このブログを始めるまで、私は紙媒体でエッセイを自費出版していました。当然それらは売れるはずもなく、今も押し入れはいっぱいです。でも、書くことも出版することも楽しく、押入れがいっぱいなこと以外、出版して本当に良かったと思っています。
書いていてよかったことの一番は、書かなければ絶対に忘れていた過去のことを思い出せること。今までもしてきましたが、これからも時々過去のエッセイをご紹介していきます。
さっそく、昨日のブログに登場した、喉を痛めていた時のエッセイです。
<はじめに>
エッセイの時とこのブログでは文体が違いますが、そのまま掲載いたします。
またこの中に「過去のエッセイをお読みください」という記述が時々出てきます。それも同時に貼り付けようかと思いました。でも、コメント欄にお一人でも読みたいという方がコメントを下さったらにします。
絶不調からの脱出?(2012年11月頃・50歳のエッセイ)
<マーフィーの法則>
「『スランプだ、スランプだ』という人の絶好調の時を見たことがない」
これは随分前に読んだ
「マーフィーの法則」
という本に載っていた言葉で、この言葉を知って以来、
「スランプ」「不調」
という言葉は、私が決して口にしないでおこうと肝に銘じているもののひとつに入っている。
その私が不覚にも絶不調だ。
もちろん家族以外には言っていない。
<ホーミー>
10月23日に出演させていただいたオペラ「天狗と彦市」のときも、今だから書くが、3週間ばかり前からあまり良い状態とは言えず、正直かなりヒヤヒヤした。しかし、なんとか回復期に入ったようで、絶好調とはいえないまでも普通にやれたと思っている。
ところがその後、回復曲線はまたも下を向き、熱も出なければ体の調子も悪くないのに、声の調子だけが悪くなっていった。次の本番(チャリティーコンサート)が11月22日に控えているのに。
どんな状態かというと、モンゴルの
「ホーミー」
という歌い方をご存じだろうか?私もよく知らない。まあ、聞きかじった知識によると、一度に2つの声が声帯からが出る。お得・・・じゃない!
ホーミーの日々がスタートした。
ちょうどこの時期の学校は合唱コンクールの直前で、幸いなことに先生が歌って聴かせる場面は少なくて済んだが、ちょっと喋るとすぐノドが疲れ、ホーミーどころか、しゃべるのさえ嫌になる日が続いた。
<我慢>
授業は何とかなっても歌は歌えない。
こういう時、することは2つ。
「薬を飲む」
そして
「歌わずに我慢する」
耳鼻科の先生に泣きついたが、
「薬を飲んで、無理せずに」
と言われておしまい。
「まだ3週間ある」
「まだ2週間ある」
<カウントダウン>
「まだ1週間ある」
この頃になると、一日中、思考の回転木馬に入った。
「キャンセルしよう→まだ1週間ある→ドタキャンはできない→1週間あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」
「キャンセルしよう→まだ6日ある→ドタキャンはできない→6日あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」
「キャンセルしよう→まだ5日ある→ドタキャンはできない→5日あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」
「キャンセルしよう→まだ4日ある→ドタキャンはできない→4日あれば回復する→断るなら早い方がいい→どんな状態でもやるのがプロだ」
3日前。
ホーミーが今までより高音へ移動した。
2日前。(別エッセイ「酵素風呂体験記」も合わせてお読みください)
ホーミーがさらに高音へ移動した。
1日前。
ホーミーがさらにさらに高音へ移動した。
当日の朝。
ホーミーだけどなんとかなる・・・と思うしかない。
<アカペラさまさま>
私がボランティアやチャリティーで、要するにピアニストに謝礼を払うことができないときは、
「アカペラでよければ」
ということでステージを引き受ける。
今までこのスタイルで活動(修行)をしてきたことが、今回のピンチを救うことになった。
そう、一人ならその時の調子にあわせて、好きな高さで、好きな曲を自由に歌うことができる。ピアニストと事前にプログラムを組んで練習していたら、そう勝手なことは言えない。
<本番>
直前まで声の高さの上限を慎重に確かめながら、
「瑠璃色の地球」
でスタート。
ノドを疲れさせないようにトークはセーブして、なるべく低い調で歌を多めにと思いつつしゃべりはじめたが、
「あれ?」
ちゃんと声が出る。
しばらく喋ったが、しわがれてこない。
次の曲は高音をやや強めにしてみたが、これもOK!
「このままいけるかもしれない」
ちゃんとしゃべってちゃんと歌って本番が終わった。
でもやっぱり、全体の音域は低めに設定して正解。
アカペラさまさまである。
<翌日>
ホーミーから山羊に変身。
脱出途上である。
0 件のコメント:
コメントを投稿