フェルマーの最終定理 書き起こし その1 (中田敦彦のYouTubeチャンネル)2022.7.22

西野真理書き起こしシリーズ  中田敦彦のYouTubeチャンネルより

サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」(新潮社)

その1

<はじめに>

中田敦彦さんのYouTubeチャンネルで見たこの動画があまりに面白かったので書き起こすことにしました。2022年7月22日朝7時から始めて、その1,その2 合わせて約7時間の作業でしたが、とても楽しく書き起こしを終えました。

ぜひ中田さんのチャンネルをご覧くださいね。

 

Wikipediaより>

フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、(英: Fermat's Last Theorem)とは、

3以上の自然数nについて 

xn + yn = zn となる2より大きい自然数の組 (xyz) は存在しない

 

という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。ピエール・ド・フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後330年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理またはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。

 <中田敦彦YouTubeチャンネル書き起こし その1>

 フェルマーの最終定理(3以上の自然数nについてxn + yn = zn となる自然数の組 (xyz) は存在しない)が解けるまでのヒストリーを書いた本。2000年に発売されたが今でも歴史的名著として売れている。

 ・サイエンスのドキュメンタリー本であるにも関わらず、まるでとんでもないミステリーを読んだような気持ちになる。

・フェルマーの最終定理が人類とどのように戦ってきたかが面白い。数学嫌いな人も好きになるくらい面白い

 

<フェルマーの最終定理の歴史>

300年間人類を悩ませてきた難問

・各時代最高の頭脳が頑張っても300年解けなかった

発端は古代ギリシャのピタゴラス

あのピタゴラスの定理( a2 + b2 = c2 ) でおなじみの人。

ピタゴラスはピタゴラス教団というのを持っていて「この世は美しい数でで

きている」というのが教義で、その中でも最大の発見がa2 + b2 = c2

これによってピタゴラスの名声は非常に高まった。

そんな中、ピタゴラスは最終的にとんでもないことをする。

「美しい数でできている」

と言うのはつまり世の中には「整数」しかないということ。この時代の数学

はまだこの程度だった。弟子が「ルート2」みたいな整数以外の数を発見したけれど認めず、なんと処刑した。(溺死させた)

このようにピタゴラス教団は叡智も生んだが闇も生んだ。「整数が美しい」と言ったことによって、平方根とか無理数などの発見が遅れることになった。

 

②ディオファントス

古代ギリシャ最後の天才と言われた人。

「算術」という数学の問題をたくさん集めた本を出した。全13巻。

当時最も発達していたのがビザンツ帝国。トルコの上の方。アジアとヨーロッパの中間地点。そこに置いてあった。

ところがそこがオスマン・トルコの侵略によって、ディオファントスの本も略奪されて7巻以降は何処かへ行ってしまったが1~6巻だけなんとか残った。その残った中にピタゴラスの定理も入っていた。

 

17世紀フランス。フェルマーがあらわれる

フェルマーの最終定理の名前のもとになっている人。

この人は数学者ではない。裁判官。

当時の裁判官は日常の生活にもとても厳しい制約があった。あんまり外で遊んではいけない。そんなフェルマーの趣味が数学。

しかし、頭が良すぎて趣味の域を超えていて、当時の数学者がまだ見つけていない定理などを発見した。例えば数学者パスカルと組んで「確率論」を発見したのもフェルマー。

 

ただ一つの欠点として、性格が悪い。本人は数学のアマチュアということで、プロの数学者に対して

「お前らプロの数学者より、俺のほうが頭いいぞ」

というのを見せつけるのが趣味だった。

そこでこんな事をした。

自分で問題を作ってその答えを用意して、それを数学者に送りつける。それを数学者たちが「できません」というのを見て楽しむという悪趣味。

 

フェルマーは趣味でやっているので、論文を書いて発表するとか人に教えるなんてしない。

そんなフェルマーが手に入れたのがディオファントスの「算術」だった。

その本にある問題をフェルマーはどんどん解き、それよりさらに難しい問題を考えて自分で解く、っていうことも楽しんでいた。

それを「算術」の余白に書き込んでいた。

 

そんな中、ピタゴラスの定理に出会う。

この定理を見たあとで

これが2乗じゃなくて3乗だったらどうなんだろう」

とまず考えた。

「あれ?3乗になるとないぞ」

となった。2乗なら無限にあると証明されているのに。

3はない、4は?5は?6は?

