再「JASRACに著作権を預ける」という申し込みをしてみました  その1 2024年10月31日(木)

これをお読みくださる方は、まず
「JASRACに著作権を預ける」という申し込みをしてみました その1~その3
をお読みになってからどうぞ。

さあ、「JASRACに著作権を預ける」という申し込みをしてみました です。

<再申請を思い立った理由>
再申請を思い立ったのは↓のチラシのおかげ。
(わざわざご郵送くださったので、折り目が入っています)



 







小林:母(祥子さん(よしこ))・娘(徳子さん)がお二人で長く続けていらっしゃるコンサートで 、私の訳詩によるシューマン作曲「女の愛と生涯」を演奏してくださることになったから。そもそも私の訳詩を世界で初めてご購入くださったのが徳子さん。そして今回、初めて「公・有料・西野真理本人以外」で西野真理の訳詩での演奏をしてくださる記念すべきコンサートなのです。

JASRACに著作権を預けるためには演奏実績が必要で、しかもその演奏は
・500名以上の会場でのコンサートであること
・500名以下の会場の場合は年3回以上演奏されること
となっていて、前回何も知らず申請した時はどちらの条件もクリアしていなくて断念。
でも今回は500名以上のホールであることを徳子さんから教えていただいていたので、
「申請しようかな~」
と思っていたのです。
しかし、この2ヶ月珍しくいろんなことが重なり・・・思い出してみましょう。
・小林美智さんピアノの「詩人の恋」演奏会を聞きに大阪へ
・リフォーム会社でのイベント・コンサート
・9月の美女コン
・音楽の友ホール「日本歌曲シリーズ」出演
・小原さんとの能登半島地震ボランティアコンサート
・年金申請手続き
・平井康三郎声楽コンクール(3回東京へ)
・衆議院選挙車上運動員(5回)
ということで、申請のことをすっかり忘れていたのです。

<申請>
10月27日に小林母娘のコンサートはご盛会のうちに終了、衆議院選挙も運動員をさせていただいた近藤和也さん当選。その翌日10月28日、急にJASRAC申請のことを思い出し、思い出したらすぐ行動。前回同様インターネット申請に取り掛かりました。

ところが、前回はちゃんとできたのになぜか今回は「個人申請」の入口が見つからず「法人申請」の書き込みしかできません。法人がなにかわからないのですが、自分が法人でないことはわかり、法人でないので書き込みの必要な「法人番号」も書けずそこで中断。
仕方なくJASRACにお問い合わせしたところ、翌日には私の必要とするURLを教えていただいて再び申請開始。

申請理由にはこう書きました。
外国歌曲をコンサートで演奏する際、自分自身も直接は意味のわからない外国語で歌うこと、またお聴きいただくことに限界を感じ、訳詩活動をスタート。
その作品も約200曲に達し、私の作品をコンサートで使いたいという歌手からもお声をかけていただくようになったため。

10月29日 申請完了
JASRACから
お申込情報をご送信いただきありがとうございました。
いただいた情報から信託契約のお申込みをお受けできるか審査をいたします。
後日、結果をご連絡いたしますので、しばらくお待ち下さいますようお願いいたします。

10月30日 JASRACからの返信
この度は信託契約のお申込みを頂戴し、ありがとうございます。
西野様の作品「女の愛と生涯」について、コンサートの実績を確認いたしましたので、
引き続き申込手続きを進めてまいります。
つきましては別途ご本人確認のメールをお送りいたしますので、
お手配くださいますようお願いいたします。
今後の流れは以下の通りです。
・本人確認手続き (フォーム)
・契約内容に関する問い合わせ(メール)
・約款確認依頼(フォーム)
・JASRAC登録作品等の確認(メール)
⇒契約締結
ご確認のほどよろしくお願いいたします。

すぐに、マイナンバーカードを読み込んで送信。
本人確認終了。

つづく






ソロピアニストと伴奏(アンサンブル)ピアニスト 2024年10月30日(水)

<はじめに>
前からこのことを書いておきたいと思っていました。ソロピアニストと伴奏(アンサンブル)ピアニストについてのことと、それに関する私自身の体験。
それからこのブログは主に音楽関係者以外の方向け。ですから、音楽関係者の方がお読みになると余計な説明が多くて読むのが面倒かも。ごめんなさい。

<私のピアノ技能>
私はピアノがあまり得意ではありません。でももちろん中学校の授業で生徒が歌う合唱曲の伴奏等はなんとかこなしていました。しかし、得意ではないと言いつつ、YouTubeには小・中学校の教科書掲載曲や合唱曲の伴奏音源をかなりの数アップしています。それは、私よりさらにピアノの不得意な先生や、家で歌のテストや合唱コンクールのために練習したい小・中学生の皆さんが、
「この程度のピアノでもないよりまし!」
とお使いくださることもあると思ったからです。その予想は的中し、現在私のYouTubeチャンネルで最も再生回数が多いのは「朝の風に」という曲の伴奏です。(2024年10月30日現在31687再生)

<ソロと伴奏>
今これをお読みの音楽関係者ではない皆様、ソロピアノがバリバリ弾ければ伴奏(アンサンブル)も当然簡単に弾けるとお思いではありませんか?
とんでもない。
今回はそんな事に関するお話です。

<異動>
さて、これからのお話は西野真理の自慢話のように感じる方もいらっしゃるかもしれません・・・10%位は自慢ですがご勘弁を。

ある中学校からの異動が決まりました。そんな時、音楽の先生ならではの義務(だと私が思っていること)
1つ目
・次の学校の校歌を赴任までに歌えるようにしておくことと、校歌の伴奏を赴任までに弾けるようにしておくこと
2つ目
・私のいなくなった学校の新任式のために、誰か生徒に校歌の伴奏を弾いてくれるよう頼んでおくこと

異動が決まり公になるとすぐ、私は校内でも一番ピアノの上手い生徒を呼び、
「私のいなくなった新任式の時、『校歌紹介』という時間があるから、その時伴奏弾いて。その前に練習もあると思うからそれもお願いね」
頭も良く性格も良くピアノも抜群にうまいAさんは、気持ちよくその役を引き受けてくれました。

<前任校同僚との会話>
新年度が始まりしばらくしたある日、前任校の同僚となんだか忘れましたが電話で話しをしました。要件が終わり雑談になった時、その同僚がこんな話をしてくれました。

新任式の校歌練習の時、西野先生がピアノを頼んでくれたAさんに弾いてもらったんですけど、生徒の歌とやってもやっても合わないんですよ。本番もあんまり合わなくて。みんなと『西野先生ピアノうまかったんだね』って話してたんです。

あ〜、私も迂闊だったと反省しました。Aさんに伴奏の仕方をもっと早くにちゃんと教えておくべきだったのです。でもつい、私よりはるかに難しい曲をいくらでも弾けるAさんに対して、ソロピアノと伴奏のピアノは違うものだということを言うことなど、すっかり頭から抜けていました。

