昨日、シューマン作曲「若者のための歌のアルバム」全29曲を訳詩終え、さあ、次は何にしようかな~~~。
見つけました。
ヴォルフ作曲「女声のための6つの歌」全6曲。
このブログを書いている時点で「女声のための6つの歌」1曲目の訳詩は終わりました。
<ヴォルフについて>
2024年9月に初めてヴォルフの曲を訳詩し、現在ストックは12曲。その時が聴くのも楽譜を見るのもほぼ初めて(学生時代に「ヴォルフの会」というコンサートに行った覚えはありますが、全く覚えていません)のヴォルフでした。
2024年9月時点の第一印象は
「普通だし、きれい」
私はヴォルフのことを、小難しい曲だと思い込んでいたのです。
まだ1つもステージにはかけていませんから、これを機会に美女コンで歌うことを考えようと思っています。
Wikipediaより(青字部分はそのままコピペ)
フーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf、1860年3月13日 - 1903年2月22日)
オーストリアの作曲家・音楽評論家。
ブラームスが嫌いでワーグナー大好き。
ヴォルフがブラームスを見下すようになったのは1879年頃の両者の出会いのことだった。ヴォルフが自分の作品を携えてブラームスを訪ねた時に、もっと音楽の世界を広げた方がよいという助言をもらった。また、ベートーヴェンの作品を研究していたグスタフ・ノッテボームの下で、対位法に習熟するためのレッスンを受けるべきとも言われた。それがヴォルフには自分への批判のように聞こえたため、ワーグナー派とブラームス派との対立に便乗する形となった。
私は↑のブラームスからヴォルフへの助言(太字部分)、もっともな助言だと思いますが・・・
質素な安宿で生活していたヴォルフは1896年に心の広い友人達の特別の計らいにより住処が提供されたが、1897年の9月、梅毒の影響が現れた。その結果、友人から提供された家から精神病院へ強制的に入れられ、4か月後の1898年1月に退院した。その1か月のちトラウン湖で自殺を図るも、未遂で連れ戻された。その後自分の意志で施設に戻り、狂気のまま5年を過ごし、1903年2月22日に悩み多きヴォルフは満43歳直前に逝去した。
<「女声のための6つの歌」について>
・1曲目「朝露」は17歳の時の作品
・1888年に友人の尽力により出版
・一般に、ヴォルフらしさはないといわれる作品。でもとてもきれい
・4曲目「夏の子守歌」は20歳の時の作品
・2曲目の「小鳥」は、私が先に訳したシューマン作曲「若者のための歌のアルバム」の中に「幸福」という名前で作曲されている。もちろんシューマンの時の訳詩をそのまま使うわけにはいかないので、その違いも訳詩の楽しみの一つ
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