足の痺れでお悩みの方へ(個人の感想です) 2024年1月6日(土) 

今日のブログはあくまでも西野真理個人の感想です。同じものを購入されても皆さんに効果があるとは限りませんので、そのあたりよろしくお願いいたします。

それは2018年の冬。
その頃は娘が私の勤務先である金沢市立港中学校から2キロほどのアパートに住んでいたのですが、翌日の豪雪予報で翌朝自宅からの自動車出勤は難しいと判断した私は、娘のアパートに泊めてもらいました。
その判断はとても正しく、翌朝は予報通りの豪雪のため大渋滞。多くの先生が遅刻や欠勤する中、私は娘のアパートから楽しく歩いて出勤。
しかし慣れないことをしたせいか、その後左足にジンジンとした、正座した時になるような軽い痺れが起こりました。それによって歩きにくかったり痛かったりということはないのですが、いつもなんとなく痺れ感があって不快です。
いつものレディースクリニックの先生にご相談して血流を良くするお薬を飲んでみたり、ストレッチをしたりと私なりにがんばったのですが 良くなることはなく、そのまま2022年、退職の日を迎えました。

退職して暇になり、パソコンの前に座っていることが多くなったのですが、その時ふと目に入ったのが部屋の片隅に置かれたフットマッサージャーでした。




















これは、義母が足のむくみのために使っていたのを遊び半分に使わせてもらって、なかなか気持ちが良かったので、ちょうどやはり足がむくみ始めた実家の母に、誕生日祝に贈ったものです。
しかし実家の母は
「強すぎて痛い」
とほとんど使用せず、それならと私が貰い受けました。
貰ったのはいいのですが、その時の私は特別足に不具合はなく、部屋の片隅に置きっぱなしになっていました。
そんな退職後のその日、直感的に
「これ、いいかも!パソコンしながら使えるし」
そう思ったその時、早速パソコンデスクの下にフットマッサージャーを置き、パソコン作業をしながら足をぎゅ~ぎゅ~し始めました。足を突っ込んでスタートボタンを押すだけですから、なんの苦労もありません。




















それから1ヶ月も経ったでしょうか。
「あれ?痺れてないんじゃない?」
そうです。いつのまにか痺れがなくなっているではありませんか!!!

痺れがなくなった現在も、気持ちがいいのでパソコン作業の時はよくスタートボタンを押しています。

もし足の痺れにお困りの方がいらっしゃいましたら、試す価値はあるかもしれません。
でも、あくまでも個人の感想です。




被災者インタビュー映像から(令和6年能登半島地震) 2024年1月5日(金)

令和6年能登半島地震、おかげさまで西野真理は1日の断水だけで現在は日常に戻っていますが、震源地付近は報道が進むに連れて大変さが増しています。

そんな昨日、TVニュースで和倉温泉「美湾荘」でのインタビューの様子が放送されました。
















カメラに映し出された旅館の中はどこから手を付けていいのかわからないような大変な状況です。その中でインタビューを受ける男性も「自力で再建不可能なんじゃないか」と。
しかし、このあと男性は更にこう続けられました。
「北陸には安全の確認できる温泉地・観光地もございますし、そういったところにまで風評被害が及ぶことはあってほしくないと強く思っています」
ご自身がこれほどの被災者でありながら、旅行業界を思い、被災していない人には絶対に口にできないことをカメラの前で冷静にお話になる姿は、ここ数日の報道の中でも特に胸を打たれるものとなりました。













今、ネットで探してみるとそのニュース映像が出てきましたので、書き起こしてみます。
報(報道アナウンサー) 美(美湾荘の方)

報:こちらの企画販売部長・白鬚(しらひげ)さんに来ていただいています。今回一年で1番の繁忙期、さらにはコロナが開けて最初おの正月におきた地震ということですが、今のお気持ちをお聞かせください

美:コロナが開けて最初の年末年始ということで元日、またこの先たくさんのご予約を頂いていた中、大変残念に思っております。また、すべてのお客様をお送りしたあと、改めて館内をまわったんでけれど、もう自力では再建不可能ではないかと思われる被害の状況を見て愕然としております。
ただ、北陸には安全の確認できる温泉地・観光地もございますし、そういったところにまで風評被害が及ぶことはあって欲しくないと強く思っています。







第32回美女コン(令和6年能登半島地震) 2024年1月3日(水)

西野真理の第32回美女コンにリモート参加くださったピアニストの皆様へのお礼を兼ねたブログです。

おかげさまで先ほど第32回美女コン、無事終了しました。

2024年1月1日の午後4時10分、まさかの揺れが石川県の志賀町を中心に襲いました。私の住む石川県かほく市も経験したことのない揺れではありましたが、幸い我が家では体にも家屋等にも被害はありませんでした。しばらく断水で不便ではありましたが、それも本日の午前中には解消。昨夜は入浴できなかったので、美女コン前にはシャワーを浴びることもできました。

現在、かほく市内でも未だ断水の地区があり、被害の大きな地域はニュースでご存じのとおりです。そんな中、コンサートの開催をどうするか考えました。

物理的には、
・会場である本町コミュニティセンターのトイレが断水のため使えない
・一時避難所に指定されている建物なので、万一また大きな揺れがあるとコンサートどころではない

精神的には
・こんな時に歌っていていいのか?
・こんな時にお客様に歌を聞くという選択肢はあるのか?

物理面では自宅のレッスン室に会場変更することで解決。

あとは精神面ですが「無観客でも開催し、その後YouTube発信」を決断し、1月2日のブログに「西野真理自宅開催 予約締め切り1月2日 午後6時まで」とアップしました。当然のようにどなたからもご予約はありませんでした。

そしてコンサート当日朝、6:52。いつも来てくださっている田中陽子さんから、こんなメールを頂きました。
(文章中で陽子さんが西野真理を「先生」と書いていらっしゃるのは、彼女は私が中学校の新任教師の時お教えした生徒さんだからです)

先生

朝から失礼いたします
今日の美女コン
もう締め切りましたか…

この地震により、
実家の屋根瓦が落ち、
今日の雨に備え、昨日はブルーシートさがし。
川北のホームセンターでやっと手に入れ、
応急処置を夫と同級生のMくんに
してもらいました。
両親は、我が家へ来てもらい、
せまい断水中の家に大人4人
静かにおります。

夫の実家は、あの志賀町で…
窓ガラスも壁も一気に崩れ落ちてしまい
住める状態ではないそうで…
義母、義兄、義弟は避難所にいます。

そんなこんなで、
途方に暮れたり、泣きたくなったり、
笑って話すなんてできない…
血圧があがってるのか
頭は痛くなるし、
もはや目眩なのか地震なのか
わからないくらいです

美女コン、ないんだろうな…
そう思って、先程ブログを見ました。
あら!先生宅で!

