされたので、そういえば結構長く居るし、
「もう疲れたから帰って欲しい」
とおっしゃりたいのかなと思ったら、弟さんが
「ピアノを弾きたい気持ちになったみたいだ」
と、介護の人を呼んで
「ピアノを弾く気になったみたいなので、車椅子に乗せていただけますか」
と頼んでくださって、先生を車椅子に乗せてもらい、1階ロビーへ行くことになりました。
私達が病室に入れていただいたはじめのうちは、こちらを向いてくださるし、手も握ってくださるけれど、ずっと少し斜めになったベッドに横たわっていらっしゃる状態でした。
だから私は、体を起こすことは出来ないものだと思っていました。
ところが、ピアノを弾くために車椅子に乗ることになった途端、自分で体を普通に起こして、靴も自分で履かれました。
本当に驚きました。

ピアノの前に座るとすぐに、なんの曲だかわかりませんが、バイエル中級程度の左手パートを弾き始められました。とても嬉しそうです。
そこで
「先生、『故郷』弾けませんか?」
と、ちょっとだけ旋律を私が弾くと、言葉ではないけれど
「ああ、あれね」
みたいに反応して、左手で旋律込みで伴奏っぽいものを弾き始めてくださったので、ひろみさんと私とで歌いました。ロビーの患者さんやご家族、職員の方も聞いてくださっていることが感じられます。

これはいけると思い
「浜辺の歌」
を提案すると、これもOK。私が
「FDurで」
といえば、ちゃんとFで弾いてくださいます。
それから
「花」
を提案すると、?なぜか3拍子。
でもそれがかえって楽しくて、またひろみさんも私も、そこはまあ、それなりにプロ。臨機応変に対応して、世界でも珍しい3拍子の「花」を見事に演奏し終えました。
3拍子がお好きなようなので「おぼろ月夜」も弾いていただきました。
「先生、3拍子がお好きなんですね。今度コンサートでやることになってた『日記帳』の楽譜持ってきます。あれ、3拍子だから」
アンサンブルピアニストとしての血が動き始めたようで、表情もどんどんよくなられたように見えました。弟さんがこの病院を選ばれたことは大正解だったと思います。
ただ、車椅子がピアノを弾くには低過ぎて力が入れにくいようにお見受けしました。なにか座面において高くして弾きやすくしてあげたかったなあと残念でなりません。

もっともっと居たかったのですが、次の身体機能回復のリハビリ訓練時間になったので失礼する事にしました。

<終わりに>
このエッセイは先生と
「あの時、こんな状態だったんだね」
と笑って話したいと思い書きました。
回復を心よりお祈りします。

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