堀裕嗣著 教師力ピラミッド 2024年9月30日(月)

教員時代に読んだ堀裕嗣さんの著書の抜粋です。
先程かつての同僚と久しぶりにお話する機会があり、この本をおすすめしたことで思い出し、ブログにアップしてみました。

〜西野真理 独断抜粋~

堀 裕嗣  (著)   教師力ピラミッド

 毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則     

<堀 裕嗣(ほり ひろつぐ)>

1966年北海道湧別町生。北海道教育大学札幌校・岩見沢校修士課程国語教育専修修了。

1991年札幌市中学校教員として採用。学生時代,森田茂之に師事し文学教育に傾倒。

1991年「実践研究水輪」入会。1992年「研究集団ことのは」設立。

<もくじ>

第1章 「教師力ピラミッド」で教師力をチェックする

第2章 基本モラルと生活スキルをもつ

第3章 友人型指導力で子どもとの関係をつくる

第4章 母性型指導力で子どもを優しく包み込む

第5章 父性型指導力で子どもの壁となる

第6章 事務力がなければ教職は務まらない

第7章 先見性・創造性が教師の評価を決める

第8章 チーム力を発揮しないと学校教育は成立しない

<まえがきより>

・・・(前略)こうして出来上がったのが〈教師力ピラミッド〉です。第1章から詳しく述べていきますので,ここでその内容には触れませんが,私はこの教師力モデルをつくってみて,驚くべき現実に突き当たりました。

 「ああ,こりゃ,すべての世論の要求に応えられる教師はあり得ない……」

・・・・・・・・(中略)

 「ああ,チームでこの教師力の全体像を機能させればいいんだ」

 こうして,いまとなっては私の主張の根幹を成すともいえる〈チーム力〉という発想が生まれたのです。

<全体>

・自分のキャラクターに応じて自分と合う子の指導にあたろう。

・人間関係の一番の難しさは距離感覚

・悩んで解決することなんて殆どない。世の中の失敗の99%は謝罪すれば許されます。

・怒鳴る教師になってはいけません。怒鳴ることはある種「麻薬」。

・誰だって意味のわからない指導には従いたくない。

・杓子定規にならない。人間相手の商売には必ず「のりしろ」が必要。

・優先順位をわかっていない教師は「仕事のできない人」と呼ばれます。

・研究授業などは自分から立候補して成長のチャンスを自ら獲得しましょう。

・教師を圧迫しているのは「多忙」ではなく「多忙感」なのではないか。仕事の徒労感、見通しが持てない、仕事の目的がわからない、そういう仕事の仕方をしていると、あなたの時間は死んでいる。

・最悪の事態を想定することは悪いことではありませんが、それに囚われすぎてしまうと、教師の言葉かけが、教師の指導行為が、微妙にずれてしまいます。

・旅行的行事は「本当に楽しかった」と言わせ、ステージや合唱は華々しい成果を上げる。

・教師は行事においては<演出家>でなければなりません。

・教育関係の審議会について公開されている議事録に目をとおす。それを批判的に検討し続ける。

・似たもの同士ではなく、異質な他者と仲間づくりをすること。

・最も弱い担任に配慮する。

・学級経営は常に相対的に評価される。

・自分に適した役割が最も機能する。

・チーム立ち上げのときのリーダーは「おまかせします」という一言で運営するのが一番良いと考えています。

・仲良く仕事をしたいなら、仕事を充実させる。

・生徒指導で一番大切なことは「教師の協調体制」

<若い先生へ>

・職場に閉じこもらずに、いろいろな人と合うことをお勧めします。自分の職場を相対化する目を持ちましょう。

・理由を語る。

・すべての事務仕事は「まず始めること」

・文書はタイトルに日付を付けて「2020.1.14事務仕事早めに取り組もう」など。フォルダの中が時系列になり、次年度活用するとき便利。

・文書作成は「他人に見やすい」「来年度の自分にも見やすい」という書き方、保存の仕方

・「健全な野心」を持ちましょう

・良い発表やよい取り組みがあったら、ネタや指導法を意識的に収集しておく。


<中堅・ベテランの先生へ>

・若い頃に比べて、保護者や同僚、管理職の質が劣化しているように見えますが、それはあなた自身が経験を積んで成長しているからです。他人を責めずに解決できる方法がないかと常に考えましょう。

・甘やかすことも指導のうちであるという認識を持ちましょう。

・子供を個人として認識する癖をつけましょう。「この学年は」「この学校の生徒は」はでなく。

・いつでも若手に授業を見せられる自分でありたいものです。

・行事では若い先生に花を持たせるという発想ではなく、若者を圧倒するような成果をあげましょう。それが若者の将来のため。

<自分を磨くヒント>

・看護、介護関係の本を読むことをお勧めします。

・最初から「先生に相談したい病」にかかっている女の子がまれにいます。周りの先生を情報交換しておくことが重要です。

・自分の感覚、自分のものの見方・考え方に自信を持っている教師ほど、クレームを受けたときには大事に至りやすい傾向がある。

・仕事をテキパキこなす人は、優先順位を理解して周りに迷惑をかけないように仕事に取り組んでいます。

・研究授業や研究発表があったらお金と時間を惜しまないようにしましょう。

・常に学校全体の視点で見直してみる。

・学びは早すぎることも遅すぎることもありません。学ぼうと考えたとき、それが適切な時期なのです。

・研究サークルを作ることをお勧めします。仲良しサークルではなく、異質な人達を集める。

血管外科へ 2024年9月30日(月) 

・左足が極端に冷たい
・ちょっぴりだけど足にクモの巣状の血管が見える
この2つが以前から気になっていて、今日、突然思いついてインターネット検索し出てきた
「のぐち血管外科クリニック」
へ行ってみることにしました。
私の素人見立ては
・血管が狭くなっていて、血の流れが悪い
・最近流行の「血管を広げる日帰り手術」をうけて、すぐ治る

場所は以前勤務していた港中学校の近く。行く途中で金沢港に豪華客船が停まっているのが見えたので、帰りには行こうと思いつつクリニックへ。











看護師さん
「検査するので、こちらで半ズボンに履き替えてください」
その半ズボンは検査しやすいように横からも開くようにできていました。

先生の診察
・触診
「私が触った感じでは温度に全く違いはありません」
(確かに、自分で触っても手に感じる温度は同じ。色も普通)

・超音波での検査
「この波形、尖ってるでしょう。すごく良く血が流れています。お年寄りが夏なのに『寒い』って言ってたくさん着込んで熱中症、みたいなニュースが時々あるでしょ、まああれと同じ。年を取ると温かい感覚が鈍くなるんです。老化の一つ。薬を出すほどでもないです」
「冬は凍傷になるんじゃないかって思うくらい冷たいんですけど、これも感覚が鈍いからなんですね」
「まあ、靴下を多めに履くとか」