こんなメンタルだからこそ、
1時間だけでも
音楽に満たされていたい…

もし可能ならば、
お伺いしてもいいかしら。
もちろん、当日なので…
無理はもうしません。
もしよろしければ…
ぜひともよろしくお願い申し上げます。

このメールで「有観客開催」決定。陽子さんと1対1のコンサートを妄想していた時、いつも来てくださる高瀬さんからご来場のお電話。そして開会10分ほど前には、以前老人会のボランティアコンサートにお声かけくださったOさんが、そして開会10分後には老人会の方がお孫さんと一緒に。まさかの5人のお客様+母。
(高瀬さんは断水で困っているだろうと、ポリタンク5本分の水をお持ちくださいました。しかし我が家の断水は解消されていたので、今も断水中の田中陽子さん宅へポリタンクは貰われることになりました)

狭いレッスン室の中で楽しくコンサートは進み、私の作詞・作曲の「防災の歌」も歌っていただきました。(世界初演)メールを下さった陽子さんも、あの時間だけでも音楽に満たされた気持ちになってくださっていると嬉しいです。

























コンサートを終えて改めて思ったのは、
「ピアニストの皆さまにカラピアノをお願いできていなければ、おそらく今日のコンサートは中止になっていた」
ということです。アカペラという方法もありますが(実際そういうことをしたこともありますが)、元々アカペラの曲でない限り音楽の完成度が違いすぎます。皆様にはいつも完成された作品を送っていただいて、感謝の言葉が見つかりません。こんな例えも失礼ですが、私が自分でピアノを録音する時、自作の「防災の歌」なんて「ほぼコード弾き」の短い曲であるにも関わらず録音に2時間位かかっています。皆様の技術にはただ頭が下がります。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

<ブログ後記>
今日の自宅コンサートで良かったこと。
「レッスン室がとてもきれいになった」





第32回美女コン自宅開催(令和6年能登半島地震) 2024年1月3日(水)

昨日のお知らせの通り、第32回美女コンを西野真理自宅で本日13:40から開催いたします。
無観客でも頑張る・・・と意気込んでいたところに、いつも美女コンを応援してくださる陽子さんからメール。
彼女のご実家は瓦が落ち、最も被害の大きかった志賀町にお住まいの義両親のお宅は住める状態ではなくなり避難所へ。御本人も精神的に相当なダメージ・・・
という内容。きっと「今回は失礼します」ということだと思いながら読み進めたところ
「~こんなメンタルだからこそ1時間でも音楽に満たされていたい~」
すぐに
「どうぞおいでくださいませ」
と返信しました。

以前の東北地震のとき、多くのミュージシャンが
「音楽に一体何ができるのだろう」
という内容を発信していらっしゃいましたが、先ほどの陽子さんからメールにその答えの一つを見いだせたようで、コンサート前、ますます気分が上がってきました。
さあ、発声練習しなくちゃ・・・いや、その前に部屋の片付け!!!






断水とFM緊急放送(令和6年能登半島地震) 2024年1月2日(火)

一つ前のブログは1月2日の10時半まで。
このブログはその後の一日の模様です。

断水が始まりました。
習慣とは恐ろしいもので、トイレの水をちゃんと汲み置き水で流しているのに、手洗い場で手を洗おうとしてしまいます。

そうこうしているうちにお昼。
なんとなくFMかほくのYouTubeを見てみると、三賀日の生放送はお休みのはずなのに、代表者の新江さんが地震関連の生放送をされているではありませんか。
私はすぐに新江さんに
「なにかお役に立てることがあれば教えてください」
とメールしました。
するとその後新江さんからお電話をいただき、私も15時から
「令和6年能登半島地震緊急生放送」
をすることになりました。
恥ずかしながら報道の末端にいると考えている私にとって、これはとても光栄なことです。
話の内容は
・かほく市のホームページから断水関係の情報
・津幡町ホームページから断水関係の情報
・内灘町ホームページから通行止のお知らせ
・地震の被害の大きかった地域にお住まいのFMかほくパーソナリティのお二人にお電話し、生インタビュー
珍しく原稿なしの一発勝負でしたが、インタビューを受けてくださったお二人
☆権谷達哉さん 月~金 深夜12時から早朝6時 「SOMETHING FOR YOU」担当
☆桜鱗さん 金曜日 9時 「白黒花火」担当
もとても上手に答えてくださって、それなりに上手くできたように思います。

そうそう、13:50には教育界の師匠・野口芳宏先生からもお見舞いのお電話を頂いて、とても嬉しくなりました。

家に帰ると、本町町会長の彼が、井戸水を提供してくださる方の情報を回覧板で回したいということでその通信作り。こういうことが大好きで本当に良かった。


夕飯は鍋。食器はお祭りで使うような薄い発泡スチロール。
その後、母の家に飲料水とトイレ用の水を運び今日の仕事はこれで終わり・・・と思いましたが、明日は美女コン。
18時までにどなたもお申し込みがなかったので自宅で無観客開催決定です。
しかし、万一どなたかフラッと来られたら!現在ピアノ部屋は人様をお通しできる状態ではありません。
片付けます!

明日は断水が解消し、人生初の無観客コンサート大成功の予感。


令和6年能登半島地震と明日の美女コン開催について 2024年1月2日(火)

メール、ライン、facebook 等でお見舞い、ご心配いただいた皆様ありがとうございます。2024年1月1日16時10分、石川県は全域で大きな地震に見舞われ、特に志賀町では震度7の大地震。
幸い志賀町にある志賀原子力発電所に被害はありませんでしたが、輪島では現在も火災が続いています。「永井豪記念館」も焼失してしまったそうです。











西野真理個人につきましてはおかげさまで自身も家族も家屋にも被害はなくホッとしています。
しかし、最も大きな揺れのあとも余震が続き、昨晩は気づいたものだけで3回。朝になってからも有感地震が何度か。
1月2日10時現在、断水です。