<プロ伴奏ピアニスト>
ピアノの技能として上手くご説明出来ませんが、歌い手の立場で書くと、伴奏ピアニストにはまず
・歌い手と一緒に息をして欲しい
・歌い手が息をする時間、次のフレーズに行く時間、おそらく1秒にも満たない場面で、正確なリズムを刻むだけではない間を感じて欲しい
そして
・歌い手がモタモタしていたら少し引っ張り、逆なら戻す
・調子が悪そうなら音量を少し控えたり、もっと声を出したほうが良さそうなら敢えて強めに弾いて煽ってみる

全部を文章にはできませんが、幸い私がこれまでご一緒させていただいた多くのピアニストは、ソロピアノの技能を十分持った上で、伴奏を専門にしようと努力を続けて来られた方がほとんど。わざわざ私が
「こうしてください」
と言うことなく音楽を作ってくださって、今日まで私はとても楽にコンサートでもコンクールでも歌うことができました。
それくらい伴奏ピアノを弾くことはプロの技なのです。

お読みくださった音楽関係者以外の皆様、いかがでしょう?ソロピアニストと伴奏ピアニストのことが少しでもおわかりいだけたら嬉しいです。









Sing幾多郎11月からの改定 2024年10月29日(火)

 Sing幾多郎11月から以下のように改定いたします。
(10月10日のものから更に改定しました)

<毎週日曜日> 
フリーの歌の会(予約の必要はございません)
・9時30分~10時15分(45分間)
 1回お一人 2000円

個人レッスン(各45分) 予約者のみ
 予約・お問い合わせ メール宛先  singkitarooo@gmail.com

<毎週水曜日> 
歌の会(3人以上での予約の方のみ)
・9時30分~10時15分(45分間)
 1回お一人 2000円

個人レッスン(各45分) 予約者のみ
 予約・お問い合わせ メール宛先  singkitarooo@gmail.com

202411月の予定(10月29日現在)

◯が開催日   

 

 

 

 

 

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美女コン

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健康診断結果 2024年10月29日(火)

昨日かほく市からの「親展」郵便物が届きました。
税金滞納してないし、何でしょう?
健康診断結果でした。
あれ?確か健康診断を受けた時
「かほく市では結果を個人面談でお知らせするのでご都合の良い日を予約して帰ってください」
と言われ、10月29日(火)・今日のFM放送後の時間を予約して帰りました。
それなのにどうして郵送されてきたのでしょう。
変だなと思いながら開封し、検査結果を見る前に同封された小さなコメント用紙を読みました。










要約しますと
「異常ないから面談に来なくていいよ」
でした。
そこで初めて検診結果用紙を見ると
オールA
メタボも該当なし。
これが学校の成績だったら良かったのにと、小中高と本当にお勉強をしなかった真理ちゃんは思うのでした。

2024年10月衆議院議員選挙車上運動員(ウグイス嬢)関連 その9 投開票翌日の雑感と秘話 2024年10月28日(月)

開票結果が出揃いました。
いわゆる「裏金問題」で自民党はマイナス56議席、立憲民主党はプラス50議席。
新しい議員の皆さんで能登半島地震の復旧復興を少しでも良い方向へ、少しでも早くお願いします。









さて、このシリーズのブログも今日で終わりということで、車上運動員中の秘話を一つ。
アナウンスとお手振りを続けている間、どなたも聞いてくださらないのではないか、手を振ったところでどなたの目にも留まっていないのではないかと不安になります。特に平日日中の住宅街はお留守のお宅が多く、玄関先に出てくださる方はほとんどいらっしゃいません。
そんな時目に入るのが、窓際にちょこんと座っている猫ちゃんたち。この猫ちゃんにどれだけ励まされたか。
どなたもいらっしゃらない住宅街でアナウンスしながら猫ちゃんを見かけた時、あと僅かのところで
「猫ちゃん!」
とマイクを通して言いそうになりました。
「ね」
くらいマイクが拾っていたかもしれません。

2024年10月衆議院議員選挙車上運動員(ウグイス嬢)関連 その8 投開票日 2024年10月27日(日)

いよいよ投開票日。
期日前投票を終えているので選挙に関して特にすることはありません。
一応今日を振り返りますと
7:00
町内会のコミュニティセンター掃除日。週に2回も使わせていただいているのですからしっかり掃除しなくては。
9:30
日曜日はSing幾多郎開催日。いつもの通りどなたもいらっしゃらないので、自主練。
10:30
母を個人Sing幾多郎。先生御自ら生徒を迎えに行きます。
12:30
毎年恒例チューリップの球根を公園に植えに行きました。
これについてはブログに何度か書いているのでそちらをどうぞ。
(時を超えるチューリップ 2022年4月25日)
13:30
息子の作ったジェノベーゼソースのパスタ。このバジルは我が家で育てたもの。
その後
お昼寝したり撮りためたビデオを見たり。
18:00
早めの夕食
18:50
七尾の近藤和也選挙事務所へ出発。
19:55
到着。
駐車場は報道の中継車でいっぱい。
















車上運動員のときの赤いジャンパーを着て用意された前から2列目に着席。
その時の会場のムードは
「結果が出るのは22時?23時?」
みたいな感じ。
↓暇に任せてこんな写真を撮っていました。














後ろには報道のカメラ














20:01
「当確出ました!」
この時間、まだ誰も心の準備ができていないので、戸惑い驚き喜びがぐちゃぐちゃになったようなどよめきが起こりました。もちろん私も。
ちょうど私の後ろにいらした娘のミコちゃんと握手。















自分の1票以外私の力で入った票は1票もないけれど、とっても嬉しいです。
今回の当選理由は近藤和也さんの誠実なお人柄、頭の良さ、ルールを守った選挙活動は言うまでもありません。それ以上に私が5日間選挙に携わらせていただいて感じたのは、ご家族の団結。大変なことはいっぱいあるはずなのに疲れた顔、嫌な顔は一度も見たことがありません。スタッフの皆さんも同様。絶対自分にはできないことです。

今回たまたまお声掛けいただいた車上運動員。活動中から今日の結果まで本当に気持ちの良い日々を過ごさせていただきました。ありがとうございました。















テレビに私の後ろ姿が出ていたのでTV画面を撮影。(録画)
赤いジャンパーの一番左












2024年10月衆議院議員選挙車上運動員(ウグイス嬢)関連 その7 運動員5日目 最終日 2024年10月26日(土)

さあ、いよいよ最終日です。
よほど印象的なことがあるだろうと、どんなブログを書くことになるのか楽しみにしていましたが、ウグイス嬢の仕事そのもは慣れたこともあり、特筆なし。
それよりも・・・!
では、この日のトップニュースと次点のニュースを。

<トップニュース>
それはお昼休憩後。
アナウンスを続けているうちに、お腹が痛くなってきました。その痛みは次第に増し、これはまずいな・・・という感じ。しかもここは郊外。公的な建物やコンビニはすぐには見つかりません。それなのに「トイレに行かせてください」と急に言ったところで、運転手さんを困らせるだけです。私はアナウンスしながらそのような建物がないか探し続けました。
しかし、次第にお腹の痛さはさらに増し、そうなると冷や汗、そしてなぜか眠気。きっと体がトーンを下げようとしているのでしょう。アナウンスの声も中程度しか出せなくなってきました。
そんな時、ホームセンターの看板が目に入りました。
チャンス!
「すみません、トイレお願いします」
もちろん皆さんすぐに対応してくださって、しかもちょど幹線道路に向かうタイミングだったので、ホームセンターの看板方向に車を進めてくださいました。
幹線道路に出ると、出た交差点はちょうどファミリーマートの前。
すぐに車を降りさせてもらい、事なきを得ました。
今までこんなにファミリーマートに感謝したことがあったでしょうか。
お礼に↓を購入させていただきました。














