退任式 2022年3月24日

2022年3月24日(木)

「今日はついに離任式です」
・・・と 私の場合言わないということが、学校で今日の日程が書かれた紙を見てわかりました。私のような退職者はもう「離任」ではなく「退任」なんですね。

同僚みんな
「西野真理はドレスで出る」
と思ってくれていると勝手に思い込み、半ば当然のように学校長に
「服装自由ですよね?」
と話しかけて許可を得た気になり
「入場は後ろの入り口から生徒の真ん中の花道を通るんですよね?」
とこれも当然のように言い放って式の集合体型を変更させるという我儘も
「最後だから」
の一言で許されると思いこむことにして退任式(離任式・普通に離任する先生もたくさん)は行われることになりました。

前夜、我が家では最近恒例になったドレス選定の
「これだめかな?」「派手かな?」
「何がだめなのかわからない」「何が派手なのかわからない」
という感覚の麻痺した家族との会話が交わされ、何事もなくドレス選びは終わりました。

コロナの影響で授業数確保のためこの退任・離任式の日まで午前中は授業があり、もちろん私も最後の2クラスの授業(作曲の授業でした。作曲と言ってもコード進行を与えて、その中で作るのですが)を終えました。
2年3組では私の授業がこれで本当にラストだと知っているのか、いつにも増してお利口な授業態度で、手間取りがちな作曲の授業が10分も早く終わってしまいました。
「じゃあ、あと10分は自由に作って、できた人から見せに来て」
すると
「先生の話」
と数人の生徒が言い始めたので
「何話す?」
そこでN君が
「先生が石川県へ来たこと」
ははあ~N君はきっと知っていて上手く私に振ってくれたんですね。

実は私、学校で何でもペラペラしゃべるくせに、家族のことは全く話していません。
「結婚してるんですか?」
という質問にはいつも
「さあね」
とかわしていました。
別に喋ってもいいのですが
・生徒は私のことを結婚もしていなければ子供もいないというイメージを作っている感じがするので、それに乗っかっておこう
・喋り始めると何でもしゃべるので、家族のプライバシーが損なわれる。だったら始めから何も喋らない
と決めていたのです。
でも、担任していた3年4組のまとまった話のできる最後の時間、とても雰囲気が良かったので、彼との出会いのときからのことを話しました。私が結婚していて子供がいることを本当に知らなかった生徒も思ったよりたくさんいて、真面目にびっくりした顔をしていました。
おそらくN君はその情報を得たのでしょう、自分も直接聞きたいし、他の子も聞きたいのではないかという配慮だと思います。N君大人だなあ。

せっかくなのでお読みくださっている皆様に簡単に内容をご紹介しますと
・大学4年の夏に受けた山口県教員採用試験に落ちる
・大学4年末の2月、彼と知り合い、卒業までの1ヶ月半で結婚することになる
・彼は石川へ私は山口へ帰り1年間の遠距離恋愛
・山口では1年間小学校の音楽専科講師
・その間に石川県教員採用試験を受けて合格したので4月から石川へ
・その年の6月、23歳で結婚
・24歳で長男を、28歳で長女を出産

簡単に言うとこんな感じです。
さすが西野真理、37年間に磨いたトーク術。10分間できちんと喋り終えました。

最後の授業を終えると、会議室を私の楽屋にしてヘアメイク。
14時。いよいよ退任・離任式です。














変更してもらった後ろの入り口を入ると大きなどよめきが・・・と書きたいところですが、津幡中学校の生徒はとてもおとなしくお利口で、それほどの歓声は上がりません。また、この式には毎年卒業生も半数くらい参加してくれるのですが、今年はほぼ全員なんじゃないかという数です。これにはとても嬉しくなりました。

今回退任は私ともうひとり北橋さん。北橋さんとはお誕生日が1日違いで私が1日お姉さんです。彼は津幡中にいるときに大きな病気をしたそうで、そのときに先生や生徒に助けられたことを心を込めてお話されて感動を呼んでいました。式のお話とはこうあるべきという見本のようなお話です。

さあ2番めは西野真理です。
先ず、演台のマイクをマイクスタンドから外して手に持ち前に出ました。
「皆様、西野真理でございます。ちょっと地味だったでしょうか」
と軽く笑いを取った後、
「最後の自慢話をします」
と切り出して、次のことを話しました。
実はこの話、今まで2回してきましたが、やはり私の教員生活はこれに尽きるので、今回もこの話をしました。
「『素晴らしい出会いがある。それはあなたの才能です』この言葉は100歳を過ぎても現役の医師をしていらした日野原さんの言葉です。私は歌の世界では関定子、教育の世界では野口芳宏という師と出会い、それが今日まで私を支えてくれました。私にはこの二人と出会う才能があったのです。さて、皆さん、皆さんは西野真理と出会いましたね。皆さんには西野真理と出会うという才能があったのです。ここにいる皆さんはそういう素晴らしい才能の持ち主です。それでは素晴らしい人生を」

式が終わり職員室に戻ると同じ学年スタッフの星場さんが
「そのまま着替えずに待っててくださいね」
と、私と北橋さんに声をかけました。
きっと記念撮影をするんだなと待っていると、学校とほぼつながっている、町の体育館トレーニング場へ案内されました。
そこには卒業した3年生がたくさん待っていてくれて、私と北橋さんの退任を祝う時間を改めて持ってくれる会が行われました。

会ではいつの間にか用意された、私や生徒の写った3年分の細々とした楽しいシーンの写真と生徒全員の寄せ書きの詰められたアルバムをプレゼントしていただきました。これを準備するためにどれほどの時間が費やされたかと思うと、言葉がありません。











改めて最後の一言となった時、私は危険を覚悟でこう言いました。
「・・・Y君は両親学校の先生。私も両親が学校の先生、私はかつて高校を落ち、Y君も高校を落ちました。色々共通することがあります。高校合格発表の日、私は急遽、曲を1曲YouTubeにアップしました。それ、Y君、あなたに向けてです。気づいてくれたかな?」

3年4組で不合格だったのはY君一人でした。いくらY君が明るくポジティブであるとしても、中学校3年生での不合格体験が辛くないはずがありません。そして、多くの友人達が合格で喜んでいるその場所に身を置くことが心地よいはずがありません。でも彼はこの式に来てくれたのです。
退任・離任式のステージからはY君の姿を確認できなかったのですが、この会を催していただいたお陰でY君が来てくれていることがわかり、危険だと思いながらも彼が不合格だったことを話しました。
Y君、嫌な思いをさせてごめんね。
でも人生を振り返ると、「嫌なこと」「つらいこと」のほうが「今自分がこうしているのはあれがあったから」「あれがなければ今の自分はない」と強く思えます。
あなたの素晴らしい才能は、きっとこのルートで花開くようにできています。

さて、記念すべき一日が終わって家に帰り、ドレスを片付けようとバッグから出すと、学校の廊下をとてもきれいにしたことがわかりました。


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