ではまず、第32回美女コン開催について。
開催します。ただし、西野真理自宅開催
ご来場希望の方は何らかの方法で
本日夕方6時までに西野真理に直接ご連絡ください。
(2024年1月2日)
つまり、このブログをご覧になるようなマニアな西野真理ファンの方だけとなります。
そんな方が10人もいらっしゃるとはまず考えられませんし、ご連絡くださった方の中で、今までの知り合いでも何でもない怪しい方の場合はきっぱりお断りしますので、本当にいらっしゃる方はどうぞご安心ください。
もしどなたからもご連絡をいただかなかった場合も、無観客でコンサートを開催し、YouTubeにアップします(部分的になるかもしれませんが)。

<自宅開催の理由>
・開催予定だった本町コミュニティセンターは一時避難場所になっており、万一コンサート中に地震が発生した場合コンサートどころではない
・仮に地震が発生しなくても断水が継続している可能性が大きく、トイレを使用できない
・現在地域中にパトカー、救急車、ヘリコプターの音が常に響いている。家のレッスン室なら防音されていて、それなりに気にならない
・「第32回美女コンを開催した」という事実を残したい

<地震発生から1月2日10時までの振り返り>
2024年1月1日 16:10
地震発生、テーブルの下に隠れる。あとでニュースを見るとその時の映像が「視聴者提供」として多く流れていたが、とても「録画しよう」なんて考える余裕はない、人生一大きな揺れだった。
16:18
母に電話をし、迎えに行く
家の前の地下道入口の道路が盛り上がり、地下道の中は水道管が壊れている様子
















16:30頃
町会長をしていることもあり、一時避難場所に指定されている本町コミュニティセンターへ。その道々地域の方と声を掛け合う

それから21時ころまで
<本町コミュニティセンター内>(避難という意味での来場者は10人ほど)
・まずトイレの封鎖(トイレに「使用禁止」の紙を貼る)
 これは防災士の勉強のときある意味1番頭に残っていたこと。「トイレの水が流れなくなってトイレを使用すると大変なことになるから、真っ先にトイレを封鎖しなさい」と。
・椅子を出しテレビをつける(皆さん協力して)
・様子見に来た人たちに長期保存水を配る
・センター隣のお宅は井戸水が使えるため、そのお宅から井戸水をバケツに汲ませてもらって、汲み水でトイレが使えるようになる
・Nさんもわざわざセンターに来て「うちは井戸が使えるから困ってる人はどうぞ」と
・子どもたちは暇そうなのでペタンクにお誘い















・本当に避難する人は小学校へ、それ以外の人は自宅へ戻られて、わたしたちも家へ

<その後>
彼の車で町内を回ってみると、大きな被害はありませんでしたが、灯籠が倒れていたり地面にヒビが入っていたり。
母は我が家に泊まってもらおうと思ってましたが、帰りたそうですし一応水が出るようなので母を自宅へ送りました。しかしやはり断水だと言うので、(その時我が家はまだ水が出たので)洗濯物を入れるかごにビニール袋を被せ、バケツ代わりにしてトイレ用の水として持っていきました。

<1月2日 朝から10:30まで>
昨夜から何度も余震。これを書いている間も「あれ?揺れてる?」程度の揺れが何度か。
テレビ画面では輪島、珠洲、志賀の大変な様子が映し出されています。

公民館などに朝から顔を出しに行っている彼から「スマホに連絡が来て、断水になるらしいから水貯めといて」。その情報が地域福祉協議会。?。この情報正しいの?防災資格試験の勉強のときも、「情報はその出どころを確かめて」と書かれていましたし、出どころが「地域福祉協議会」というのも少々疑問があります。
その後情報は錯綜し、結局断水。
皆さん、情報はその出処を確かめて、自分自身もあやふやな情報を発信しないようにしましょう。

10:18 緊急地震速報 震度3 まあまあの揺れ

今後のことはまた日を追ってブログに掲載します。

非常用に配布された水















トイレ用に汲み置きした水







新年のご挨拶と新年早々まさかの返品 2024年1月1日(月)

皆様あけましておめでとうございます。
文字のご挨拶にかえまして、YouTube動画をどうぞ。

さて、新年早々、宅配業者さんがネット注文した品物を届けてくださいました。
海外通販サイトの「T◯◯◯」で注文した2品。
白のキャスケッドと玄関リースです。
すぐに開封すると、キャスケッドはまあこんなもの。
一方玄関リースは半透明のビニールの上からでも
「これはないな」
とわかる安っぽさです。

安っぽいというのはもちろん元々安いものを買ったのですから当然ではありますが、サイト上の写真と違いすぎます。
でもこのネットショップ、返品をさせてくれると書いてあったので、ちょっと面倒ですが返品してみることにしました。


「T◯◯◯」のページを見つると、とても親切に返品までのやり方が示されていて、そのとおりにやると、大した手間もなく簡単にスムーズに進みました。
そしていよいよ最後のところに
「返品理由」
を入力するのですが、そこには私の返品理由である
「画像と商品があまりに違っていたため」
という選択肢がありません。
仕方なく
「間違って購入した」
を選択したところ、間違った理由を文章で入力するよう指示されたので、これ幸いと
「サイト上の写真の印象と届いた商品があまりに違っていたため」
と入力し、返金方法を支払ったクレジットカードへと指定し送信をクリックしました。
「さあ、あとは明日にでも郵便局に行って返品しよう」
と考える間もないほど即座に返信があり
「返品の必要はありません。商品はそのままお使いください。返金はお支払いのクレジットカードです」
と表示されました。
「え?!これで終わり?」
かなり驚きました。
本当に返さなくて良くて返金もされるのでしょうか?
本当にクレジットカードに返金されていたら、またブログでご報告しますね。
・・・と、今一度「T◯◯◯」の私のページを見ると
(↓サイトの文字をそのまま貼り付けました)

お客様が返品を依頼された 1 商品 について、返金させていただきました。商品を返品いただく必要はありませんので、返品ラベルは発行されません。




来年1月のSing幾多郎 2023年12月30日(土)

 2023年も終わりに近づいてきました。
12月31日のSing幾多郎が165回目。
来年初は1月3日(水)の第32回美女コンからスタートして














Sing幾多郎は6日(土)に166回目でのスタートです。
皆様良いお年を、そして来年もよろしくお願いします。

20241月の予定(12月30日現在)

◯が開催日 

 

 

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ドラッグストアーで 2023年12月28日(木)

ドラッグストアーで買い物中に懐かしい人に会いました。
諸江真一さんです。(実名使用許可いただきました)

諸江さんとは津幡町立津幡南中学校でご一緒しました。
↓あの頃の写真











諸江さんがサッカー部顧問で私が名ばかり副顧問。
簡単に書けば
「普段の練習には全く関わらず、試合の時だけ引率補助」
みたいな大変気楽な身分でご一緒させていただいていました。
40歳前後のことです。

