このブログは「かほく市議会初傍聴 2023年8月29日 (火)」の続編としてお読みくださいませ。
昨日、FM生放送後、改めてかほく市議会を傍聴に行きました。
「一般質問」と呼ばれる会です。
先日私の傍聴券番号は4番でしたが、今度は22番。もちろん出入りがあるでしょうから22人全員傍聴席にいらっしゃるわけではなく、私が入ったときは8名ほどが座っていらっしゃいました。
入って3分ほどすると
「暫時休憩に入ります」
え~~~!また!
でも今度は10分の休憩とちゃんと聞きました。
それでもまた30分ほど後にお昼休憩に入ったので帰宅。
14時頃再び傍聴席へ。
正直なところ、こんな質問いるのかな?と思うものが多かったのですが、その中にあって、私の心を掴んだのは、かほく市・旧高松町(かほく市は高松町、七塚町、宇ノ気町が合併して作られた)の議員・坂井さんの質問でした。簡単に書くと
「NPO法人、清水育英会が財政難で今年で解散。市として『清水賞』を継続できないか?」
というものですが、このことについて述べられた部分がとても素敵でした。
私は「清水育英会」のことは全く知りませんのでネット検索してみたところ、次のように書いてありました。
旧高松町で電気店を営んでいた清水源太郎氏が経済的事情により進学できない中学生のために資財(※多分、私財の誤り)を投じて支援したのが始まりです。現在は、日頃努力する若い人を表彰するものとして50年以上も続いています。
なるほど、こんな立派な人がいらしたのですね。
坂井さんはもう少し詳しくお話になっていて、私の薄い記憶をたどると
「清水さんは進学したかったけれど家が貧しく中学校にすら行けなかった。後に26歳で中学生になり、更に高校へも。その経験から勉強したい地元高松の中学生に自分の財産から支援したいとの意志を示され、この賞が作られた。しかしその財源がつき、今年で解散することになった」
というようなお話でした。
これを聞けただけでも傍聴に行った甲斐がありました。
帰ろうとしたら駐車場で坂井さんにお会いしたので、
「先程のお話良かったです」
とお声掛けしたところ
「私も知らなかったんですよ。高松中学校の敷地内に清水さんの碑があって、その慰霊式典(だったかな?)に行って初めて知って・・・」
というようなことをお話しくださいました。
もちろん、コンサートのチラシをお渡ししてお別れしました。
後でこんな記事を見つけました。
「NPO清水育英会」のページより
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