「詩人の恋」西野真理オリジナル日本語訳詩版コンサート(第31回美女コン)
振り返り その2(2023年11月12日 日曜日)
コンサートの後半はトークショーでした。
私の軽妙なトーク(笑)の雰囲気を文章だけで味わっていただくのは少々無理がありますが、内容だけでもお楽しみくださいませ。
<後半のトーク はじめに>
皆様、前半の「詩人の恋」お聞きいただきありがとうございました。
また、後半までお残りくださって本当にありがとうございます。
後半はトークショーです。
まずプログラムの表紙ですが、左がハイネ、右がシューマンです。
さて、今回アンケート用紙をお配りしませんでした。
と申しますのは、今までアンケートを拝見して来ましたが、結局私は褒められたいだけだった気づいて、それはお客様に申し訳ないと思いやめることにしました
それではトークショー、「ドイツ物を歌うことになった経緯」「訳詩秘話」「ハイネとドイツ哲学」の順で進めてまいります。「ハイネとドイツ哲学」と言っても、私自身がわかっていませんので、小学校3年生レベルの解説ということでお聞きくださいませ。
<ドイツ物を歌うことになった経緯>
今からちょうど10年前、51歳のとき、喉を悪くして歌えない1年間がありました。いつも1年生の授業でシューベルトの魔王をやるときは必ず日本語で弾き歌いをしていたのにその年はできなくて、仕方がないので、日本語で歌っている魔王のCDを探していて見つけたものが、松本隆訳詩のCDでした。
松本隆さんは松田聖子等の大ヒット曲の作詞家です。
魔王を聞くつもりで買ったのですが、魔王はいわばそのCDのおまけ。そのCDのメインはシューベルトの3大歌曲の一つ「美しい水車屋の娘」でした。
それがとても良くて、歌えない暇に任せて自分の楽譜にCDを聞きながらその歌詞を書き写し、日本語版の楽譜を自作して喜んでいました
さらに松本隆さんはシューベルト3大歌曲「冬の旅」「白鳥の歌」も訳されていることがわかり、それらも全部楽譜にうつしました。
幸い1年後には喉は回復し、その後シューベルトの3大歌曲すべてを日本語でこの美女コンで歌いました。
音楽大学の中でももちろん、50歳までほとんどドイツ物をやらなかったのに急にドイツ物が増えましたが、とりあえずそれで一旦ドイツ物はおしまいになりました。
1年8ヶ月前、私は中学校教諭を定年退職し、ずっと行けていなかった八ヶ岳声楽セミナーに参加しました。そこからのことはプログラムに書いてあるとおりです。
美智さんが「私弾きます」と言ってくださらなかったら今日の日はありません。
その時点で私はシューマン作曲の「リーダークライス作品39」も一応訳詩を終えていたのですが、その事もついでにお話すると、美智さんは「はい、それもやります!」と言ってくださって、そちらも近年中にコンサートをする予定です。
その後私は「リーダークライス作品24」も訳詩し、これは横浜のピアニストの近藤陽子さんが手を上げてくださっています。
現在「ミルテの花」も訳詩中。これは曲数が多く、26曲。ここ最近はこのコンサートにかかりっきりで、まだ9曲目で止まったままですが、最後まで訳し終えたいと思っています。
ここで1曲歌わせていただきます。
歌は「かんぴょう」です。
(♪歌~)
私はこの曲を美女コンでずっと歌ってきましたが、24回までのコンサートでずっと歌詞を間違えていたことに気づきました。今までお聞きくださった方、大変失礼いたしました。
でも、表面的には正しいんです。と申しますのは、25回目のコンサートの前に歌詞を書き写していた所、1番の歌詞「アノヒモ コノヒモ」を私は「あの日もこの日も」と思って歌っていたのですが、なんと「あの紐この紐」だったんです。今日は正しく歌いました。
<訳詩秘話>
例えば英語でI love you.だと、アイ ラブ ユー と音が3つしか入りません。
今回ドイツ語に日本語を当てはめるときも、それを考えて大変だな思っていましたが、ふと気づいたことがありました。これはあくまでも私の感覚ですがドイツ語は英語とは少し違うように思ったのです。
英語のI love you.に当たるIch liebe dich.は
イッヒ で2音 リーベで2音 ディッヒで2音に感じ、英語の倍、音を入れられると勝手に考えてとても楽になりました。
さて私はこの訳詩、1曲目を今年の2月27日に完成して、最後の16曲目を訳し終えたのが3月4日。2月は28日までなので、6日間で終えたことになります。自分でもびっくりです。
そんなことができた理由を自分なりに分析してみますと
・おしゃべりが好きで言語の感性はそこそこあるらしい
・文章をたくさん書いてきてエッセイ集を17冊出版。でも売れるわけがなく押し入れもいっぱい。そこで現在は紙媒体をやめブログに移ったが、それも最低でも週に2回は更新。そのようなことで、文は書ける。
・教員を38年やったことで、物事をわかりやすく伝えるということは得意
これらがうまく融合してくれたからかなと思っています。
さていよいよ詩も出来上がり、そうなると関定子先生のレッスンを受けようと思うわけですが、先生のレッスンを受けることのできる時間には限りがありまります。ですから自分で修正できることはできるだけしてからレッスンに行こうと思いました。
それは、
「一度で聞き取れない言葉をなくしてからレッスンに行く」
ということです。
でもそれは、歌詞を知っている自分にはできません。
そこで次のような条件の揃う人に一度聞いてもらいたいと考えました。
