カフカ「変身」100分で名著 要約 2022年7月3日

 西野真理書き起こしシリーズ   100分で名著 

カフカ「変身」 指南役 川島隆(ドイツ文学の専門家)

4回シリーズをひとまとめで  2022.7.3

 

<はじめに>

100分で名著に取り上げられる本はほぼ読んだことがないものですが、今回のカフカの「変身」は高校生の時に読みました。でも今覚えているのは、主人公が最初の段階で「朝起きたら虫になっていた」ことだけで、何も覚えていません。

そこで録画した4回分をまとめて1日で見てみたところ、

「こういうお話だったんだ!」

と、改めて、いえ、初めてこの本の素晴らしさに触れることになりました。

 

この「書き起こしシリーズ」は名前の通り本来は書き起こすのですが、これに関しては全部書き起こす必要はないかな、と思ってしまったので、4回シリーズの、気になったところの抜粋というスタイルでお送りします。

特に4回目のゲスト頭木さんのお話は興味深く、4回目はかなり書き起こしてあります。

 

また、これはネタバレものですので、それが嫌な方はお読みにならないでください。

 

<カフカについて>

1883年~1924

・チェコ・プラハ生まれ人 ドイツ語を話すユダヤ人

・裕福な家庭で育つ(父は苦労して成功した人)

・プラハ大学で法学を専攻、将来有望なエリートコースを歩む

・大学時代に文学に傾倒、文学で生きたいたいと思ったが父に逆らえず官僚に

・保険協会で労災にかかわる仕事

・仕事をしながら小説を書き続けた

・気配りができ空気を読める人物

・責任感が強い

・父親に強いコンプレックスを抱いていた

30歳位の作品

40歳で結核で亡くなる

・結婚はしなかった。しかし、もてて色んな人と付き合っているた。フェリーツェ・バウアーと5年間交際し2回婚約するが1回目は結婚に向かないと思い婚約破棄。2回目は結核にかかって婚約破棄

・手紙を書くのが好き。エリーテ・バウアーには5年間に500通を超えた

 

<あらすじ>

物語は主人公グレーゴル・ザムザの視点で描かれる。

 

朝目覚めると虫になっているのに気づいた。グレーゴルはサラリーマンで、一家(父・母・妹)を養っている。この日も朝5時の列車で出勤しなければならなかったが、時計は6時45分に近づいていた。グレーゴルは次の列車に乗って仕事にいかなければと焦る。しかし、背中が甲羅のようになっていて立ち上がれず、あがいても体が揺れるだけ。喋ることもできない。

為す術もなくもがいていると部屋の外から両親と妹がグレーゴルの名を呼んでいるのが聞こえる。必死で立ち上がり椅子を支えにドアへにじり寄った。そしてドアの鍵を口でくわえて回しドアを開けた。グレーゴルの姿を見た途端、母と妹は叫び声を上げ、父は「シッシ」とグレーゴルを追いやり部屋に閉じ込めた。

 

翌日からグレーゴルの面倒は妹のグレーテが見ることになった。グレーゴルは好物だったミルクやパンを受け付けず、腐った野菜やチーズに激しく食欲をそそられ、むしゃむしゃと食べた。

無数にある足からは粘液が出るが、妹のグレーテは毎日掃除をしてくれた。

 

徐々に虫であることに慣れたグレーゴル。

次第に壁や天井を這い回ることに楽しみを見つけていく。窓から外を眺めるのも好きだ。

ある日、息子に会いたいと部屋に入った母はグレーゴルの姿を目の当たりにし、ショックで失神。父は怒り、グレーゴルにりんごを投げつけた。りんごはグレーゴルの背中に刺さり、グレーゴルは徐々に弱っていく。

 

グレーゴルが弱ったので家族はグレーゴルが危害を与えないと思ったのか、ドアを少しだけ開けるようになる。家族を見ることができるようになり、グレーゴルは嬉しくなる。

 