まずは、2002年に書いたエッセイをお読みください。
(ブログとは文体が違います)

<サッカ-部副顧問>
2001年4月から、私はサッカ-部副顧問になった。
以前は合唱部の顧問をしていたが、津幡南中に来てからは合唱部もなく、美術部と科学部の副顧問という大変楽な立場にいさせてもらっていた。しかしこの年から、教員数と部活動数のバランスで、文化部に副顧問を付けられる状況ではないと判断され、私のようなものは、とにかく運動部の副顧問として配置されることになった。

私のような立場の人はほかにも何人かいて、それを考える役のかっちゃんは、だれをどの部へ配置するか頭を悩ませていた。彼が頭を抱えているときにちょうど通り掛かった私に彼は
「西野さん、どこかの運動部の副顧問してもらいたいんですけど、どこがいいですか」
と、親切に聞いてくれた。私は頭をフル回転させてこう言った。
「サッカ-部にしようかな」

サッカ-部顧問の諸江さんは、もうちょっとでJリ-ガ-だったっかもしれないという社会の先生。国体がらみのチ-ムや、県代表選手を集めたチ-ムの監督なども勤めている。私の5歳年下だが、優しく誠実で職員はもちろん、生徒や保護者からの信頼も厚い。当然、サッカ-部への力の入れ方は半端でなく、フェアプレイをモット-とするサッカ-そのものの指導はもちろん、礼儀作法も徹底的に指導し、また、生徒も彼を信頼しその教えに従うため南中学校のサッカ-部はどこへ行っても評判が良い。
そんな部の副顧問ならきっと楽だろう。第一、サッカ-のル-ルさえ知らない私に諸江さんがあれこれ頼むはずもない。

間違いだった。
..........というより、私の読みが浅かった。
彼は忙しいのだ。私が職員室で彼を見ているときも彼は忙しそうだ。しかし、サッカ-がらみとなるとさらに忙しい。同じ日に中学校のチ-ムと県のチ-ムを掛け持ちしていることはザラ。そういう時には私でもいないよりはましなのである。一応責任者として副顧問を置いておき、彼は別の会場へ移動して、また終わる頃に帰ってくる。

そういうわけで、超素人の私がサッカ-の試合でベンチに座ることになってしまった。私は日焼け対策のため銀行強盗のような格好をしていた。そんな私に彼はこう言い残して風のように去っていった。
「西野先生にお任せします。選手の交代も。何なら、声をださない奴とか、かえて構いませんから」
試合が始まった。
「どっちに攻めてるんだろう?」
それすらよく判らなかった。それでも私は諸江さんから言われた
「声をださない奴をかえる」
という一点に集中した。

サッカ-場は広いが、幸い私は目も耳もいい方なので一生懸命観ていると、3人、声をほとんどださない選手が見えて来た。前半が終わって、選手が私の周りに集まって来たので私は
「えっと、あなたとあなたとあなた、声出してないから交代」
後半、その3人は引っ込み、別の3人が入った。
その日試合後のミ-ティングの時、交代させられてた3人は半泣きだったという。しかも、よくよく聞いてみると、諸江さんが私に言った
「声出さない奴は交代」
というのは、冗談だったらしい。素人に冗談は通じないのだ。
が、怪我の功名というか、その後その3人は、とても良く声を出すようになった。

さて、副顧問暦2か月で、少しずつ諸江さんの言葉の意味が理解できるようになって来た。
・「〇〇お願いできますか?」「○○をして頂けませんか?」
  →○○をしなさい。

・「もしよかったら○○して頂けますか?」
  →○○をしてもらわないとかなり困る。

・「ご都合良ければお願いできますか?」
  →よほどの事情がない限り来い。

・「○○覚えてもらうと楽しいんですけど」
  →つべこべ言わずにさっさと覚えろ。

・「お願いします」
  →あなたの責任です。

・「無理しないでください」
  →出来ればやってもらうにこしたことはない。

・「今度○○があるんですよねえ」
  →○○には、あなたにも来てもらわないと困る。

まだ2か月なのでこれくらいしか理解できないが、これ以上理解しないでおこうと考えている・・・

(ブログに戻ります)
私の記憶だけを頼りに諸江さんのことを書いてみますと
・大学時代サッカーで日本一に
・中学校社会科教師として勤務する一方、サッカー部顧問として活躍
・津幡南中学校では県大会優勝、北信越大会へ
その頃から諸江さんは高校のサッカー部顧問としてやってみたいという気持ちがあり、まずはその夢をかなえて高校へ転勤。その後公立高校を51歳で早期退職して、金沢学院大学へ。
現在はその大学に最近できた附属中学校で教えながら、高校や大学のサッカー部にも関わっていらっしゃるようです。

そんな諸江さんとドラッグストアーでばったり。
普段まずこんなところには来ないであろう諸江さんですが
「年に一度の両親との食事会の帰り」
ということで、スポーツウエアーでも背広でもない諸江さんを見たのは初めてだったかも。
ドラッグストアーのお醤油売り場の前での立ち話は特別な内容ではありませんでしたが、懐かしいひとときが頭にどんどん浮かんでくる楽しいひと時でした。
頭に浮かんできたことを書いてみましょう。

・暴風のグランドでサッカーの試合を「監督」という肩書で見て、でも砂で目が開けられずそのうちうたた寝してしまった
・灼熱のサッカー場で、それでも日焼けが嫌なので、全身すっぽり包んだ格好でベンチ入りしていた
・サッカー部の副顧問時代はちょうどコンクールをたくさん受けていたときで、こっそり耳にイヤホンを突っ込んで、試合を見ながら歌の暗譜をしていた
・ある試合の時、諸江さんは風邪のため声が出ず、声を出せば出すほどますます出なくなって、試合中の指示を私が代弁した日があった

諸江さんはまだ現役教師。
これからも元気に頑張って欲しいです。

人生初ビッグマック 2023年12月27日(水)

ずっと食べてみたいと思っていたのです。
マクドナルドのビッグマック。
現在61歳と10ヶ月。遅くなればなるほど完食できなくなる可能性がありますから、1日でも早く食べておかなくてはと還暦を過ぎた頃から思っていました。
本日、実行します。

お昼すぎ、かほくイオンのマクドナルドへ。
心配したのは次の2点
①量が多くて食べきれないのではないか
②美味しくないのではないか

でも、心配している場合ではありません。早くしないとどんどん胃が年を取ります。
450円で購入しテイクアウトして来ました。
おめでたいので、彼がクリスマスに買ってきてくれたお花の上に乗せて写真を撮ってあげましょう。















では食べます!