先生にそう言われて安心はしたものの、私の期待した
「血管を広げる手術をしてすぐ治る」
という期待は外れました。

クリニックを出たあと、義母のお見舞いに行き、金沢港で豪華客船を見て帰りました。








映画「スオミの話をしよう」を観てきました 2024年9月27日(金)

「スオミの話をしよう」
この題名を見た時、多くの方が
「フィンランドの話かな?」
と思われたことでしょう。私もです。ここらあたりにも三谷幸喜監督のし掛けが見えています。

<招待券>
さて、FMかほくパーソナリティには時々映画の招待券が回ってきます。全員にではないのですが私は運良く高確率でその恩恵に預かっていて、今回もそれで観に行くことにしました。当然ちょっとした義務があり
「映画のことを少しでもFM放送内で話すこと」
お任せください。次の放送日、24分間の放送全部使って話しましょう。
この招待券ではその映画館で上映されているどの映画を観てもよく、今回は早くからこの作品と決めていました。

<ネタバレ検索と三谷幸喜の話>
ただ、このブログにも何度も書いてきたように、私は理解力が低いため読書も映画も1回ではよくわかりません。ですから「邪道」と言われようとお構いなしに、本も映画もその要約やネタバレサイトなどを見てから読んだり観たりするのが最近のやり方。「そんなことして何が楽しいの?」と思われる方が大多数だと思いますが、私は十分楽しいのでご心配なく。

さあ、それではネタバレのネット検索です。
ただ今回はバレるところまでは観ていなくて、映画の批評をされているものを見ました。そしてたまたま見た一つは、かなり酷評したものでした。その酷評を一言で書けば
「三谷幸喜は映画と舞台の違いをわかってない!」
というもの。それを書いた人はどうやら業界人であり、なかでもバリバリの映画業界人。私には舞台と映画がどう違えばいいのかわからないのでそのことはそのままになっていました。

ところがそれを読んだ翌日、三谷幸喜さんがYouTubeで対談されているのを見ると、まさにそのことを語っていらっしゃって
「僕は元々舞台の人間なので、舞台のようなことを映画でやってみたかった」
なるほど!ということになると、先程の映画業界の方の発言は、批判どころか三谷さんへのエールのようにさえ読めてきます。

・・・と、ここまでが映画を見る前の記述です。
このあとは映画鑑賞後に書きます。

<「スオミの話をしよう」鑑賞直後の感想>














9:55からの上映、観終えて今帰ってきました。
面白い!
正直に書きますと、<ネタバレ検索と~>の部分、もっと酷評されている文章をたくさん読んでいたのです。しかし、それら全部書き上げるのもどうかと思い控えていました。また、あまりに酷評されているので他の作品を観ようかと思ったりもしました。
でも、私のように特に映画通でも舞台通でもない普通の人間には十分楽しめましたし、おすすめもできます。その理由の一つとして<ネタバレ検索と~>の部分にも書いた、三谷幸喜さんのお話をたまたま聞いていたことがとても良かったと思いました。三谷さんのおっしゃるとおり、これは映画であり舞台なんです。最初からそういう気持ちで見るととても楽しめます。これからご覧になる方はぜひそういう視点でどうぞ。

<ネタバレギリギリの話のご紹介>
ここから先はネタバレにかなり近いので、これからご覧になる方は自己判断でお読みになるかどうかお決めください。

映画の予告編でも流れていたように、主人公スオミは多くの男性との結婚歴があり、その男性によって全く違った人物像。そのことがあるきっかけでその男性たちが集まったことでどんどん明かされていきます。普通の映画とは違いカット割りが極端に少なく、まさにお芝居をスクリーンで見ているような長回しの映像で。こういうところが映画通の人はお嫌いなのかもしれませんが私は全く気になりませんでした。加えて俳優陣は、三谷幸喜さんのお眼鏡に叶った演技の上手い人ばかりでそういう点でも文句ありません。
宮澤エマさんは本当にうまい!
そうそうYouTubeで三谷さんは
「映画では普通やらないけれど、今回はお芝居のように稽古をしてから撮影に入った」
と仰っていました。たしかにあの長台詞長回しはちゃんと稽古をしないと無理だと思います。

スオミは
・あるときは活発な女性
・あるときは控えめで日常のことはすべて男性に頼りる女性
・あるときは日本語の喋れない外国人
など全く違うスオミ像に皆わけがわからなくなります。
またそれと同じくらい集まった配偶者たちも全くタイプの違う男性たち。
それらがちょっとした推理もの映画のようなストーリーで進んでいきます。
そしてラストは誰も傷つかない風で終わっていきます。
さらにエンディングはミュージカル風。これも気に入らない人には気に入らないでしょうが、スオミ役長澤まさみさんの歌唱力で大満足。
長澤まさみさんは私の大好きな映画「Sing」(アニメーションの声優として)でも素晴らしい歌唱力で楽しませてくださって私は高く評価しています。

さあみなさん、いかがでしょう?
私のこのブログで「観たいな」と思っていただければ幸いです。でもひとそれぞれ趣味は違いますから、お気に召さなかった時の保証はいたしかねます。

年金手続きに行ってきました 2024年9月26日(木)

この緑の封筒が届いてすでに何ヶ月も経っています。
いいわけをすれば
「62歳のお誕生日の翌日以降にお手続きください」
と書いてあり、しかも
「年金をもらえるのは65歳」
ですから、急ごうなんて気持ちには全くならないわけです。
しかし、いつかはしなければならない手続き。しかもかつての同僚で先日集まった時、1歳年上の晶子さんはとっくに済ませたと聞き、やっと重い腰を上げることにしたのです。

<最初の挫折>
さあ、書きましょう!
・・・・・・・・・・・・わかりません。
これを作っていらっしゃるのは、私の頭脳を遥かに超えた皆さん。その皆さんが時間をかけて作られたこの書類、漏れがあるはずはないのです。ですからそこに書かれた言葉はすべて必要なのです。でも、読む気がしません。私は大学を卒業し、教員もし、文章も書いているのです。でも読む気がしないし、読んでいてもよくわかりません。
これ、なんとかならないのでしょうか?
中学校で教えた、あのお勉強の不得意だった生徒たちはこの書類をどうするのでしょうか?
・・・おっと、人の心配をしている場合ではありません。
「まず自分のことをしなさい」←(天の声)
書き終えてわかったのは、
「今ならわかる」
です。
でも、この書類はおそらく一生に1度。

<面倒な人へ>
まっさらな書類を持って、さっさと年金相談センターに行って、窓口の人と一緒に書けばいいです。必要な書類さえ持っていけば大丈夫。
・戸籍謄本
 (なんとなく取ってきましたが、本当に必要で良かった。コンビニ入手可)
・年金を振り込んでもらいたい銀行のキャッシュカードか通帳
 (私はキャッシュカードをコピーしていきました)
・自分のマイナンバーカード
・配偶者がいればそのマイナンバーを控える
 (私は事前に書き込んでいきました)
・雇用保険に入っていたらその番号
※その他、人によって必要なものが違いますから、それくらいは書類を読んでください
・ボールペン・・・そこにあります

