琵琶湖周航の歌 2023年11月28日(火)

「琵琶湖周航の歌」
このブログの完読者の皆様(5人位)は全て事情をお察しくださったことでしょう。
そうです。映画を見たからです。
(察することができなかった方は、申し訳ございませんが、ここまでのブログをおよみくださいませ)

映画を見たのは月曜日。
翌日の火曜日(今日)はFM生放送の日。
そこで月曜日の夜、翌日の放送で流す曲を「琵琶湖周航の歌」に決め録音することにしました。
知らない曲です。(・・・ちょっと嘘。映画で聞いた曲です)
でも大丈夫。楽譜が家にあったのです。
譜読みして、ピアノ伴奏の録音をして(ここが一番大変)、ICレコーダーに歌を録音しました。FMのときは音声だけでいいのでお化粧や着替えをしなくていいのでとっても楽に感じます。

火曜日。
放送から帰ってきました。
こうなったらYouTubeアップでしょう。
お化粧して着替えて撮影して編集してアップしました。

この曲に関して知らないことばかりだったので、Wikipediaさまの解説をコピペさせていただきます。
お読よみになったあとは是非YouTubeもごらんくださいませ。

※この動画、何度かアップと削除を繰り返しました。理由は1番の歌詞が「滋賀」か
「志賀」か?ということでした。今のところ「志賀」らしいということでこうしてあります。違っていたら教えてください。

<曲について Wikipediaより>
琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われる曲である。歌詞は全6番からなり、拍子は8分の6拍子である。

この曲は1917年(大正6年)6月28日、第三高等学校(三高。現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員の小口太郎による詞を「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて初めて歌われた。その後この歌は、三高の寮歌・学生歌として伝えられた。

1933年(昭和8年)に最初のレコーディングが行われた。第二次世界大戦後、多くの歌手によって歌われたが、特に1971年(昭和46年)に加藤登紀子がカヴァーしたレコードは大ヒットを記録した。

歌の舞台となった琵琶湖畔には、複数の歌碑が立っている。歌の「誕生の地」とされる滋賀県高島市今津町には琵琶湖周航の歌資料館がある。

歴史
三高ボート部の琵琶湖周航
第三高等学校に水上部(のちのボート部)が設立されたのは1892年(明治25年)のことである。部員による琵琶湖一周の漕艇は、創部の翌年1893年(明治26年)に初めて行われた。漕手6人舵手1人からなるフィックス艇に乗り、艇庫のある三保が崎(大津市)から時計周りに琵琶湖を一周するというもので、3泊ないしは4泊程度の旅程で(2泊という強行スケジュールが組まれたこともある)行われた。この周航は、1940年(昭和15年)頃まで行われていた。

「琵琶湖周航の歌」の誕生
小口太郎は、1916年(大正5年)に三高予科第二部乙類に入学。水上部に入部した。小口は1917年(大正6年)6月の周航中にこの歌詞を思いついたとされ、周航2日目の6月28日夜、今津(現:滋賀県高島市今津町)の宿で披露された。なお、この年の周航は、雄松(近江舞子) - 今津 - 彦根 - 長命寺(近江八幡)に宿泊する4泊5日の旅程であった。小口が1917年6月28日に今津から三高の寮の友人にあてたはがきが残っている。

今津の宿で、小口は「今日ボートを漕ぎながらこんな詩を作った」と仲間に披露した。部員の中安治郎が「小口がこんな歌を作った」と仲間に紹介したともいう。小口の詩を、当時三高生の間で流行していた歌「ひつじぐさ」のメロディに当てて歌うとよく合ったため合唱し、これが定着することとなった。

なお、今津の宿で披露された歌詞にはその後補足が加えられており、現在見られる6番までの全歌詞は翌1918年(大正7年)夏までに完成した。
その後、三高の寮歌・学生歌として広まっていった。




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