西野真理書き起こしシリーズ 中田敦彦のYouTubeチャンネルより
サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」(新潮社)
その2
<Wikipediaより>
フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、(英: Fermat's Last
Theorem)とは、
3以上の自然数nについて
xn + yn = zn となる2より大きい自然数の組 (x, y, z) は存在しない
という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。ピエール・ド・フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後330年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理またはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。
<中田敦彦YouTubeチャンネル書き起こし その2>
⑥1955年舞台は日本に 若き数学者 谷山豊・志村五郎
この二人の数学者2人はとても仲良し。谷山は天才肌、志村は理詰めタイプ。
この二人が奇妙な思いつきをする。
「楕円方程式とモジュラーは同じものなんじゃないか」
楕円の計算に関して便利な方程式があり、それはあのディオファントスの「算術」にも載っている。一方モジュラーはマイナーな分野。この2つは全く別々に研究されていた。しかし、この2つは全く同じとは言わないまでもかなり一致しているんじゃないかと気づいた。
谷山豊がこれを発表したとき、あまりに斬新すぎて理解されなかった。
志村は谷山を信頼していたので、谷山の理論を信じ助け
「谷山・志村予想」
として証明に取り組んだ。
そんな中、志村は外国の大学に呼ばれて教鞭をとることになった。残された谷山は自殺してしまう。遺書には
「理由は特にない。ただ将来に対して不安になった」
と書かれていた。
実はその直前に谷山は婚約までしている。その婚約者も後を追って自殺してしまう。
その後「谷山・志村予想」は西洋に持って行かれ、証明はされていないけれど、かなりのところまで研究が進んだ。そして、
「谷山・志村予想が正しければ、この理論も正しい」
という研究がたくさん現れた。
しかし、それが証明されないうちはその他も証明されないので「谷山・志村予想」に期待がかかった。
「でもこれって、フェルマーと関係ないんじゃない?」
と最初はみんな思っていた。
⑦ゲオハルト・フライの登場
ところが1984年ドイツのゲオハルト・フライが(ドイツの数学者 1944年生まれ 2022年現在ご存命)
「『谷山・志村予想』が正しければ『フェルマーの最終定理』も正しいことが証明される」
と言い出した。
「フェルマーの最終定理を影響のない形で書き直すと、楕円方程式の形に酷似する。こちらが成立すればこちらも成立する」
と、背理法的やり方で全く関係のなかった2つの理論を結びつけた。
⑧-1 アンドリュー・ワイルズの登場
そこへアンドリュー・ワイルズが現れる(イギリスの数学者 1953年生まれ 2022年現在ご存命)
アンドリュー・ワイルズは10歳のとき図書館でフェルマーの最終定理に出会い、
「これを解くのは僕だ」
と思った。そして、フェルマーの最終定理を解くためだけに生きていく。
その頃フェルマーの最終定理に取り組む若い天才はいなかった。それでも師匠にフェルマーをやりたいというと
「あれで人生を棒に振った若者がいっぱいいる。数学者としての堅実な成功を捨ててまでそれをやるのか。あれは数学者殺しだ」
と諭されるが
「私はそのためにここまで来た」
と言った。
すると、とりあえず
「まずはこれをやりなさい」
と言われて勉強したのが楕円方程式。
楕円方程式はフェルマーもお気に入りのやり方。なぜならディオファントスの「算術」にもかなりぶ厚めにここの理論が書いてある。だからこの師匠もフェルマーの最終定理に行くには楕円方程式が鍵になるかもしれないと勧めた。
⑧-2 フェルマーの最終定理に挑む
そんなある時、その研究をしているワイルズのもとに
「『谷山・志村予想』がフェルマーの最終定理を解く鍵になる」
というニュースが飛び込んできた。
1986年ワイルズはすでに大学の教授になっていたが、ついに師匠に
「フェルマーの最終定理に挑みたい」
と申し出る。
ワイルズはすでに教授だったので、教授としてのいろいろな仕事があったが、最低限の仕事以外の時間はすべて自宅に籠もり研究するという作戦に出た。
これの何がすごいかというと、数学の新しい理論を証明というのは難しいから何人かで共同で証明するというのがトレンドだった。お互いにチェックしながら「何人かで証明しました」とチームとしての功績にするのが普通だった。
それをたった一人で家に籠ってやる。
「これは、僕の楽しみだから」
と。
もちろん功績を独り占めしたいという気持ちもあったかも知れないが、
「これは僕の遊びなんだ。10歳の頃からずっとやりたかったゲームなんだ。そのためにすべての理論を学んできたんだ。フェルマーの最終定理を解くために生まれて生きてきたんだ」
という気持ち。
その後6年間、アンドリュー・ワイルズは、家に籠って研究に入るが、
「あいつ最近家に籠って怪しい」
と噂話をされるのも嫌。だから、疑われないように普段どおりの生活をしているように見せかけ、評判を崩さなかった。
また、1986年にそこそこ別の価値のある発見をして論文を書いていた。しかし、それをいっぺんに発表すると評判になって周囲から
「次は、次は」
と期待される。だから、全部できていた論文を細切れにして少しずつ発表して、定期配信するという方法でうまく期待を回避した。
⑧-3 協力者 カッツを得る
その間に、色々な古今東西の理論をかき集める。
1986年にガロア理論という1832年に亡くなったガロアの理論が使えることを見つける。
