2024年9月11日(水)、いよいよ東京へ出発です。
朝からソワソワと忘れ物が無いよう何度も確認。結論から言えば今回忘れ物はゼロ。
<新幹線>
息子に宇野気駅まで送ってもらって9:21金沢行き乗車。金沢駅でちょっとしたお菓子(諸江屋の抹茶生落雁。美味しくてコンパクトなのでお土産によく利用)を買い10:05の新幹線乗車。ここ最近新幹線をよく利用しました。いつも隣の席は空いていて楽だったのですが、この日は満席に近い感じ。4時間弱しか寝ていなかったのですぐに1時間ほど寝てしまい、起きてからは訳詩を楽しみ、新幹線の時間は過ぎていきました。
<ホテルから先生宅まで>
東京駅着。暑い!
東京駅からまずは御茶ノ水アパホテルへ荷物を置きに。高温と高湿度、強い直射日光の中、日陰を選びつつホテルまでたどり着き、チェックイン前でしたが荷物だけ預かってもらいました。荷物を預かっていただくためのQRコード発行に手間取りましたが、なんとか手続き終了。
再び御茶ノ水駅まで歩いて中野駅へ。
中野駅からいつもは徒歩。でもこの炎天下、無理!
バスにしましょう。と言っても今まで行きでバスを使ったことはありません。よかった、すぐ見つかりました。ここで大問題。都会のバス(田舎ではそもそも乗りません)・・・乗り方わかりません(涙)。幸いバス停に男性が並んでいたので、その行動を見て
「前からピッってやって乗るんだ!」
降りる時、一人だったらどうしようと思っていたら、誰かが先にピンポンを押してくれたので、キョロキョロしながら行動を見ていると
「後ろからただ降りればいい」
<衝撃の変更!と三木鶏郎>
先生のお宅へ入るやいなや
「追加の曲、変更になったから」
「え~昨日の夜、楽譜書いたのに~!」
このブログを書いている時点で本番はもう終わっているので、昨夜の先生との電話とそれに関連することを書きます。
今回のコンサートは「生誕110年の作曲家」。取り上げられているのは
・繁田裕司 ・早坂文雄 ・伊福部昭(私は伊福部担当)
この、繁田裕司は三木鶏郎なのです!
???
~三木鶏郎(Wikipediaより)~
三木 鶏郎(みき とりろう、1914年〈大正3年〉1月28日 - 1994年〈平成6年〉10月7日)は、日本の作詞家、作曲家、放送作家、構成作家、演出家である。本名、繁田 裕司(しげた ひろし)。本当は「とりお」だったがアナウンサーの読み見間違いから「とりろう」に。
三重県出身の繁田保吉の長男として東京市麹町区飯田町6-22(現・東京都千代田区飯田橋)に生まれる。
暁星小学校から暁星中学校を経て、飛び級で旧制浦和高等学校に入学。2年浪人して東京帝国大学法学部に入学。
1941年1月10日に二等兵として陸軍東部第六部隊へ入隊する。
大尉として復員した後、混乱した世相の中で「どうせ餓死するならやりたいことをやって死にたい」との思いから、音楽家の道に進むことを決意。
ラジオ番組『日曜娯楽版』(1947年放送開始)での「冗談音楽」、その後身である『ユーモア劇場』で爆発的な人気を博したが、1954年の造船疑獄に対する辛辣な諷刺で佐藤栄作を激怒させ、同年6月に同番組は打ち切りとなった。
また、1951年、日本初の放送におけるコマーシャルソングである「僕はアマチュア・カメラマン」をつくり、ディズニーアニメで初の日本語版音楽監督を務めた。
長くなりましたが、三木鶏郎というCM音楽や大衆音楽で人気を博した作曲家は、本名・繁田裕司でいわゆる日本歌曲も作曲していらしたのです。
そこで今回のあまりにマニアックな作品ばかり並べられているその最初に、プログラムにはない、三木鶏郎のCMソングや大衆音楽をちょっと披露しましょう・・・ということにしたそうですが
早く言ってください!
