2022年7月13日11:30、私達夫婦と母の3人は、車で山口県にある父の墓参へ出発しました。
石川県から山口県へ車で向かう場合、休憩込みで約9時間。子供が小さいときからずっと、夏休みのお里帰りや身内の葬儀のときなど、常にこの方法で行っていました。理由は大きく2つ。荷物のことと、田舎から田舎への移動の場合、到着したあとの動きを考えても、自家用車しか交通手段がないからです。
実はこの前日、山口県にいる従姉妹のJちゃんから
「大阪にいるS叔父の容態があまり良くないらしい。しかし、今日・明日ではなく、あと4~5日」
という連絡が入っていました。
この時点で
「明日私たちは山口県に墓参に向かう。もしものことがあれば、私達の車でJちゃんのお母さん(S叔父の姉)と一緒に大阪へ行くことも可能」
ということを伝えました。
S叔父は父の弟で83歳。
母は墓参をやめようと言いましたが、S叔父の容態がいつ最悪の事態になるか、または回復するか、いつにしようと同じなので計画通りに進めようと私がいい、墓参に出発しました。
さて、山口県へ向かう経路ですが、10年ほど前までは
①
金沢~北陸自動車道~米原
米原~名神高速~吹田
吹田~山陽自動車道~山口
という、地図で言えば琵琶湖の右側を通るルートでしたが
ここ最近は、敦賀から舞鶴自動車道が開通したため
②
金沢~北陸自動車道~敦賀
敦賀~舞鶴自動車道~神戸北
神戸北~山陽自動車道~山口
という、琵琶湖の左側(・・・といってもかなり遠いですが)を通るルートに変わっていました。
私達が石川県を出発して3時間ほど経った14時過ぎ、従姉妹のJちゃんから
「S叔父危篤。従姉妹のHくんが新幹線で向かっている」
という情報が入りました。
車は舞鶴あたり。直ちにこのまま大阪の病院へ向かうことに決まりました。
ルートとしても前述の①、②のどちらを選択していたとしても全く問題がありません。
カーナビを病院へ合わせましたが、彼の車のカーナビはかなり古く、新しい道路情報が入っていなくて、結局スマホのルート案内で病院へ到着しました。
正直、大都会・大阪の道は石川県人にはかなりハードルが高く、正しくルート案内されているにも関わらず何度も間違えました。
結局S叔父は、14時過ぎに息を引き取りました。
この日の朝、電話で従姉妹のYちゃんと元気に話しをしていたというのに。
叔父の病室に入ると、苦しんだ様子のない顔にとてもほっとしましたし、また3年前に亡くなった父とそっくりであることに、なんとなく微笑ましいような(こういう気持ちを上手く表現する言葉を知らないことが残念です)気持ちにさせてもらうことができました。
また病院では先に到着した従兄弟のHくんが、すでにいろいろな話を進めてくれていましたが、短時間にこんな事ができたのは、全て、これからお話するIさんご家族のおかげです。が、お話すると言っても、私自身S叔父に関して無知識。病院でIさんからお聞きしたことと従姉妹たちから聞いたことの僅かな情報ですが。
・叔父は独身
・IさんとS叔父は家族ぐるみのおつきあいをしていた
・現在病院に来てくださっているのは、そのご家族の子供さん夫妻(40代?)。この男性はS叔父に我が子のようにかわいがってもらっていた
・すでに亡くなっているこの男性のお父さんは、「自分の遺骨はSと一緒に納骨してほしい」と言っており、S叔父もそれを希望。本当に今まで納骨されていない
・S叔父は「葬儀不要。その後の遺品整理お墓のことなど、すべてIさんご家族に任せる」との意思を示していた
その他色々ありますが、これらのことにS叔父の親戚一同全く異論はなく、Iさんのご提案で進めていただくことにしました。なにより、S叔父のことを私達親戚よりもはるかに悲しんでくださっていることがとてもありがたく感じられました。
葬儀社の手配もIさんが進めてくださって、1時間ほど後、葬儀社の方が到着。
病院内の霊安室でお別れの儀式を済ませると、S叔父の遺体は火葬までの間安置してくださる場所へと運ばれていきました。
火葬は明後日。
火葬に関する手続きだけは身内でなければということで、従兄弟のHくんが大阪に残り、明日市役所などに行ってくれることになったので、私達は一旦石川県へ帰り、明後日、改めて火葬のときに大阪へ向かうことになりました。
それにしても今回のことで
「友情」
とか
「家族ぐるみのお付き合い」
という、ほぼ私の人間関係には縁のないことについて考えさせられることになりました。
私が普段それほど必要とか存在を信用していない「友情」「家族ぐるみのお付き合い」がこの世に本当に存在していることを、このIさんは私に証明してくだいました。その証明の仕方は、多くの言葉でや時間ではなくて、このお二人から発せられるオーラとかムードとしか表現しようがありません。S叔父は人生の最期までこのIさんご家族に見守られて、本当に幸せだったと思います。
また、私は自分の人生においてこのようなことを大事にしてこなかったことを、初めて少し残念に感じました。
そのようなことも含めて、Iさんには心からの感謝を込めてこのブログを終わります。
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