お渡ししたエッセイは2007年に自費出版した「美女エッセイ PART7」。
お渡しした中でお読みいただきたかったのは
「地域女性会デビュー 副題:がんばれHばあさん」
です。
そう、このHばあさんの身内の方にお渡ししたのです。
身内の方のお渡ししたというのは、つまりそういうことです。
あとでそのエッセイを貼り付けますが、Hばあさんとお知り合いになった時、どこにお住まいとか、どんな人なのかとか何も知りませんでした。そのうち少しずつ情報は入ってきて、息子さんはレストランのコックさんであること、そしてそこには息子が時々行っていて、とても美味しいと言っていたこと。
そしてその後それほどの時を経ず、Hばあさんがお亡くなりになったこと・・・
そのレストランも、レストランが入っていたスーパーが閉店したためなくなってしまいました。
Hばあさんを勝手にエッセイに登場させたまま時は流れ、昨年彼が本町町会長になり、町内の班長さんに配付物等を持っていったりしているうち
「◯◯班の班長のHさんは前に△△でレストランやってた人だよ」
「・・・え?じゃ、Hばあさん、その人のお母さんなんじゃない?」
いつかお渡ししたいと思っていたエッセイをHさんにお渡しできるかも。
・・・徒歩2分ほどの場所にお住まいなのですから、さっさとお渡しに行けばいいのですが、なんとなくこれと言ったきっかけがありません。
そんな2024年1月14日、町内に若いSご夫妻が引っ越して来られて、ご丁寧に町会長の我が家へもお菓子箱を持って挨拶に来てくださいました。私達はここに引っ越してきた時、ご近所にご挨拶はしましたが町会長さんに挨拶なんてした覚えはありません。立派ですね。
その時彼はSさんから
「私達の入る班の班長さんはどなたですか?」
と聞かれ、彼は
「Kさんですよ」
と答えました。
その後私達はドラッグストアに買い物へ。
買い物を終え、袋に買ったものを詰めている時彼が言いました。
「あ!!!間違えた!!!S夫妻の班、Kさんの班じゃない。Hさんの班!!!」
彼はすぐにKさんに電話し事情を説明。するとKさんは外出中で、KさんからKさんの奥さんへ電話で事情を説明。SさんはきっとKさん宅にもお菓子箱を持って行かれたはずです。
予想は的中。
しかし間一髪、在宅中だったKさんの奥さんは、お菓子箱に手をつける寸前。彼は事情を話してKさん宅からお菓子箱を取り戻し、彼と私はそのお菓子箱を持ってSさん宅へ。
しかしあいにくSさんはお留守。すると彼は
「あそこHさん家だからエッセイ持っていけば?」
Hさんの家へ行くまでのことがやけに長くなりましたが、こうして無事Hさんに18年越しでエッセイをお渡しすることができました。Hさんは
「今もお母さんを覚えてくださっている人がいるんですね」
と涙ぐんでくださいました。
エッセイ書いててよかったなと思いました。
それでは18年越しのエッセイ、貼り付けます。(ブログとは文体が違います)
地域女性会デビュー 副題:がんばれHばあさん
2006年9月
やりたくないやりたくないやりたくないやりたくないやりたくないやりたくない
やりたくないやりたくないやりたくないやりたくないやりたくないやりたくない
・・・・・・と、いくら思っても無駄で、私の住んでいる宇野気・本町では、
「ずーっと、その年度の班長さんをやる家の奥さんが女性会の役員することになってるので・・・。今年だけ入って、来年はやめても大丈夫」
いつからずっとか知らないけれども、その説明をしてくださった方も同じ理由で昨年度入会されていたそうで、大人気なく
「私は絶対入りません!」
というほど勇気もなければ事を荒立てる気もないので、平成18年度私は宇野気区女性会の役員をすることになった。
女性会とは以前「婦人会」と呼ばれていたあれで、何年か前から「女性会」という名称に変わったらしい。
