関定子喜寿を祝っての連続コンサート その1 奇跡のオペラ歌手関定子77年の軌跡  2022年10月4日

現在(2022年10月4日お昼すぎ)東京行き新幹線車内です。こうしてロジクールウルトラマイクロキーボードで文章を書くのも久しぶり。仕事をしていたときなど、よく持ち歩いていましたし、こういう時間を使わないともったいなかったのですが、今はすっかりリビングのパソコン前が私の定位置になっています。

表題の「関定子喜寿を祝っての連続コンサート」とは?
この表題だけでのなんご説明も必要ないくらいですね。説明しなければならないのは「連続」の部分でしょうか?
でも、このブログをなんの知識もなく初めてお読みの方がいらっしゃるかもしれないですし、まずは「奇跡のオペラ歌手関定子77年の奇跡」として、西野真理の理解・聞きかじり(こんな風に聞いた気がする)の範囲で書くことにします。

関定子先生は北海道生まれ。
小さい頃から歌が上手く特に美空ひばりはお得意だったそうです。
高校時代、合唱部の先生から「いい声ね、オペラ歌手になればいいのに」と言われ「オペラ歌手っていいかも」と歌の道へ。
きっと頭脳も明晰でいらしたのでしょう(なぜそう思うかというと、何かの会話の中で「数3までやった」と仰っていたので。私は数2Bまでしかやっていないですし、理解しているのは小4までです)北海道教育大学をご卒業。
でも、もっと専門的に歌をやりたいと、東京藝術大学を受験されますが失敗。でも愛知県立芸大に合格され、そこでイケメンの男性を発見、ご結婚。
その男性はただのイケメンではなく関先生の歌への理解が突き抜けていて、結婚してまもないのに、関先生をイタリアへ留学させてくださいます。

留学先でメキメキ上達した関先生は1977年の1年間でヨーロッパの主要コンクール6つに優勝・入賞。
しかし、32歳で日本に帰ってきたものの、その成果を発揮する場所にすぐには恵まれず、40歳近くまで先生のお言葉をお借りすると
「ストーブの前に座り続けた」
日々。

そんな40歳の頃転機が訪れます。
(ここの詳細を私はもっと詳しく知りたいのですが...)
日本歌曲を歌わないかという話が舞い込み、そこでかつて美空ひばりで鍛えた感性と喉、オペラで鍛えたベルカントが融合します。
そして、1990年代から20枚の日本歌曲CDを収録。さらに100曲からなる「山田耕筰歌曲集CD」を完成させ、このCDは1994年日本レコードアカデミー大賞を受賞。また1991年と1994年にニューヨークのカーネギーホールででコンサートを行い大成功。これによって「文化庁芸術賞」を受賞。

このように書くと、「歌手一筋」のようにお感じになるでしょうが、ここからがさらにすごいところです。
普通こんな天才は教えられません。
始めからできてますから。
でも、関先生は違います。ご自身は天才なのに、ちゃんと天才ではない生徒の技術の足りない部分を判断して、的確な言葉で技術として歌に必要なすべてをお伝えくださることができます。
それは「声を出す」ことにとどまらず、ご自分がステージ上で獲得された、歌い手としての立ち居振る舞い、衣装のことなど「痒いところに手が届く」どころか、痒いなんて思ったことがなかったところにまでおよびます。

・・・と、関定子のご紹介までで本日の新幹線内執筆は終わりにします。続きの本当はそこを書こうとした「連続」の部分は明日以降に。
どうぞお楽しみに。



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