心配した2点について
①え?これだけ?この倍は食べれます。この倍の量の「倍ビッグマック650円」というのもあるらしいので、次はそれを食べてみようかな
②美味しくてたまらないというものではありませんが、期待値を下げていた分美味しく感じました

還暦を過ぎてビッグマックを食べても大丈夫です!






Sing幾多郎、今年中に3回開催、新春美女コンは1月3日 2023年12月26日(火)

Sing幾多郎、今年中に3回開催します。
12月27日(水)30日(土)31日(日)
歌って今年を締めくくりましょう。

第32回美女コンは2024年1月3日(水)13:40です。
楽しい新年は美女コンから。






ライフハック 2023年12月24日(日)

年末大掃除のシーズン(・・・西野真理の場合大掃除はお天気の良いゴールデンウイーク)、YouTubeの2チャンネル有益スレッドのまとめから、西野真理の気に入ったライフハックをご紹介します。少しだけ西野真理が自分で編み出したものも付け加えます。

☆は、西野真理はがこのYouTubeで初めて知ったもの

青色は西野真理が自分で編み出したと思っているもの

①赤ちゃん用おしりふきがなにかと使える☆

 ・アルコールが殆ど入ってないので肌に優しい

 ・フローリングの床拭き

 ・口周りでもテーブルでも何でも拭ける

 ・手荒れもしない

 ・ペットにも安心(ペット用は高いらしく、赤ちゃん用のほうがリーズナブル)

②パンをトースターで焼かず、フライパンや魚焼きロースターで焼く

 ・ベーコンを焼いたあとでパンを焼くと美味しい

③マーボートーフを作る時はひき肉じゃなくて豚こま

④ごぼうの皮むき

 ・空き缶を裏返してごぼうをゴシゴシ。シーチキンでも桃の缶詰でも

⑤消毒用のマキロン☆

 ・衣類に血がついてしまったとき落とすのに使える

⑥ジップロックは何かと使える

 ・透明で見やすいので、小物ポーチとして万能

 ・旅行時の化粧品は全部これ

 ・財布として。ジップロックじゃないけど100均で売っている幅12センチほどの透明で小
  さなファスナーの付いたポーチを私は小銭入れとして使っている

 ・折り畳み傘を入れる☆

 ・最終的には車ドアポケットのゴミ袋として使う

⑦歯間ブラシをメイクの時のマスカラを整える道具として使う☆

⑧頭皮湿疹ができた時は洗顔フォームを泡立てて頭を洗うと良くなる

(皮膚科の先生おすすめ)☆

⑩子供用の水筒のストローの中を洗う時は、アクリル毛糸を使う☆

⑪パソコンを斜めにするためのパソコンスタンドは高いので

 ・ちりとりを反対に向けて使う☆

 ・ドアストッパーを使う☆

⑫時計の入っていた箱をスマホスタンドに。

 ・西野真理の場合アクセサリーの入っていた箱を使っています

 ・大きな洗濯ばさみをスマホスタンドに☆

⑬布団乾燥機をタイマーにして湯たんぽ代わりに

⑭ツナマヨのかわりに鰹節にマヨネーズを混ぜて代用する☆

⑮ペット用のトイレシーツはなにかと使える☆

 ・赤ちゃんのオムツ替え

 ・冷蔵庫の野菜室の下敷き

 ・車でなにかこぼしたとき用に積んでおく

 ・濡らして冷凍しておくと、保冷剤として使える。大きさも調整可能

⑯もみじおろしのかわりに、おろし大根にラー油を混ぜる☆

⑰冬は麻婆茄子じゃなくて麻婆大根が美味しい☆

⑱ポットや水筒をきれいにするとき、ポット洗浄剤のかわりに、入れ歯洗浄剤を使える。一緒にシルバーのアクセサルーも入れるときれいになる☆

⑲頭皮の臭いが気になる時は、化粧落とし用のクレンジングオイルで頭皮をマッサージしてからシャンプーすると取れる☆

⑳スイートポテトを作るとき、生クリームとか色々買わなくてもバニラアイスを適量入れるといい☆

㉑タコ焼きを作るときキャベツ代わりに玉ねぎも美味しい☆




瑞夢 2023年12月23日(土)

これも(このブログは「加熱靴下」の直後に書いています)Sing幾多郎から帰ると加熱靴下と一緒に届いていました。










高級歌舞伎揚「瑞夢」。
2日前YouTubeでお笑いコンビ「TKO」のショート動画で紹介されていたのです。
「ちょっと高級な感じの歌舞伎揚」
という表現をされていて、
「これは買わなければ!」
と直感し、すぐネット注文。

梱包のダンボールを即座に開け、すぐ食べました。
たしかに今まで食べた歌舞伎揚の高級品です。
ほろっとした歯ごたえと品のいい甘さとお醤油のバランスがベスト。
でも、もう買いません。
これがあると永遠に食べてしまいます。
実はこの1時間以内に6枚食べてしまったのです。(涙)

加熱靴下(Heated Socks) 2023年12月23日(土)

届きました。Heated Socks。














どれくらい前からかわからないくらい前から、冬場は左足先が凍傷になるんじゃないかと思うくらい冷たくて、悩みのタネでした。
靴下を重ね履きしたりカイロを貼ったりはもちろん、レディースクリニックで漢方薬を頂いたりもしましたが効果なし。足先カイロに関してはどうも温まらないのですが、使い方が悪いのでしょうか?
そんな先日ふと思いついてネット検索すると、釣り人や冬山に登る人用に、充電式のヒートソックス発見。これは買うしかないでしょう。

Sing幾多郎を終えて(参加者ゼロですが)帰ってみると、届いていました。
充電はほぼいっぱいの状態。早速履きます!

現在履いたた状態でブログを書いていますが、温かい!
ただ、左足の1番冷えるのは指先。ところが電熱線(?)はもっと足の甲寄りなので、ちょっと靴下の履き方をずらしてみましょう。
いいかも!