3以上の自然数nについてxn + yn = zn となる2より大きい自然数の組 (xyz) は存在しない

これがフェルマーの「算術」の余白への書き込みだった。

 

ただ、これを証明しなければ「定理」にならない。

フェルマーは証明する方法を見つけたようなのだが、そのことが「算術」の余白にこう書いてあった。

「これに対する証明を驚くべき方法で考えついたのだが、それを書くにはこの余白では狭すぎる」

 

嘘じゃないかと思うかもしれないが、これまでフェルマーはそのような遊びを仕掛けて、その解をちゃんと持ってきた人。そのようなことの嘘を言う人ではない。実績がある。

そしてそれを誰にも発表せず亡くなってしまう。

 

死後、フェルマーの息子が、父の持っていたディオファントスの「算術」の本に異常な量の書き込みがあることを発見し、その中には価値のある書き込みがあることにも息子は気づいた。

「これ、まだ世の中に発表されてないんじゃない?」

「この問題すごいんじゃない?」

息子は数年かけてそれを解読し、ディオファントスの「算術」にフェルマーが問題を書き込んだものが出版された。その中にはいくつもの難問が含まれていた。

 

プロの数学者たちはこれらに立ち向かい、一つずつ解かれていったが、残ったのがフェルマーの最終定理。つまりこの「最終定理」という言い方は、フェルマーが残したダイイングメッセージの中の解けなかった最終問題という意味。

ただ、「定理」と言うのは証明されているもののことをいうので、正確には「予想」。

 

-1 1753年 天才オイラーがあらわれる

オイラーを知っている人はオイラーのことをこう言う。

「人が呼吸をするように計算をし、鳥が空に浮かぶように計算をする」

 

父親が牧師でオイラーを牧師にしようとしていた。

ところがオイラーの数学の才能に気づいた数学サラブレッド一家が「あいつは我が家を超える天才だ」と言って、オイラーの父親に頼みオイラーに数学をやらせた。するとオイラーは才能を開花させる。

 

その後オイラーは難問解決屋になっていた。

それまで数学というのは、実生活に役立たない遊びだと思われてきた。「役立つのは物理とか化学でしょ」と。

ところが数学が実際に役立つと証明したのフェルマーとオイラーの間に現れたアイザック・ニュートンだった。ニュートンが数学を物理の世界に応用して、いろんなものの計算に使えるよという風にしたことで

「数学は科学の進歩の基礎なんだ」

という認識が広まった。

そのあたりから数学者に対して、問題解決のオーダーが入るようになった。

オイラーはその解決をしていた。

 

オイラーがすごいのは、盲目だったということ。

はじめは見えていたがまず片目が見えなくなった。

その時オイラーはこう言った。

「これでまた計算に集中できる」

そのうちもう片方も見えなくなるとわかった時点で、字を書くことを手に覚えさせた。でも実際見えなくなると文字は荒れてくる。

周囲も、オイラーはもうだめかと思ったが、なんとオイラーは今まで読んだ本のすべてを記憶しているというとんでもない能力と、すべての計算を暗算でできるという能力を発揮して、盲目になってから「月の動きの計算」を当てた。

 

-2 そんなオイラーがフェルマーの最終定理に挑む

まだ目が見えているときのオイラーが先程の息子が出版したフェルマー書き込み入りの「算術」の本をくまなく読んでみると、なんと、フェルマーが実際に証明していたであろう痕跡をみつける。

それは、x4 + y4 = z4

が存在しないという証明を軽くして、他の問題の証明にそれが混ざっていたのをオイラーが発見した。やや雑に書かれていたが、それをちゃんとやるとこのことはちゃんと証明できた。

