ここのところ西野真理に訳詩ブームが来ていますが、これは単なるブームではなく必然だと思い始めました。訳詩作業には私の嗜好やこだわり、頭の限界がほどよく詰まっているのです。
ではそれを思い付く順に書き出してみます。
<語源大好きが生かされる>
今まで何度か書いてきましたが、私は「語源」が大好き。訳詩をするときは言葉を収めるために「同義語」を探すことが多く、そんな時その言葉の背景まで探らなくてはならなくなったりします。これがたまらなく楽しいのです。
<負けず嫌い的パズル要素>
訳詩作業はまさにパズルです。でも私はパズルそのものはそんなに好きではありません。でもそこに前述の「語源」の要素が加わったうえに、それを上手にはめ込まないと、この詩人や作曲家に「負けた」感じがしていやなので、とっても挑みたくなります。
<語彙が少ない>
お恥ずかしいのですが、私は読書量が極端に少なく語彙も少ないです。詩のブログ「詩と宇宙」を書いていらっしゃる「sapporo1972さん」という方がいらっしゃるのですが、いつも
「私の読書量はsapporo1972さんの控え目に見ても1000分の1だなあ~」
と思わされます。したがってsapporo1972さんの詩を拝読すると知らない言葉だらけで、いつも新しい言葉との出会いが得られます。(パソコンですぐドラッグして調べます)
では、「日本語詩で歌う場合」はどうかといいますと、なんとしても1度でお客様にわかっていただかなくてはなりません。しかも「西野真理オリジナル訳詩」だったらなおさらです。ということは、1度でわかっていただけるなるべくわかり易い言葉しか使えないということ。
実際、訳詩作業はドイツ語を直訳した詩をあちこちの本やサイトに頼って行っているのですが、どれも難しい表現や漢字が多く、文字として見ればわかるけれども、耳から一瞬入って来ただけではわかりにくい表現がかなりあります。
西野真理の出番ですね。
ということで、これからどんどん思い付くまま訳詩を続けていきます。
無理はしません。楽しく楽しく。
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