温度も4段階に調節できます。
先程は最高温に設定していましたが、ちょっと熱くなってきました。温度を下げましょう。

ああ~幸せ。

豪雪の本日も開催しますSing幾多郎 2023年12月23日(土)

本日2023年12月23日(土)、ここのところ日曜日、水曜日に開催できなかったので、土曜日ですが開催いたします。大雪なのに。
今年いっぱいは土曜日、日曜日、水曜日開催いたします。
今日の会場前

老人会ボランティアコンサート 2023年12月22日(金)

町内老人会からボランティアコンサートの依頼がありました。
もちろん喜んで歌わせていただきますが、心配は唯一つ。お天気です。
冬場万一大雪だと、誰も来てくださらないだろうな~雪じゃなきゃいいな~。

心配が的中し、数日前からこの日を中心に大寒波の予報。
しかし、たとえご来場者がゼロでもお引き受けした以上歌わねばなりません。
前日夕方、彼にも手伝ってもらって会場の宇野気区公民館へ準備に。
おそらく主催者の老人会の方は椅子を並べられるだけだと想像し、家からクリスマスツリーとタペストリーを持っていきました。正解でした。















前夜10時。吹雪始めました。
朝起きるの怖いな~














本日朝の会場前。
この程度で済んでよかった。
とはいえ、お客様は75歳以上の方ばかり。シャーベット状の道路を歩いていらっしゃるのは大変です。ご来場は3人でよしとしましょう。














本番は10時からでしたが極寒の公民館の玄関ホールに少しでも早く暖房を入れておこうと9時に会場入り。6℃の玄関ホール、小さなファンヒーターでは20分経ってやっと10℃。

私の楽屋は会場のドア一つ隔てたところ。
10時、責任者の方が開会のお話を始められました。そして
「西野先生、ご用意よろしいですか?」
「はい、いつでも大丈夫です」
「それではご紹介いたします」
と、これからが長いこと長いこと。
まず私のお渡ししてあったチラシからコンクールのことなど読まれて、それで始まるものだと思ったら
・〇〇さんのお宅のお向かいで~
・△△さんのご親戚~
・ご主人は□□で~
・ご主人のお父様は~
と、個人情報の嵐。プライバシーなど存在しません。
そして一言お話になるたびに、会場の方々でそれにまつわる雑談が始まります。
でも・・・コンサートよりもこういうことを楽しみに来ていらっしゃるのです。細かいことは気にせず、のんびり待つことにしましょう。

10時からコンサートということでしたが、始まったのは10時10分。
「諸人こぞりて」から始めて唱歌を2~3曲歌ったところで、会場の皆さんは歌を聞くより一緒にお歌いになりたいということがわかってきましたので、すぐにモードを切り替えて、一緒に歌い、少々の歌唱指導をさせていただくことにしました。
ずっと歌ったほうが良かったのかもしれませんが、私の感触としてはこれで良かったかなと思っています。

そうそう本日のお客様ですが、なんと15人!
これは私が本町コミュニティセンターで開催している美女コンの最高ご来場者数を抜いています。

コンサートも終わり家に帰ると、そういえば今年はまだクリスマスツリーを出していなかったことを思い出し、コンサート会場に持っていったクリスマスツリーをそのまま飾りました。








「諸人こぞりて」文法構造(一部再掲載) 2023年12月18日(月)

このブログは2022年12月29日のものを一部再掲載しています。

クリスマスが近づくとよく歌われる、ヘンデル作曲「諸人こぞりて」の歌詞の中の「主はきませり」。この文法構造がずっと分からなくて、でもある日、「黒澤先生に聞けばいい!」と思いついて、本当に質問したところ、本当にご回答頂きました。

<黒澤弘光 筑摩書房ホームページより>
1945年群馬県生まれ。東京教育大学文学部、同大学大学院博士課程修了。1973年東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)教諭となり、2008年退職。『現代漢和辞典』(大修館書店)編纂、『広辞林』(三省堂)などの辞書や『日本名歌百選』(音楽之友社)を執筆。












↑黒澤先生はこの本の著者で、福光声楽サマーセミナー(これについては別のブログをどうぞ)のとき「詩の解釈」の講座の講師としてお世話になりました。大変気さくな先生で「なにか質問があればどうぞ」と、講座の受講生に惜しげもなく電話番号・住所を教えて下さいました。

あれからずいぶん時間が経ちましたが、お年賀状をお出ししていたことで、私は勝手に関係が細々続いていると都合よく解釈し、ついに2022年年末にお年賀状をお出しする時、そのことについて書いてみました。
するとそのお返事に質問の答えを書いてくださったので、私が独り占めするのはもったいないと思いブログに書かせていただくことにしました。

~「主はきませり」の構造について 黒澤弘光~
「来(き)」は現代語の「来る」、古語の「来(く)」の連用形です。
「ませ」は 古代から平安時代によく使われた「坐(ま)す」(「いらっしゃる」という意味の動詞ー「あり」ーの尊敬形)から派生した尊敬の補助動詞の已然形(~なされる、お~になる、の意)で、「り」は完了・存続の助動詞。これを訳すと「おいでになった、いらっしゃった」の意で、つまり「主はこの世においでになった(降臨された)」となります。

黒澤先生、ありがとうございました。

そして今日、歌の動画とピアノ伴奏のみの動画の2本をアップしました。







叔母が泉下の客となりました 2023年12月15日(金)

克子叔母が泉下の客となりました。
※泉下の客となるとは
 「泉下」とは黄泉(こうせん・よみ)のこと。「泉下の客となる」とは黄泉の国のもとへ訪れる人になること。
この言葉は4年ほど前、父のときに知り、それ以来使っています。
このブログは15日朝5時半から書き始めました。

<3日間の概要>
2023年12月12日(火)
・6:20  山口県の幸子叔母から電話連絡
・8:30  石川県を出発(彼の運転で、母も連れて。幸子叔母も静岡へ向かう)
・10:00 車内からホテルを予約
・13:30 浜松駅で幸子叔母と合流
・14:30 克子叔母の部屋(施設の方、葬儀社等と話)
・15:30 葬儀社で葬儀打ち合わせ
・18:30 ホテルルートイン浜町駅東
・19:30 夕飯

2023年12月13日(水)
・9:00  ドラッグストアで買い物
・9:30  克子叔母の部屋片付け 
・13:30 コンビニおにぎり等でお昼ごはん
・15:30 葬儀社安置所で湯灌儀式、小さなお葬式等
・17:00 克子叔母の部屋、契約終了
・18:00 夕食

2023年12月14日(木)
・7:00  ホテル出発
・8:30  最後の対面 
・9:30  浜松斎場
・11:00 終了
・12:30 昼食
・13:30 浜松駅へ幸子叔母送る
・19:00 帰宅
 