・楽譜が読めて、ある程度音楽をやっている人
・そして、西野真理の歌を聞くことが苦痛ではない人
・しかし「詩人の恋」を聞いたことがない、歌の世界においては素人に近い人
・さらに、近くに住んでいて、それなりに親しいなど、色々な意味で頼みやすい人
そんな条件そろいません。
でも、揃った人がいらしたのです。
私の20代の頃の教え子で、もちろん今は大変立派になられている田中陽子さん。
彼女は私の要求通り、私の歌を聞いては止め聞いては止めと細かくダメ出しをしてくださって、聞き取りにくい部分の修正をすることができました。彼女に聞いてもらえたことで、関先生に見て頂く前にかなり修正し練習し直すことができ、関先生のレッスンも効率よく進みました。
田中さんに拍手を!(会場に聞きに来てくださっていました。お友達まで誘って)
ここで歌を1曲 「浜辺の歌」です。しかし、作詞は林古渓ですが、作曲は成田為三ではなく
奏楽堂日本歌曲コンクール歌謡部門で私が2位のとき作曲部門1位 廣木良行さんの作品です。
廣木さんにはコンクールの受賞者パーティーで声をかけていただいて
「僕の中では西野さんが1位でした」
と言っていただきました。廣木さん、いい人です。
それ以来のおつきあいです。
そんな廣木さんが中学校の非常勤講師をすることになって「浜辺の歌」で研究授業をするというのご相談を受けた時、私は即座に
「廣木さん作曲家なんだから、林古渓の詩で廣木良行の『浜辺の歌』作ってみれば」
といいました。更に私は要望を付け加えました。
「成田為三は詩の第3節『風の音よ~』を盛り上げているけれど、私は第2節が盛り上がるように感じるから、そのように作曲してほしい」
廣木さんは要求に答え、中学生にも親しみやすい曲調の曲が完成しました。
また廣木さんはこの曲にコードでしか伴奏を付けていらっしゃらないので、お願いするピアニストによって少しずつ伴奏の雰囲気が違うのも楽しみの一つです。
(♪歌~)
<ハイネとドイツ哲学>
ハイネ(1797-1856)は1797年生まれ。ドイツの詩人、文芸評論家、エッセイスト、ジャーナリストです。
1797年にはシューベルトも生まれています。
ハイネは58歳で亡くなっています。(多発性硬化症または梅毒)
ちなみにシューベルトは31歳で亡くなっています。
西田幾多郎記念哲学館でのコンサートということもあって、哲学のことを調べていると、ハイネはヘーゲルと随分接点があることがわかってきました。哲学のことなんてほとんど分からないですが、分からないなりに小学校3年生レベルの説明を試みようと思います。
結論から言えば、ハイネはヘーゲルに大きな影響を受けつつも、批判もしていました。
具体的にいうと、ヘーゲルのいうことがあまりにも抽象的で、実際役に立たないんじゃないかということ。ヘーゲルは人間の感情とか欲望を軽視している、そう考えました。
ここでヘーゲルの「弁証法」に少し触れておきます。
ヘーゲル(1770-1831 11/14 61歳)は1770年生まれ。1770年にはベートーヴェン(1770-1827)も生まれています。
ヘーゲルは61歳のときコレラで亡くなっています。
61歳というのは現在の西野真理と同い年。こんなに若く!
亡くなったのは11月14日。明後日がヘーゲルの命日です。
ちなみにベートーヴェンは58歳で亡くなっています。
弁証法と言うのは、2つの違う価値観が合理的に高まっていくという考え方です。
例えば
「西野真理のコンサートを聞きに行こう」
という人と
「イオンへお買い物に行こう」
と言う人がいます。
でもこの2つが対立するんじゃなくて、これをうまくすり合わせて、そこからさらに次のやり方を見つけていきます。
「西野真理のコンサートのあと、イオンでお買い物して、せっかくだからどこかでお夕飯も食べて帰りましょう」
みたいに合理的でしかも高めていく。
ヘーゲルは合理的に物事を良い方向へ持っていこうとすることが大事と考えましたが、それを恋愛など人間の感情にまで当てはめるのには無理がありました。
ハイネはついにはヘーゲルのことを
「空っぽの弁証法」とか「独裁者の哲学」などかなり厳しく批判するようになりました。
そんな中「詩人の恋」の中で弁証法の考えに基づくのは、第1曲「美しい月、五月に」です。
恋に落ちた喜びを、春の訪れと重ね合わせて表現しました。ヘーゲルの、矛盾や対立から新たなものが生まれるという考え方をハイネは恋愛にも当てはめてみたのです。
逆に最後の曲は失恋の痛みから、全てを棺の中へ収めるという極端な表現。これは、ヘーゲルの哲学が人間の感情や欲望を軽視しているとの批判を反映しているものと思われます。
以上で今日のコンサートとトークショーを終わります
最後にお願いと情報です。
今後のコンサート情報等をぜひメール送信させて頂きたいと思っています。
協力金封筒にメールアドレスを印刷したので、お名前だけ書いて空メールを送信していただけないでしょうか?
ただ、この会場はで通信抑制装置が作動しているので送信は会場外でお願いします。
また私は奇数月に「人生100回のコンサート」を目標に美女コンサート開催しています。普段はこの哲学館ではなく、かほく市宇野気の本町コミュニテイィセンターです。
次回は年明けすぐの1月3日(水)13:40。どうぞよろしくお願いいたします。
歌 「僕の子守唄」
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