名称が変更されていたことを私はそのとき初めて知ったのだが、そのことはかなり私の心を和らげた。正直なところ「婦人会」という名称には相当な違和感というか、抵抗感があったからだ。
結論から言えば「女性会役員」の仕事はたいしたことなく(ただし、部長さんは結構ある)私がやるのは以下のことだった。
①今年度の会員募集・・・・・前からの会員さんに声かけただけ。6人ほど。
②昆布の販売・・・・・はっ?なにこれ?自分で買いに行けばいいじゃん!でも、買っている人の話によると、とってもいい昆布らしい。
→春頃注文とって、3件ほどに届けて終わった。
③ちふれ化粧品の販売・・・・これもスーパーで売ってるでしょ。
→夏頃注文とって申し込み1件だけ。
そのついでに、老人ホームに寄付するタオルも集めた。
④盆踊りの練習・・・・元河北郡の3町が合併して、新しい盆踊りの曲を作ったということで、あちこちで練習会が開かれたらしい。これを教えてくださっていた先生たちは毎日あちこちの会場を回られたというから、どんなに大変だっただろう。私は2度参加したが、覚える気がないのと運動神経のなさで、当日も前の人のを見ながらやっと踊った。
⑤女性会バス旅行の募集・・・・チラシを配っただけ。私は用事があって不参加。
⑥秋祭りの料理つくり・・・・これが今回のエッセイのメイン。後述。
⑦女性会会誌に載せる文章書き・・・・・まかせろー!今まで書いたエッセイの中から適当なものを提出予定。
さて、メインの⑥です。
秋祭り、今年は9月17日(日)。
前日の夕方18時から集会所で煮物つくりをすることになっていた。
部長さんはさらにその前日から、牛筋の串刺しをされるという。というのは、その
大量の料理をかなり前から一手に引き受けてくださっているHさんという方のお宅でその作業をされるからだそうだ。
部長さんから聞いたところによると
「何も心配は要らない。Hさんがおっしゃるとおりにすればいい。手は早いし、味付けもうまいし。ただちょっと口は悪いけど。野菜の切り方とか、言うとおりにしなくてはいけない」
まだお会いしたことはないがHさんのその様子が目に浮かぶ!
「こういう『仕切りばばあ』がいてくれなくてはこういう行事は動かないのだ。任せたぞHばあさん!」
私は勝手に心の中でエールを送った。
夕方18時、集会所へ行った。
殆ど終わっていた!
やや腰が曲がってはいるものの、てきぱきと働き続けるHばあさんの姿がそこにあった。周りにいる女性会のメンバーたちも、まあ、なんと言うか、立ってるだけって感じ。もちろん私も並んで立っていることになった。
・・・・・・が、せっかくなので私のした仕事を列挙してみよう。
・牛筋1本味見
・サトイモ味見
・厚揚げ味見
・ぜんまい味見
・昆布味見
・酢の物を食べる
(これは余った野菜でHばあさんがパパパと作ってくださったもので
「まかない料理」って感じ。あっ、これ、仕事じゃない・・)
これらが見事に全部おいしい。Hばあさん、もしかしてお料理屋さんとかやってたのかなと思ってそこにいる人に聞いてみると、ずっと主婦だそうだ。
・おつまみの袋をおろす
・床にあったおなべを、机の上に置く
・ビールを冷蔵庫に入れる
・床をちょっと拭く
ああ、よく働いた。
Hばあさんはものすごく働いた。
「来年私はおらんかもしれん」
とHばあさんは言っていたが、おそらくこの言葉を何年も前から言い、そして、これから何年も言い続けるのだろう。
Hばあさん、死ぬことは許されないぞ!
翌朝6:45から煮物をお重箱に詰めて、私の女性会の仕事は終わる。
(2024年の追記:この翌年、女性会そのものが無くなりました)
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