<次点のニュース>
前日に
「野田佳彦元首相が輪島で応援に入る」
ことが知らされました。
事務局の皆さんは大変だったでしょうが、ルート変更以外に私達に変わったこともなく、逆に野田元首相をお待ちする間アナウンスはできないので、休憩が増えたくらいの感覚です。
会場について車内で到着をお待ちする間、会場で最も目についたのはSPの多さ。元首相ともなるとこんなにも警備が厳重。私達がスマホで撮影することも禁止されました。

そこにいたことで初めてわかったことがあります。
「演台」
のことです。
ただ見ただけだとガズレンジを3方向から囲むレンジフードみたいなものです。ところがそれを屈強な若い警察官が3人でやっと運んでいるのです。一見ペラペラですがとんでもない。きっと銃弾も通さないようにできているのでしょう。

それを見ながら思い出したのは安倍元首相のことです。
あれは素人の私が見ても
「あんな道路の真ん中でお話するんだな」
と思ったくらいですから。
今回の場合、野田元首相の背中は街宣車、前は演台。両隣は私達ウグイス嬢や議員さん、そしてもちろんSP。観客との間には柵。そして観客の後方にもたくさんの警察官。

警備のことはさておき、野田さん、流石にお話が上手で、短時間ではありましたが聞き入ってしまいました。お話が終わると、これからさらに日本中応援に回られるということで会場をあとにされました。
野田さん、ご来県を次点のニュースにしてごめんなさい。

報道もたくさん入っていたので、この日のニュースで野田さんの横にちょっと私が映ってないかなと期待しましたが、私が見たものは当然ですが野田さんをズームした映像ばかりでした。

2024年10月衆議院議員選挙車上運動員(ウグイス嬢)関連 その6 運動員4日目 河北郡・かほく市 2024年10月24日(木)

今日も4日目と同様河北郡市を回るルートです。
高松東インターのセブンイレブン・AOKI・しまむらのある交差点でのお手振りからスタート。お天気は晴れ。今日も予想以上に車から手を振ってくださる方がたくさんいらっしゃいます。何人かは手に近藤和也のチラシを持って
「あなたを支援していますよ」
アピールをしてくださる方も。

今日はそれほど特筆することもありません。
でもやはり被災地を通るのは胸が痛みます。
特に宇野気から内灘への道は私が長年通勤で使っていた道。同じ道路とは思えません。また、ほぼ報道されない場所でも、液状化の「筋」とでもいいますか、お隣はなんともないのにその家だけ大きく傾いていたり、一見なんともないのに床下はボコボコで立入禁止だったり。トイレをお借りした公民館はまさにそれで、一見普通なのですが、トイレと事務室のある部分より道側は立入禁止。しかもどんどん傾いているそうです。
選挙やってる場合なのかな?

今日のアナウンスは、3人の内の一人、ベテランのMさんのご提案とうまい回しのお陰で長時間のアナウンスも無事終わりました。

帰りは内灘道の駅まで彼が迎えに来てくれて、二人ですき家によって帰りました。初すき家。
「温玉チーズカレーミニ」
幼い頃食べたハウスバーモントカレー甘口のような懐かしい味でした。






柿ウスターソース作りその後 2024年10月27日(日)

このブログは
柿ウスターソース作り 2024年10月25日(金)
をお読みになってからどうぞ。

作ったウスターソースはまだ手を付けていません。
そんな時、車上運動員(ウグイス嬢)でお知り合いになった方から、熟し柿の美味しい食べ方をもう一つ教わりました。
「リキュールと生クリームを乗せる」
すごく美味しいそうです。
でも私には珍しく行動に移しませんでした。それを食べたあと車に乗ったら飲酒運転で捕まらないか心配なのと、生クリームの泡立てが面倒なのとで。

そんな本日、
「アイスに乗せると美味しいかも」
とひらめいて、すぐスーパーカップバニラを買ってきました。

美味しいです!

写真撮るのも忘れて食べてしまいました。

アイスクリーム屋さん・ラグーン 2024年10月25日(金)

ちょっとお知り合いになった方の関係で、津幡町にあるアイスクリーム屋さん・ラグーンに家族3人で行ってきました。河北潟の牛乳で作られているアイスです。
津幡駅前の道路を挟んですぐ。駐車場はお店の隣。昼食後のちょっとしたデザートにおすすめです。ワンスプーンおまけが付きます。
※ハローウィンのチョコは今だけ

私  アーモンドプラリネ・ミルク・(おまけ:コーンポタージュ)














彼  アーモンドプラリネ・能登塩ミルク・(おまけ:加賀棒茶)














息子  牧草・紫いも・(おまけ:かぼちゃ)














店内


柿ウスターソース作り 2024年10月25日(金)

車上運動員(ウグイス嬢)を終えて家に帰ってみるとテーブルに柿が7つ。
「この柿どうしたの?」
「Nさんにもらった」
早速食べようと手に取ると、その柿は「熟し柿」(7つ中6つ)。ドロドロのあれです。
 ↓左は硬い柿














私は正直好きではありません。
でもとりあえず1つ剥いてみました。ドロドロで剥きにくく、あまり食べる気になりません。そこで!冷凍庫へ。シャーベットになっておいしいかも?と思って。
(明日食べます)
でも残りの6つどうしよ~(困)
Nさんに会った時お礼の一つも言わなきゃならない。でも、
「美味しかったです」
なんて言って、来年ももらったら大変。

こんな時はインターネット。
「熟した柿 使い道」
で検索して出てきたのが
「手作りウスターソース」

以下、マガジンハウス「コロカル」さんのページから。

お砂糖ゼロ! 熟した柿でつくる「ウスターソース」レシピ
<材料>
・熟した柿 3〜4個
・玉ねぎ 1個
・にんじん(葉っぱつきならなおよし!) 1本
・セロリ 1本
・ニンニク 3片
・トマト缶 1缶 (生のトマトなら約400グラム)
・生姜 半かけ〜ひとかけ
・塩 約30グラム(味をみて決めてください)
・醤油 約100ミリリットル
・酢 約100ミリリットル
スパイス(量はお好みで)
 ・クローブ ・シナモン ・ブラックペッパー(ホール) ・ローリエ など

スパイスはあるもので大丈夫です。なくても全然OK!