では詳細に移ります
<2023年12月12日(火)>
~連絡・出発~
12月2,3日は母と3人でコンサート聴きがてら克子叔母に会いに行き、7日に幸子叔母から「克子叔母は食事をとれなくなっているという連絡が施設から入った」との連絡。万一のことを考えて、来週行く予定だった丘村レディースクリニックへ8日に行き、優しい丘村先生に叔母の状態を話すと「そういう状態だと持って4~5日かな・・・」。
10日には「最後のお別れになるかも」との連絡が施設から入り幸子叔母も私達も浜松日帰り。克子叔母の顔色の良さから楽観的な期待を抱いて帰宅し、家族でも「意外に3月くらいまでは大丈夫なんじゃない」なんて話していた12日6:20。熟睡中の枕元の携帯には幸子叔母の名前。
簡単に話を終え、お互い直ちに浜松へ向かうことに。

熟睡中の彼を起こし、母に電話をし、荷造りをし、今日のFM放送を休ませていただけるよう連絡をし、すぐに出発したいところですが、彼は現在町会長。配付物等様々なことを抱えており、それらのことを町内の方にお願いするのに少し時間がかかりましたが、皆さん快く引き受けてくださったお陰で、無事浜松へ向かうことができました。
10日の時点で「最後のお別れになるかも」というドクターのお見立ても、丘村先生の「持って4~5日」もとても正しかったと今、改めて思います。

~ホテル予約~
移動車内で幸子叔母と連絡を取りながらホテルを予約しました。
克子叔母の施設にはビジター用の宿泊施設も整っていて、私達はここに泊まれるものだと安心していたらこの日は満室。
すぐに車内から前回も泊まったルートイン浜松西インターをネット予約をしようとしましがこちらも満室。ちょっと焦りましたがネット検索でルートイン浜松駅東に空室がみつかり予約。しかし私は1泊しかとらず、幸子叔母からも彼からも
「最低2泊は必要でしょ!」
それもそうです。彼は4日は必要だと思っていたようです。
すぐにホテルに電話し2泊にしてもらえないか問い合わせたところ、幸い空きがあり2泊に延長することができました。

ただこのホテル予約、車内からスマホでするのが大変。
東海北陸自動車道はトンネルだらけ。長いものは11kmもあります。トンネルの照明で画面は見にくく手元は滑り、何度も「確定する」まで行ってやり直し。泣きたくなりました。
結局2泊にするために電話したのだし、今後トンネルの多い道路で車内から予約するときは電話にしましょう。

~克子叔母との対面~
徐々に眠る時間が長くなり食が細くなりこの日を迎えたという、まさに老衰の見本(西野真理個人の感想です)。呼べば起きそうです。
施設の方も葬儀社の方もベテランですから、今後必要な事、スケジュール等を上手に伝えてくださって、その後のことはどんどん進んでいきました。
叔母の居住していたお部屋の片付けは明日と決め、この日は一切、手を付けませんでした。

↓2022年10月(お部屋お引越手伝いに行った時の写真)
 引越し前のお部屋
(畳のように見えるのは引越し業者さんが傷防止のために敷いてくださったシート)












 引越し先のお部屋(最期の時を迎えたお部屋)









~葬儀社でのお話~
新型コロナ以降いわゆる「小さなお葬式」「家族葬」が主流(?)とまでは言いませんが、私の町内会もこの1年、すべて「家族だけで」というものでした。
今回の克子叔母も家族葬です。
費用もパンフレットに明記されていて、そこに若干のオプションを付ける方法で、その点もスムーズに進んでいきました。

オプションとして付けたのは「湯灌」。これは20年以上前、祖父(克子叔母の父)のとき、それを取り仕切った克子叔母が
「おじいちゃんに湯灌をしてあげてとても良かった。おじいちゃんがとても気持ち良さそうに見えた」
と話してくれたことをよく覚えていましたし、父のときもそうでしたので、是非叔母にもしてあげたいと思ったからです。
費用は6万円。祖父のとき確か4万円と聞いた気がするので、意外に値上がりしてないなと思ったりしていました。

お花を2万円で付けることにもしたのですが、こちらはその後のお話で克子叔母の入居施設の方が出して下さると聞き、キャンセルしました。

「火葬場はとても混んでいて、明日は一杯。明後日は朝9時半からだけまだ空いているので予約するならすぐに」
と葬儀社の方から教えていただき、その場で14日の朝9時半に決めました。
後でわかったことですが、この決断は正解。翌日は片付けの日として確保できましたし、もしここで決めなかったら火葬場は17日まで取れなかったそうです。

~YouTubeから~
安置所で克子叔母と対面しながら、本当は自分で歌を歌えばよかったのですが無理です。
そこでYouTubeにアップしてあった
「いのちの歌」「涙そうそう」「千の風になって」
を流しながらお別れのひとときを過ごしました。
YouTubeをやっていて良かった、と思いました。















~夕飯~
その後ホテルへ向かいホテルのレストランで夕飯をと思っていましたが、こちらのホテルのレストランは朝食専用で夕飯の時間は閉店。少々疲れてはいましたが、せっかく浜松なのでうなぎでもと、ホテルに置いてあったパンフレットから1つを選びそこへ向かうとお休み。ちゃんと見ればそう書いてあったのですが。
しかたなくその近くにあったお蕎麦屋さんで夕飯を食べました。ここがとても美味しくて、精進料理としてもちょうどよかったかもしれません・・・精進ではありませんね。(天竜そばニュー藤屋)













<2023年12月13日(水)>
片付け日です。
幸子叔母と母には書類や写真に目を通してもらい、私と彼で車で持ち帰るか送るかするものを車に積んだり箱に詰めたり。それほど大きな部屋でもなく、大変几帳面な叔母でもあり、また必要でないものはそのまま全て業者さんに処分を委託ということにしてありましたので、とても楽・・・なはずですが、それでもかなり大変です。
また、もったいないとは思うものの、私も母も幸子叔母も必要ではないし、家に持ち帰っても置く場所はありませんので「それらを捨てる」という精神的な苦痛もありました。

それでもがんばって持ち帰ることにしたのは
・BOSEのCDデッキ(母の家へ)















・スリムなコートかけ
















・お裁縫箱と小さな置物















・テレビ 書棚 時計 クラシックのCD アクセサリー




・小さな万華鏡(彼が素敵だと言ったので)











