アリストテレス「ニコマコス倫理学」書き起こし 第2回「幸福とはなにか」(4回シリーズ)2022年6月10日

 西野真理書き起こしシリーズ   100分で名著 

アリストテレス「ニコマコス倫理学」

指南役 山本芳久

2回「幸福とはなにか」(4回シリーズ)

 

ナレーション

あなたにとって幸福ってなんですか?

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは幸福についてこんなふうに言っています。


 朗読

教養があって行動的な人々は、幸福とは名誉のことだと見なしている。(中略)しかし、名誉はあまりに表面的なものであって、われわれが探し求めているものではないように思われる。

 

ナレーション

哲学者が探し求めた幸福とはなんなのか。アリストテレスのニコマコス倫理学を通して現代に通じる幸福感を読み解きます。


司会者

2回のテーマが「幸福とはなにか」ということですが、冒頭部分から見ていきます。

 

あらゆる技術、あらゆる研究、同様にあらゆる行為も、選択も、すべてみな何らかの善を目指していると思われる。

 

まず善から見ていきましょう。善には3つ種類があるそうなんですね。

 

・道徳的善・・・「困っている人を助ける」など道徳的によいもの

・有用的善・・・「お金」など役立つもの

・快楽的善・・・「楽しい」など

 

山本

現代の日本語で考えてみても、われわれが「よい」という言葉を使うときに道徳的によいという意味で使っていることは実はそれほど多くない。お金だとか「あいつはいいやつだ」というとき、「あいつは使えるやつだ」という有用的な意味で使うことが結構あるわけですよね。その意味ではアリストテレスが定義している善というのはさほど現代使っている「よい」という意味と大幅にずれてるものではないという風に私は思っています。

価値のあるものとか肯定的に評価できるもの。

 

司会者

前回、私たちは最後の究極的な善「幸福」を目指すと学びましたよね。この3つの善とはどう絡み合ってくるんですか?

 

山本

幸福が最高点ということになるわけですが、快楽だけではなにかバランスが悪い人生になってしまいますし、逆に道徳だけっていうのもなにかつまらなかったりするわけです。この3つをバランスよく組み合わせて幸福な人生が実現していく。

 

朗読

一般の大衆も教養ある人々もそれを幸福と呼んでおり、「よく生きる」ということ、あるいは「よくなす」ということを、「幸福である」ことと同じものと見なしているからである。

 

ナレーション

アリストテレスが注目したのは、人間が持つ機能でした。建築家や音楽家が特有の機能・働きを持つように、人間は人間であるための機能があるはずだ。食べて眠ってただ生きるだけだったら動物と同じ。では人間ならではの機能とはなにか。

アリストテレスはそれを「理性」だと言いました。「理性」とは「分別」「物事を認識し判断する力」まさに人間固有の機能です。人間はただ生きるだけではなく、理性を伴う生の活動、よく生きることで幸福になるのです。

 

山本

理性には色々な面があるんですが、「間接的」ということですね、動物は「今ここ」に集中して生きてる。それに対して人間は今ここだけではなく視野を広げて生きていくことができる。それが理性。それがとても重要な要素だと思います。

 

持って生まれた能力や可能性をできる限り現実化して充実した活動をする中に、幸福が実現するという風にアリストテレスは考えています。人間には理性という優れた能力、これは人間を人間たらしめるの能力ですね。理性を十全に発揮することの内に幸福が見出されます。

 

バランスをとることが理性の大きな働きだと思います。

我々は理性と本能という枠組みで考えるときに、理性が本能を抑圧するというようなイメージでとらえがちだと思うのですが、そうではなくてむしろ、理性をうまく活用することによってこそ、本能などがより良い仕方で花開いていくんだという風にアリストテレスは考えています。

 

司会者

・快楽的生活

・社会的生活

・観想的生活

アリストテレスがいう、人々が考える幸福な生活を見ていきましょう。

 

山本

快楽的生活は文字通り快楽すなわち幸福と考えるそういう生活の仕方です。少しでも多く快楽を得ることに人生の目的をおくわけです。アリストテレスは快楽的生活は人間を安定的に幸福に導くものではないと考えますので、社会的生活と観想的生活を重視します。

社会的生活とはどういうものかというと、古代ギリシャのポリスですね、都市国家における生活、ポリスという社会の中でしかるべき役割を果たすことで自己実現していく、これが社会的生活。この事によって幸福が実現する。

 

観想と言うのはこの世界の有様をありのままに見せてる。すなわち真理を認識することが人間を幸福にするものだという風に考えるのが観想的生活なんですね。いわば哲学者の生活と言ってもよいかもしれません。

 

「知る」ということの意味を広げて考えてみますと、哲学者でなくても美術館で美術を見る、旅行に行って新しい景色に触れる、とか、何かを知る、それ以上の目的がなくても知るということ自体がある種の喜びを与える。そういうことと結びつけて考えると、多少この観想的生活いうもののイメージがつかみやすくなるかなと思うんです。

 

司会者

人間の可能性を実現していくために必要なものがあるとアリストテレスは言っています。

 

朗読

徳というのはすべて、それがそなわるところのものを、善き状態にし、そのものに自分の機能をよくおこなうようにさせるところのものだ言わなければならない。

たとえば目の徳が、目と目の機能をすぐれたものにするように。なぜなら、われわれは目の徳によってよく見ることができるからである。

 

では、人間をよくするための徳とはどういうものなのでしょうか。アリストテレスはこう言います。

 