ひと月後、グレーゴルの収入がなくなったので、家族は全員働き始めた。さらに収入を得るため、空いている部屋を3人の男たちに貸すことにした。

妹は仕事が忙しくなってグレーゴルの世話をあまりしなくなる。グレーゴルは家族が自分に関心を持たなくなったことに寂しさといらだちを感じる。

 

そんなある晩事件が起こる。

夕食後、妹が得意のバイオリンの演奏を始めたところ、間借り人たちは徐々に飽きてしまい不機嫌になった。グレーゴルは勝手な男たちに怒りを覚え居間へ姿を現す。グレーゴルの姿に気づき男たちは怒りだし、「家を出る」と叫んだ。

家族は興奮し、グレーゴルを追い回した。妹はグレーゴルを「これ」と呼び「いなくなってもらう!」と叫んだ。虫はもはやグレーゴルではなく、邪魔者以外の何物でもなかった。

その夜、疲れ切ったグレーゴルは早朝静かに息を引き取った。

 

あくる朝、グレーゴルの死を知った家族は心から安堵した。そして郊外へピクニックに出かけた。

娘が美しく成長していることに気づき両親は「婿を探してやらねば」と思う。

 

<第1回から>

・話の冒頭でグレーゴルは仕事に行かなければならないのに虫になっているから行けない。カフカはこの姿にしがらみから逃れたいという自分の願望を託している。

・原語では「虫」を「Ungeziefer=有害小動物(ネズミ・シラミ・ゴキブリなど)。捧げ物に使うことができない。役に立たない」という言葉

 

<第2回から>

・孤独であることの楽しさと苦しさの両方が表現されている

・繋がりたいけれど、切れてもいたい

・恋人フェリーツェ・バウアーへの手紙の一節

 「よく思ったことがあるのですが、私にとって一番いい生き方は、筆記用具一式とランプを持って、閉ざされた広大な地下室の一番奥の部屋に引っ込んでいることかもしれません。食事は誰かに運んでもらって、私の部屋からずっと離れた、地下室の一番外側のドアの向こうにおいてもらう。食事を取りにパジャマを着たまま地下室の穴倉をくぐっっていくのが、私の唯一の散歩となるのです」

・カフカが作品をたくさん書いているときというのは、葛藤が大きくなったとき

・父親への手紙で結婚のことが書かれている部分

 「なぜ僕は結婚しなかったのでしょう。細かい障害は至るところにありましたが、そういう障害を受け入れるのが人生というものですよね。しかし、残念ながら細かいケースとは無関係に存在する本質的な障害は、僕がどうやら精神的に結婚不能だということです。結婚すると決心した瞬間から眠れなくなり、昼も夜も頭が燃えるようになる、という点からも明らかです。生活に支障をきたし、絶望してふらふら歩き回るのです」

・結婚すると小説を書く時間が無くなってしまう

 

<第3回から>

・結末として、カフカはこの主人公を死なせる結末にするが、それは主人公が、しがらみから開放されるということは、社会の中で居場所を失うということ。だから最終的にはこうならざるをえない。

・カフカが生まれた当時のチェコは、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあり、ドイツ人が支配権を握っていた。しかし、19世紀末になるとチェコ人の反発が大きくなり暴動が発生。さらに、ドイツ語を話すユダヤ人への排斥感情も悪化していった。ドイツ語を話すユダヤ人だったカフカは恐怖を覚えた。またユダヤ人の中でも比較的裕福だったカフカは、貧しいユダヤ人への罪悪感も感じていた。カフカは自分のおかれた状況に不安をいだき、居場所がないと常に感じていた。

・この頃裕福だからこそ貧しい人からの憎しみの対象になっていた。

 

~カフカ晩年の未完の長編作品「城」のあらすじ~

(「変身」の10年以上後の作品)

ある男が城に入るために様々な手を尽くすが結局たどり着けないという不思議な物語。

ある冬の晩遅く主人公Kは雪深い村にやってきた。ようやく見つけた宿に部屋はなかったが、酒場の片隅を借りて眠りについた。Kはこの村の城に呼ばれた測量士だった。

翌日城に向かってKは歩き出す。しかし、城は見えているのにどういうわけか一向に城にたどり着かない。仕方なく宿に戻るとKの助手と名乗る見知らぬ二人の男が訪ねてきた。Kは不思議に思ったが、二人が「城に入るには許可がいる」と言うので、城の執事に電話をする。しかし、執事からは「来なくていい」と言われる。

