先日ハイデガーを書き起こしながら、
「哲学ってなんのためにあるんだろう」
という疑問が沸き起こりました。だからといってそれを解決する能力が西野真理にあるわけもなく、ハイデガーは終わりました。
ところがそのすぐ後、撮りためた「100分で名著」の目次を見ると「アリストテレス」の文字が。何となく惹かれるものがあってとりあえず1回目を見てみるとその冒頭から一気に引き込まれます。
「どうすれば人間は幸福になれるか」
これこれこれ!
このためにみんな働いたり学んだりしてる。
ハイデガーに対して???だった疑問が解けるかもしれないという願いも込めて、書き起こしを始めます。途中放り出してしまわないように、書き起こしたものからブログに上げていくことにします。
西野真理書き起こしシリーズ 100分で名著
アリストテレス「ニコマコス倫理学」
指南役 山本芳久
第1回「倫理学とはなにか」(4回シリーズ)
ナレーション
今から2400年ほど前、古代ギリシャに一人の男がいました。西洋最大の哲学者の一人アリストテレス。「万学の祖」と呼ばれる彼はあらゆる物事を探究しました。例えば動物や気象など自然を観察し分析。多くの都市のあり方を見て理想の国家を考察します。そしてそこに生きる人々を見てこう考えるのです。
「人間はどういう人柄を身につければ幸福になれるのだろうか」
アリストテレスの考えは今を生きる私達にも驚くほど刺激を与えます。
司会者
今回ご紹介する名著は古代ギリシャの哲学者アリストテレスの「ニコマコス倫理学」です。この本は哲学書の中ではとても読みやすいとおっしゃる方が今回の指南役、東京大学大学院教授の山本芳久さんです。
専門は西洋中世哲学や倫理学。ニコマコス倫理学は大学院の講義で使っているそうです。
このニコマコス倫理学は読みやすい方なんですよね。
山本
そうですね、私も高校生くらい頃から哲学の本を読むことがあったんです。でもなかなか1冊の哲学書を読み通すことができないんですが、その中にあってこのニコマコス倫理学という本は初めて最後まで通読することができた哲学書です。論述自体が比較的平易なのと、「幸福とはなにか」とか誰もが若いときから一度は関心を持つそういう問題について深く論じている本だと思います。
司会者
大学のテキストとして使っていらっしゃるそうですが、学生さんの反応はどうですか。
山本
学生も「2千数百年も前に書かれた本とは思えないくらい自分自身等の事が書かれているんじゃないか、というような感じでわかりやすく読むことができた」と言っています。
司会者
ではまず基礎情報から見ていきましょう。
ナレーション
古代ギリシャの都市国家・アテナイ。アリストテレスが哲学を学び始めたのは17歳のときのこと。師匠プラトンの元で20年ほど学びました。その後アリストテレスは自らの学校を作りました。人々に教え共に議論をする、探究し続けた人生の中で生涯に550巻もの著作を残したとも言われています。
しかしギリシャが衰退した後、その著作は散逸していきました。
再び注目されたのは9世紀、イスラム世界で研究が行われました。
12世紀には西ヨーロッパにも持ち込まれ、多くの哲学者に影響を与えたのです。
そんなアリストテレスの姿が描かれた名画が、バチカン宮殿にあります。16世紀ラファエロが描いた「アテナイの学堂」。古代ギリシャの哲学者たちが、勢ぞろいしています。
中央にいる二人がアリストテレスと師匠のプラトン。注目すべきはアリストテレスが手にしている書物。ニコマコス倫理学を描いたとも言われています。倫理学の原点とも言われるニコマコス倫理学。今も哲学を志す人々が必ず手に取る1冊です。
司会者
第1回のテーマは「倫理学とはなにか」なんですね。
倫理学にはいくつか種類があるようなんですね。代表的なのが
・義務論的倫理学
・幸福論的倫理学
山本
義務論的倫理学の代表者はドイツの哲学者カントです。「〇〇すべきだ」とか「〇〇してはならない」という禁止に基づいて倫理を考えました。義務に基づいた行為を人間はする必要がある。
幸福論的倫理学はまさにアリストテレスの倫理学なんですが、「どうすれば人間は幸福になれるか」という観点から人間のことについて体系的に考えていきました。
司会者
いよいよ本文に入っていきますが、読み始めるときに気をつけることはありますか。
山本
優れた古典というのは、多くの場合、冒頭の一文にすべてが込められていたり、そういうことがありますので、一文一文丁寧に読んでいくことが必要だと思います。
朗読
ニコマコス倫理学の冒頭から。
あらゆる技術、あらゆる研究、同様にあらゆる行為も、選択も、すべてみな何らかの善を目指していると思われる。それゆえ、「善とはあらゆるものが目指すもの」と明言されたのは適切である。
ナレーション
アリストテレスの言う、みんなが目指す善とはなにか。勉学に励む高校生のAさんを例に考えてみましょう。
「なぜ勉強するの?」
「大学に入りたいから」
「なぜ大学に入りたいの?」
「大学に入ったら専門知識が身につくでしょう」
「なぜ専門知識を学びたいの?」
「専門知識があったら就職しやすいから」
「なぜ就職したいの?」
「お金を稼いで仕事も頑張って・・・」
「それから?」
「立派な社会人になる」
朗読
私達はなにか価値あるもの、善を目指して行動しています。行動の目的を明らかにすることが大切。
アリストテレスはこんな提案をしています。
ちょうど弓を放つ人たちのようにして目標を定めることによって我々はなすべきことを、一層よく成し遂げることができるのではないだろうか。
つまり最終的な目標を決めておいたほうがいいんじゃないかと言っているんです。じゃあ最終的な目標とは何でしょうか。実はそれこそが幸福だとアリストテレスは言うんです。
山本
目的というものがなにか一つだけ存在しているのではなくて、連鎖して存在している、という風にアリストテレスは考えます。その際に永久に連鎖していくのかというとそうではなくて、最終的に目的、究極目標と言われるのが「幸福になることだ」という風にアリストテレスは考えています。
司会者
幸福になるというのが最後。この先はないんでしょうか。
山本
先ほどの高校生の例で、「大学に入る」というところを見てみると、勉強するというところとセットで見ると目的になってる。でも専門知識を身につけるというところとセットで見ると、大学に入ることによって専門知識を身につけるという手段になるわけです。目的にもなれば手段にもなる。
他方幸福になるというのは目的にはなっても手段にはならない。「幸福になることによって何をするんですか」という問いは、聞くことはできますけど非常に奇妙な問いですよね。そういう意味で幸福になるというのは手段にはならない、最終的な目的になるとアリストテレスは述べています。
司会者
例えば大金持ちになるとか、会社でどんどん出世するとか社長になるとか、そういうのは幸福と言えるんですか?