<つくり方>
(1)玉ねぎとニンニクをミキサーにかけたあと、鍋でじっくりと炒めてコクを出します。

(2)種をとった熟した柿、にんじん、セロリ、トマト、生姜をミキサーにかけてドロドロにします。

(3)(1)に十分火が通ったら、(2)を入れて煮ます。

(4)塩、スパイス、醤油を入れて軽く煮ます。

(5)酢を回し入れ、ひと煮立ちしたら熱々の瓶に入れて蓋をし、逆さにして脱気します。(酢の風味が飛ぶので、煮込みすぎないこと)

本当はこのあとサラシで濾したりするのですが、
我が家ではどろっとしたソースをそのまま料理にかけて使っています。
アジフライにかけても、お好み焼きのソースにしても、カレーに入れても絶品です。

作ります!
決めたらすぐやります。
スーパーでトマト缶と生姜とセロリを買ってきました。

ラストにお酢を入れる前に味見してみたところ、これはこれで美味しいので、半分はそのまま、残り半分にお酢を入れて味を変えてみました。
どちらも美味しいです。
どうぞお試しください。




深夜のパート録音 2024年10月24(木)~25(金)

車上運動員(ウグイス嬢)の仕事から帰宅し、なんだかモタモタしている間に遅くなり23時半過ぎにベッドに入った途端にライン着信。
かつての仲良しの同僚・現役教員のHさんからです。
「夜分遅くにすみません~」
要約しますと、
担任しているクラスの合唱コンクールの仕上がりがあまりにひどい。なんとかならないか。
というもの。彼女が添えてくれた合唱練習の音声は、それがなんという曲だかわかりません。仕方ないので電話しました。
するとそのよくわからない曲は、私がYouTubeにもアップしている
「友~旅立ちの時」
彼女が困っているのも頷けます。
「写真でいいから楽譜送って」
楽譜を見ると、かなり難しい編曲の上に、音も高く設定されています。これは大変。
合唱コンクールまでおそらくあと1週間ほど。今更発声だの心構えだの綺麗事を言っても始まりません。
そこで私の考えた方法は1つ。
3部合唱は諦めて2部にし(女子全員アルトパート)男子にメロディーを歌わせる
和声上まずい部分もありますが、改めて編曲しなおす時間もないので今回は目をつぶります。また女子のアルトパートもかなりカットして旋律を歌う部分を多くします。

中学3年生にもなると、音量に関して女子は男子に勝てません。その女子を2つに分け、少ない人数で弱々しい声で旋律を歌わせても聞こえるはずがないのです。
また、歌う気のない男子に、よくわからない副旋律を歌えというのが無理。旋律なら歌う楽しさを少しは感じることができます。そもそも
「ハモりたい、副旋律を歌いたい」
という気持ちになるのは、相当歌を歌える人の感覚。正直私はそっち。ハモるの大好き。
そんな事もあって、私は教員生活の後半、ほぼこのやり方でが合唱をさせていました。

Hさんに上記を提案し放ったらかしにもできないので、私の提案したアルトパートを録音してお送りすることにしました。その時点で今日(24日)が終わりそう。でもやります。
防音室とは言え、深夜なので控えめな声で録音。ウグイス嬢であんなに声を出していたのにちゃんと歌えていい気分です。

25日 0:40 できました。
Hさんに送信。
「あくまでも西野真理案ですから、あとはご自由に。ただ、ハモるのはまずメロディーが聞こえてこそ」
就寝。

やっぱり音楽で人の役に立てるっていい気持ちです。

投票マッチング 2024年10月23日(水)

そうそう、こんな物があったんでした。
選挙ドットコムの「投票マッチング」
20の質問に5段階(賛成 やや賛成 中立 やや反対 反対)で答えていくと、どの政党の考えに合っているか判定してくれるというもの。今まで何度かやってきましたが、私のマッチング結果が私の投票した党になったことは一度もありません。
つまりいつも投票したあとにやっているのです。

やってみましょう。
質問は、防衛費のことだったり少子化問題だったり。これのいいところは改めて聞かれるとそれなりに真面目に考えるということです。短時間でしたが真面目に考えてみました。

結果が出ました。
やはり私が投票した(期日前投票を終えているので)党ではありませんでした。
皆様もどうぞお試しください。

あれ?NHKも同じようなサイトを作っています。
衆議院選挙2024ボートマッチ
というもの。やってみましょう。
こちらは質問が25。3択のものもあれば5択のものもあります。
県ごとになっています。
こちらは私の投票した結果と同じになりました。

あれあれ?朝日新聞にもあります。
やってみましょう。
こちらは微妙な結果。どの党も大差なし。

歌唱王 2024年10月23日(水)

10月23日 16:08
今テレビをつけて、常時ブログをお読みの方(おそらく8人)にご報告していないことを思い出しました。テレビ金沢の「となりのテレ金ちゃん」の「歌唱王」の映像審査に応募して落ちていたことを。
(詳細は応募してみました 2024年8月30日(金)をお読みください)
応募したことなどすっかり忘れていましたが、とっても暑いころでした。
映像審査に合格した人にだけ二次審査のお知らせがあるということで、私にはなかったので落ちたのですね。

現在テレビでおそらく石川県最終審査の模様を放送していますが、皆さん本当にうまい!
何しろ声がいいし表現力があります。

あ、もう一つ思い出しました。
何年か前の同じ大会で石川県代表として全国大会へ出場したのは、内灘中学校での教え子、H君。全国大会前に一度我が家へ遊びに来てくれました。彼は私の教員生活の中でも一番歌がうまいと言える生徒。そんな人が全国大会へ出るんですね。

10円貸して! 2024年10月22日(火)

ブラームスの「ジプシーの歌」完成をfacebook で公表し、初依頼訳詩「サムソンとデリラ」も完成し、2週間ぶりのFM放送を終え、さて今日も母をイオン散歩へ。
でもその前に、母が散歩中にする間に訳詩する作品を探しましょう。
決めました。
ブラームス作曲「鍛冶屋さん」です。鍛冶屋の若者に恋する女の子の歌。
訳詩準備を済ませ母に電話。今日はイオン散歩ではなく隣町のアルプラザ散歩になりました。

店内で母と別れ、さあ、訳詩開始。
今回の曲は短くわかりやすく、割とすんなり訳せてしまいました。
そこで、訳をコピーしようとコピー機の前へ。
「あ!お金がない!」
そうです、カードとスマホのaupayしか持っていないのです。
コピー機は現金のみ。
あ~~~ちゃんと現金も持ってなきゃだめですね。
・・・車の中にあるかも・・・ありませんでした。

待ち合わせの時間になりました。
母に言いました。
「10円貸して!」
良かった、母が現金持ってて。
ところがこんな時に限ってコピー失敗。拡大率を間違えてはみ出してしまったのです。
結局母にもう100円借りてコピーを終えました。

皆さん、現金もちょっとは持っていましょうね。

初訳詩ご依頼・サムソンとデリラ 2024年10月21日(月)

ただ今2024年10月21日15:22。つい先程、初のご注文による訳詩作品完成させました。

そのメッセージに気づいたのは10月19日(土)車上運動員(ウグイス嬢)の休憩時間。
師匠・関定子自宅レッスン受講中のSさんからでした。
Sさんからのメッセージを要約すると
「関先生のレッスンを受講されている年配の女性が現在オペラ『サムソンとデリラ』の『あなたの声に心は開く』を勉強中。西野さんにその訳詩を依頼して欲しい。依頼することは可能か?」
というもの。
ウグイス嬢の最中で、そちらをまともに考え始めるとそちらに気持ちが行ってしまい、ウグイス嬢どころではなくなるので、
「後でお返事します」
程度の簡単な返信だけをしました。

さあ、2日連続のウグイス嬢が終わりました。(あと2日あります)
そうは言ってもウグイス嬢最中も訳詩のことは頭に浮かんでは消えました。
私は以前このアリア「あなたの声に心は開く」(サン=サーンス作曲「サムソンとデリラ」より)を勉強したことがあり、大好きな曲の一つでもありましたが、もう何年も歌っていません。お声掛けいただいて思ったことは
・訳したい気持ちはある
・「引き受けます」と言ってしまって、できなかったら申し訳ない
この2つ。
そこで、「お引き受けします」というお返事をする前に取り掛かり、できた時点でお返事しようと決めました。

そして今日になり、朝からこの2日のウグイス嬢ブログを書き、母のSing幾多郎を行い、お昼ごはんを食べ、お洗濯をし・・・そう、朝から訳詩に取り掛かろうかどうかと迷いながら逃避し続けたのです。
そしてついに楽譜を取り出しました。
訳します!

