伊福部昭「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」ブログの一連の文章の中にうまく入れられなかったことを書きます。
<関先生の好判断と二人のピアニストとの本番>
今回の曲を音楽の友ホールで歌うにあたって、まずは関先生の好判断、
「事前に本番のステージにかけておく」
ということで、まずは関先生の歌の会・富山リラの会で歌い、第36回美女コンで歌いました。
富山では池原陽子さんのピアノ、石川県では近藤陽子さんのピアノで。特に近藤陽子ちゃんには衣装のことも含め大変お世話になりました。このお二人とのステージがあってこその今回の本番でした。
コンサート後、近藤陽子ちゃんから不思議なものをいただきました。
↓なにかおわかりですか?
イヤリングです。
私がわからないだろうと察した陽子ちゃんからラインで教えていただきました。
これは上下2つでワンセット。下の丸い輪は途中で切れていて、それに上のものを通し、輪を耳たぶに挟みます。「痛くならないイヤリング」だそうです。
<塚田先生の突然の質問>
開場30分ほど前だったでしょうか、楽屋で突然、塚田先生が私にこう話しかけていらっしゃいました。
「フジコ・ヘミングって結局なんだったの?」
私はこれまで先生とフジコ・ヘミングの話をしたことは一度もありません。
でもその質問をされた瞬間に塚田先生の質問の意図を頭をフル回転させて考えました。楽屋には他にも人はいらっしゃるのに、なぜ私にその質問を?私ならそう答えそうだと思っての質問に違いありません。
そこで私はすぐに次のように答えました。
「ピアニストの友人であの方のピアノを好きな方もたくさんいらっしゃいますが、私は嫌いです。音がどうとか音楽性がどうとか以前の問題」
私自身、フジコ・ヘミングのことをこのように思っていることを家族以外(つまり家族には言っていました)積極的に人に話したことはありません。好きな方も大勢いらっしゃるし、こんなことで議論をする気はないのです。
せっかくなので真面目に書いてみますと、まずは関定子の教え
「お客様は90%見に来る」
そうなのです。まずはステージに立つ人間として見られていることへの意識。私はフジコ・ヘミングさんのあのお姿、どうしても受け入れられません。ただ、あれが狙い、個性と言われればそうとることもできるとも思います。
ミスタッチの多さ。
これはないでしょう。ショパンのエチュードとか。
無理に超絶技巧曲を弾いてくださらなくて構わないのです。その方の技術、年齢などに応じてその人の一番いいところをお聴かせいただければ。そういう意味で素人のピアニストさんだって素敵な演奏をされる方はいらっしゃいます。
塚田先生、私の答えをどう思われたでしょう。その話は何かで途中で終わってしまったので。
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