アリストテレス「ニコマコス倫理学」書き起こし 第4回「友愛とはなにか」(4回シリーズ) 2022年6月13日

 西野真理書き起こしシリーズ   100分で名著 

アリストテレス「ニコマコス倫理学」

指南役 山本芳久

4回「友愛とはなにか」(4回シリーズ)

 

ナレーション

人々が友達関係に思いを巡らせるのは、いつの時代も変わらないようです。

2400年ほど前、古代ギリシャの哲学者アリストテレスもこう言うのです。

 

果たして我々は多くの友を作るべきであろうか。

 

100分で名著、アリストテレスのニコマコス倫理学。今回は偉大なる哲学者が考えた友愛を読み解きます。

 

司会者

今回のテーマは「友愛」なんですけれども、春から人間関係に悩む人も多いんじゃないかと思うんですよね。アリストテレスの言う「友愛」とはどんなものなんですか?

 

山本

一言でいうと、「人と人とを結びつける愛」ということができると思います。前回取り上げた「徳」は節制とか勇気とか個人の側面によるところが大きかったのですが、「友愛」は人と人とを深く結びつける愛、ギリシャ語で言うと「フィリア」。

 

司会者

ニコマコス倫理学の中にこのような一文があります。

 

なぜなら、人間はとは「社会的な存在」であって、他者とともに生きる自然本能を持っているからである。

 

これはどういう事を言っているんですか?

 

山本

そうですね、「政治学」というアリストテレスの本の中では

「一人で生きるのは野獣か神である」

という言い方があってですね、人間とは偶然とか好みで人と一緒に生きるのではなくて、人とともに生きて初めて人間である。人間とは根本的に社会的存在である、という捉え方をしている。

 

司会者

それでは早速アリストテレスの「友愛」を見ていきましょう。

 

朗読

友愛は徳の一種であるか、あるいは徳を伴うものであり、さらにそれは、我々の人生に最も必要なものだからである。

実際愛する友なしには、たとえ他の善きものすべて持っていたとしても、誰も生きてゆきたいとは思わないであろう。

 

ナレーション

アリストテレスはこう説明します。

金持ちや権力者にとって友人は必要だろう。友人と共に称賛されるべき善行に励むのだと。

貧しい人々にとっても友人は必要だ。友人は彼らの唯一の避難場所となる。

若者たちは互いに過ちを犯さないため。

老人たちには世話や生活の手助けをしてくれる存在が友人なのだ。

 

朗読

二人で行けば・・・・。

そうすれば、人々は考えることも、行為することも、いっそうよくできるようになるからである。

また、友愛は国家をも結びつけ、立法家たちは正義よりも友愛に関して一層真剣であるように思われる。

そして互いに親しければ、正義をことさらに必要としないけれども、正しい人たちの方は、友愛をも合わせ必要とするのであり、様々な正しいことの中でも、最も正しいことというのは、友愛に満ちたものと考えられるのである。

 

司会者

国家にも友愛が必要だといっていましたよね。

そして互いに親しければ、正義をことさらに必要としないけれども、正しい人たちの方は、友愛をも合わせ必要とするのであり、様々な正しいことの中でも、最も正しいことというのは、友愛に満ちたものと考えられるのである。

 

友愛があれば正義は必要ないと言っていますがこれは本当なのでしょうか?

 

山本

そうですね、アリストテレスの名言の一つと言ってもいいと思います。

夫婦で考えてみますと、夫婦の仲が良ければことさら法とか正義とかを持ち出してあれこれ言う必要はないわけです。でもうまくいかなくなって離婚することになると、親権がどうしたとか財産分与がどうだとかそういう話になる。

 

司会者

では、私達が愛するものは何なのか見ていきましょう。

 

①善いもの・・・・・道徳的善

②快いもの・・・・・快楽的前

③有用なもの・・・・有用的前

 

これは第1回で出た道徳的善・快楽的善・有用的前に対応しているんですよね。

 

山本

そうですね。アリストテレスは、善が人と人とを結びつける紐帯(ちゅうたい)になるというふうに考えているんです。道徳的に良いもの、役に立つという意味で良いもの、また快いもの、そういう意味での善が人と人とを結びつける、それが愛の対象になる。

 

司会者

友愛がどのように成り立つのか見ていきましょう。

 

ナレーション

アリストテレスが考えた友愛を成り立たせるための3つの条件があります。

 

その1

相手に好意を持ち、善を願う。何か役に立ちたいと思う。

その2

相手もこちらに好意を抱いている。

その3

互いに相手の思いに気づいている。一方通行ではダメ。

ここから友愛が始まります。

 

司会者

まとめてみました。

①好意=相手に善を願う

②相互性

③気づかれていること

 

山本

相手に善を願うというのは、例えば高校生が苦手科目を友だちに教えてあげてその事によって友達が試験をクリアしたりいい大学に入ったりすることができるように自分が役立つ・有用性を与えたり、そういう相手になにか価値のあるようなことが起こるように願う、または自分がそのために何かをする、それが重要な条件だという風に考えているわけです。

 

司会者

山本さんが教えてくださった面白い言葉があるんですが

「他者の善を悲しむ」

これはどういうことですか。

 

山本

これはアリストテレスが「弁論術」という本の中で「嫉妬」という感情について述べている言葉です。「嫉妬」という感情をこれ程短い言葉で見事に述べるのはなかなか難しいと思うんです。

他の人が価値のあるものを手に入れる、価値のあるあり方を体現する、それを共に喜ぶのではなく悲しむ、これこそ嫉妬なんだと。

 

