それは
「関定子喜寿を祝っての連続コンサート 富山リラの会」
翌日、かほく市健康診断から帰ってきたお昼すぎのことでした。
チューリップの球根を植えようと着替えていたときに玄関のチャイムが鳴り、そこには本町町会役員のYさんが立っていらっしゃいました。後で分かることですが、Yさんは元学校の教員。しかも私は、Yさんと同じ学校で勤務したこともあったのです。しかし、近所にお住まいなのに普段お会いすることは全く無いまま20年ほどが経過していて、私はその事に気づかないまま話し始めました。
Yさんは
「何の要件だかおわかりでしょう?」
「何の要件だかおわかりでしょう?」
と話し始められましたが、全くわかりません。それでも頭をかすめたのは、現在開催している「Sing幾多郎」で本町コミュニティセンターを町民割引で貸していただいているけれど、それを値上げしたいってことかな?とちらっと思いました。
Yさんはすぐに要件を話し始められました。要約すると
「次期本町町会長に誰を出すか決めなくてはならない。今のOさんの2年任期は今年度で終わり。本町には16班まであるけれど、町会長を出すローテーションが来年度から2年はこの10.11班から。色々当たっているけれどなかなか難しいので、ローテーションを5.6班に交代してもらえないかと打診したが断られた。それでとりあえず役員で集まって、候補を西野さんを含む5人にまで絞って当たることにした。西野さんの旦那さんに聞いてもらえないか」
Yさんは候補者のお宅を回っていらっしゃったようですが、我が家以外は全部お留守で、ここが初めてのアタックのようでした。
「わかりました。彼に言ってみますが、もし彼がやりたくないと言ったら私がやります。私が教員になったのは『男女雇用機会均等法施行元年』です。女性もやればいいんです。職場関係で以前ちょっと大きな役をやったこともありますが、誰かがやらなくちゃいけないのですから、やればいいです。誰かがやることで道がひらけます」
私がこう言うと、Yさんは涙を流されました。今日までよほど嫌な思いをされてきたのでしょう。
「ずいぶんつらい思いをされたんですね。これから色々当たられて、もし誰もやる方がいらっしゃらなかったら私がやりますので安心してください。ただ、こういうことを色々な方に当たるときに、『町会長になったらこんな会議がある』とか、『こういう行事をやらなきゃいけない』みたいな年間の一覧表があってそれを見せてもらえると引き受ける方もわかりやすいですよね。それを作っておけば、その次の町会長決めのときも使えますから。私も役を引き受けたとき、その都度やったことを記録しておいて『会議の回数』『会議に出る時間』などを表にしてお渡しした経験があります」
「あれ?この人、昔職場でご一緒していたYさん!」
と気づきました。それまで私はこのYさんを初対面の人だと思って喋っていたのです。
言い訳をしますと、同じ職場にいたとは言え、その頃とは髪型も体型もずいぶん違いますし、その頃は確か黒縁のメガネを掛けていらっしゃいましたが、この日は裸眼。
しかし、今気づいたことなど微塵も出さず会話を続け、Yさんとのお話を終えました。
最後にYさんは
「このことはまだしばらく誰にも言わないでください」
と話を終えられました。
ここでチャンスを逃す西野真理ではありません。11月19日の美女コンのチラシをYさんに渡しました。少々の恩義を感じざるを得なくなっているYさんは
「親戚にも渡します。女房と行こうかな。もしかするとこの日は運転免許の高齢者講習があったような・・・」
と、チラシを10枚ほどお持ちくださってお帰りになりました。
さあ、これからどうなるでしょう。
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