<予約>
郵送でも窓口でもいいのですが、不備があったとしたらきっとわけがわからないので、年金相談センターまで行ってみることにしました。家から20分程度ですし。
まずは予約が必要。
9月24日、パソコンでアクセスし、日時を選んでチェックして送信。
程なく「この時間でいいですよ」という返信あり。
その決定日が9月26日11:00。

<相談開始>
11:00に着けばいいのに、10:40には到着。しばらく待っているのだろうと思ったら、すぐ呼ばれました。担当は名札に「🔰」が貼ってある、可愛い女の子でした。でも感じが良くて優秀。

一応書いていった私の書類にほぼ不備はなかったのですが、1ページだけ書き漏らしがありました。「雇用保険」に関するページです。入っていたらその雇用保険番号を書かなくてはいけません。見本を見せていただきましたが、私にはどうも見覚えはありませんでした。
そこで、入っていなかったことで一応出してしまうことにして、手続きを終えました。
でも気になったのでどうすればいいか聞くと
「ハローワークへ行くと、無料で教えてくれて、入っていればすぐ書類を出してくれます」
「じゃあ、行ってみます。入っていたらすぐその書類を持ってもう一度来ます」
そこで、この相談を終えたあと、すぐハローワークへ行ってきました。この年金相談センターの道一本隔てたところにハローワークがあったから。
すぐ行ってすぐわかりました。
入っていませんでした。

<ちょっとだけ良かったこと>
私は大学卒業後山口県の小学校で1年間だけ講師をしていました。その時の1年間は厚生年金に加入していたようで、その分だけは60歳から支給されていたのです。それを知らないでいた2年間分が、今度まとめてもらえます。1ヶ月分約1200円(笑)。

さあ、手続きがまだの皆さん、やればできますから書類を出して書いてみましょう。
まず、私の彼(64歳)から。

帰りに来来亭のハーフサイズのラーメンを食べました。




伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」その13 YouTubeアップ 2024年9月26日(木)

音楽の友ホールでの本番も終わり、一息ついた今日、 伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」の第36回美女コンでの演奏をYouTubeアップいたしました。

先日から何度も書いてきましたが、言葉もわからない、かなり風変わりなこの曲を、
「突然音楽の友ホールで演奏するのは危険」
と師匠・関定子の言葉を受け、富山リラの会コンサートと自身のコンサート・第36回美女コンでステージにかけました。そしてその美女コンのライブ映像(全体)は現在、限定公開でURLをお教えした方だけご覧できる状態にしてあります。

さて、第36回美女コンで演奏した「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」は(自分で言うのも憚られますが)なかなかよく演奏できたと思っています。特にピアノの近藤陽子ちゃんは、あの風変わりな曲をほぼリモートでの練習。合わせは前日と当日だけ、しかも電子ピアノという恐ろしい制約の中、見事に弾いてくださり、そのおかげで無事歌い終えられたと思っています。

陽子ちゃんとの本番はその後の音楽の友ホールで塚田先生との演奏とはテンポも違いますし、私のステージングも改善されています。しかし、陽子ちゃんとの本番は陽子ちゃんと二人の音楽として唯一無二のものに仕上がったと自負してます。もちろん反省点がないという意味ではありません。それがあってこその音楽の友ホールでの本番でした。

そこで、そのライブ映像から「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」全曲をアップすることにいたしました。少々偉そうな言い方になりますが、あまり演奏される機会がないと思われるこの曲を、今後どなたかが演奏しようと挑まれた時に、それなりの指針にしていただければという思いもあります。

そういうわけですので、どうぞ温かい気持ちでご覧くださいませ。















Sing幾多郎10月の予定 2024年9月25日(水)

202410月のSing幾多郎開催予定(925日現在)

※今月は少々イレギュラーで

 変更の可能性が大きいです。

 時々ブログをご覧くださいませ。

◯が開催日 

 

 

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小原孝さん能登半島地震復興支援ボランティアコンサート その4 余談 2024年9月23日(月)

小原さんとは直接関係のないことです。
でも、その時ちょっと気になっていたことが先程判明したので書きたくなって書きます。

かなり混雑している金沢駅新幹線改札口で小原さんをお待ちしていた時、正面から一人の女性が歩いていらっしゃいました。私に向かってというわけではもちろんなく、たまたま。

その女性と一瞬目が会いました。
お綺麗で、なんとなく普通の人ではない感じです。
その女性も私と目があって、「この人私を知っているのかな?」と探りを入れる感じ。
この間1秒ほど。
「あれ?育児休暇がどうとか不倫がどうとかで世間を騒がせた宮崎さんの妻、金子さんに似てるような・・・」

その後このことは忘れていました。

今朝になって、もしかすると?とネット検索をしてみると・・・
正解でした。
金子さんはあの日、七尾へ講演にいらしていたのです。
私が金沢駅で拝見したのと同じ服装でのお写真がブログにアップされていました。
↓金子恵美さんのブログより(パソコン画面を撮影)




朝から「捨てる!」 2024年9月23日(月)

目覚めてパソコンの電源を入れ、色々見るうちに最初に目に留めたのが

余命宣告された森永卓郎がフルスピードで駆け抜ける理由 

という記事でした。記事から要約すると
・「桜の花は見られない」と余命宣告受ける
・金融資産の整理と、膨大な資料やPCの整理、処分を始める
  金融資産 書籍などの資料の整理
・12万点のコレクション(ミニチュアカー)を評価してもらう
  結果は「ゼロ」
 (※弁護士さんから「贈与税がかからなくていいじゃないですか」と言われたそうです)
 
これを見て
「捨てよう!」
と朝の6時半からパソコン横のカラーボックスの整理を始めました。
それが↓














たったこれだけ?
と思われたかもしれませんが、温かい目で見ていただけると幸いです。
これを終えて
「他になにか捨てるものはないかな?」
とレジャーにも似た気持ちが沸き起こってきました。

小原孝さん能登半島地震復興支援ボランティアコンサート その3 当日 2024年9月21日(土)

<お迎えに>
2024年9月21日9:10、金沢駅の駐車場に車を入れました。小原さんの到着は10:09なのでもっと遅くてもいいのですが、最近金沢への観光客の多さはかなりのもので、駐車場に停められないという恐れがあったからです。この判断は正しくて、私が停めた時点ではかなり空いていた駐車場も、私が車から離れるころには一杯になっていました。

<奥村さん>
駐車場を出るとそこには白いおそろいの服装の女の子たちが。北陸アイドル部の皆さんです。この中にはかつての教え子の一人奥村さんもいて、テレビで見るたび声援を送っていました。教え子だからという贔屓目もあるでしょうが、彼女はこのグループの中でもひときわ可愛く歌もうまいので、皆さんどうぞ応援してあげてください。ついでに書くと、彼女のお兄さんを2年生の時担任していました。二人共とても歌がうまく優秀な生徒でした。