その後もなんとか城に辿り着こうとするK

城の使者と名乗る男が宿に来たので、一緒に城に行こうとするが、使者は自分の家に帰ってしまった。

城の長官と愛人関係を持ち間を取り持ってもらおうとするが、うまくいかない。

さらに、仕事のことは村長が知っていると聞き、村長に尋ねるが「城に測量士の仕事などない」と言われる。

あらゆる手を尽くすが、結局城にたどり着くことができないまま物語は終わる。

 

・「城」は「変身」のときとずいぶん心境が変わっているが、それは戦争が関係しているようだ。「変身」執筆2年後の1914年、第1位世界大戦が勃発。ロシアの攻撃を受けた地域から多くのユダヤ人が難民としてプラハにやって来た。カフカはユダヤ人難民を保護するボランティアに参加。そこで子供のために毛布や肌着を必死で手に入れようとする母親たちに驚く。居場所を失っても強く生きようとするユダヤ人難民の強さにカフカは感銘を受け「城」に思いを託したのかもしれない。

・「城」では宙ぶらりんのままひたすら居場所を探し続けている状況を書き続けたかったのではないか。カフカは自分の居場所を見つけられなかったから書き続けた。

・「変身」は居場所がないことに開き直って、今居るところに居座るが、「城」では居場所のない人間がそれを認めて静かに消えていく。

 

<第4回から>

ゲスト:頭木弘樹(カフカ研究家)

    ・カフカの言葉を集めた書籍の出版「絶望名人カフカの人生論」

    ・「変身」を中学生の時読み、全てに共感した

    ・年令を重ねて「変身」を読むと、親の側の視点で読んだりと、いろんな楽しみ方ができる

 

・妹がグレーゴルの世話をするシーン

 ~これまで兄のグレーゴルの世話をしてきて、妹のグレーテにはよくわか

っていた。グレーゴルが這い回るにはスペースがたっぷり必要だ。その

一方で家具の方はどう見ても全く使われている様子がなかった。だが、

グレーテが部屋から家具を出そうとしているのはそういう実際的なこと

だけではないのかもしれない。この年頃の娘によくありがちな熱くなり

すぎる真理もまた作用しているのだろう。きっかけさえあれば、気の済

むまでやろうとしてしまうのだ。その心理のせいで、グレーテは今、グ

レーゴルの境遇をいっそう悲惨なものにしようとしていた。そうなれば

これまで以上に兄のために尽くしてあげることができるからだ。なにし

ろ、がらんとした部屋の中で、ただグレーゴルだけが四方の壁を這い回

っていることになるのだ。そんなところにはグレーテ以外、おそらく誰

も入っていく勇気が出ないだろう。

 

・困っている人を助けて感謝されて嬉しいという気持ちは誰にでもある。そして、もっと助けてあげたいと思う。しかし、もっと助けてあげたいということは、相手がもっと困っている方がいい。だからつい、困っている人を困っている方に追い詰めようとしてしまう。美しい心の中に残酷さが混じっていく。それを弱者であるカフカは見事に描いている。

 

・頭木さんの話(※ここで頭木さんの21歳のときの写真が映し出されるが、カフカとそっくり)

 大学3年のときに大腸に潰瘍ができるという難病を発症。医師に「就職や進学は無理」と宣告され、13年間入退院を繰り返す。闘病中頭木さんは社会から取り残され絶望するしかなかった。

 

 そんなとき頭木さんの心を捉えたのはカフカの言葉。人間の弱さを表現したカフカの言葉が自分の弱さを代弁してくれているように感じた。

 そして、絶望の淵から救ってくれたカフカの言葉を集めた本を出版。

 

~「絶望名人カフカの人生論」より~

・将来に向かって歩くことは僕にはできません。将来に向かって躓くこと、これはできます。一番うまくできるのは、倒れたままでいることです。

  (フェリーツェへの手紙 より)