できました。
歌ってみました。
2日連続ウグイス嬢を頑張ったのに、ちゃんと歌えます。声の出し方に気をつけた甲斐がありました。詩もいい感じに音楽に乗ってます。
リズム譜を書きます。
16:17 リズム譜も完成。

では、パソコンに保存して連絡しましょう。
初の依頼作品、お喜びいただけますように。






2024年10月衆議院議員選挙車上運動員(ウグイス嬢)関連 その6 運動員3日目 河北郡・かほく市 2024年10月20日(日)

車上運動員3日目 河北郡・かほく市 10月20日(日)

<かほく市で合流>
運動員2日目までは七尾事務所まで1時間かけて行くため4:30に起きていました。でもこの日はスタートが河北郡なので、秘書さんにお願いして河北合流にさせていただきました。
ただ、帰りのこともあるので私の車は河北選挙事務所の塚本さん宅に置かせていただき、塚本さんが私をスタート地点・津幡住の江交差点まで送ってくださることに。
7:10 塚本さん宅到着。
塚本さん二度寝してしまい、私のピンポンで飛び起きられたそうです。
塚本さんは選挙対策本部(?)のことを色々していらっしゃるようで、そのお仕事を夜遅くまでされるなどかなりのハードワークのようにうかがえましたが、そんな様子を全く外に出されないとっても元気な方です。

<お手振り>
津幡町でも、結構たくさん手を振ってくださる方がいらっしゃいました。
また私は津幡中学校に計9年、津幡南中学校に4年勤務したので、誰か教え子に会わないかな?と期待しましたが、誰にも会いませんでした。まあ、誰か私の前を通ったとしても、私だとはわからないでしょうが。
ただ、運動員の方と住の江交差点で合流した時、一人の男性がなんだかチラチラ私の方を何度も見ていらしたので、ひょとしたら
「西野先生に似てるなあ~」
と思ったかつての教え子さんだったのかもしれません。

<注目されない被災地>
能登半島地震は大きく報道され、全国的にもその被害は知られています。しかし、大きな被害がありながらあまり報道されず、補助金の額も違うという地域が存在します。それが河北郡・かほく市です。
近藤さんはその方々のためにも尽力されていて、家から出てきて涙を流しながら近藤さんの手を握る方も少なくありませんでした。
この地域の一つ内灘町は私が計18年勤務した場所。教え子の家もたくさんあります。ここを走る時、私はあまり声を張ることができませんでした。

<地元>
地元かほく市宇野気を走る時のマイクは私が握らせていただきました。
地元中の地元「本町」を走る時は
「本町の皆様、朝からの草刈りお疲れ様です!」
そうなんです。今日は朝から町内一斉清掃デー。参加できなくてごめんなさい。
自宅玄関からは息子も出てきてくれました。息子は風邪で体調が悪い中、やっと出てきてくれたとか。ご協力ありがとう。

<運転手さん>
すごいの一言。
住宅街には狭い道もたくさんあって、私なら普通乗用車でも決して入らない道路を、大きなワゴン車で切り返しなしでスイスイ入って行かれます。もちろんプロ・大型バスの運転手さんですから当然なのかもしれませんが、ただ神業にしか見えません。

<総決起大会、突然の指名>
お昼の休憩後、塚本さんから電話がありました。
「今日のかほく市総決起大会の最後『頑張ろう』の発声を、かほく市在住の西野さんに友人代表としてやって欲しい」
人の前に立って目立つことの大好きな私ですが、連合青年女性をやっている時から、どうもこれは苦手です。理由は簡単。カッコ悪いからです。珍しく
「え~~~う~~ん・・・」
とできればお断りしたい雰囲気を出しながら電話で話しましたが、押し切られる形でお引き受けすることになりました。
その後塚本さんから『がんばろー』前のショートスピーチ案がライン送信されてきました。
「わたしは近藤さんの友人でかほく市宇野気在住の西野真理と申します。かほく市で歌の指導や歌手をしております。この度の選挙、ぜひとも近藤さんに頑張っていただきたいと応援させていただいております。みなさんもぜひ支援の輪を広げていただきたく僭越ながらガンバロー三唱をさせていただきます。それではみなさまご起立くださいませ。近藤和也の勝利を願ってガンバロー✕3」

自分の言葉で喋りましょう。
私は客席で総決起大会最後の出番を待ちます。
そしていよいよ出番の前、塚本さんが近づいていらしたので
「3分くらい喋っていいですか?」
「ダメダメ、あの例文くらい」

司会者(ウグイスのお一人、ブライダルプロ司会者の方)
「それでは近藤さんのご友人、西野真理さんに~」
西野真理壇上へ。
司会者
「それでは皆様ご起立・・・」
西野真理
「あ、すみません、ご起立の前に一言お話させてください。(立ちかけた皆さん一旦お座りいただいて)私は近藤和也さんの友人(選挙関係なく連合でお知り合いになったのが初対面なので、友人と無理やり言えなくはないかもしれませんが、友人と言わせていただいて嬉しい限りです)でかほく市在住の西野真理、62歳52キロでございます。(年と体重を言ったくらいで場が和むのですから、お安い御用です)。先程のお話で近藤さんがサラッと済まされたことについて言わせていただきます。近藤さんは『ゼロだったところから作った』とおっしゃいました。1と2の差は1ですが、ゼロと1の差は無限です。その無限の活動をされているのが近藤和也さん。友人でありながらそのようなことができる彼にとても感激しています。それでは皆様ご起立くださいませ。どうぞお差し支えのない範囲でご起立くださいね。(足のご都合の悪そうな方もいらっしゃったので)。
それでは近藤和也の勝利を願って、ガンバロー✕3」
この分量なら許されるでしょう(許されたと思うことにしましょう)。
彼も見に来てくれていました。ご協力ありがとう。

終了後は再び街宣車に合流。車の後を塚本さんがついてきてくださって、20時終了後、私を置かせていただいた車まで。そして私はご一緒した方をご自宅までお送りしてこの日の仕事は終わりました。

なかなか盛りだくさんの日でしたので結構疲れたようで、21:30ころベッドに入り、翌朝6:30までぐっすり眠りました。




2024年10月衆議院議員選挙車上運動員(ウグイス嬢)関連 その5 運動員2日目 七尾市・中能登町 2024年10月19日(土)