伊集院

仲のいい同期が先に売れた時、そんな感じかも。もう彼と対等な関係でいられないとか、もしかすると彼の思う善の形と僕の思う善の形が少しずれてくるはずだということがわかっちゃったりだとか、そのやり場のない悲しみがストレスになってきて、喧嘩したり、怒りに変わったり。

山本

「悲しむ」というのは面白いですよね。友情は友情として持続しつつでもちょっとこの点に関しては悲しんじゃうというような、非常にうまく表現しているのではないか。

 

司会者

友愛に戻りますと、アリストテレスは友愛には3種類あると言っています。

①人柄の善さに基づいた友愛

②有用性に基づいた友愛

③快楽に基づいた友愛

 

この3つの友愛がどんなものなのか見ていきましょう。

 

ナレーション

高校生の友人ABCについて見ていきましょう。

 

友人A、彼、いい人でしたよ。授業を休んだ時ノートを貸してくれた。試験のときには情報交換をした。役に立つから付き合う、これは有用性に基づいた友愛。

 

友人B、彼もいい人でした。よく一緒にキャッチボールやカラオケを楽しんだ。青春だったなあ。一緒にいて心地良いい。これは快楽にも続いた友愛。

 

仲の良かったAB、でも、高校を卒業したらすっかり付き合いが無くなってしまった。

 

有用性のゆえに互いに愛し合っている人たちは、相手を、相手の人そのものとして愛しているのではなくて、相手から自分自身になにか善いものが生じる限りにおいて愛しているのである。快楽のゆえに愛する人達も同様である。

すなわち、愛する側の者たちは、相手がもはや快くなかったり、有用でなくなったりすれば、愛するのをやめてしまうのである。

 

ナレーション

もう一人の友人C。彼は尊敬すべき人物。いろんなことを話し互いに考えを深めた。今でも付き合いがあるし、彼の幸運を願っている。これは人柄の善さに基づいた友愛。

アリストテレスは

完全な友愛とは徳において互いに似ている善き人同士のものだ

と言います。

そしてこの友愛は永続的に続くのです。

 

司会者

3つの中で言うとアリストテレスが最もいいというのは人柄による友愛なのでしょうか?

 

山本

そうですね。人柄全体を愛する。人柄というのはそんなに簡単に変わるわけではない。有用性による友愛のように状況によって条件付けられない。より持続的な相手の人柄全体をお互いに愛し合う。これは人柄に基づいた友愛だという風にアリストテレスは考えているわけです。

 

人柄の善さに基づく友愛を結んでいる人同士は、単なる聖人君子みたいなものではないんです。なにかこの有用性や快楽は全く欠けているのかといえばそうではない。むしろそれを全部含み込んでいるんだという言い方をアリストテレスはしていて、というのも、人柄の善さをお互いに持ってるわけなので一緒にいてなにか安心できる、空気も和むし、また、困ったときには人柄が良いから助けてくれるわけなんですよね。

役に立つということを目的にしているわけではないんですけれど、自ずと役に立ってもくれる。

人柄の良さに基づいた友愛の中には、3つのものが全て含まれているんだという風にアリストテレスは述べています。

 

伊集院

今の会社の中で、誰を残して誰をリストラするって話になったときに、有用な人は残されると思うんですよ。残されるんですけど、何となくあいつがいると気持ちいいよなとか場が和むよなとか、有用性とか快楽とかいうものを説明できないじゃないですか。

さっきのCの人、なんとなくリストラされていくと思うんですよ。この人がいなくなることで、そのグループの中にストレスが溜まっていくことで、チームがおかしくなっていく。大事な人だったのに。

アリストテレスが一番いい形の友愛って言ってた人は、今思うと、こういう人なのかも。

山本

有用性のみを重視して動いていくと、最終的にはその有用性さえも失われる可能性がある、という話かのという風にお聞きしました。

 

司会者

人柄に基づく友愛を築くにはどうしたらいいのか、アリストテレスはこんなふうに言っています。

 

朗読

しかしながら、このような友愛は当然、稀なものである。なぜなら、善き人々は数少ないからである。

そればかりか、そうした友愛が育つには、さらに、時間と親密さが必要だからである。実際ことわざにあるように、言い伝えられているだけの塩を共に食べてみないうちは、互いに相手を知ることはできないのである。

 

この塩の量は1メディムノス、約52リットルになるといいます。

 

多くの友人を持つことを求めるよりも、共に生きるに十分なだけの友を求めるのが善い。

 

伊集院

アリストテレスの言っている友愛のあり方というのとは正反対の世の中が出来上がっているような気がする。プライベートがSNSの友達で溢れて、仕事の方は効率化のグループによって人間関係ができていると、おそらくとてもじゃないけど、人柄をじっくり見極めて長く一緒にいる友だちって作れない。

 

司会者

アリストテレスは長い時間をかけて付き合い続けることによって、どうなっていくと言ってるんですか?

 

山本

自分の持っていない善い点を持っている相手を間近で見ることによって、こういう善いあり方がある、それはこういう風にやれば身につけることができる、また実際にその友人からアドバイスなどをもらいながら、お互いに相手の持っている善い点を体現していく。そういうことが可能になる。

一方、有用性や快楽に基づいた友愛を一概に否定しないのもアリストテレスの友愛の重要な点。

 

人柄の善さに基づいた友愛が、一番良いけれど、それ以外にも有用性とか快楽に基づいた様々な人と人とのつながりがある。すべての人とのつながりをグラデーションしつつ善いものとして認めていく。そこにアリストテレスの考え方の善いところがあるのではないかなと思います。

 

3つの友愛が複雑に絡み合いながら相互に改善し合いながら人間関係は成立しているのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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