「突撃ボランティア」
と言うのは、私が勝手に名付けたボランティアのスタイルです。
アポも取らず一人で老人ホームなどを急に訪問し、歌ってもいいと言われたら食堂でも廊下でも居室でも構わず歌うというスタイル。
このきっかけは津幡南中学校に勤務していた30歳代後半のこと。
生徒を連れて近所の老人ホームを訪問した時、生徒から
「先生ここで歌えば?」
と言われ、施設の人からも
「どうぞ」
と言われ歌ってみたところ評判がよく、
「こんなやり方があったんだ!」
と、車の運転中に見つけた道路沿いの老人ホームに突然訪問して歌い始めました。
これまでに100回を越えています。
これを始めた頃はもちろんコロナのない頃でしたから、まあ、歌い放題。時々断られることもありましたが、90%以上許可されました。たまに断られるときというのは、時間的に昼食や入浴と被っていたり、施設長がお留守だったりのときくらいだったと思います。
このボランティアは歌う機会に恵まれない西野真理にこれ以上ない「本番ステージ」を与えてくれることになり、そのことはその後のコンクール入賞にも役立ったと思っています。
そんな突撃ボランティアをコロナのため中断して2年。ずっと思い続けていることがありました。津幡町に住むかつての教え子Kさんです。(中学校時代は内灘町在住でしたが、その後津幡町に引っ越されました)
彼を教えたのは20代後半から30代、内灘中学校でのことでした。
その時はたくさんの生徒の一人だったのですが、いよいよ最終勤務地、津幡中学校に異動して来た時、Kさんの体の状態のことを知りました。Kさんは20歳前後で交通事故に遭い、20年近く寝たきりの状態だというのです。
Kさんは吹奏楽部に所属していた音楽好きのお子さんだったので、早速私も(その時はちゃんとアポを取って)ご自宅のベットのそばで歌わせていただくことにしました。私が内灘中学校の校歌を歌うと、体を動かして喜びを現してくれたように見え、ご家族も喜んでくださいました。
その後、津幡中学校の吹奏楽部メンバー数人とともに、ご自宅で慰問演奏をさせていただく機会もいただきました。
それ以降、時々お邪魔していましたが、コロナです・・・
お伺いできない日が続いていましたが、先日の鶴来第一幼稚園のボランティアコンサート、11月19日の美女コン再開。そろそろKさんのご家族にアポを取ってみてもいいかな?という気持ちになり、昨日夕方、そのことを書いたお手紙をKさんの家のポストに入れてくることにしました。思い立ったらすぐ実行。ピンクのキティのスモックを着たまま。このスモックは多分20年ほど前に購入したものですが、今もお気に入りで袖のゴムを取り替えながらずっと着ています。水色のも持っています。
(↓本当はピンクの写真を載せようと思ったのですが、あまりに汚いので断念)
Kさんの自宅前に来ると、ちょうどKさんのお母様が玄関に出ていらっしゃったので車から降り、封筒を直接お渡ししようとしました。ところが、私がピンクキティスモック姿だったものですから、気づいていただけません。
「ご無沙汰しています、西野です」
「あ~西野先生!いつも来てくださるヘルパーさんかと思いました」
そりゃそうですね。
その後長めの立ち話になり、私とお母様も2年ぶりの再開で話も弾み、クリスマスあたりに歌わせて頂く感じでお話を終えました。
お話の中で一番驚いたのは、この期間にお母様自身が大きな病気を克服されていたということでした。
コロナは今、完全に収束したわけではありませんが、ここまで長引くと「With コロナ」の思考でいくしかないでしょう。
突撃ボランティアの形は難しいかもしれませんが、今後自分のコンサート、歌の会、そしてボランティア活動を少しずつコロナ前に戻していきたいと思っています。
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