・・・ということにその横を通り過ぎるとき気づいて
「奥村さんいないかな~」
とその一団を見ると、すぐに奥村さんを発見!声をかけました。
「奥村さん」
すると、彼女は私がマスクをしているのに
「え!西野先生?!」
とすぐに気づいてくれて、短時間でしたが楽しくおしゃべりし、写真を撮りました。
「兄に送っときます」
「今日私、内灘中学校でコンサートするのよ」
そう、彼女は小原さんに来ていただく内灘中学校の出身者。なんて偶然。
彼女はこれから富山でコンサートだそうです。

奥村さんに興味をお持ちの方は
「北陸アイドル部 奥村星香」
で検索してみてください。

<内灘中学校へ>
新幹線改札口はかなりの人混みでびっくり。小原さんが出てくればすぐわかるだろうと思っていましたが、途中から、
「探せなかったらどうしよう」
という気持ちになりました。が、大丈夫でした。

あとは一緒に内灘中まで行くだけ。
ただ時間は結構きつくて、本番開始は11:10。駐車場を出たのは10:20。内灘中到着は10:50。ご挨拶をし、会場を確認し、少しだけ音出しをしていると、着替えの時間は15分を切っていて、ここは焦りました。
その点小原さんはそのままで、特に焦った様子はありませんでした。

<本番>
授業日ではなく、広報活動の時間も少なく、そのためお客様は部活動を終えて残ってくれた吹奏楽部の生徒20名ほどと、先生たち5~6名。そして噂を聞いた近所の方。私の母と夫。場所は生徒玄関ホール。そこへ音楽室のグランドピアノを運んでいただき、調律までしていただきました。
こじんまりしたコンサートでしたが、とても熱心に聞いていただき、素敵な時間になりました。
このコンサートが実現できたのは小原さんのお申し出と、小村校長先生の即断があったから。本当にありがとうございました。
※内灘中学校ホームページにも掲載されています。どうぞご覧くださいませ

~演奏曲~
・やさしさに包まれたなら
・かんぴょう
・浜辺の歌
・旅立ちの日に
・内灘中学校校歌
・逢えてよかったね
=ピアノソロ=
・ねこふんじゃったスペシャル~エリーゼのために
・ボレロ
・ブルグミュラーの練習曲から
  貴婦人の乗馬 アラベスク

(向かって左は校長の小村さん)

<宝生寿司へ>
昼食会場の金沢宝生寿司へは、私達家族で一週間前に下見を兼ねてお昼ご飯に行ってきました。
「お昼ご飯の下見まで!」
と思われるかもしれません。でもちゃんと理由があって
・宝生寿司はかなりの人気店
・3連休初日
・最近の観光客の多さ
・ちょうど下見の日も実際の日も3連休の初日
・私は行ったことがあるけれど、家族は未体験のお寿司屋さんで、前から一緒に来たかった

時間が同じになるように土曜日の13時を狙って家族3人で行ってみると、思いがけず空いていました。お店の人聞いてみると
「日によるけれど、3連休初日、13時、なら並ばなくていいかもしれない」
じゃ、予約しとけば?と思われたでしょう。だめなんです。予約は3人から。(会席料理なら2人でもできるそうです)

2週連続で同じものを食べましたが、両日とも大満足。お寿司のネタこそ同じ種類でしたが最初に出てきたお料理も、次の煮魚も、天ぷらの中身(一部)も変わっていて楽しめました。
最後に出てくる「しょうゆアイス」も美味しいですよ。(宝生寿司のある金沢市大野地区はお醤油製造で有名)

後で気づいたこと。
小原さんは日本全国飛び回っていらして、あちこちで美味しいものを召し上がっているでしょうし、なにしろ日本は海に囲まれているしで、お食事と言えばお寿司率は高いんじゃないかな?いっそフレンチとかにしとけば良かったかな?

<その後>
実はちょっと体調の悪かった小原さんを土曜日にやっているクリニックにお連れし(そこで偶然今日のお客様の一人とお会いしました)、ホテルへ荷物を置き、次のお仕事の待ち合わせの美川駅までお送りして楽しい一日は終わりました。

結構疲れてすぐに寝て、きっと明日は遅くまで寝てるんだろうなと思っていたら、朝4時に目が覚めてこれを書いています。




小原孝さん能登半島地震復興支援ボランティアコンサート その2 経緯 2024年9月21日(土)

現在2024年9月21日(土)朝7:21。小原さんはそろそろ新幹線乗車の時間。
私は着替えも終え金沢駅へお迎えに行く準備万端。でももう少し時間もあるので、なぜこんな幸運が訪れたのか、本番前に書いておきましょう。(結局ほとんど本番後に書きました)

<出会い>
初対面は2002年奏楽堂日本歌曲コンクールの本選に残った時。(記憶が曖昧な部分があるので、小さな記憶違いがあるかもしれません。ご了承ください)この時、塚田先生門下生がたくさん本選に残りました。そこで塚田先生が前日に新大久保のスタジオを借りてくださって本選出場者が集まりリハーサルを行いました。その時の伴奏者の一人が小原孝さんでした。(私は別の人)そしてリハーサル後みんなでファミレスで食事をしました。その時の楽しそうな写真は今も持っています。
私はその時が小原さんと初対面。でも気さくな小原さんと楽しくおしゃべりしたように思います。

次にお会いしたのは多分翌年2003年の、やはり奏楽堂日本歌曲コンクールの本選に残った時ではないかと思います。

それ以降は音楽の友ホールで開催される「日本歌曲シリーズコンサート」に出演オファーを頂いた時、そのピアニストとして参加される小原さんとその時にだけお会いする、というわずかな繋がりで現在まで。

<2024年元旦 能登半島地震>
能登半島地震については皆様ご存じのとおりです。
幸い我が家は被害をまぬがれましたが、報告される被害を聞くにつけ、なにかできないかと思いはするものの行動もできず、また、おそらく被災されたであろう知人に連絡を差し上げるのもなにか憚られるような複雑な思いでしばらく過ごしました。

そんな1月中旬、心配していた能登先端部に近い飯田在住、飯田小学校の校長である四十住さんのお母様だと思われる方が、たまたまテレビ取材に応じていらっしゃる姿を拝見。四十住さんご自身もご無事に違いないと、思い切って連絡してみました。
私が
「なにかお手伝いすることはありませんか?」
すると即座に
「歌いに来てください」
これにはびっくりしました。
でもさすが校長・四十住さん。私ごとき非力でやれ腰が痛い、肩が痛いと言っている人間が被災地で倒壊した家屋の木材を運んだりしたら、自分が怪我をして助けられる側になることは見え見えです。それならちゃんと得意分野でやってもらおう、というご判断です。