車上運動員2日目 七尾・中能登地区 10月19日(土)
<出発>
初日は平日で予想より道路の渋滞が激しく、30分も余裕を持って出かけたのにかなり焦りました。でも今日は土曜日。集合時間6:50ですから5:45に家を出れば普通に到着できるでしょう。大丈夫でした。
ただ途中で予想より体感気温が低いと気づき、コンビニで80デニールのタイツを購入し事務所についてから履きました。今季初のタイツです。
また、この日からサンバイザーを着用することにしました。日焼けと目焼けと髪がバサバサになるのを防ぐため。そして、窓が開かない車内の私を有権者の人に認識していただきやすくするため。














<朝のお手振り>
7:30 中島町のローソン前
想像より多くの方が手を振り返してくださいます。

<雨>
七尾事務所までもかなり激しい雨が振りましたが、遊説中も少し強めの雨に遭いました。ただ車の窓が開かないタイプだったことが幸いし、運動員たちが雨に濡れて大変!ということは一切ありませんでした。でも窓から手と顔を出して有権者の方にアピールする近藤さんはかなり体が冷えられたことと思います。

<仮設住宅>
被災者仮設住宅での遊説も何ヶ所もありました。どこでも真剣に聞いて下さいますし、近藤さんがお話になるのを聞いて私もとても勉強になりました。

<総決起大会:矢田郷地区コミュニティセンター(旧七尾サンライフプラザ)>
満席(に見えました)。すごい熱気。
近藤さん入場の時は、ウグイス嬢のMさんが旗を持って先導、続いて近藤さん、その後ろに西野真理。
被災地でもあり、多くの方が本当に近藤さんを頼りたいという気持ちが伝わってきます。

<終了後のひととき>
マイクで選挙運動をしていいのは20時まで。
選挙事務所に戻ります。
活動が終わって事務所までが意外に遠くて、事務所についたのは20:20頃だったんじゃないかと思います。すぐ帰っても家につくのは21:20頃。
疲れているはずですがなんだか元気で、誰もいない事務所の2階でつい近藤さんの娘さん・弥子ちゃんとおしゃべり開始。
弥子ちゃんは27歳。
西野真理62歳。
弥子ちゃんから見れば私はパパより年上。
私から見れば弥子ちゃんは私の子どもより年下。
でもなぜか話が弾み、気づいたら1時間ほど経過。
楽しいお話の内容・・・秘密です。

さあ、帰りましょう。

3日目に続く。




2024年10月衆議院議員選挙車上運動員(ウグイス嬢)関連 その4 運動員初日 七尾市・中能登町 2024年10月15日(木)

運動員初日 七尾市・中能登町

<集合時間>
さあいよいよ選挙初日です。
私がウグイス嬢として参加する5日間の集合時間は
10月15日(火)9:00
10月19日(土)6:50
10月20日(日)6:20
10月24日(木)6:30
10月26日(土)6:10
我が家から七尾市の選挙事務所まで約1時間。
この表を見た時一瞬やめとけば良かったと思ったことは否定しません。
でも1日目は9:00だから救われた気になって、それでも早めに家を出ました。7:30に。
ところが平日の朝7:30というのはそれなりに混雑していますし、能登半島地震後の工事もあって渋滞発生!初日に遅刻はあんまりだとドキドキしました。でも8:40には到着。

<事務所到着>
事務所に到着すると候補者・近藤和也さんの娘さん弥子ちゃんはしっかりスーツでテキパキと働いていらっしゃいます。そのテキパキ働く弥子ちゃんに対して、とりあえず押し入れにものを詰め込むように、そこらにいる人が何でも質問したり頼んだりします。それに嫌な顔ひとつせず対応。若いのになんて立派な。私には無理です。
そこで私は弥子ちゃんに頼まれてお使いに行ったりしました。

<出陣式>
打ち合わせをして赤いジャンパーを着て、ワゴン車に乗って出発。
まずは神社。出陣式です。
神社には放送局や新聞社、多くの支持者が集まり独特の雰囲気。私は多いと思った支持者ですが震災のためか、かなり少なめだったそうです。
雨がパラッと来た数分はありましたが、幸いこの日は一日曇り~晴れ。

さて、みんな集まっているのになかなか出陣式ができません。選挙管理委員会に選挙に必要なものを貰いに行った人が、まだ帰ってきていらっしゃらないから。それらが揃わなければやってはいけないようです。いろんな規則があるんですね。

近藤和也さんはいつも背広の方でしたが、今回は青い防災服、タスキなしでの戦い。
「能登半島地震のことを考えると、とてもタスキをかける気にならない」
と。











<ワゴン車>
今回のワゴン車、運転席・助手席以外の窓が開きません。使いたいタイプのカーナビのついた車を選ぶとこうなったそうです。正直ウグイス嬢にとっては不便です。窓から手を出して振ることができませんから。
でもせっかくなので都合よく解釈することにしました。
①ヘアースタイルが崩れない
②お化粧も崩れにくい
③車から手を出して振らないでいいのは、楽ではある
・・・それでもやはり、せっかく手を振ってくださった方にガラス越しのお手振りはちょっと寂しい気がしました。

<七尾市内>
地震で大きな被害があったことは知っていましたが、実際に見ると気持ちが落ち込みます。屋根だけのようになった家、倒れかけの家、壁や窓が壊れて明らかな空家が多数。あちこちで解体工事も行われています。
仮設住宅へも行きました。ここではたまたま対応してくださった80歳の女性がとてもお元気だったのでホッとさせられました。

<声の出し方>
この日のウグイス嬢は4人プラス近藤さん。私以外は全員ベテラン。
さて、今回のアナウンスで私が声に関して気をつけたこと。
①ハイテンションの喋り方を避ける
私自身、これまで選挙カーが家の周辺を通る時、時々こう思っていました。
「もっと穏やかにアナウンスしてくれないかな」
妙なテンションの叫ぶようなアナウンスを私はとても不快に感じていました。もちろん感じ方は人によるとは思いますから、叫ぶようなアナウンスのほうが「頑張ってる感」はあるかもしれません。

②喉を温存
私の担当する全5日間、ちゃんと最高の声が保てるようなペース配分。

こんなことから、この日家に帰って近藤和也さんにちょっとおせっかなメッセージを送信しました。

本日は車上運動員としてお使いいただきありがとうございました。
声が商売道具の人間として少々気になったのでお伝えいたします。
近藤さんには2週間毎日「声」で訴え続けていただかなければならないので、今日のペースだと持ちません。少し声帯をソフトに当てられたほうが、声帯も持ちますし、聴衆側も聞きやすいです。
しかし、熱が入るとなかなか・・・ということはお察しいたします。
そこで、薬です。
ツムラの漢方。私も飲んでいます。
まず声を出す前に飲むのが16番(半夏厚朴湯)
声を出したあとに飲むのが109番(小柴胡湯加桔梗石膏)。いずれも空腹時に飲みます。私の場合、16番は朝起きてすぐ飲み、昼食前に飲み、
109番は昼食前にのみ、夕飯前に飲みました。
ご参考まで。



感激のメール・・・「一票を『つなぐ』」探し 2024年10月15日(火)