その時に使っていた手法をもとにすれば、「n=3」の場合もないということだけは証明できる。

ただ、このオイラーをしても、ここまでしか証明できずに亡くなる。

 

-1 女性数学者ソフィー・ジェルマン登場(フランス人)

この当時ジェンダー差別は大きくて、女性が数学を勉強すること自体、社会が容認していなかった時代。そもそも数学は学問のなかでもかなりマニアックであるのに、それを女性がするなんて「役に立たない、やるべきじゃない、女性に数学はわからない」というような言われかたをしていた。

 

ソフィー・ジェルマンは頭が良かったが、数学に目覚めたのは、「数学史」という本を読んでから。そこでアルキメデスのこんな伝説を知る。アルキメデスはピタゴラスより前の最初の天才。

 

アルキメデスの伝説は次のようなもの。

アルキメデスは頭の良さを買われて、小さい島を守るための防御装置を開発してくれるように頼まれ、「アルキメデスの装置」というのを島中に作る。今で言えばピッチングマシーンみたいなもの。

ところがそのときはまだ攻められなかったからその装置の出番がなかった。

それから何十年もたち、アルキメデスが老人になってからローマから大軍が島に攻めてきたので、それを使った。しかし、味方から裏切り者が出て、その装置の弱いところを攻められ、ローマ軍がなだれ込んだ。

 

その時、ローマの兵士が、地面に図形を書いて計算しているアルキメデスを見つけた。ローマ側もアルキメデスが天才だと知っていて殺すなと兵士に命令していたが、たまたまアルキメデスを見つけた兵士の一人が、砂に向かって図形を書いて計算している老人の、その図を踏んでしまった。

するとアルキメデスは

「図形を踏むな!計算の途中だろう!!!!」

と怒って、兵士を突き飛ばした。するとその兵士は怒ってアルキメデスを刺殺した。

 

この伝説を読んでソフィー・ジェルマンは

「死ぬかもしれないタイミングまでそんなに夢中になれるものって最高かも」

と数学の面白さに気付く。もちろん両親からは反対されるが勉強を続ける。

大人になって数学の専門学校に行こうとするが、女性は受け付けてくれない。そこでそこをやめた男性の学籍を盗用して偽名で受けた。するとその成績があまりにも良くて、

「こいつは誰だ!」

ってことになり呼ばれ、そこで女性であることがバレた。

 

その後ドイツの数学者で「数学の王様」と言われたガウスと文通するが、ナポレオンがドイツを攻めた時

「ガウスが死んでしまう!」

と、フランスからあのガウスを保護するようにと尽力したのもソフィー・ジェルマン。

保護されたガウスが、

「フランスなのになぜ僕を助けるんだ」

と聞いたら

「ソフィー・ジェルマンさんにお願いされて」

と教えてもらったが、ソフィー・ジェルマンは偽名を使っていたのでガウスにはわからない。そこで初めてソフィー・ジェルマンは本名を明かす。

 

-2 そんなソフィー・ジェルマンがフェルマーに立ち向かう

ソフィー・ジェルマンは

「グループ別にできないか」「素数ならどうだ」

など色々やってみる。

その功績をもとに

x5 + y5 = z5   なし

x7 + y7 = z7   なし

を証明する学者があらわれる。

しかしここまででも、nが3、5、7がないと証明するにとどまった。

 

そして第2次世界大戦が起きる。

ここでコンピュータが出現し計算速度が圧倒的に早くなり、今までの手法で「この数字はない」というのはどんどん桁数が上がっていく。しかし、それは証明とは言わない。

「2より大きい全ての数について

無いことを完全に証明しなくてはならないから。

 

この頃になると数学者の間では

「フェルマーの最終定理なんて、やってもしょうがないんじゃない?」

って感じになってきていた。

基礎的な数字の問題を数論と言うが、それらはなんの役に立つのか見えづらいから。

 

 

その2 へ続く

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