山本
アリストテレスは結構常識的なことを大事にする人で、お金を稼ぐとか社長になるとかそれはそれで大きな意味があるという風に考えます。でも、お金を稼ぐことによってどうするんですかとか、社長になってどうするんですかという問いは十分可能なわけですよね。そういう意味で先程の幸福とは違う。幸福の構成要素には「お金を稼ぐ」とか「社長になる」ことは入るわけですが、幸福そのもの、幸福全体にはならないとアリストテレスなら答えると思います。
司会者
倫理学はどういう学問であるかもう少し詳しく見ていきます。
万学の祖といわれたアリストテレスは様々な学問を生み出しました。
それらを大きく3つに分けているんですね。
・理論的学・・・目的は「知識」 自然学 形而上学 数学
・実践的学・・・目的は「行為」 倫理学 政治学
・制作的学・・・目的は「制作物」 詩学 弁論術
山本
理論的学というのは知ること自体を目的にしています。他方実践的学は知識を得ることのみではなく得た知識に基づいて実際によく行為し、よく生き、幸福になる実践を目的にした学問です。
朗読
様々の善いものに関してもまた、それから多くの人々に災いが生じてきたところをみると、何か同じような変動が認められるであろう。事実これまでに富のために身を滅ぼしたものもいれば、勇気のゆえに破滅したものもいるからである。
ナレーション
例えば、大金持ちがいました。大きな家に金銀財宝の山。しかしある日その金持ちの家に強盗侵入。盗まれるだけでなくなんと命まで失ってしまった。富が不幸を招いたのです。
例えば勇気ある若者が戦場で戦っています。戦いは次第に負け戦に。けれど勇気ある彼は踏みとどまり運悪く矢にあたり死んでしまいました。勇気があったばかりに。
勇気や富というのはどんな場合においても善いものだとは言えないというわけです。
朗読
数学とは異なり、倫理学は大まかに物事の輪郭が示せればいいとアリストテレスは言います。
すなわち大抵の場合にあてはまる事柄に関しては、そのような性質の事柄から論じて、そのような性質の結論を導くことができるならば、われわれはそれで満足すべきなのである。
山本
勇気や富があるがゆえに滅んでしまうことがある。じゃあその勇気や富があってもなくても同じなのか、どっちでもいいのかというとそうじゃないんだ。やはり大抵の場合には、勇気や富があった方がいい、そういう微妙な次元で事柄をおさえようとする。例外的なことがあるからといってそれにとらわれること無く、バランスよく、大抵の場合当てはまるそういう次元でゆらぎのある人生をバランスよく捉えていこうと。
司会者
では次は、倫理学を学ぶ人について見ていきましょう。
朗読
若者は政治学・倫理学の聴講者としてはふさわしくないであろう。というのも何よりも若者は人生の様々な行為に無経験なのであって、この論述の方はまさにそうした事柄から出発し、そうした事柄に関わっているからである。
さらにまた、若者は情念に動かされやすいので、このような講義を聴いても無駄であり、得るところがないであろう。この研究油の目的は認識ではなく行為だからである。
山本
大学では毎年この点について質問してくる学生がいます。アリストテレスが言ってるんですが、必ずしも生物的な年齢のことではなくて、言わば「精神年齢」のことで、大学生であれば基本的には大丈夫だと思います。
司会者
なぜアリストテレスは経験の少ない若者には不向きだと言ってるんですか?
山本
大抵の場合に当てはまる事柄を取り扱うことですね。数学のようになにか必然的な真理ではないので、常に当てはまるわけではない。ですから1回1回判断しなければならない。そうするとある程度の人生経験がないと、判断を的確に下すことができないわけですね。
アリストテレスは、一旦人間がその人柄をある方向に形成し始めると、どんどん加速度的にその方向へ行ってしまうというようなことを言ってるんですね。そういう意味では大人になってからよりもある程度人柄がまだ柔軟に変わり得るうちにこれを読んで、なにか学んで少しでも幸福になりやすいように何かを得て行くことがむしろ大事ではないかな、と私は思っています。
若い内に楔を打ち込まれて、1回1回の行為が重要だとアリストテレスは言ってるんですよ。そのことばを心に刻みこむだけでも全然違ってくるのではないかなと思います。
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