2024年10月15日。あと少しでウグイス嬢初日が終わるころ、メールの着信に気付きました。
以下のメールです。

不躾なメールで失礼いたします。
金沢市教育委員会の学校指導課Oと申します。

さて、偶然メールを拝見させていただき、わたしどもは文集を把握しておりませんでしたが、弁論部の担当に偶然会う機会があり、話題を出したところ、2016年のメッセージ文集をみせていただくことができました。
文集自体は一部ということで、お渡しできないそうですが、資料だけは、ということでスキャンさせていただきましたので、データを送付させていただきます。

こちらは、O個人が勝手に送付しておりますので、個人情報などの取り扱いなどにご留意願います。

参考になればうれしいです。
遅い連絡になり、また西野様の個人メールにおせっかいにも送りつけましたことをお詫びいたします。

この説明として私がかつての同僚送ったラインをお読みください。

西野真理です。大変ご無沙汰しております。私はおかげさまで大変元気です。
さて、ちょっとお願いがあってメッセージをおおくりしています。
冊子の探しものなんです。
平成28年(2016年)金沢市意見発表会とか中学生の主張とかそんな名前の金沢市大会をまとめた文集です。

<事情説明>
その時私は港中学校で3年の担任をしていて、クラスの生徒が市大会代表になったので引率しました。
その大会で、別の学校の女の子の話した内容があまりに素晴らしくて、(でも県大会代表にはならなくて。その後私はその子の学校に「私はあなたの作文に感動した」旨FAXを送りました)
大会後、港中学校でもその後津幡中学校でもその作文を紹介しました。
それを探しています。
その作文が文集にまとめられて学校に配られました。私もいただいて持っていたのですが、退職時にいつの間にか捨ててしまったようです。
もし学校の職員図書とかに残っていたら、コピーして(ラインに写真かパソコンに読み込みでも)送っていただけないでしょうか。

内容は、女性に選挙権が認められた初の選挙の時、その子の曾祖母に当たる人がそれを体験し、そのことを語り継ぎ、今もそのご家族は必ず選挙に行く、というもの。
今もなぜこれを県大会代表にしなかったのか、残念でなりません。
もしみつけられたお願いいたします✨
現在その会のお世話をOさんがされているとお聞きし、メッセージをお送りした次第です。どうぞよろしくお願いいたします。

実は↑以前に金沢市の教育委員会に問い合わせをしていて、
その返信が↓です。

メールを拝見させていただきました。
お問い合わせの文集については、
中文連が作成し、各学校に配布しているため、
こちらでは保管しておりません。

事情、おわかりいただけましたでしょうか?
今回送ってくださったOさんに心より敬意を評します。

私の探していた文章は「一票を『つなぐ』」という作文でした。ここに貼り付けたいのは山々ですが、お読みになりたい方は、個人的にお問い合わせください。
でも、いつか再度これをお書きになったHさんにアクセスして、
世界発信(このブログに載せる)したいと思っています。

小松菜の根元 2024年10月14日(月)















小松菜の根元を水につけておくと、芽が出ます。
この写真、2回目なんです。
1回目に芽が出たとき、すぐに庭のプランターに植え替えました。そして3日ほど経ってみると、すっぽり引き抜かれていました。きっとカラスが食べたんですね。
そして今回のこれは2回目。
もう少し伸びたらまたプランターに植えてみます。でも今度は網をかけます!

祝:日本被団協ノーベル平和賞受賞・坪井直さんの想い出 2024年10月11日(金) 

2024年10月11日、日本被団協がノーベル平和賞受賞。おめでとうございます!
実は私、被団協の元委員長・坪井直さんに直接お会いしお話したことがあります。2015年、9年も前のことですが今もよく覚えています。
そのことを過去のエッセイに書いていますので、そのエッセイを貼り付けます。ちょっと長いですが、ぜひお読みくださいませ。
(このブログとは文体が違います)

史上最小の突撃ボランティア
<連合石川青年女性委員会・2015平和集会>
9月4日に行われた平和集会である。
一応私が主催者になっている。
戦後70年の記念の年、この集会の講師としてだれをお呼びするかという話を青年女性幹事会でしたとき、
「何年か前に広島から原爆被害者である語り部の方をお呼びしたが、その方がとてもよかった。今回もその方ではどうか」
との提案があったが、正直なところ私は気が進まなかった。体験者のお話だというだけで、その悲惨さが想像以上だと言うことが想像できるからだ。しかし私以外のメンバーの
「体験者ご自身からお話をお聞きできるのはもうそれほど機会はない」
との熱い意見で、その方をお呼びすることになった。

<坪井 直さん>
その方は、つぼい すなおさん。90歳。
20歳の時被爆され、現在広島原爆被害者団体協議会理事長・日本被爆者団体協議会代表。元中学校教諭で広島市立城南中学校長として退任。海外へ渡航されての平和の訴えも21回に及ぶ。
何しろ90歳である。お元気であったとしても、広島から来ていただけるかどうか、そもそもこんな遠くまで来ていただいていいものかどうかという意見もあったが、とりあえずお声かけしてみると、OK!
すごいおじいちゃんだ。
後でお聞きしたところによると、周りはみんな大反対。
しかし、坪井さんご自身が
「行って話をしたい!」
と強く希望してくださったこと、また、娘さん(長女と言っていらっしゃったが、どう見ても40歳以下。かなり遅くにお出来になった女のお子さんのようだ)がちょうどご都合がよく、石川県までご同行くださることが可能であったことから今回の講師を受けていただけることになったそうだ。

<坪井さんとの対面>
集会は石川県勤労者福祉文化会館2階。
主催者だし、早めに行って準備したり打ち合わせしたりと思っていたのだが、こんな日に限って担任している生徒の保護者が突然話をしたいと来校。会場に着いたのは集会15分前。
会場は準備万端。参加者はもちろん、坪井さんも講師席にスタンバイ完了。
何もごあいさつせず始めるのはあんまりだと思い、講師席に近づき言った。
「青年女性委員長の西野です。私、山口県出身なんです」

よく考えれば、広島県と山口県はそれなりに遠いし、私が山口県出身者だからといって、坪井さんのことを知っているわけでも、原爆に詳しいわけでもない。
しかし、誰も知らない場所にいらした坪井さんにとっても、話の糸口の欲しい私にとっても、このことはとても好都合な材料となり、急速に距離が縮まり、旧知の間柄のように開会前の5~6分を過ごした。
坪井さんはおじいちゃんだし、お顔を近くで拝見すると、一目で、原爆でかなりひどいやけどを全身に負われたであろうことが察せられるが、元気でユーモアのセンスにあふれ、とても若々しい。

実はもう一つ、私が坪井さんとおしゃべりし易かった理由がある。
それは、坪井さんの言葉のアクセントや方言が、山口県のそれととてもよく似ていて、100歳で亡くなった祖父としゃべっているような気持ちになったからである。