その後ボランティアセンターに連絡したり四十住さんとご連絡したりするうち、もう少しあとかな?と、ボランティアは保留状態となりました。

せめてもと飯田小学校の校歌をYouTubeにアップさせていただいたりして、時は過ぎていきました。

<小原さんからのメッセージ>
話は少し前後します。
震災後間もなくの1月7日、小原さんから
「心配しています。大丈夫ですか?落ち着いたら連絡ください。時期を見て是非一緒になにかやりたいです」
とメッセージをいただきました。
年に一度お会いするかどうか、しかもここ何年も音友シリーズからのオファーはいただいていませんでしたから、そもそもそんな私が石川県在住だと記憶して下さっていた事に驚きました。
そのメッセージをいただいたこともあり、飯田小学校でボランティアコンサートということになれば、なんとか小原さんとスケジュールを合わせられないかと考え続けました。

しかし、そうこうしている間に能登半島にはたくさんの有名人がボランティアにお入り下さって、私はとても気後れし始めました。また、少しずつ復興が進むと、それまでできなかった学校の行事も始まり、飯田小学校でもボランティアコンサートを日程に組み込むのは難しくなってこられたようでした。

<小原さんから2度目のメッセージ>
こちらは漸く桜が咲き始めました。東日本大震災から続けている活動の続きで能登半島地震心の復興支援「逢えてよかったね友だちプロジェクト」順調に支援が集まっています。全く急ぎませんが落ち着いたら状況をお知らせ頂けますか?念のため交通宿泊費など全部こちらで手配負担しますのでどうぞお気遣いなくお声がけください。色々継続して出来たらと考えています。ご無理ないところでご一緒させて頂ければ幸いです。

これをいただき、直ぐに四十住さんにご連絡したところ
「6月か7月では」
小原さんにもその旨お伝えしました。しかし、6、7月案もうまく日程調整ができないまま日々は過ぎていきました。

<小原さんから3度目のメッセージ>
そんなモタモタしている私にしびれを切らした小原さんから8月末、メッセージが送信されてきました。

その後、どんな状況でしょうか。9月21日~22日と仕事で石川県に行きます。(中略)今の所21日の夕方からが仕事なので、その前にもし都合がつくようでしたらお逢い出来たらと考えていますがご都合はいかがでしょう。ご無理の無いよう、もし可能でしたら宜しくお願い致します。

そしてさらに

特に被災地まで行かなくても良いかと思われます。

この「被災地に行かなくても」で、私の気持ちは一気に加速。小原さんの書かれた「被災地」は能登半島を指すものと理解しました。確かに能登半島の被害は甚大ですが、あまり報道されないかほく市・河北郡も液状化で大変な被害が出ています。そしてそこは私の居住地・私の勤務していた場所。こんなありがたいお話はありません。

<かほく市立宇ノ気中学校への電話>
まず私の住むかほく市の中学校に電話しました。かほく市でも大きな被害のあった地区があることと、教頭先生がかつての同僚だからです。
結論から言えば
「授業日ではないので難しい」
当然ですね。
ただ、私はかほく市民であるのに、なぜかかほく市の学校に配属されることは一度もありませんでした。しかし、先にかほく市にお声掛けしたということに、私は勝手に市民としての義理を果たした気持ちになりました。

<内灘町立内灘中学校への電話>
この学校は私がトータル18年勤務した思い出深い学校ですし、校長先生はかつての同僚。
話を聞いた小村校長は、
「授業日ではないけれど、どうしたらやれるか」
という方向で、はじめから話をどんどん引っ張ってくださいました。本当にありがたいことです。あまり日はありませんでしたが、実施に向けて突き進んだという感じです。

<幸運・音楽の友ホールのコンサート>
詳細はこのブログの「伊福部昭〜」シリーズをお読みいただくことで割愛いたします。幸運なことに、音楽の友ホールでのコンサートに出演させていただけることで、小原さんとボランティアコンサートの打ち合わせと合わせも出来ることになりました。

前日、音楽の友ホールでのコンサートの合わせのために塚田先生宅へ。小原さんも私以外の方との合わせで合流。
どちらも詳細は「伊福部昭〜」にありますが、元々なかった小原さんとの共演も突然決まったり、ボランティアの合わせをしたりと、本番前日とは思えないゴチャゴチャした、でもとても楽しい日になりました。

続く

小原孝さん能登半島地震復興支援ボランティアコンサート その1 お知らせ 2024年9月19日(木)

今日打ち合わせに行き、どうやら公開して良いようだとわかったので、あと2日と迫りましたが、皆様にご紹介いたします。

ピアニストの小原孝さんが復興支援のボランティアコンサートに石川県河北郡の内灘中学校に来てくださいます。会場には募金箱も設置してございます。どうぞよろしくお願いいたします。

日時 2024年9月21日(土)11:10~(約50分)

場所 河北郡内灘町 内灘中学校 生徒玄関ホール



エアコンの寿命 2024年9月15日(日)

 ↓設定温度16度










リビングのエアコン、朝から冷える感じがしなくて、この設定にしてやっと冷えています。
このエアコン、多分限界ですね。
調べてみると2005年製。19年前のものです。壊れて当然。むしろよく頑張ったと褒めてあげるべきでしょう。
そもそも随分前から吹出口が上がらないのでテープで止め、自動お掃除機能を働かせると大きな音がし、タイマーランプがしょっちゅう点滅し、と故障のオンパレード。
今日は日曜日ですが、いつもの電機工事会社の社長に電話。
「・・・2005年製。それじゃあねえ~」
というわけで、夕方か明日の朝、見に来ていただくことになりました。

<その後>
9月20日、新しいエアコンの取り付け工事をしていただき、快適です。
26度設定でもちゃんと冷えます。


伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」その12 番外編 2024年9月14日(土)

伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」ブログの一連の文章の中にうまく入れられなかったことを書きます。

<関先生の好判断と二人のピアニストとの本番>
今回の曲を音楽の友ホールで歌うにあたって、まずは関先生の好判断、
「事前に本番のステージにかけておく」
ということで、まずは関先生の歌の会・富山リラの会で歌い、第36回美女コンで歌いました。
富山では池原陽子さんのピアノ、石川県では近藤陽子さんのピアノで。特に近藤陽子ちゃんには衣装のことも含め大変お世話になりました。このお二人とのステージがあってこその今回の本番でした。

コンサート後、近藤陽子ちゃんから不思議なものをいただきました。
↓なにかおわかりですか?



















