今日は3年前のゴールデンウイークに絡んだ、以前「美女エッセイパート17」に掲載したお話をご紹介いたします。エッセイとして出版したもので、ブログとは文体が異なります。
いやこれは、日本に限ったことではないだろう。
田舎に残った実家。親が住んでいる間はたまの里帰りも楽しいが、いつか必ず訪れるその時、これは大きな負の遺産となる。
・ただでいいから誰かもらって欲しい
・寄付する
多くの人が本気でそう思っても、それすらうまくいかないのが実情。
石川県の能登地区など、よくテレビ番組で「古民家再生」のような特集が組まれる以上の立派な家が、
<その時>
西野真理57歳でその時はやって来た。
88歳の父が突然泉下の客となり、石川県かほく市から700㎞以上離れた山口県防府市にある実家は、どんなに贔屓目に見ても売れるはずはなく、立地にしたって、猪は出るわ、過去にはあわや水害被災地!みたいな場所。
幸いだったのは、早い段階でかなり元気な母が、石川県に引っ越してもいいと言ってくれたこと。
私も母も
・ただでいいから誰かもらって欲しい
・寄付する
と本気で考えた。
<司法書士さんの助言>
父母名義の家と土地を母の名義にする手続きのため、母は特に誰の紹介でもなく、たまたま目にした「T司法書士事務所」の看板のお店に入った。
こんなこと、一生に何度もすることでもなく、その司法書士さんが他と比べてよいのか悪いのかさっぱりわからないが、仕事は早く、なんと言っても次の助言がその後の展開を決めることになったことだけでもとても良い事務所だったと言える。
母が、
「最終的にはこの家と土地を売って、娘のいる石川県へ行くつもりだ」
と話したところ、Tさんは
「すぐ不動産屋さんにお願いするんじゃなくて、意外に近所に家を欲しい人はいるものだから、まず近所の人に声をかけてごらんなさい」
<Sさんに聞いてみる>
2020年3月末、祖母の27回忌で実家に帰り母とその話になり
「それならSさんに聞いてみるのがいいね」
という結論にすぐに達した。
Sさんは、実家の斜め前の方で、私たちが里帰りして庭木の剪定作業などする度、軽トラックを貸してくださったり、作業道具を貸してくださったりと、両親も私達も、お世話になり続けている。
27回忌を終え、庭でぶらぶらしていると丁度Sさんが!
「実は、この家・・・」
事情を話すとSさんはあっという間に知り合いの不動産屋Mさんに連絡を取り、4月末には買い手がほぼ決定してしまった。
<ご近所のHさん>
幼い頃よく遊んだひとつ年上のHさんはお父さんの代(もしかするとおじいさんの代から?)植木屋を営み、現在かなりの規模の植栽関係の会社に発展させている。
なんと、そのHさんが買ってくれるかもしれないという。
「でもおかしいね?あんなお金持ちなのにこんな古い家・・・土地は広いから、買ってすぐ更地にして新しいお家を建てるのかもね」
こんな家でもなくなると思うとちょっとさみしい気持ちになったが、それは贅沢というもの。売れることになって本当よかった。
<母のアパート探し>
家がこんなに早く売れることなど全く想像していなかったので、とにかく母が石川県に来ることの方を急ごうと、アパート探しを始めた。
87歳にもなるとアパートなんて借りられないと何となく耳にしていたが、私が借りてそこに母が住むというかたちにすれば難なくOK。
「87歳で独り暮らしできるの?」
ご心配の声も聞こえそうだが、今のところ元気だし、元気なうちは一人で気楽に住みたいという気持ち、私は全く同感である。
そこで
・我が家から徒歩5分以内
・イオンに歩いていける
・1階
という物件がたまたま見つかったのですぐに契約。
引っ越しを5月4日と決め、その作業のため山口県へ帰る数日前に、Hさんが購入を決めたという情報が入った。
空き家を残して石川県へ来ることは母も気がかりだっただろうが、これでかなり精神的に楽になったはずだ。
<非常事態宣言中の移動>
丁度この頃日本、いや世界は新型コロナウイルスで大騒ぎ。
「ゴールデンウィークは不要不急の県をまたぐ移動は自粛」
と再三に渡って報道されていたが仕方がない。私たちは有用至急なのである。
「引っ越しのサカイさん、石川県だけど行ってくれるかな?」
と、特別警戒区域都道府県のひとつになっている石川県民としてはとても不安だったが、それも大丈夫だった。
引っ越しのため、5月2日に石川県を発ったが、道路もPAもガラガラ。いつもなら休憩込みで9時間の道のりが8時間。
ある意味幸運だった。
いつもの土日なら、進入通路まで車でいっぱい
中央のワゴン車が我が家のVOXY
↑5月5日・こどもの日帰りに寄った岡山県内のPA
ガソリンスタンドは営業しているが、その他全部休業していたり、お土産物売り場コーナーには布がかけてあったり、自販機コーナーだけの営業だったり。
<Sさんの更なる提案>
グランドピアノは山口市内の教会で使ってもらえることになり、4月中に移動が済んでいたが、その他の母が引っ越しの時持っていかないものは全部処分しなければならない。これは私たちが何度も来てやるのは無理。業者さんにお金を払ってやってもらうしかない。母もそのつもりで業者さんに見積もりに来てもらうよう手配していたら、Sさんから
「私も普段遊んでいるだけだし、ここの処分を仕事としてさせて欲しい」
と申し出があった。
業者さんはお断りし、Sさんにお任せすることに決めた。
母が石川県に来るときまでに家が売れ、引っ越し作業が済み、家財処分の目処も立つなんて想像すらしていなかった。
<実家・今後の展開>
5月3日、買い手のHさんが家を見に来るというその打ち合わせの電話で次のことが判明した。
「植栽の研修のため来日しているミャンマー人研修生の寮として使用するために購入した」
なるほど!
この家、壊されないんだ!
その後Hさん・・・おっと、このHさん、私がよく遊んだHさんではなく、そのHさんの息子。Hさんよりいい男(笑)・・・は、ミャンマー人研修生2人(日本語ペラペラ)を同伴して家の様子を見に来てくれた。
私がミャンマーと言って思い浮かべるのは、
←「ビルマの竪琴」
以外になかったが、当然、今風の普通の若者がやってきた。
そこで
「もし、家にあるもので、そのまま使ってもらえるものがあれば置いていきたいのですが?」
と提案してしてみると
・本棚 食器棚
・ベッド
・食事用のテーブルとイス
・カーテン
・私の勉強(しなかった)机
・タンス
・ハンガーラック
など、多くのものを使ってもらえることになり、ますます心が軽くなった。
家が売れ、その後の処分も決まり、さらに実家が国際化するのである。
ミャンマーの若者に幸あれ!
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