1991年に岩澤理論にも興味を示すが、これ単体では使えないと悩んでいたときコリヴァギン=フラッハ理論にたどり着く。これを使えば最後の1歩に手が届くが、これを使うにはとても時間がかかる。どうしても誰か手助けが欲しい。しかし
「あいつフェルマーやってるぜ。もうすぐできるらしいぞ」
と絶対噂になりたくない。
そこで同じ大学の信頼できる同僚・カッツという協力者を得る。
カッツのところへ行き
「『谷山・志村予想』が解けそうだ。手伝ってくれないか」
と申し出る。カッツは
「その証明はどこまで行っているんだ」
と当然聞くが、それを説明するには時間がかかりすぎるので、二人はとんでもない作戦にでる。それは
「カッツが授業をしたりする業務以外の時間のすべてを、これまで組み立ててきた理論をカッツに説明するためだけの授業を開講する時間に当てる」
だから、大学側には授業をしているように見えるが、それは全部カッツにこれまでの経緯を発表するという授業。
ところが学生には、それが「谷山・志村予想」とか「フェルマーの最終定理」への道筋とか言われずに始まっているので、何を教授が喋っているのかわからない。だから最初は講義を受けに来ていた生徒たちもどんどん減っていき、まんまとワイルズとカッツしかいない状態になった。そういうふうにしてそれまでの情報をカッツに全て教えこんだ。そしてカッツはついに
「『コリヴァギン=フラッハ理論』の計算の手伝いをすればいいんだな」
というところに至る。
⑧-4 研究発表
1993年ワイルズはイヴェントを開く。
それは新しい理論とか発見に関する発表の講義を3日間行うものだとワイルズは言ったが、なんの発見なのか誰も知らない状態で始めた。
ところがワイルズがなにか仕掛けてきそうだという噂がこのイヴェントの数日前に広がった。
「どうやら『谷山・志村予想』に関するものらしいぞ」
「ということは、フェルマーか!」
そして1日目の講義
谷山・志村予想についての講義を始めるが、証明しきらない。会場の受講者はメールを発信する。
「どうやら『谷山・志村予想』の第一歩を見つけたらしい。完全に証明できないけど、一歩進むみたいな感じ」
2日目
この日も核心まで行かない。受講者は
「どうやら『谷山・志村予想』をかなり進めているらしい。一歩どころじゃない」
と発信。世界中のあらゆる数学者に届く。
3日目
それまで使った理論の全てを作ったキーパーソン達が講堂に集まった。
「〇〇理論の△△」
「※※理論の□□」
・・・・・・
これをやるための理論の研究者が全員並んでいる。
そしてついに「谷山・志村予想」を「コリヴァギン=フラッハ理論」を使って打ち破り、全てが終わってパンと手を叩き
「これで証明を終わりにします」
その瞬間に会場全体が立ち上がって拍手。
ここに300年の難問が解かれた。
そしてワイルズはCMにも使われたりして、世界の天才としても持ち上げられる。
⑨査読
アンドリュー・ワイルズの論文は査読(精密に捜査するように読む)に入る。精鋭の6人が選ばれて超難解な論文を6つに分け、1個1個検証する。わからない部分はメールでワイルズにひたすら問い合わせて検証していく。たいていがちょっとしたことなのでどんどん進んでいく。
そして6ヶ月ほど経ったとき、No.3のブロック担当者からある疑問が届けられる。
「『コリヴァギン=フラッハ理論』のここ、これでいいのか?」
何度かやり取りがあったあと
「しまった、1つだけ見落としていた」
結論から言うと、それ以外は完璧だった。
1つだけの穴だが、これが1つあることで、「谷山・志村予想」は証明できていないことになるし、もちろん「フェルマーの最終定理」も証明できていないことになる。が、それでも十分価値があるほどこの論文は発見に満ちている。だがそういう問題ではない。
本当は正式な論文を数週間後には全文発表すると言っていたのに、何ヶ月も発表されない。
ワイルズは
「修正する」
と言って何日も籠って計算を繰り返すが、コチラを修正するとコチラがはみ出しを繰り返すという袋小路に迷い込む。
周囲は何ヶ月も論文が出てこないので
「あれ?」
とざわつき始める。
そして、半年以上何の成果も得られず
「あれには穴があった」
という噂が広まる。そしてワイルズはNo.3の担当者に
「もうダメだ」
と言うと、その担当者が
「大丈夫だ。ダメだったということを発表してみたらどうだ。そうすれば皆がそれを検証して、最終的にはゴールに近づくんじゃないか?」
「嫌だ。たった一人でやってきた、僕の10歳ころから夢なんだ」
「わかった。誰か一人でもいいから手伝いがほしいんだろう?誰か一人相談役をつけろ。誰か手伝ってくれるやつはいないのか?」
⑩修正
そこでワイルズはかつての自分の教え子に声をかけた。
その教え子は快諾。一緒に頑張ってくれたがやはり結果は出ない。
ワイルズは
「もうダメだ・・・」
と言ったが教え子から
「先生、あと1ヶ月だけ頑張りましょう」
と言われ、その論文に向き合った。
ワイルズはもうダメだと思ったが、なぜダメなのか考えてみたところ
「『コリヴァギン=フラッハ理論』はこれ単体では使えなかった・・・」
と思ったときに、放置していた「岩澤理論」を思い出し
「『コリヴァギン=フラッハ理論』と『岩澤理論』を組み合わせたら行ける!」
というのが見えてきた。
2年間取り組んで捨てていた「岩澤理論」がついに役立った。
「コリヴァギン=フラッハ理論」と「岩澤理論」は2つで一つだった。
そしてついに「フェルマーの最終定理」は発表から2年後に修正完了。
こうして「フェルマーの最終定理」は証明されたが、ワイルズはその後
「だが、寂しい」
とつぶやいた。
「これからもいくつかの難問に挑戦するだろう。そしてそれを解くたびに私はある程度の喜びを得るだろう。しかし、フェルマーの最終定理以上に私の人生を燃やす遊びはないだろう」
そんな中
「abc予想」
を日本人が解いたという情報が入ってきた。
その査読に7年間かかったし、懐疑的な見方もある。
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