イヤリングです。
私がわからないだろうと察した陽子ちゃんからラインで教えていただきました。
これは上下2つでワンセット。下の丸い輪は途中で切れていて、それに上のものを通し、輪を耳たぶに挟みます。「痛くならないイヤリング」だそうです。










<塚田先生の突然の質問>
開場30分ほど前だったでしょうか、楽屋で突然、塚田先生が私にこう話しかけていらっしゃいました。
「フジコ・ヘミングって結局なんだったの?」
私はこれまで先生とフジコ・ヘミングの話をしたことは一度もありません。
でもその質問をされた瞬間に塚田先生の質問の意図を頭をフル回転させて考えました。楽屋には他にも人はいらっしゃるのに、なぜ私にその質問を?私ならそう答えそうだと思っての質問に違いありません。
そこで私はすぐに次のように答えました。
「ピアニストの友人であの方のピアノを好きな方もたくさんいらっしゃいますが、私は嫌いです。音がどうとか音楽性がどうとか以前の問題」
私自身、フジコ・ヘミングのことをこのように思っていることを家族以外(つまり家族には言っていました)積極的に人に話したことはありません。好きな方も大勢いらっしゃるし、こんなことで議論をする気はないのです。

せっかくなので真面目に書いてみますと、まずは関定子の教え
「お客様は90%見に来る」
そうなのです。まずはステージに立つ人間として見られていることへの意識。私はフジコ・ヘミングさんのあのお姿、どうしても受け入れられません。ただ、あれが狙い、個性と言われればそうとることもできるとも思います。

ミスタッチの多さ。
これはないでしょう。ショパンのエチュードとか。
無理に超絶技巧曲を弾いてくださらなくて構わないのです。その方の技術、年齢などに応じてその人の一番いいところをお聴かせいただければ。そういう意味で素人のピアニストさんだって素敵な演奏をされる方はいらっしゃいます。

塚田先生、私の答えをどう思われたでしょう。その話は何かで途中で終わってしまったので。

伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」その11 翌日 2024年9月14日(土)

2024年9月13日(金)
<母の来場>
今回のコンサート、92歳の母が「行ってみたい」と言ったので、正直東京まで行けるのはこれが最後かもと思い息子に付き添いを頼んで来てもらうことにしました。足元は少々おぼつかないとはいうものの、母の元気さと息子の献身に助けられました。

<はとバス2時間ツアー>
母がせっかく東京まで行くので、なにか楽に観光ができることはないかと思いついたのが「はとバス」に乗っての車窓からの東京観光。
これに関しては幸運な思い違いが。
私はこのはとバスツアーを「2階建て屋根なしバス」でのドライブだと思っていました。秋空の元、屋根のないバスでの都内観光、きっと楽しいはず。
しかし、私はこの日を初秋の爽やかな日と勝手に想像して予約しましたが、いつまで経っても猛暑は終わりません。
「あ~炎天下の中2時間バス。熱中症、日焼け~~あ~あ」

しかし乗り場についてみると2階建てではありますがバスに屋根はあります。
あれ?
申し込んだツアーの内容をよく見るとどこにも「屋根なし」なんて書いてありません。
「2階建てバス TOKYOショートトリップ 東京タワー&レインボーブリッジ」
です。(10:00~12:00)
よかった!

国会議事堂、皇居、官庁街、レインボーブリッジ。いかにも東京というところを見て、東京タワーへ。そこで初めて見たのが、東京タワーの窓掃除の人。手を振ると振り返してくださいました。この時窓拭きの人、スターでした。




























何より幸運だったのは、バスの座席。最前列。














これは私のお手柄かもしれません。というのは、はとバスの申込みは2ヶ月前から。私はその2ヶ月前の日付が変わってすぐに申し込んだのです。ですから私達3人最前列。とっても気持ちよくドライブ観光できました。














<昼食>
以前娘と入った「千疋屋」のランチ。もう一度食べたくて先日(ブログのどこかにあり)東京に来た時に探したけれど発見できず。今回は娘にちゃんと聞いて場所を確認。なんとはとバス乗降場所からすぐ。(東京駅向かいの郵便局ビルKITTE)
ハーフサイズカレー フルーツサンド シャインマスカットのパフェ 紅茶
おいしいおいしいおいしいおいしいおいしい大満足

























↓息子がちゃんとしたカメラで撮った写真










<驚いたこと>
「銀座和光」ビルが、「SEIKO HOUSE GINZA」に変わっていたこと。














<帰宅>
13:24の新幹線で石川県へ。
16:19に到着すると、彼が車でお迎えに。
はとバスツアー、思ったより歩く距離があって(東京タワーの中ですが)母はかなり疲れたようでした。でも元気。

<今朝 9月14日(土)>
昨夜は22:30にはベッドに入り、トイレに起きることもなく7:00まで寝ていました。
そして朝からずっとブログ書き。
楽しい日を振り返りながらブログを書くのは本当に楽しいです。

以上で
伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」
シリーズを終わります。
・・・ちょっと続く




伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」その10  当日 2024年9月14日(土)

2024年9月12日(木)
<「田舎のバス」暗譜>
5時前に目が覚めました。伊福部昭の緊張ではなく「田舎のバス」の不安です。
ホテルの狭い部屋の中、小さな声で歌い続けました。

<会場へ>
ちょっと早いですが、ホテルを11時過ぎに出発。
暑い!
こんなに暑くなければ、JR御茶ノ水駅から飯田橋駅まで電車。そのあと飯田橋駅から音楽の友ホールまで大好きな神楽坂の上り坂を元気にブラブラ歩きます。でも今日は無理。なんとかしなくては・・・タクシーなんて贅沢はできません・・・遠回りでも地下鉄。
東西線の「神楽坂駅」で降りれば、音楽の友ホールは出口からすぐ。
そこで!
地下鉄新御茶ノ水駅→(千代田線)大手町→(東西線)神楽坂
とっても遠回りですし、地下鉄の中だって相当歩きました。でも直射日光無し。冷房もまあまああり。
かなり早くに会場につくと、すでにスタッフの皆さんは準備を始めてくださっていました。
時間がたっぷりあったおかげで、堀内さんと楽しいおしゃべりタイム。

<食事>
いつも困るのが食事。
レストランでゆっくりという気分にはならないし、何を食べたらいいのか迷います。
とりあえず近所の和菓子屋さんで麩饅頭。そしてファミリーマートのおにぎりを購入。
開始1時間半前に冷房で体が冷えてしまったらしい塚田先生から
「おそばでも食べに行かない?」
と誘われましたが、流石にないですね。

麩饅頭を食べたあと、今回「田舎のバス」で共演のピアニスト・小原孝さん差し入れの虎屋の羊羹と、ソプラノ歌手・鷹野恵さん差し入れの果物を食べて本番のエネルギーにしました。結局ファミマのおにぎりは就寝前にホテルで食べることに。

<関先生の愛情>
関先生は歌手であり私の師匠でありこのコンサートの監修者です。監修者ということでこのコンサートには必ずいらっしゃるのですが、今回に限り名古屋で別のお仕事があるため、おいでにならないと事前に先生ご自身からお伺いしていました。
ところが今朝ラインを頂いて
「今日は行けることになりました。頑張ってね」
良かった。
会場で先生をお迎えした時
「先生、私のためにありがとうございました」
↑半分冗談のつもり。
「まあ、そんなもんだね」
↑これ、多分冗談ではありません。私のためにわざわざ予定を変更してくださったのです。

<リハーサル>
他の方は皆さん普段着でリハーサル。でも私はドレスでのリハーサルを関先生にも見ていただきたかったこともあって、本番の衣装で臨みました。
結論。
このブログのメインである「伊福部昭作品」は暗譜も完璧。特に問題なし。
一方昨日急に決まった「田舎のバス」は、歌詞は落ちる、音程も間違える、セリフは飛ぶの大惨事
誰も何もおっしゃいませんでしたが、皆さん
「かわいそう~」
と思われていたことでしょう。ピアノ担当の小原さんなど、本番でぐちゃぐちゃになったときのフォローの仕方を密かに考えていらしたのではと想像しています。