坪井さんが背広に原爆ドームのブローチを付けていらっしゃったので、そのことを聞いたら、一つくださったので、私も服に付けた。
↓このバッジ、今も大切に持っています














<西野委員長開会あいさつ>
開会あいさつをしようといろいろ考えてきたが、私が言おうとしたことは司会者の西出さんが全部言ってしまった。
仕方ないので、正直に言うことにした。
「私が言おうと準備してきたことは司会者が全部言ってしまいました。実は私は山口県出身で、そのことで先ほど坪井さんとすっかり盛り上がってしまいました。5分ほどですけど。今回坪井さんをお呼びしたのは、以前に坪井さんのお話を聞いたこの会の幹事から、ぜひ坪井さんをという推薦があったからですが、お歳のことも考えながらもお声かけしてみたところ、ぜひ行って話したいとのことで来ていただけることになりました。しかし、そのギャラですけど、何十万円もお支払いしているんではないのです。こんな額でよく来てくださいましたというような額なんです!坪井さんは先ほど『私もこの歳ですし、棺桶に入る前にできるだけお話しさせていただこうと思ってきました』とおっしゃっていましたが、棺桶に入るにはまだ10年はかかりそうです。それでは、貴重な体験談をお聞きいたしましょう」

<講演開始>
坪井さんのお話は、まずご自身の現在の体の状態からだったが、そのことに興が乗りすぎてしまって、正直一番お聞きしたい原爆投下後の話になかなか行きつかない。何しろご本人のご希望で、
「9時には寝たい」
ということで、講演は質疑を含めて1時間以内。レジメの内容を全部お話しいただくとしたら、このペースでは絶対時間が足りない。
ヤキモキしたが、90歳のおじいちゃんだし、まあいいかと思っていたら
ヤキモキしたのは私よりも娘さんのほうで、15分ほど経過した頃、我慢の限界を超えられたらしい娘さんが前へ出てこられ、坪井さんの耳元で
「原爆投下の日の話!」
すると
「ハハハ!(笑)私に文句を言えるのは娘だけですから」

<印象に残ったお話>
原爆に関することは、多くの資料や本に書かれてあり、それを見たり読んだりしていただければわかる。しかし、実体験者の話は重みが違うし、坪井さんからしか聞けない、坪井さんの思いがあふれた部分を3つ書いておきたい。
①原爆投下後、多くの医師がこんな発言をした
「原爆にあった人は2~3年でみんな死ぬ」
2~3年で死んでしまう人を雇う会社や結婚相手として選ぶ人はいない。
せっかく命を取り留めても、そのことで別の差別に苦しむことになった。

②原爆の写真を見たことがあるだろう
キノコ雲とか建物がぐちゃぐちゃになった写真ばかり。本当に見てほしいのは人間が大変な状態になっている写真だし、そういう写真はある。自分は実際に見ている。
しかし、国連の場でさえ
「残酷すぎる」
という理由で、公開することができない。

③あとでわかったこと
坪井さんは偶然
「この枠の中にいた人は全員亡くなっている」
というラインの少し外に逃げ、しかも、たまたまそこを通りかかった救護の軽トラに乗せてもらえたので助かった。
しかし、その時多くの助けて欲しい人がみんな乗せてもらえたわけではない。乗せてもらえたのは
「これからまだ戦える若い男」
だけ。原爆投下後、日本はまだ戦う気満々だったのである。
その時、なにもわからない5歳くらいの女の子が軽トラによじ登ろうとしたが引きずり下ろされた。その子は泣きながら、今思うと、全員亡くなっている枠の中の方へ駆けていった。坪井さんは
「火のない方へ逃げろ」
と叫ぶのが精一杯だった。
 最後に坪井さんはこの話をこう締めくくられた。
「これが戦争なんです」

<講演後>
講演が終わったあと、本来なら「一緒にお夕飯でも」となるところだが、すぐにホテルでお休みになりたいということで、本当にこれでおしまい。お別れ前に坪井さんと娘さん、青年女性委員会のメンバーが集まり会場入り口付近で少しだけお話した。
お話を聞き終えて、私はもっと大きい会場にもっとたくさんの方をお呼びすれば良かったと思ったが、娘さんから
「こんなに多くの方に集まっていただけるとは思わなかった」
と言っていただいて、社交辞令かも知れないがとてもホッとさせられた。
1時間立ったままでお話下さった坪井さんだが、疲れた様子もお見せにならず、
「それではまた5年後に」
と、にこやかにタクシーでホテルへと向かわれた。

<ホテルへ>
お二人をお見送りしたあと、
「いくらご本人のご希望とはいえ、広島から来ていただいて、そのままお帰りいただくのはあんまりだ」
という思いが湧き出して止まらない。しかもこの日、私は名刺を忘れてしまい、自己紹介すらきちんとできていなかった。
「・・・ホテルへ行こう」
名刺代わりに、車のトランクに常に入れてあるエッセイを4冊ほどバッグに入れた。

<ANAホリデイ・イン金沢スカイホテル>
この名前、どうにかしてほしいと思っているのは私だけではないはずだ。
金沢駅前に以前「ホリデイ・イン金沢」があり、現在そこは「ホテル金沢」に変わっている。
また「全日空ホテル」が駅前にあったが、そこは「ANAクラウンプラザホテル金沢」に名称変更。
ANAホリデイ・イン金沢スカイホテルは、元「金沢スカイホテル」という名前で存在していたので、石川県に長くいる人には
「M’ZAのとこのホテル」
と説明する。これは、M’ZAというデパートの横にこのホテルがくっついているからだが、このデパートだって、元は「名鉄丸越」という名前。その「名鉄丸越」も、もっと以前は「丸越」だったらしい。
だいたい「M’ZA」を「エムザ」と読むのもどうかと思う。
この長いホテル名、いっそ「なかよしホテル」とかにしてくれないかな。
というわけでその「ANAホリデイ・イン金沢スカイホテル」へ向かった。

<ホテルのフロントで>
ANAホリデイ・イン金沢スカイホテルに着いた。
「連合石川の西野と申します。先ほどおじいさんと娘さんがお入りになったと思うのですが、坪井さんといいます。ちょっとお呼びいただけませんか?」
フロントの方に電話をかけていただいて、お部屋へ行かせていただけることになったが、ホテル的には宿泊者以外の入室は本当はだめなようだった。が、このホテルはよく連合で利用しているおかげで「連合」が威力を発揮してくれたらしい。
ありがとう連合。

<お部屋へ>
「一緒にお食事もできなくてすみません。私、実は歌手なんです」
この一言が、だいたい話の盛り上がりのきっかけになる。
「本も書いてるんです。名刺代わりにもらって下さい」
これでさらに盛り上がり
「実は中学校の音楽教師なんです」
坪井さんも元中学校の先生だから、一気にフレンドリーに。
しばらくお話しして最後に
「それでは1曲歌わせていただきます」
ホテルの部屋でいいのかな?と思わないではなかったが、広島県からのお客様、大目に見ていただこう。
「故郷」を歌い、盛大な拍手をいただいた。

こうして私の史上最小の突撃ボランティアは終了したが、分母が小さいことを考えると史上最大だったかも知れない。

西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

このブログは 野口芳宏先生記念碑「師道の碑」除幕・祝賀パーティー 2024年11月23日(土) をお読みになってからどうぞ。 ↑そういうわけで、野口先生にもぜひ「お山の大将」をお歌いいただければいいなと思い、ピアノ伴奏をYouTubeにアップしてみました。いつも書いていますがピア...