 

頭木

明るい名言というのは世の中にたくさんある。倒れていて、前に向かって歩

きたいときに肩を貸してくれるような言葉はたくさんある。ところが、もう、

前に行く気力もない倒れたままでいたいというときに「肩を貸してやるから

さあ立ち上がれ」と言われると苦しい。

僕自身も難病で苦しんでいるとき「きっと治るよ」なんて言われてもそんな

言葉はまぶしすぎる。

 

伊集院

ビートたけしさんが「人間はみんなクソだ。俺はいつまでも便器にこびりつ

いてやる」という言葉を聞いて、なんて美しいんだろうと思った。

 

頭木

絶望しているときに希望の言葉を聞くというのは人が溺れているときに石を

投げられるような感じ。カフカの言葉はそうならない。こっちが倒れている

ときに一緒に倒れてくれる。そういう言葉に触れると救われる。絶望してい

るときにカフカの言葉が身にしみた。

 

~「絶望名人カフカの人生論」より~

・ミルクのコップを口のところに持ち上げるのさえ怖くなります。そのコップが目の前で砕け散り、破片が顔に飛んでくることも起きないとは限らないからです。

  (ミレナへの手紙 より)

 

川島

カフカの場合は自虐をしていくことが生きる原動力になっている。自分は弱

いということを強調することによって葛藤が生まれてくる。葛藤がエネルギ

ーになっている。

 

頭木

カフカの人生は外から見れば順調、体も健康。だけど、自分の弱さに固執し

ている。弱さが現実に気付ける強さになっている。弱さを手放さないよにし

ている。

 

私自身も大学3年のとき突然病人になった。変身では突然虫になったのに会社に行きたがるということを不思議に思うと思う。「虫になったのになぜ会社に行こうとするんだ」と。

でも、当然病人になると「来週試験があるのに」とか「友達と約束があるのに」「テレビの録画予約しないといけない」とか、そんなことを思う。

病気の体験後「変身」を読むと、涙なくしては読めない。

 

とても落ち込んでいるときに励ましてくれる友達というのはとても嬉しい。

でも、一緒に泣いてくれる友達はまた嬉しい。絶望的であるほど、わかり合

えていることが救いになる。共感につながる暗さは救いになる。

 

川島

「変身」を共感して読むのが基本で寄り添ってくれているような感じ。ただ、私が思うのは、カフカは寄り添ってはくれるけれど一緒に泣いてはくれない人。カフカの描く世界は乾いた世界。弱さ苦しさ痛みなど感情移入を託すけれど一緒に泣くというのではなく、あくまで乾いていて、常に読者をはじき続けているというところがある。

 

40歳で結核になってカフカの心境が変わる~

30代になるとカフカはサラリーマンをしながら数冊の本を出版し、作家とし

ても認められ始める。しかし、そんな矢先、カフカは結核に侵される。仕事

をやめ療養生活に入ったカフカは恋人への手紙で次のように書いている。

 

 「結核は一つの武器です。僕はもう決して健康にならないでしょう。僕が生きている間どうしても必要な武器だからです」

 

頭木

カフカの場合それまでの日常が非常に辛かったので、逆に病気によってそれから開放された。普通の人にならなければならない…仕事をしなければならない・結婚しなければならない・子供を作らなければならない…ということから開放され不眠症が治りちょっと太ったりもした。幸せな一時期を過ごしたりした。

 

川島

カフカの場合、社会生活から開放されている状態は、作家としてはマイナス。そのあたりは複雑で微妙な問題。

結核になり恋愛からも開放され、2年間ほど何も書いていない。また別の恋愛をしてお父さんから反対され葛藤が生まれるとまた書いたりする。

弱さ苦しさがエネルギー。

 

頭木

一般に明るいのが良くて暗いのが良くないと言われるが、一概にそうは言えない。現実は明暗ある。暗いものから目をそらして生きて行くのは危うい。「変身」のようにとことんネガティブで絶望的で救いのないものも必要。この小説を読んでよかったと思うときが人生はある。

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