このあと関先生から「田舎のバス」のリズムを少し直していただきました。というのは、私は楽譜に書かれているものを忠実に歌っていましたが、大衆音楽として歌われているものは少々違っていたのです。先生はそれをご存じだった、つまり他のお客様もそちらで覚えていらっしゃるということ。
実は楽譜に書いてあるリズムに違和感があったので、先生に直していただいたおかげで、とても歌いやすくなりました。

その後本番までひたすら「田舎のバス」を暗譜。
伊福部?どこかへ飛んでいきました。

↓リハーサル後に撮影(原田圭さんから頂いたお写真)
上段左から(敬称略)
原田 西野 小原 清水
金森 塚田 瀬山 関 亀田












<本番>
「田舎のバス」奇跡の成功。お陰で伊福部昭緊張なし。このブログ、伊福部昭の「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」という題で進めてきたのに、これだけとは。
う~ん、せっかくだから何か思い出して書こうかな・・・。ありました。
1曲目の「ブールー ブールー」。前日合わせの時、塚田先生が最初かなり遅めのテンポで演奏されたので
「先生、これくらいゆっくりですか?」
「早くてもいいよ。やりたいテンポで進めてくれたらついていくから」
ということでもう一度早めで合わせて
「じゃあ、このテンポで」
ってなったんですけど、結局最初に戻りました。
でも、ゆったりした感じは先生の音楽性そのものでしたし、子守唄っぽさが出て良かったと思います。
「プロには逆らわない」
を心に留めている私としては、好判断でした。

そうそう、もう一つ。
1曲目は前奏なしの歌からスタート。
普通こういう場合はピアノでポンと音を出してもらって音取りして入ります。ところが前日塚田先生から
「最初の音出さないから、音取って入ってきて」
そこで私は、スマホのキーボードアプリで音取りして入るつもりでいました。しかし楽屋は壁一枚隔てただけ。たまたま音取りしている時着信があったら会場に丸聞こえ。断念。

さて、この日私は他の方の歌われる曲を楽譜を見ながら聞きたくて伊福部昭の楽譜を持参していました。
リハーサルのとき、私の前に歌われる清水さんの歌(「ギリヤーク族の古き吟誦歌」)を楽譜を見ながら聞いていると、ものすごい発見が!清水さんの4曲目の終わりの音が、私の始まりの音「ソのシャープ」。これで大丈夫。

コンサート終了後、私の(勝手に決めた)文章の師匠・倉島さんの奥様からそのことについてご質問をいただきました。音楽通って感じのご質問で驚きました。

<共演者ご紹介>
向かって左から(敬称略)
塚田 小原 亀田 金森 西野 原田 清水










亀田眞由美さん
20年以上前に富山県福光町で開催されたオペラ「魔笛」の時の「夜の女王」。その時も素晴らしかったのはもちろん、今回はそれ以上。4曲すべてアカペラ、高音域の難曲を見事にお歌いになり、感動しました。しかもひ孫までいらっしゃる!日本の宝。後世に残さなくてはなりません。

金森静子さん
80歳!やわらかな音色と楽屋でもステージでも平常心という感じのご様子に、歌にも人間性にも癒やされます。

清水良一さん
最も共演回数の多い方のような気がします。紀尾井ホールでの関先生とのオペラにも数多く出演されていることもあり、とても良くお会いしている気持ちになっています。オペラではシリアスなものからコミカルなものまで何でも来い。日本歌曲では低音から高音まで自在な発声とクリアな発音で、文句なし。
今回は特に、西野真理の「田舎のバス」に「牛」で登場し、日本一の「モゥ~」と反芻の演技。私が奇跡的に「田舎のバス」を歌えたのは清水さんのおかげかもしれません。











原田圭さん











初共演は富山県高岡市で10年以上前。次にお会いしたのが金沢でオペラ「夕鶴」に出演され、それを拝見した時。それ以降一度もお会いしていないのですが、なんとなくご連絡を取り続けていて、今回ついに音楽の友ホールでの共演となりました。
あの「夕鶴」のときは広い会場で言葉が本当によくわかり、バリトンだけれども高音も美しく感動しました。
今回の「知床半島の漁夫の歌」ピッタリ。ノーミス。持ち歌にされるといいと思いました。

塚田佳男先生(ピアニスト・解説)
ピアノは言うまでもなく、今回の解説は抜群。そもそもこの解説がなければ今回のプログラム、ちょっと聞けないかも。

小原孝さん(ピアニスト・ソロも)
クラシック界きっての人気者でありながら、気取ったところもなく、やさしく、本当にいい人。臨機応変な対応力は歌い手にとって神様。
小原さんに関しては別件で今後ブログに書かせていただきそうです。お楽しみに。

関先生とそのすぐ横に小さく堀内さんと、母の奇跡の3ショット
 ↓娘   ↓母       ↓堀内さん・関先生



伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」その9  前日最終合わせ 2024年9月14日(土)

2024年9月11日(水)、いよいよ東京へ出発です。
朝からソワソワと忘れ物が無いよう何度も確認。結論から言えば今回忘れ物はゼロ。

<新幹線>
息子に宇野気駅まで送ってもらって9:21金沢行き乗車。金沢駅でちょっとしたお菓子(諸江屋の抹茶生落雁。美味しくてコンパクトなのでお土産によく利用)を買い10:05の新幹線乗車。ここ最近新幹線をよく利用しました。いつも隣の席は空いていて楽だったのですが、この日は満席に近い感じ。4時間弱しか寝ていなかったのですぐに1時間ほど寝てしまい、起きてからは訳詩を楽しみ、新幹線の時間は過ぎていきました。

<ホテルから先生宅まで>
東京駅着。暑い!
東京駅からまずは御茶ノ水アパホテルへ荷物を置きに。高温と高湿度、強い直射日光の中、日陰を選びつつホテルまでたどり着き、チェックイン前でしたが荷物だけ預かってもらいました。荷物を預かっていただくためのQRコード発行に手間取りましたが、なんとか手続き終了。
再び御茶ノ水駅まで歩いて中野駅へ。

中野駅からいつもは徒歩。でもこの炎天下、無理!
バスにしましょう。と言っても今まで行きでバスを使ったことはありません。よかった、すぐ見つかりました。ここで大問題。都会のバス(田舎ではそもそも乗りません)・・・乗り方わかりません(涙)。幸いバス停に男性が並んでいたので、その行動を見て
「前からピッってやって乗るんだ!」
降りる時、一人だったらどうしようと思っていたら、誰かが先にピンポンを押してくれたので、キョロキョロしながら行動を見ていると
「後ろからただ降りればいい」

<衝撃の変更!と三木鶏郎>
先生のお宅へ入るやいなや
「追加の曲、変更になったから」
「え~昨日の夜、楽譜書いたのに~!」
このブログを書いている時点で本番はもう終わっているので、昨夜の先生との電話とそれに関連することを書きます。

今回のコンサートは「生誕110年の作曲家」。取り上げられているのは
・繁田裕司 ・早坂文雄 ・伊福部昭(私は伊福部担当)
この、繁田裕司は三木鶏郎なのです!
???