徳には、思考に関するものと性格に関するものとの二種類があることになるが、思考の徳はその生まれと成長とを主として「教示」に負っており、まさにそれゆえに経験と時間とを要するが、それに対して<性格の徳>の方は習慣から形成されるのであって、ここからは「性格の(エーティケー)」という呼び名も「習慣(エトス)」という言葉を少し変化させてつくられたのである。

 

司会者

現在の「徳」という言葉の感じとはだいぶ違う感じがしますね。

 

山本

ギリシャ語では「アレテー」という言葉なんです。これは徳と訳すこともありますが、「卓越性」とか「力量」と訳すこともあります。「ナイフのアレテー」とか「馬のアレテー」という言い方もあるんです。「ナイフのアレテー」というのはナイフがよく切れる状態になっていること、「馬のアレテー」と言うのはよく走れる馬であること。物がそのものが持っている能力を最大限に高めて充実した働きができるようになっている状態それがこの徳を持っているという状態。

 

伊集院

いくらいいナイフでも手入れをしないで錆びている状態だったら意味がないから、アレテーの状態というのはちゃんと手入れをしたりちゃんとした持ち方をしていることがアレテー。

 

山本

まさにそういうことですね。人間の場合にも節制とか勇気とかいった徳を身につけることで人間の力がつく、もともと持っている可能性が現実化して、力ある充実した働きができるようになる。幸福な人生を送るための必要条件になるというふうにアリストテレスは考えているわけです。

 

司会者

徳は2種類あると言ってましたよね。

・思考の徳(知的徳)・・・教示で身につく

・性格の徳(倫理的徳)・・・習慣で身につく

 

山本

思考の徳というは、人間が持っている知的な能力を育てていくことによって身についてくる力なんです。たとえば数学を教わりいくつかの公式を教わって問題を問いていく。知的な力が身についていく。

 

性格の徳はまさに勇気とか節制ですが、例えば勇気であれば勇敢な行為を繰り返すことによって勇気が身についていく。習慣づけが非常に重要だ。

 

伊集院

塩分に気をつけていると、最初はだめだけど、大丈夫になってくる。慣れとか習慣。そういうイメージですか?

 

山本

伊集院さんのおっしゃることはアリストテレスが述べていることと驚くべきほど重なっています。

 

司会者

アリストテレスが重要だと考える徳というのがあってそれが

枢要徳

・賢慮

・勇気

・節制

・正義

 

山本

賢慮というのは判断力のようなものです。今何をすべきなのかということを11回判断することがとても重要なんです。

勇気は困難に立ち向かう力。

節制は自らの欲望をコントロールする力。

正義は自分のことだけではなくて、他者や共同体のことを重んじることができる力。

すべての徳が「力」という観点から捉えられていることがとても重要です。

 

司会者

ことのような徳を身に着けると、どのように幸福になるのでしょうか。

節制、欲望をコントロールする力を例に見ていきましょう。

 

ナレーション

これは会社員Aさんの節制についてのお話です。

Aさんは食べることが大好きです。日々食べ歩きに励んでいます。でも最近は仕事にもやりがいを求め勉強を始めました。

食いしん坊のAさん、大事な資格試験を控えて毎日のように勉強をしています。

ところがある日、

「美味しい店を見つけたから久しぶりに行かない?」

と友人からの甘い誘惑。

「・・・・ごめんなさい、今日はやめときます」

Aさんなんとか誘惑に打ち勝ちました。

しかしっこんなときに限って次々と誘惑がやってきます。合格を目指すAさん、なんとか断り続けます。

 

そうしてひと月後、見事試験に合格。その結果新たな仕事を任され、樹実した日々を過ごすようになります。もちろん頑張った自分へのご褒美も忘れません。久しぶりの食事会で大満足のAさんでした。

 

伊集院

多分途中途中に節制ができなかったら、資格試験のことを気にしながら食う、もともとの彼女の好きだった食べ歩きのクオリティーも低いし、結果、資格試験に受からなかったということで生活が充実しないし、資格があればもっと金銭的余裕ができたから、もっと美味しいものが食べられたのにということも達成できないし、という風に考えていくと、ここで1回節制を入れたことでかなり「善い」人生になったと思います。

 

山本

伊集院さんの今の例はとても的確で、節制が力であるということをとてもうまく表現しています。

Aさんは単に我慢したということではなくて自らの中の力としての充実、更にそれがあることによって社会の中で実現する充実、様々な充実を手に入れるための前提としての節制生活という話になっていたかなと思います。

 

司会者

徳という力を身に着けて時間をかけて得られる幸せということですか。

 

山本

単なる幸運と幸福は違う。幸運というのは宝くじが当たるとか、でもそのあったった宝くじをうまく行かせない人って結構いるんですよ。生活を崩してしまう、不幸になってしまう、借金を作ってしまうとかですね、そういう風にならないためには人間としての内的な力が必要。自らをコントロールし困難に立ち向かっていくそういう力を身につけるこれが幸福になるための前提条件であり、そういう前提条件を作るためには長い習慣付けの積み重ねが必要だと。

 

司会者

今日は人間ならではの機能、理性を発揮してその力を利用して幸福になるというお話でしたが、長い時間のかかる幸福とか生き方ってどうですか?

 

伊集院

目の前のものだけ見て・・・早く手に入る、安く手に入るみたいなのが、でもそれはどうなのかなと思っているときにすごく響きますね。

 

司会者

物とかお金とか名誉ではなく人によっても時によって違いますよね。でも、行動、徳、習慣を変えて行くということはいつでもできそうですよね。

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