それが昨夜23時半過ぎのお電話。その時私に歌ってと言われたのは
「ミツワ石鹸CMソング」
夜中23時半を回ってからYouTube検索。幸いその歌はYouTubeにあったので楽譜に起こしました。短いしすぐ覚えられるのでまあいいでしょう。
ところが先生のお宅へ到着すると
「追加の曲『田舎のバス』ちょっとセリフもあるけどすぐできるから。ピアノは小原さんで」
すぐできるんですか・・・?
その後の私の大変さをおわかりいただくために、敢えて書き上げます。
(歌)
田舎のバスは おんぼろ車
タイヤはつぎだらけ 窓はしまらない
それでもお客さん ガマンをしてるよ
それは私が美人だから
田舎のバスは おんぼろ車
デコボコ道を ガタゴト走る
(セリフ)
皆様毎御ご乗車下さいまして
有難うございます 早速で恐れ入りますが
只今御乗車の方は乗車券のお切らせを
願います・・・
アンレ、マ~しょうがネー牛だナー
アーンナ道の真中で草喰いよってサ
こ、これじゃ バスが通らねえでネーかよう
チョ、チョッと待ってなヨ
おらが今おりてチョッくらどかしてくっから!
ヨーシヨーシ
(モォ~)
土堤の上で草喰やエーダーそんなところで寝そべったら
バスが通らねえでネーかヨー
ホーラどけってばー
どっこいしょっと
(モォ~)
嫌ーって言ったってしょうがねえでネーかホラ
どいてくれって どっこいしょっと
(モォ~)
この辺でえーかネ運転手さんヨ ホントにマ~世話の
やける牛 おら汗かいちまった
皆様お待たせ致しました
ハイ後車オーライ 発車オーライ
(歌)
田舎のバスは おんぼろ車
デコボコ道を ガタゴト走る
誰がすぐできるんですか!!!
<雁部さん宅へ>
塚田先生宅での先生との合わせ、小原さんとの練習を終え、小原さんと一緒に歩いて楽しくおしゃべりしながら駅まで。夕方になって、来るときほどの暑さではなくなっていてホッとしました。
駅構内で小原さんと別れ、雁部さんにショートメールを入れました。
(雁部さんとのことはブログ内を「雁部」と検索してお読み下さい。でないと全くわかりません)
こんなやり取りがあったからです。
ところで、いよいよ明後日ですね、拝聴を楽しみにしています。
今回の東京でのスケジュールはお忙しいですか?
本番の前後で落ちつかないようでしたら、改めて御相談しましょう。
前日は最後の合わせに塚田先生宅にお伺いします。もし音を出しても大丈夫な時間に終わったときにはご連絡してもよろしいですか?
本当は「田舎のバス」でそんな余裕はないはずですが、雁部さんと直接お会いしてみたかったのと、「田舎のバス」現実逃避とで、ついご連絡してしまいました。
あと少しでホテルのある御茶ノ水で電車を降りようかという時に返信を頂き、上手く雁部さん宅への電車に乗り換えることができました。
そして到着駅まで雁部さん、お迎えに来てくださいました。
完全防音のお部屋にはオーディオ機器、グランドピアノ2台、CDいっぱい。そして美味しいお紅茶をお持ちくださった奥様は、私と同じ武蔵野音大出身(ピアノ)ということで奥様ともお話が弾みました。
雁部さんとの出会いのもとになったCDの話など密度の濃いお話のあとは、バイオリニスト・奥村さんとピアノで共演されたブラームスの歌曲を私が日本語訳詩したものを雁部さんのピアノで歌わせていただくという至福の時を過ごしました。
<暗譜>
ホテルへ帰って来ました。ひたすら暗譜です。
伊福部昭は飛んでいきました。
この日の夕飯↓
※プリンとコーヒーゼリーとクリームとカステラの入ったこのデザート
今シーズン10回以上食べています
<余談>
塚田先生のお宅で、食べそびれた昼食の代わりのシュークリームを食べていた時
「お昼ご飯まだだったの?」
と、塚田先生が一皿、冷蔵庫から持ってきてくださいました。
鶏肉と枝豆と他にも野菜の入った冷製サラダ?味もよくしみて、冷たくてとても美味しいお料理でした。
「先生これ自分でお作りになったんですか?」
「うん」
蒸し料理かな?と思って聞いてみると、火を通したあと出汁(タレ?)に漬け込まれたそうです。音楽のセンスもさることながら、味のセンスも抜群の塚田先生です。
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