~三木鶏郎(Wikipediaより)~
三木 鶏郎(みき とりろう、1914年〈大正3年〉1月28日 - 1994年〈平成6年〉10月7日)は、日本の作詞家、作曲家、放送作家、構成作家、演出家である。本名、繁田 裕司(しげた ひろし)。本当は「とりお」だったがアナウンサーの読み見間違いから「とりろう」に。

三重県出身の繁田保吉の長男として東京市麹町区飯田町6-22(現・東京都千代田区飯田橋)に生まれる。
暁星小学校から暁星中学校を経て、飛び級で旧制浦和高等学校に入学。2年浪人して東京帝国大学法学部に入学。
1941年1月10日に二等兵として陸軍東部第六部隊へ入隊する。
大尉として復員した後、混乱した世相の中で「どうせ餓死するならやりたいことをやって死にたい」との思いから、音楽家の道に進むことを決意。

ラジオ番組『日曜娯楽版』(1947年放送開始)での「冗談音楽」、その後身である『ユーモア劇場』で爆発的な人気を博したが、1954年の造船疑獄に対する辛辣な諷刺で佐藤栄作を激怒させ、同年6月に同番組は打ち切りとなった。
また、1951年、日本初の放送におけるコマーシャルソングである「僕はアマチュア・カメラマン」をつくり、ディズニーアニメで初の日本語版音楽監督を務めた。

長くなりましたが、三木鶏郎というCM音楽や大衆音楽で人気を博した作曲家は、本名・繁田裕司でいわゆる日本歌曲も作曲していらしたのです。
そこで今回のあまりにマニアックな作品ばかり並べられているその最初に、プログラムにはない、三木鶏郎のCMソングや大衆音楽をちょっと披露しましょう・・・ということにしたそうですが
早く言ってください!
それが昨夜23時半過ぎのお電話。その時私に歌ってと言われたのは
「ミツワ石鹸CMソング」
夜中23時半を回ってからYouTube検索。幸いその歌はYouTubeにあったので楽譜に起こしました。短いしすぐ覚えられるのでまあいいでしょう。

ところが先生のお宅へ到着すると
「追加の曲『田舎のバス』ちょっとセリフもあるけどすぐできるから。ピアノは小原さんで」
すぐできるんですか・・・?
その後の私の大変さをおわかりいただくために、敢えて書き上げます。

(歌)
田舎のバスは おんぼろ車
タイヤはつぎだらけ 窓はしまらない
それでもお客さん ガマンをしてるよ
それは私が美人だから
田舎のバスは おんぼろ車
デコボコ道を ガタゴト走る

(セリフ)
皆様毎御ご乗車下さいまして
有難うございます 早速で恐れ入りますが
只今御乗車の方は乗車券のお切らせを
願います・・・

アンレ、マ~しょうがネー牛だナー
アーンナ道の真中で草喰いよってサ
こ、これじゃ バスが通らねえでネーかよう
チョ、チョッと待ってなヨ
おらが今おりてチョッくらどかしてくっから!
ヨーシヨーシ
(モォ~)
土堤の上で草喰やエーダーそんなところで寝そべったら
バスが通らねえでネーかヨー
ホーラどけってばー
どっこいしょっと
(モォ~)
嫌ーって言ったってしょうがねえでネーかホラ
どいてくれって どっこいしょっと
(モォ~)
この辺でえーかネ運転手さんヨ ホントにマ~世話の
やける牛 おら汗かいちまった

皆様お待たせ致しました
ハイ後車オーライ 発車オーライ

(歌)
田舎のバスは おんぼろ車
デコボコ道を ガタゴト走る

誰がすぐできるんですか!!!

<雁部さん宅へ>
塚田先生宅での先生との合わせ、小原さんとの練習を終え、小原さんと一緒に歩いて楽しくおしゃべりしながら駅まで。夕方になって、来るときほどの暑さではなくなっていてホッとしました。
駅構内で小原さんと別れ、雁部さんにショートメールを入れました。
(雁部さんとのことはブログ内を「雁部」と検索してお読み下さい。でないと全くわかりません)
こんなやり取りがあったからです。

ところで、いよいよ明後日ですね、拝聴を楽しみにしています。
今回の東京でのスケジュールはお忙しいですか?
本番の前後で落ちつかないようでしたら、改めて御相談しましょう。

前日は最後の合わせに塚田先生宅にお伺いします。もし音を出しても大丈夫な時間に終わったときにはご連絡してもよろしいですか?

本当は「田舎のバス」でそんな余裕はないはずですが、雁部さんと直接お会いしてみたかったのと、「田舎のバス」現実逃避とで、ついご連絡してしまいました。

あと少しでホテルのある御茶ノ水で電車を降りようかという時に返信を頂き、上手く雁部さん宅への電車に乗り換えることができました。
そして到着駅まで雁部さん、お迎えに来てくださいました。

完全防音のお部屋にはオーディオ機器、グランドピアノ2台、CDいっぱい。そして美味しいお紅茶をお持ちくださった奥様は、私と同じ武蔵野音大出身(ピアノ)ということで奥様ともお話が弾みました。
雁部さんとの出会いのもとになったCDの話など密度の濃いお話のあとは、バイオリニスト・奥村さんとピアノで共演されたブラームスの歌曲を私が日本語訳詩したものを雁部さんのピアノで歌わせていただくという至福の時を過ごしました。

<暗譜>
ホテルへ帰って来ました。ひたすら暗譜です。
伊福部昭は飛んでいきました。
この日の夕飯↓














※プリンとコーヒーゼリーとクリームとカステラの入ったこのデザート
今シーズン10回以上食べています

<余談>
塚田先生のお宅で、食べそびれた昼食の代わりのシュークリームを食べていた時
「お昼ご飯まだだったの?」
と、塚田先生が一皿、冷蔵庫から持ってきてくださいました。
鶏肉と枝豆と他にも野菜の入った冷製サラダ?味もよくしみて、冷たくてとても美味しいお料理でした。
「先生これ自分でお作りになったんですか?」
「うん」
蒸し料理かな?と思って聞いてみると、火を通したあと出汁(タレ?)に漬け込まれたそうです。音楽のセンスもさることながら、味のセンスも抜群の塚田先生です。

西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

このブログは 野口芳宏先生記念碑「師道の碑」除幕・祝賀パーティー 2024年11月23日(土) をお読みになってからどうぞ。 ↑そういうわけで、野口先生にもぜひ「お山の大将」をお歌いいただければいいなと思い、ピアノ伴奏をYouTubeにアップしてみました。いつも書いていますがピア...