2022年5月も最後の日になりました。
私は3年前のこの日、何をしていたのでしょう?
普通詳細にはわかりませんよね。でも私はわかるのです。
「5年日記」
というのをつけているからです。
これで3冊目です。
その前の1冊目は10年日記でしたが、10年日記を終えた時点で5年日記に切り替えました。
1ページが5年分の1日になっていて、今日の分を書いていると自動的に前の年のその日のことが目に入ります。
この5年日記は4年目なので3年前までが目に入るわけです。
3年前・2019年5月31日、私は津幡中学校の校長室で少し前に提案した、
「関定子のコンサートを津幡中学校でさせてほしい。謝礼の3分の2は私が負担する」
を、
「教育委員会も含めて前向きに検討する」
という返事をもらいました。
私は以前からずっと、
「生徒にこそ関定子の歌を聞いてほしい」
と思い続けていました。
退職まで3年。最後の学校になる津幡中を逃したらもうチャンスはないのです。
その後、話しは順調に進み、来年度の文化祭でということが決まりました。私は早速関先生にご連絡し、2020年秋の日程の仮押さえさせていただきました。
そんな2019年12月末、武漢で新型コロナ発生のニュースが報じられました。
そして2020年2月
「関定子さんに連絡して日程を押さえてください」
と校長から言われ、2月27日に
「2020年10月16日、文化祭の第1部として関定子コンサート開催」
が決定しました。
ところがまさにその日の夜、安倍総理によって
「3月、学校全休校」
が発表されました。
私は頭を抱えました。頭を抱えるということを本当にするとは思いませんでした。
その後のことはみなさんもご想像のとおりです。
2020年3月3日から津幡中学校は休校。
休校明け、音楽の授業でも歌えない状況の中、
「関定子さんにお断りしてほしい」
と校長から言われてこの話は流れてしまいました。
私は今でも関定子コンサートが開催できなかったことが悔やまれてなりません。
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