・祖父の家にあった古文書をどこかに寄付したときもらったというお皿
以前このお皿で克子叔母の作ってくれたパスタを食べたような・・・












・その他細々
 サーキュレーター  ヘッドフォン 小さなポーチ 木のお盆
 非常用ランタン ノミ レモンジュース 虫眼鏡

~父の切手~
帰りの車内を少しでも空けるために、送れるものは送ってしまうことにしました。
そこで登場するのが生前父が集めていた大量の切手です。現在切手は余程珍しいものでない限りいわゆる「希少価値」的な意味は無く、切手として使うのがベスト。ゆうパックの料金は切手で払うことができるので、こんな事もあろうかと切手を持ってきていました。
その切手を5000円分ほど使って我が家と幸子叔母へ荷物を送りました。
天国の父にお礼を言っておきましょう。

~コンビニMINISTOP~
石川県にはありません。(私の知る限り)
以前から「MINISTOPのソフトクリームは美味しい」と聞いていたので、ゆうパックを送った帰りに買ってみました。確かになかなか美味しく作ってあります。
ここで母と叔母におにぎりを買い、克子叔母の部屋で遅めのお昼ごはん。

~湯灌式~
15:30湯灌式のために葬儀社へ。
若い納棺師お二人で丁寧に湯灌してくださいました。
「湯灌式」というものが昔からあったとは思いませんし、実際、祖父や父のときは「式」という形にはなっていませんでした。この葬儀社さんが上手くこのような形を整えられたのでしょう。なかなか素敵な演出だと思いました。(静岡県・家族葬のタクセルさん)

湯灌のとき気づいたことが一つ。
私達が最初に到着して克子叔母の部屋に行ったとき、克子叔母の顔がとてもきれいだったので、施設の人がお化粧をしてくださったものと思いこんでいました。
ところが湯灌のとき
「このあとお化粧をするのでお顔を少し剃りますね」
と、納棺師の方が剃刀を顔に当てられたのですが、顔色が全く変わりません。
「あれ?お化粧してなかったんですね」
「はい、これからです」
89歳であの肌の美しさ。なんて羨ましい。
ただ、指の爪はどうしても紫色に変色が進んでいましたので、納棺のときにはマニキュアを塗ってきれいな色にしてくださっていました。

~契約終了~
再び施設へ戻り、克子叔母の部屋の片付けはこれで終わりであることを確認し、いよいよ契約終了です。
克子叔母は80歳で入居し15年の契約をしていました。9年しか居られませんでしたので、納入金は日割りで返還されます。そのあたりのことはビジネスとしてきちんとしていますし、それらの手続きは幸子叔母にすべて託されていましたが、そのようなことも克子叔母はきちんと書き残してくれていました。
また部屋に残ったものの片付け費用は、このあと業者さんに見積もりを出していただきましたが、なんとか10万円以内に収まってホッとしました。

この最後の片付けに関してですが、身内がどなたもいらっしゃらない方はどうするのだろう?と思っていたところ、そういう方の場合も契約設定があり
「後片付け、役所関係・法律的なこと、お墓等全部やってもらうことになると約300万円」
だそうです!

この施設に来ることはもう2度とないでしょう。
今までありがとうございました。












~ネコの配膳~
夕飯は道沿いにあったガストへ。
そう言えばTVで見たっけ、配膳のネコロボット。
これを使えば人件費も削減できるし、人手不足もかなり解消されそうです。

<2023年12月14日(木)>
7:10ホテルを出発。葬儀社には8:30までに行けば良いのですが、かなり混雑する道なので早めに出ることにしました。8時前には着いてしましましたが遅れるより安心です。

8時半、最後のお別れ。火葬場でもう蓋は開けられません。
克子叔母の顔の周りにお花を並べました。
12月2日に会いに来たとき、母がお誕生日プレゼントにと小さな造花のアレンジメントフラワーを持って行っていたので、それも飾りました。

9:00、黒いベンツで出発。助手席には幸子叔母が乗りました。
9:20、浜松斎場に着きました。2年前大阪で火葬した叔父の時は、火葬場の炉が20基もあってびっくりしたのですが、こちらは7基でした。火葬料金ですが、市民は無料。何かの都合で市民以外の方が使用する場合は4万2000円です。
10:45、お骨を骨壷に入れ、こちらでのことはおそらくほぼ終わりのはずです。




幸子叔母は15:53の新幹線を予約していましたので、みんなで少し観光でもということになり浜松城に行ってみました。幸いすぐ側の美術館が休館日だったので車を停めることができて、お城を近くで見ました。小さな可愛いお城でした。
石垣が少し変わっていて、自然石っぽいっものが普通見るものより隙間多く積んであります。足をかければ誰でも簡単に登れそうに見えました。実際ネコが登っていました。
















~ロイヤルホスト~
何十年ぶりかにロイヤルホストに行きました。
美味しくて驚きました。(私は野菜カレー)

~帰途~
ごく順調に石川県まで帰りました。
一つだけ違ったのは、帰りの2時間半、私が運転したことと、私が運転中にどこからか小石(かな?)が飛んできて、フロントガラスにヒビが入ったくらいかな。とは言え結構危険な感じの「ピシッ!」という音がしてヒヤッとしました。

12月の浜松3往復、彼には本当に感謝の気持でいっぱいです。
91歳の母は、この全日程よく同行できたものと感心します。
すべての手続を託されていた幸子叔母。姉妹の中で一番若いとは言え81歳。よく頑張ったと思います。自分がこの年でこんな事ができるだろうかと幸子叔母をとても尊敬します。

<2023年12月15日(金)>
きっと9時頃まで寝ているのだろうと思っていたら、5時半に目が覚め、ブログを書き始めました。怒涛の3日間で、いつ何があったのかよく思いだせない部分もあったのですが、その際役立ったのは、「auペイ」のお支払明細とスマホの通信記録でした。

さて、現在我が家のピアノ部屋は、物置き小屋と化しています。

<追記>
2023年12月16日(土)朝です。
私は「5年日記」を付けていて、ここ数日分をまとめて書いていた先程気付いたことを一つ。
この日記の各日の下には、その日生まれた有名人が書かれています。
克子叔母のお棺の中に、家族写真と叔母が好きでずっと飾ってあったムンクの版画「桟橋の少女たち」を入れたのですが、叔母が泉下の客となった日はムンクのお誕生日でした。


























西野真理の色々なお話

秋祭り動画編集、MTS形式の動画から音声をMP3に変換したいけど…青い鳥はすぐそこに 2025年9月15日(月)

本日のブログは、 ・わかる人はくだらなすぎて読む気がしない ・わからない人には全く分からない という、これをお役立ていただける人はほぼいらっしゃらない、ある意味悲しいブログです。でも、 「西野真理、こんなに苦労したんですよ」 ということをアピールする超自己満足な内容となっています...